吹き荒れる夕立   作:フリート

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その④

 無性に明石のことが頭から離れなくなった。透き通らんばかりの白皙の顔を油で汚し、恥じらいの混じった笑顔を見せる明石の姿が、まじまじと思い浮かぶ。

 今までこんなことは一回もなかった。明石が自分のことを好きなのはとうに承知のことだが、だからと言って特に何か思うことはなく、気にしようとも思わなかった。その思いよりも、好きという気持ちを抱きながら、軍人としての自分を優先してくれていることに嬉しさと心苦しさがあることは、既に述べたことである。

 だが、北上に話をされてから、ずっと明石のことが頭をよぎる。明石の自分を好きだという思い自体に心が揺り動かされていた。感情が激し上がる。冷えた身体に熱が戻って来た。しかもこの熱は、戦いの前に興奮している熱ではなく、まったく別の夕立が知らない熱であった。

 

「これはいかん」

 

 ますます眠れなくなった。北上の部屋から自分の部屋へと戻り床に着いた夕立だが、目を瞑れば明石のことでいっぱいになり、身体が燃え上がるように熱い。とてもじゃないが眠れたものではなく、狼狽を隠せない。

 たまらず床より飛び上った夕立。荒くなる息を整えて、当初の予定通り外の夜風を浴びることにした。決戦の日は近いのだ。明石のことに頭を囚われるわけにはいかない。

 外に出れば濃ゆい闇に紛れて冷え冷えとした風が、夕立の身体を突き抜けていく。熱を帯びた身体には心地よい風であった。とは言うものの、熱は一向に収まる気配なく、明石のことも風に乗せて払いのけることは出来ず、一層に深くなるばかりであった。

 

「私はどうしたと言うのだ」

 

 口に出して自問してみるが、答えなど出て来やしない。

 ふと、夕立は知らない筈の熱に一瞬だが既視感を覚えた気がした。これを追及して行けば原因が分かるに違いない。三十分、一時間と時間を費やすが、最後のところで止まってしまう。やはり、答えは出て来なかった。

 

(明石と話そう。そうすれば答えは出る筈だ。悲願の日は近い、それまでに何とかしなくては)

 

 と、思った。

 結局この日、夕立は一睡も出来なかった。

 

★  ★  ★

 

 明朝早く、夕立は明石の部屋を尋ねた。早いと言っても明石はこの時間帯ならば既に起床している。それを計算してのことだ。出来うる限り早く、この轟轟と身体の中で燃える熱と、頭から離れない明石のことを何とかしたいという夕立の焦りが出た上の行動だった。

 出迎えてくれたのは明石と同室の夕張だった。こんな朝早くからの来客に眉を寄せる夕張に、夕立は呼吸もつかず言う。

 

「昨夜から私の身体がどうもおかしい。身体が燃えるように熱く、明石のことが頭から離れないのだ。原因は分からんが、明石に会えばどうにかなる筈だ。頼む、明石に取り次いでくれ」

 

 言葉と同時に身体の熱も吐き出すようであった。言っている本人は気付いていないが、これではまるで愛の告白である。少なくとも夕張にはそうとしか聞こえなかった。

 夕張は何とも言えない表情を浮かべて、頭を二回、三回と掻くと、その顔に微笑を湛える。

 

「まさか夕立の方から来るとは思わなかったけど……祝福した方が良いのかなぁ、これって」

 

 呟きながら一旦部屋へと戻っていく夕張。夕立が待っていると、中から明石の叫び声とどたどた慌ただしい足音が聞こえる。一分ほどすると、夕張が再び部屋から出て来た。

 

「突然来られちゃ困るよ。女の子には準備ってものがあるんだから、事前に言っておかないと。夕立だって一応女の子でしょ?」

 

「すまん。私はそういうことにはとんと無頓着な女でな。それに火急の用事なのだ。許せ」

 

「私に言っても仕方がないんだけどね。まあ、良いや。それじゃあ、後はお若いお二人でごゆっくり」

 

 そのままどこかへと夕張は向かって行く。明石と二人っきりにしてくれるらしかった。その気遣いが夕立にはありがたい。

 

「明石、入るぞ」

 

 素早く部屋の中に入った。部屋の中は比較的小綺麗にされているが、ある一角にはガラクタが所狭しと詰まっている。勝って知ったる何とやら、夕立は明石の正面に腰を落ち着けた。

 

「え、えへへ、いらっしゃい」

 

 明石は笑顔で夕立を迎える。いつものように、油で汚れこそついていないものの、恥じらいの混じった笑顔だった。

 見慣れたもので何ともない筈なのに、この時の夕立は明石の笑顔に胸を高鳴らせていた。

 まただ。また、一瞬既視感が。こんな胸の高鳴りは初めてなのに、でも似たようなことを経験している気がする。

 それが何なのか分からず、胸の高鳴りを明石に知られないよう努めて冷静に、夕立は言った。

 

「今日はお前に用事があって来たのだ」

 

「私に? こんな朝早くから私に用事なんて、どうしたの?」

 

「それは――」

 

 言葉が詰まった。何と言えば良いのだろうか。身体が熱いから何とかしてくれ、とでも言えば医者に診てもらえということになるし。会えば何とかなると思っていた。話はせずとも会えば身体は元に戻るだろうと。何と言うべきか、夕立は必死に言葉を探って、ぽつぽつと声にした。

 

「会いたくなった。昨夜からどうしてもお前のことが頭から離れず、会いたくなった故、こうして――」

 

 ここまで言うと、夕立は明石がみるみる頬を赤く染めていることに気付いた。ぽ~と蕩けるような明石の瞳と夕立は目が合った。

 一体どうしたのだろうか。自分は何かおかしなことを言ったのだろうか。夕立は自分が明石に言った言葉を心の中で反芻し、ハッとなった。

 

(これでは、愛の言葉を紡いでいるようではないか)

 

 愛という言葉に反応して、またハッとなった。

 そう言えばと二つの既視感が何なのかに思い至ったのだ。身体を巡る熱と胸の高鳴り、この二つは過去に、夕立が惚れていた人物へと抱いたことがあったのである。まったく一緒というわけではないが、しかし確かに類似する。

 夕立の身体が震えた。

 分かってしまったのだ。

 異様な身体の熱と胸の高鳴りの原因、その正体を分かってしまった。

 そして夕立が分かったように、明石も分かったのだろう。夕立の気持ち、感情を分かったからこそ、涙が筋をひいて、頬を伝っているのだ。

 夕立は勢いのままに言い切った。

 

「私はお前が好きだ」

 

 どこか言っていて、自分の声ではないような感覚に夕立は陥った。けれども紛れもなく自分が口にしたのである。

 

「冗談、じゃないんだよね?」

 

 かすむような明石の声。

 夕立は今までの明石とのことを思い出していた。出会いから日常生活に至るまでありとあらゆる記憶を。冗談じゃない。熱も高鳴りも治まるところを知らない。明石への思いは冗談じゃないのだ。

 

「私はお前が好きだ」

 

 冗談じゃないという意味を込めて、同じ言葉を放った。

 明石はほっそりとした指で涙を拭う。油や鉄によく触る指でありながら、驚くほどに綺麗な指であった。その指で涙を拭った後、言った。

 

「嬉しい。私も貴女のことが――」

 

「言うな、その先は言うな。頼むから言わないでくれ」

 

 夕立は明石の言葉を止めた。この先は絶対に言わせるわけにはいかないと思った。

 明石も口元を両手で覆う。

 いたたまれないような空気が場に蔓延する。

 夕立は胸が痛く、苦しくなった。俯いた明石を見ると、両手で胸元へと抱き寄せたくなる。そんな顔をするなと言葉を掛けてやりたかった。

 それを我慢して夕立は別の言葉を掛けた。

 

「私たちは、艦娘であり軍人だ。私たちにはやるべきことがある。今ここで、別のことに現を抜かすわけにはいかない」

 

 だから、と夕立は繋げた。

 明石は顔を上げて、潤んだ瞳で夕立を見る。

 熱に浮かされたように、夕立は続けた。

 

「待っていてくれ。もう少しなのだ。もう少しで戦いは終わる。そうすれば軍人としての艦娘の一切は必要なくなるのだ。それまで、それまでの辛抱だ。その時が来れば存分に、思いのままに」

 

 明石はゆっくりと小さく頷いた。細い肩がふるふると僅かに震えている。

 この時、夕立は昨日の昼と夜中、食堂で明石にされた質問と北上が最後に言ったことを思い出していた。

 

「私は死なんよ。深海棲艦如きにこの私が殺されることはない。明石、お前も分かっているだろう。この私があのような輩に後れを取る女ではないことを。安心しろ、安心しろ。お前はただ安心して己が役目を果たしておればよいのだ」

 

 優しく穏やかに夕立は明石の顔をのぞく。

 今度は大きく一度、明石は頷いた。震えは止まっていた。

 

 

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