星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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三節『空に唄う約束』

快活と滲む空に、朝焼けの名残が鮮やかに浮く。

千切れ雲と躍る曖昧な陽光は、それでもイカロスを堕とすだけの熱を失わない。

強過ぎる白光は、それだけで他を喰らう。

闇も、影も、月も、星も。

ただ在るだけで、何もかも。

 

 

「さて、我が友、一方通行。貴様は、軍配がどちらに傾くと見る? 我としては愛しの一子殿を応援とするのが当然なのだが、あのクリスティアーネと云う生徒、並々ならぬ。此処は一つ、参謀の意見を問いたい」

 

 

「勝手に参謀にすンなって言ってンだろ。第一、聞く相手間違えてンだよオマエは……俺に聞くより、メイドに聞いた方が納得のいく意見をくれンだろ」

 

 

思えば、ある意味似たような存在なのかもしれない。

常に輝きを曇らせない、隣で大口開けて快笑するこの男は。

時にはたまらなく迷惑で、問題な面も多々あるが、それでもそういう奴なのだと人々に受け入れさせる事が出来る人間は、そういない。

自分より少しばかり背の高い男の横顔を眺める紅い瞳が、眩しいモノを見るよう、細まった。

 

 

「フハハハ! 確かに、我が従者たるあずみならば、真たる答えを君主に示すのは容易であろうよ。 しかし、我は貴様の意見を聞きたいのだ、一方通行」

 

 

朝方におよそ似つかわしくない大衆の歓声の中でも、九鬼英雄の声はおいそれと掻き消されたりはしない。

芯の通った、才気溢れる王の周波。

鋭い気高さに満ち溢れる瞳の先に、二人の少女の姿が在った。

 

 

「てやぁっ!!」

 

 

「ッ……」

 

 

身の丈以上はありそうな薙刀を片手で翻し、追撃の二ノ太刀を放つ少女の、秋の紅葉を彷彿とさせる色濃い赤茶の髪が舞う。

挑発的に爛々と光る瞳で先を見据える少女は、川神一子。

快活にして努力家、前向き、そして常にひたむきな姿勢と整った容姿は、川神学園の名物として扱われるほどであり、口にした通り、九鬼英雄が曇りなき恋慕を寄せる相手でもあり。

そして、川神百代の義理の妹であり――密かに一方通行が避けている人物であったりする。

 

 

「こんのっ!!」

 

 

「フッ……!」

 

 

浅い呼吸一つ。

下段から放たれる掬い上げの一手を、余裕すら感じさせる足取りで下がった少女は、金色。

闇夜を浮かぶ月にも、あまねく照らす太陽にも映る美しい金色の髪がなだらかに揺れ、観衆は男女問わず、その煌めきに魅了される。

凜とした眼差しは宝石のように、僅に汗が伝う肌は白く美しい。

クリスティアーネ・フリードリヒ。

今日の川神学園を盛大に賑わせるドイツよりの転校生、その人であり、彼女は今、川神学園による武の洗礼を受けていた。

 

 

――決闘システム。

 

 

川神学園の学長、川神鉄心の掲げる切磋琢磨の理念。

それを助長する為のシステムであり、内容もシンプル。

言わば、合法的な決闘という場を設け、学園内のあらゆる生徒にそれを行使する権利があり、教師陣はそれをサポート、時には審判を務めたりするというモノ。

行使する為には、決闘に参加する生徒に支給されている、川神学園の校旗をモチーフに作られたワッペンを互いに重ねるだけ。

また、武器の使用不使用関係無く肉弾戦など怪我の恐れが発生する場合は教員会議での許可の申請、または学長の川神鉄心による承諾が必用など、バックアップ体制を整える為の手順が細やかな場合もある。

 

ちなみに武器使用に関しては学園側から用意された武器のレプリカのみ許可されるという、なるべくの安全措置の管理もしっかりと行われている為、決闘システムはやや頻繁に行使されていたりする。

 

 

「なンだ、オマエもF組のトトカルチョに一枚噛ンでるってのかァ? 」

 

 

「フハハ、無粋だぞ一方通行。一子殿の真剣勝負に、この我が、賭博などに介入するものかよ」

 

 

「はン、そォかい」

 

 

無粋かどうかは兎も角、英雄が一子へ大量のチップを賭けるシーンは簡単に想像出来てしまったので、これは日頃の英雄の接し方に問題があるだろう、と薄情な責任転嫁。

どうにも失礼な一方通行の態度に一言物申そうと一歩前に出るあずみだったが、英雄が腕で遮り、良い、と苦笑混じりに宥めるので、渋々下がる。

そんな一幕を横目で見て、今のは我ながら戴けなかったなと頬を掻くと、詫びのつもりなのか、目下で繰り広げられる激しい戦闘へと視線を落とした。

 

 

「ていッ!」

 

 

「くっ……」

 

 

切り上げの姿勢からの、ステップ一つ後方に落としての横一閃。

距離を保とうと一歩進めたクリスに迫る薙刀の刃を、彼女は苦汁の息を零しながらも片足で重心を固定し、首を上げるだけで避けてみせた。

整ったボディバランス、意表をついた一子の一閃もなかなかだが、釣られながらも身体能力と足捌きのみで回避するクリスもまた、明らかに武人というやつの水準を凌駕している。

特に、クリスの視線と呼吸のタイミング。

相手のリーチを測りながら、頭の中で踏み込むべきタイミングを照らし合わせているのだろう、時折息を吐く時に意味もなく肩先がピクリと動いているのを、一方通行は確認した。

 

 

「……分が悪ィな、妹の方は。一発貰うの承知で畳みかけねェと、負けるぜ、アイツ」

 

 

「一子殿が、か……しかし、一子殿の方が圧しているようにも見える。どういう事だ、一方通行?」

 

 

腕を組ながら鋭い視線を向けていた一方通行の唐突な発言に、英雄は怪訝そうな眼差しで彼を見下ろす。

確かに、英雄の言う通り、客観的に見れば一子の方が攻め手が多く、クリスを圧しているようにも見えるし、大半の生徒は一子が優勢と見ているだろう。

しかし、そうではないとでも言うかの様に、一方通行は僅かに口角を歪ませた。

 

 

「フェンシングに詳しい訳じゃねェが、あの手の競技はいかに踏み込んで一打を浴びせるかの駆け引きがメインだろ。竹刀よりも面積の狭ェもンを見極めて、かつ間合いを消す。そンな競技の達人ともなりゃァ、時間を掛ければ悪手になる」

 

 

「なるほど、クリスティアーネの攻め手が少ないのは、そういう事か。となれば、薙刀を振るう回数が目立つ一子殿の方が、長期戦の分が悪くなる、と。うむ、よき分析である」

 

 

一方通行が並べた判断材料と見解には、納得させられるほどの説得力がある。

クリスの肩の動きや息を吐くタイミングなど、かなりのスピードバトルであるにも関わらず細かな仕草まで見抜く洞察力と視力の良さは、非常に秀ていると言っても過言ではない。

これがもって生まれたモノでもあり、また、『鍛練』の成果である事を『知っている』英雄は、満足そうに頷いた。

 

 

「ふン……踏み込みの深さと耐久性はあるあの修業馬鹿だ、最初っから短期決戦で行きゃァ勝ちの目も出てたンだろォが――」

 

 

どこか詰まらなそうに鼻を鳴らしながら、紅い瞳が確信を抱いたように、スッと細く尖る。

凶暴さこそ無いけれど、まるで獣のような瞳が見据える先。

一方通行の瞳と同じように、鋭く細まる蒼の瞳が、瞬く。

 

 

「――時間切れだ」

 

 

踵を返して、二年の校舎であるB棟へと歩先を向ける一方通行。

風に載って翻える白髪が、背中に宿す情感を隠すかのように重なる。

足音も響かぬ歓声の中で、黄金の彼は留めることもなく。

やがてその白い背中に走り寄る、見慣れた三つの人影を見届けて、英雄は一つ頷いた。

 

 

『そこまで! 勝者――クリスティアーネ・フリードリヒ! 』

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

霞ゆく太陽が沈むにはまだ早いが、夕刻の茜が空を覆うには、そんなに遠くはない。

校舎の中からでも充分に聞こえる生徒達の喧騒は、気力に満ち溢れている。

川神学園は生徒数の割には、部活動の種類は豊富である。

何事にも挑戦する姿勢が好ましいからと、比較的新たな部活を立ち上げる場合、他校に比べれば甘い査定によって通る事が多いからだ。

 

窓際の、彼の席。

他の生徒の誰一人残らぬ教室に、若い喧騒だけが穏やかに響く。

風の残す淡い足跡に動かされたままの、白いカーテンドレープの向こう。

頬杖をついた姿勢の一方通行の瞳は、窓から覗くグラウンドを見ているようで、見ていない。

 

息も浅く、瞬きも幽かに。

それはあたかも、目を開けたまま眠りについた白い彫刻のように。

 

陽光さえも飾りとした、艶のある長い白髪。

そこに――熱の籠らぬ冷たい銃口が突き付けられた。

 

 

「ご挨拶だなァ、オイ。ドイツの軍人は、頭に銃突き付けンのが敬礼にでもなったってかァ? ソレ考えたバカがアメリカ辺りに敬礼する前に、『流れ弾に当てちまう』事をお薦めすンぜ」

 

 

「それは痛みいる忠告だな、しかし心配には及ばない。ドイツ軍の敬礼も、他とそう大差はない。それに、『私は』流れ弾に当たるほど、未熟な腕ではないという事は分かって戴けたと思うがね?」

 

 

喧騒が、掻き消える。

手を伸ばした先の蜃気楼、星を掴めぬ者の幻想のように。

其処に満ちる空気が、変わる。

硝煙と血漿。

錆び付いた非日常の匂いが、鼻につく。

頭に当たる冷たい感触をそのままに、凍てつくような無表情が、銃を握る者を見据える。

 

およそ学園という施設に相応しくない、軍服を纏った初老の軍人。

幾つか走る皺にこそ老いを感じられるが、険しさを孕んだ蒼い瞳と、感情を掴ませない能面さは明らかに並ではない。

滲み出る硝煙の匂いと、一方通行の一挙一動を見過ごさぬというばかりに尖る瞳を、向けられた一方通行は――良く、知っている。

 

 

それはきっと、人を見ていない。

ヒトの形をしたナニカを見るような、眼差し。

向けられ続けてきた、存在否定。

ずっと奥に仕舞い込んでいた獰猛な感覚が、首をもたげて嗤う。

 

 

「さて、いきなりだが名乗らせて戴こう。私はフランク・フリードリヒ、キミも見物していた決闘の勝者、クリスティアーネ・フリードリヒの父親であり、ドイツ軍人だ。まぁ、君の前口上を見るに、そんな事は今更言うまでもないとは思うが」

 

 

「それはフリードリヒさンも同じだろォよ。熱すぎて火傷しちまうぐらいの熱視線をやたら送ってきやがったンだ、名乗る必要もねェだろ?」

 

 

「いけないな、それは。名乗られれば名乗り返すのが、日本人特有の武士道精神というものだと私は記憶している。それとも外見通り、君は日本人ではないというのかね?」

 

 

「礼儀を重ンじるってのも美徳の一つ。これのどこに礼儀があるのか、ご教授戴きたいもンですねェ?」

 

 

カカカッ、と喉を震わせる白い獣の歪む口元。

のっぺりとした白夜に浮かぶ紅い半月に、フランク・フリードリヒの拳銃が、より強く充てられた。

嘲笑のようにも、微笑のようにも、自嘲のようにも取れる曖昧な笑み。

ただそれだけで、脚が怯んでしまいそうになる。

命の価値すら塵芥としてしまう戦場の多くを知り、挑み、生き残ってきた男が、だ。

 

 

「君に教授することなど、何もない。寧ろ、ご教授戴きたいのは私の方だよ。

さぁ、答えたまえ、『一方通行くん』――君は一体何者なのだね?」

 

 

年齢18歳、性別は男 。名称、一方通行またはアクセラレータ。

身長177cm、体重61 kg、血液型 不明。

保護者は川神学園の教員、小島梅子。

三年前に彼女に引き取られ、川神鉄心の助力もあり、戸籍取得。

二年前に起きた『関東震災』の『被害者』である。

 

 

――たったこれだけしか、彼の情報は残っていない。

 

三年前以前の彼の所在、血縁者、家族関連、学校の入学卒業に関する経歴、その他諸々。

ドイツ軍 中将という肩書きを持つ彼の情報網を駆使しても、一方通行という男の空白の15年間に関しては、一切情報を得られなかった。

出身地も分からず、病院などの通院経歴も、公共施設の使用履歴も三年前より以前の事は一切残っていない。

 

――まるで、彼は存在してなかったかのように。

 

 

しかし、2つ、フランクにも分かる事がある。

一方通行という男からは軍人である自分と同じ――――血の匂いがするということが。

そして、彼はあまりにも『銃口を向けられる事』に馴れ過ぎていた。

 

 

「……答える義理はねェ」

 

 

音すら死に絶えた静寂のなかで、感情一つすら込められていないテノールが囁く。

やけにゆっくりとした動作で突き付けられたままの銃を手で払うと、線の細い白き体躯が席を立った。

もはや眼中にないとでも言うかの様に、フランクを一瞥すらする事ない紅い瞳は、恐ろしく冷たい。

傍らに置いてあった学生鞄を肩へ担ごうとして――

 

 

 

 

 

 

 

 

――風が吹いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう……流石、あの『MOMOYO』を非公式ながらも倒したと云われるだけの事はある。良い反応だと褒めてあげましょう」

 

 

「銃の次はトンファーかよ、ドイツの軍ってのは頭の使えねェ上に、謂われない善良市民を攻撃するしか能がねェのか?」

 

 

「黙りなさい、兎風情が。これ以上のドイツを貶める発言は、自らの首を絞めることと知りなさい」

 

 

「ハッ、躾のなってねェ狗がキャンキャンとよく吠える。余程、上司が無能と見える」

 

 

血潮の如く紅き風が放つ荒々しい一打を、身体を斜に背けることで回避した一方通行。

その彼の持つ紅い瞳の眼差しと、同じような色彩を持つ紅き風の紅い隻眼の眼差しが、ぶつかり合う。

災害とすら思えてしまうような獰猛さを纏った暴風の正体は、女性だった。

 

 

 

深い紅の彩りを見せる鮮やかな長髪と、秀麗な顔立ち。

軍服で纏った豹のようなしなやかな体躯は、雄を誘う魔性を放つが、冷然とした雰囲気と片目を覆う黒の眼帯が、言い知れぬ近寄りがたさを放っていた。

マルギッテ・エーベルバッハ。

ドイツ軍将校、フランク・フリードリヒ中将の片腕とも呼ばれる軍人であり、彼の忠実なる部下である。

 

獲物を狩るようなギラついた瞳が、一方通行の挑発とも取れる嘲笑を見て、より険しさを増す。

主が命があれば、すぐさまその喉笛を噛み砕かんとする狂暴な牙を、その両手に油断なく構えていた。

 

 

「下がれ、マルギッテ」

 

 

「……了解しました」

 

 

しかし、彼を喰らえという主命は無い。

老全としながらも威厳のあるフランクの命令に、マルギッテはフランクのすぐ後ろへと控えた。

けれど、狼が警戒を解いたという訳ではない。

いつでも獲物に飛び掛かる事が出来るように、姿勢は低く構えたままに。

紅い隻眼は、油断なく白い影を見据えていた。

 

 

「質問を変えようか、一方通行くん」

 

 

次はない。

問答の拒否を見逃すのは先ほどの一度だけだというように、手に持った重き鋼を、再び一方通行へと向けるフランクの瞳は、有無をいわさぬ迫力がある。

幾つもの軍人を率いてきた男の眼差しは重く、並みの者ならば意識を失うか、深い恐慌に錯乱してしまうだろう。

 

けれど、まるで些細なモノだと謂わんばかりに無表情を張り付けたままの一方通行は、何も言葉を発さない。

目の前の男が最も知りたいと思うことなど、当に予測が出来ている。

問われるコトは、きっと。

自分の足元に積み立てられた、かつての罪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……君は、人を殺した事があるかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血に染まった過去、断ってしまったギロチンの紐。

後悔し、懺悔し、迷って、戸惑って、脚を止めた。

末路から振り返った、歩んで来た自分の道。

そこに横たわる数え切れない亡骸の山を見詰めて。

 

一方通行は、何も言わずに、目蓋を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そうか、それが君の答えか」

 

 

 

 

 

 

「――あァ」

 

 

 

 

 

 

言葉で紡がなくとも、答えを得られる事はある。

目蓋を閉じる。

ただそれだけの行為で、総てが伝わってしまうような感覚に、声が自然と震えていたことを、フランクは自覚する。

自分の声が震えたのは、決して義憤などではない。

人の命を奪ったことがあるのは、軍人であるフランクとて同じ。

 

命の尊さ、それが踏みにじられる戦場に身を置いていた己に、人を殺めたことに対する義憤や、潔癖な正義感など抱く資格はない。

軍の命令だからとか、そんな言い訳をするつもりは毛頭にない。

引き金を引いて、多くの命を奪ってきたのは他でもない自分自身なのだ。

血に汚れてしまった己に、目の前の青年の罪を暴き、断罪するなど烏滸がましい行為とすら思っている。

 

 

ただ、それでも。

愛する娘を守るためならば、あらゆる危険を排する為ならば。

目の前の男を、今ここで殺めることさえ躊躇わない――そのつもりだったのに。

 

 

 

「――ッ」

 

 

 

白い闇から咲いた紅の、眼差しに、息を呑む。

 

どれだけ贖おうとも、決して消える事のない、血の匂い。

一つや二つではない、想像すら追い付かぬほどの命を喰らったであろう青年。

どんな理由があってでも、それは自分と同じく赦されるコトではないだろう。

 

 

けれど、そんな男が。

 

こんな眼差しをするのか。

 

 

不安も、迷いも、恐怖も、絶望も、悲壮も、自責も、羨望も。

測りきれないほどの後悔も、全て背負って。

幾つもの十字架に貫かれながらも、前を向く。

深い悲しみに蝕まれながらも、歩くコトを止めない。

 

 

そこには、生きるという、覚悟しかなかった。

 

 

 

泥も血も憎しみも全て被ろう。

愛しい娘を、守る為ならば。

例え、裁かれるべき場所まで堕ちても、構わない。

 

愛する女性を失ってしまったあの日、心に掲げた唯一の誓い。

己の誓いと、彼の覚悟。

声が、震えてしまったのは、きっと。

異なる筈の彼の覚悟と、己の誓いが、重なって見えたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……最後に、『教えて欲しい』――――君が、そうまで強く生きようと決めた……いや、決めるコトが出来たのは、何故かね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

力なく降ろされた銃を、懐に仕舞う。

主の突然の行為に、思わず驚嘆の眼差しでフランクを見るマルギッテが、その紅い瞳を更に大きく開いた。

微かに、フランクは笑みを浮かべていたのだ。

 

 

 

 

 

 

彼に対する危険視を止めた訳ではない。

その証拠に、拳銃こそ仕舞ったものの、彼の発する強烈な圧迫感は変わっていない。

 

では、どうして。

僅かな羨望さえない交ぜにして、彼は笑っているのだろうか。

 

 

――それは、フランク自身にも分からないコト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

「宜しかったのですか?」

 

 

「――いいや、宜しいという事はない。彼が危険だという事に変わりはないのだから」

 

 

窓の外から覗けるグラウンド景色は、屍の並ぶ戦場とはほど遠い。

空に朱みがかるまで、あとどれくらいだろうか。

後ろ手を組み、言い知れぬ疲労を浮かべた面持ちながら、フランクは窓の外から視線を外さない。

彼の背後にて、控える様に立つマルギッテの怪訝そうな視線を感じて、老いを隠せぬ横顔が、小さく苦笑を落とした。

 

 

 

「故に、マルギッテ――君に、任務を与える」

 

 

「ハッ! 拝命致します」

 

 

 

窓際に手を置いて、フランクが振り返った。

ドイツ軍将校の肩書きに恥じぬ精悍な顔付きで、彼は信頼のおける己の部下に命じる。

――愛する娘を守る、その誓いは、より強く。

 

 

 

「本来であれば、もう少し期間を置く予定ではあったが、事情が変わった。君には来週始めより、川神学園高等部、二年、Sクラスに編入し、クリスの護衛――そして、一方通行の監視に勤めて貰う。尚、その際の滞在場所も追って、連絡する。最優先はクリスの護衛だが、彼の監視にも重要性を置く。復唱は良い」

 

 

「ハッ! 了解致しました!」

 

 

 

姿勢を正し、了解の意を敬礼に表すマルギッテに、フランクは満足そうに頷いた。

実力、功績ともに優秀である彼女への信頼は厚い。

しかし、彼女の有する欠点に対する懸念もまた、フランクの頭を悩ませる重要事項である。

クリスの護衛が主な任務ではあるが――優秀であるが故、実力の高さのみで他者を見るという彼女の欠点を、克服させる為の布石も兼ねて、彼は一方通行の監視を重要項目と加えたのだ。

 

 

 

その為には、フランク自身が動かなくてはならない。

一方通行の監視をする為には、より整った環境と、特定人物との交渉。

 

しかし、赴く手間は掛からないだろう。

 

 

 

此方から出向かなくとも、『彼女』は直ぐ、其所にいる。

 

 

 

 

「さて、マルギッテ。もう1つ、私から命じる。今より、少しの間――私に危害が加えられても、危害を加えた者に対して手を出す事を禁じる。復唱はいい」

 

 

「……は、ぁ? そ、それは何故で……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのような配慮を行うという事は、私の言い分に関しても察しがついているということですか、フランクさん?」

 

 

 

 

 

 

 

唐突かつ、意図の分からぬ指令を受けて困惑するマルギッテの疑問を遮る、女性の声。

聞くだけで背筋を伸ばしてしまうような凛とした声は、彼女の心情を表しているかのように、抑えきれぬ憤怒に満ちていて。

音の発する声の元にマルギッテが顔を向ければ、そこにはスーツ姿の女性が、教室の入り口から此方を深く見据えている。

 

 

 

マルギッテは、彼女の顔に見覚えがあった。

一方通行の情報を収集する任務にも携わっていた彼女は、その際の資料の中で、その女性についての情報も得ている。

 

――そう、彼女は。

 

 

 

「えぇ、勿論です。朝方はお世話になりました――小島先生」

 

 

小島梅子、一方通行の唯一の保護者。

カツカツとヒール音を響かせながら、此方へと歩み寄ってくる梅子の表情を見て、その憤怒の理由に察しがついたマルギッテは、庇うようにしてフランクの前へと立ち塞がろうとする。

しかし、何もするなと手で制したフランクに、先程与えられた命令の意図が理解出来て。

この命令を違反することだけは、してはならない。

強く唇を噛み締めながら、マルギッテはその場から動く事が出来なかった。

 

 

「えぇ、此方こそ。ご息女はとても礼儀正しく、正義感にあふれた素晴らしい気概の持ち主でした。お陰で、問題児ばかりのFクラスの担任である私としても、助かる事は多い」

 

 

「そうですか。クリスは、私の自慢の娘。娘が誉められたとなれば、私も、鼻が高い」

 

 

距離など、そう遠くない。

社交辞令のような挨拶を交わす間に、梅子はフランクの目の前へと脚を止めた。

言葉とは裏腹の、双方の表情。

感謝を述べている筈の梅子の表情は、抑えきれぬ激情を滲ませて。

喜びを表している筈のフランクの表情は、贖罪の覚悟を滲ませて。

 

子を愛する親の心。

弟を愛する姉の心。

 

そこに、優劣などない、と。

 

 

 

「ならば、その娘が蔑まれたとなれば?」

 

 

「許せませんな」

 

 

「銃が向けられたとなれば?」

 

 

「許せませんな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……心の傷を、抉られたとなれば?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「許せる筈など、ありませんな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

許せる筈がない。

そう、だから彼女は此所にいる。

 

 

 

 

「では――失礼します」

 

 

 

「御手数をお掛けして、申し訳ない」

 

 

 

 

謝罪の言葉が、つい零れる。

きっと、そんなものに意味はない。

謝罪の意志は、そんなものでは不充分だ。

 

彼が傷つけてしまった、涙を流さぬ青年の代わりに――泣き声を押し殺しながら、それでも黙って、外で話を聞いていたであろう、彼女。

 

 

――先ずはその一発を、受けなくては。

 

 

 

「――ッ」

 

 

 

重心ごと揺さぶられるような、思わず意識すら飛んでしまうかと思うほどの衝撃を、受け止める。

凄まじい破裂音と共に激痛の走る頬を、手で抑えることはしない。

熱を孕んで痛む自分の頬など、寧ろ自分よりももっと深い痛みを、唇を噛み締めながら堪えている目下の女性の姿の方が余程痛々しいではないか。

 

愛する娘の為の行いは、青年と、青年を愛する姉の心を傷つけた。

この程度で倒れるなど、許されることではない。

 

 

 

「監視、すれば、良いでしょう……」

 

 

顔を俯かせ、強く握られた掌と、途切れ途切れに紡がれる言葉が、震える。

けれど、その奥で見えた、女性の、青年に対する信頼は、とても強い。

 

 

「幾らでも、すれば良い。一方通行が、危険だと、言うのなら」

 

 

俯いていた顔が、あげられる。

涙を一筋走らせながらも、確かな意志を宿した瞳は、とても気高い。

 

 

 

 

――惚れた女との、約束がある。前を向いて、生きる事を。

 

――支えてくれる、女が居る。こンな俺を、放っとけねェっていう馬鹿な姉が。

 

――傍に居たがる、バカ共が居る。物好きな、頭の足らねェバカ共が。

 

――星を見つける、約束がある。口喧しい、クソガキとの約束が。

 

 

だから、前を向いて、生きるのだ、と。

 

寂しそうに笑う去り際の背中が、頭に過った。

 

 

 

 

「けれど、私はあの子を信じている! 過去になにがあったとしても、今、私の傍で生きているあの子が、銃を向けられていい存在などではないと!」

 

 

 

「……」

 

 

あぁ、なるほど。

確かに、彼の答えに偽りなどないのだろう。

過去に、彼が人の命を奪っていたとしても。

それでも彼を信じ、支え、共に贖おうとする彼女が居るからこそ、歩いていける。

 

彼の強く生きようという意志は。

彼を信じる者達から、貰ったもので出来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンと静まる教室で、梅子の荒い呼吸が木霊する。

彼女の思いの丈をしかと受け止めたフランクは、満足そうに頷いた。、

しかし、これより彼が紡ぐ言葉により――驚嘆の空気へと変わることになる。

 

 

 

――主に、マルギッテ・エーベルバッハが。

 

 

 

 

 

 

 

「えぇ、そうさせて戴きますよ、Ms.小島。貴女のように、傍だって見なくては、彼の本質など見えようもない。監視という形ではあるが、見極めさせて戴く……そこで、一つ、御願いを聞いて貰えますかな?」

 

 

 

「…………お、願い、とは……?」

 

 

 

くっきりと手形の残った横っ面をそのままに、微かな笑みを携えたフランク。

その微笑に、何故だか悪寒が背筋を走ったことに、戸惑うマルギッテだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えぇ。彼の監視を行わせて戴く、マルギッテ・エーベルバッハ。

 

 

――――彼女を、貴女と彼の住む部屋へと、滞在させて貰いたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『空に唄う約束』--end.

 

 


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