星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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捌ノ調『Starry Sky』

雨上がりのアスファルト、小さな水溜まりに反射する太陽の光が、空色と白雲を映す水面に、瞳に写らない程のリングを幾つも描いている。

鼻をつく鈍い香りに眉を潜めることもなく、明るい足音が陽の当たる坂道をノックする。

 

鼻歌すら聴こえて来そうな、幼稚な陽気さは、自他共に認めるグラマラスさには削ぐわない、けれどそのちぐはぐさも彼女の魅力だと思わせる。

リズムに合わせて御機嫌なタップを刻む縦に伸びた影が、烏の濡れ羽みたく水質をコーティングした、滑らかな漆墨のアスファルトを舞台に踊っていた。

 

 

「楽しそうだね、姉さん」

 

「あぁ、愉しいとも、今日は朝から絶好調だ」

 

 

雨雲は晴れて、空に広がる蒼い便箋にはクレヨンで描いたみたいな輪郭の濃い白い雲だけだけれど、弟分の苦笑がちな声に反して川神百代の美貌には虹が架かっていた。

 

なんで機嫌が良いのか、どうしてそんなに楽しそうなのか、そんな事をいちいち聞く必要もない。

彼女の隣で肩を組まされ歩かされている、軽く引くレベルで頭の良い頭脳が、全く機能していないであろう眠た気な白い背中を見れば、自ずと答えが出ようモノだと、直江大和は嘆息する。

 

いつもの、本来ならばそこに居る事が出来るのは自分なのにと、ほんの少しの羨望と嫉妬と、けれど相変わらす誰彼構わず絡まれる体質らしい苦労人な青年に、やはり同情してしまう。

普段は自分達、所謂風間ファミリーよりも三十分は早い筈の彼がこの時間帯に、マルギッテと共に通学路を歩いていたのが、そしてそれを百代に目敏く見付けられたのが、運のツキだろう。

 

普段はわりと背筋を張って歩いているのに、今日に限って疲れた様に猫背で歩くマルギッテと、猫が顔を洗う風景がぴったり填まりそうな仕草で眠た気な紅い瞳を擦る一方通行の組み合わせには、色々と勘繰ってしまった。

 

特に、今、うつらうつらと歩きながらも姉に支えられている学園トップクラスの色男を、歯軋りを立てながら凄まじい形相で睨み付けている島津岳人など、マルギッテと熱い一夜を迎えたと確信して、あの恐怖の代名詞に殴り掛かっていったのだから、畏れ入る。

尤も、岳人の喧しい叫びに、本気で殺気立って吊り上がった紅い瞳のギラ付いた狂色と、獰猛な狼の嘶きを彷彿しる、うるせェの一言に、顔を真っ青にして脅えるという締まらない結果になってしまったが。

 

 

「……あれは無理だ、ほんとに殺されるかと思った」

 

 

恐らくは岳人だけに向けていたであろうガチのメンチ切りに、大和だけではなくその場に居たファミリー全員が例に漏れず背筋にドライアイスをぶつけられたかの様な、凶悪な寒気に覆われてしまった。

普段飄々としている椎名京ですら、いつもネタにしてごめんなさい新作の大和との本捨てますと、ガタ付いた唇を震わせ、百代に至っては旅館での泣かされた記憶がリフレインしたのか、大和にべったりと張り付いて半泣きになっていたのだから、末恐ろしい。

 

正直興奮した、朝から二度目のウォームアップをした彼の坊やは、あの殺気にすら屈しない一時の健闘を見せてくれた、無論直ぐに魔王の威圧に屈したが。

あの恐怖は未だに脳裏に焦げ付いているらしく、唸り声が無意識の内に口を付いてでてしまった。

そんな大和の様子に不思議そうにコテンと首を傾げる百代は、どうやら御機嫌な余りに若干頭がお花畑になってしまっているらしい。

 

 

「ほーら、一方通行。ちゃんと前向いて歩いてないと怪我するぞ。確りと掴まってないと転んじゃうぞ」

 

 

「……ン」

 

 

「そこで胸掴んだり尻揉んだりしないとこがお前らしいよ。なんでそんな端っこをちょんと掴むんだ。何、ショタ属性でも新しく取り入れたいのか?ん?」

 

 

 

「……うるせェよ、枕の分際で」

 

 

「枕って……ならせめて抱き枕っぽく抱き付けよ、抱き枕甲斐のないヤツだなぁ。御約束ってのがあるだろ、何でそんなガード堅いんだコイツ」

 

 

「……眠ィ」

 

 

「……大和、今日は学校サボろう。基地に持って帰ろう、これ。なんか、ヤバい、なんか、こぉ……モフりたい」

 

 

「今度は泣かされるだけじゃ済まなくなるから止めようね。京はお友達で」

 

 

「まだ何も言ってないのにっ……でもそんな大和も好き」

 

 

アスファルトの続く坂道を登り切って門を曲がれば、長い長い河川敷が視界に拓けてくる。

昨夜の雨天で水嵩の上がった川の波目がキラキラと反射して、代わり映えしないいつもの風景に、間違い探しをする気すら起きない。

 

風景の間違い探しをするなら、在り来たりないつものメンバーに囲まれたこの面々の方が、よっぽど分かり易いだろう。

ファミリーの中に混ざった寝坊助な白猫は、彼らしさなんて全く見付けられない、間違いだらけ。

 

少し舌足らずなテノール、ぽーっと微かに開いた紅い瞳、背の高いしなやかな体躯をだらりと脱力させた垂れ姿と、違和感ばかり。

唯一変わらないのは、白銀に靡く相変わらず人間離れしたその髪の毛並み位だろうが、実はこれ、マルギッテが櫛通しして整えたらしい。

 

デレないツンデレだと百代が嘆く程に無愛想な彼が素直に為すがままに櫛を受けるのも驚いたが、普段あれだけ剣呑な仲でありながら櫛を通してやろうと思い至ったマルギッテにも驚かざるを得ない。

正直マジでやっちゃったのこの二人、と戦慄してしまうのも致し方ないと云うものだ。

 

仲良き事は良い事かなと笑顔で頷くクリスと同意する由紀江と何やらメールに必死な卓也以外の全員がマルギッテに真意を問う一幕があった事も、季節が巡るように当たり前の事と云えるだろう。

結局は梅子に頼まれたからだと、顔を真っ赤に狼狽えながら説明したマルギッテに、スゴスゴと引き下がった訳だが。

 

取り敢えず、少なくとも距離を埋めるイベントっぽい何かがあったのは間違いないだろうというのが軍師直江大和の見解である。

 

そして不満そうに一方通行に絡んでいった百代が、途端に御機嫌になった理由は、ご覧の通り。

あの気難しい気紛れな白猫が、大人しく腕の中に収まっている事に快感すら覚えているらしく、今にも嬉しさの余りに頬擦りしそうな危険な匂いすらしている。

正直、この白い髪を存分に抱き締めたいという気持ちは分からなくないと思えてしまうのが、心底悔しい限りである。

 

 

「おっ、いいんちょじゃん!」

 

 

「おはよ、いいんちょ!」

 

 

「あっ、お早うござっ――」

 

 

プラプラと浮かぶ白のポニーテールを、今なら触っちゃっても良いかなと、男としての道を踏み外しそうな事を考えてしまう自分に軽く危機感を自覚している大和を余所に、先頭を歩いていた翔一と一子の、晴れ渡る青空に相応しい快活な挨拶が響く。

 

優等生達の園で委員長を勤める心のトランキライザーこと皆のアイドル十河と対となる落ちこぼれ達の園で委員長を勤める心の清涼剤こと甘粕真与。

一部では彼女達の幸せを見守り隊などという、実はかなりの仲良しコンビの片割れが、分かり易い程に狼狽していた。

無論、原因は未だ脳味噌の半分が寝息を立てているであろう、白猫である。

 

 

「……え、あの、どうしたんですか一方通行君?まさか体調でも悪いんですか!?」

 

 

「あぁ、いいんちょ、お早う。ごめん、ちょっと静かにしてやってあげて。なんか寝不足で疲れてるみたいで……」

 

 

「ね、寝不足……だ、大丈夫ですか?」

 

 

「……うン」

 

 

「ぅあ、大丈夫……じゃ、ないみたいで……うぅ……」

 

 

心配そうにクリクリとした大きな瞳が覗き込めば、半分も開かないぼんやりと揺蕩う紅い瞳を持つアルビノが、子供の様にこっくりと頷く。

普段、料理のレシピの交換などを主に交流のある二人ではあるが、高校生とは思えない程に大人びている一方通行相手では、可愛がられる妹の様な立場になってしまうのが常である。

 

男ながらに料理、洗濯、掃除と意外と家庭的で、性格とは正反対になんでも器用にこなす青年を、兄に向ける憧れもちょっぴり抱いて真与にとって、この光景は革命的に映ってしまうのも無理はない。

頬を瞳の色と同様に真っ赤に染めながら、震える手を伸ばしたり、引っ込めたりと懸命に葛藤を巡らせる桃色の少女。

心持ちは、ゲージの中で眠ってる白猫にときめいて、けれど触って起こすのも可哀想だと、でも可愛い、でも、と悩んでいる様なモノで。

 

 

「良いだろぉ、でもお触りは厳禁だぞ。今コイツは私のだからな! ほれ、うりうり」

 

 

「枕、うぜェ、やめろ」

 

 

「う、羨ましいです……うぅぅぅぅ」

 

 

「姉さん……」

 

 

「お姉様……」

 

 

一方通行を為すがままに出来るのに相当舞い上がっているのか、大人気のない独占発言を発しながらそのスベスベで柔らかそうな白髪のポニーテールの部分を指で梳く百代に、割と本気で残念そうな、けれど羨望も程好くブレンドした視線を送る大和と一子。

川神学園一の美人と自他共に認めれる美貌を持つ彼女に撫でられるのは確かに羨ましい事で、一方通行場所代われと思わなくもない。

 

しかし、あの不遜な一方通行をこうまで好きに出来る機会なんて、今後あるか無いか分からないし、百代の指をサラサラと流れるシルクのような銀糸の流線は、一度で良いから触れてみたいもの。

寧ろ川神百代、場所代われと言わんばかりに食い気味に見る大和含めた三名に、呆れた京の溜め息が虚しく響いた。

そんな彼らを遠巻きに、羨ましそうに眺めている残りのファミリーの面々の中で、唯一、髪を梳く際にしっかり満喫していたドイツの紅い軍狗は、ちょっとした優越感を覚えながらの高見の見物である。

 

 

「やっば、何だこれ、何だこれ!? 手触りヤバ過ぎだろ……うわっ、うわっ……こ、これホントに髪なのか!? まんまシルクじゃん!」

 

 

「えっ、ちょっ、ホント!? お姉様っ、私も、私も触りたい!」

 

 

「姉さん……ごめん、お願い、俺もちょっとだけでいいから……」

 

 

「大和……夫婦の協同作業だねっ! という訳で私も……」

 

 

「だ、駄目です、皆さんいけませんよ!一方通行君が可哀想じゃないですか……」

 

 

「……ン、甘粕……?」

 

 

あのマルギッテすら優越感を覚える至高の触感に、食べた事もない様な高級料理に舌鼓を打つが如く大仰なリアクションに、思わず男としてのラインを踏み越えてしまう軍師も居れば、然り気無く便乗しようとする京に、先日の尊厳という尊厳を踏み滲った調教を行われたにも関わらず、懲りた様子のない一子。

 

放っておけば自分も自分もと殺到しそうな他の面々の視線も感じて、日頃何かと彼に世話になっている分の良心が勝って我を取り戻した真与が必死に彼を庇おうと、彼に背を向けその小さな身体を精一杯広げて、飢えた獣達の前に立ち塞がった。

こんな無防備な状態の一方通行を玩具にさせる訳にはいかない、彼を守らなくてはいけない。

微睡む白猫に抱かされた庇護欲と、弟達の面倒を見つつ家庭を助けるべく奔走する頑張り屋さんな真与の母性。

それに呼応して甘く鼓膜を擽る掠れたテノールが、綿の抜けたぬいぐるみの様な、ふやけた温度で真与の名前を呼んだ。

 

 

「だ、大丈夫です一方通行君。私、頑張りま――」

 

 

「……ン」

 

 

無垢で純粋で真っ直ぐな心の儘に彼を守護せんと奮起する真与の首から鎖骨を細長い蛇の様な腕がするりと抜けて、小柄な肩をフワリと掴む。

唐突に骨張った掌に掴まれた肩から伝わる暖かな感覚に呆気に取られる暇もなく、ヒョイと彼の腕の中へと引き寄せられて。

気付けば、優しく、壊れ物を扱うように後ろ抱きされていて。

ポスンと実にあっさり彼の身体に背を預ける事になってしまった彼女の頭が、沸騰するヤカンの如く急速に熱を帯びていった。

 

 

「ふぇ……」

 

 

「なん……だ、と……」

 

 

時が止まったようだった。

空に流れる雲も、回り続ける大地も、川の波が造り出すせせらぎさえも、川辺に咲く草花の豊かな色彩さえも。

目の前の光景を心の底から受け入れられない抵抗感に押し出された、茫然と色の抜けた科白が百代のぷっくりとした唇から零れ落ちる。

 

あの一方通行が、弱々しい力ながらも、少女の身体を抱き締めている。

 

胸を当てて引っ付いても邪険に扱い、百代ですら涎垂する水着姿のナイスバディに絡み付かれても面倒臭そうに顔を顰めるだけで、現にこうして肩を抱いて密着していようが寝惚けながらも決して百代に対して自分から触れようともしなかった、あの一方通行が。

 

 

『あの』一方通行が、である。

 

 

「……眠ィ」

 

 

「へっ?」

 

 

「……ぐゥ」

 

 

 

いち早く我に返って、立ったまま器用に静かに寝息を立てている、男の癖に長い睫毛と白い肌と眉目秀麗な顔立ちが浮かべる美しい寝顔をそっと覗き込んだ大和が、冷静に彼の行動の理由を観察する。

 

 

どうやら、本能的に百代に甘える事を恐れているらしい。

板垣辰子にも普段、あれだけ無防備で寛容である事が旅館での一幕で察する事が出来たのだ、彼が危ない性癖を隠し持っているというのも、微妙な所である。

となれば、常に彼を勝負しろと追い掛け回していた百代より、害もなく交流もあった真与の方が遥かに安心出来る存在であった、と。

流石はクラスが誇る心の清涼剤、あの一方通行にすら無意識に甘えさせるとは、恐れ入る。

 

 

そして、白猫の腕の中に収まった小柄ではあるが器の大きいと誰しもに賞賛されるべき少女は、顔を赤らめながらも、一方通行の浅い抱擁が邪な感情から来るものではないと、ちょっぴり残念に思いながらも理解していていたので。

だからこそ、滅多に見せない猫の気紛れな甘えを、擽ったそうに受け止めていた。

 

 

「しょ、しょうがないですね……よし、今回は私がお姉さんです!」

 

 

「……ンァ」

 

 

小さな呻きの様な響きで答えている辺り、一方通行は辛うじて意識を留めているらしい。

といっても殆ど睡魔に思考が持って行かれているのは間違いないらしく、右へ左へと何やら危なっかしくフラフラとしながら立っている彼を、奮起した真与が手を回された状態でえっちらおっちら彼を誘導しようと歩き出す。

 

肩に手を当てて行進する親子みたいな、滑稽とは何故だか思えない、奇妙な微笑ましさ。

 

桜色の毛並みの小さな親鴨に、白色の毛並みの大きな子鴨がちょこちょこと付いて行く様に、まず心の底から驚いて、次に微笑ましくなって、最終的に邪魔にならない様に道の真ん中を譲る登校中の生徒達。

更には対面からの自転車などから守る様に川岸側を歩きながら先導する生徒も居た、というか翔一と一子だった。

 

そして目を丸めながらも通り過ぎた人や、後方から来る人々に頭を下げながら詫びているのは、由紀江とクリス、マルギッテと彼女らに付き合わされている岳人と卓也である。

 

何という和む光景、何という優しい世界。

拝啓父上様、母上様、川神は今日も平和です……とは、いかないのだろうと、大和はそっと嘆息した。

母譲りの中性的な顔立ちに添えたブラウンの瞳が、げんなりしながらも隣へと移る。

 

 

 

「……負けた……私が……負けたって……あんなちっちゃくて可愛い娘に……うっそだろ……」

 

 

ついさっきまで爛々と陽気に輝いて紅蓮の瞳が見つめる先は、ただ虚ろ。

とある聖夜の王座陥落に次いで、完膚なきまでの敗戦。

 

それも、学年一のグラマラス美女と普段あれだけ豪語している女が、可憐ではあるがぶっちゃけ高校生とは言い難い幼い少女に。

身体の傷は瞬時に癒せる超常的な能力を持つ彼女とて、心のダメージはどうしようもない。

だがしかし、大和の勘が正しければ、かつての百代自身が招いてしまった結果であるので、より一層救いがなかった。

 

 

「……姉さん」

 

 

「……」

 

 

あの武神が、膝をついている。

茫然とアスファルトの染みを数えている。

彼女に敗れた幾人もの武道家が、ショックにうちひしがれる見ればどう思うだろうか。

 

気の毒そうに彼女を見る大和と京の視線にも気付かない程に矜持を砕かれたのか。

 

 

「なぁ……大和ぉ……私って……そんなに、魅力ないか……?」

 

 

「……いや、単純にさ、警戒されてるからだと思うけど。多分、今までの負債がたまたま返ってきちゃったって言うか……」

 

 

「まぁ、三学期にあれだけ襲撃されたら……苦手意識出来ても可笑しくないよね……でも、一方通行も疲れてたみたいだし」

 

 

どうやら京も、大和と同じ結論に達していたらしく、最後にそっとフォローしながらも、彼の心情も分からなくはない、と。

何故ならば、大和が外堀を埋めて、なるべくゆっくりと時間を掛けて接して行くように百代にアドバイスするまで、一方通行の教室に押し掛けては闘え闘えとごねて、放課後に待ち伏せして闘え闘え構えと迫り、暇さえあれば再戦の要求を強請っていれば、苦手意識の一つも出来ても不思議ではない。

 

ファミリーのメンバーの落ちこむ姿を見て、憤りを覚えなくもない京ではあるが、一方通行の立場になって考えてみれば、相手にしてくれるだけまだ優しい方だと思えてしまう。

それに、そもそも百代が敗戦した昨年のクリスマスでの一件も、一方通行と共に出掛けていた榊原小雪をナンパしようとしつこく絡んだ彼女が返り討ちにあったという顛末である。

 

考えてみれば、本気で嫌われてないのが不思議な程だ。

ナンパしてきて絡んで来たから追い払ったと思えば、学園中を追い掛け回される。

お蔭で目立ちたくもないのに、学園内ではより有名人になってしまった、と。

京が一方通行の立場なら、幾ら相手が美形だとしても、視界に入れるのも嫌になりそうである、と。

 

 

「ハ、ハハ……あぁ、そっか……じゃあ……嫌われて、たんだな……私……」

 

 

「いや、まだ嫌われてないとは思うよ。ちゃんと相手もしてくれるんでしょ?」

 

 

「……でも、いっつもアイツ……私に対して冷たいし……」

 

 

「一方通行はあれが平常運転な気が……良くは知らないけど、多分嫌いな人には口も利かずにアウトオブ眼中、だと思うけど」

 

 

「……口は利くけど、アウトオブ眼中な場合は……」

 

 

「…………」

 

 

「そこは何とか言ってくれよ京ァァ……」

 

 

確かに、百代の言う通り、無視していれば余計絡んで来るだろうから仕方なく口を利いてやっていると云う可能性は、否定出来ないだろう。

 

けれど、人の悪意に殊更敏感な京の感覚では、情けない声を挙げている、川神百代を見詰めるあの紅い瞳に、明確な嫌悪感を感じた事は一度としてない。

鬱陶しいだとか、面倒だとか、そんなニュアンスが精々だろう、と。

 

大和以外に執着しない彼女でさえそれが分かるくらいには、あの白貌に浮かぶ感情は、割と明け透けである。

行動がやたらと気紛れで無愛想だから、分かり難いだけで。

 

 

「……大和?」

 

 

「……ん、どした、京」

 

 

「いや、何か考えてたみたいだから」

 

 

「あぁ、ちょっと……」

 

 

そういえば、自分よりも余程、彼を観察する機会の多い大和の方が、百代の期待する答えを導き出せる事が出来る筈だと思い至って。

けれど、眉を潜めて顎に手を添えた、如何にも考え中ですと云ったポーズを取っていた彼の名前を呼べば、何やら腑に落ちないといった風情で、こちらを見据えるブラウンの瞳。

 

こういう時の大和の懸念は良く当たるから頼りになるのだけれど、一体何が引っ掛かるのか、京には到底思い付かなかった。

 

 

「なぁ、一方通行ってさ、普段朝早いよな?」

 

 

「そうなの?」

 

 

「……早いぞ、アイツは。たまにワン子が朝のトレーニングでばったり会ったり、公園でコーヒー飲んでるの見てるって話聞くし」

 

 

ションボリと形の良い眉を垂れ下げて、空気の抜けた風船みたく覇気の抜けた百代は、どうやらほんの少しだけではあるが自力でリカバリー出来たらしい。

そういえば、たまに公園でコーヒーを飲んでる時は何か雰囲気が違って話し掛けれないと、先月辺りに一子が言っていた事を思い出す。

 

そういえば、マルギッテの弁当も彼が作っているのだと、つい最近クリス達と話をしたのだ。

ファミリー入りを祝う為にマルギッテがいなり寿司用意させたらしく、クリスが舌鼓を打ち至高のお稲荷だと絶賛していた時に、一子が聞いた話である。

 

 

「弁当も全部自分で作ってるらしいね、それも三人分も」

 

 

「うん、そうだ……毎日、三人分。それに朝食だって作ってるって話だ。どう考えても、朝に弱いヤツが出来る事じゃないと思う」

 

 

「……無理して作ってるんじゃないのか?同居してる先生には激甘なんだろ、アイツ」

 

 

「まぁ、多少なり我慢してるとは思うけどさ……でも、あのウメ先生がそれを許すと思うか?」

 

 

「ないね」

 

 

「ないな」

 

 

 

許さないだろう、と即答出来る。

公私をキッチリ別けているあの誰にでも厳しい小島梅子と云えど例外があって、その例外は一方通行に他ならない。

御互いが御互いを大切にしているその絆の強さは、自分達ファミリーの絆にも負ける事はないだろう。

寧ろ、自分達の絆の方が強いと自信を以て言い切れるかどうか。

そんな彼女が大事な一方通行に無理をさせるなど、福本育朗のセクハラ行為を許容するレベルで無理だろう。

自分と梅子との扱いに天と地すら開きがある事が、当然とはいえ不満なのか、若干膨れ気味な百代もまた、京と同意見であるらしい。

 

 

「つまり、一方通行が朝が弱いって事はない。ってことはさ、アイツがあんなに疲れてんのは、何でなのかなって」

 

 

「……眠れなかったんじゃないか?」

 

 

「睡眠不足……まぁ、妥当だと思うけど」

 

 

漸く大和の疑念、懸念の正体が見えてきた。

では、彼のあの状態が睡眠不足だったとして。

一方通行が、百代に為されるが儘にされる程に寝不足になった理由は何なのか。

 

 

「あぁ、そうだ。アイツ、バイトしてたな……どっかの、えぇと……確か駅前の割烹料理屋で」

 

 

「いや、仮にバイトだったとしてもそんな遅くにはならない。いつも遅くても夜の11時にはあがらされるって言ってたし」

 

 

「……日々の疲れとか?」

 

 

朝早くに起きて三人分の朝食と弁当を用意して、学校に登校し、放課後にはバイト。

冷静に考えてみれば中々にキツい事は目に見えてるし、それが積み重なれば流石の一方通行とはいえ身体に響いていても可笑しくはない。

ならばその疲労が祟って寝不足気味なのではと、京が仮定を述べてみる。

 

 

「うーん……あの一方通行だぞ?家事もこなしてる立場なんだ、流石に体調管理は確りとしてるだろ。それに何だかんだ義理堅いぞ、アイツ」

 

 

「義理堅い……そっか、ウメ先生に学校通わせて貰ってるようなモノだしね。だったら、体調を崩すようなことは極力避ける筈。あ、でも……この前の温泉旅行の時の疲れって線は?」

 

 

「……そういえば、あの時は私が絡んでったから…………じゃあ、もしかして……」

 

 

旅行先で偶然にも一方通行の気配を見付けて、喜びの余りに無理矢理混ざってしまった記憶が、百代を再び失意の渦へと陥れる。

仮にそれが原因ならば、ますます自分で自分の首を締めただけという結果になってしまうのは、彼女とて認めたくはなかった。

 

それほどに一方通行に負担を掛けてまで、再戦を果たしたいと思うほど、川神百代は傲慢ではない。

そこまで迷惑な存在と捉えられていたとしたら、そう思うだけで後悔の念が押し寄せてくる。

しかし、歯軋りして自分の過失を悔やむ彼女に、大和は待ったの声をかけた。

 

 

「仮にそうだったら俺達全員の責任だけどさ……自分達を庇う訳じゃないけどさ、それくらいで体調崩すような男じゃないだろ」

 

 

「……私は一方通行じゃないから本心は分からないけど、モモ先輩の考えは流石にオーバー。それに、もう4日も前の事でしょ? 体調管理がしっかりしてるなら、今引き摺るって線は薄いかと」

 

 

直江大和にとって、一方通行は一種の憧れだ。

深い思慮と優れた思考と、九鬼にすら太いパイプを持っているし、あの葵冬馬も切り札として頼りにするぐらいの男が、旅行一つで揺らぐとは思えない。

 

となれば、やはり昨夜に何かあったと考えるべきだろう、と。

そこまで思い至ってしまえば、京の中では心当たりが一つしかない。

 

 

「……やっぱり、そう云う関係になっちゃったんじゃないの?」

 

 

口を付いて出た、心当たり。

寝不足の二人、少し埋まったような距離、朝方に寝惚けた儘の彼の髪を整えてあげる程には、心を許し合ったという点。

マルギッテ本人は否定していたけれど、妙に恥ずかしがっていたし、何よりクリスにまで、話せませんとキッパリ黙秘を貫いていたのだ。

考えれば考える程、そういう関係になったとしか京には思えない。

そんな彼女の言葉に、俯かせていた百代が、ピクリと反応を示した。

 

 

「いや、でもあの二人だぞ。それに、そうだとしたら姉さんに撫で回されてる時、何も言わなかったのは不自然だろ。普通、怒ると思うけど」

 

 

「クリスの前だったからじゃないの? それに、二人とも……一方通行は精神的にだけど大人みたいだし、そういうドライな関係になったって事なんじゃ?」

 

 

「ドライって……」

 

 

「大人の関係……割り切った、身体だけの――」

 

 

「――それは、ない」

 

 

関係。と、京が若干自信なさげに言い切る前に、遮る凛とした、腹からしっかりと出している強い、強いアルトボイス。

 

違う。

そんな事を許容する男じゃない、と。

俯いた美貌は天を睨む勢いで表情を見せ、そこに咲く紅い瞳には強烈な意志が顕現する。

失意に暮れるよりも、敗戦のリベンジを果すよりも、あの白い背中を我武者羅に追い掛けて来た自分が、しなくてはいけない大切な事。

 

 

「アイツは、そんな男じゃない」

 

 

「……」

 

 

「姉さん……」

 

 

ただ、自分に勝った男だから、こんなにも必死に追い掛けて来た訳じゃない。

自分よりきっと、ずっと強い癖に。

自分を、武神を赤子の手を捻る如く蹴散らした癖に。

 

時折、酷く寂しそうな横顔をする。

 

自分が感じているちっぽけな餓えや孤独なんかより、ずっとずっと、寂しそうに。

極彩色の想いを紅い瞳に乗せて、遠く遥か彼方ばかりを見つめている。

 

 

「アイツは、そんな事を許せる男じゃない」

 

 

想いに応える事はするだろう。

人の好意を無為に蔑ろにはしないのだ。

からかう事はするけれど、真剣な想いには何だかんだで応ようとする。

 

だから、熱の籠らぬ想いなど受け取る訳がない。

そんな事ぐらい、付き合いが浅くても分かってしまう。

 

 

「アイツは、そんな器用な真似は出来ない」

 

 

恋とか愛とか、そういう色を抜きにして、女を抱く事も出来ないほどに、不器用で。

楽な道を選ぶ事が出来ないほどに、不器用で。

 

 

温泉旅行での板垣亜巳が語っていた、一方通行の近くでずっと彼を見てきた女の吐き出した愚痴。

形崩さぬ水面の様に静かなエメラルドの瞳が吐き出した、どうにもならない、琥珀色の無情。

 

 

「アイツは、そういう馬鹿――らしい」

 

 

出来れば、自分一人の力で気付きたかった。

けれど、好奇心に身を任せて首を突っ込んだ先は、亜巳が語った生易しさなど欠片もない女の情念で。

そんなにも焦がれているのに、手を伸ばせない悲しさが、あまりにも辛そうに見えて。

 

 

川神百代に足りないモノを持っている、そんな漠然としたナニカを盲信して、太くも厚くも逞しくも見えない、細く白い背中。

その背中が、今は、知れば知るほどに遠くに感じる。

 

 

「――そっか。うん、確かに。一方通行って、女遊びは絶望的に下手そう」

 

 

「……あぁ、うん。確かに。そういうの、似合わないな」

 

 

人に好かれる事はあっても人を好きにしようとはしない。

決してしてはならないと、強く自分を戒めているようにも見えるけれど。

 

 

百代の言葉に、優しく揺れる菫色の眼差しで京は彼女を見詰めながら、己の安易だった言葉を取り消す。

初めから、百代と同じ様に、そんなの一番一方通行らしからぬと思っていた大和も、苦笑を浮かべながら。

けれど、あぁ、悔しいと。

言葉にはしない寂しさを、ひっそりと胸に秘めて。

 

 

「……でも、なら、何があるのかねぇ。あの一方通行を寝不足たらしめる、なにか」

 

 

ひょっとしたら、大したことではないのかも知れない。

夢見が悪かったとか、深読みし過ぎて、実は単に疲れが溜まっていたから、だとか。

一方通行とて人間だから、そういう事もあるかもしれない。

寧ろ、そっちの方が親近感が沸くから、それはそれで良い筈なのだ。

 

 

けれど、大和の直感がどうしても引っ掛かりを覚えてしまう。

それに、一方通行と再戦する為にはどうすれば良いかと相談された時、出来る限り義姉に協力すると誓った以上、彼女の為にもなるだろうし、と。

 

 

 

――一方通行には悪いけど、探ってみようか。

 

 

 

蓋を開けてみれば、笑い話にしかならないオチでも良い。

下らない事を勘繰るなと、彼に叱られてしまうかも知れない。

 

まぁ、そうなったらそれで良い。

その時はちゃんと謝ろう、心の底から謝れば、許してくれる人だから。

 

 

間違いなくマルギッテは何か知っているだろうけれど、教えてくれそうにない。

 

 

では、先ずは――彼の友であり、彼を良く理解しているであろう男。

 

 

葵 冬馬を、当たってみようか。

 

 

 

 

 

 

『Starry Sky』__end.


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