星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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伍ノ調『Good Night Friends』

夕に暮れる千切れ雲の階段のグラデーションは言葉なき無機質の輪郭を見逃す事もなく浮き彫りにして、伸びたり縮んだり、闇を濃くした影を便りとして、静かな呼吸を紡いでいる。

校舎屋上の金網の五月雨、朱に焦がれた砂に浮かぶサッカーゴール、駐輪場に並ぶ自転車の群れ、時刻みながら群衆を見下ろす大きな時計の人指し指と親指。

 

 

茜が奏でて、無機質が謡う、夜に染まるまでの刹那に捧げるセレナーデに身を委ねる綺白の影。

白く長い髪が風に浚われて、河の流れの様に緩やかに軌跡を描く、夕暮れ時の流れ星。

触れれぬ筈の流星がすぐ側に、手を伸ばせば届く距離にある、そんな夢物語に熱を浮かされて、ヒラヒラと舞う髪を折れそうな程に儚い掌が追い掛ける。

或いはその姿は、友達を救ってと願いを叶えようと流星に請う、遠き昔の祈りの乙女に似て。

 

 

「……どォした、甘粕」

 

 

振り向いた紅い瞳が、猫の瞳とそっくりに丸々とした瞳孔を描いて、とても不思議そうに小柄な彼女の名前を呼んだ。

鍵盤の左側が紡いだ低音と、静寂の夜の波音を重ねた様な包みこむテノールが、甘粕真与の鼓膜にそっと揺らす。

 

空焦がす茜をそのまま映した大きく無垢な瞳が、じっと惚けていた心が目を覚ます動きと連鎖して、パチパチと瞬くと共に忙しなく泳ぎ出すが、染まってしまった頬の熱は変えられない。

 

 

「い、いいえっその、何でもないんです、何でも!お気になさらず、です!」

 

 

「お、おォ……なら良いンだが」

 

見惚れていましたと素直に言うのも恥ずかしいし、言われた所で彼としてはどうしようもないし、やっぱり友達の前でもあるので余計に恥ずかしい、と。

小柄な背丈、小柄な胸、高校生としては到底見えない体格を精一杯に使い、文字通り全身全霊で何でもないと否定している真与だが、寧ろ何でもないことは無いだろうと余計な疑いを持たざるを得ない。

 

しかし、無駄に追求する事もなく、狼狽えながらも取り敢えず流す辺り、一方通行も彼女相手には甘い対応になっていた。

それはやはり、小柄な相手には強く出る事が出来なかった遠い星霜の経験によるものか、料理のレシピを提供し合う間柄故の、彼なりの分かり難い友情なのか。

 

 

けれど、そんな彼の足元ですすり泣きながらも呻く少女よりは、扱いの違いが顕著であるのは間違いないだろう。

 

 

 

「ねぇシロぉ……そろそろ腰が痛いんだけどぉ……私にだって悪気はなかったのに、酷いぃ……」

 

 

「……あァン?シロォ?誰の事ですかァ?」

 

 

「んひぃ!……す、すいませんでしたアクセラさまぁ……」

 

 

「略すなクソ犬」

 

 

「あっ、あっ、ぐりぐりはやめてぇ……ごめんなしゃい、一方通行さま、アタクシが悪かったです、許してくだしゃい」

 

 

仰向けに寝転んで、小振りながらも健康的な色香を漂わせる胸の上に『私は頭を整形したいです』という、見る者が見れば、整形しても手遅れなのでは、と燐憫の眼差しを向けそうな言葉が殴り書きされたプラカードを掲げた、川神一子の哀願は、けれど聞き入れられず。

黒い靴下に包まれた骨張った足の裏側で、一子の柔らかそうな腹を絶妙な力加減と共に踏んでいる一方通行の冷笑は、ますます一子のなけなしの自尊心を容赦なく嬲っていく。

彼の温情なのかはさておいて、幸い靴を履いたままではない事が救いにも見えるが、靴下の柔らかな布の擽ったい感触と硬い骨の痛い感触との板挟みが、絶妙に屈辱感と劣等感を与えているので、寧ろ救いがない。

 

 

放課後の屋上で、夕陽を背景に行われている躾を目の当たりにして、一子のクラスメイトである源 忠勝、甘粕 真与、そして小笠原 千花、以上三名は、何とも言えない複雑な心持ちで、白い悪魔の調教っぷりに舌を巻いていた。

 

 

一方通行の浴衣姿ばら蒔き事件、風間ファミリーの面々の内、犯人に大体の目星を付けていた彼の予測通り、発端となって千花に浴衣姿の写真を提供したのは、やはり川神一子であった。

もう一人の目星である師岡卓也は、生来の慎重な性格も手伝って、写真を漏らそうものなら地獄の制裁が待っている事など最初から分かっていたし、若干意識している天使にも悲劇が訪れる可能性を考慮していたので、初めから写真のデータを消すという英断までしている辺り、見事な危険回避能力である。

 

しかし、天使に訪れる悲劇まで防ぐ彼の心意気は、川神一子によって儚くも無駄になってしまった訳だが。

 

 

「……あ、あの、一子も反省してると思うから、出来れば許してあげて欲しいんですけど……」

 

 

「そ、そうですよ一方通行くん、流石にそろそろ可哀想になってきましたし……」

 

 

「ふ、二人ともぉ……」

 

 

しかし、心優しき甘粕真与は兎も角、写真を拡散させる要因となってしまったが真与の懸命な努力と、当人の反省もあって誠心誠意の謝罪のみで許された小笠原千花も、友人である川神一子を流石に気の毒に思ったのか、温情の措置を求めて声を挙げる。

 

魔王もかくやと思える一方通行に恐る恐るではあるが自分を案じて意見する二人の友に、一子の目頭が熱を帯びた。

 

 

「アタシも、その、本当に反省してるんです……ち、千花ちゃんと一緒で、一方通行のカッコいいとこ独り占めしたくないなぁって……」

 

 

「ほォ……そこんとこ、どォなンだね、忠勝クン?」

 

 

「……まぁ、爆笑してたらしいな。直江が言うには」

 

 

「た、たっちゃぁぁぁん……そんなっ、そんなぁぁぁ……んあっ、痛い、痛っ、ご、ごめんなさいごめんなさぁぁぁぁい……」

 

 

けれど、事前に福本育郎から、彼女が携帯を片手にこのシロ、ホント女の子だわ、と爆笑していたという情報を入手していた彼に、余計な一歩を踏み込ませた代償は高い。

 

時に踵をアクセントにして体重を掛けていく鬼畜の所業に、何故だか少しアダルトに身悶える一子の絶叫に、精悍な顔付きを痛ましそうに歪めた美丈夫が、ついに重い腰を上げた。

 

 

「……一方通行、その辺りで勘弁してやってくんねぇか。こんなでも昔馴染みだ、情けねぇ姿をいつまでも晒したままってのは流石に忍びねぇよ」

 

 

「……だ、そうだが、クソ犬?」

 

 

「うぅぅ……はい、もうしません、シロのこと笑ったりしません……反省してますぅ……」

 

 

「……この期に及ンでシロ呼ばわりなのはオマエがバカだからって事に免じて聞き逃してやる。忠勝に感謝しろよ」

 

 

「はいぃぃ……うっ、うぅぅ……たっちゃぁん……」

 

 

「おまっ、ばっ、一子!せめて汚れ落としてからっ……な、何顔擦り付けて……おいコラてめぇ一方通行!ニヤニヤしてんじゃねぇよ!」

 

 

幼馴染みであり、実は長年の想い人でもある一子の情けない姿に助け船を出さざるを得なかった忠勝の言葉に、仕方ないといった風情で彼女を解放する。

一方通行を怒らせてしまった事を自覚してから、放課後までずっと姉やファミリーの面々に泣き付き脅えていた彼女が、長い長い屈辱を乗り越えた感銘からか、脇目も振らずに自分を助けてくれた忠勝へと抱き付いた。

 

硬くもしなやかな筋肉に包まれた、その腕に抱かれたいと思う女生徒も多い忠勝の身体に腕を回して、泣き言と共に頬を緩める一子の残念な頭脳では、想い人と思わぬ形で密着する事になった男の動揺など理解など出来ないのだろう。

というか、一方通行への恐怖心の反動も手伝ってか、洗剤の香りと、太陽の様な暖かな香りが織り混ざって非常に安堵の心地が満ち満ちて、仔犬の如く嬉しそうに顔と鼻を擦り付けている辺り、余計に質が悪い。

 

 

「うぅ、落ち着くわぁ、この匂い……たっちゃん、ほんとありがとう」

 

 

「ば、バッカかてめぇは!勘違いすんな、てめぇのメソメソした姿なんざ見たくなかっただけだ!」

 

 

 

普段は一方通行に負けず劣らず仏頂面ばかり浮かべている彼が珍しく赤面しながら、寧ろ勘違いしろと言ってる様な台詞をテンパって叫んでいる様相を眺めていた千花は、あーはいはい成る程と、彼女の憧れる所謂イケメンの一角である男の心の矛先を察して静かに嘆息を零す。

そして、甘粕真与は、友達である一子と、時折身長のハンディキャップによって苦労している真与を、さりげなく手伝ってくれる忠勝との仲睦まじい姿にほっこりと。

 

優しく微笑む彼女の大きな瞳がすすっと隣へと移ろえば、さながら計画通りと謂わんばかりに笑みを浮かべる一方通行の横貌が、酷くご機嫌に輝いていた。

 

 

 

 

――

―――

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

誰に責められている訳でもない、誰かに責められる謂れは……日頃の行いが原因で責は有るだろうが、少なくとも高慢な不死川 心からすれば、そんな責は微塵も感じていない。

 

白亜の眩しい長い廊下には、教室へと向かう生徒達の雑踏に溢れて、そんな矮小な者共の中を掻き分けて、優雅に歩を進める、それが不死川 心のフィルター掛かった華々しい学園生活の最初の恒例行事の、筈だったのだけれど。

 

 

「……うぅ」

 

 

責める訳でもない、責められる訳でもない、しかし、歩く度歩く度に群集の視線が、それも普段と全く異なるニュアンスの含まれた視線ばかりが振り向いて、見送って。

過ぎ去る度にどこか惚けた男子生徒の溜め息が、どうしてか、とても心を掻き乱してしまう。

自画自賛はお手の物、麗しい存在である自分に見惚れる事など当たり前と、どうしてか、そう思う事が出来ない。

 

 

羞恥心に染まった赤い頬、他の生徒達には見られない、不用意に肌を晒さぬべく特別仕様で作らせた膝より下まで卸されたスカートが、隠れた清純さを際立たせて、普段二つに纏めている髪もストレートに流して、余り眠れなかった為にほんの少し腫れぼったい目元に、好奇の視線に晒されて縮こまりながら歩く小者らしさ。

ピッチリと彼女の華奢な曲線を浮き彫りにする川神学園の白のブレザーの隅っこと、ヒラヒラと揺れる紺のリボンを不安そうに握り締めながら歩く彼女に、普段の高慢さの欠片も見当たらない。

 

制服を着て歩く、たったそれだけ。

ただそれだけなのに無性に恥ずかしいと感じるのは、きっと集まる視線の半数以上が、悪意を孕んでないからだと、可憐な姿でチョロチョロ歩く彼女は気付いてはいた。

 

 

「きょ、教室が遠いのじゃ……」

 

 

不死川 心といえば、高慢、傲慢、高飛車、泣かせたい女ナンバーワン、そして見飽きる程の振り袖姿。

昨日の一件で彼女が制服を着てくるという事前情報を得てはいたが、これ程までの印象の違いは、普段の彼女を憎々しいとさえ思う生徒達の心を震わせ、それが余計に不死川 心の動揺に拍車を掛けた。

俗に云うギャップ萌えである。

 

 

「あぁ……ホントに着て来たのね……」

 

 

「あれ、不死川かよ……なんか、可笑しいな、可愛く見える」

 

 

「アイツが……数少ない清純系の一角だった、だと……」

 

 

前から、後ろから、左右から、談笑に混じった囁き声や、わざわざ教室から出てきてまで彼女の制服姿を見物する者達の、心からすれば予想外の好反応。

身から出た錆とはいえ、常に悪感情を向けられ続け、それを格式高い自分への嫉妬だと奮起していた彼女は、向けられる視線の意図に戸惑うばかり。

 

 

長いスカートに、雪の麗白を貼り付けた美しい肌に、大和撫子を彷彿とさせる濡れ烏羽色の漆黒の髪と、恥じらいの朱を化粧代わりに添えた可憐な顔立ち。

高慢で腹の立つ彼女の言動ばかりが目について、心の容姿に対する評価にフィルターを通して見ていれば、今の彼女は遠い幻とすら思える。

 

 

「お、おはよう……」

 

 

「……ぇ」

 

 

だからだろうか、今の彼女が朝霧の魅せる蜃気楼なのかを確かめるべく、けれど顔を赤らめながら声をかけた、彼女の知らない別のクラスの男子生徒。

小さく微かで吃りがちだけれど、確かに聞こえた短い挨拶に、よもや声すら掛けられるなんて思ってもいなかった心は、幼さの滲むアメジストの瞳を唖然と見開いた。

 

おはよう、たった四文が、彼女の真っ白になった脳裏を何度も何度も、グルグルと軌跡を描いて反芻していく。

堅苦しくもない、彼女の家に遣える使用人たちと比べれば丁寧さなんてない、フランクな挨拶。

川神学園入学式以来、一度として交わされる事のなかった、不死川 心が隠して望んでいた、憧れ。

 

 

あぁ、それを今、されているのか。

だったら、返さないと。

ええと、ええと。

 

 

くるりくるり、巡る巡って顔を俯かせた心は、短いようでとても長い沈黙のあと。

 

 

「……ぉ、はよ……なの、じゃ……」

 

 

いつもの様に不遜で高飛車に、相手を見下ろす余裕など、彼女にはない。

耳まで真っ赤にして、相手の顔をまともに見る事すら出来ない可憐な乙女の、イジらしい精一杯の小さな挨拶。

 

 

「……は、はい」

 

 

「……っ」

 

 

思わず敬語になって茫然と放心する男子生徒のリアクションにどうしていいか分からなくなって、目をひん剥いて彼女を見る有象無象の同級生達の波を急ぎ足で駆け抜ける。

まるで、ラブレターを渡して、赤く染まった顔を両手で隠しながらそのまま走り去って行った、現代では天然記念物といえる純情少女を見送るしかない少年は、誰が見ても恋に落ちていた。

 

 

「これが……アクセラマジックッ……!」

 

 

偶々その場面に遭遇した直江大和のとんだ的外れな呟きすら置き去りにして、転び兼ねない足取りの覚束なさを何とか繋ぎ止めて、何とか辿り着いた教室へと続く扉。

こんなにも大きな扉だっただろうかと、百は当の昔に越えた程に潜ってきた扉がいつも以上に重く巨大な威圧感を醸し出すのは、きっと張り詰めそうな心臓の鼓動が答えを教えてくれるだろう。

 

けれど、教室の前で立ち尽くしていればどんどん集まってくる視線とざわめきから背を押されて、いつまでも立ち尽くしている訳にも往かなくなった彼女は、無駄に勢いよく扉を開ける。

 

絹を裂くような鋭い音と共に登場した、制服姿の不死川 心。

扉の音でクラス中の注目を同時に集めてしまって、自らの失敗を悟る彼女に、クラスメイト達の反応は実にバリエーション豊かに溢れていた。

 

九鬼の主従ペアは驚いたリアクションを取りながらも快活に笑う主人と、斜めからの切り込みで奇妙なヨイショをする従者という、彼等らしさに。

 

いつも馴染みの三人組は、実に良い笑顔を浮かべる褐色肌の美青年と、光輪に頭を輝かせてニヤニヤとした笑みを浮かべる坊主と、普段と変わらない笑みで彼女を見詰める白い仔猫という、明らかに前半二名は事情を察していますといったスタンスで。

 

驚く者、見惚れる者、羨む者、落ち込む者。

 

見渡せば、皆が皆、彼女を見つめていて。

 

 

「――なンだ、ちゃンと制服持ってたのか」

 

 

気怠そうな紅い瞳がスッと細くなる仕草。

頬杖をついたまま、どこか残念そうな声色の癖に、愉快そうに吊り上がる薄い唇が、心には何故だか酷くゆっくりと、一句一音がスローモーションに見えて。

 

いつもいつも、朝一番に声を掛けても、最初だけは無視をして、飽きるまで粗雑に扱う癖に、何だかんだで優しさを散らつかせては無駄な期待させる癖に。

 

こういう時だけ、彼から先に声を掛けるのは、いっそ卑怯じゃないか、と。

 

 

「も、持ってなかったらどうだと云うのじゃ……」

 

 

「契約違反という事で、今回の件はなかった事に」

 

 

「鬼かっ!」

 

 

「あァ、割と。オマエ限定で、だが」

 

 

「知っとるわ!いっつもいっつも此方にばっかりイジワルな事ぐらい!というか、もっと他に言うべき事あるじゃろ!」

 

 

先程までの御淑やかな雰囲気を、眉一つ動かさぬまま放たれた憎まれ口がいとも容易く切り裂いて、目下の美丈夫の意地の悪さに、いつもの如く憤りを露に引き出された。

 

どこか恒例染みた粗雑な扱いは、服装一つでは簡単に変わってはくれないと思ってはいた心だが、少なからず期待してしまった結果が此れであるのだから、つくづく思い通りに動いてはくれない。

まるで心の想定を避けて行動する事に明晰な頭脳を行使しているのではと勘繰りたくなる程で、制服姿の自分を誉める訳でもなく、貶す訳でもなく。

 

 

「言うべき事……あァ、髪切ったな」

 

 

「せめて髪を見ながら言わんか!壁見ながら何が分かるのじゃ貴様は!これは、使用人が下ろしてみた方が良いって……」

 

 

「スカート長ェなおい」

 

 

「だからなぜ髪を見ながら言うのじゃ!ワンテンポずらすな!わざとじゃろ、絶対わざとじゃろ!」

 

 

その細く長い掌で、気紛れに撫でては暖めて、此方が強請ればそっぽを向いて気付かない振り。

彼方此方に転がして弄んで、気が済んだら放置するして、此方が落ち込んだ時を見計らっていつもいつも。

 

 

「……まァ、案外似合ってない訳でもねェか」

 

 

こうやって、必要以上に期待させる。

そんな、いつもの御約束。

少しだけ、楽しいと思っていたりするのは、絶対に口にはしないけれど。

 

 

「な、ななな……いきなり誉めるでない!あ、いや、誉めるなという意味ではなくてじゃな……」

 

 

「クカカッ」

 

 

あわあわと毎度の様に余裕なく舌が絡まり、言葉が空回りして、主導権に手を伸ばしてもより高くへと掲げられて、跳ねても背伸びしても、触れる事すら出来やしない。

そんな惨めな彼女を宥める様にスッと伸ばされた掌が、ポンと一瞬だけ彼女の熱を孕んだままの頭を撫で付けて。

 

細めた瞳に幽かな温もりを添えて、特徴的で独特な笑い声が、心の鼓膜をそっと擽った。

 

 

「どォだよ、いつもと違ェ格好は。普段通り何も変わらなかったか?」

 

 

「ぅ……いや……そうじゃの、全然違った」

 

 

「そォか。どォいう風に違ったよ?」

 

 

「その……他のクラスの……知らぬ、ヤツから……挨拶、されたり……」

 

 

流麗にするすると、どこか幼子に童話の絵本を読み聞かせる様な、出来の悪い生徒にもめげず一から十まで丁寧に紐解いて説こうとする教師の様な、柔らかいテノールの問い掛け。

辿々しく、彼女にとっての未知を口篭りながらも、要所要所ではきちんと音として紡ぐ姿を、茶化したり、馬鹿にしたり、嗤ったりしない。

 

どれだけ時間を掛けても良いからちゃんと答えろと、言葉に行き詰まっても、仄かに灯る紅い瞳に自然と促されていく不思議な感覚を、胸の奥底で心地良いなと、目を細めたくなる。

 

 

「……ンで、どォ思った。うぜェな『山猿』が、ってか?」

 

 

「なっ……ん、いや、そんな事は、そんな事は思うておらん……」

 

 

冗談混じりでからかいを挟んだ彼の言葉が、やけに鋭利な痛みと共に深く深く、心に刺さった。

ジワリと広がる冷たい血液の感触に胸を抑えそうにもなったが、それよりも、自分でも気付けない内にするりと、見えない彼の手に拐われた本音が反芻して、動きが止まる。

 

どうしてか、先程、あまりに幼稚で不器用な挨拶を交わした同級生を山猿と呼ばれる事を不快と思ってしまって。

それは、普段彼女が高慢に見下ろしながらぶつけている蔑称に違いなかったのに、胸に詰まる。

 

そう、確かにあの時。

慣れない好奇の視線に脅えていたから落ち着きもなく、誰から見ても下手くそではあったものの、挨拶を返せた時、心は。

 

 

「……まぁ、偶には……制服も、悪くないの、と……思った」

 

 

ほんの少し、それこそ蜃気楼の様に幽かだったけれども。

笑っていた、直ぐに羞恥に掻き乱されて消えてしまったけれども、彼女自身も気付かぬ内に。

刹那の中でそれを見る事が出来たのは、あの男子生徒だけではあったが。

 

 

「つまり、悪くねェ、面白ェってことだ」

 

 

「む、ぅ……一々掘り下げるでない。趣味の悪い男め」

 

 

分かり易く言葉を拾いながらも、どこか愉快そうに喉で音を転がす白貌に、いっそ鈴でも転がしていろ、と猫に例えて悪態をつく。

けれど、彼女から逸らされない紅い瞳に浮かぶ、その緩やかに包み込もうとする優しさは、心の敬愛する父親の眼差しと良く似ていて。

もしかすると、彼が本当に教えようとしている事は、最初からファッションなんかじゃなくて――

 

 

「まず自分が楽しむ。相手に見せて、見られて、その反応を楽しむ。周りをアッと言わせてやりてェ、少し違う自分を見て貰いてェ、それがファッションの心構えだ。季節感、組合せ、ンなもンよりも先ずはそっからなンだよ、オマエの場合」

 

 

どこかの売れないデザイナーが雑誌コーナーの片隅にでも書いてそうな、有りふれた、けれど真理を付く言葉。

ファッションだけではなく、彼女が習う華道や茶道でも通ずる、至極当たり前のこと。

そんな事、言われなくとも分かっている筈だったけれど。

 

ただ、一方通行が友達になってくれるかも、という理由だけで学ぼうとした彼女は、それで自分が楽しめるかどうかなどまるで考えてはいなかった。

だから雑誌の内容など学ぼうと思っても頭に入らないし、興味も続かない。

まず、ファッションを楽しむ経験が、圧倒的に少ないのだ、不死川 心には。

 

 

散々動揺して錯乱したが、要するに嬉しかったのだ、周りの反応が。

そこから更に挨拶される事になるとは、きっと彼ですら想定外だったのだろうが。

 

 

「……そういうもの、かの」

 

 

「そォいうもンだ。なァ十河?」

 

 

「へっ?……えっ!えぇぇ!わ、私!?え、えっと……う、うん。そう、私もそこが大切だと思うよ、不死川さん。自分の趣味を誰かと共有するのも、楽しいし」

 

 

茶化すにしては入り込めない、寧ろ彼の言葉にどことなく感銘を受けながらも黙って聞いていたクラスメイト達の中で、突然名指しされた十河は心臓が飛び出そうなくらいに狼狽した。

日頃からヘアアクセサリーには多少拘っている彼女だからこそ一方通行は指名したのだが、寧ろ彼の言った、少しの違いでも見てほしい、というフレーズの、見て欲しい誰かの当人からの突然のパス、動揺するなというのが無理な話である。

 

しかし、些細なことにも気を配れる心優しい乙女である十河は何とか狼狽えた心境を持ち直すと、橙色のコームカチューシャにそっと触れつつ、花開く笑顔を添えて彼女なりの言葉を送った。

 

 

「むぅ……なる、ほど……」

 

 

「ふふ、いきなりは難しいと思いますが、頑張って下さいね、心さん。しかし、一方通行にしてはなかなか珍しい一手を指しましたね」

 

 

「フハハハハ、寧ろ我から見れば貴様がそこまでファッションに造詣が深い事に驚いたぞ!どうだ、今度我にも一つコーディネイトを授けて見ぬか?」

 

 

「じゃー僕はいっつーの服選ぶー!ピンクとか似合うよねぇきっと」

 

 

「こらユキ、いい感じに自殺行為に出ない。下手に似合ったりしたらどう責任……あ、いや、冗談だ。睨むなって一方通行」

 

 

十河の言葉をまだ上手く噛み砕けないのか、難しそうに、けれど何とか頷いて見せた心の様子に、思惑を上手く填めたなと微笑ましそうに冬馬が合いの手を入れた事を皮切りに、途端にクラスは騒がしさを取り戻す。

 

ホームルームの時間まで、あと暫くは残っている。

 

時折笑い合い、時折静かな罵声がロリコンを責め、時折マシュマロが飛び交う慌ただしい喧騒の中で。

 

 

――まず自分が楽しむ。

 

――趣味を誰かと共有するのも、楽しいし。

 

 

その2つの言葉が、仄かな熱を持って心の脳裏でいつまでも響いていた。

 

 

 

 

―――

―――――

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

更衣室に備え付けられた淡い照明の電光の呑気さとは対照的に、不死川 心の心のランプは不安げに点滅を繰り返した。

等身大に聳える鏡に立つ自分の姿に、酷く違和感を覚える。

袖口シースルーと呼ばれる、心からすれば袖口の意味しか分からない上着と、スカイブルーの強い配色の、リボンを巻くタイプのスカートとやらを一方通行に渡され、取り敢えず着替えて来いと言われたので着てみたの、だが。

 

分からない、服の良し悪しなど分からないからこそ、率直な感想はそれしか思い浮かばない。

店内でマネキンが着ていたシースルーという方は何となく良いなと思ったものの、実際に着て見れば、これは似合っているのだろうかと、判断に迷う。

 

まだか、と問う一方通行の声と、急かしてはいけないと制止する『もう1人』の声。

慌ててつい、直ぐに出ると宣ってしまった彼女は、もう一度鏡で確認してみて、やっぱり分からないとしか思えなくて、破れかぶれ気味に更衣室のカーテンを開けた。

 

 

「ど、どうなのじゃ?此方には、よく分からん……」

 

 

「うわぁ……印象が全然違う。すごく大人っぽくて綺麗だよ不死川さん!というか、ウエスト凄く細いんだね、羨ましい……」

 

 

「……ン、若干服に着られてる感はあるが、思ったより填まったな。肩の力抜け、オラ」

 

 

「わ、分かったからそう急かすでない!」

 

 

腕から袖口までが透けて見えるタイプの黒のシースルーに、爽やかな春の空を映したスカイブルースカートのウエストに巻かれたリボン、黒のストッキングに濃いブラウンのブーツ。

コーディネイトとしては大学生寄りで攻めてみたが、此れは此れでと満足そうに頷く一方通行と、どちらかと言えば可憐な顔立ちの心がスッキリとした歳上のような印象を抱かせる事に、興奮気味の十河は随分と評価してくれてるらしい。

そして、どうやら好反応を示してくれたのは彼ら二人だけではなく、周囲でチラホラと居る他の客の視線も集めていた。

 

 

シースルーの黒と独特のシックさは首回りと時折見える細く白い肌を大人びたコントラストを演出し、メインとして据えたのは大きなリボンが目を惹かせるスカートは膝より上の、少し短く見えるタイプで、リボンで目を惹いて彼女細いウエストをより強く強調する。

バストもヒップもそこそこで好き好きが別れるのだが、ウエストの細さは大きな武器になるスタイルの彼女には、トップの服よりアンダーの印象で攻める方が綺麗に見えると真顔で語っている一方通行。

 

さらに本来は生足で魅せるのが通例のスカートに黒のストッキングでアダルトさと心に足りない色香を演出し、足下はアンダーの印象を殺し過ぎないブラウンを添えた。

セクシーさが足りないと暗にそう言われている様なものだが、鏡で棒立ちしている彼女の耳には幸い届かなかったらしい。

 

 

「む、難しいのう……それにしても、このシースルーというのは、何だか落ち着かんのじゃ。ちょっとスースーするし……」

 

 

「ンなのは放っとけば慣れる。十河、オマエとしてはどォだ?」

 

 

「うん、大人の春物ってテーマが分かり易くていいと思うな。トップと足下が黒だから、スカートのリボンに絶対目が行くし、色も可愛いよね。髪も下ろしてるからいつもより大人っぽく見えるし、うん、私は良いと思う」

 

 

「ストッキングは挑戦し過ぎたかとも思ったンだが、寧ろガキらしいコイツの顔と調和してバランス良く収まったな。後は白のハンドバックでも持ってりゃ完成だ」

 

 

「私は不死川さんになら可愛いコーデをまず持ってくると思ってたから、正直意外だったなぁ……」

 

 

「あァ、勿論ソッチ系の分も考えてるが、先ずはコイツとは真逆のコーディネイトでイメージを真っさらにしときたかった。ウエストもそォだが、コイツ何気に脚も長ェし、そこをメインにするかで印象を変える……要は実験だな。出来もまァ悪くねェし、魅せ方の一つとしてコーディネイトの幅も広がったろォ」

 

 

「高校生っぽくないけど、少し背伸びした感じが可愛い印象も魅せれるね。ギャップ……って事かぁ。べ、勉強になる……あ、じゃあ次は王道に可愛い系?」

 

 

「ンーそォだな、取り敢えずは基本で纏めて、たまに攻めて見る感じで。取り敢えず最初はワントーンで行くか」

 

 

「な、何じゃ、柄にもなく褒めよってからに……というか、此方完全に置いてけぼりではないか……」

 

 

まるで延々と呪文を唱えられている様な、いつになく流暢に良く喋る一方通行と十河の褒め言葉に舞い上がりそうになりながらも、1人置いてけぼりの有り様に苦言を申したが、どうやら聞いちゃいないらしい。

 

取り敢えずコーディネイトとやらが好調に進んでいる事は分かるのだが、ファッションについての知識が皆無である心はついつい緊張気味になってしまう。

借りて来られた猫、という程ではないにしても大人しく縮こまった心は、普段よりも幾分か話を弾ませる二人を、ちょっと面白くないと思いながらも眺めているしかなかった。

 

 

普段と違ってざわざわとした周囲に終始落ち着かない心境で放課後を迎えた彼女は、約束通り一方通行にファッションというモノを教えて貰いに街へと出陣、とはならず。

女性としての意見も欲しいからと、若干有無を言わさせず連れて来た十河も二人に同行すると心へと説明。

 

 

二人きりという状況では無くなって、がっかりした様な、寧ろ少しホッとしたような、複雑な心境である彼女に気まずそうに謝る十河の姿に、寧ろ複数の友人と御出掛けなるシチュエーションは心としても嬉しいやら恥ずかしいやらではあったので、拙い言葉遣いながらもアッサリと同行を認めた。

てっきりデートなんだと思ってはいたが、一方通行に着いて来てくれと頼まれては断れない十河は、高慢な印象の強い彼女が顔を赤らめながらもすんなり同行を許してくれた事に不思議に思いながらも、本当は優しい人なんだなと、心に対する少しながらの苦手意識を払拭していた。

 

朝から終始落ち着かず、どこか大人しかった心に多少ながらも好印象を抱いていたからこそ、という下地も影響していたし、折角のデートを邪魔してしまうかも知れないと頭を下げれば、慌てながらも、良いから自分達に着いて来いと、素直じゃない言葉遣いで十河を促してくれた彼女の真っ赤な顔は、可愛い人だなと思えて。

心の意に介さぬところで、ちゃっかり彼女の株は上がっていたりするのだから、なかなかの豪運である。

いたりするのだから、なかなかの豪運である。

 

 

「良し、取り敢えず制服に着替えて来い。その後、オマエの残念な頭にも分かる様に説明しながら服選びってのを教えてやる」

 

 

「誰が残念な頭じゃ!毎度一言多いヤツめが……」

 

 

「ま、まぁまぁ、不死川さん落ち着いて……ところで、小物とかもあるみたいだけど、そっちはどうするの?」

 

 

「小物はオマエの得意分野だろォ、そっちは任せる。良さそうと思ったヤツがあれば持って来い、組み合わせの参考にもなるしなァ」

 

 

「ぅ……ちょ、ちょっと自信ないけど、頑張ってみる。不死川さん、髪も凄く綺麗だし、似合うモノも色々多そうだよね」

 

 

「こ、此方を置いて話を進めるなと……ま、待つのじゃ、直ぐに着替えるから、ちゃんと待っておれ!」

 

 

褒めたかと思えば憎まれ口をサラリと挟む一方通行に噛み付きながらも、渋々更衣室へと引っ込む心。

ファッションについて未だ難しそうに悩む彼女に、どうやら一から教えながら服選びをする流れへとシフトするらしい。

加えて、十河も十河なりにプレッシャーを感じながらも協力してくれるようで、何故だかその事に自然と安堵の息が零れる。

 

 

当初とは予定が変わったが、不思議と現状に不満は抱かない。

いつもの様な高慢な言葉や態度は自然と鳴りを潜めて、素直にはなれないながらもどこか、友人達とのやり取りを楽しむ、彼女が心の奥底で憧れていた光景に、自分が今、混ざっている。

 

いそいそと急かされた訳でもないのに早く着替えようと更衣室のハンガーに掛けていた、まだ真新しい制服を手に取ろうとした心が、ふと視線をずらせば。

鏡の映る自分の表情は、とても素直な笑顔を浮かべていた。

 

 

――まず自分が楽しむ。

 

 

フワリと胸の内が暖かくなって、朝に一方通行が優しい眼差しを浮かべながら紡いだ言葉。

気付かぬ内に笑顔を浮かべている自分は、今、楽しんでいるのだろうか。

 

 

――趣味を誰かと共有するのも楽しいし。

 

 

別に置いていかれるという事はないのに、少しでも早く彼ら二人の話を理解出来るようになりたい。

理解して、共有したいのだと、他ならぬ彼女自身が思っているからこそ、早くしなくてはと、焦燥に駆られてしまう。

 

 

「……何をにやけておるのじゃ、此方は」

 

 

嬉しそうに、楽しそうに。

鏡に映るいつもと違う自分が、全く別の誰かにすら見えて。

けれど、高貴さなど一つとして感じさせない格好をしている癖に、今の自分は嫌いになれないとすら思えて。

 

 

無性に恥ずかしさが込み上げながら、誰に聞かせる訳でもない独白を一つ零しながら、彼女はそっと苦笑を落とした。

 

 

 

 

――

―――

 

 

 

少し電話をしてくる、と。

 

 

本日五度目の服選びを中断しつつ、やけに面倒そうに携帯電話を見ながら席を外した一方通行の、高い背中を見送って。

どうやら何処かしらからの着信があったようだが、遮る事もしようとは思わず、直ぐに気を取り直して手に持った白のカーディガンを見詰めて考え込む十河の真剣な横顔をそっと一瞥する。

一方通行に連れて来られた形となったが、きっちりと心に協力してくれるのは何故だろうかと、今更になってそんな疑問を抱いてしまう。

 

自分ではない誰かの服を選ぶ事なんて、不死川 心からすれば面白いとも思わなければ、請われても拒否の一言で片付けるであろう筈だが、彼女は違うのか、と。

 

それも真剣に、どこか楽しそうに。

口角をいつも綻ばせて、優しい表情を浮かべた十河が、少し羨ましいと思えるのは何故だろうか。

 

 

「……十河」

 

 

「え?どうしたの、不死川さん?何か気に入ったモノでもあった?」

 

 

「い、いや……」

 

 

なんだか落ち着かない気分になって、不意に彼女の名前を呼んでしまう。

んーと唸りながらもカーディガンを掲げる様に持って吟味していた彼女が不思議そうに此方を振り向いて、直ぐに笑顔を浮かべる。

 

オレンジのシンプルなカチューシャが彩りを添えたふんわりと柔らかいブラウンの髪に、人の心を溶かすような人懐っこい笑顔の少女。

不死川 心が常々謳い文句にしている高貴さはないのだけれど、不安ごと抱擁されてしまう彼女には、下賎なんて言葉も、家柄なんて要素も相応しくない。

あぁ、友達になりたいと思えるのは、きっとこういう人なんだなと、高慢だと高飛車だと言われる心にも、素直にそう思えるほどに暖かな人間味に溢れていて。

 

 

「どうして……此方にも、そんなに優しくしてくれるのじゃ?」

 

 

「え……?」

 

 

きっと、一方通行ならば直ぐにでも答えてくれそうな、けれど他人のことなんて真剣に考えた事も殆どない心には、理解が出来ない。

恐らくは、あの無愛想な青年に惹かれているから着いてきたのだろうが、彼の姿が見えなくなっても、まるで態度も変わらず接してくれている十河の気持ちが、分からない。

 

ポカンと、まるで想定外の事を、それもこんな簡単な事を聞かれるだなんて思ってすらいなかった十河の宝石の様なブルーの瞳が、丸々と見開いた。

けれど、彼女が呆気に取られたのは一瞬で、すぐに擽ったそうな笑う十河に、そんなに変な事を言ったかと心は不満気に頬を膨らませた。

 

 

「ご、ごめんね……でも、ふふっ……不死川さん、可愛い」

 

 

「にょわ!? な、何を藪から棒に、こっ、此方が可憐なのは承知しておる!からかっているのか!」

 

 

「違うの、そうじゃなくてね……でも、一方通行君の気持ち、分かるかも。なんか不死川さんって、凄く純情なんだね」

 

 

「……じゅ、純情? わ、笑っておらんで分かり易く説明せぬかっ」

 

 

とある企業の社長令嬢ではあるが、それを笠に着て気取る事もせず、誰にでも丁寧に、そして優しく振る舞う彼女を慕う者は多い。

純情に、純真に、一方通行を想う彼女の恋を応援する生徒も多く、心に対して辛辣な態度が多い一方通行も、クラスメイトのなかでも十河に対しては比較的に素直に接している。

何かと衝突し合う隣のクラスの面々からも評判の良い彼女が、人から好かられている理由など、実に簡単なことで。

 

 

良き友達が欲しいと孤独感に苦しむ不死川 心に一番足りないモノこそ、きっと、十河というクラスメイトの一番の魅力なのだから。

 

 

 

――いいなって、そう思う人に優しくしてあげたいのは、普通のことだと思うんだけど。

 

 

「……こ、此方が……いい……?」

 

 

「うん。その、F組の人達と喧嘩してる時の不死川さんは、ちょっぴり苦手だけど。でも、今日の不死川さんは、とっても魅力的だと思うよ」

 

 

「ぅ……あ、にょ……」

 

 

相手に対しての思いやり。

人によって明け透けかどうかは違ってくるけれど、いつも相手に対して無垢な笑顔を見せる十河は、人を思いやる心がとても豊かで。

すっと寄り添うように胸の奥底へと入り込む綺麗なソプラノに、不死川 心はどうしようもなく口篭る。

 

 

「……ぅ、ちょっと恥ずかしい。ご、ごめんなさい、変な事言っちゃって」

 

 

「あ、謝るでない……べ、別に怒ったりしとらんか……ら」

 

 

「う、うん……でも、どうして急にそんな事を聞いてきたの?」

 

 

青臭い事を正直に言ってしまったからか、仄かに朱に頬を染めて俯く十河を、そのままにはしておけなくて、気まずいと思いながらも取り繕う言葉を告げれば、不思議そうに首を傾げて、何の気なしに尋ねられる。

唐突に、優しくしてくれるのは何故かなど問われれば、どういうことかと不思議に思う彼女の疑問も当然である。

 

けれど、その心の旨をそう簡単に打ち明けるのは、今の心には非常に難しい事で。

しかし、どうしてと此方を覗き込む十河のブルーの瞳が、誤魔化しも嘘も、全てをそっと霧散させて、心の本音ばかりを浮き彫りにしていく。

 

逃げ道を防いで弄ぶように本音を引き出す白い青年とは違って、本音で良いから安心して、と優しく促す笑顔の乙女はもっと質が悪い。

嘘をついてもきっと許してくれるのだろうけれど、嘘をつきたくないと思わせるその無垢な瞳に、奥底に閉まった本音を、自らの手で、差し出させてしまうのだから。

 

 

「こ、此方は……こんな性格だから友達も出来ぬし、傍におりたいとも思ってくれる者など、母上か父上ぐらいなのじゃ。だから……そんな此方に、優しくしてくれるのはどうしてかと……」

 

 

「……そっ、か。うん、ありがとう、不死川さん、正直に話してくれて……でも、一つだけ違うなって思うところがあるかな」

 

 

「……ぇ?」

 

 

 

どうしてこんなにもすんなりと本当のことを話してしまったのかと、今更ながらに後悔してしまう心に、少し気落ちしながらも、やっぱり花咲く笑顔を浮かべた彼女の言の葉。

滑らかに鼓膜を擽る魅力的なソプラノが、そっと心の心を包み込んだ。

 

 

「私は、今の不死川さん、好きだよ。それに私だけじゃなくて、一方通行君もそうだと思う。だから、傍にいたいって思う人は、不死川さんが思ってるより、多いんじゃないかな」

 

 

「……そ、十河……」

 

 

「それに、私は……不死川さんと――友達になりたいって、思うな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――

―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『む、聞いておるのか、一方通行よ!』

 

 

「あァ、聞いてる。聞いてっから、そのバカでけェ声を少しは抑えろや。耳がいかれンだろォが」

 

 

『残念だが、王たる我は常に民へと言葉を届けなくてはならん故、声を張るのはもはや宿命よ。で、我の問いに早く答えぬか!』

 

 

「急かすンじゃねェ、王なら王らしくどっしり構えてろ。ンで、明日な……まァ、構わねェよ。だが、また厨房に入れってンなら、すぐに帰ンぞって伝えとけ」

 

 

『ふむ、姉上は貴様の手料理も心待ちにしていたが、そうまで言うのは仕方ない。では、姉上にはしかと伝えておこう。紋白も実に楽しみにしておるようだ』

 

 

「……まァた、あのガキに振り回されンのか。面倒くせェ、場所変えてくれ」

 

 

『フハハハ、そう言うな。あやつめにも気に入られておるのだ、九鬼に仕えるという話、今一度考えてみるのも良いのではないか?婿入りでも我としては歓迎である』

 

 

「冗談じゃねェ、どっちにしろお断りだって言ってンだろ、この鳥頭が」

 

 

『そう照れるな、相変わらず素直でないヤツめ……む、ところで一方通行?』

 

 

「――あン?何だ?」

 

 

『随分声が弾んでいるが……何か良い事でもあったのか?』

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――フン、気の所為じゃねェか?」

 

 

 

 

 

 

 

『Good Night Friends』__end.


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