星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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Re:Play 3『Arcturus』

「最近あなた顔色良いよねって、ミサカはミサカはコーヒーとミルクを一緒に飲んでるあなたの隣に座ってみる」

 

 

「糖分なんて邪道と言わんばかりにブラックばっか飲んでた中二病がやっと改善されたの?それともメンタル同様味覚まで子供染みて来ちゃったのかなぁ、このモヤシは」

 

 

「うるっせェンだよステレオでピーチクパーチクとォ……何飲もうが俺の勝手だろォが」

 

 

「食事中でも頑なにブラックコーヒーばっか飲んでるようなカフェイン中毒者がいきなりミルクも一緒に、とか狙ってるとしか思えないじゃん。まさか今更カルシウム取って貧弱ヒョロヒョロな体格を変えようとでも思ってんのぉ?ぎゃはは、似合わねー」

 

 

「えーでも牛乳は栄養も良いから飲んで損はないってヨミカワも言ってたし、コーヒーばっかり飲んでるよりもよっぽど良いことじゃないのかなって、ミサカはミサカは……ミサカにも牛乳ちょーだい」

 

 

「自分で注げよクソガキ。勝手に飲もうとすンじゃねェ」

 

 

「ミサカだけ無視すんなし」

 

 

昼食も終えた昼下がり、牛乳を飲むだけで此処まで不思議に思われる人間も早々居ないが、病的なまでに胃の悪くなりそうなブラックコーヒーばかりを飲んでいる一方通行がコップ半分の少量とはいえ牛乳を摂取しているのだから、同居人である打ち止めと番外個体からすればいっそ指摘して欲しいのかと思うぐらいに疑問を呈すのは致し方ないだろう。

 

出逢ってまだ一年にも満たないとはいえ、殺伐で平穏で濃密な時間を一方通行と共に過ごした間柄である、一見すれば姉妹に見えそうな打ち止めと番外個体からすれば、一方通行がコーヒー以外を飲んでいるのを殆ど目撃した事がない。

活発な陽光のフィルター代わりの綺白に透けたカーテンを背景にコーヒーをメインに牛乳をテイストに挟む姿は一方通行の外見も伴って中々に様になってはいるが、見惚れるよりも先ず、その光景の貴重さに目を瞬かせる。

 

打ち止めとしては妹達間でバストアッパーと名高いムサシノ牛乳を最近愛飲しているからこそ、栄養面が心配になりそうな一方通行が牛乳を摂取している事を不思議に思いながらも良い傾向と収めれるが、番外個体としては純粋に戸惑っていた。

一方通行に対しては憎まれ口しか叩けない彼女だからこそ言葉上では辛辣そのものだが、実はどこかで頭でも打ったんじゃないのかとすら思ってすらいる。

身近な人間の唐突な変化に真剣に考察するよりも、気味悪がって戸惑う辺り、グラマラスな外見ながら妹達の中でも末の妹であり、中身は零歳児だったりする彼女らしいとも言えた。

現に、明からさまに敢えて挑発の言葉を聞き流した一方通行に対して僅かに剥れているのだから、そこだけはちゃんと歳相応である。

 

 

「でも最近あなた朝も早いよね、ってミサカはミサカはいっつもお昼に起きてたのに、最近ミサカよりも早く起きてるあなたを不思議に思ってみたり。散歩でもしてるの?」

 

 

「朝から散歩とか、ついに白髪と杖付きが祟って一気に爺になっちゃったのかにゃーん?ぷくく、その内、ボケが始まったりしそうでウケるんですけどぉ……心配しなくてまこのミサカがちゃーんと面倒見てやんよ。介護施設の闇を白モヤシで実践してみるのも面白そうだしぃ?」

 

 

「オマエに介護されるぐれェなら自ら命絶った方がマシだ、この零歳児が。つゥかオマエまで何勝手に飲もうとしてやがンだ。冷蔵庫にまだあンだから自分の分は自分で注げ」

 

 

「別に飲もうとした訳じゃねぇし、こん中に砂糖五杯くらいぶちこんでやればさぞお強い第一位様の顔もぶっ細工に歪むだろうねって思っただけ」

 

 

「実行しやがったら思う存分その面不細工に歪ませてやンよ」

 

 

「相変わらず喧嘩ばっかりなんだから……って、ミサカはミサカは年が明けても口を開けば険悪な二人に呆れてみる。はい、ワーストの分だよ」

 

 

「……ミサカ別に飲みたい訳じゃないんだけど。まぁ、おチビの好意を無下にしたら親御さんが睨んでくるから飲むけど」

 

 

コトリと置かれたコップに並々と注がれたムサシノ牛乳の水面を眺めながら、不満も含めた複雑な表情を浮かべながらも、チラリと一方通行を一瞥する番外個体。

昼時に起床する自堕落さは鳴りを潜めて打ち止めや番外個体、場合によっては芳川桔梗よりも早く起きているらしい彼は、彼女にとっての一方通行の人物像を打ち壊すかの様で、どうにも受け入れられない。

 

一体何を考えているのかと言わんばかりに澄ました表情でコーヒーを啜る白い横顔を、ひっそりと浮かぶ隈をより濃くしながら睨みつける。

 

大した事ではない、ちょっとした気紛れ。

テレビか何かに影響された、些細な思い付き。

 

何故だか、そんなつまらないオチとは思えない。

何かを隠している、そんな後ろめたさ染みたモノを嗅ぎ取ったのは、女の勘か、虫の知らせか。

どちらにしても、蚊帳の外に置かれてしまっているかの様な薄っすらとした寂寞感が、番外個体に苛立ちに似た何かを抱かせていた。

 

 

(ミサカを背負うだとか言ってた癖に、このクソモヤシ)

 

 

心の水面は細やかに波風を立てるだけで、歯噛みする様なキレの無い暴言は口を付いて溢れて、けれど深入りは出来ない。

白々しい横顔に睨むだけの精一杯を、幼き少女だけがやれやれと、顔立ちに似合わない成熟さで以て、致し方なさそうに眺めていた。

 

 

 

―――――

―――――――――――

 

 

 

薄鈍色の冬雲が肌を刺す風の冷たさを一層に煽って、見上げた空と同様に陰って鬱屈とした内心を苛立たせる。

ピッタリとゆとり無く細身を纏うファー付きのコートを手繰りせた所で、心の鬱も身体の冷えも緩和するには至らない。

 

 

(黄泉川のヤツ……あの健康バカにすンなり吹き込まれやがって……)

 

 

吹寄が折角薦めてるんだから、ちゃんと飲まないとダメじゃんね?

 

いけしゃあしゃあとした憎たらしい笑顔を浮かべながらそう言ってムサシノ牛乳を掲げてみせた愛穂の脳裏が、歯噛みするだけの苛立ちに拍車を掛ける。

どんなやり取りが合ったかは彼の知るところではないけれど、吹寄と愛穂が結託して一方通行の健康面を改善するべく行動しているらしく、朝早くからのウォーキングだけのみならず、愛穂の用意する食事のメニューにも野菜が増えて、冷蔵庫にムサシノ牛乳のストックが補充されたりと、計画的に事が進められている。

 

挙げ句、番外個体や打ち止め、芳川桔梗に対しての口止めをした一件を承諾した癖に、それを盾に反抗の意思を潰そうとする辺りが気に食わない。

現状の改善としてリハビリを視野に入れていただけあって、事の始まりを作ったのは他でもない一方通行自身だったからこそ、仕方なく歯噛みするだけに留めてはいたが。

 

 

(結果的に揶揄われンなら意味ねェっての)

 

 

番外個体に知られて鬱陶しく絡まれるのが嫌だったからこその口止めだったのだが、急な一方通行の健康志向に不審さを抱いた彼女の探るような視線を向けられるのも鬱陶しい。

その視線を振り切るように散歩と称しての外出をしている現状に、これでは本末転倒ではないか、と。

いっそ最初から隠さなければ良かったかも知れないと、今更過ぎる後悔に苛まれながら、渡り歩く群衆に紛れてひっそりと溜め息をついた。

 

 

休日の第七学区は人通りが多く、その中で一際異彩を放つ白髪紅眼の外見は衆目を集めているのだが、やり切れなさを深める思考にズブズブと脚を取られている一方通行がそれを意に介していないのは、幸いと言える。

というよりは、打ち止めを連れて外出する機会も多かった為により一層注目される事などザラと言えたので、馴れが招いた無意識というべきか、自然と意識をしなくなっているのだろうが。

 

 

しかし。

 

 

 

「……おなか…………空いたんだよ…………」

 

 

「………………またかよ」

 

 

ペタリと脱力しながら蚊の鳴き声にも劣る覇気の無いソプラノで呟きながら行き倒れている真っ白けな修道女を目下にすれば、流石に一方通行とはいえ意識せざるを得ない。

一度ならず二度までも。

凄まじい既視感に見舞われる光景を前に、頭を抱える様に嘆息しながら見下ろす一方通行に目敏く気付いた修道女は、腹を空かせた猛獣の如く俊敏さで一目散に彼へと掴み掛かった。

 

 

「あ、あなたは……いつぞやごはんの人!ごはんの人なんだよ!」

 

 

「誰がご飯だチビシスター……まァた行き倒れてンのかよオマエ」

 

 

一方通行にとっては『0930事件』以降の遭遇となる暴食シスター、インデックス。

かつてウィルスに囚われた打ち止めを救って貰ったり、一方通行にとっては並々ならぬ存在である事は間違いないのだが、修道の欠片も滲ませない彼女の姿に、途徹もない疲労感に襲われる。

 

 

「う、うん。とうまがまた補習だからって居なくなっちゃって…………」

 

 

「そンでわざわざ探してたってかァ?オマエの言うヤツが補習だってンなら、ほっときゃ戻ってくンだろォに」

 

 

「でも……お腹空き過ぎて死んじゃうかと……昨日もほんの少しのモヤシ炒めだけだったし…………」

 

 

「ソイツは……」

 

 

なまじ健康に煩い知人がつい最近出来てしまっている為に、モヤシ炒めという栄養面でも文字列的にも彩りのないメニューに思わず閉口する一方通行。

いつぞやの腹を空かせたインデックスに食事を恵んだ際にも飢えた獣もかくやと言わんばかりに貪り付いていた光景から、単純に健啖家なのかとも思っていたのだが、どうやらそれだけではないらしい。

少量のモヤシ炒めでは腹も満たされなければ、心も萎んで飢えてしまうのも当然だろうな、と。

 

 

「……ひもじいんだよ…………白い人、たすけて……」

 

 

「………………ハァ……」

 

 

鮮やかなエメラルドグリーンの大きな瞳が、主に救いを求めて祈る修道女さながらの懇願を訴えるように、ジワリと涙を滴らせて揺れている。

腰を折って縋る姿は、後光射すステンドグラスの眩い教会であればさぞ型に填まったワンシーンになっていたのだろうが、生憎神魔オカルトを真っ向から否定するこの科学の街では格好が付かない。

 

けれど、その祈りに応える者はしっかりと顕現しているようで、迷える子羊にとっての白髪の救世主は、面倒臭気に瞑目しながらも、結局は救いの手を差し伸べるのであった。

 

 

――

――――

 

 

 

「ぷっはぁ……久々に満足出来たんだよ……」

 

 

「…………オマエ、腹ン中にブラックホールでも内包してンのかよ。軽く引くわ」

 

 

「淑女に対しての評価じゃないかも。さっきも聞いたけど、あくせられーたは本当に何も食べなくて良かったの?」

 

 

「見てるだけで腹一杯だっつの……」

 

 

「どれもとっても美味しいのに、勿体無いかも……あ、デザートも頼んでいい?」

 

 

「好きに頼めよもォ。こンな小せェ姿形の癖によくもまァ……」

 

 

「むぅ、子供みたいに頭を叩かないで欲しいかも。じゃあ、このストロベリーサンデーにするんだよ!」

 

 

「へいへい……」

 

近場の呼び出しボタンを押して、ファミリーレストランの少し硬めのソファにポスリと背を埋めて、皺を寄せ過ぎて痛みすら感じる眉間を細長い指で解す。

どこか頬を引き攣らせながら固い笑顔を浮かべて注目を伺う顔立ちの可憐なウェイトレスへと、ストロベリーサンデーのみならずレアチーズケーキや季節のシャーベットなどを図々しくも追加注文する朗らかなソプラノに、最早一々突っ込む気分にもならない。

寧ろ、山と積まれた空の食器に内心ただならぬ動揺を抱えながらも必死に接客しているウェイトレスに同情さえしているぐらいだ、一方通行ですら眩暈を覚える事象にこうも対応しているウェイトレスのプロ意識は素直に賞賛しても良いだろう。

 

 

「むふぅ、デザートなんて二ヶ月ぶりかも。ありがとう、あくせられーた」

 

 

「……礼は良い。ンで、オマエは三下野郎はいつ頃に補習終わるとか、そォいうの聞いてねェの?」

 

 

「遅くても夕方までにはって言ってんだよ……あれ?三下って……とうまの事?え?あくせられーた、とうまと知り合いだったの?」

 

 

「……ロシアに居る時、ちょっとな」

 

 

「ロシアの時……」

 

 

ロシア。

 

第三次世界大戦の折に、インデックスが不遇の立場に立たされていたという内容を、風斬氷華にほんの触りだけではあるが聞いていた事を思い出して、彼女の前で使うべき単語では無かったと内心で後悔の念を抱く。

デザートを心待ちにして煌めいていた瞳が陰を添えて、快活なインデックスの表情が萎んて行く様を見れば、言葉選びを失敗した事は容易に想像がついて。

 

けれど、一方通行がロシアでの激動の夜を越えてからずっと心の内に収めていた言葉を告げるには、良い機会なのかも知れない。

日本人離れしたドールチックな整った顔立ちをしょんぼりと曇らせたインデックスの耳に届く、コンッとした、少し鈍めの甲高い音。

人差し指で強く叩いたような響きにエメラルドの瞳がパチクリと長い睫毛と共に瞬けば、次に映るのは真っ直ぐにインデックスを見つめる、彼岸花の緋色に似た彩りの深い紅い瞳だった。

 

 

「……オマエには、打ち止めを救って貰った事があったよな。0930事件の時だ、覚えてンな?俺と木原……顔面入れ墨野郎とやり合ってた日だ」

 

 

「0930……えっと、打ち止めってあの時の小さい女の子だったよね。うん、勿論覚えているんだよ」

 

 

「あの時、オマエのお陰で打ち止めは助かった。ンで、ロシアの時にもまたオマエに助けられてンだよ、俺は」

 

 

「え?ど、どういう事?私にはロシアであくせられーたとあった記憶なんてないんだよ」

 

 

改まって話すのにはどうにも落ち着かないのか、手持ち無沙汰に特徴的なデザインの杖を細長い指先で弄りながらも、姿勢は妙に畏まってる少年の言葉に、インデックスはこてんと見た目相応に愛らしく首を傾げる。

ロシアでは自意識の空白が見受けられたが、少なくとも彼女の記憶上では一方通行と顔を合わせては居なかったし、一方通行と遭遇したらしい上条当麻からもそんな話は聞いていない。

となれば、『自動書記』の遠隔制御霊装を使用されて意識を失っていた際に彼とコンタクトを取っていたのかと予測するが、彼の口から紡がれた真相はインデックスにとって衝撃的だった。

 

 

「あのクソガキが性懲りもなくピンチに陥りやがってなァ……そン時に、オマエが謳ってた『歌』を使わせて貰った」

 

 

「え?……えぇぇ!?そんな、あれは普通の人間にも扱えないし、それ以前に……」

 

 

「魔術、だろ。覚悟の上で使ったンだ、後悔もしてねェ。幸い、この通りピンピンしてる。だが、オマエにはまだ、その分の礼も言えてなかった」

 

 

だから、と。

そう一区切りを置いて、鋭く尖ってばかりだった一方通行の表情が、ふっと和らいで幽かな綻びを作り出す。

インデックスの記憶において、常に不機嫌そうにしたりボロボロになったりとしていた彼の表情が、初めて年相応に見えたのは、一方通行が無意識ながらも自然体な心でもってインデックスと対峙しているからだろう。

 

無愛想でも悪人相でもない、優しげで静穏なこの表情こそ、一方通行と名乗る少年が滅多に見せない本当の顔なんだろうなと、修道女らしいインデックスの母性が、そう心の奥底でひっそりと囁いた。

 

 

「あり、がとォよ……インデックス」

 

 

詰まらせながらも、何とか視線だけは逸らすまいと云う真摯さを携えた紅い瞳には、その選択の後悔なんて一欠片も浮かんでいない。

守りたい物を守ろうと我武者羅に戦う男の子の真っ直ぐ過ぎるその瞳は、インデックスの良く知る馬鹿みたいに愚直な男の子ととても良く似ていて。

能力者が魔術を行使したという驚きよりも、男の子ってどうしてこんなに無茶をするんだろうと、一周回って呆れてしまうのだから不思議だ。

けど、そういう直向きさは、いつまでも嫌いになれない。

 

 

「………………もう、そんな顔されたら、素直に怒れないんだよ」

 

 

「オマエに怒られよォが知った事かよ。一応、ケジメだけは付けときたかっただけだ。貸し借りの分は今回の奢りでチャラだかンな」

 

 

「むぅ、それなら遠慮せずにもっと食べてれば良かったかも」

 

 

「はァ?まだ食える余裕あンのかオマエ…………冗談抜きで胃袋とブラックホールが直結してンじゃねェのか」

 

 

「ふっふーん、私の限界がみたいと言うのならば望むところなんだよ!」

 

 

「……三下のヤツ、とンでもねェシスター飼ってンな。ムカツク野郎だが、ちょっと同情するわ」

 

 

インデックスが既に平らげた料理の品数は既に十五品を越えており、更にデザートも三品も追加するという大暴食っぷりを見せ付けておいて、まだ余力を残しているらしい。

七つの大罪に置ける暴食に思い切り該当している癖に、それはそれ、これはこれと開き直っているインデックスの底知れなさに戦慄しながら、コーヒーを啜る一方通行。

 

らしくもない真剣な御礼など、生まれてこの方、殆ど無かったので妙に畏まってしまったモノだが、不格好ながらもケジメを付ける事は出来たと、心中で安堵を一息ついた。

似合わない真似と言われれば否定は出来ないし、同居人や

グループの元同僚達にでも見られたら間違いなく揶揄われるか、目や耳を疑われるだけであったが、どうやらインデックスは至極真面目に受け入れてくれたらしい。

 

 

「お待たせ致しましたぁ」

 

 

「おー美味しそうなんだよ!あくせられーたもどれか食べる?」

 

 

「甘いモンは苦手だって言ってンだろォが……ホットコーヒー追加で」

 

 

「あ、はい、畏まりました!ブラックで宜しかったです……よね?」

 

 

「ン、あァ……」

 

 

「はい!では、少々お待ち下さいませぇ」

 

 

甘ったるく丸っこい声を弾ませてトコトコと落ち着きなくホールを駆け回って行った年若いウェイトレスは、そういえば以前から度々打ち止めを連れて此処を訪れた際にも自分達を案内してくれたのは彼女だったか、と。

取り分け重要でも無い事にのんびりと思考を逸らせるぐらいの空気のゆとりは平穏そのもので、安らぎに揺られて薄熱を帯びた瞼が、夕暮れの斜陽に似た悠長な睡魔に誘われて重くなる。

 

御礼を言う、たったそれだけの事すら出来なかった幼稚さを置き去りにして得た奇妙な達成感が、どこか心地好い。

それほどまでに一方通行という人格が変わったのか、目の前でチーズケーキを味わっているインデックスの放つ、柔らかなシルクで包み込まれる様な不思議な雰囲気がそうさせるのか。

 

 

「――フン」

 

 

どちらも有るのだろうが、少なくとも前者である事を否定するには、自分自身でも説得力が足りないという自覚が今の一方通行にはある。

黄泉川愛穂や吹寄制理の助言や心配りを跳ね除けず、寧ろ向けられる世話焼きを鬱陶しいと思いながらも、何だかんだで、悪くない心地だと。

言い訳や誤魔化し、上面の罵詈雑言で幾ら覆い隠そうとしてみても、自分にだけは嘘は付けない。

あのロシアでの一時、打ち止めに自分の本心を初めて明かしたあの瞬間からきっと、他人から向けられる感情を反射してしまう臆病な反射の膜は、少しずつ崩れているのだろう。

 

崩れてしまうのを恐れる自分と、いっそ崩れてしまえば良いと諦めた自分。

今の一方通行はどちら側に寄りかかっているのか、それを自覚するには、まだ。

 

 

「ねぇ、あくせられーた……」

 

 

「……なンだよ」

 

 

「ちょっと、相談したいんだけど……聞いてくれる?」

 

 

「相談?」

 

 

「……うん」

 

 

カップの底の白陶が見える程に飲み干したコーヒーの残りをどこか自嘲気味に細まって眺めていた紅い瞳が、躊躇いを含んだ似つかわしくないインデックスの呼び掛けに、ふっと前を見据えた。

つい先程までに頬を綻ばせていた彼女の幸福に満ちた表情はそこには無くて、陰りを潜ませた静かな悲哀を纏うエメラルドの瞳が、無意識の内にソファに委ねていた一方通行の姿勢を正す。

 

 

「あのね……とうまの事、なんだけど……」

 

 

「……遠慮すンな。さっさと話せよ」

 

 

食事の奢りなどでは到底釣り合わない恩を受けているインデックスの相談事を、知るかと一蹴する程の冷酷さは当の昔に置いて来ている。

それに、どうしようもない悪党だった自分に、前を向かせる切っ掛けを与えてくれたのは、他でも無いあの男だ。

 

多大な借りを返済するというよりも、純粋に助けが欲しいのならくれてやるとさえ考える辺り、インデックスと上条当麻、この二人は自分にとっても特別な存在であった。

小さな吐息をレストランの喧騒に溶かして、幼子に言い聞かせる様な優しさを潜ませたテノールに促されて、インデックスが少し思い詰めたような、儚い微笑みを浮かべた。

 

 

「あの大戦以降ね、とうまが……元気ないんだよ」

 

 

「……?」

 

 

「最近はそうでもないけど、大戦が終わって……とうまが私の所に帰って来てくれた日から時々、窓の外を眺めてぼーっとしてたり、ちょっと寂しそうに右手を見詰めたりしてるんだよ」

 

 

「あの、三下が、か?」

 

 

「……うん。私がどうしたのって聞いてもね、何でもないってはぐらかすの……」

 

 

ヒーローという称号が如何にも似合いそうな、ブレる事もなく愚直な迄に自分の信念を胸に進んでは、多くの者を救ってきた上条当麻が、揺らいでいる。

人間だから物思いに耽るのは当然なのだろうが、上条がそういう弱さを、きっと彼にとっても大切な存在であるインデックスにも見せてしまっているという事が、どうしてか信じられない。

迷いや不安、戸惑いや躊躇いを抱かない存在とまでは言えないけれど、そういう弱さを決して見せようとしないタイプの揺るがない男だと、インデックスに比べれば密度の薄い付き合いでしかない一方通行ですらそんな印象を抱いてしまう程の存在。

だが、その身勝手な押し付けを自分の不理解だと断ずるには、仄かな憔悴を見せる彼女の様相がそれを遮っている。

 

上条当麻とは同居人であり、深い信頼関係を築いているであろう事が容易に推測出来るインデックスが不安に思うのだから、他愛のないオチだろうと決めて掛かるには流石に憚られた。

 

 

「……心当たりは、ねェか。例えば、アイツが帰って来た時に何か不自然な点があったとか」

 

 

「……とうまが帰って来た時に、聞いたんだよ……どうやって帰って来たの……って。でも、分からないって。気付いたら学園都市のすぐ傍に居たって言ってたんだよ」

 

 

「……」

 

 

今一つ状況を掴み切れない流れに、どうしたものかと歯噛みする様に嘆息する。

大戦の終盤、一方通行が把握出来る範囲での上条当麻の行動の流れをピックアップして思考を巡らせては見るが、心当たりというべきモノは浮かばない。

 

確か天使、神の力を召喚する上でキーとなる儀式場を幻想殺しで壊すべく、空中要塞ベツレヘムの星に乗り込んだ、という経緯までは掴んでは居るのだが、そこから先、彼の同行は把握していなかった。

その後に神の力とベツレヘムの星が衝突し、行方不明になってしまったのだが、ひょっこり学園都市に帰還していた、此処までは良いとして、彼はどうやら自力で学園都市に帰還していた訳ではないらしい。

 

思い当たるのは座標移動を筆頭とした移動系統の能力によって飛ばされたか、同系統の要素を孕んだ魔術によって飛ばされたか、又はそれ以外の何らかが作用したか。

しかし、あらゆる異能を打ち砕く摩訶不思議な力、幻想殺しを駆使する上条当麻に異能が正常に作用するのは少々疑問が残るだろう。

一方通行自体が幻想殺しというモノの性質を理解し切れてない為、幻想殺しにも作用し切れない範囲というモノがたるのだろうが、一方通行の黒翼すら防ぎ切るあの力を鑑みればその線は少し考え難い。

 

魔術や超能力、そのどちらでもない何かの力によって。

例えば、かつて一方通行の黒翼すらまるで紙切れの如く叩き伏せた、エイワスが振るう不可解な、あの力のような何か。

 

 

「それに、あの時……とうま、凄く悔しそうな顔をしてたんだよ」

 

 

「悔しそォ、ねェ……」

 

 

不可解で手に余る状況ばかりがパズルのピースみたいに散らばって、不明瞭さに理不尽な苛立ちすら沸き上がりそうだが、そんな自分の心境は一先ず置いて、得られた情報からの推測を、ある程度組み立ててみる。

考えられるのは、上条当麻がベツレヘムの星に搭乗してからの期間に、彼の心に重責を負わせる程の何かがあった、という可能性。

もしくは、彼が意識を取り戻して自宅へと帰還する最中にアクシデントが発生し、上条当麻が揺らぐ程の何かがあったか。

 

どちらにせよ、重要な部分が一つも明らかにならない以上は薄い線を繋ぎ合わせた、仮説というにも心許ないあやふやな推測。

 

けれど、何故だかその重要な部分――上条当麻が揺らぐ程の何かを、一方通行には思い至る事が出来ていた。

その推察こそ、上条当麻を良く知り、救われてきた者ならばそんな馬鹿なと否定してしまいそうな脆い、仮説ではあるし、一方通行もまた――否、上条当麻をヒーローと掲げていた一方通行だからこそ、否定したいモノだというのに。

 

そんな馬鹿なと、切り捨てる事が出来ない奇妙な確信。

胸の奥底を照らす蝋燭の火みたく揺らめいた、その感覚を、一方通行は密かに噛み締める。

 

 

「あくせられーた?」

 

 

「…………おい、インデックス」

 

 

だが、その推論に至れたのはきっと、他ならぬ上条当麻に

救われて自分自身を見詰め直さなくてはならないと決意を抱いた、あの時。

番外個体と対峙した時の、あの感覚を今でも業火で熱した焼き印を押し付けられる様な痛みと共に刻んだ、一方通行だからこそ至れたのだという結果は、どこか皮肉めいていて。

 

兎にも角にも、これは推論や仮説を積み立てるよりも、上条当麻本人に確かめてみた方が早く、確実だ。

ならばまずは、あの男に会わなくてはならない。

 

 

「三下の家に、今から連れてけ」

 

 

 

そしてきっと一方通行の導いた仮説が本物、或いは限りなく真相に近い推論であったとしたのならば。

上条当麻の心に――深く入り込んで、もしかすれば傷を付けてしまうかも知れないけれど。

 

 

グラスを伝う、溶けたパフェのクリームの白線が、どこか一方通行の小さな決意を示すかの様に、真っ直ぐとテーブルへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

『Arcturus』________『熊を追うもの』






Arcturus:アルクトゥルス

うしかい座α星 (α Boo)

スペクトル型:K1Ⅲb

距離:30光年

輝き:0.05等星 全天第三位


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