暦が二月から三月に変わる頃、北国もようやく雪が解け始める頃になった。人々はだれも、やがて来るだろう春に心躍らせる。雪が解けて無くなるように、別れが訪れ、草花が芽吹くように、新しい出会いが生まれる。そして、冬の終わりを告げる風は、1人の少女に秘めた想いを伝える勇気を与えた……。
***
とある会社のオフィス。デスクを挟んで2人の男が会話をしている。どうやら上司と部下との関係であるようだ。上司の話を聞いていた部下は驚きで目を丸くし、次いで隠しきれない喜びを表した。
「え? 私が?」
「うむ。中原君。君に東京本社への転勤の話が持ち上がっている。本社の海外事業部の部長としてだ。」
話を聞いた部下の男は、喜びながらも信じられないという顔をしている。最早中年に届こうとしているにもかかわらず、中間管理職にも就いていない男にとって、それはにわかには信じがたい話だった。この年で部長など何人もいるが、こと本社の役職ともなれば格が違う。それこそ支社の同名の役職とは一段、いや二段も三段も違うのだ。
「部長?! 本当ですか支社長。」
「ああ、今回の
「わかりました。喜んで行かせていただきます。」
部下の男は即答した。いや即答せざるを得なかった。ここで即断してしまったら、ひょっとしたら家族とは離れて生活しなければならないかもしれないが、単身赴任者への福利厚生は恐ろしく手厚いのが、彼の勤めている会社である。収入も跳ね上がることになるので、今以上に家族には楽をさせてやれるだろう。後ほど家族会議になるかも知れないが、最悪自分が家族と離れれば済む話だ。一生を平社員で過ごすかも知れなかった彼にとって、逃すことの出来ない千載一遇とも言えるチャンスだった。
***
札幌市内のとある場所にある、小さな商店街。個人商店が並ぶこの場所は、昨今はやりのショッピングモールのような派手さはないが、店主達の努力と地元の人たちからの応援で、こういった場所が廃れていく時代に合っては珍しく活気があると言って良い場所だった。
「ね~平兄ちゃん、これがアメリカンショートヘアー?」
「ああ、一匹10万円。」
「どっひゃ~! それほんと?」
商店街の中央通りの一角に店舗を構えるペットショップ「haru」の店内で、店主の青年と小学生の女の子が2名、ディスプレイされているアメリカンショートヘアーを眺めていた。この場所は店の外からオープンになっており、現在扉は開け放たれており気軽に出入りできるようになっている。アメリカンショートヘアーのような血統書付きのペットは犬猫ならば安くても10万円はくだらない。そういうことを考えれば、この店の価格設定はむしろ安いと言えるのだが、それでも10万円なんて一般家庭で育った小学生の子供には手が出せる金額ではないだろう。
「そういえば、今日は春香さんは?」
「ああ、今日はちょっと買い物に行ってもらってるんだ。店内を少し改装しようとおもってな。」
この店で唯一雇われている女性店員は現在、何かを買いに外出しているらしい。その店員が店主、伊勢平助の恋人(本人達は否定するが)で、店名が彼女の、相良春香の名前の一部からつけられていることは、関係者なら誰もが知っていることである。
「大丈夫かなあ? お姉ちゃんドジだから、また間違ったもの買ってこないかなあ?」
「え~春菜ちゃん、いくら何でもそれはないでしょ?」
「大丈夫、今回は紙を持たせたからね。」
「え~? じゃあ、このあいだほんとに間違ったのォ?」
どうやら春香という店員は、2人の小学生のうち片方、春菜と呼ばれた少女の姉であるようで、おっちょこちょいな姉を心配する彼女は気が気でない。おっちょこちょいといってもそんじょそこらのおっちょこちょいでは収まらず、口頭で伝えた簡単な買い物の中身も間違えてくるような有様なのである。
「お~い明日香。」
「健ちゃん。」
そんな話をしていると、自転車に乗って1人の少年が現れた。2人の少女達よりはわずかに年上であるように見受けられる。先ほど春菜と呼ばれていた少女とは別の、もう一方の少女の方に声をかける彼は、自転車を店の前で止めると、慣れた様子で店内に入ってくる。
「おっ、健介か、いらっしゃい。……さてっと、オレ倉庫の片づけしてくるから、ちょっと店番しててな。」
「は~い。」
健介と呼ばれた少年を見るや、店長の平助は彼を含む3人に店番を頼んで奥へ引っ込んでしまった。血統書付きの高いペットをディスプレイしているにもかかわらず、子供に店番などさせて大丈夫なのだろうか? そんなことを考える少年少女達であったが、いつものことかとすぐに考えるのをやめた。こんなゆるい雰囲気もこの商店街ならではであり、これはこれで良いのだと地元民には理解されていた。
「……あっ! あたしちょっと寄るとこあるんだ。悪いけど先帰らせてもらうから。」
「あ、ちょっと、春菜ちゃん?」
「ありゃ、いっちまった。」
「も~~。」
唐突に、春菜はそんなことを言い出すと、残る2人が静止しようと声をかける隙も与えず、脱兎のごとく書けだしていってしまう。そして、その場には少年と少女が1人ずつ、顔を見合わせて取り残されていた。
「……。」
「……。」
図らずもお互いを見つめ合う格好になった2人。少し背の高い少年を見上げるような少女の視線はどこか熱を帯びており、頬も少し赤らんでいるように見える。対する少年の方は、そんな状況に戸惑いながら、どう対処しようか決めあぐねている様子だ。そんな、ペットショップの前で見つめ合う2人を、店番だと思うものが果たして何人いるだろうか。
読み切り小説 ”三月”
作:しましま猫
Copyright(C)2001-2017
All Right Reserved.
2月の寒い夜……そう、僕はあのとき、2人に出会ったんだ。
本当にとてつもなく寒い夜だった。もうだめだ、僕は間違いなく死ぬと確信した。僕みたいに小柄なネコが、だれかに発見される可能性はきわめて低い。それにこんな人気のない場所じゃあ、なおのこと絶望的だ。……そういえばなんで箱に入って震えているんだろう僕は? どうもここ最近の記憶があいまいで、それはこの寒さと空腹で思考力が低下しているせいで、なおさらはっきりとしない。
「あれ、こんなとこに段ボールが、しっかたねえなあ、ったくもう。ゴミはちゃんと自分で始末しろってんだ。」
そんな声がして、意識が飛びかけるのをなんとか気合いで押さえて、段ボールの隙間から外をのぞこうと、体を動かしてみるが、予想以上に体力が低下していて、ほとんど動かすことが出来ない。しかしこれを逃せば、次はいつ見つけてもらえるかわからない。僕はありったけの力を振り絞って鳴いた。それでもなんとも頼りない、か細い声しか出ていなかったと思う。それでも、気づいてくれと祈りながら、ありったけの声を振り絞って鳴いた。
「あれ? 鳴き声……? ネコの鳴き声だ。ねえ健ちゃん、開けてみよう。」
「……ホントだ、どれどれ……?」
外から聞こえる声は、どうやら子供の声、男の子と女の子みたいだった。そして、少しして僕の入れられていた段ボールの箱はゆっくりと開かれた。
「うわぁ、やっぱりネコだ。ちっちゃなネコ。」
女の子? きれいな目をした女の子が僕の顔をのぞき込んでいた。そして、もう少し箱が開いて、女の子の後ろから男の子が、やはりこちらの方をのぞき込んでいる。……とりあえず助かったみたいだ。女の子は僕を抱き上げると、自分のダウンコートの前を開いて、コートで僕を包むように抱きかかえた。人間の体温と心臓の鼓動が、僕の体に伝わってきて、冷え切った体を少しずつ温めてゆく。男の子は僕の閉じそうな目をじっと見て、安心させるように優しい声色でこう言った。
「寒かったろ、もう大丈夫だぞ。
……これが、彼ら、日々野明日香と中原健介、そして、ネコである僕との出会いだった。
***
結局、健介の家がペット禁止のマンションだったこともあって、僕は明日香の家で飼われることになった。2階建ての一軒家は結構広くて、冬でも暖かく快適だ。ここには明日香のほかに、お父さんとお母さんが一緒に住んでいた。兄弟はいないようだ。お父さんはどうやら地元の金融機関で働いているらしい。銀行マンってやつだね。お母さんは市立病院で看護師さんをしているとか。両親に大切に育てられた明日香は、いわゆる箱入り娘ってやつなのかと思いきや、なんかあまりそんな感じはしない。ご両親は結構ゆる~い感じのお父さんお母さんで、娘を溺愛しているような様子は全くなかった。僕を飼っていいかお願いしていたときも、正直こっちはハラハラしていたんだけど、結論はなんともあっさりしたものだった。
「明日香ちゃんならちゃんとお世話できるでしょうから、大丈夫よねお父さん?」
「そうだね、明日香なら大丈夫だろう。かわいがってあげるんだぞ。」
「ありがとうお父さん、お母さん!」
え?コレで終わり? って思ったよ正直。……いやだってほら、こういうパターンってたいてい両親に反対されるでしょ。「動物なんか飼っちゃいけません!」とかさ。そんでもって紆余曲折あってようやっとお許しが出るなんて想像をしていたわけだよ。でも結果はご覧の通り。なんていうか気が抜けたというか、こんなんでいいのかなって逆に心配になったよ。
まあ、これでめでたく日々野家の飼い猫になった僕は、ご主人様と家を手に入れたというわけだ。そりゃあもう、昨日までの生活に比べたら天と地との差だね。もう寒さに震えることも、飢えに苦しむこともないわけだから。僕はのんびりと食っちゃ寝生活をしながら、飼い猫ライフを満喫することが出来る。いやあ、運命なんてどこでどう転ぶか分からないよね、ホント。
そうそう不思議なことといえば、明日香のこと。この
「ただいまっ、ミイくん!」
そうら、帰ってきた。……あ~あ、また走って帰ってきたな? 今日は滑るから危ないぞって言ったのに。人間は僕らと違って滑りやすいんだから。そうそう、結局僕の名前は、「ミイくん」ってつけられたらしい。箱の中でミイミイ鳴いてたかららしいけど、そんなにうるさかったかなあ? どうも名前の付け方にセンスがないね。まあ、男なのにモモちゃんとか、ネコなのにポチとかつけられるよりはましだから、これでいいことにしておこうか。それと明日香は僕のこと、仔猫だと思っているらしいけど、僕は人間の年で言えばもうとっくに大人だ。体が小さいのには訳がある。僕は普通のネコじゃあない。どう普通じゃないかって言うと……
「ねえミイくん。」
わっ、なんだよ明日香、脅かすなよ。あれ? 今日はなんだか表情が違うな。訴えるようにこっちを見ている……。こういうときはだいたい何か悩み事があるんだ。言いたいことを言い出せないとき、彼女はかならずこういう態度を取るんだ。いや、人間にやるならわかるんだよ? でもほら、自分で言うのもなんだけどさ、僕ってネコじゃん。ネコに悩ましげな表情で訴えかけてどうすんの。答えなんて返ってくるわけないでしょうが。
「健ちゃん、あたしのことどう思ってるんだろうね?」
ん? 健介がおまえをどう思ってるか? どう思ってるって、あいつとおまえのつきあいは、僕よりも長いだろ? そんなこと何で聞くんだ? ……怒ってないからけんかした訳じゃあないよなあ? ……おいおい、ため息なんてついちゃって……。はっ! まさか、それって?! そうだったのか。僕としたことがぜんっぜん気付かなかった。そうか、それで最近、急にそわそわし出したり、窓から空ばかり見てたり、卒業式の挨拶の練習もしないで占いの本ばかり読んでたりしたのか。う~ん、まあ嫌われてないことだけは確かだな。……どっちかって言えば、それは「好き」の部類に入っていたと思うぞ、僕は。
「でも健ちゃん、あたしのこと好きでも、きっと妹くらいにしか思ってないんだろうな。もう好きな人がいて、つきあってるとか?」
それは無いと思うね。あいつはそういうこと考えてそうには見えないし、少なくとも僕が見た限りでは、女の子に告白されるほどかっこいい奴には思えない。ネコの世界でもそうだけどね、ああいうやつはだいたい色気より食い気って相場が決まってるんだ。かわいい女の子とうまそうなお刺身あったら、まず十中八九お刺身に飛びつく、そういうやつだよあいつは。
「あたしが好きって言ったら、どんな顔するかなあ?」
う~ん、そうだなあ。まず告白されたことなんてないだろうから、驚くことは確かだろうね。そんで、思考回路が追いつかなくなってフリーズするところまでがセット。その後、いつまでたってもきょとんとした顔してるか、ぶったまげて月まで飛んでくか、どっちかだね。
「ねえ、まじめに聞いてる?」
え? ははは。ほらね、なんとなくわかっちゃうらしいんだ、僕の言葉。あ~ふくれちゃった。ぷいっとそっぽをむいて、もうすぐ中学生なんだから、そういうお子様な怒り方はやめようね。あーごめんごめん、僕が悪かったってば。はあまったく、そんなになやんでるくらいなら一言思い切って言っちゃえよ。「だ~いすきっ!」とかさ。この際だからぎゅーっと抱きついてみるとか、ついでにネコみたいにスリスリしてみるとか。いつまでも落ち込んでるなんて明日香らしくないなあ。
「心配してくれてありがと。そうだね……。うん、思い切ってやってみよう!」
そうそう、何事も自分から積極的に、ね。どんな結果になるにしろ、何もしないで何も変わらないよりは良いと思うよ?
***
……な~んて言ってはみたものの、大丈夫かなあ? 明日香って、普段は誰とでも気軽におしゃべりできるけど、人間でいうところの、男女のそういうのにはうといから。それに、ああ見えて同年代の異性と話すのちょっと苦手みたい。人間、特に女性という奴は非常に多面的な……ああつまりいろんな面を持っためんどくさ……いやいや複雑な生き物だと、死んだじいさんが言ってたっけな。その辺は子供でもやっぱり人間の女性、ということなのかな。ネコのメスなんかとは当然まったく違うわけで、ネコの、しかもオスである僕に出来ることなんて限られてるよなあ。ああでも、昨日のあの様子だと、きっと今頃学校で、卒業式の練習そっちのけで健介のことばかり考えてるぞ。はあ、どうでもいいことなんだけどなんかやっぱり気になる……。お節介だな僕も。どれ、ちょっとのぞいてみるか。なに難しいことじゃない。ここにいても、僕には千里眼っていう便利な能力があるからね。この間は話が途中で終わっちゃったから、みなさんにも僕がどうして「普通のネコ」でないかお見せしなければね……。
ほ~ら、見えてきた。あれが明日香の通っている「札幌市立松葉小学校」ってとこだ。んで、たぶんあそこの体育館で、卒業式の練習を……、ほ~らやってた。あ、明日香のやつステージに上がって挨拶の練習してる。ほとんど覚えてないみたいだったからなあ、なんだか苦戦しているみたい。やっぱ思った通り、原稿読んでいても目があっちゃ向いてるよ。
どうだい? これで僕がふつうのネコと違うっていうことがわかったかい? 僕はこうやって、自分の位置を変えずに好きなところを見ることができるのさ。まあこれ以外にも、いろいろなことができるけどね。あ、それと、分かってるとは思うけど、明日香にはこのこと、内緒だからね?
***
その日の夕方、明日香は小学校のすぐ近くの神社で、健介と待ち合わせをしていた。この神社の裏には林があって、あまり人通りがないかららしいけど、ふつうの公園もあるんだから、そっちの方がよかったんじゃないかなって僕は思う。なんか神社って場所はどうも、愛の告白をする場所じゃないような気がするんだけど? それにこの森、なんか強力な霊気をバンバン感じて、千里眼を通してもたまに背筋に冷たいものが走る。……まあ悪霊みたいなものはいないみたいだから、おかしなことにはならないとは思うけど、普通のネコじゃない僕は、ちょっと疲れてしまう。
「あ、健ちゃん。」
「おう、部活があったんでな、これでも早めに切り上げてきたんだけど、待ったか?」
「ううん、今きたとこ。」
……嘘つけ、もう30分以上もそうやってたくせに。中学生である健介はサッカー部に入っていて、1年生なのにレギュラー持ってるとか、なにげにモテるポジションだったりする。まあそれでも、やっぱり女の子に告白されたりしたことは一度もないらしいけど。
「で? 話って?」
「ここじゃあ、ちょっと……。裏の林、散歩しながら話そ。」
「ああ、別にいいけど。」
ありゃま、きょとんとしちゃって、健介は何のことだかわかってないみたい。なんか僕の予想が当たりそう。間違いなく月まで飛んでいくぞ、これは。……ま、それはともかく、2人は林を散歩しはじめたわけだけど、明日香ったら下向いて顔真っ赤にして、肝心の一言が出てこない。健介は、……ますます訳が分からなくなったみたいで、なんだかぎこちない歩き方をしている。……のぞき見している立場で言えた義理じゃないけど、大変もどかしい。恋愛ドラマなら引き延ばしすぎだろ、これ。
「健ちゃん!」
先に沈黙に耐えかねたのは明日香の方だ。立ち止まって健介の方をじっと見つめる。健介はというと、やっぱりなんだかぎこちない。……女の子が顔真っ赤にしてうつむいて「話したいことがある」って言ってるんだぞ? しかも2人きりになるように呼び出しまでして。ネコの僕から見ても、どう考えても、これから何が起こるか予想つくだろ普通。どんだけ鈍いんだよこいつは。
「な、なんだよ、急に立ち止まって。」
明日香はさらに健介を見つめる。でも、やっぱり肝心の一言がでてこない。
「……?」
健介はさすがに何かおかしいことに気付いたみたいだ。それでも正解に行き着かないあたりは、もう残念としか言いようがない。
「どうした? なんか今日のおまえ、変だぞ。何か悩み事か? 黙っててもわかんないだろ? 話してみろよ。」
う~ん、悩み事っていえば確かにそうだけど、そうなんだけどなんかこう、おまえのその返しはコレジャナイ感が半端ない。ネコ的に考えてもないわ、。
「……あのね、私、好きな人がいるの。」
「え? で? おまえのことだからいつまでたっても思いを打ち明けられない……ってとこか?」
ありゃ、当たりだ。さすがにその辺は幼なじみだけあるってことか。確かにその通りだけどね。ただその相手に問題があるんだよ。相手に。もういい加減に気づいてやれよ。なんかの罰ゲームを見ている気分になってきた。
「で? 誰なんだ? その相手って?」
「え……それは。」
……それで答えを言えるくらいなら、こんな状況には陥ってない……こりゃあなんかずれた話になってきたぞ?
「別に照れることねえだろ? 言ってみろよ。」
「……健ちゃん。」
「は?」
「あたし、健ちゃんが好きなの。」
「それって、オレのこと?」
当たり前だ。ここまで言われてまだきょとんとしてるぞ。鈍いを通り越して、感覚がないんじゃないのか? おまえ。最近出会った僕と違って、ずっと傍で見てきたんだろ? 何でこの期に及んでもそういう態度取るかなあ。
「って、急にそんなこと言われても……まいったな。……すぐに答えなんか出ねえよ。」
「……そっか、そうだよね。」
「……一週間以内に返事するから、ちょっと時間くれよ。」
「……うん、わかった。」
***
てなわけで、明日香の告白は健介の返答待ちって言うことになった。これで明日香がまだしばらくボーッとしたり、占いの本ばかり見る生活を送りそうなのは、だいたい想像がつく。はあ、これでまた毎日ため息つかれるわけか。
でも、この恋物語は、明日香も健介も僕も予想しなかった展開を見せたんだ。それは、僕が暇つぶしに日曜日の公園へ散歩に行ったときだ。
「お、ミイじゃねえか。」
ふと呼び止める声に振り向くと、健介が後ろに立っていた。厚手のズボンに、ダウンコートを着込んでいる。帽子とマフラーと手袋を装備した完全防寒体制だ。公園にはまだ雪がたくさん残っていて、いろんな人の足跡で踏み固められている。道路の雪はあらかたとけたけれど、ここがふつう通り使えるようになるには、まだ少し時間がかかりそうだ。
「……おまえとも、もうすぐお別れだな。」
は? どうしたんだ急に。健介はふっと寂しそうな笑いを一瞬浮かべて、けれどすぐにいつもと同じようなぼんやりした表情に戻った。そして僕を抱き上げて、背中をなでながらつぶやいた。
「まさか、オヤジが東京に転勤なんてなあ。」
健介の手がいつの間にか僕の喉を優しく撫でる。ああ、これこれ、おまえのこれ、周りの人間のなで方の中では一番気持ちよいんだよ。ゴロゴロ……。って、え?? おい! ちょっとまて、今なんて言った?! 親父さんが転勤? じゃ、じゃあ、おまえ東京行っちゃうのか?! ……ってことは、おい、明日香はどうなるんだよ。せっかく自分の気持ちを素直に言えたのに、いきなりその相手とお別れってか?
「……問題は明日香なんだよなあ。どうしたもんか。」
そうそう、大事な問題だよ。特に僕には直接影響あるんだから。今でさえ、ぼ~っとして何も手につかないときや、逆に一日中部屋の掃除をして動き回ってたりとか、見ちゃいられないんだから。
「1週間のうちに答え出すって言ったけど、あと3日で1週間。……ちょうどその日に引っ越しなんだ、オレ。」
どっひゃ~! そりゃあ超やばいんでない? お、おまえ、どうすんだよ?
「やっぱ、ちゃんと言わなきゃなんないよなあ。どうせわかることだし。」
***
ってなわけで、健介は東京に引っ越すことになっちゃったんだ。なんでも、あいつの親父さんが、勤めてる会社で提案したプロジェクトが大成功して、東京本社の専務から海外事業部の部長に抜擢されたらしい。健介の親父さんはまあ失礼だけれども、そこそこ年を食ってるのに中間管理職にも慣れていないとか、ちょいとダメ親父なイメージがあった。そんな平均以下?の中年サラリーマンの人生にとっては、こんなチャンスはもう二度とやってこないかも知れない。ということで、二つ返事でOKしてしまったらしい。まあ、僕はもういい年だから、そういう事情はある程度わかるけど、子供たちには簡単に理解できる話じゃあないだろう。それでも結局、2人の姉ちゃんを含む健介の家族は、親父さんが単身赴任して家族バラバラになるより、遠いところへ引っ越してでもみんなで暮らしていこうと意見がまとまったみたいだ。そりゃあ確かに、僕もその方がいいと思うよ? わかるけど、だけど、こっちは……。
「ミイくん……。」
……電話、終わったか?
「健ちゃんが、健ちゃんがね……。」
わっ、やばっ、もう今にも泣き出しそう。……でも泣くなっていうのは無理な話だよな。今更になってわかったけど、お前は健介が大好きで、一緒にいるといつも笑ってて、それが「特別な気持ち」なんだってようやく気づいて、勇気を出すのに時間がかかって、なんとか顔を真っ赤にしてうつむきながら、伝えることが出来たんだもんな。そんな気持ちも、相手の返事待ちで、まだどうなるかわからなくて不安だったのに、答えが返ってくる前に突きつけられた現実は悲しくてさ。僕にはどうしてあげたら良いか分からない。せめて人間だったなら、気の利いた言葉の一つも言えるんだろうか。
……明日香? 机に布施って、なるべく声を殺して、それでもときどきしゃくり上げるのがわかる。僕がここにいるから、思いっきり泣けないのか? ……明日香は強がりだからな。でもさ、ネコの前でまで強がるなよ。それに友達だろ? 僕たち。人間同士じゃないけど、心は通じたって思ってるぞ。だから無理すんなよ。……そういうのよくないぞ、体にも、心にも……さ。
「わああああっ!」
この家で飼われるようになってから、いつも底抜けに明るくて、笑顔の素敵な人間の女の子が、その表情をくしゃくしゃにゆがませて泣き崩れる姿を、ネコの僕は見ていることしか出来なかった。僕を抱きしめる彼女の手は震えていて、その涙が僕の茶色でしましまの毛並みをぬらしても、人間ではない僕は、ただされるがママになってやることしか出来なかった。
***
水曜日、明日香は小学校の卒業式を迎えた。人間は大変だよな。なんかそういう式典っていうの? 多くてさ。ネコは気楽でいいなあってこういうときは思うね。ところで、健介のやつが今日東京に行くらしい。時間は……、たしか荷物だけ昼間に持っていってもらって、本人たちは千歳空港から18:00ちょうどの飛行機で、って言ってたかな。……明日香のやつ、見送りに行くかどうか迷っていたな。どうするんだろう結局。空港まで行かないにしても、駅に見送りに行くくらいはした方がいいんじゃないかなあ? あれからバタバタして、健介とは僕も会ってないけど、肝心の答えをもらえた様子はない。健介にしても、住み慣れた土地を離れると言うことはそれなりにストレスになるだろうからなあ。まあ子供の恋愛ごとなら二の次でも仕方ないかと大人の頭では理解してるんだけど、明日香のあの涙を見ちゃったから、なんとももやっとしてしまう。やっぱ僕ってネコらしくないし、お節介な奴だよな。
やけに遅いなあ。もう3時だ。明日香は友達多いから、まだ話し込んでるのかな? 先生たちにもかわいがられていたみたいだし、職員室で足止めをくらっているの? それにしても遅すぎやしないか?
***
遅い! やっぱり遅すぎる。……何かあったんじゃあないか?……よしっ、こういうときは……。
ありゃ? 学校じゃない。あそこは……地下鉄南北線の北24条駅。そうか、やっぱり健介を送りに行くつもりだな。えっと、一緒にいるのは、平助と、春香と、……春菜か。それにしても急がないと、確か健介のやつ、16:20分発の快速エアポート162号に乗るって言ってたから、間に合わなくなるぞ。ん?ホームの端に妙なやつが……! こいつ列車に飛び込むつもりか?! 冗談じゃない。そんなことされたら間に合わなくなる!!
「……どうせ私なんか、生きていたってしょうがないんだわ。」
……そうかもしれないけど、今は死なれちゃ困るんだよ。死ぬんだったら人の迷惑にならないところで勝手にやってくれ。悪いけどちょっとおとなしくしていてもらうよ……!
「体が……動かない?」
『まもなく、1番ホームに、真駒内行きが到着します。白線より下がってお待ちください。』
ヒュウウウゥン シュウッ
『降りる方がすむまで、ドアの前を広く開けてお待ちください。』
ふうっ、なんとか間に合ったみたいだ。危ない危ない。ここの電線は線路上、つまり電車の下を走っているから、下手した電車そのものにひかれなくても、感電死してしまう可能性もある。飛び込みが絶えないから、近々ホームドアの設置工事が始まるって聞いた。
それはさておき、明日香達は無事に地下鉄に乗れたみたい。よかったよかった。僕が
***
「そろそろ時間か。」
ここは札幌駅。健介と家族は列車の切符を買い終えて、今ホームにあがったところだ。3月とはいっても、まだホームに吹き込む風は冷たい。暖かい部屋の中から見ているだけなんだけど、彼らのコートがはためくたび、こっちまで寒いような錯覚に襲われる。
『16:20発、新千歳空港行き、快速列車エアポート162号にご乗車のお客様は、7番線においでください。』
「まにあった!」
「明日香ちゃん、入場券買わないと!」
「春菜ちゃん、まってよ~!」
「こらこらおまえら、そんなに端ったらあぶないぞ! ったく。」
明日香たちだ。なんとか間に合ったみたいだ。よかった。幸い券売機に並ぶ人も少なくて、すぐに改札を通ることができたみたいだ。7番線に続く上りエスカレーターの上で、もどかしそうにする明日香。やっぱり強がりな彼女は、何かをじっとこらえているように見える。
『まもなく、7番線に列車が到着します、白線の内側までお下がりください。』
「明日香……。」
列車がホームに入ってきた。家族より少し遅れて、健介も乗り込もうとする。何かに後ろ髪を引かれるように、その行動はいつもより遅い。やがて何かを振り切るように、ステップを踏みしめて乗車する。
「健ちゃあんっ!」
「……明日香……?」
「間に合った!」
「見送りに……きてくれたのか?」
「うん、当たり前じゃない。 向こうに行っても元気でね。」
「……ついたら、手紙書くから。」
「うん……。」
明日香の目から涙がこぼれる。押さえようとしてもあふれてくるそれは、今の気持ちを言葉よりもずっと確かに表していた。健介は何かを決意した顔になり、明日香の涙でイッパイの瞳をしっかり見つめて、口を開いた。
「明日香、あのさ。」
「え?」
「オレも、好きだよ。」
「健ちゃん?」
「明日香のこと、好きだ……!」
『7番線から、新千歳空港行き、快速列車エアポート162号が発車いたします。まもなく、ドアが閉まりますからご注意ください。」
何か言おうとする明日香に背を向けて、健介は列車に乗り込んだ。それとほぼ同時に、ドアが閉まる。明日香はドアの向こうの健介をじっと見つめる。じっと……。
ゴオオオォッ
ガタン、ゴトン……
「……あたしも大好きだよ、健ちゃん。」
そのつぶやきは意中の相手に届くことはない。でも明日香の顔はもう悲しそうじゃない。顔の涙を拭うことも忘れて、列車がいってしまった後も、明日香はそうやって、じっと立ちつくしていた。その顔はいつもの、みんなを元気にしてくれる、あの笑顔だった。……よかったね明日香。想いが通じて。離れていても、きっと通じているよ、2人の心は。だって、ずっと一番、近くにいたんだから。
明日香は気付いたろうか? 列車が発車する直前、健介の頬を伝った一筋の涙に……。
~Fin~
※解説
地下鉄南北線=札幌市内を北から南へ走る。麻生⇔真駒内間を運行する。昭和46年開業。作中で示したように、ホームからの転落、飛び込み自殺などが昔は良くあった。現在は札幌市営地下鉄はすべてホームドアが設置されている。
快速エアポート=札幌近郊から新千歳空港までを走る快速列車。4号車は指定席という決まりがある。札幌駅を境に旭川方面の特急として運行されている車両もある。
ちょっと気分転換してみました。女の子の心理病しゃって難しいですね。昔はこんなんばっかり書いていたので、本気で女性と間違われてしまいました。ですが、しましま猫はれっきとした男です。
今後、いつになるかわかりませんが、残り2作ほどストックがあるので、またこのシリーズを連載の合間に投稿するかもしれません。あと、急いで加筆したので今後修正するかも知れません。