陸奥ははっとする。今、何かが聞こえたような気がした。
「あの〜、大丈夫ですか?」
「え? ええ、大丈夫よ。それで――」
「サインを貰いたいんです!」
清霜が、瞳をキラキラさせながら陸奥を見上げる。
陸奥は清霜の差し出す本を受け取った。
「ええ、いいわ。お名前は?」
「清霜!」
「清霜ちゃんね」
そして陸奥は、さらさらとサインを書き、清霜に本を返した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
ニコニコと去っていく清霜の後ろ姿を見届け、陸奥は呟く。
「深海棲艦を知らない世代、か」
「覚えてない?」
長門がデスクトップの画面をスクロールする。
「ええ。悪い夢を見ていたようだ、と」
「それが悪夢のままなら、良かったが」
溜め息をついた長門を見て、川内は前の査問会議は良くない結果だったと悟った。
「それで、審議の程は?」
「散々。特にあの――」
「熊野、でしたっけ?」
「そう。これが海軍航空技術廠の見解だ」
長門がデスクの上に書類を放る。川内が持ち上げ、読んだ。
「『原因は、特偵戦で行われたシステムの改ざん』?」
「幸い、大本営コンピュータの判断は『誤射』だったから、それを押し切ったが」
「あれが? あれを誤射というなら、テロリストが市民に銃をぶっ放すのも誤射の範囲に入ってしまう」
「何と言おうと、結果は結果だ。それに、大本営コンピュータは雪風の早期復帰を要請してきた」
「あれだけ無人化をごり押ししてきながら?」
「おそらく」
長門がダブルクリックする。すると、画面に2人の顔写真と個人データが表現された。片方には「川崎 榛名」、もう片方には「三菱 妙高」と記されていた。
「彼女、雪風と丹陽にしか分からないような深海棲艦が、このフェアリィ海軍に紛れ込んでいるとしたら」
「まさか――」
「身内を疑い合う、ソヴィエトや東ドイツのような事になり、フェアリィ海軍は内部から崩壊しかねない」
雪風は泳ぐ。ゆったりとしたペースのクロールで流し、折り返して本気で泳ぐ。が、すぐに息が上がってしまう。体力が低下しているのが、嫌と言う程よく分かった。
フェアリィ鎮守府 地下居住地区 レクリエーションセンターの温水プールから、雪風は上がる。肩で息をするように激しく呼吸し、プールサイドに設けられているデッキチェアに腰掛ける。
すると、脇からスポーツドリンクが差し出された。雪風は受け取る。
「ありがとうございます」
「3ヶ月近く昏睡状態だったとしては、かなりの体力よ」
振り返らずとも、誰かは分かる。
「それで、何の用ですか? 千歳さん」
「私の予定をすっぽかしたパイロットの説教よ」
それは、軍医・千歳だった。