そして少女は夢を見る   作:しんり

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第十九話

 学校へと登校した遠坂凛は校舎を睨み付けて僅かに唇を噛んだ。

 

「結界が強化されてる……」

 

 たった一日学校へと足を運ばなかっただけ。

 それだけの間に、この学校を覆い、中のものを喰らうという意思を込められた結界の力が強まっていた。

 土曜日に自身の手でその結界の支点たる呪刻を一時凌ぎとはいえ無力化したのに、元通りどころか更に強化されているという事実に、それでも情報は得られたと遠坂は思い直す。

 

 水谷響がマスターだと分かったのは土曜日……いや、日曜日の深夜。

 パッと見ただけの怪我の状態ではあるが、あれは幾ら言峰が治癒の魔術を使ったところで暫くは起きられないだろう。

 ということは、だ。昨日彼女は動いていない。……はずだ。

 衛宮士郎の考えを仮定しても、これで彼女が少なくともキャスターのマスターではないとわかる。

 

 何故ならばこんな大それた結界……いや、もはやこれは神殿だと言っても差し支えないだろう。

 こんな神殿を作ることができるのは魔術師のクラスであるキャスターくらいのものだ。

 少なくとも三騎士や暗殺者のサーヴァントには出来る芸当ではないはず。

 

 そして、今判明しているだけのマスターは衛宮士郎、イリヤスフィール、水谷響、そして遠坂凛の四名。

 衛宮はセイバー。イリヤスフィールはバーサーカー。遠坂凛がアーチャー。

 そしてこの結界がキャスターのものだと仮定するならば残るサーヴァントはランサー、ライダー、アサシンとなる。

 

「でも、キャスターの仕業ではない」

 

 昨日ずっと調べていたことだが、キャスターのサーヴァントは柳洞寺にいると判っている。

 新都でのガス漏れ昏睡事故は、全て人々の精気を吸いとり、それを柳洞寺に流している。

 そして、調査する遠坂を骨で作られた使い魔が邪魔をしてきた。ライダーのサーヴァントが使い魔を寄越す、というのも考え難かったため、それはキャスターによるものと仮定した上で柳洞寺にアーチャーを偵察させた。

 

 結果、柳洞寺の敷地に足を踏み入れようとしたところ、空間を置換されていて、階段をのぼろうとしては階段をのぼる前に戻される、という報告を受けた。

 山の周囲は一歩も踏み入れられない結界が張られている。

 かといって完全に塞いでは山が死んでしまうため出入口となる山門は閉ざしておらず、その階段の置換の法則さえ破れればキャスターに相対することができる、ということだ。

 そんな芸当が出来るのがキャスター以外にいたならば驚きである。だから柳洞寺にいるサーヴァントはキャスターで決まりだ。

 

 もうひとつ。この結界は柳洞寺に魔力が流れておらず、この学校の敷地で完結しているのもそう推測する理由でもある。

 

「だから残るはライダー……もしくは、アサシン……ってことになるわね」

 

 とはいえ、アサシンのサーヴァントは名前の指す通り、暗殺者のクラスだ。

 こんな派手で目立つ結界を張るだなんて到底考えられない。

 だからこの結界は、ライダーのものだ……と仮定する。少なくとも新都の件と違い、吸いとった力の先が明確でないからそちらとこちらはまったくの別件で、この推測に間違いはないはずだ。

 となれば水谷がランサー……少ない可能性だろうが、もしくはアサシンのマスターということで仮定できる。

 そこまで考えると、この学校には四人のマスターがいることになる。

 

 その四人目を、自分は探さなければならない。

 こんな、おぞましく趣味の悪い結界を張る奴ははっ倒して死ぬほど後悔させてやらなければ。

 魔術師は魔術を隠匿するもの。こんな堂々と見つかってもいいとばかりの結界など、魔術師の風上にもおけない。冬木の管理者としても見過ごすわけにはいかないとも思う。

 

「とりあえずそれとなく調査しつつ、もう一回呪刻潰しをしていくか」

 

 そう放課後の予定を立てつつ、ぐるりと校舎の周りを一周した凛はため息を吐き出して教室へと向かった。

 そして廊下で、とんでもなく腹立たしい事態にかち合った。

 

「よっ」

 

 軽い調子で片手をあげて挨拶、のようなものをしてきたのは衛宮士郎だった。

 

「遠坂? なんだよ、顔になんかついてるのか?」

 

 反応を示さない凛に、思い違いも甚だしく、衛宮は制服の袖で頬を拭う。

 あまりの事に頭に血が上ったが、凛はそれを飲み込んでフンと顔を背けると、自分の教室へと戻った。

 

 迂闊にも一人になったら、あいつを絶対叩く、とやや物騒なことを考えながら凛は常より荒々しい動作で自分の席についた。

 その目は剣呑に輝いていて、普段から近寄りがたい彼女を、更に近寄りがたくさせたというのは言うに及ばぬことだろう。

 そんな彼女に話しかけられる勇者は余程の馬鹿か阿呆か考えなしか、はたまた神経が図太いのか。

 

 さて、触らぬ神に祟りなし、ともいうことわざもあるのだし、ここは彼女に関わらないことが吉であろう。

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 握った指先がピクリと動いたことで、ハサンは顔をあげた。

 長い睫毛が震え、ゆっくりとその瞼が押し上げられる。

 隠れていた目が開き、ぼんやりと天井を見ていたのも束の間。

 数度の瞬きで覚醒した響は強く握られた己の手に視線を投げた。

 

「おはよう、ハサン。……私、どれくらい眠ってたのかな? 完全に意識が落ちていたみたいで、ちょっと感覚がないんですよね」

 

 困ったように微笑んでみせると、嗚咽を飲み込んだハサンはくしゃりと顔を歪めて口を開く。

 

「本日は3日の、午前9時過ぎです。我が主」

「……丸一日寝てた、ってことですか」

 

 ため息混じりに呟き、体を起こした途端に自分の体に走った違和感に顔を歪める。

 ずきりと鈍く痛みを訴える左足と、血の色に滲む布団に自分の体の状態がわかってしまえばため息は止まらない。

 

「途中から意識なかったし、ランサーには悪いことをしましたね……っぁいたた……ハサン、他に何かありましたか?」

「…私は待機を命じられたため家にいましたが、ランサーの左手は主の左足同様に切断されたようです。どちらとも言峰による治療が施されました。お加減はいかがでしょうか」

 

 なるほど、と頷いて足を折り曲げて膝をあげようとする。

 しかし、左足はぴくりと反応をしただけで動く気配がない。

 響は十年前のことを思い出してしまいながら、足と足の神経を接続し、不足した部分は魔力で補い、抉られたような痕とひきつれたような傷口を修復する。

 

 たちまちに傷ひとつない足が取り戻され、もう一度足が曲がるか確かめれば痛みもなく通常通りの動きを見せる。

 

「ん、よし。これで動かせますね」

 

 よしと息をついた響がベッドから足をおろす。

 立ち上がりかけた主をハサンは慌てて止め、がたんと立ち上がった。

そして彼女は、その足に額をつけんばかりの距離で膝をつく。

 

「響様……私に、あなたを助けるな、などという命令を、もう下さないで、ください……。私、わたし……あなたがいなければダメです……ダメ、なんです。……あなたを、失いたくない」

 

 涙さえ浮かべるような声音で、ハサンは訴える。

 それを受けた響は柔らかく笑みを浮かべた。

 

 そうして手を伸ばして、紫の頭髪を優しく撫でる。

 

「……、そろそろ、英雄王に響様の目覚めを報せに行きます。どうか、本日はゆっくりとお休みください」

 

 触れる温もりを堪能するように一度俯き、心を落ち着かせたハサンはすくっと立ち上がって霊体化した。

 消えたその姿を見送って、 彼女は足に力を込めて立ち上がる。

 

「あっ……、と」

 

 がくりと揺らいだ視界に、どうにか足を踏ん張らせて倒れることは回避する。

 たった一日眠っていただけなのに情けない、と自身の貧弱さ加減についついため息をついてしまう。

 

「……こんな調子では次は逃げられませんね」

 

 バーサーカーから命からがら逃げ延びられたことは幸運だったと思い返しつつ、左足を撫でる。

 気を失っていたために怪我の程度は不明だが、致命傷まではいかずともかなりの重傷を負ったのだろう。

  でなければ普通の魔術師より上手な治癒の術を扱える言峰が、治療できないはずがない。いや、彼の男のことだから苦しむ顔が見たくてあえて完全な治療を施さなかった可能性もあるが。

 

「起きたか」

「あ。はい。おはようございます、ギルガメッシュ」

「遅いわたわけめ。もっと早く起きぬから麻婆を食べるはめになったのだぞ」

 

 ノックも遠慮もなく部屋に入ってきたギルガメッシュは不機嫌な面持ちも露に、大股で近づいてきたかと思えばどすんとベッドへ腰かけた。

 困った顔を浮かべつつ、その顔を見た響は「そう言われましても」と溢す。

 

「フン。……それで? 体はどうだ」

「あなたがそんな明確に心配してくださるなんて、明日は雨ですかね。いえ、まぁ動くのに支障はありません。流石に激しい動きは……少なくとも今日は難しいですね」

 

 苦笑しつつ、椅子に座るのをじっくりと見つめていたギルガメッシュは、口を開こうとしてそれから何かに気がついたように目を細めた。

 

「響、貴様……、……ふむ?」

「? 何ですか、王様。私の顔なんてみても、一日や二日で変わりませんよ」

 

 あまりにも無言でまじまじと見られて、響は戸惑ったように首を傾げる。

 しかしギルガメッシュは言う気を無くしたのか、一度口を閉じてふと小さく息を吐き出した。

 

「……いや。貴様の気にするようなことではない。だが今日一日休むことを許す。明日はそうだな、ピザにするがよい」

「えっ……あ、ハイ」

 

 ギルガメッシュからの思わぬ言葉に面食らってしまいながら、響は頷く。

 そうしてピザを作れる材料がはたしてあっただろうか、と冷蔵庫の中身を思い出しながらうんと唸る。

 

 そうして悩む彼女を見ていたギルガメッシュが更に何かを言おうとした時。

 部屋の入り口からキィとドアを開く音とカッと金属が床を打つような高い音がわざとらしく鳴りながら入ってきた。

 

「お。起きてんじゃねぇか」

「ランサー」

 

 顔だけ振り返った響の顔を見て、ランサーは一瞬安堵したような顔をした後からりとした笑顔を浮かべた。

 

「チッ、雑兵風情が我の話の邪魔をしおって……」

 

 一気に機嫌が転落したギルガメッシュは不機嫌な顔をしたままベッドに寝転がり、肘枕をしながら鋭い眼差しでランサーを睨み付けてもう一度舌打ちする。

 そんな王様の様子に苦笑を浮かべてしまいながら、響は自分を助けてくれた槍兵を見上げた。

 

「おはようございます、ランサー。危ういところを助けていただいてありがとうございました」

「はよーさん。言峰からの命令もあるが、戦えない女をみすみす見捨てられるかよ。……しかし、ちぃとばかし采配をミスってお前の足が切られたのは俺の不覚だった。すまん」

「いいえ。バーサーカー相手にあなたは私を抱えながらよく戦ってくださいました。感謝こそすれども、謝罪されることはありません」

 

 ありがとうございますと頭を下げる響に、彼は少し困ったように眉を寄せて「いや」と首を振った。

 

「ところで、あなたの治療は必要ですか? 見たところ左手に力が入らない様子ですが……」

 

 話をそらすようにそう問いかけた響は、だらりと垂れ下がり力の入っていない指先を見る。

 腕全体には筋肉の動きがあるのに、手首から先は先程からまったく動いていなかったのが傍目からでもわかったからだ。

 その言葉にひとつ頷いたランサーは大きくため息を吐き出して愚痴るように言峰に一通りの治癒はしてもらっていると告げる。

 

「だが、神経の接続が細かすぎるからお前に任せろ、だとよ。まったく、他人事にも程があるだろあの野郎」

「なるほど、言峰さんらしい」

 

 近づき左腕を差し出してきたランサーに、治癒を施す響は苦笑した。

 きっとあの神父ならば完全に治せただろうに、わざと弱らせるために途中で止めたのだろう。

 ランサーが敗れてしまえば困るのは彼ではないのか、とは思うもののきっと言峰は憎らしい笑顔で「情けないぞランサー」と槍兵を詰るくらいはしそうなものだ。それに、ベッドでつまらなげに酒を飲み始めた金色の王がいる限りは特に焦ることもあるまい。

 

「はい。これで繋げられたと思います。動くかどうか、しっかり確認してくださいね」

「おー……」

 

 手首を包むように触れていた両手を離し、微笑んでランサーを見上げる。

 調子を確認するように数度手首を動かし、捻り、手のひらを握ったり開いたりとした彼は感心したように「ほぉ」と呟く。

 

「お前さん、魔術は並以下だって卑下してたが、ここまでできれば十分じゃねぇか」

「……言峰さんほど治癒魔術は得意ではありませんから。それに、基礎的な魔術しか扱えないしその精度も甘いものですから、卑下しているわけでもありませんよ」

 

  「そうかねぇ」と首を傾げながら礼を言ったランサーは、微笑む顔を見下ろして仕方なさげに肩を竦める。

 それから不機嫌さを増していく金ぴかを見やり、呆れたような顔を浮かべた。

 

「それじゃあ俺は行かなきゃならんが……ギルガメッシュ。テメェがどう考えてんのかは知らんが、病み上がりの女に手をあげるような真似はすんなよ」

「……フン」

 

 鼻を鳴らす彼に、ランサーはやれやれとひとつ肩を竦めて響の頭をぐしゃぐしゃと掻き撫でた。

 きょとんとした顔を浮かべて自身を見上げてきた彼女に「また後でな」とランサーが霊体化して気配を消す。

 一体何故頭を撫でられたのだろうと困惑しながらそれを見送った響は、とりあえず乱れた髪を手櫛で直して王様へと視線を戻した。

 しかし、ギルガメッシュは不機嫌な面持ちのまま無言で響の顔を睨むように見るのみだ。

 

「響」

 

 深い沈黙の後の呼び声は、短く。

 けれど何かを命令するような強い声音だ。

 

 なんの事かという顔をした響は、それから苦笑を浮かべて彼の王に従順に応えるのだった。

 


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