0
脳が軋む、心臓の鼓動は今にも破裂しそうなくらいに痛いくらいに跳ねている、心臓が脈打つたびに血管が皮膚を破ろうとせんばかりに膨張している、暗い通路で歯を食いしばりながら一人で痛みに耐える。
私以外の時間を僅かに止めて私だけが動ける能力、効果はどの程度広いのかはまだ把握していないけれどもこの能力を以前使った時にはこんなに身体の方にダメージが来るようなことは無かった、内側から食い破られているかのような痛みが精神力さえもねじ伏せみっともなく痛みにのたうち回るのを我慢することしか私にはできないのだ。
止まっていたのは飯田君だけなのか、もしくは会場の人達も含め止まっていたのかはまだ確認することは出来ていないけれども出来れば前者であることを信じたい。
やがて眼も開けられなくなってノイズが走る、閉じた網膜の裏に白と黒のさざ波の向こうに少なくとも白黒よりかはカラフルな色で彩られた景色が広がろうとしている。
今はまだ見えないけれども意識が遠のくとともに徐々に鮮明に映る、記憶にない多分ずっと前の記憶、多くは覚えてはいないけれどもそれでも少しだけ覚えていたことはある。
それでも私は逃げていた、その記憶と思い出から。
そして、見失っていた。
けれどもそれはもう終わりだ、終わりにしたはずだった、だからこそ昔の記憶を垣間見るのかもしれない……今までは見ないふりをしていたそれに踏み込んでいかないとそれこそ何かに……私の中の個性たちに対する冒涜だ、だから無理やりにでも閉じられた扉をこじ開けた。
そもそも、体育祭で優勝するという事は自分の中のいくらかある個性を公に見せるということに繋がる、自分の中で何かと理由をつけてはいたけれどもこれは私にとって出来る最高の追悼、歓声をレクイエムに遅いけれど盛大な弔いを。
意識が途切れる前兆が訪れる、冷たい感触が頬に伝わり血の気が引き四肢には力が入らない。
一面に広がる赤、焦げ付く匂いと焼けつくような熱さが蘇る、最後は私一人だったはずの部屋にいなくなった人たちが一人ずつ増えてゆく、まるで初めてこの場所に来た時のように最後には大分大人数に。
小さい子から中学生まで幅広く、そこにはいてたまに来る先生に私はいつも褒められていた記憶がある。
やっぱり君は優秀だと、最高の○○だと、そういっていつも頭を撫でてくれた、先生の手は大きくて優しく撫でてくれていたけれどとても冷たかった。
今の知識をもって、この時期に何があったのか、それを探るべくもっともっと奥へ。
意識を手放す、目の前に知らなければならない何かがあるのだから。
1
「時尾 花架琉……もしかしたらと思いましたがやはり例の少女ですよね、オールマイト」
「相澤君か、そういえば君もあれに関わっていたんだっけか。最初は違うと思ったんだけどね、あの様子を見ると多分君の推測は当たっているよ」
「けれど俺もいまだに信じられないですよ、正直驚いています。まさかこの年齢まで健康そうに生きているなんて」
「健康そうに、か。それでも……個性をあれだけしか、あれだけのものしか使っていないのに関わらずあの疲れようを見ると、ね。それに最後の時尾少女のというよりか飯田少年の動きを見ると謎は深まるよ」
「ええ、ちょっと異常ですね、まるで馴染んでいないようにも思えてきますよ。まるで発現したてで、使い方がわからない様な、もしくは最近ようやく気付いたのか、はたまた本当に自分のものではないのか……いずれにしろ負荷が大きすぎる」
「鋭いなぁ君は。リカバリーガールの話を聞く限りでは体には異常はないそうだよ」
「鋭いわけではないです、ただ知っていただけ……その言い方だと他に異常があるのでは?例えば、脳とか」
「本当に君には驚かされる、やはり優秀だね。その通りだよ、容量超過だそうだ」
「それなら……今すぐにでも」
「まだ心配はいらないよ、ちょっとした知恵熱のようなものが出ているらしくて今は起きて意識もはっきりしている、第一あの程度ではまだ彼女がそうであるか確定しづらい」
「何を悠長なことを、彼女が物言わぬ人形のようになってしまう可能性があるかもしれないんですよ!?」
「けれども、そうはならない可能性もある、確かに私は悠長かもしれないけれど相澤くんも焦りすぎだよ。彼女に特別な思い入れがあるのかい?」
「……強いて言うのであれば、彼女は俺の進むべき道を変えてくれた人間ですから。良くも、悪くも」
「本当に良くも悪くも、だよ。君は若いのにあまりにも優秀で、それこそ合理的で……彼はあまりにも身の丈に合わない夢を追いかけていた、その理想を貫き通すことが出来ないと知っていてそれでも憧れを追い続けていた」
「その結果があれで、あの人は身の丈に合わない夢に未だに囚われ続けている、半端者が夢を追った結果がどんなに残酷なものか、あなたも知っているでしょう?」
「確かに彼女は半端ものかもしれない、けれども彼女の意思は本物だ。降りることは無いよ」
「止めに行くつもりはありません、ただ、少し話に行くだけです」
「何を?」
「……たわいのない雑談ですよ」
「そうかい、あまり彼女を責めてあげないでくれよ」
「大丈夫です、俺はやさしいですから」
「良くも悪くも、ね」
2
ベッドから飛び跳ねる勢いで起き上がると私は見知らぬ場所にいた、白い天井に同じ色のレースに区切られたベッドの周り、そして独特のにおいでようやく自分がどこにいるのかを推測できた。
ズキンと痛む頭と目に痛む体の節々、そして夢で見た記憶の欠片、おそらくは昔の記憶なのだろう、私がまだ小さくて、無知で無力だった普通の女の子として生きてきた時代と今のようにありえもしない能力と現象に捻くれてしまった今との境目の出来事、この境目に私に何があってどんなことがあったのか分かったとしてもそれがどうしたという事実が残るだけだ。
それでもしっかりと覚えている、まだまだ細部は覚えていないけれども、もしかすると思い出すことがあるのかもしれない、でも今はそこに思考を費やす余裕はない、次を見据えてその先とまたその先を見据えなければ簡単に足元を掬われる。
飯田君に勝てたのは私が手札を見せなかったからにすぎない、しかし、もうすでに半分くらいは見せてしまったような気もする、成績優秀・個性優秀のヒーロー科の生徒を相手にするのだから気を抜く暇も別のことに気を取られる余裕もないのだ。
確かに今思い出していることは大事なのかもしれないけれど、それでも全部ことが終わってから考えるべきだ、何振り構っていられる戦いではないのだから我武者羅に、真摯に、それでいて貪欲で冷静になるべきだ。
「時尾 花架琉の容態はどうですか?」
静かにドアの開く音と渋く響きのいい低音の声が小さいながらもよく響く、相澤先生の声だと気付くのに時間はそんなにかからなかった。
厳しくて合理的主義を唱えているけれどとてもやさしい人だなと第一印象でそう思う人だった。詳しく関わったことは無いけれども生徒思いのいい先生だなぁと思っている、とても厳しそうだけれど。
「うん、大丈夫そうだよ。花架琉ちゃん、起きているかい?」
保健室のおばちゃん、ことリカバリーガールさんに呼びかけられて返事を返す、ここで元気なそぶりを見せておかないと下手したらドクターストップがかかるかもしれないので気丈に振る舞う、実際のところ体の方は大丈夫、でもテンションは寝起きでそこまで高くないが無理やり上げる。
それを悟ったのか私の体を気遣ってくれたのか私が知る由もないけれど、相澤先生は「無理に立たなくていい、寝たままで構わない」と私がベッドから起き上がるのを片手で制した。
「お気遣い、ありがとうございます。ところでこんな凡骨のところに来てどうしたんですか?何かあったんです?」
出来るだけ当たり障りのない言葉を選んだつもりだ、ここに来た理由がわからない以上素のままの私で対応するしか他は無い、感謝の意と疑問を簡潔に述べると少し拍子抜けするような返答が返ってくる。
「いや、大した用じゃないよ。言い方は悪いが私用のついでだ……飯田との戦いで大分削られたようだが体の方は大丈夫なのか?」
「あ、それはもちろん大丈夫ですよ。この通り元気ピンピンです」
「そうだな……思ったより元気そうで残念だ」
「残念!?」
え、ちょっと先生酷くないですか?
「お前の個性は俺も未だによく分からないが、大したことない割にフィードバックが重すぎるんじゃないのかと思うんだがそれについてお前はどう思う?」
……鋭い、指摘も的確だ、相澤先生は何かを知っているのだろうか?それとも単に疑問を投げかけているだけなのだろうか?
アハハと笑ってごまかそうとはするけど相澤先生は鋭い目で私を見続ける。
「そんな目で見ないでくださいよ、照れるんで」
「……まぁいい、これは警告だ、もしもお前が身に余る個性によって振り回されるのなら俺はお前を戦いから降ろすつもりだ」
「私は、この体育祭に全てを賭けているんです、私が目指すのは頂点だけでそれ以上はいりません、だから邪魔をしないでください、お願いです」
「俺は教師で、ヒーローだ、生徒の安全が最優先、それは当たり前のことだろう?」
「でも、それでも私は……後悔だけはしたくないんです、どうせなら、戦って……私は」
「その必死さが危ないし、第一公共の電波で問題でも起こしてしまうと学校側としても見逃せない、それに俺はもし然るべき事態になれば止めると言っているが、自分で一番分かっている筈だ、その個性がどれだけ危険なものなのか」
脅すのでもなく、怒るのでもなく、諭すように現実を突きつけられる、まっすぐと見据えられた目は私の心の揺らぎを見切ったかのように鋭く刺さった。
「身の丈に合っていないのは認めます、けれども」
言葉が続かなかった、何を言えばいいのかわからなかった、所詮私の体育祭での目標は他人にとっては迷惑のかかることであると突き付けられたような気がしたからだ、身の程を弁えろと、弱いんだから無理はするなと言われている気もした。
だからこそ
「それが先生の優しさなら、私はそれを受け入れることが出来ません」
差し伸べられた救いの手を振り払った、初めて胸を打たれた私を心配する言葉に涙さえもが滲んだ。表面上の偽善ではなくて心配して気にかけていてくれたからこそ棘のある言葉で優しく私を制してくれた、それに多分先生は何かを知っている。
私が目的を果たした後で探そうとしていた大事なもので少しだけ垣間見た昔の記憶とももしかしたら関連する何かを知っているかもしれないけれども、それを背負って戦えるほど私は強くはないのだから。
「ああ、知っているよ。そう言えば初めて会った時もそうだった」
「初めて会った時?」
「こっちの話だ、まぁお前よりももっと危なっかしいやつがいるから俺の判断だけでは君を棄権にすることは出来ないよ、安心しな」
嘘だ、絶対本気出せばそのくらい出来るでしょ、目がマジだったもん。
「合理的虚偽ってやつだ」
ハハハと笑っているけど本当に笑えない、いやマジで。
「いずれにせよ、君の思いは本物だ。自分の状況が分かっていながらも、それを他人に気付かれて突っ突かれてもぶれなかった、その思いを俺は邪魔することが出来ない」
突っつくってかわいい表現じゃないでしょ、脅しだよ脅し。
「分かってもらえたのなら幸いです、それじゃあ私はもう少しお休みします」
「なぁ……お前は何を目指しているんだ?」
「体育祭で頂点を獲ることです、そうすれば私は嫌でも記録と記憶に残り続けるので」
「そうか、なら一つだけ教師として言わせてもらう。大切なものは今欲しいものよりももっと身近に転がっている、それを忘れるなよ」
そう言うと、相澤先生はどこからともなく色々な食べ物が入ったバスケットやクーラーボックスを私の前におもむろに置いた、チョコレートやらウイダーインゼリーやらコーラなど私が必要としているものやちょっとした軽食のようなものまで結構なものが入っていた。
「これは一体……」
何ですかと?言葉をつなげて先生を見上げようとしたけどその姿は部屋を見渡しても姿は見当たらなかった、手に持たされたバスケットを見るとたくさんのメッセージカードのようなものが入っていた、軽く目を通すけど全くもってくだらない、自分の夢を私に重ねるな、私だって大した個性の持ち主じゃないし有象無象達も可能性がないわけじゃないだろう。
うっとおしく思ってうんざりしながら必要なものをバスケットの中から選んでいくと目につくように大きな紙が入っていた、クラスで比較的仲のいい子からのものだ、頑張れとか応援しているとかそういったどうでもいいことではなくて次に私が戦う相手の情報(芦戸さんが青山君に勝ったらしい)とか動き方や私がやってほしいことを大体やってくれていたものだった。
ふと、相澤先生の言葉が頭に浮かぶけれど気にも留めずにチョコレートを口の中に放り込む、イチゴのやさしい酸味とチョコレートの甘さがいい感じにマッチしていてとても美味しいと評判のお菓子だ。
けれども私には甘さも、優しい酸味も感じる事は出来ず、血の味だけが確かに広がっていて、思い出したものと相澤先生の言葉も一緒に一思いに飲み込んだ。
大事なものはきっとそこにある、それでも今は欲しいものを手に入れることに必死だから。
チョコレートはうまく呑み込めなくて、コーラで無理やり流し込んだ。