吹き荒れる夕立   作:フリート

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その③

 岩峰の執務室を後にした夕立は、上機嫌で通路を歩いていた。どこか穏やかさを感じるほど薄いを笑みをうかべているのは、彼女の機嫌が良い証であった。

 彼女が歩くたびに、髷のように結んだ髪も、心なしか嬉しそうに弾んでいるかのようだった。

 

 海の屑作戦。

 

 先ほど、岩峰に聞かされた夕立の故郷たるソロモン奪還の作戦である。この作戦はまさに夕立の悲願であった。夕立の生きている意味でもあった。

 待ち望んだ時が訪れたとあって、夕立は今までにないほどの喜色を顔に浮かべている。すれ違った秘書艦の加賀も驚いていた。

 

 そんな夕立の様子を見て、駆け寄ってくる人物がいた。

 

「夕立さん」

 

「響」

 

 駆逐艦娘の響だ。

 二人はお互いの名前を呼び合うと、どちらが言うまでもなく並んで歩く。

 一時の間、二人に会話はなかった。静寂にはそれぞれの足音と、少しばかりの緊張感が混じっている。これは、二人が知り合って当初、指導教官と新人の関係であった頃の名残であった。その時は、響は一歩ほど後ろにいたが、いつもこうやって無言だったのだ。夕立と響はお互い口数が多い方ではないし、雑談をするような仲でもなかった。

 

 今はそのようなことはなく、信頼し合った上官と部下のような関係として仲良くやっている。別に艦娘には厳密な上下関係なんてないが、これも当初の関係の名残。自然とこのような関係になっていたのだ。

 こうして話をしない時間を少しもうけてから、話に入るのである。

 

「それにしても、今日の戦いで新人の動きは夕立さんから見てどうでした?」

 

「初陣にしてはなかなかだったな。生き残った以上、彼女も我々の一員としてこれから力を存分に発揮してくれることだろう」

 

 内容は、どうやら新米の駆逐艦娘のことだった。夕立としては、戦闘中にも少し思ったが納得のいく戦いぶりだった。

 深海棲艦に囲まれて、殺気に呑まれた上に情けない声でへたり込んでしまうこともあったが、その後は自分で恐怖を克服し、敵の一隻を撃沈したのだ。十分だろう。

 

 最初から最後まで震えてばかりで何もできないばかりか、酷い時には錯乱して味方を攻撃する者もいるのだ。艦娘は軍艦の生まれ変わりであるけど、生まれてくる時は当時の記憶なんかないまっさらな状態で生まれてくる。稀に記憶を有している者もいるが、殆どの艦娘にはない。だから極論は見た目相応な精神で初めての戦争を経験するのだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。

 

 夕立も響も当時の記憶はなかった。

 

「お前が初陣を経験した時は、たしか失禁したのだったな」

 

 夕立が過去を振り返ると、顔を真っ赤に染めた響がわたわたと手を振った。雪化粧をほどこしたように肌が白いものだから、色が変化するとたいそう目立つ。

 

「あれはっ! その……思い出させないでください!」

 

 恥ずかしすぎて顔から火が噴き出しそうである。失禁した上に大泣きして、夕立に幼子のように抱き付いた過去。折角忘れかけていたと言うのに、響はむぅっと頬を膨らませる。

 いつもの冷静さがない子供のような響に、夕立は声をあげて笑った。

 

「こんな辱めを私だけなんて我慢できないよっ! 夕立さんはどうだったんですか!?」

 

「ははは。んっ? 私か? そうだな……」

 

 夕立の初陣。記憶を遡って出てくるのは、出撃して深海棲艦に接敵した直後のこと。夕立自身と、夕立の指導教官だった艦娘。

 

『身体が震えるっぽい。これが戦場……』

 

『訓練通りにやれ。お前なら何も問題は無い。私が面倒を見たのだから、伊達ではないことは保証してやる』

 

『分かった。やってみるっぽい』

 

『そうだ。その意気だ』

 

 記憶の中の指導教官から、夕立は多くのことを学んだものだった。懐かしい思い出となった過去。苦笑するようにフッと小さく息をもらした。

 

「夕立さん?」

 

「お前とあまり変わらん。私もまた未熟だったのだ」

 

 夕立も自分と変わらない。これに響は驚いた。この人にもそういう時期があったのかと、意外な気持ちになってくるが、よくよく考えればそれもそうである。初めから凄い者など、一部の中のさらに一部、所謂天才と呼ばれる者だ。夕立に未熟な時期があるのは当たり前であった。

 それでも未熟な夕立など想像はできない。強く立派な夕立しか見たことないからなおさらだ。

 

「そう言えば、夕立さんはどこに向かっているのですか?」

 

 ここで響は、この話はここまでだと話題をすっぱり変えた。

 話をここのまま続けていけば、さらに自身の恥部を思い出させられる可能性がある。夕立の未熟な頃の話――そう銘打っただけの武勇伝であろうが――は大変興味深く気になるところであろうが、その話を聞くためのリスクが大きすぎた。

 正直、初陣の醜態は氷山の一角なのだ。過去を懐かしんでいる夕立に、こういう事もあったな、などと掘り起こされてはたまらない。そんなわけだから、話は万全の体制を整え後日ゆっくりと伺うとして、今はこの思い出話を止めるのが先決である。

 

 すると、響の思惑が上手くいったのか、それとも察したのか、話題の転換に夕立は付いていった。

 

「明石に用があってな」

 

 用があると言いつつ訝し気な夕立。

 

「あの人に何か?」

 

「帰投したら工廠に来て欲しいと言われていてな。閣下に戦果報告を済ませてこうして向かっている」

 

 呼び出された夕立は理由を知らないらしかった。おそらく自分の使用している武器に関して、という所が妥当か、と武人な少女は考えていた。

 だが、響の見解は違った。夕立の使用している武器を整備するためなのは夕立の予想と同じだが、これが主な理由だとは見ていない。

 

 一人の女としての感情が大きいと見ていた。

 

 前に相談されたことがあるので、明石という艦娘がそういう感情を夕立に抱いているのは知っている。おそらくだが、夕立も薄々感づいていると思う。言動に匂わせるようなものはないが、どことなくと言ったところだ。事によれば夕立ももしかしたら……。

 プライベートでは、かなり親密だ。この前は二人でショッピングに向かうのを見た。夕立の方は付き合ってやっている風だったが、帰って来た時の様子からだいぶ楽しくやっていたようだった。

 

 けれど、二人の仲が同胞、あるいは友から進展することはないだろう。少なくとも夕立が軍人としての責務を全うするまでは。そもそも夕立は――。

 

「おや、これはこれは、ソロモンの悪夢さんじゃん? 戻って来てたんだ」

 

 不意に何者かが声を掛けてきた。夕立と響はその場で立ち止まって声の主を見る。三つ編みの軽巡洋艦娘が、二人を見下すようにそこに立っていた。

 

「お二人揃って、相変わらず仲がよろしいようで」

 

 軽巡洋艦娘の北上は、嘲笑を隠しもせずに厭味ったらしく言う。好意を一かけらも感じない言い方だった。これに夕立は眉を顰め、響は睨みつける。

 二人の反応が気持ち良いと言うようないやらしい笑みを北上は浮かべた。

 

「北上か……何の用だ?」

 

 用がないのならとっとと失せろと目で語る。

 

「用がないのなら話しかけちゃいけないの? 駆逐艦娘は冷たいよねぇ。それとも、冷たいのはあんた?」

 

「……何が言いたい」

 

 夕立は苛立たしそうに尋ねる。こういう遠回しな言い方は夕立の嫌いなものの一つだ。北上が分かっていてやっていることも腹立たしい。

 ハンッと北上は鼻を鳴らした。

 

「教えなきゃ分かんないのかなぁ……ソロモンの悪夢ともあろうお人が、随分とねぇ……ふふ」

 

 呆れた風な口調。続いて北上は響に話し掛ける。

 

「あんたもそう思うだろう? ずっと一緒にいるんだから、こいつがどれほど冷酷な奴なのか、一番分かっている筈だよ」

 

「夕立さんはそんな人じゃないっ!!」

 

 響が声を荒げた。今にも掴みかかりそうな勢いだ。

 

「ふんっ。こいつはそんな奴なんだよ」

 

 吐き捨てると、突如、飄々とした態度を一変させて、北上はカッと目を見開いた。響が抱いている怒りと同等の、いやそれ以上の憎悪を発しながら、北上は吼えるように言う。

 

「こいつは、そんな奴なんだよっ! 仲間が死んだって武人の誇りだとか軍人の誇りとか言って簡単に片付けてさっ! 大義だとか正義だとか物言いがいちいち汚らわしいんだよっ!!」

 

 糾弾するような魂の叫びであった。大切だったあの人が死んだ時も、軍人の誇りだ、とたった一言。そんな夕立を北上は許せないのだ。大切な人の死を、薄っぺらい言葉一つで済まされたように思えたのだ。大切な人は――大井はそんな夕立を尊敬していた。自分を尊敬していた人の死に対しての答えがたったそれだけか、という怒りも北上にはあった。

 

 一方で、全てを否定することは響にはできない。北上の言葉は、想いは全くの間違いではないから。夕立は北上の言う通り、艦娘の死を誇りという言葉で肉付けする。艦娘の起こす戦いを大義のため、正義の戦いだと主張する。紛れもない事実で、見ようによっては狂信者な一面もあるのかもしれない。そこは、否定をしない。

 でも簡単には片付けてなどいない。寧ろ、いつまでも心に刻みつけているのだ。夕立が艦娘たちの死を誇りだと言うのは、彼女たちの死が無駄ではなかったことの証とするため。だから、夕立は今を生きている。夕立が北上の言葉通りの人物だったら、自分の言葉なんて届いてなどいなかっただろう。あの戦いで、死を選んだ筈だ。北上の言うようにずっと傍にいたから、そのことをよく知っている。

 

 夕立さんを分かったような気になるな、と声高に反論したかった。

 けれども、夕立の制する腕があって響は口ごもる。

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

 今度は夕立が滑稽だとあざ笑うような口ぶりで、響は言葉と一緒に息を呑んだ。そうして直ぐに北上の反応を探る。

 導火線に火が点いていた。ぷるぷると震える身体を必死に抑えようとしている。抑えろ、抑えろ、抑えろと自身に言い聞かせているが……振り切れた。

 

「ふざけんなよ、夕立ィ!」

 

 握り締められた拳が夕立の頬を撃ち抜こうとする。空を斬り裂き轟音をあげる一撃を、夕立はもう一瞬の所を右の掌で抑え込んだ。と、同時に左手の手刀が北上の首筋を捉える寸前、腕に阻まれた。

 ググッとお互いの腕に力が入る。

 

 響は自分の出る幕じゃないと様子を見守っていた。

 

「軍人ぶりやがって! ほんと、ムカつくんだよお前はっ!」

 

「我々は軍人だっ! 一人の女である前に、我々は軍人なのだっっ!!」

 

 ここから睨み合いの膠着状態が続いた。

 やがて、北上が夕立の手を振り払う。すると、夕立も構えていた手刀を離した。

 

「ちっ……」

 

 舌を打つ北上は、大きく呼吸をした。これで気を静めたらしくいつもの北上へと戻る。それから何も言わずに、夕立と響の隣を通って去って行った。

 北上の気配が無くなると、夕立は呟いた。

 

「我々は軍人だ」

 

 艦娘は一人の人間である。艦娘は一人の女である。だが、艦娘は深海棲艦と戦い海に平穏をもたらし、罪なき人々の矛となり盾となる軍人なのだ。

 

「奴は軍人でありながら、色恋沙汰を優先したのだ。同胞たちが死んだことなど、奴にとってはどうでもいいことだ。大井が海にその魂を譲り渡したことのみに思うところがあるだけだ」

 

「夕立さん……」

 

「そんな者がいくら戯言を述べたところで、私の心に響くことはない。あのような者の言葉など、私は聞く耳など持たんっ!」

 

 夕立は足を踏み出して、平常の調子で言った。

 

「明石を待たせては悪い。少し急ごう」

 

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