その①
ここ数日、夕立に出撃命令はなかった。
と言っても、それは夕立に限ったことではない。鎮守府に所属する殆どの艦娘は、数日間海に出ることもなく陸に閉じこもっていた。例外は軽巡洋艦娘とそれに付き従う駆逐艦娘のみ。彼女たちの遠征艦隊だけはせわしなく鎮守府と海を往復している。
これが何を意味しているのか分からない艦娘はいない。自分たちの状況が嵐の前の静けさであることを噛み締めながら、日々を無為に過ごさないようにしていた。
夕立は最初の方、岩峰に自分も遠征艦隊に加えてほしいと進言していたのだが、「今は英気を養っておくのだ」と言われて、嫌々ながらも承知。
食事、軽い訓練を除いて、他の艦娘に付き合う日々を送っていた。
「夕立、何か落ち着いてるね? 今回の作戦は夕立の悲願だったんでしょ」
頭に白い布を巻いて、健康的に焼けた小麦肌が特徴的な長良が、白い歯を見せて笑った。彼女は明るく元気があって向日葵のような少女だが、一番の親友は夕立であった。なので、未だ公表はされていない海の屑作戦のことを察知している。
誰しもが二人に交友関係があることを意外であると感想するだろう。
二人の出会いはソロモンにあった鎮守府。そこへ出向してきた長良は、多くの友好関係を結ぶのだがその中でも一番気が合ったのは夕立だった。
艦娘は深海棲艦と戦うことが本分である。
軍人然とした夕立の思想の根底にあるものが、長良の中にもあったことが二人を結び付けた。表の性格は全く違うものの、根本的なところは一緒だったのだ。
であるから、何かと固い夕立も長良といることを良く感じるのであった。
「私は燃えてるよ。あそこは私の第二の故郷だもん。絶対取り戻してやるんだから!」
現在地は鎮守府の門前。これから長良が軽いランニングをするとのことで、夕立も一緒に走ることにしたのだ。
時刻は朝食前。朝の冷たい空気が二人の身体を包み込む。長良にとって興奮状態の身体を程よく冷ますにはちょうど良かった。それは夕立にとってもだ。
「お前には私が落ち着いているように見えるのか? 私もお前と同じだ。最近は武者震いが止まらん」
「そりゃそうか」
馬鹿なことを言ったな、と長良は苦笑する。
長良にとって第二の故郷でも、夕立にとっては第一の故郷だ。自分よりも胸の内が熱くなるのは当然のことだった。それに、夕立はこの作戦のために生きていたと言っても過言ではないほどに、思い入れが強いのだ。自分とは、この作戦に掛ける想いが違う。
話をしながらストレッチを済ませた夕立と長良は、どちらかが先という事もなく駆けだした。軽いランニングと言いつつも、長良が基準なのでそこそこ速度は出している。
夕立は自然に長良の隣に付いた。
ソロモンに居た頃はよく二人で走っていたものだった。この鎮守府に夕立が来てからも、時々一緒に走ることがあったので慣れたものである。
二人が走っていると、様々な外の景色が見えてくる。昇ってこようとする太陽、優雅に空を舞っている鳥、中でも印象的なのは人々が暮らす町の姿であった。深海棲艦という脅威など、まるで対岸の火事とでも言うような平和がそこにはあった。
でも、それで良いのだと夕立と長良は思う。実際に町に住む人々は深海棲艦を人類の脅威として捉えている。そして彼ら彼女らは、直接的に戦えないながらも自分たちにできることをやって、間接的に戦っているのだ。そうして勝ち取っている平和が町並みに出ているのだった。
「そういやこの前ここを走っていたらさ、町の人たちと偶然ばったり会って応援されたんだよね――頑張れって。お願いしますって。ああいうのはやっぱり、力になるもんだね」
「うむ」
夕立にも経験はある。確かに口だけの応援であっても、言葉に想いが詰まっていれば受ける側の力になるものだ。これもまた、彼ら彼女らの戦い方の一つなのである。
「想い……想い、か……」
小さく夕立はこぼした。無意識だったのであろうその呟きを、隣で走っている長良は聞き取っていた。
「どうしたの、夕立?」
「私のここには、数多の想いが込められている」
言いながら、夕立は自身の胸に軽く手を当てた。
「同胞たちの想い……私たちを頼りとする人々の想い……散って行った英霊たちの想い……彼女たちの想いが今、私をこの地に立たせている」
視線を右に向ければ、そこには広大な海が広がっている。この海の連なる先に夕立の帰るべき場所があった。
「そして、皆の心からの想いを託され……それらの熱き想いを束ね……私は再び、あの海に、あの地に我らが旗を掲げるのだ!」
刹那、光が天に昇った。
「おおぅ……」
その様子に長良は思わず感嘆をもらす。
今まさに、夕立の言葉に反応するように朝日の光が天で輝いたのである。これはただの自然現象であり、偶然のタイミングで昇りきっただけの話だが、傍から見ていた長良には、太陽も夕立に想いを託したかのように見えたのであった。
「これは一体何の騒ぎだ」
ランニングを終えて鎮守府へと帰って来た夕立と長良。二人を出迎えたのは異様な盛り上がりを見せている艦娘たちであった。
何が起きていると言うのであろうか。自分たちが外に出ていた短い時間の間に鎮守府で何が。
近くにいた駆逐艦娘を捕まえて話を訊いてみても、「大きい!」「凄い!」「かっこいい!」などと要領を得ない答えばかり。
近々大きな戦いがあることを知っている二人としては、新兵器のお披露目でもやっているのだろうかと当たりをつけてみる。
だが、夕立としてはそれでは納得がいかない。毎日のように明石に会っているが、そんな新兵器を開発しているなどという話は一切聞いていないのだ。
ならば何かと考えるが埒が明かない。取りあえず明石を探そうということになり、ちょうど付近を歩いていたので明石に尋ねてみた。
「明石。朝からこの騒ぎは何だ?」
「ああ、これね。これは――」
「貴様がソロモンの悪夢か?」
背後から強大な気配。咄嗟に振り向いて身構える夕立。
この私にここまでの威圧感を与えるというのか……ただ者ではない。
夕立の額にじんわりと汗が浮かぶ。長良も一応の警戒態勢をとった。ここに堂々と居るということと、明石が特に何もしていないのを念頭に置けば、この女性は味方なのだろう。それも艦娘であり、さらに相当できる。
「何者だ?」
「大和型戦艦二番艦の武蔵だ」
答えたのは女性ではなかった。
「閣下!」
「うむ」
女性――武蔵の後方から歩いてきたのは岩峰であった。その姿を捉えた夕立は、直ぐに構えを解いて敬礼する。長良に明石、それと武蔵も後に続いた。
「楽にしてよい」
「はっ!」
夕立が敬礼を解く。
岩峰は頷くと、武蔵の肩を叩いた。
「夕立と長良は先ほど居らんかったからな、改めて紹介しよう。大和型戦艦二番艦の武蔵。青森提督から我が鎮守府への支援として出向してきた。ここからはまだ秘書艦の加賀以外知らないが、彼女はソロモンの奪還のために青森の奴が送ってくれたのだ。ソロモンの奪還作戦が近々行われるのは、夕立は無論、長良や明石も察していることだろう」
「青森閣下から、ですか」
夕立の視線が岩峰から武蔵に移った。
見極めるように上から下まで見つめる。戦艦の中でもさらに大柄な肉体と鍛えられた身体は実に頼もしさを覚え、褐色の肌に残る傷跡は彼女の戦いぶりを物語っており、眼鏡の奥で真紅に輝きを放つ瞳はただただ鋭い。艤装をつけていない状態でも揺るぎない存在感があった。
いるだけで味方に安心感を、敵に絶望を与える、とさえ思う雰囲気がある。
「……ふむ」
静かに頷くと夕立は言った。
「武蔵……君が武蔵なのか……素晴らしい威容だな……この私にあれほどの威圧感を与えたことといい、君はまさしく我が軍の誇りである大和型に相違ない」
感激したようにほうっと夕立は笑みを作った。
自分の感性に過ちは無い筈だ。同意を求めようと夕立は、明石と長良に声を掛けた。
「明石、長良、君たちもそう思わないか?」
「そうだね。話には聞いていたけど、間近で見ると凄いや」
「う、うん……そ、そうね」
長良は完全に同意していたが、明石の返答は少々奥歯に物が挟まっているよう言い方だった。
その理由は一つだけである。
あんな子供みたいに笑うなんて。私といる時にあんな風に笑ったところなんて一度も見たことがない。
心の中で一人の女としての明石が嫉妬の炎を上げるのである。自然と眉宇を寄せてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「若く、青い……」
唯一その明石の様子に気づいた岩峰は微笑ましそうに笑っていた。