星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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七節『藍より青し』

如何に頭脳が優れていようが、憶測や予測を立てる事に一家言あると自負する者であろうが、何事にも想定外というのは当たり前の様に存在する。

陶酔気味に誰かが吐き出した、この世に絶対と呼べる事象など有りはしない、という格言にも、成る程、確かにそうだと同調したくもなるが。

けれど、だったら有りはしない、という断言もまた矛盾を孕むのではないかとか、そんな終わりのない鼬ごっこを繰り返す羽目になるので、それはそれとして思考の隅に追い込んで。

取り敢えず、予測が着かない事、イレギュラー、他にも色々便宜はあるが、つまりはそういった事があるのは当然という認識を踏まえて。

スーパーコンピューターにも遥かに勝るとさえ言われた最高峰の天才であるらしい一方通行は、声を大にして叫びたい。

 

――どォして、こうなった……

 

 

「さぁ、覚悟して貰おうか、一方通行! 昨日のマルさんの怨み、持ち掛けられた話とはいえ正義とは呼べない暗躍の数々、正義を貫く者として、そして2-Fの皆を代表する者として、私が貴方を倒させて貰う!」

 

 

蒼天高らかに掲げるレイピア、模造品に過ぎないというのに使い手の魂に反響する様にして、冷たい切っ先が光を浴びて銀に煌めく。

対峙する者に向けての宣誓の清らかさ、強かさ。

ジャンヌダルクとさえ彷彿とさせる金色の乙女の発破に、彼等を囲う大衆の熱が一気に勢いを増した。

まるで観客に過ぎない筈の彼等さえ共に闘うと錯覚させるほどの盛り上がり、まさしく軍勢(レギオン)。

さあ倒せ、憐れな兎に正義の鉄槌を。

大衆は世界は、君にそれを望んでいると。

 

 

「……テンション高ェな、オイ」

 

 

しかし熱狂するオーディエンスとは対称的に酷く、やるせなさと哀愁を滲ませる声色が、ポツリと喧騒の中に現れて、そして呆気なく掻き消える。

対峙する眩い金色の髪、アイスブルーの瞳と対照にさえ映える白髪の少年は、目の前の少女とはどこまでも正反対な立ち位置を求められているかの様で。

危うさすら抱かせる愚直さに一つ溜め息を落として、対面のクリスよりも余程鋭利さを感じさせる視線をビシビシと送る自身の後方へと、振り向いた。

 

 

「……はァ」

 

 

振り向けば、より哀愁の募る心情がそのまま口から零れ落ちて、やるせない。

正面のクリスより後ろに控えるのは、彼女が在籍しているFクラスの面々がわんさかと。

となれば、一方通行の振り返った先にて列を作るのは、彼の在籍するSクラスの面々というのには異論はないし、そちらの方が自然である。

顔見知りばかりのすぐ側で、非常に不服そうな面持ちで佇みながらも此方を睨む武神様がいなければ、の話だが。

 

 

「ほンとに、面倒くせェ」

 

 

納得はいってない、そんな不満たらたらな百代の表情から発せられる無言のメッセージなど、理解するのに時間は掛からない。

不本意ながらも、それなりに付き合いのある関係なのだ、わざと手を抜いて負けたりしたら絶対許さない、という彼女なりの最大限の譲歩くらい、承知していることだ。

 

負けてはならない、という条件を無理矢理押し付けられた結果とはなったが、一方通行にとって面倒な事項というのは、生憎そこではない。

 

 

「……」

 

 

睨むというか、視線で射殺すと例えた方がしっくり来るくらいに禍々しい眼差しに、思わず頬が引き吊る。

腕を組み、毅然として立つ姿は容姿も相俟って、ある種の神々しささえも彷彿とさせる程に美麗であった、のだが。

一人だけ背景が違うというか、然もすれば狼の遠吠えすら聴こえてきそうな険呑な雰囲気に、明らかに近寄り難そうにしているSクラスの生徒達も顔を青ざめている。

 

マルギッテ・エーベルバッハ、勿論その人である。

 

 

「……なンて面してこっち見やがるンだ」

 

 

フランクとの一件で見せた、恐らく彼女の得物であろうトンファーこそ取り出してはいないが、いつ此方へ襲い来るやも分からない。

クリスに対して傷でも付けたら即刻乱入でも仕掛けて来そうな雰囲気に、思わず辟易としてしまう。

 

そもそもこの状況は一方通行の本意ではないのだが、そんな事は関係ないとばかりに剥き出しな感情をぶつけてくるマルギッテを面倒に思うも、昨日のマルギッテの愛称が妙にツボに入ってしまった為に爆笑してしまった一件が負い目に思えて、どうにも無視が出来ない。

あの後散々謝ったが、そう簡単に許して貰える事もなく、そういった禍根も諸々含めて引きずった結果でもあるので、自業自得とも言えるが。

 

事の発端である不死川 心の行き過ぎた声援通りに勝利を得るにしても、クリスに対して傷が出来る行為一つでもしてしまえば、マルギッテが飛んで来る。

わざと負けようモノならば、なし崩し的に武神とも闘う羽目になるであろう、散々難癖付けられるビジョン

がいとも容易く脳裏に過る。

 

最善、というか前門の武神と後門の狼を回避するには、フェンシングの達人と実力も充分なクリスを相手に無傷で勝利を得なければならないという、非常に面倒かつ骨の折れそうな道を選ばなくてはならない。

 

 

助け船を期待したいところだが、仏代わりに手を構えて申し訳なさそうな面構えの井上準にはあの二人をどうこう出来る筈もないだろうし、口八丁でどうにか丸め込む事は出来そうな葵冬馬は此方の都合などお構い無しに微笑を携えているだけ。

期待を持つのがそもそも間違いな気がしそうな榊原小雪に至っては、何をどう思って実行に至ったのか経緯がまるで分からないが、結論だけでいうとクラスメイトである十河に紙芝居を披露していた。

 

しかも小雪自作の、内容が無駄にブラックなストーリーのモノであり、何故自分に紙芝居をしてくれているのかさえも理解出来ていないであろう気弱な委員長タイプのクラスメイトはひたすらに困惑顔である。

助け船を期待するどころか、寧ろ逆に助けて欲しいと救いの眼差しで此方をチラ見してくる十河に、引き吊った口元から乾いた笑いが零れるのを一方通行は止める事が出来ない。

 

 

春もまだ、麗らか半ば。

溜め息も溶けるような蒼い空に、感傷さえも淡く溶け消えた。

 

 

 

 

――

―――

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

発端を追えば、また一つ厄介事を持ち込んでくれたトラブルメーカーの仕業という事になるのだろうか。

校庭諸々を一望出来る屋上のフェンスに、噛み付く勢いで声援なのか罵倒なのかどっちにも取れそうな内容の叫びを挙げる振袖姿のトラブルメーカーを、詰まらなそうな紅い眼差しが見据える。

問題は、それさえも群集の一つとして紛れてしまいそうな状況というべきか。

 

正午を過ぎてあと一刻、ニ刻、経てば快活な青空に朱みが差し掛かるであろう、そのくらいの昼下り。

当たり前の様だが、学園となれば授業中である筈のこの時間に、自分を含めて何十人もの生徒達が屋上で騒ぎ立てているなど普通の学校ともなれば考え難い光景である。

 

しかし、此処は知る人ぞ知る川神学園。

場合にもよるが、何よりも生徒達の競立、向上精神を促すべく様々なシステムを取り入れている普遍的とは程遠い場所であり、現在もそのシステムの内の一つである、決闘システムが適応されている状況で。

現在の対戦カードは、Sクラス生徒、井上準とFクラス生徒、風間翔一によるレースが繰り広げられていた。

 

 

「……」

 

 

経緯をなぞれば、どうしようもなく単純で。

その一端に自分が少なからずも関わっている事に目を伏せたくもなるが、事の広がりを見るに完全不干渉、という訳にもいかない。

不死川 心がFクラスに所謂果たし状を叩き付けた事によって火蓋が切られたのが此度の騒動の経緯ではある。

 

しかし、彼女がその決断に至った発端は先日の麻雀であるのは明白であり、彼女が一方的にライバルとして持ち上げている一方通行の前で不様に敗北を喫した事に対する復讐、というどう考えても逆怨みな実態がちらほらと見える。

その上、麻雀の最終成績はトップが一方通行であるという結果の理由を他でもない彼自身に冷然と告げられ、序でにサディスティックに罵られ、彼女の矜持をさながら掌の上で弄ばれた過日の失態もFクラスの所為と責任転嫁しているものだから、不死川 心も中々懲りない。

とはいえ、不死川 心の心を折る事と呼吸する事は自分の中では同義と宣う彼としても、決闘システム断行の原因となってしまった過失は己にあると自覚している為に、不干渉を貫けずにいた。

 

 

「……大丈夫かな風間君、あんな高い所から飛び降りて。い、いい一方通行君は、どう思うねえねえ!?」

 

 

「落ち着け、どもンな。心配しなくてもあの馬鹿ならそう簡単に下手打たねェだろ」

 

 

次からはもう徹底的にアイツの心折ろうと不穏当極まりない決意を固める一方通行の耳に、たどたどしいソプラノが余裕なく揺れる。

十河の栗色の髪が不安げに右往左往する仕草を紅い視線が気怠そうに追う姿は、猫じゃらしに釣られる猫の様にも映った。

 

相変わらず、Sクラスには似つかわしくない性格をしている委員長タイプ、もとい十河の落ち着きの無さについ苦笑を濁す。

所謂対戦相手にさえ過剰な心配を寄越す彼女は成る程、自分の周り誰よりも人間が出来ているのだろう。

十河の爪の垢でも煎じて飲めば少しはマシになるかも知れない、彼方此方も、自分も含めて。

 

 

「ほ、本当に? でもでも屋上からだなんて、幾らなんでも高過ぎるし、大怪我したら大変だよ……」

 

 

「……直接飛び降りた訳でもねェ、大方、窓際伝うか木にでも飛び移ってンだろ」

 

 

現在の戦績は葵冬馬が直江大和を下し、Sクラスが一勝をリードする形となっているのだが、言ってしまえば此度の決闘は団体戦ではなく、Fクラスからのリベンジマッチという経緯が含まれる。

リベンジと共に選手を兼ねて立候補した風間翔一としては、ファミリーの一員である大和の敗北をも挽回したいという決意から常套手段は用いってはいられない事は察せてはいたが。

屋上から校門までどちらが先に着くか、という分かり易い決闘内容、迅速なる速さで階段を駆け降りる準とは裏腹に、翔一は屋上から飛び降りて校門を目指すというまさかの荒業を断行した。

 

そんな光景を前にすれば、十河の様に慌てふためいて勝負よりもまず翔一の心配をするのが当たり前、ではあるのだろう。

救急車でも呼ぼうと思い至ったのか、校則に従って切っていた携帯電話の電源を入れ直し、起動準備中のディスプレイにやきもきする少女の姿は、あまりにも眩しい。

クラスの殆どが勝敗に息巻く中、そういった姿勢を見せる事は、少なくとも自分には出来ない事だろうから。

 

 

「……まァ、うちのモンにあンま心配掛けンなってあの馬鹿には後で言っとく」

 

 

「……ぇ?……うぇ!? ひゅ、あ、えと、『うちの』ってその、あの……」

 

 

携帯を握りしめながら情緒の暗みが絶えない十河の面持ちに胸に詰まる物があったのか、溜め息混じりにフォローを入れる一方通行ではあったのだが、言葉選びに余裕の無さが浮き彫りになってしまう。

他に言い様はあったもののつい弾みから出た言葉を取り戻す機会は、あからさまに動揺してしまった十河の狼狽に掻き消えた。

 

目を白黒させて手振り足振りが乱れに乱れ、赤みが差し掛かるどころではなく、顔中に紅をひいたのかと錯覚してしまうほどで。

確かに暗みを取り払うことは成し遂げたのだろうけど、これでは本末転倒だと思わず空を仰ぎたくなった。

 

 

「……誤解を招く言い方だった、悪い。クラスメイトとして、って事だ」

 

 

「え、あ、え、う、うん! 勿論そうだよね、大丈夫、大丈夫だよ!」

 

 

「そ、そォですか」

 

 

勝負はいよいよクライマックスに差し掛かっているのだろうかヒートアップするオーディエンスを他所に、違う意味でクライマックスを迎えている十河の様相に思わず一方通行は狼狽を隠せない。

然り気無く添えられたクリーム色のカチューシャがずり落ちそうな勢いで捲し立ててはいるものの、心配になるほどに頷く彼女に、どうしたものかと眉間を揉む。

 

一度こうなってしまえば、一方通行に出来る事など限られていて。

日頃ワンポイントのヘアアクセサリーを変えたりする十河の趣味に何気なく気付いて、指摘序でに柄にもなく褒めた時も今と似た様相になってしまった過日を思い出して、肩を落とした。

 

 

「そ、その……ごめんなさい」

 

 

「……気にすンな、悪ィのはこっちだ」

 

 

別の意味で落ち込ませてしまった上に余計に気まずくなってしまった現状に、落ち着きなく足踏みを重ねる。

儘ならないモノこそ乙女心ではあるのだろうが、配慮の下手さには悪い方向に自信がある一方通行としては、妙にずしりと来る空気は少し歯痒い。

根底で求められている部分に彼自身気付いている節があるからこそ、歯痒いといえるのだろうが。

 

 

「……決着、ついたみてェだな」

 

 

不透明にも思えて、事次第に確信を抱かせる厄介さ。

そこに至る度に僅かばかりの爪痕が残る痛みを振り払う様に吐き出した苦し紛れに、目の前の少女は幸いな事に、俯かせ掛けた顔を上げる。

視線で促した先には、憤慨した様子の不死川 心に、昂った歓声を上げるFクラスの生徒達。

対照的に落ち込んだ素振りを見せるクラスメイト達の様相を一瞥すれば、どちらが勝ったかなど言うまでもない。

 

 

「……やれやれ、負けてしまいました。やはり魅せてくれますねぇ、彼は」

 

 

「それなら、悔しがる素振りくらい見せろっつーンだ。台詞と表情が一致しねェぞ」

 

 

参ったと云わんばかりに両手を挙げながら歩み寄る冬馬の表情には、一方通行が指摘した通りに、落胆した素振りの一つさえ見えない。

それどころか、いつもと変わらず他を魅了する甘い笑みを浮かべている辺り、此度の決闘は彼にとっては予測出来ていた事だったのだろう。

そこまで思い至り、そして冬馬の浮かべる笑みから普段とは決定的に異なるニュアンスを感じ取った一方通行は、舌打ち一つ溢しながら周りを見渡す。

唐突な舌打ちにびくりと肩を震わせた十河に申し訳なく思いながらも、どうやら他人の心配をしていられる状況ではないらしい。

 

 

焦懆に駆られる視線が追う先。

熱冷める様子もなく劇的な勝利に沸くFクラスの生徒達に、大なり小なり含むモノは違えど屈辱と悔しさを滲ませるクラスメイトの大半。

そして、今までの戦績に、対戦カード、そして現状。

 

これら全てが、冬馬のよって齎された布石だとしたら。

その布石は、誰に向けてのモノなのか、最早考えるまでもない。

 

 

「――さて、いやいや実に見事でしたね、Fクラスの皆さん。勝利こそ得られませんでしたが、僕としても風間君の健闘に思わず手に汗を握る程に盛り上がらせて頂きましたよ」

 

 

たった一つ、様々な波紋を浮かべる水面にたった一つ、小石を投げ入れるだけで波立つ泡沫を全て飲み込む。

大きくもない、勢いもない、けれど人の間を駆け抜ける静かな芯は、立ち処に熱気を静寂へと導いた。

 

両手を掲げる訳でもなく、胸を張る訳でもなく、柳の様に微かに立つ冬馬は、緩やかに穏やかに、けれど確実に場を一瞬で支配した。

 

 

「準も確かに善戦しましたが、我々の度肝を抜く荒業を見事成し遂げた風間君には及びませんでした。こればかりは、文句なしに完敗と言えますね。準自身も異論はないでしょう」

 

 

くどい程に持ち上げて、場の方向性を一重に掌握する。

云わば敵側の大将とも言える人物から出た完敗、という宣言に再び沸き立つFクラスの生徒達の中で、直江大和……そして、福本育朗はしとりと頬伝う冷や汗に、最悪のビジョンを思い浮かべた。

 

彼等の脳裏に過るのは、不死川 心が今回の決闘の果たし状を叩き付ける切っ掛けとなった、あの麻雀での事。

喜び、浮かれた育朗の足元から蛇の様に忍び寄り、風も捕らえれぬ刹那に喰われたあの敗北の記憶が、今と重なるのは偶然などではない。

 

 

「――ですが、そうなると困ってしまう事が一つ」

 

 

やってくれる。

苦虫を噛んだ、そんな慣用句がぴしゃりと当て嵌まる苦々しい面持ちを浮かべる一方通行の瞳は、オーディエンスに向けて漸く見えない牙を剥いた冬馬の背中を見据えたまま。

どんな形であれ、出し抜かれたという意味では、今回の勝ち星は冬馬に譲らなくてはならない。

 

――互いに抱え、奥底を理解し合い、けれど易々と気の抜けない隣人。

それが葵冬馬という、一方通行の認める友人であるのだから。

 

 

「風間君が勝利した事によって、戦績はこれで一勝一敗。しかし、これでは白黒はっきりと付かない所に落ち着いてしまいます。ここで打ち切りとしてしまえば、禍根を深めるだけの徒労として終わってしまうでしょう。それは、互いに望むところではない筈です」

 

 

一つ間を置いて、反応を窺う。

様々に表情は見え隠れするものの、冬馬の言葉に同調した者が殆どであった事で、彼は場のイニシアチブをも掌握した。

互いに引けない状況をも拵える辺り、抜かりもない。

 

自分が勝てなかった相手の実力の全貌をまざまざと見せつけられた大和は、大きく息を吐いて、冬馬を見据える。

一方通行を目標とする前に、改めて倒す必要のある壁を認識する事で、昂る感情を押さえ込んだ。

直ぐにでも其処に辿り着いてやる、そう意気込んで。

 

 

「フフ、やはり決着は付けておきたいのは僕だけではありませんでしたね。それでは、『今回』の決闘、最終ラウンドと行きましょうか」

 

 

一つ、掌を鳴らして。

踵を返して、珍しく恍惚とした笑みを浮かべる冬馬は、堂々と彼の名を呼んだ。

 

 

――では、後は宜しくお願いしますね、一方通行。

 

 

 

 

 

 

――

―――

――――

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

つまりは、まんまと出し抜かれたという訳である。

奥歯にモノを挟んだ心持ちで恨みがましい視線を込めれば、悠々として手を振り返してくれるものだから腹立だしい。

不死川 心の代行を何ら思巡なく受け持った冬馬に一抹の疑問を抱えはしたが、まぁいいかと気に留めず流したのは失敗だった。

 

これは云わば、デモンストレーションである。

一方通行という人間を動かすのならば、どういった状況作りに勤しむべきかという、冬馬なりの成功例。

思惑が今一つ掴めないのは癪ではあるが、彼の望む焦点に自分が当たっているという事だけは分かってしまうのは、つくづく腐れ縁というべきなのだろう。

 

 

「ほっほっほっ、よもやお前さんがこの場に立つ事になるとはのぉ。いや、動かされたと言うべきか」

 

 

「わざわざ笑いに来たのかよ、爺さン。流石老骨は、若輩の骨を拾いたがる。生き様に老いが見えてンぞ」

 

 

「やれやれ、年寄りに当たるなどまだまだ情緒が定まっとらん。体育系の指導が必要ならば、わんこーるで呼んでやるぞい?」

 

 

「充分間に合ってますンで、それは止めろホント」

 

 

飄々として砂利を弾く足音に混ざるしゃがれた声にむっつりと顔を歪めた一方通行を見て、どこか満足そうに目を細める川神鉄心。

決闘のレフェリーを務めるべくしてこの場に参じた彼ではあったが、その面持ちは非常に愉快そうに皺を寄せて、さながら孫の成長を眺める好々爺とも映る。

 

浅いとは言い難い、良好とはまた異なる、そんな間柄ではあるものの、鉄心には一方通行の押さえ所など充分に把握出来ている。

彼が逆らえない、逆らう気も起きない厄介な相手として認識しているとある体育系の少女の影をちらつかせれば、挨拶代わりの皮肉はいとも容易く引っ込んだ。

 

 

「どーしようかのぉ? 彼方側としてはまだまだお前さんの学校生活が気掛かりみたいでの、つい一週間前も伺いの手紙を送って来たぞ」

 

 

「……まだやってンのかよオイ、しかも手紙って。あンのポンコツ駄乙女、一ヶ月前も店に来たばっかりじゃねェか……」

 

 

「ほほ、愛されとるの」

 

 

「その愛が痛いンです、切実に」

 

 

駄乙女呼ばわりに及ぶ程、件の人物とは溝がある訳ではないし、寧ろ此方は兎も角、彼方は自分のどこを気に入ったのか善意好意を振り撒いて来る。それはもう迷惑とも思うほどに。

鉄心の指す手紙というのも、その人物が一方通行が健全とした学園生活を行っているか、という内容を確認する為に交わされているのだが、極度の機械音痴な彼女にはFAXや携帯のメール機能が使用できない為、前時代的な手法を用いているという余談もある。

 

まるで過保護な母親か何かかと鬱陶しがりもする一方通行ではあるが、嫌悪感を抱いているという訳ではない。

 

純粋に苦手なのだ、彼女の事が。

健康意識が高く、自意識は強い癖に、それでも包み込むように自分を受け入れる姿勢を自然として見せる、そんな優しさ。

 

――どこかの誰かの輪郭を浮き彫りにする、彼女の事が。

 

 

 

「……さて、与太話も此処までよ。準備の方は良いかの?」

 

 

「棄権してェとこだが、お宅の孫が睨み効かしてくれてるンでな。さっさと終わらせる」

 

 

「ほ、そうかね。では、『使用武器のレプリカも確認した』し、始めちゃおうかの」

 

 

「――ルール違反には、ならねェだろ?」

 

 

「うむ、『試合前には使用武器の公開』なんてルールはいちいち考えとらんかったしの、めんどいし」

 

 

カラカラと笑う癖に、纏う雰囲気は途端に武人のそれと変わる。

例え自らが闘う事はなくとも、戦いの場に立つのならば相応のスタンスで臨んでこそ武人。

川神学園長としての顔ではなく、武の頂点川神鉄心としての顔で。

 

だが、鉄心は統べからく正々堂々を望む、という訳ではない。

己が闘うとなれば拳一つで対峙するが常ではあるが、奇策、秘策、つまりは勝つ為の布石を敷く事に彼は概ね寛容である。

設けられたルールの裏を潜ってでも勝ちを取りに行く、そんな勝利に対する貪欲さこそ川神鉄心が若者に求めているモノ。

 

――飢えて欲せよ、勝利を。

 

川神学園の始業式、毎年新入生達に向けている言葉は、彼にとって紛れもない本心なのだから。

 

 

 

気怠そうに首の骨を鳴らしながら、向けられるクラスメイト達の声援にヒラヒラとやる気のない白い手を振って、真っ直ぐと此方を見据える金色の挑戦者へと向き合う一方通行の背中へ、鉄心は呼び掛ける。

闘いという舞台に立つ事を嫌う彼の心境もまた概ね察せれてはいるのだが、だからこそ、言っておかねばならない言葉があった。

 

 

――どうじゃね、川神学園は。なかなか、良い生徒に恵まれておるじゃろう?

 

 

返ってきたのは、微かな笑い声、ひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

――

―――

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

唇を噛む様に、或いは目を閉じる様に。

堪えるという事に不慣れな彼女が手探りで行き当たった表現は、取り合えず深呼吸。

呼吸は態勢の整えにはとても密接であり、募る鬱憤を無造作に破棄散らす事に比べれば、手探りなりにも正解を選べてはいた。

 

けれど、そこまで。

距離が開いて、何故だか踏み込んで来ない『最強』を見据えて、態勢を整えて。

冷静になり、活路を一つでも見出だす為に巡らせた思考が、奥底の憔悴に呑み込まれてしまう。

 

 

「――ッ」

 

 

憔悴が導くビジョンに連れ去られてしまいそうな、勝利の二文字を少しでも近くへと手繰り寄せる為に、クリスは疾風の如く大地を蹴る。

追い風に重なって速さを増した身体が作る、得意の構え。

憧れさえ抱く姉代わりの女性にすら見事と言わしめ、先日川神一子を降すに至った、クリスにとっての最上手。

 

けれど、それさえも。

最早霞んですら見えてしまう白い影を、捉えられない。

 

 

「――まだ、だ!」

 

 

切り裂いたのは風、しかしそこで動きを止めたところで光明は射し込まない。

自分の持つ最良の一撃すら容易く避けられた事に悔しさをまた一つ重ねても、敗北を手繰り寄せるだけで。

吠える様に吐き出した言葉を、どう捉えたのか少し緩んだ白い口元。

掻き消すように突きから繋げて振るう斜角の一閃も、捉えたのは空だけ。

 

一つ、二つ、三つ、四つ。

重ねて重ねて、目には見えないキャンパスに無数の線を刻んでは、其処に居る筈の白い影を追い掛ける。

塗り潰した剣閃を躊躇うことなく、次へと繋げなければ。

 

そうしなければ、証明が出来ない。

自分が貫く正義の形は、必ず悪を祓うのだと。

 

 

「やるじゃねェか、少し肝が冷えた」

 

 

どうして、どうしてなのか。

自分が遅過ぎるのか、彼が速過ぎるのか、何か絡操でもあるのだろうか。

 

――ひとつ剣を繰り出すその刹那、彼の紅い瞳はその軌跡すらも既に追っている。

 

 

「な、なんで……分かる、んだ」

 

 

薄ら薄らに気付いていたけれど、確信になればこれ程に崩れてしまう事はない。

一つ剣を振るう毎に、一方通行の視線は明確にクリスの剣閃の軌道を先読みしている。

それがどういう事なのか、例え彼が賞賛の意を示していても、ぬか喜びすら出来ない。

自分の手の内は、白い悪魔に全て見透かされてしまっているのだとしたら。

愕然となりながらも、聞かずには居られなかった。

 

 

夢から剥がれて落ちていくような錯覚を抱いたのは、ほんの僅かながらも申し訳なさそうに瞳を逸らす彼の仕草を見たからで。

そこに見え隠れする残酷な優しさが、彼岸とは圧倒的な差がある事を自覚させた。

 

 

「統計だ」

 

 

「…………は?」

 

 

行き過ぎた分かり易さは時として、無情なまでに混迷を誘うのだということを体現されて味わったクリスは、口元が半開きになるのを防げなかった。

突如として語りを持ち出した決闘者達にざわめく周囲の喧騒など、最初から耳に届いてもいないかの様に。

 

 

「この前のオマエと駄犬との決闘が有ったろ、其の時の動きを抽出してパターンを割り出した。後はオマエ自身のスペックやらさっきまでの動きやらその他諸々と統合して検証すれば、仮説を立てンには充分なンだよ」

 

 

「……そ、そんな理屈染みた話で――」

 

 

「理屈で何もかもをどうこうすンのが、俺の最大の武器で唯一の手段だったンだよ。胸糞悪ィ、クソメルヘンな話だがなァ」

 

 

去来する感情を無理矢理一つに括って吐き捨てる顔を見合わせる事なく、彼の語る言葉に誇張すらないのが寧ろどんどん現実味を帯びてしまう現状に、クリスは思わず顔を俯かせる。

決闘前の、戦乙女とさえ彷彿させる顔ではなく、見当たらない出口に茫然とする迷子の顔で。

 

 

 

――

 

 

表情は分からなくとも、曖昧ながらも相手の心情を察する様に成れたとしても、必ずしも利点ばかりに溢れている訳ではない。

どうしてやれば良いかと手段を模索しても、結局どうしてやる事も出来ない状況だってある。

 

それはどうにも歯痒さを感じずには居られないのだが、自分の経緯引っ括めて説明してやる訳にもいかない。

 

 

「……」

 

 

特殊というよりは異端なのだと自覚を招くには、流石に飽きが来る程に様々なモノを重ね過ぎた。

考えても見れば、目の前で立ち竦む少女に自分の世界の理解に追い付いて貰う方が無謀な話で。

 

例えば、彼女の振るうレイピアの速さと、音速を越えて飛来する雷撃、より速度に優れている方はどちらかと聞かれれば、答えを出すのに迷う者は居ない。

そして自分は、その雷撃すら些細とさえ思う程に凶悪な現象を数多く見て来たし、向けられもして来たのだ。

自分だけの現実が其処に作用していようが、していまいが、一方通行の中での順列に変動を与えはしなかった。

 

 

そして、何より。

『一方通行が師事している人物』は、クリスの実力を更に越えていた。

 

 

 

――

―――

 

 

 

――どっかの馬鹿に似て、大した根性してンな。

 

言葉尻だけ取れば、随分と挑発染みているとも取れる筈なのに、不思議と心が軽くなったとさえ思えたのは、単純なだけかもしれない。

けれど、そんな感傷もまた、直ぐに捨てる。

 

非常に困難な壁であるのは、最初から大和に聞いていた。

その上で挑むと答えた、その上で勝つと誓った。

だから、前を向くのを止めてはいけない。

立ち止まることは、何より正義に背くことになるから。

 

 

「――ィ、ヤァァッ!」

 

呼吸を這わせて、胆力と共に吐き出せば、より速く、より深く。

猛る嘶きと共に突き出した閃光が切り裂くのは、実体とは遠い遠い、白い影法師。

けれど、途切れる事なく空の旋律はピリオドを求めて幾つも幾つも、連なりを描く。

腕をほんの少しずらして速度を変えても、紅い瞳にいとも容易く軌道に追い付かれて、追い抜かれた。

 

 

「ハァッ!」

 

 

右から薙いで、左から払う。

突きと見せ掛け下から裂いて、薙ぐと偽り上から墜とす。

陽の跡をなぞる幾重の銀閃は、そのどれもこれもがまるで標的を捉えない、掠りもしない。

 

だというのに、どうしてなのか。

段々と口角が上がっていくのを、抑えられない、抑えたくないとさえ思ってしまうのは。

 

 

「次は……此処、だ!」

 

 

踏み込みを敢えて浅く、際どいラインから触れる程度の一閃。

少しでも近くへ、威力よりも確実な一打を求めた一振りはどうにも悪手だったらしく、今度は影法師すら掴めない。

ならば次は、深く踏み込もう。

幽かな白に近付く為に、確かな紅を振り抜く為に。

 

強矢の如く飛び込んで、下からの鋭く斬り上げれど、一人だけ時に置き去りにされた自分を少し離れて射抜く紅い瞳に、確かな安堵さえ覚える。

まだ其処に居てくれた、ならばもう一度其処に行こう、次はどう攻めようか。

気が付けば、堪えるつもりもない笑みが、いとも容易く表情から滲み出していた。

 

 

「ふ、ふふ……凄い、な……ッ、でもまだこれからだ !」

 

 

「オイオイ」

 

 

呆れた様に、紅い眼差しが瞬きを一つ。

どうしたものかと言わんばかりに空き手を宙へさ迷わせる一方通行だが、直ぐに口を閉ざしていた。

構わず踏み出して斜にレイピアを落とせば、あっという間に白は遠退いて。

隙を付くのも難しいのだなと、至極当然とばかりにまた一つ失敗を受け止める。

けれど、それでこそ、そう思わずには居られない。

 

 

不思議な感覚だった。

振れども突けども、一打すらまともに当てられないというのに、その先に結びつく悔しさは段々と薄れて、敬意にすら浮かんで、また一つ試せるのだとより一層に意欲が増していく。

 

沸き起こる感情は、喜悦に溢れていて。

間違いなく、クリスはこの刻を楽しんでいた。

 

そして。

 

 

「――クカカ」

 

 

美丈夫な顔立ちからは不釣り合いなのに、違和感なく似合っている歪な笑い声に、クリスもまた笑みを深める。

引き出せるかも知れない、彼の力をより深く。

それが出来れば、きっと自分はまだまだ高みを目指せるのだと。

 

目的さえ変わりつつありながらも、クリスはもう一度構えを作る。

負けるかも知れない、負けるのだろう、でも諦めやしない、絶対に勝てないと決まっている訳ではない 。

だからもう一度、否、何度でも剣を振るって見せよう。

 

――諦め立ち竦むクリスの姿など、誰よりクリス自身が見たくない。

 

 

「ハァァァァァ!!」

 

 

疾風に身体を重ねて、風すら穿ち殺す。

前へと、ただ一心に駆けて、遠い遠い白奏のピリオドへ。

引き絞った体躯を低く、溜め込んだ突きの衝撃を全て一点に置く為に。

 

咆哮と放つ渾身の突きは――呆気なく、影法師だけを突き抜けて。

 

 

――小島流、奥義――

 

 

微かに耳に届いたのは、自らに打たれた終点の宣誓。

 

刹那とも足りぬ間に感じられる刻の中で、いつの間にか離れた場所に立っていた一方通行が、懐から何かを取り出して。

それを認めた瞬間に、文句の一つでも言ってやりたくなった。

 

『統計』だけだと勘違いしてしまったのは自分だったけれども。

『武術』も出来るなら、最初からそれで闘いたかった、と。

 

 

 

「弓取り」

 

 

 

瞑目を一瞬だけ重ねて、一方通行が隠し持っていた鞭のレプリカが命を得た様に宙を這う。

突き出したままの態勢を戻す間もなく、中途半端に崩れた姿勢のクリスのレイピアを、黒い細蛇が喰らい、突き飛ばした。

 

クリス自身、もう何度振るったのかも分からないほどに酷使していた影響か、鞭の衝撃に耐えられる握力も残ってはいない。

けれど、それでも、と吹き飛ばされたレイピアの方へ走り出した、その刹那。

彼女の首筋を、ふわりと冷たい感触が包み込んで。

 

 

――やるじゃねェか、オマエ。

 

 

耳元で囁かれた様に溶けていくテノールの響きと、身体中で駆け抜ける淡い浮遊感。

今の感覚は何だろうかと思う間もなく、徐々に景色は移ろい、視点は蒼い空を見上げていく。

 

上がって、上がって、果てしない蒼の中で咲いた白に、理解を促されたようにも思えた。

感覚はないけれど、身体を彼に支えられているようで。

何度も臨んだ白い彼に色が染まり、景色がゆっくりと白に侵されていく。

 

 

――あぁ、途切れるのか。

 

 

意識を断たれたのだと、朧気ながらに理解して、心の中で吐息を溢す。

 

――叶う事なら、一太刀。

 

――掠らせる事ぐらいは、しておきたかった。

 

 

途切れ途切れの意識の中で、遠くから聞こえる決着の宣誓。

今更になって込み上げる仄苦い感情を持て余す中で。

 

 

 

 

 

――勝者、一方通行!!

 

 

 

 

 

 

悔し涙を流さずに済んだ事に安堵をしている自分に、クリスは苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

『藍より青し』――end.


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