吹き荒れる夕立   作:フリート

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その②

 岩峰は提督の執務室で、書類を眺めていた。完全にそり上げた頭に、立派に生やしてある口ひげ、長い戦場生活で培った経験、これらが合わさってまるで山のようにどっしりとした存在感が漂っている。書類を眺めるその顔にも、無言の気迫を感じた。

 年齢は五十を過ぎたばかりで、まだまだこれからである。

 

「ふむぅ……」

 

 書類を読み終えると、岩峰は一息ついた。今は出払っている秘書艦が淹れたコーヒーを口元に運ぶ。相変わらず香りも風味も良い。口角が僅かに上がり、瞳に微かな笑みがあった。

 

「時は来たようだな」

 

 目を通した書類には、最近の深海棲艦の動きが記されていた。戦況や情勢も事細かであり、満足のいく仕上がりとなっている。

 

「ようやく、彼女との約束が果たせるな」

 

 岩峰の頭には、一人の艦娘の姿が思い描かれていた。清流のごとき穢れのない魂を持った、自身の信頼が最も篤い部下。こう言うと他の艦娘、特に最古参の者たちには悪いと思うが、岩峰にとっては、今自身の頭の中にいる人物こそ頼りとするべき艦娘なのである。

 思い出すのは二年程前。あの日、傷だらけで、しかしながら闘志だけは燃やし続けていた彼女との出会い。

 そこでの約束。

 彼女は自分を信じて本当に長い間待ち続けた。時間が過ぎても過ぎても、自分の下で弱音を吐かずに待ち続けてくれたのである。

 

 その約束をついに果たす時が来たのだ。

 

 すると、執務室のドアが開いて誰かが入ってきた。やってきた人物の顔を見た時、岩峰は笑みをさらに深いものにした。

 

「夕立、ただいま帰投いたしました」

 

「うむ」

 

 このたった一言に最大限の歓迎の意が込められている。

 夕立こそ、岩峰の最も信頼篤き部下なのだ。

 またそれは逆も然りで、夕立にとっても最も信頼を寄せているのが岩峰である。共に生き残った同じ駆逐艦娘でもなく、親友である軽巡洋艦娘でもない、岩峰にこそ最大の信頼があった。

 お互いに信じ切った目を合わせる。

 

「報告します」

 

 夕立が言う。

 

「イ級型駆逐艦六隻、ロ級型駆逐艦十隻、ホ級型軽巡洋艦二隻、リ級型重巡洋艦一隻を撃破しました。我が方の被害は、新造艦娘の一隻が小破のみです」

 

「ほう」

 

 驚いたように声をもらす岩峰。彼の予想以上に被害が少なかったのである。

 

「初陣の者が一人いながら、流石だな、夕立よ」

 

「ありがとうございます、岩峰閣下。しかし私だけの力ではありません。我が同胞たちの類まれなる努力の結果であります」

 

「分かっておるよ」

 

「はい。それと、今回の出撃で気になる点が一つ」

 

 眉を顰めながら言う夕立に、岩峰は苦笑した。前から思っていたことだが、夕立は少々感情が面に出やすい。今も疑念が眉を顰めるという動作に出ていた。これを岩峰は悪いことだとは思っていなかった。彼女の純粋さが、本人も気付かぬうちにそうさせているのだろう。岩峰には、それが心地よかった。

 

「閣下?」

 

「いや、済まなかった。それに、お前のその疑問も儂には分かっておる。何と答えるべきかな……敵が妙に弱いと言うべきか」

 

「流石の慧眼です」

 

「そうであろう、と言いたいところであるが、実のところこれに書いてあるのだ」

 

 言いながら岩峰が手に取ったのは、先ほどまで眺めていた書類であった。この書類には、夕立が疑念に思ったことは、どの戦場でも起きていることだと記されている。

 理由は定かではない。

 敵に何か企みがあるのか。例えば戦力を溜めに溜めて一気に大攻勢に出るというモノ。しかしこれは、生産力の面から圧倒的に劣る深海棲艦が取るべき策ではない。時間が経てば経つほど、戦力差が広がっているのだ。現に、戦いは時が経つほど人類側が優勢になってきている。

 

 もう一つは、単純に戦力不足である。十中八九これだと岩峰は見ていた。開戦当初、深海棲艦の戦力はこちらが驚くほどに充実していた。姫級、鬼級と呼ばれる存在に、エリートやフラグシップなどの強化型も多数。人類側は、艦娘の存在があっても連戦連敗であった。だが、今やその構図は逆転しているのだ。人類側の方が戦力は充実し、今日のように勝利を重ねている。深海棲艦は着実に弱体化しているのだ。

 

 そしてそれこそが、夕立との約束を果たすチャンスであった。

 

「夕立よ、覚えておるか? あの日のことを」

 

 空気が変わるのを感じながら、夕立は瞼の裏に映し出していた。あの日、と岩峰が呼称した時のことを。

 

 もともと夕立は岩峰の手によって建造されたわけではなく、またここの鎮守府が故郷というわけではない。夕立の故郷は、ここからずっと南の島である。現在は深海棲艦の拠点の一つである島、厳密には違うが、あえて称する名は――ソロモン。そこで夕立は世に生み出された。

 その頃は、まだまだ深海棲艦の力は強大で、夕立はその力に飲み込まれるのであった。次々と散ってゆく同胞たち、涙を堪えた決断、屈辱の中の敵中突破。そうして、脱出した先がここだったのである。

 岩峰との出会い。岩峰の約束。この方の下で働こうと決めたのがあの日であった。

 

「忘れる筈がありません」

 

 忘れたくとも忘れないし、忘れたくもない。忘れてはいけないのだ。

 あの日に、夕立は一度生まれ変わったのである。

 

「あの日、あの時、私は閣下の寛大な御心に救われ、ここにいることができるのです。一秒たりとも、私の中からは消えたりなどいたしません」

 

「儂もお前に助けられて、何とか上手くやっておるのだ。お前がいなければ、この鎮守府もどうなっていたのか……」

 

「それは違います! 閣下や同胞たちの力があってこそです。私一人の力など、どれほどのモノになりましょうか!」

 

 この夕立の物言いは、岩峰にとって好みではなかった。

 

「謙遜も度が過ぎれば嫌味となる。ここは大人しく称賛を受けろ、夕立よ」

 

 ハッとして、夕立は頭を下げた。

 

「心に刻んでおきます」

 

「うむ」

 

 下げた頭を上げる夕立に、ついに岩峰が本題を切り出した。あの日のことを尋ねたのも、この話をするためである。まだ秘書艦にすら話していないことを、夕立は耳にする。

 それは、夕立が待ち望んでいたことだった。

 

「夕立。我が鎮守府の戦力は充実し、その練度も申し分はあるまい」

 

「はい。最早如何なる敵が来ようとも、我々が後れを取ることはありません」

 

「``時来たらば、お前のその想いを必ずソロモンの海へ届けよう´´」

 

「閣下っ! そのお言葉は!?」

 

 約束の言葉だった。血にまみれ、なおも闘志を身体から溢れさせている夕立に、初めて出会ったあの日に岩峰が言った言葉。

 

「よくぞ、今まで待ってくれたなっ! 今こそ、あの日の約束を果たそうぞ!」

 

「おおっ!! ついに……ついにこの時がっ!!」

 

 深く拳を握る夕立の顔は笑っていた。夕立は思う。やはりこの方に付いて行ったのは、この方を信じた自分の判断は正しかったのである、と。

 これは自分のためだけはないことは当たり前だが知っている。しかし、約束を守ってくれたのは感激の一言であった。

 

「作戦名は``海の屑´´!」

 

「海の屑……」

 

「そうだ。この戦いは歴史に名を残す大きな戦いとなろう。艦娘も深海棲艦も、今回の作戦で例外なく海の屑となる。故にこの作戦名とした」

 

「なるほど。海の屑作戦っ!」

 

「この戦いは、勿論お前が中心となる。心して挑むのだ!」

 

「はっ!!」

 

 この時、夕立の心は感極まっていた。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

 夕立が執務室を出てすぐ、秘書艦が用を済ませてから戻ってきた。その顔には、先ほど珍しいものを見たと書かれている。岩峰にはそれが何なのかよく分かっていた。

 

「加賀よ。夕立を見たのか?」

 

 普段は夕立と違って考えていることを顔に出さない加賀。いつでも冷静沈着な彼女に、こんな目を丸くした驚きの表情を浮かべさせるとは、夕立はよほど嬉しさを顔に、あるいは身体に出しているに違いなかった。

 仕方のないことだと岩峰は思う。ソロモンの奪還――夕立はこれのために生きているのだ。己が本懐を成し遂げる時がきて、嬉しくない筈がないのだ。

 

「ソロモン、ですか?」

 

 加賀が尋ねた。加賀にしても、夕立の珍しい様子の理由は大体想像がつく。あのような隠そうとも隠し切れない、喜色満面とも言うべき様を夕立にさせるには、その話題しか考えられないのだ。

 大きな戦いの予感を、加賀はひしひしと感じ取っていた。

 

「うむ。海の屑作戦……ソロモンの奪還は近いうちに行う」

 

 話を聞く加賀は、どこかムッとしているようだった。どうしてそんな大事な話を、秘書艦である自分にではなく、真っ先に夕立に話したというのであろうか。

 いや、分からないでもない。ソロモンの、故郷の奪還は、夕立が希求していたことである。それに岩峰と夕立との間には、加賀では理解しがたい異常とも呼ぶべき信頼関係があった。秘書艦であり、艦娘として最も長く共に過ごした自分を差し置いての関係。

 

 確かに夕立は信頼に値する人物だと思う。融通がきかず、自分の美意識に反することは一切認めない欠点はある。その所為で、艦娘の一人と完全に対立し、いつ二人が殺し合いを始めたと報告されてもおかしくないほどだ。因みに加賀としてはどっちもどっちだと思う。

 軍人として、戦う戦士として、一航戦としての自分は完全に夕立寄りだ。でも、一人の女性として、一人の艦娘としてなら少し夕立に思うところはあったりする。

 

 だけれど、夕立は清廉潔白だ。欠点は中々大きいけど、あそこまで清廉潔白という言葉が似合う人物もそうそういないのではないか。事実として、加賀はそれを認めていた。

 でも、嫉妬してしまう。ぽっと出のくせに、自分の敬愛する岩峰にあそこまで信頼されているとは、嫉妬せざるを得ないのであった。

 

 そこでふと思い出した。そう言えば、岩峰への電話を保留中であったのだ。夕立に嫉妬している場合ではなかった。

 

「提督。先ほど、お電話がありました。青森提督からです」

 

「何? 奴からだと?」

 

 青森提督は、岩峰と同じく一鎮守府の主である。士官学校時代は同期であり親友同士という間柄で、夕立や加賀に対してとは別の信頼関係があった。

 岩峰は机の上に備え付けてある受話器を手に取った。勿論盗聴対策をした上で、回線を繋げる。

 

「……儂だ。久しいではないか。それで、一体何用だ? ……うむ、よく分かったな……言ってくれるではないか。だが、話はそれだけではあるまい……それはありがたい。ここにきて更なる戦力の増強を望めるのは幸運なことだ……十分だ。礼を言おう。では詳しい話は別の日にな……うむ、ではな」

 

 受話器を置く。

 電話の内容は加賀にはよく聞き取れなかった。岩峰の喜びようと、電話における聞こえた範囲での会話では、この鎮守府にまたもや新戦力が加わるということらしかった。

 これから始まる大きな戦いを前にして、幸先がよさそうであった。

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