星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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過去編に関してはかなり変更点があります。
この作品では一方通行の年齢が15となっています。
また、時間軸は第三次世界大戦の三ヶ月半後という内容です。






Re:Play 1『Sirius』

思えばどれくらいの確率だったのだろうか。

幾十、幾千の星屑で編まれた銀河の一滴。

或いは、絶え間無く流れ落ちる膨大な砂時計の、紅砂の一粒。

 

幾重通りの可能性から紐解かれた一筋に、きっと独りぼっちの白猫は、必要以上に救われてしまったのだろう。

キリの無いIFをなぞらえるセンチメンタルなんて似合わないし、運命だなんだとロマンチストを演じるには不恰好 で不相応も良いところで。

 

けれど、それでも――

 

一方通行としての分岐点。

数多く在った筈のそれらの中に、あの日の邂逅を加える事を自然と許容出来るくらいには。

 

 

――確かに、彼女を大切に想えていたのだろう。

 

 

 

 

 

―――

――――――

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

独りで生きていくには、余りにも広すぎる世界でも、この青い空で繋がっている。

手垢だらけの使い回した夢の様な壮大な一文を、真っ白なページの中心に並べた感動的な演出の、字幕も無いエンドロール。

めでたし、めでたしと繋げれば万々歳で終わる、それだけの話、それまでの話。

 

最近妹達の間で静かなブームになっているらしい、純愛モノのストーリーが胸を打つだとか、瞳を爛々と輝かせた少女の批評を適当に聞き流して。

押し付けられた鳶色のブックカバーの小説を、気紛れに紐解いて、読了と共に吐き出した、何とも微妙な感情に彩りは無い。

風に拐われてしまいそうな程、幽かに小さく鼻で笑った。

 

 

――静かな朝だ。

 

 

 

平和を取り戻した、だなんて、まるで平和とは真逆の位置に在った自分自身にはとても烏滸がましい事だけれど。

様々な思惑や立ち位置が交差したあの激動の夜を越えて、少なくとも平穏と呼べる朝を迎えることが出来た。

 

あれから3ヶ月と少しの刻が余りにも平穏無事に流れてしまった。

新たな策謀や陰謀を警戒して、張り詰めた空気も肩透かしに何事も起きない学園都市と、都市外の魔術師達のリアクションも薄く、徐々に少年少女達の心も弛緩して、それぞれの日常へと馴染んでいった。

 

もしかしたら、今この瞬間にも再び学園都市を、世界を混乱に陥らせるほどの陰謀が渦巻いているのかも知れないし、平穏など所詮は仮初めに過ぎないのかも知れない。

けれど、少なくとも。

小鳥の囀りが優しく木霊する明朝の公園でベンチに腰掛け、恋愛小説だなんて似合わないモノを読んで、呑気にコーヒーを啜るくらいには、確かなゆとりがあった。

 

 

「……ン」

 

 

眩しくもない、けれど厚雲の隙間からチラチラと緩い陽射しを放つ陽光に目を細め、手元の缶コーヒーを一口。

新聞配達のアルバイトだろうか、黒のジャージをわざわざ重ね着にして自転車に跨がる若い男を視界の隅に置いたまま、気怠げに首を捻る。

これが一方通行にとっての定例的な1日の始まりだったのならば、思わず彼女の保護者である黄泉川愛穂は両手放しに賞賛するほどに健康的な生活習慣なのだが、生憎と、そうではない。

たまたま目が覚めて、低血圧な自分にしてはとても珍しく頭が冴えていて、取り敢えず朝抜けのコーヒーでもと思ったのだが、買い置きのストックを丁度切らしていたのを思い出した。

春間近の肌寒さに備えて白無地のコートを一着羽織り、最寄りの公園で自販機の缶コーヒーを啜るなど、珍しいどころか今までに一度も無かった事なのだが。

 

 

 

「気ィ抜けてンのかねェ……」

 

 

 

ポツリと呟いた言葉から、何となくの自覚を彼は既に得ていた。

気を抜く事が失態に繋がるような、張り詰めた日々を過ごしてきたからこそ、漸く訪れたといわんばかりの緩やかな時間に、本能が甘えを求めたのか。

それとも、誰にも言わずしていた、今後の身の振り方について向き合う時間が、今出来たのだろうか。

手元に持った缶コーヒーを試しに強く握り締めて、すぐに止める。

 

 

「……缶一つ潰すのも、一苦労なンだよなァ……」

 

 

身の振り方、といえば大雑把な話ではあるが、一方通行にとっての当面の課題は、自身の身体に対するリハビリを行うことであった。

幾ら学園都市の頂点に立つ能力を持っているとはいえ、それを差し引けば、自分の身体能力などタカが知れている。

守り抜くと決めた他でもない妹達の演算補助が無ければ、糸の切れた粗末なガラクタ人形にしか成らない。

 

学園都市の暗部を解体して、全ての闇を引き取ると啖呵を切った己が幾つもの夜を駆け抜けるには、身体に架せられた制約は多く、まるで獰猛な野獣に不自由で縛りつける様にして錆びた鎖に繋がれている。

不安も懸念も無い平和な世の中であるのなら、畜生にも劣る自分には似合いの末路として自嘲して終わるのだが、きっといつか訪れる闇から伸ばされる脅威の腕を振り払うには、この鎖は必ず、足掻く自分に巻き付いて離れなくなる筈だ。

 

 

いずれにせよ、このままではいけない。

学園都市第一位、いつまでもその能力一つで守りたいモノを全て守れるなどと思い上がれる程、あの大戦で見た様々な脅威は生易しいモノではなかった。

 

この身一つでも、足掻けるだけの強さを望む。

それが矜持でもあり、現実でもあるのだから。

 

 

 

「……ン?」

 

 

 

不意に、意識を削がれる。

様々な異常現象を見てきた一方通行にとって、いや、さして特別なケースに陥ったことない者から見ても、何てことはない、ただの良くあるありふれた光景。

早朝のウォーキングやランニングといえば、健康思考の者達からしてもメジャーな手段であるし、実行に移している人間だって多い。

まずは不自由の多い身体を何とかするべきだと、リハビリの必要性を改めて認識していた一方通行の視界に、丁度良く見本が現れた、それだけのこと。

 

 

「ランニング、ねェ……」

 

 

有りかもな、と……いきなり走るのは障害持ちの身では厳しいから、まずはウォーキングからでも試してみるのも、悪くないのでは、と。

きっと始めたら始めたで、憎まれ口の減らない同居人の少女に揶揄われる

休憩なのだろう、滴る汗を袖で拭いながら自動販売機でミネラルウォーターを購入する、恐らく同世代辺りの少女を見て、ぼんやりとそう思った。

 

 

 

―――

 

 

 

早朝のランニングを日課にしてどれくらいの時間が経ったのだろうかと、吹寄制理は休憩地点と決めてある公園まであと少しという所で、ふと思い返す。

どんなきっかけで始める事になったかと細かい所までは思い出せないけれど、やっぱり健康的だからとか、勉強ばかりに集中するより時折の息抜きとしてだとか、色々あるにせよそこに行き着くのだろう。

 

事実、生活のカリキュラムに混ぜて早々に、この日課は身体に馴染んだ。

朝の澄んだ空気は気分的な面も影響してか、とても心地が良いものだし、身体を動かすことは小さな頃から好きだった事の一つだから、苦にも思わない。

早寝早起きの延長ついでだったのだが、あまり気にする方ではないけれどダイエットにもなるし、休憩地点で挟む水分補給のミネラルウォーターが格別に美味しく思えるのだから、なんだか得した気分にもなるのだ。

まぁ、以前この習慣をクラスメイトに教えた時には渋い趣味だとか趣向が早くも老いているだとかなんとか言われたから、自慢の一撃で沈めてやったのだが。

 

 

「……ん?」

 

 

ガシャンと勢い良く落ちたミネラルウォーターを自動販売機から取り出して、日頃の休憩地点として脚を休ませているベンチがある公園に向けて、脚を動かして。

いつもなら見掛けない、記憶にある風景の間違い探しをしたのならば直ぐに気付いてしまいそうな、馴染まない違和感。

けれどそれは不相応というよりは、どこか幻想的な光景にも見えて、ごく自然に、ランニングで暖まれた熱とは違う、ほおっと感嘆が抜け落ちたような熱い溜め息が口から零れていた。

 

 

「……」

 

 

 

普段、蒼が架かるにはまだ瑠璃色を差し込んだ早朝の時間帯、ランニングの途中に寄るこの公園で人影を見ることなど、犬の散歩をしている人や近隣にする年配の人ぐらいしか、彼女は見掛けたことがない。

だから、いつもと同じコースを辿って、いつもなら自分が座って休憩していた公園のベンチに腰掛ける、鼻が抜けるような真っ白な存在に、つい目を奪われてしまった。

 

 

(……綺麗)

 

 

漠然とした、一言の感想。

けれどその存在を外観的に評価するのならば、確かに綺麗という概念は含まれるのだろう。

ブリーチで脱色したにしてはひどく自然体に揺れる白雪の長い髪に、恐らく自分よりも白いのではと思える、遠目に見ても綺麗な肌。

時折流れる前髪の隙間から覗く整った顔立ちと言い、まるで童話のキャラクターをくり抜いて現代の服を着せたような、そんなどこか儚いとすら思える異端さを抱いた。

 

 

(……こんな人、居るんだ)

 

 

 

なんだか凄く貴重なモノを見つけてしまったかの様な心持ちのまま、隣のベンチまで向かおうと歩みを進める。

見れば見るほど性別の判断がつかないなと、失礼なのは承知しながらも好奇心に勝てず、視点はがっちりと定まってしまったまま。

ベンチの脇に置かれた鳶色のブックカバーの小説と、少し凹んだブラックコーヒーの缶と、無骨ながらにも洒落めいたデザインをした杖も興味を誘うが、薄い朝陽に反射してキラキラと煌めくキメ細やかな長い前髪が、とても綺麗だなと思えて。

だから、分かり易い視線に気付いたその存在がひょいと此方を向いた瞬間に、思わず声を挙げてしまったのも、当然といえた。

 

 

「あっ――」

 

 

「……?」

 

 

鮮烈な紅の華が見開いて、混ざり気のない彩りに、気付けば音を紡いでしまって。

やってしまったと、恥ずかしさと奇妙な緊張に一瞬、頭が目の前の存在よろしく白一色に染まってしまう。

ジロジロ見続けた上に声まで挙げるなんて、相手側からしたらなんだコイツとしか思えないではないか。

 

案の定、ツーっと細められていく紅い瞳は怪訝そうな感情に染まっていて、何も言わないながらに何か用かと問い詰められたような、その容姿も相成ってとてつもない緊張感に覆われる。

気まずい、どうにかしてこの空気を何とかしなければ、と。

手に持ったミネラルウォーターの水滴が、掌にじわりと滲んだ汗に混じって砂利被さる地面へと零れ落ちる。

口を開けば、喉元から震える声質は心の緊張をそのまま映してしまったかの様におどおどしくて、自分から見ても随分みっともなかった。

 

 

「お、おぉ、おはようござぃます……」

 

 

「……ン、あァ」

 

 

妙にどもってるし落ち着かない、語尾に至っては羞恥心に折れてフェードアウトしていく我ながらなんともな挨拶を、少し呆気に取られたような顔をしながらも、曖昧に返事を貰った。

困惑の色が多分に混ざった、ちょっと枯れたような低音の声質に、またも意識が持っていかれる。

非常に中性的な外見からでは判別出来なかったが、男性特有のテノーボイスに、目の前の存在の性別がハッキリとした。

ハッキリしたのは良いのだが、いや、良い悪いの定義を初対面の人に敷くのはおかしいのだがそこは一旦隅に置いておいて、再び訪れてしまった、しかも心無しかさっきよりも余計に重い空気を……どう、しようか。

 

 

 

「……」

 

 

「…………?」

 

 

 

どうするもこうするも、兎にも角にもこのままでは宜しくない。

ジロジロ見続けて変な挨拶をかまして挙げ句黙り込んでしまった自分を、ますます不思議そうな紅い視線に射抜かれて。

春間近、まだ十分に寒いといえる時季に関わらず、制理のきなびやかな白い肌は羞恥の熱で一杯一杯だった。

 

 

――

 

 

 

俺にどォしろッてンだ、クソッタレ。

 

こうまで投げやりに頭を抱えたくなったのは、そういえば打ち止めという少女と初めて遭遇したあの夜以降、あるようで無かった気がする。

そもそも一方通行という記号1つが学園都市の闇を一人歩きするほどに不穏なモノであれば、コメディの一枠に収まるような光景に遭遇すること自体、不相応というもの。

 

だからこそ、彼には平凡な経験が生まれてこの方、余りにも足りていない。

ましてや目の前で急にガッチガチに固まりだした少女をフォローする正しいやり方など、一方通行にとっては魔術よりも身に馴染まない法則である。

 

 

「……オイ」

 

 

「っ、は、はい!」

 

 

 

良い返事だ……いや、そうではない、そうではなくて。

余裕のない新入社員みたく緊張している目下の存在に対して、どういった対応を取ればいいというのか。

面倒だから無視する、というのがまず第一に浮かんだのだが、日頃から口煩くコミュニケーション能力の良し悪しについて言及してくる保護者の言葉に、反抗期の子供染みた論理性の無い反論しか出来ない自分に思う所も何だかんだ有って、そこに落ち着くのは歯痒いと思ってしまう。

 

とすれば、やはりこの状況下では自分が気を遣って話しかけてやるのが普通、一般というものだろうか。

しかし、保護者の言葉通り、ある程度の事情が有るとは云え、ありきたりなコミュニケーションを取る

果たして自分にそんな真似出来るのかとも思うが、何かしら発言してしまった以上は続けるべきなのだろう。

なるべく気付かれないように小さく溜め息が降りて、角の取れきれてない紅い眼差しが僅かに薄れた。

 

 

「……朝からランニングしてンのか、オマエ」

 

 

「うぇ!?……え、えぇ……そう、です、けど」

 

 

取りあえず当たり障りのない言葉を投げてみれば、やはり落ち着かないながらも返事だけはどうにか返ってきた。

そこまで動揺を誘う言葉選びをしたつもりは無いのだけれど、悪人面と揶揄されがちな無愛想さが裏目に出たのかは、さておいて。

微妙におっかなびっくりな言葉遣いが気になるが、それでもまずは、といったところである。

 

 

 

「こンな早い時間からじゃねェと駄目って訳じゃねェだろォに」

 

 

「そう……だけど、その、やっぱりこれくらいの時間が一番気分良いというか……」

 

身に付いた口癖という訳ではないのだが、どうしてか皮肉めいた言葉選びになってしまうのはやはり一方通行の問題だろう。

否定するか蔑むか邪険にするかが常である事は自覚しなくてはいけないし、何かに噛み付いてばかり生きてきたからこその辛辣は、光に生きている人間には絡み辛いとでも思われるのも致し方ないし、何かと遠退けがちな距離感の方が寧ろやり易い。

 

躊躇いがちな返答に一々気分を悪くする程にゆとりに溢れた人生では無かったけれど、躊躇いを生ませている事に寧ろ、偽善染みた罪悪感を抱けるくらいには今の一方通行には余裕を作れていた。

尤も、彼女が躊躇いがちな理由がただ単に羞恥心からテンパったままで落ち着かないだけだと云う事に、他人の感情の洞察に疎い彼では到底気付けやしない。

 

 

「貴方は……えぇと……?」

 

 

「……一方通行」

 

 

「アクセラ、レータ……さん、ですか。外国の方、ですか?」

 

 

「違ェ。その名前は能力名」

 

 

「へぇ、変わった名前ですね……あ、私は吹寄 制理って言います」

 

 

「オマエも変わった名前じゃねェか」

 

 

「あぁ……たまに、言われます」

 

 

緊張は陽に晒された氷の様に徐々に溶けて行ったのか、ピンと糸で吊るされたみたく張り詰めていた表情は少しずつ解れて、清麗さと可憐さが織り混ざった、大人へと変わり行こうとする吹寄の整った顔が幽かな微笑みをそっと浮かべている。

一方通行、その忌み名には聞き覚えが無いのか、それともよもや目下の細身の男が、この学園都市の能力者の頂点に立つ存在だとは夢にも思わないのだろうか。

 

 

「それで……一方通行さんは」

 

 

「オイ」

 

 

常人離れした外見だと思ってはいたが、言葉尻は素朴ながらも存外に普通にやり取り出来る感覚がどこか新鮮で、つい興味に駆られるまま疑問を重ねようとした所で、ピシャリと遮った低いテノールに喉を詰まらせる。

また何か失礼な事でもしてしまったのだろうかと冷たい汗がツツッと一筋頬を伝うが、プイと視線を逸らした彼の行動を見守っていれば。

 

 

「……」

 

 

「……えっと」

 

 

ベンチの空いたペースに乱雑に立て掛けていた杖を、端に腰掛ける脚と、ベンチシートに設けられた黒鉄の置き手との僅かなスペースに立て掛け直して、無言の儘に頬杖をついた白い少年の、冷めた横顔。

戸惑い気味に擲った思巡の声にチラリと紅い瞳が一瞥すれば、続けて空いたスペースへと視線が向けられ、もう一度立ち惚けたままの吹寄へと移動して、また逸らされる。

 

けれど、ほんの少しだけ朱を添えた頬は、彼の白色の外見では良く目立つから、もしかしなくても照れているのだと、気付いて。

あぁ、この人、実は物凄く恥ずかしがり屋なのかも知れない、と。

 

 

「座っても……良い?」

 

 

「……好きにしろ」

 

 

「ッ――ん、ありがとう」

 

 

自分で遮って、わざわざ目の前で杖を片付けて、そのまま無言で促しておいて、好きにしろ。

最早わざとらしい位な気遣いだけれど、それを素直に好意と取られるのが恥ずかしい気質が、初対面の相手につい可愛い人だなと思えてしまって。

多分笑ってしまったら、彼の分かり難いようで分かり易い好意も無下にしてしまう気がしたから、何とか堪えながらも素直に反対側のベンチシートに腰掛けた。

 

細く切れ長な紅い瞳と、感情がどこか乏しい白貌は黙っていれば竦んでしまいそうな独特な緊張を放つけれど、存外に彼の性根は暖かいのかも知れない。

どこか幼さを感じさせるぶっきらぼうさについ敬語を崩してしまったけれど、特に気にした様子もなく静かな眼差しで代わり映えしない公園の風景を見詰めていた。

頬に差した朱は、すっかりと影も残さず隠れてしまっていたけれど。

 

 

「それで……一方通行さんの能力って?」

 

 

「一々、さン付けしなくて良ィ。オマエこそどォなンだよ」

 

 

「あ、えーと、私は……無能力者で」

 

 

「そォか」

 

 

どうやら砕けた口調の方が彼としては気楽なのか、視線は余所に向けたまま、ほんの少し溜め息を混ぜた囁きに、何やら陰を含んだニュアンスを感じたのは気の所為だろうか。

質問に質問で答えるな、とついムッと眉を潜めてしまいそうになるけれど、余り能力について語りたくないのか、白い猫の様な睫毛を静かに瞬かせる。

そこまで深刻に捉えてはいないけれど、余り胸を張って無能力者とは言えない負い目も、特に気にした風でもなく流す一方通行に、少しだけ、仄か黒の瞳が呆気に取られて丸くなる。

他人の能力について興味がないのか、特に言及するつもりがないのかは分からないが、馬鹿にしたり不必要に同情したりしない所が、少し心地好かった。

 

 

(……この人も、無能力者……じゃ、ないわよね?)

 

 

もしかしたら、吹寄と同じ立場なのかとも勘繰ったが、少なくとも能力名で名乗っているのだから、それは無いだろう。

それに、何だか只ならない雰囲気というか、どこか研ぎ澄まされた刃身に似た鋭さが、無能力者という枠組みで捉える事を否定する。

余り穿った見方をするのも憚れるのだが、高位能力者だと言われた所でそこまで驚かないくらいには、一方通行の雰囲気は、出来上がってしまっていた。

 

けれど、さっきの一幕にまた新たな疑問が沸いて、取り敢えず能力の事については保留にしておく事にする。

余り、探られたくないデリケートな問題なのかも知れなかったから。

 

 

「一方通行……って、何歳なんですか?」

 

 

「あァ……オマエは?」

 

 

「……あの、オマエじゃなくて出来れば名前で。折角教えたんだから、ちゃんとそっちで呼んで下さい」

 

 

「チッ……あァ、ッと……吹寄は?」

 

 

またも質問に質問で返す上に、一応名乗った以上は名前で呼ぶのが礼儀であると、そういう方面にはお堅いと評されるだけあって、吹寄は形の良い眉をやや吊り上げながら迫りがちに距離を詰める。

反射的に舌を打ちながらも、気不味そうに顎を下げながら答える辺り、余り人の名前を呼び慣れていないのかも知れない。

本当に恥ずかしがり屋なんだな、と絆されたのか眉を緩めながら、けれど礼儀はしっかりして貰わないと困ると云う堅物な少女らしい妙な潔癖さ。

口煩い、色気が無い、そう評される理由が吹寄の年寄り染みた気性が主な要因だと、彼女は気付いていなかった。

気付いた所で、変えようとは思わないだろうが。

 

 

「私は、今年16歳。高校一年ですよ。一方通行さんは?」

 

 

「……同じ高校一年だ」

 

 

「じゃあ、同い年って事?」

 

 

「…………」

 

 

「違うの?」

 

 

「……」

 

 

何か答え辛そうに視線も組んでいた脚もわざわざ組み替えてそっぽを向いて逃避を図ろうとする一方通行は、何だか気に入らない。

所詮はたまたま会ってひょんな事から会話が弾んだとも言い難いが、それでも名前ぐらいしかまともに答えてくれないというのは、礼節に潔癖がちな吹寄にも見過ごせなかった。

自分の方が初対面の相手に図々しいのではと謗りを受けても仕方ないが、折角好印象から入った相手にすげなくされるのも、何だか寂しい気もするから。

 

 

デリケートの部分というよりは、ただ単にバツが悪いだけな横貌へともう一度問い質すように身体を近付ける。

すると、漸く観念したのか鬱陶し気に溜め息を一つ零しながら、一方通行は白状した。

 

 

「ねぇ」

 

 

「……15」

 

 

「あ、やっぱり」

 

 

「ンだよ、そンなにガキくせェってか、俺は」

 

 

つい口を付いて出た本音に瞳を吊り上げて睨み付ける一方通行の、どこか拗ねて剥れる年相応さが垣間見えて、擽ったい気分になりながらも違う違うと掌を振る。

大人びた外見と雰囲気ではあるけれど、無愛想な裏に見え隠れする稚拙な甘さは、確かにちょっと子供っぽいな、と。

問題児ばかりのクラスメイトを纏めていた委員長だけあって、そういった機敏は散々鍛えられてしまったのだろう、元来の面倒見の良さも手伝って、こういう輩には割と得意気な吹寄である。

 

 

「一つ下か、じゃあ敬語は良いわよね」

 

 

「時々タメ口になってた癖に良く言う」

 

 

「良いじゃない、別に。ところで学生……なの?」

 

 

「……一応な」

 

 

学生の身分でありながら、学園に通わない者など、この学園都市という場所には結構ザラに居たりする。

スキルアウトという集団は、その代表として挙げるには持ってこいだろう、彼らの心情を汲み取れない訳ではないけれど、だからと云って不遇に腹立てて腐るなど許し難いと考える吹寄に同情するつもりはない。

 

険を含む嫌いのある一方通行もまたスキルアウトと思えてしまうが、仮にそうだとしても性根は優しそうな彼だから、万一スキルアウトだとしても正して見せようと覚悟する。

袖振り合うのも多生の縁とも言えるだろうし、見込みのある不良を更正させるのも、問題児ばかりのクラスメイトに世話を焼く事の延長に過ぎないだろう、と。

闇に生きる者からすれば愚かしい偽善と嗤われるだろう彼女だが、邪道も知らずに生きてきた吹寄ならではの魅力なのかもしれない。

尤も、彼女の意気込みなど懸念でしかなかったようだが。

一応、という言葉に引っ掛かりを覚えながらも、社交辞令みたいものかとさっくりと流した。

 

 

「へぇ……私はとある高校なんだけど、一方通行は?」

 

 

「長点上機。今は休学中だが」

 

 

「なッ、長点上機!? あのエリート集団の……?」

 

 

「そンなお綺麗な集団じゃねェよ、あンなとこ」

 

 

軽い気持ちで尋ねたつもりが、まさか昨年度の大覇星祭の優勝校の名前がポンと出た事に大袈裟に目をひん剥いて驚愕する吹寄に顔を顰める一方通行だったが、彼女の反応は決して可笑しくない。

学園都市の五本指に入り、ましてや大覇星祭の二連覇優勝をもぎ取った実力を持つ、超エリート校といっても可笑しくない程であり、能力開発の分野においては他の追随を許さないと囁かれているぐらいだ。

 

そこに通う生徒達の能力は完全に非公開であり、有名なエリート学校である常盤台中学と比べて、徹底した能力至上主義が敷かれているとか。

噂程度でもそんな規模な学校に席を置いている一方通行は、思ったよりもとんでもない存在なのかも知れない。

 

けれど、当の本人からすればさして誇る訳でもなく、寧ろ長点上機に余り良い印象を抱いていないような素っ気ない反応と、休学中というフレーズが少し引っ掛かった。

続けて、彼の持つ杖へと目を向けて、ある仮説が吹寄の脳裏に浮上した。

 

 

(……もしかして、休学中なのって、怪我をしてるから?)

 

 

何らかの怪我を最近してしまって、復学までの療養がてらの朝の散歩、という状況に当て嵌めれば初めてこの公園で一方通行を見掛けたというのも納得がいく。

能力について明かさないのも長点上機の校風が絡んでいるならば腑に落ちるし、あの学校に通うぐらいならば、もしかしたら一つ飛び級している可能性も考慮出来る。

うーむ、と何やら気難しく思巡する吹寄を一瞥しながら、一方通行は余り探られても気持ちの良い内容ではないので、取り敢えずこの流れは余り宜しく無いなと話題の方向性を変える。

 

 

「オマエよォ……」

 

 

「吹寄制理!」

 

 

つい反射的に異議を唱えてしまうが、一方通行は少し面倒臭そうに眉を潜めるだけで、意外にも反抗的な態度は示さない。

彼としては口煩くされるのは不快であるのだが、どこか内心では頭の上がらない保護者と同じ厳しさを漂わせる吹寄に、何故だか声を荒げる気にはなれなかった。

第三次世界大戦を経て一方通行の新境も変化があったのか、少し牙を丸めたような大人しさを見せる彼を、成長だと気付けたのは彼の保護者たる元研究員と警備員兼保護者くらいだろうが。

 

 

「吹寄は、毎日ランニングしてンのか?」

 

 

「え? まぁ、そうだけど……もしかして、興味あるの?」

 

 

「まァ……少しは。杖付きってのも面倒なンでな」

 

 

「あぁ、リハビリ……確かに、ちょっと不健康そうよね、一方通行。というか、痩せ過ぎな気が……」

 

 

「うるせェ、そこは余計だ」

 

 

痩せ過ぎという評価にピクリと過剰に反応する辺り、どうやら一方通行としても気にしている事らしい。

そういえば、最初の時もランニングに興味を示していた気もするし、もしかして彼は不自由な身体をリハビリする手段を模索しているのではないだろうか、と。

 

 

「でも、怪我してるから杖を付いてるんじゃないの?だったら余り無理しないで、素直に病院に通うのが普通だと思うんだけど」

 

 

「……病院には定期的に通ってンだがな。リハビリっつゥのもまァ……思い付きみてェなモンだ。杖付いてるが、歩けねェって訳でもねェよ」

 

 

「成る程……じゃあ、ウォーキングから始めてみたら?後は、健康的な食事とか製品を取り入れたりするのも良いわね、牛乳とか。因みに私はムサシノ牛乳をオススメするわ、カルシウム以外にも健康指数の高い優れものよ。あっ、そういえば最近通販で買ったビタミン複合のアメがなかなか……」

 

 

「ァ?いや、オイ……」

 

 

「古臭いとか年寄っぽいとか言うけど人間やっぱり健康第一よね。というか、ちょっと一方通行は痩せ過ぎだし骨も何だか脆そうだしこれは不健康よ、戴けないわね。まだ15歳なら今から栄養形成していかないとこれから先が恐い……」

 

 

「待てオイなンだオマエ一気に捲し立てンなァ!」

 

 

吹寄は自他共に認める程の健康オタクであり、その通称の通り健康意識も高く、またその知識を共有したいという欲求も当然ながら強い。

眉目秀麗な外見に目が行って気付くのが遅れたが、吹寄の目からすれば杖付きだから致し方ないとしても、一方通行はかなり細身で肌も白く、不健康という評定が下されても仕方がないだろう。

 

つまり、吹寄にとっては自身の健康グッズの普及をするには絶好の相手が見事に転がり込んできた、という認識といっても過言ではない。

つい熱が入って早口で捲し立てて一方通行に迫ってしまった事に気付いた吹寄は、慌てたように咳払いを一つ落とした。

 

 

(でも、正直心配よね……)

 

 

加熱した頭を少し冷やしながらも改めて、辟易とした視線を向ける一方通行を眺めて思考を巡らしてみる。

細身の身体で、先程迫ってしまった際に押し返す腕の力も男にしては弱かったし、肌も病的とまでは言わないまでも真っ白だから、殆ど運動も出来てないのだろう。

初対面の相手にリハビリについて尋ねるぐらいだ、健康についての知識も乏しい、というよりは今まで興味を抱いていなかったという方が近いのかも知れない。

 

 

「ねぇ、病院でリハビリはしないの?」

 

 

「……まァ、出来ない事もねェンだろォがな」

 

 

そのまま黙り込んで表情をより一層顰める辺り、病院でのリハビリも可能ではあるが、余り気が進まないのだろうか、と。

親に見られるのが嫌とかそんな可愛らしい理由も、このぶっきらぼうな少年ならあながちあり得そうだと、気付かれないくらいに薄く微笑んで。

 

 

(なら、まぁ……一肌脱いであげましょうか)

 

 

医療的なリハビリについては余り詳しくないけれど、健康という面に関して言えば自分はエキスパートだと自負出来る。

袖振れ合うのも他生の縁、偶然とはいえ折角の貴重な出会いでもあるし、善行は積んで損は無いと、面倒見の良い姉御肌な気質も影響して、彼女の心は決まっていた。

 

 

――それに。

 

 

(何か……放っといたら無茶しそうだし。この子)

 

 

無愛想な裏の無自覚さが垣間見えるこの変わった少年は、放っておいたら、無茶なリハビリして怪我をしそうだと、一方通行からした憤慨しそうなイメージを抱く。

しかし、彼の保護者両名、彼の被保護対象である幼い少女ならばよくぞ見抜いたと喝采しそうなぐらいに、その評価は当たっているのだから、流石は問題児ばかりを纏め上げる委員長、吹寄制理の慧眼と言えよう。

 

 

「じゃあ、明日もこのくらい……いや、今の30分くらい前が丁度良いわね。その時間に、また此処に来なさい」

 

 

「……は?」

 

 

「リハビリ、手伝ってあげるって言ってるのよ。取り敢えず、まずは軽いウォーキングから始めましょうか。あ、明日はジャージとか動き易い格好で来なさいね」

 

 

「なっ、なンでそォなンだよ!? 人の話聞けやコラァ!」

 

 

実にイイ笑顔で着々と予定を組み立てる吹寄に威嚇して毛を逆立てる猫さながらに吠える一方通行だったが、彼女は一度決めたら中々に頑固である。

豊満な胸元を強調する腕組みをしながらウンウンと頷いている吹寄の好意のごり押しに、彼は戸惑いを隠せない。

 

ただ単にリハビリ方法について考えてみようと思って気軽に尋ねれば、思考のステップを数段飛ばしていきなりリハビリに協力すると言われたのだから、一方通行の心情も尤もである。

寧ろ当人の一方通行より吹寄の方が俄然乗り気であるのはどういう事なのだろう。

人の善意など碌に受け取るどころか反射する一方通行だからこその狼狽という面も関係してはいるのだが。

 

 

「良いから、人の好意は黙って受け取りなさいよ」

 

 

「そォいう問題でもねェだろ! 初対面だぞ俺らは、寧ろ厚かましいわァ!」

 

 

「でも貴方……いや、もういっか。分からず屋な一方通行なんてバカミ条と一緒で貴様でいいわね、うん……兎に角、一人でリハビリするよりはサポートが居た方がいいでしょ。そういう事よ」

 

 

「どォいう事だァ!?あァ畜生、無能力者ってのはどいつもこいつもォ……」

 

 

「なっ、無能力者は関係ないでしょ!もう、面倒臭いわね、歳上の言うことはちゃんと聞きなさいよ!思ったより長話になっちゃったし、学校もあるから私はもう行くわ。ちゃんと明日来なさいよ、一方通行!来なかったらキッツいのお見舞いしてやるから!」

 

 

「は、はァ!?オイ待てコラァ!話聞けよもォォォォ!!」

 

 

 

蒼を徐々に深めていく晴天に、困惑を全面に押し出した男の咆哮に驚いて一斉に飛び立った。

風を切って旋回して、音の発信源を見下ろせば、何故だか見捨てられたかの様に顔を曇らせて頭を抱える一方通行と。

 

 

良いことしたなと御満悦な吹寄の美しい笑顔が、見事な対比で咲き誇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『Sirius』________『焼き焦がすもの』






Sirius:シリウス

おおいぬ座α星 (α CMa)

スペクトル型:A1Ⅴm

距離: 8.6光年

輝き: -1.46等星 全天第一位

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