星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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二節『若桜、芽吹いて』

換気扇がカラカラと回る音を忘れる者は、そういない。

レンジの暖め終わった金属音に似た独特の音色や、流れる水道の音に混ざってカチャカチャと食器を洗う音。

まな板をノックする包丁の音にリラックスして、フライパンがコンロとかち合って鳴る、どこか錆びたような音に被さるように、油に絡まって食材が炒められる音を聞いて空腹が押し寄せる。

目を閉じて思い返してみれば、不思議なコトに思い出せないなんて事はない。

まるで脳裏に焼き付いているように、耳を澄ませば。

 

 

『それは、愛されてるって証拠じゃん』

 

 

さも偉大な発見でもした科学者みたく、得意気な顔をして笑う顔も、色褪せるコトなく。

どうだと云わんばかりに胸を張る女の意見にそういうものなのか、と納得しそうになって。

思わずへぇと返しそうになったのを辛うじて呑み込んで、皮肉に頼った自分の幼稚な一面もまた、良く憶えている。

 

 

『頭のネジ探しなら他を当たンな』

 

 

思えば、家庭というワードを連鎖的に繋げてしまって、意味もなく気落ちしてしまうことを目の前の女に悟られたく無かっただけかも知れない。

自分の保護者に当たる彼女は、そういう心の機敏にはとても聡い。きっと、自分では10年経っても届かないほどに。

わざとらしく鼻で笑ってやったのに、より一層笑顔を濃くしたのが、何よりの証明だった。

 

 

 

 

『照れなくていいって。お前がその音を思い出せただけで、私にとっては充分だ。今までが無かった分だけ、ちゃんと愛されて育つじゃんよ』

 

 

 

『頭撫でンな! 第一、オマエの料理は9割は炊飯器だろォが! フライパンなンてキッチンにあったか、あァ!?』

 

 

 

―――

――

 

 

 

「ン……」

 

 

炊飯器の甲高いコール音が耳に届く。

そろそろ頃合いと出来上がりのタイムカウントを見なくても感覚を身体が覚えていることに、一方通行は微かに苦笑を落とした。

菜箸でタレに浸けた豚肉を突っつきながら、一口。

此方も丁度良い塩梅だと一つ頷いて、フライパンの取手から手を離し、小匙の半分程度に豆板醤を器用に掬って、フライパンの中の豚肉と和える。

後は一瞬、先に塩コショウのみで味付けをしたキャベツともう一度和えて、メインディッシュである回鍋肉はこれで完成。

 

 

カッターシャツの上からつけていた黒のエプロンを外して、前髪を纏めていたヘアピンも同様に。

柔らかく、ふと過った暖かな懐かしさを宿した紅い瞳が、白髪に遮られた。

苦笑気味に上がった口角をそのままに、出したままの豆板醤の瓶詰めを冷蔵庫へと仕舞う。

 

 

「勝てねェな」

 

 

味ではない、足りない訳でもない。

暖かいのだ、彼女の料理は。

まるで、彼女――黄泉川 愛穂そのものの様に。

料理を作る切欠になったのは、決して彼女ではない。

けれど、作る内に、出来上がった自分の料理を食べる内に。

一方通行が半ば無意識に追いかけているのは、あの人のモノ。

 

思い出すのに苦労する事のないモノの、一つ。

黄泉川 愛穂の料理と、いつぞやに誰かが持ってきた、健康食ばかり詰まった弁当。

彼女の料理は、美味くて、暖かい。

誰かの弁当は、不味くて、暖かい。

 

 

なら自分はどうなのだろうか。

自分の作った料理を食べて、美味いかと聞いた事はある。

けれど、暖かいかと聞いたコトはない。

聞くだけの勇気も、きっと持ち合わせていない。

 

 

「……まだ勝てねェな」

 

 

悔しさというよりも、何処と無く当然に思える辺り、自分では到底に敵いそうにもない相手だったという事に、随分前から気が付いていた。

けれど、自分ではまるで敵わないということに、どうしようもなく安堵して。

やれやれと呆れ気味に零れた溜め息は、スイッチを消した換気扇の残響と重なって、甘く消えた。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「転校生?」

 

 

「明日来るらしいじゃねェか、Fクラスに」

 

 

わざわざ一度箸を置いて腕を組んで首を傾げる辺りが、小島梅子の礼儀正しさを示しているのだろう。

堅物だからな、と硝子のグラスに注がれた烏龍茶を口に含みながら、それが男を寄せ付けない仕種にも映ってしまうことを、もう少し自覚して欲しいと一方通行は内心でごちた。

肘もとまで降りた紅い瞳が、ひょいと上へ。

 

首を傾げたままの怪訝そうな梅子の面持ちに、まぁ不思議に思うだろうなと感想を一つ。

コトリと置かれたグラスの衝動で、ラウンジの電光が作る白い水面が微かに揺らめいた。

 

 

「大方福本辺りが騒いでいたんだろうが、仕方ないか。そうだな、急な話ではあったが、確かに明日、うちのクラスに一人増えるコトになるな」

 

 

転校生といえば、思春期の少年少女にとっては貴重な一大イベントである。

福本と呼ばれた生徒に、一方通行は覚えがある。

確か猿とかいうあだ名のつけられている、美人には目がないといった思春期の少年の欲望が凝縮したような、身体付きは小柄な男だった。

写真部か何かなのか、普段からカメラを持ち歩いているのが印象強い。

 

 

「時期的には有りがちな話か。頻発に転校を繰り返しているンなら、流れ着いた先が川神ってのは同情する」

 

 

「その川神の生徒が、川神の教師の前で言う台詞か、全く」

 

 

「決闘システムなンて不穏なルールがある学園だ、余所から来る奴からすりゃ、敬遠したくなるだろ普通。武道家だとかなら話は変わるが」

 

 

「実際目にした訳じゃないし、私自身も書類で知った程度だが、武道家だぞ。彼女のフェンシングの腕は達人並みらしい」

 

川神学園の教育方針は、生徒同士による切磋琢磨。

友情を育み、共に高め合い、青春を駆け抜けることを大事として。

そして社会に出た時に、胸に残った青い日々の宝石を思い出して強く前を向いて欲しい。

 

川神学園の長であり生ける伝説とまで謳われる川神鉄心が掲げる教育方針であり、互いに高め合う為の大掛かりなイベントやシステム。

その内の一つが決闘システムというものだが、成る程、内情を知らぬ者からしたら魅力を感じる前に忌諱するのではという一方通行の指摘にも頷ける。

しかし、一方通行の張った予防線に思わず反応してか、小島梅子は感心したように顎に手を添えたポーズで転校生の情報を落とした。

 

別に彼女自身、そう秘匿するつもりも無いのだろうが、思わぬ形で棚からぼた餅を戴いた一方通行は、気のないように、それとなく頬をかく。

 

 

「ところで、新学期が始まった訳だが……どうだ、Sクラスは?」

 

 

「どォ、と聞かれてもなァ。面子もほぼ変わらねェンだ、相変わらずってとこだ」

 

 

家庭ではあまり仕事の話は持ち込みたくない質な彼女ではあるが、転校生の事も話題に挙がった為か、クラスでの様子を尋ねれられる。

一方通行の保護者という面もあり、梅子の受け持つクラスに彼は居ないので、割と学園で顔を合わせることも少ないのもあってか、どうやら気になっていたようだ。

しかし、彼のいるSクラスは他のクラスと比べ特殊な部分があるとしても、一方通行としては大体が見慣れた面子であるので、然程変化を感じていない。

 

 

相変わらずと彼の口から聞いて、小島梅子はほっと安堵していた。

去年の、川神学園の入り立ての頃は彼自身は今のような落ち着きはあったが、Sクラスで度々起きる騒動に、自主的にか、巻き込まれただけなのか、彼はほとんど関与していた。

その騒動というかトラブルというかがあった影響か、今の一方通行は意外に交友関係が広い。

 

彼と知り合うコトとなった当初から間もない時期には、人間関係の構築に関しては特に不安視していた梅子だったが、彼自身が乗り越えたコトも多くあったのだろう、今ではその心配はあまりしてない。

というよりは、急に大人の男の顔をするようになった一方通行を見て、余計な心配は返って障害になりそうだと、ただ見守ることにしたのだ。

弟の成長を見守る、姉のように。

時折、寂しく思うこともあるし、ふとした拍子に見える大人びた彼の仕種に、何だか落ち着いていられなくなるけれど。

 

 

「なんだ、良い学園生活を送れているみたいじゃないか」

 

 

ベランダに続く硝子戸が、外から流れる風に押されて、カタカタと鳴る。

耳を澄ませるように甘く閉じられた目蓋の先、長めの睫毛が落ち着きなく揺れていた。

猫は自らの髭で、そこから危険を察知する生き物と言われているが。

なんとなく、彼の場合は、髭代わりのようなモノなのかもな、と。

 

 

「どォだろうな」

 

 

薄く開いた紅が、悪戯に下を向く。

熱も帯びない淡々とした苦笑は、彼の癖の一つであることが分かる人物は少ない。

暖かな喜色を浮かべるコトに馴れていない彼が見せる、下手くそな笑顔。

差し出される掌をどうして良いか分からなくて戸惑う捨て猫の瞳と、下を向く紅い瞳が強く重なってみえて。

 

少しばかりの切なさを飲み込むように、梅子は置いていた箸を手に取った。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

――風が一陣、後ろ髪を拐う。

 

もう少し紳士的にアプローチすれば良いものの、冬の名残をまだ惜しんでいるのか、白雪に似たその煌めきに心打たれた春風は躊躇うことなく白を奪った。

扇状に広がる長い髪が、少女の視界を遮る。

流れ星のように疾走していた世界が、悪戯に時を止めた。

 

 

少女にとって、今の状況は二度目である。

けれど、瞬き一つ程度の僅かな刹那のなかで。

あの時とは、どうしてこんなに違うのだろうか、と。

見つからない答えを求めるように、身体が動く。

 

 

――目の前の白に、手が伸びた。

 

 

――結果がどうあれ、後悔はない。

 

 

 

 

「すすすすすすすすすいませんすいませんすいませんっ!!あ、あのあの、わわ、私っ、急いでて前をですねっ! 」

 

 

「…………」

 

 

「けけ、決して故意ではっ! 思わず手を突き出したのも決して安易な考えからではなくてつい身体が動いてしまって、その、あまりにも綺麗だったので……て私初対面の人にいきなり何をっ!? 違うんです今のは口説いたりとかそういうことじゃ!!」

 

 

 

前言撤回、全力で後悔していた。

少女――黛由紀江は、我ながら驚嘆に値するほどの超絶早口で謝罪の言葉を物言わぬ背中に述べるが、やはり返答はない。

気を失っているのかと疑ったが、前のめりに倒れた男のピクピクと動く指先がそれを否定する。

ならば、怒りのあまりに声が出ないのか。

多いに有り得そうなその予測に、ますます萎縮する由紀江だったが、男の主張はそこではない。

 

 

「……男を敷きながら謝ンのが趣味ってかァ?」

 

 

少し震えた、テノールボイス。

砂利を弾く軽快な音に混じる低音は、空気と絡み合うように響く。

ほっそりとした白い手が地面を掻くのと同時に、振り向いた白い草原に、紅い華が咲いた。

 

 

「そこ退けっつってンだ!!」

 

 

「は、ははははいィィィィ!!」

 

 

大気を震わせる狼の遠吠えに、心臓を鷲掴みにされるような錯覚に陥りながらも、慌てて飛び退いて、気付いた。

後ろから突飛ばし、そのままの勢いで馬乗りになった挙げ句、ひたすら謝罪を続けていた自分に。

 

無言で立ち上がり、学生服についた砂利を手で払う男の背中を、由紀江は処刑台に登る罪人のような心境で膝をつき、頭を抱えた。

また、やってしまった。

しかも今度は突飛ばした上に馬乗りのコンボ、制服は砂まみれで汚れてしまっている。

つい先日も由紀江は彼女と同じ寮に住む直江大和という上級生と軽くぶつかってしまったのだが、幸いなことに怪我をさせることはなかった。

 

しかし、今同様に刀を持ち歩いている事で誤解を生み通報され、危うく警察の世話になるところだったが、それはまだ良い。

けれど、今回は不味い、非常に。

明らかにただでは済まない衝突だったし、服も汚れて……わざとじゃないにしても傷害罪として訴えられても、おかしくない。

どう謝れば許してくれるか、土下座の1つや2つは勿論のこと、クリーニング代はいくらになるだろう。

破けてしまったのなら、賠償も当然だ。けれどそれだけで許されるのか、すんなり立ち上がったところを見ると骨折はしてないようだが、背後からの衝突なんて一歩間違えば大惨事、なにか、なにかしなくては。

 

 

ぐるぐる、ぐるぐる。

考えが一向に纏まらない、由紀江は思わず涙ぐんでしまう。

友達を作ることも満足に出来ない癖に、こんなことで誰かに迷惑をかけてしまう自分に嫌気がさした。

膝をついたままの彼女の背中が、微かに震え、顔を俯かせる

瞳にたまった水滴が一つ、膝に落ちた。

 

 

「往来で座ンな、通行の邪魔だろォが」

 

 

「ぅ、え……?」

 

 

涙で滲んで揺らぐ景色を、白が遮る。

ほっそりとして儚いとすら思ってしまう手に、膝にのせていた腕を掴まれた。

溜め息混じりのテノールが聞こえた時には、見掛けに反して強い力。

それに促されるように立ち上がり、視線を上げれば。

怒りというよりは明らかに困惑とした紅い瞳が、窺うように此方を覗き込んでいた。

 

 

「普通、逆だろ」

 

 

「え、えと……」

 

 

どうしたら良いのか、分からない。

それは寧ろ、つい先ほどまで自分の思考を覆っていた言葉のはずなのに。

溜め息混じりに前髪を掻く目の前の青年が、今にもそう呟いてしまいそうな表情をしている。

実際に呟いた言葉は、違ったけれど。

未だに動揺が取れない由紀江の思考回路では、彼の呟いた言葉の意味を上手く理解出来なかったけれど。

 

 

「なンでオマエが泣いてンだか……」

 

 

「っ!!」

 

 

白い指が滑らかに伸びて、頬を掠める。

踊るように乗せられた雫を見て、漸く由紀江は自分が泣いていたことに気が付いた。

動揺していたのは確かだが、まさか涙を流していただなんて。

それも、知らぬ人の前で。

 

 

「お、お見苦しいものをお見せしてすいません!」

 

 

慌てて頭を下げて、必死に涙を拭う由紀江に、そっとハンカチが差し出される。

深い青の生地に水色の糸でアルファベットの刺繍がされているそれを見て、思わず固まる。

使え、というコトなのか、これは。

けれど使っても良いのだろうか、多大迷惑をかけてる手前、どうしても抵抗感が募ってしまう。

恐る恐る青年の顔を窺えば、さっさと使えと紅い瞳が促した。

 

 

「あ、あぁありがとうございます……」

 

 

「……ン」

 

 

恐縮のあまり震えてしまう指先が、なんとかハンカチを掴む。

ハンカチが由紀江の手に渡った事を確認した青年は、どこか辟易としながらも頷くと、近くに放り投げられていたらしい彼の学生鞄を取りに向かっていた。

てっきり罵詈雑言を受けるものだと思っていたのに、寧ろ施しをかけるような青年の行動に半ば茫然としていた由紀江だが、ずっとそのままの状態でいられる訳もなく。

白い背中が学生鞄を拾いあげるところで、涙で濡れた目元にハンカチをあてた。

 

 

借り物のハンカチに、皺を作るのはいけない。

異性からのこのような優しい施しを受けたのは父以外は初めてだった由紀江は、ついつい緊張してしまって落ち着かない掌の力を抜くことにすら、悪戦苦闘。

あまり力を入れ過ぎては、ハンカチに皺を作ってしまい、恩を仇で返すことになると思ったのだ。

たどたどしい手つきで目元を拭うと、鼻腔を擽る優しい洗剤の薫り。

思わず強く嗅いでしまいそうになるが、これ以上初対面の相手の印象を悪くしてしまうのだけは避けたいので、堪えた。

 

 

しっかり右と左で三度ほど、なるべく皺を作らぬようにゆっくりと。

覚束ない手つきながらも確実に渇いているかを手で確認して、とりあえずしっかりと謝罪をと心に決めた。

少し息を吸って、吐く。

そして開けた視界のまま、謝罪の言葉を紡ごうとして――固まった。

 

 

「……ふえ?」

 

 

思わず、今までの人生のなかで一番ではないかと思われるような、間の抜けた声が喉元から滑り落ちた。

瞬きを二度、キョロキョロと周りを見渡すことを三度。

 

 

――少し背の高い白い背中は、もうどこにも見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、どうしたんです一方通行。ところどころ、制服が砂で汚れていますよ?」

 

 

「何でもねェ、転ンだだけだ」

 

 

「おいおい、珍しいな。石にでも躓いたのか?」

 

 

「ぜーんぶ白いから、余計に分かりやすいねー」

 

 

「うるせェよ、オマエら…………まァ、石にしちゃ大き過ぎたと思うンだがな」

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

転校生は男、らしい。

 

 

他のクラスの事といえど、そういった噂が話題に上がるのはS組とて同じコト。

ましてや隣のクラスであり、去年から何かと対立したり衝突したりと、云わば因縁の相手であるF組の話となれば、より一層論点がその話題に集中するのも無理はない。

あちらこちらで、転校生、F組、落ちこぼれ、といった単語が拾えるほどに。

カーテンの作る柔らかなドレープを手持ち無沙汰に指先で突っつきながら、一方通行はまた面倒なことにならなければ良いが、とつまらなさ気に目を瞬かせた。

 

 

成績優秀、ともなれば勉学に力を入れる生徒が多いS組は、少し他のクラスと異なるシステムがある。

簡単にいえばこのクラス、成績が上位でなければ所属出来ないという条件が設けられており、更にいえばその最低水準を下回れば、即、脱落と非常に厳しい。

その所為もあって成績をキープするための勉学も欠かすことなく、より上位にという野心も強い。

川神学園の掲げる切磋琢磨をよりシビアに取り入れたシステムという形になるので、一人一人はその競争を勝ち抜いているのだという自負を持っているのも当然といえた。

 

しかし、その後押しに加えて元来の気性も関係しているのか、このクラスの生徒は大半がプライドの高い者達ばかりである。

特に酷い者は、自分達を特別視し、他を見下す。

内心で留めるだけならまだしも、視線で侮蔑し、言葉で貶すのだから手に負えない。

皆が皆、そういう訳ではないのがまだ救いだが、絵に描いたようなエリート精神には辟易している一方通行であった。

 

 

そんな彼らが隣のF組を敵視するのは、単純である。

問題児の集まりとして知られているF組は、とにかく騒がしい。

個性が強い者も多く、そこのリーダーシップを握る生徒が祭り好き、という性格が災いして騒がしいに箔がついていたりして、それを授業の妨害だというのがS組の主張である。

まぁ、一方通行からしたら両者共に問題があるので、実に馬鹿馬鹿しいことだと思う他なかった。

 

 

「それにしても、転校生は男、ですか。興味深いですが、少し引っ掛かりますね」

 

「噂の広まり方が、急過ぎるってかァ?」

 

 

「えぇ、そうです。昨日の今日で分かったにしても、今の時刻からして少し早すぎますね。まだホームルームまで暫くあるのに、既に噂は、ほぼ全クラスに至っています」

 

 

となれば、少し意図的な計らいが見えてくる。

腑に落ちないという割には、別段気にしていないような微笑を浮かべたままの葵冬馬に、まァこいつなら勘付くとは思っていたと、内心で嘆息を一つ。

発想は悪くないが、少し詰めが甘い。

賭けの決着が着く直前のタイミングに、そのような情報が流れれば確かに大半はその情報を信頼する。

しかし、わざとらしさが拭い切れていない。

明らかに全生徒に情報が流れることを考慮する為に比較的早い時間を選んだのだろうが、それでは勘の良い奴には気付かれるだろう。

 

となれば、賭け事はF組のみで開催されているということか。

詰めが甘いとはいったが、対象によって情報の使い方をしっかりと認識しているところを見ると、なかなかどうして、直江大和という男は思った以上に強かである。

昨夜メールで送った、転校生は女、フェンシングの使い手、という2つの情報と流れている噂とを比べてみれば、賭けの内容も特定できたようなものだ。

 

 

「となれば、意図的に流された噂という線が強いでしょう。まぁ、私としてはどちらでも構いませんが」

 

 

「若としちゃ、男でも女でもって意味でもあるんだろうけどな」

 

 

今更だが、葵冬馬は両刀、つまりは男でも女でも、どっちでもイケるという奴らしい。

その事を始めて知った時は言い知れぬ戦慄と共に後退ったが、本人曰く、一方通行と井上準、榊原小雪と九鬼英雄はその限りではないらしい。

冬馬にとって友といえる者は対象に含まれないという事を聞いて、安心して良いのか悪いのかの判断については、未だよくわかってないが。

 

兎も角、主に男子が騒がしいこと請け合いなF組であれば、女生徒の転校生にまた一つ騒がしくなるのは目に見えている。

となれば、必然的にS組の連中のフラストレーションも確実に溜まっていき、直に再び衝突ということになるのだろう。

特に――

 

 

「にょほほほ、山猿が一匹増えるとは、より獣臭くなって敵わぬな。そう思わぬか、一方通行よ」

 

 

「なンだ、居たのか」

 

 

「居たのかではない! なんじゃお主は昨日に引き続きほんとーに! 此方を蔑ろにしなければ気が済まぬとでもいうのか!?」

 

 

「あァ、割と」

 

 

「にょわぁぁぁ!!昨日と全く同じ杜撰な態度を取りおってぇぇぇぇ!!」

 

 

特に、コイツとか。

まさに先陣切って乗り込むだろうな、と余程雑な扱いが堪えたのか、まるまるとした瞳を涙で滲ませている、口の割にはメンタル足りない目下の少女。

昨日と同じ杜撰な対応な一方通行に比べて、叫び声のバリエーションまで増やしたリアクションを見せる不死川 心に、芸人でも目指しているのかと突拍子のない感想を抱く。

ドライな表情をしているものの、女に泣かれるのは避けたい心情の一方通行は、溜め息混じりにポケットを細長い指でまさぐって、気付いた。

 

 

本日持参のハンカチは、今朝の女生徒衝突事件の際に手渡して、それっきり。

なんだかやたら哀愁漂った雰囲気をしていたのでさっさと切り上げたのだ、当然手元にハンカチが戻ってきている訳がない。

 

 

「なんじゃなんじゃ、そうやって無下に扱ってからにぃ。ぐすっ」

 

 

「メソメソすンな鬱陶しい」

 

 

やはりメンタルが脆弱である心は、すんすんと鼻を鳴らしながらも怨み言を止める気配がない。

余程根深いのか、それとも今までの積み重ねか。

小さく舌打ち一つ落とすと、朝の時と同じように手を伸ばす。

苛立ちは浅いながらも舌打ち一つにピクンと大袈裟に肩を震わせた心の、時が止まった。

 

 

少し骨張った長く白い指先が、割れ物を扱うかのように繊細な動きで、心の目元から頬を撫でる。

僅かにざらついた感触と、ひやりとする冷たさ。

面倒くさげに細まる紅い瞳が瞬くと同時に、白い指先が反対側も同様に。

思いもしなかった展開に、呆気に取られた心の口は半開きだったのだが、今の彼女にそんなことを気にする余裕なんてない。

それに、気付いたところで出来なかっただろう。

固まってしまった不死川 心の時間を進めるのは、いつも彼の憎まれ口なのだから。

 

 

「間抜けを晒せとは言ってねェンだが」

 

 

「にゅ、にゅっ!?」

 

 

にゅ……? と怪訝そうに首を傾げる白い顔。

パクパクと餌を求める池の鯉さながらに口を明け閉めする心は、震える掌を急速に体温が上昇している為に熱さを増す両頬に当てる。

若干、錯乱としているらしく、左右へとかぶりを振ったまま、心はぺたんと床に座り込んでしまった。

 

 

「にょ、にょ、にょわぁぁぁぁぁ!! い、いいいきなり此方の顔をしゃわるでにゃい、このばかものぉ! こ、此方の……此方の、頬をっ……!」

 

 

ひょっとすれば、熟した林檎の方が色が薄いと思えてしまうほどに顔真っ赤に染める心の言葉は、もはや日本語かどうかも怪しいレベルである。

顔の熱を冷ましているつもりなのか、頻りにブンブンとかぶりを振って叫ぶ為、彼女の柔らかな黒髪が凄まじいうねりをあげていた。

いくら彼といえど、このような状態になった心など見たことがない。

思わず呆気に取られながらも、隣であちゃーと毛髪のない頭を押さえている井上準へと助力を求める一方通行。

 

 

「……どォなってンの、これ」

 

 

「いや、どうもこうも……錯乱してるぞ、不死川」

 

 

「なンで」

 

 

「そりゃオマエ、お前に触られたからだろ」

 

 

「俺がこンな奇っ怪な状況を自分から生み出す訳ねェだろ、事故だ事故」

 

 

「まぁ、事故っちゃ事故なんだろうけどなぁ……」

 

 

やれやれ参った、と念でも唱えるように掌を縦に構える準からは、結局分からず終い。

昨日と違って何故か居ない英雄とメイドの闖入もなかったので、ホームルームの時間が始まるまで気が触れたように騒ぎ立てる心を一人で落ち着かせなくてはならなくなった。

ちなみに、冬馬と小雪にも助力を要請したが、冬馬には薄く笑われるだけで手助けはなく、小雪に至っては満面の笑みでひたすら心にマシュマロを押し付けるだけの役立たずとなってしまったのは、全くの余談。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

視線を感じた訳ではない。

目に見えぬ何かを感じる訳でもない。

 

けれど漠然とした感覚は、確信に近いそれと変わる。

 

 

 

 

「クリスティアーネ・フリードリヒ! 姉妹都市であるドイツ、リューベックより推参!!今日よりこの寺子屋で世話になる!!」

 

 

 

 

窓の外、広々としたグラウンドを、馬に跨がり大地を駆ける、金髪の美しい少女。

明らかに時代錯誤な光景に、皆が呆気に取られるなかで。

 

一方通行は、どうしてか、気になった。

 

明らかに日本人ではないというのに、滑らかな日本語で高らかに名乗りを挙げる少女に、ではない。

危険を察知したように鋭く尖る紅い瞳の、視線の先。

彼が壁越しに睨むのは、隣のクラス、F組で。

 

 

――懐かしい、硝煙の匂い。

 

 

――戦場の風を纏った不穏な予感は、もうすぐそこまで来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『若桜、芽吹いて』--end

 

 

 

 


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