今回は何時もより少しだけ長くなってしまいましたが、少しでも楽しんでいただけたらと思います。
いつも通りの登り道を歩き、その前庭を過ぎて礼拝堂の扉を開く。
日暮れ時の礼拝堂は薄暗く、ひとつとして明かりが点いていない。
奥にいるのか、と長椅子の間を通りすぎて中庭の廊下に繋がる扉を開く。
「うん?」
中庭に一歩出た瞬間、ハサンから突然背中を押され、たたらを踏む。
そんな私の背後でキィィンと甲高い金属音が響いた。
「おっと、暗殺者の割にやるな」
ハサンの殺気が膨らむ中、それをつつくような男の軽い声が忍び笑う。
数歩足を進めてやっと振り返ると、数メートル先に青い装束に身を包んだ男が佇んでいた。
紅い槍を肩に担ぎ、その槍と同じく紅い瞳を細めたものの、男の表情には些か精彩に欠け気だるそうだ。
青い髪を乱暴にがしがしと掻いたサーヴァント・ランサーとおぼしき彼は大きくため息を吐き出して、こつんと槍を地面に打ち付けて首にもたれさせ、殺気だつハサンと驚いている私に対して両手を上げてみせた。
「この場所は不可侵領域だと聞いていますが? ランサー」
警戒に満ちたハサンの低い声に、ランサーはわかっていると神妙な顔で頷きました。
とりあえず分かったことはランサーがいきなり襲いかかってきてハサンが私を庇うために背中を押したということですね。
私はそれほど身体能力に優れているわけではないので、俊敏さに優れるランサーの攻撃など避けられるはずもありません。
槍に刺されれば痛そうですし射ぬかれなくてよかったです。ハサンには後でたっぷりお礼を言わねばなりませんね。
「マスターからの命令でね。これからアサシンのマスターがくるから一発打ち込んでやれ、ってな」
「あぁ、そういう……ということは、ランサーのマスターは言峰さんですか」
違和感のある言葉に、しかし場所を思い出してすぐに合点がいく。
記憶を引っ張り出さずとも、言峰ならばそれくらいはすると分かります。
「ご明察」と軽く肩を竦めたランサーはもう攻撃するつもりも命令もないと付け加えました。
「アサシン、武器をしまって」
「……はい」
警戒はしたまま私の言葉に従ったハサンは、それでもランサーから視線を外しません。
私はそれを止めませんし、ランサーも受け入れた様子で、しかしどこか面白いとでもいうような顔になりました。
「幾ら何でも、警戒が薄すぎるぜ? お嬢ちゃん」
「最近よく言われる気がします。でもランサー、あなたは攻撃するつもりはないと言いましたし、それになんだかんだ王様が煩くなりそうなことは言峰さんもしないでしょうから」
「ふぅん。いけすかねぇ神父のことをえらく信頼しているんだな?」
じっくり検分するような眼をするランサーに、私はどうだろうかと首を捻る。
言峰を信頼しているのかと言われると……何だか違うような気がします。いえ、王様と組んで嫌がらせをしてくる時はこの人も何かやるだろうと違う意味では信じていますけど。
大人として頼りにしているかといえば伯父と伯母の方が頼りになりますし。
「王様に関することは信頼していますよ。頼りになるかならないかで言うと三六の割合ですけれど」
「……それは些か気になる物言いだな、響」
かつんかつんと聞こえていた石畳を歩く音が止まり、ねっとりと絡みつくような声をかけられてしまった。
聞かれて困ることを言ったつもりはありませんが、泰山まで付き合うことになるのは御免ですね。
「そうでしたか? 気にさわったのならすみません。それで、ランサーがここにいるのはどういうことでしょうか? 確か協会からのマスターが彼のマスターだと聞いた気がしますが」
「ふむ。それについては奥で話すとしよう。ここで立ち話をしてもいいが、風邪を引かれるのも困るからな」
「付いてきたまえ」と早々に身を翻した言峰に、私は小さくため息を吐きます。
多少なりと気遣ってくれるのはいいのですが、あの様子ではその内私の言葉を掘り返してくるでしょうね。そしてまた泰山で激辛の麻婆豆腐を食す羽目になると。……辛いものが苦手になったのは言峰のせいです。
ちらりとランサーを一瞥し、それからハサンを呼んで私は言峰の後を追う。
そんな私たちの後ろをランサーがゆっくりと付いてきます。ただ、足の長さの差から然程距離は開きません。
奥の方にある言峰の部屋の数個隣にある、質素ながら家具を誂えられている部屋に入り、促されるまま皮張りの椅子に腰掛ける。
私の背後にはハサンが立ち、向かい側には同じ椅子に言峰が座り、入り口には扉にもたれ掛かるように立つランサーがいます。
それぞれが落ち着いたのを確認した言峰はゆったりと足を組んで、にんまりと歪んだ笑みを私へと向けてきた。
「ランサーが私のサーヴァントになったのは、何、元のマスターを殺しただけの話だ」
「それは……ええと、とても反応に困る答えですね」
分かりきっていたとはいえ、臆面もなく言い切った言峰に思わず苦笑してしまいます。
言峰ならやりかねないし、実際に行動したのだからどうとも言えません。私に彼の行いを非難するだけの謂れはありませんし。
まぁランサーからしてみればさぞ不満なことでしょうけども。マスターを殺した相手がマスターに成り代わるなんて。
「響。魔術の基礎を習っただけに過ぎない私と違い、君の魔力は潤沢だ」
「え、えぇと……まさかとは思いますが言峰さん?」
「いや、私も悩んだのだがね」
不穏な言葉に、嫌な予感を抱きつつひきつる笑みで私は首を傾げます。
そんな私を見つつこれ見よがしに重たくため息を吐き出す言峰ですが、その目には明らかに私の反応を楽しむ色があります。
「私の魔力生成量では、ランサーの宝具を使うだけの魔力が賄えなくてね。そこで、だ。君を殺さないことを条件に、私の代わりに魔力を供給してもらえないだろうか」
思った通り。いや、思った以上の提案に私が何かを言うよりも先に口を開いたのはハサンだった。
「! 貴様っ、我が主を何だと……!」
「ハサン、落ち着きなさい」
今にも言峰を殺してやらんとばかりに飛び出そうとしたハサンを諌める。
物言いたげな視線が向いたのは分かるが、それでも私は真っ直ぐ言峰を見返します。
そんな私の反応は予想していただろう言峰は、どちらかと言えばハサンの反応を楽しんでいるようだ。……趣味が悪いですよね、本当。
「流石にそれだけでは頷けませんよ、言峰さん」
「あぁ、そうだろうな。それで、君はどのような条件を求める?」
からかいの色を含めた問いかけに、私はさてどうしようかと考える。
別に殺すとか殺さないとかは今さらの話なのでいいのですが、特に考えて言ったわけではない。
どちらかと言えば諦めてくれないかなという淡い期待を込めていただけだ。
それに、未だに体内でキャスターの宝具と精神がせめぎあっているのが、どうなることかわからない。
「うーん……そうですね。もし魔力供給のラインが切れても、嫌味は言わないでくださいね? あと私とアサシンに今日から少なくとも向こう一ヶ月は絶対に泰山の麻婆豆腐を食べさせないでください」
「な、何故だ!? 響、お前はあれだけ食べてあの麻婆豆腐の良さをまだ理解していないというのか……?!」
突っ込むところはそっちですか、この麻婆神父。
呆れて半目になってしまったが、麻婆豆腐の良さを力説しだした言峰を遮るように「それで? どうしますか?」と強い語調で問いかける。
「……ふむ、そのくらいで受けてくれるのであればそれで手を打とうではないか。……本当に麻婆は食べないのか?」
「食べません!」
「むむぅ……そうか。では仕方あるまい。響の分として買っておいた麻婆はランサーに与えるか……」
つまらないと言いたそうな顔で呟く言峰に、ランサーは青い顔をしました。
その様子を見るに、すでにあの外道麻婆の被害に遭ったということでしょう。
というかそうだ。
「ギルガメッシュはどう言ったんですか?」
主語の抜けた問いかけだったが、それでも十年の付き合いのある言峰は察したらしくあぁと頷く。
「構わん、だそうだ。もし忘れることがあれば躾け直すだけだ、とも言っていたな」
「……相変わらずあの王様は人の事をペットみたいに……」
言っている姿まで想像できてため息が止まらないですね。
きっと何時ものように意地の悪い顔して愉しそうに笑っていたことでしょう。
「はぁ……まぁいいです」
「そうか。ならば今日はこちらに泊まっていくといい」
「わかりました。それじゃあまずご飯を作りますね」
「ああ。ランサーには白米と麻婆豆腐だけ用意しておけ」
胡散臭い笑顔の言峰に呆れつつ、ランサーに同情を込めて視線を送ります。
彼は渋面を浮かべながらも、立ち上がった私と言峰に出入口を譲るように一歩横に動きました。
言峰はそれを見ることはなく通りすぎ、私はお礼と食堂に来ることを伝えて部屋を出る。
ハサンとランサーは数歩離れて私についてくるようです。
別にランサーは私のサーヴァントではないですけど、まぁ好きにしてくれて構いません。ハサンもいますから。
「用意が済めば呼ぶように。私は部屋に戻る。ギルガメッシュも奴の部屋にいるはずだ。外に出るとも言っていなかった」
「わかりました」
自分の部屋に戻っていく言峰を見ることはせず、そのまま食堂へと向かう。
サーヴァント二人には適当に座って待ってもらうように言いつつ、奥の厨房のドアを開く。
「ええと、ご飯は炊いてあるみたいだし……うーん、そうだな、私とハサンは牛丼にしよう」
今度すき焼きを出そうと買っていたお肉があるのでそれを使用することにした。
王様が文句を言いそうな気がするが、私の家の方で色々食べているんだからそこら辺は放っておく。
ささっと二人分を丼に盛り付けて、男三人の分にも量は控えめにかけておく。
牛丼の盛り付けの前にあたため直した麻婆豆腐もお皿に盛り付けて一度食堂に顔を出す。
少し離れた位置に座りながらも話をしていたらしく二人の間に敵意は感じられない。ただ、なんだかハサンが落ち込んでいるような?
少しだけ己のサーヴァントのことを気にしつつハサンに向けた視線をランサーに戻します。
「ランサーにお願いがあるんですけど」
「ん? 何だよ」
「言峰さんとギルガメッシュを呼んでくれませんか? ……二人両方を呼ぶのが嫌ならばハサンにどちらか片方をお願いしますが」
露骨に嫌そうな顔をしたランサーでしたが、仕方ないかと肩を竦めて二人共声をかけてくると立ち上がり、背を向けた。
お願いしますと軽く頭を下げて、ハサンへと声をかける。
「運ぶのを手伝ってくださいな、ハサン」
「……はい。あの、マスター」
頷いたハサンでしたが、何やら暗い面持ちで俯き、手のひらを握り込んでいます。
「…………いえ、何でもありません。その、今日は何を作ったのですか?」
言い淀み、結局口をつぐむことを選んだハサンは首を振って微笑んだ。
私は深く追求しないことにして、笑みを返しながら牛丼だと答えながら器を乗せたおぼんを手渡す。
熱いから置くときに気をつけるように伝えて、自分も残りを乗せて食堂に戻る。
当然一度では運びきれないので厨房と往復し、それぞれの分をテーブルに置いていく。
まず一番に来たのは言峰だった。そして並べられていく食膳を見て一言。
「響、ギルガメッシュを甘やかすな」
あれこれ凝ったものを幾つか作れと煩くなるのが面倒なだけで別に甘やかしてきたつもりはないのですが。
いえこの場合だと言峰は好き嫌いさせるな、というのではなく麻婆豆腐だけは食べないのを許さない、という意味でしょうけれど。
別に私も食べさせるのは構わないですよ。自分が食べないのなら。
いえすぐ麻婆と言う言峰に呆れは隠せませんけど。
「ご飯を食べる前にそれですか。……いえまぁはい、すぐに……ってハサン持ってくるの早くない?」
ハサンがさっと厨房に引っ込んだかと思えば麻婆豆腐をいれたお皿を持ってきてギルガメッシュの丼の横に並べる。
若干誇らしげな顔をするハサンに、言峰は満足そうに頷きます。なんですか、この空気。
「むっ、この臭いは……! ひ、響、我は腹が痛、っ肩を掴むでない! 言峰!」
言峰がおもむろに入り口前に立ったかと思えば扉を開けたギルガメッシュとランサーの肩を掴み笑う気配を見せました。
ギルガメッシュは漂ってくる臭いに内容を理解し踵を返そうとしたが失敗に終わったという訳ですね。
こういう時の言峰は妙に王様に強く出るんですよ。
「おおギルガメッシュ、待っていたぞ。さぁこちらに座るがいい。ランサー、貴様はその辺に座るがいい。ああ何なら床に這いつくばってもいいのだぞ?」
「誰がんなことするか!」
逃がすものかとばかりに背中に回り込まれ扉を閉められたため、ギルガメッシュとランサーは渋々と席に座り、言峰は王様から一席離れた場所に座る。
私はお茶だけいれて配り、言峰の向かいに座る。ハサンは私の隣です。
一先ず皆が揃ったところで食べ始めますが、麻婆豆腐を食べるギルガメッシュとランサーの顔は赤から青へと忙しいものです。
汗をかきつつしかし平然とした面持ちで真っ赤な麻婆豆腐を食べる言峰を極力視界にはいれないようにしつつ、私も自分のご飯を食べ進めます。
「何故お前たちはコレがないのだ、可笑しいだろう」
「ランサーへの魔力供給をする代わり少なくとも一ヶ月はナシにしてもらったので可笑しくありません」
「な、なんだと?!」
憤慨してああだこうだと私と、主に言峰に文句をつけるギルガメッシュは何だかんだ言いつつも全て平らげてしまいます。
まぁそれも一重に言峰が有無を言わさず食べさせてきた結果ではありますが。
ランサーもややげっそりとした様子で麻婆豆腐を平らげ、口直しにするつもりだったのかお碗一杯分の小さめの牛丼に手をつけている。
「ごちそうさまでした、響様」
「はい、お粗末様です」
食器を洗うために私は厨房に戻り、ハサンには男三人の食べ終わった食器を回収してもらいます。
それも洗って食器を片付けて食堂に出ると、ランサーが食事していた席にそのまま座っていたことに気づきました。
「ランサー、待っていたんですか?」
「まぁな。言峰の野郎から命令されたもんでね」
どこか詰まらなそうな顔で扉の方を一瞥したランサーは机に肘をついてやる気のない顔で私の顔を見上げてきます。
「んで? お前さんのやることは終わったのか?」
「はい。……言峰さんは待てという命令以外他に何か言っていましたか?」
頷きを返して問い返すと、彼は何とも煮え切らないといった様子で頭を掻いた。
その問いにちらりと視線をハサンに流しつつ、ランサーは「一応な」と眉を寄せつつも肯定します。
「まぁ、やるなら一番奥の部屋を使えって言っていたが。……なぁ、お前はほんとにそれでいいのか?」
どことなく気遣うような色を見せる声に、私は困ってしまいます。
「うーん、いいのか悪いのかで言えばよくはないですよ、勿論。私は所詮脆弱な人間ですし。……ただ、王様から了承が出ているなら仕方ありませんよ」
「あの金ぴかに、か……お前は自分ってぇのがないわけだ」
遠慮もなにもない言葉に、私の顔は苦笑に歪みます。
えぇ、自分がはっきりしていない、というのは多少なりと自覚はしています。
それでも、昔……この場合は水谷響という私以外に比べれば確立した我を持っています。
この私以外も数回はそれはありましたが、それはともかくとして流されやすいのと管理されることに然程抵抗がないもいうのが問題点なのでしょう。
「私の生殺与奪を握っているのはギルガメッシュです。それこそ、十年前からずっと。災害の中私を見つけたのは彼で、私を助けたのも彼ですから。……それに、しなかったらしなかったであの王様うるさいですよ?」
「あー、成る程な。ま、それで納得してるんなら会ったばかりのオレから言うことはねぇな」
肩を竦めたランサーは立ち上がり、私へと近づき一歩離れたところで立ち止まり見下ろしてきます。
何だろうかとその顔を見上げて目が合えばにんまりと目元が笑みに歪むのが見えました。
「ま、仲良くしようや。ヒビキ……で良かったよな、お嬢ちゃんの名前」
「ええ。水谷響です、ランサー。どうぞよろしく」
「おお、よろしくな。……さて、そろそろ行くとするか。あぁそれから、アサシンは近くの部屋で好きに寛いでいいってよ。アイツも趣味悪いよなぁ」
ぼやくランサーは残りの一歩を詰めて私の体をひょいと抱き上げて片腕に収められ、慌ててその肩に腕を回す。
びっくりして心臓がばくばくいってます。はー、本当に驚いた。
「お。お前、いい肉付きしてんな」
……セクハラだー!
そう思ったのと同時にからんからんと何かが床に打ち付ける音がしました。
下を向けば見慣れたハサンの暗器が。そして小さな舌打ち。
「怖いお嬢ちゃんだな、アサシン」
「……例え言峰や英雄王がどう言おうと我が主への行き過ぎた発言には徹底抗戦しますので、そのつもりでいてくださいランサー」
ぎろりという擬音が合いそうな程剣呑な眼でランサーを睨み付けたハサンは私に拗ねた顔を一瞬だけ見せて霊体化してしまいました。
ランサーが肩を震わせながら笑うのでその振動が直に伝わってきて大変居心地が悪いです。
「くくっ、アサシンはからかい甲斐がありそうだな」
「……あまり私のアサシンをいじめないでくださいね?」
「おー、まぁぼちぼちにな。さて、じゃあ部屋行くか」
私の言葉を聞き流しつつ鼻歌を歌わんばかりの明るい声音のランサーに、思わず苦笑が浮かびます。
なんというか、彼はさっぱりしていますね。あまり接したことのないタイプですが、ランサーと敵対しない限りは仲良くできそうだと感じました。