屋敷中を探し回り、けれど見つからなかった少女の姿に士郎は頭を捻った。
さて、他に探していないところはあっただろうかと。
「そういえば、まだ道場は見てなかったな」
ふと目に留まった建物を見てそう呟き、頭を掻く。
探したつもりはあくまでつもりだった、と言うわけだ。
どうしてその場所を除外していたのかと自分に呆れてしまいながら、急ぎ足で道場へと向かう。
そして静まりかえった道場に、探していた少女はいた。
あの時夜の月光に照らされていた金砂の髪が、穏やかに道場へ差し込む冬の陽射しに同化している。
凛と背筋を伸ばしているのに、どこまでいってもその姿は自然そのもので、ついつい見惚れてしまい、彼はつかの間かける言葉を失っていた。
あの甲冑姿ではなく、清楚な印象を与える白いシャツに彼女によく似合う深い青のスカートを纏っているのは遠坂凛の言っていた情報料によるものか。
「────」
その空間だけ切り取られたかのような美しい景色に言葉が見つからない中、先にその静寂を切ったのはセイバーだった。
閉じていた瞼を押し開き、士郎の姿を確認した彼女は立ち上がり「目が覚めたのですね、シロウ」と落ち着いた声音で口を開いた。
「ああ。ついさっき目が覚めた。セイバーはここで何を?」
「体を休めていました。リンと違い、私にはシロウの手当ては出来ませんから、今はせめて自身を万全にしておこうかと思いまして。具合も悪くないようで安心しました」
まっすぐに視線を合わせてくるセイバーに、先程まで話していた遠坂とはまた違う緊張を覚える。
緊張に体を固くしているとどうかしたのかと一歩近づかれ、彼は慌てて戸惑っているだけだからと数歩後ずさる。
不思議そうな様子で首を傾げたセイバーだが、深く問いかけることはせず昨夜のことについて話があると切り出した。
「いいけど、なんだよ話って」
「ですから昨夜の件です。シロウは私のマスターでしょう。その貴方があのような行動をしては困ります。戦闘は私の領分なのですから、マスターは後方支援に徹してください」
厳しい表情をする彼女に、ぱちりとひとつ瞬いた士郎だがむっとしたように反論する。
「アレは仕方ないだろう。セイバーが体を張ってたんなら、せめてあれくらいしないと協力関係なんて言えないじゃないか。相棒が危なかったんだから、手を出すのは当然だろ」
思いもしなかった言葉に目を丸くしたセイバーは、まさかサーヴァントのことをまともに知らないままそこまで心を許していたのかと驚く。
しかし士郎は何度も助けてくれたし、握手もしたのだから当然だろうと返す。
思っても見なかった返答に彼女はいよいよもって呆然としてしまう。
そんな反応をされてしまうとつい不安になってしまい、契約とはそういうことではないのかと問いかける。
「いえ……サーヴァントとして、シロウの言葉は喜ばしい。それにあの時止めてもらわなければあの威力でしたから、私も大なり小なり傷を負っていたでしょう。……方法こそ巧くはありませんでしたが、シロウの指示は的確でした」
その言葉に安堵の息を溢したが、セイバーは咎めるようにそれでも今後そういった行動は控えるようにと言う。
確かにアレは軽率だったなと反省した士郎は、どうしたら巧くいくかは判らないものの考えなしに飛び出すのは止めようと自戒する。
「いい返事です、マスター」
その返答に満足したのか、それともその様子が可笑しかったのか、僅かに微笑んだセイバーにどきりとする。
しかし今は聞くべきことがある、と慌てて頭を振り払い、話を戻そうとする。
「改めて訊くけど、お前の事はセイバーって呼んでいいのか?」
「はい。サーヴァントとして契約を交わした以上、私はシロウの剣です。その命に従い、敵を討ち、貴方を守る」
きっぱりと言いきった彼女に迷いはない。
そこには疑問を挟む余地はない。しかし、士郎には偶然呼び出した自分で彼女はいいのか、とも思う。
そう問えばセイバーは勿論と頷いた。
「……分かった。それじゃ俺はお前のマスターでいいんだな、セイバー」
「ええ。ですがシロウ、私のマスターに敗北は許さない。貴方に勝算がなければ私が作る。可能である全ての手段を用いて、貴方には聖杯を手に入れて貰います」
決然とした表情で言い切るセイバーに、士郎は思わず待ったの声をあげる。
彼女も聖杯を欲しているのかと目を丸くする様子に、セイバーからは当然だと頷きが返る。
聖杯に触れられるのは同じ霊格を持つサーヴァントだけなのだから、サーヴァントを介しマスターは聖杯を手に入れることができ、その見返りとしてサーヴァントは望みを叶える。
サーヴァントとマスターはそういった関係なのだと説明するセイバーに、士郎は質問を重ねることにした。
質問の中で騎士としての誓いに則った手段で勝つのだという彼女は、聖杯戦争への理解が浅い士郎に丁寧に説明をしてくれた。
サーヴァントの
そして、宝具解放のための鍵となる英雄の真名について。
宝具とは、正体を明かすかわりに避けきれぬ必殺の一撃を放つもの。
英雄と武具はセットだからこそ、それは切り札であり、それが不発に終われば即ち自らの欠点をさらけ出す事になる。
納得した士郎は、では目の前の騎士の宝具はあの見えざる剣かと問いかける。
「……そうですね。ですが、あれはまだ正体を明かしていません。今の状態で私の真名を知るサーヴァントはいないでしょう。……シロウ。その件についてお願いがあります」
「え? お願いって、どんな?」
「私の真名の事です。本来、サーヴァントはマスターにのみ真名を明かし、今後の対策を練ります。ですがシロウは魔術師として未熟です。優れた魔術師ならば、シロウの思考を読む事も可能でしょう。ですから」
一瞬気まずそうに目を伏せたセイバーに、首を傾げてしまう。
しかしすぐに語られたその願いに、すぐに合点がいって成る程と頷いて見せる。
「そうだな、確かにその通りだ。催眠とか暗示とか、いないと思うけど他のマスターに魔眼持ちがいたらベラベラ秘密を喋りかねないし。──よし、そうしよう。セイバーの『宝具』の使いどころはセイバー自身の判断に任せる」
自分自身の未熟を自覚しているからこそ、彼女の言葉には納得がいった。
だからこそ頷いたのだが、言われた本人はそんなにあっさりと決めるのかと驚いた。
あっさりではないと苦笑を返してしまうが、確かにすぐに頷いたのだからそう思われるかとも気がつく。
けど、一瞬だろうと自分なりに悩んだのだ、これでも。
「なあセイバー。マスターやサーヴァントって何か目印はないのか?」
これからについて考える前に、一般人とそうでないものを区別する術がないことに気がついた。
遠坂が魔術師であったことにも気がつかなかったのだから、彼女に半人前とバカにされても仕方ないことだったな、とついつい肩を落としてしまう。
聖杯戦争について殆ど何も知らない自分より、セイバーとして召喚された彼女ならばそんな事も多少なりと知っていることがあるのではないかとその顔を見るが、首を振られた。
「いいえ。残念ながら、明確な判断方法はありません。ただ、近くにいるのならサーヴァントはサーヴァントの気配を察知できます。それが実体化しているのなら尚更です。サーヴァントはそれ自体が強力な魔力ですから。シロウもバーサーカーの気配は感じ取れたでしょう?」
「う……、それはそうだけどな」
がっくりと項垂れてしまうと、何かを思い出したのか数秒の沈黙の後に「ですが」とセイバーが声を発す。
それに何だろうかと顔を上げると、何かを思い出すように眉間にしわを寄せた顔が目に入った。
「マスターがマスターを見ると多少なりそのサインが送られる……と聞いたことがあります。シロウにも感じ取れるのかはわかりませんが……、敵意のある視線を辿れば自ずとわかることもあるでしょう」
「……そうか。まぁ、俺なりに気をつけてみる」
参考になるかどうかはともかくとして、聖杯戦争についても理解が進んだ。
この知識量と己の技量では先は思いやられるが、それでもこの騎士と一緒ならば、間違うことはないだろうと確信がある。
だから頑張っていこう、と士郎は自分を鼓舞するように拳を握りしめた。
説明は以上で終わりだと言うセイバーにひとつ礼の言葉を口にする。
時間を確認して「昼にしようか」と言いかけた士郎だが、ふっと疑問が浮かび上がり言葉を途切れさせた。
「シロウ? まだ何かありましたか?」
大したことでもないし、聞かなくてもいいかとすぐに思い直したものの、聞くことがあるのならば言ってくださいというようにセイバーが問いかける。
「あー……いや……大したことじゃないんだけど……」
「気にかかることがあるのであれば遠慮なくどうぞ、シロウ」
真名については先程の話で終わっていると思いながら首を傾げたセイバーは目線をさ迷わせるマスターの顔をじっと見つめる。
彼女のあまりにも真っ直ぐ射抜くような視線は鋭く、些細な違いも見逃してはくれないだろうとも思える。
その視線に堪えかねた士郎は観念することにして疑問を口にすることにした。
「マスターにサインが送られる、って話だけど……聞いたことがあるっていうのはその、前に召喚されたことがあるっていうのが関係あるのか?」
その言葉に驚いたのか、セイバーの表情は僅かに固まり瞳が揺れる。
先ほどまでとは違う様子に、聞いてはいけないことだっただろうかと不安になる。
言いたくないなら言わなくてもいいと言ったが、「いえ……」とセイバーは言い淀んで黙り込む。
「────」
それから彼女は少し迷うように目を伏せる。
しかし何かを決めたのか「はい」と頷いて、迷いを断つように彼女は視線をあげた。
「私は前回の聖杯戦争でアインツベルンのサーヴァントとして召喚されました。ですから、少しだけそうした情報を得ていたまでです」
「アインツベルン……って……、確かあのイリヤ……とかいう子の……?」
「…………」
昨夜会ったバーサーカーのマスターが名乗った名前に思わず問い返せば、セイバーは難しそうな顔で士郎を見据える。
「セイバー?」
戸惑った士郎が首を傾げてしまうと、彼女は表情を崩さず「何も聞かされていないのですね」と呟く。
えっと聞き返されたが気に留めず、何事か思案するようにセイバーは目蓋を閉じる。
「……これも何かの因縁なのでしょう。シロウ。もしアインツベルンについて知りたいのなら、もう一度教会に赴くべきです。あの神父ならばシロウの疑問にも、それこそマスターについても、これから取るべき道にも示唆を与えてくれる筈ですから」
「教会……? 教会って昨日の教会か?」
再び視線をあげた彼女の言葉に思いがけないことを聞いたとばかりに士郎は瞬く。
昨夜会った教会の神父、言峰綺礼のことを思い出すが、会いたくないという気持ちが強い。
その気持ちが顔に出て渋面を浮かべる彼に、セイバーはその気持ちはわかると頷く。
「私とて同感です。出来ることなら、私もあの神父には関わりたくない」
その言葉に、士郎はますます驚いて目を丸くする。
昨夜彼女と神父が顔を見たのはほんの一分にも満たない時間だったはずだ。
そんな短い時間の間に苦手意識を持つとは、彼女の性格も相まって思っても見なかった。
思わず何故かと問いかけてみると、一瞬言葉を詰まらせたセイバーはしかしきっぱりとその答えを口にした。
「彼は前回の聖杯戦争に参加した人物です。切嗣はあの神父を最後まで重視していた」
「──え?」
簡素とも言える言葉数。
それなのにそこには士郎にとって想定していなかった名前があった。
「セイ、バー。なんでお前が、切嗣の名前を」
「私が切嗣のサーヴァントだった、と言ったのです。衛宮切嗣はマスターの一人でした。その中でも彼はアインツベルンのマスターとして参加しており、私はそんな彼のサーヴァントとして聖杯戦争に挑み、最後まで勝ち残りました。その中で衛宮切嗣はあの神父を最大の敵として捉えていました」
淡々とした口調で語られる内容に、士郎は目眩でも起きたように頭を押さえる。
その脳裏には十年前に起こった
「──嘘だ。そんな事あるもんか。それならどうして言峰は黙ってたんだ。どうして
「それは私の知るところではありません。切嗣が何を考えていたかなど、私には最後まで判らなかった。ですがあの神父が黙っていたというのなら、恐らくそれはシロウが訊かなかったからなのでしょう。シロウ自身が問うのならば、きっと真実を語るはずです」
セイバーは自分が語ることは終わったというように口を閉ざし、じっと彼の目を見据える。
衛宮切嗣の真実が知りたければ、自らの意志で教会に向かえと碧の瞳は告げていた。
数秒か。それとも数分かという沈黙が落ちる。
士郎はぐるぐると自分の中に渦巻く複雑な感情に惑い、戸惑う。
いつの間にかきつく握りしめた手は血が滲んでしまいそうなほど手のひらに爪が食い込んでいる。
けれどそんな痛みに気づかないほど彼は深く悩む。
やがて決心をつけたのか顔をあげた士郎はゆっくりと手のひらから力を抜いて「昼からは教会に行く」と告げた。
言い訳のように、加えて昨夜の彼女の容態も気にかかると言えばセイバーはやや複雑そうな面持ちで「私からもひとつ聞きたいことがある」と口にした。
「いいけど、何かセイバーの気になる事なんてあったか?」
「その昨夜の彼女についてです、シロウ。彼女は……いえ、彼女のフルネームを先に聞いてもいいですか?」
「え? あ、ああ……あいつは水谷響、っていうんだが……」
困惑も露にセイバーの問いかけに首を傾げながら答えると、彼女は「やはり」と眉を寄せた。
何がやはりなのかと怪訝になる士郎に、その返事は思ったよりも簡単に返ってくる。
「ヒビキ、という少女の名前には聞き覚えがあります。私の知るヒビキという少女は前回のマスターの一人でした。昨夜私ははっきりと顔を見ていないので断定はできませんが、もしも彼女がそのヒビキという少女で間違いなかったとしたら、彼女は腕のよい術者です」
「────、──」
「ですからシロウ。警戒は怠らないでください。どちらにせよランサーのマスターであることに違いはありませんし、あの神父の考えも読めません。だからこそ警戒だけは必ずして欲しい。いざという時は令呪を以てでも私を呼ぶように」
ぐらぐらと支えなく揺れていたものに更に金槌でも落とされたような衝撃。
数秒の間呼吸を忘れていた士郎は、そんな幻痛を覚えながら「いいですね」と強い語調で訊ねる声にゆっくりと力なく頷く。
この少しの話の中でどれほどの衝撃が襲ってきたのかわからないほど、彼にとってセイバーの口にする情報はとてつもない威力を持っていた。
それは彼女の話題運びが決して悪いからではない。
ただ少し、知らないことが多すぎた。
たったひとつ。それだけが原因だ。
彼にとっては無知こそが罪であり、罰でもあったのかもしれない。
けれど知ってしまったからには、もう止まらない。
ゼンマイを巻かれた歯車は、ゼンマイが元に戻るまで止まらないのだから。
本当はもう少し話をカットしようかと思っていたのですが、流れのまま書いていたらいつもより長くなってしまいました。
今話はHFの内容にほんのりと寄っていますが、HFルートには入りませんので悪しからず。