星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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Re:Play 4『Rigil Kentaurus』

もう随分遠い過去の様にも、すぐ間近の昨夜とも思えてしまう、鮮烈で、褪せて、どちらに置いておこうか迷ってしまいそうになる、あの日の事。

 

白濁の歪みを固着した餓えた畜生の如き狂笑と、紅血すら凍てつかせる無感情に閉じ込めた冷たい世界。

どこに行き場を与えれば良いのかすら分からない極彩色の悲鳴を当て付ける様に力を振るって、命を壊して、貪って、吐いて。

 

タガが外れた、最初の実験。

振り向けば、棄てられた粗悪品みたいに倒れていた銃痕だらけの少女の姿。

切っ掛けとなった、最後の実験。

傷だらけの少女を庇って自らに挑んだ最弱の最強の姿。

 

 

終わったと、漠然と思った。

不思議と、負けた事への執着すらなくて。

無敵への道を塞がれた事への、遺憾すら微塵も沸き立たなくて。

 

便宣的な名札すら付かない、途徹もない喪失感。

懺悔よりも後悔よりも復讐よりも哀愁よりも、心に孔が開いた処ではない、心全てを隙間なく埋めていく真っ白な虚無だけが、そこに残って。

何がしたかったのか、本当に誰も彼もを遠退ける無敵になりたかったのか、根幹に貼り付いて何かが丸ごと殺された。

そんな建前など、幻想にしか過ぎないと、否定されただけ。

 

 

そして、打ち止めと出逢って、無くなってしまった心の依代すら彼女に置き換えて、正義とは何か、悪とは何か、それすらも分からぬまま、幼稚な線引きで全てを二分した。

それでも良い、そんなあやふやな大義名分にすら縋っていた未熟さを、自分よりも一回りも幼い子供に押し付けて。

仮初めですら満たされてしまう荒廃した砂漠染みた渇ききった心の脆さに、向き合おうともしない。

 

だからこそ、あのロシアでの時、真っ白なキャンバスを黒の濁りで塗り潰すよりも実に容易く、ガラクタの心は限界を迎えてしまった。

壊れて、離れて、掻き集めた張りぼての心がまた、いずれ邪魔になる事を分かっていながら。

それでも、惨めに、不様に、また縋ろうとした幻想の城は、呆気なく塵芥に壊されて。

 

漸く、向き合えたのだ。

妹達を守らなくてはならないという、罪の精算に当て嵌めた虚飾を棄てて。

妹達を守りたいという、本当の決意を抱けた。

為すべきではなくて、為したいと思えた事を漸く選べて。

 

あの日、飾り立ての案山子は、人間に成れた。

人間で在りたいと、願う事が出来たのだから。

 

 

「……」

 

 

音にもならない程に幽かに呟いた言葉に、一方通行の膝元を我が物顔で独占しては堂々と寛いでいた憎たらしい三毛猫が、お前は何考えてると言わんばかりに、彼の細い指先をペシペシと叩く。

鬱陶しい行動を遮るべく、スフィンクスとかいうヘンテコな名前のつけられた憐れな三毛猫のフカフカの腹を細長い指先でコネコネと弄ってやれば、うなーと気の抜ける鳴き声を放ちながら短い尻尾を猫じゃらしの様に右へ左へと揺らした。

 

猫が猫じゃらしを遊ばせてどうするのかと嘆息付く間もなく、スフィンクスよりも何倍も大きい真っ白な猫がエメラルドの瞳を輝かせては尻尾に釣られて揺れているのだから、呆れる他ない。

堅めのベッドに腰掛けている少年の華奢な膝に転がる三毛猫と、見ず知らずの他人の膝であるにも関わらずのんびりと寛ぐ三毛猫が余程意外なのか、白い少年の膝頭にちょこんと両手を置いてその光景を間近で観察している血統札付きの純白のペルシャ猫。

 

二人暮らしには狭い部屋の狭いベッドの狭い領域で纏まっている三匹の猫達は、さながらゲージ内に納められて毛繕いをしているかの様で、当人達は兎も角、第三者から眺めればさぞ心癒される和やかな光景とも言えた。

しかし、ガチャリとドアノブを捻る鉄の鈍い宣告と、妙に間延びした少年の帰還の挨拶によって、極めて稀少で貴重な光景は終焉を迎える事となる。

 

 

「ただいまー……って、ん? 誰の靴だこれ? おーいインデックス、お客……さ……」

 

 

「あ、お帰りなんだよとうま!でもちょっと時間が掛かり過ぎかも」

 

 

「遅ェよ三下」

 

 

顎でも外してしまいそうな程に愕然として、目を白黒とさせる家主、上条当麻の心情は最もではあるのだが、そんな配慮を欠片も見せない一方通行の言葉に、短時間で彼に心を許してしまったらしいスフィンクスの同調する鳴き声が妙に責め立てて当麻には聞こえた。

普段は嘗められているのか気難しいのか家主には中々懐いてくれない三毛猫の心のベクトルすら操ったのかと、気にするべきはそこではない筈の逃避染みた内容を脳裏の片隅で考えている辺り、やはり彼の思考の巡りはそこそこ程度なのかも知れない。

 

 

「あ、あの、インデックスさん……? ど、どうして我が家に第一位様がいらっしゃるのでせうか……?」

 

 

「オマエが第一位とか言うンじゃねェ、嫌味かコラ」

 

 

「いやいやいやそう言うつもりじゃ……と、いうか、本当に何事!? どういった経緯なんだ!? ちょっといきなり過ぎて上条さんの頭がパニックなんだが!」

 

 

「元々パニックしてそォな頭してンだろウニ野郎が」

 

 

魔術師やら能力者やらに襲われる非常事態に陥る事など腐る程にある癖に、こういうイレギュラーにはポンコツっぷりを発揮するのだから不思議な男である。

見るからにツンツンと尖った頑固な髪形を揶揄して貶す一方通行が事情を説明してやれば良いのだろうが、若干鬱憤を晴らすかの様に罵詈雑言を吐き出す白貌は中々に愉快そうで。

そこまでにしといてあげてと言わんばかりにポンポンと一方通行の膝を叩いたインデックスが、仕方なしに事情を説明する。

 

 

「えっとね、私がお腹空いて我慢出来なくなってとうまを追い掛けて行き倒れた所を、あくせられーたに助けて貰ったんだよ。それで……」

 

 

「はぁ!? ちょ、行き倒れたってお前……大人しく待っててくれよ、頼むから……ってまさか、お前一方通行に厚かましく集ったりしてないよな?ん?」

 

 

「……えへっ」

 

 

「可愛く言って誤魔化すんじゃありません! ったく……その、ごめんな、一方通行。インデックスの事だから、相当食べちゃったと思うんだが」

 

 

「……総額一万は余裕で越えたな。普通のレストランで」

 

 

「いっ、一万!!? インデックス、おまっ、どんだけ食ったんだよおいぃぃ!!?」

 

 

「えっと、和風おろしハンバーグとカルボナーラとマルゲリータピザと唐揚げと三種のソーセージとスパイシーチキン添えのフレッシュサラダと……」

 

 

「誰が食べたメニューを一から答えろって言った!? あぁもう、この大食いシスターは……あ、あの、一方通行様、必ずこの子が食べ散らかした金額はお返し致しますので……けど今月はちょっと、もう心許ないと言いますか、出来れば来月まで待っていただければと……」

 

 

インデックスの食事代金分の支払いを徴収しに来たのだろうと予測を立てた当麻は、恐ろしいスピードで鮮やかな土下座へと姿勢をシフトさせ、気力を振り絞るかの様な涙ぐましい声色で交渉を開始する。

差し詰め借金の取り立てる金融社に対して何とか延期を申し立てる憐れな苦学生といった風情で、不思議と違和感がない。

 

当麻の土下座スキルが型に嵌まり過ぎているからか、はたまた膝の猫を撫で付けながら目下のウニ頭を冷たい視線で見下ろしている一方通行の冷めた表情が取り立て役にピッタリなのかは、さておいて。

いきなり錯乱して騒ぎ出したかと思えば、ジャンピング土下座をかましたこの惨めな苦学生に、二度も敗北を重ねたという事実が何だか馬鹿らしく思えてしまって、妙に疲労感を漂わせながら額に掌を当てる一方通行だったが、いつまでも土下座されても鬱陶しいだけなので、事態の先を促すべく薄い唇を開いた。

 

 

「一々土下座すンな、鬱陶しい……金は返さなくて良い、このチビシスターに飯喰わせたのは俺の勝手だ」

 

 

「むぅ、チビは余計かも。というか、子供みたいにポンポン頭叩かないで欲しいんだよ」

 

 

インデックスの保護者としては責任を感じる立場だから致し方ないだろうとは思うが、彼の意を介さぬ場での一抹を背負わすのは、流石に酷な話だ、と。

彼が頭を下げる原因である腹ペコシスターの頭を掌で叩きながら言い放った一方通行の懐深さに、深刻な貧困に陥らざるを得ないと覚悟していた苦学生は、全身の力が抜けた様に弛緩した。

 

 

「まっ、マジでか!? あぁぁ、一方通行様が天使に見える……ありがとう、ありがとう。本気で今月はヤバかったもので……」

 

 

「もやし炒めが食卓に出るぐれェだしな、オマエどンだけ金無ェンだよ。もやしばっか食ってたら流石にぶっ倒れンだろ、このシスターでも」

 

 

「うぐぐ……おっしゃる通りで……」

 

 

「あっ、そういえば家に帰る途中に、あくせられーたとスーパーで買い物したんだよ! お肉とかお野菜とか沢山買ってくれたから、暫くは安泰かも!」

 

 

「えっ、ちょっ、マジで!!?」

 

 

新たに明かされた衝撃なサプライズに気を動転さえ脚を縺れさせながら豹みたく四つん這いで器用に冷蔵庫まで向かう当麻の切迫詰まった残念な姿に、アレに憧れていたんだよなと侘しさと切なさと心細さを抱かざるを得ない。

一方通行の紅い瞳が若干煤けて褪せている事に気付きもしない当のヒーローは、まるで深い迷宮の奥底に眠る宝箱を開けるトレジャーハンターもかくやと言った高揚感に震える手で冷蔵庫の戸を悠長に開けていき、そして。

 

 

「……………神よ」

 

 

豚肉鶏肉牛肉とレパートリー様々な肉製品を初めとして、色味豊富な野菜群、炭酸飲料のペットボトル、卵、魚の切り身等々が満遍なく詰め込まれた、貧困に喘ぐ上条当麻からすれば正しく金銀財宝にも劣らぬ輝きを放つ宝石の山にすら映ってしまう。

一体どれくらい以前にこの冷蔵庫が一杯になったのかすら、彼のショボい記憶野を駆け巡らせても思い出せやしない。

同居人のシスターに影響されたのか、はたまた彼の目には神々しい何かが降臨でもしているのか定かではないが、この科学の街で神に祈らんとする上条当麻の姿は憐れな子羊と言っても差し支えはないだろう。

 

 

「……いや大袈裟過ぎンだろオマエ」

 

 

「大袈裟なもんかよ!?独り暮らしして始めてぐらいだぞ、上条さん宅の冷蔵庫がこんなにも潤ってるなんて!? いやほんと、感謝しても仕切れないぐらい嬉しいんだけどさ……俺、お前にこんな事されても何もお返し出来ないんですけど……」

 

 

「だから礼は要らねェよ。またこのクソシスターに請われンのがうぜェから適当に買っただけだ」

 

 

「良かったねとうま!これで一週間は安泰なんだよ!」

 

 

「いやもっと遣り繰りすれば三週間は手堅い……って、そうじゃないだろ、インデックスは少し反省しなさいほんと! でも、本当にありがとうな、一方通行!」

 

 

「……はン、貧乏人が。まさかオマエ、俺が此処に居る理由がこれだけだと思ってンのか?だとしたら憐れだなァ、抱き締めてやりたくなっちまうくれェに」

 

 

「……え?」

 

 

クツクツと、能天気に歓喜する当麻からの感謝の念をさも愉快そうに、そしてどこか自嘲気味に蔑んだ薄い口角がゆっくりと赤く裂けた半月を浮かばせる。

攻撃的にも、どこか痛みを堪える様にも捉えられそうな歪んだ笑顔とは裏腹に、何かを訴える静穏な紅い瞳はただ真っ直ぐに狼狽する当麻を見据えていて。

 

一方通行が態々自宅にまで押し掛ける理由が、単なる施しだけである筈がない。

静かな決意を秘めた紅い瞳は、あのロシアでの一時を炙り出すかの様に脳裏へと浮かばせた。

 

 

「……表へ出な、三下。話があンだよ」

 

 

憎悪でもなく軽蔑でもなく友好でもなく情愛などとは程遠い、霧雨に紛れた白影の如く幽玄な感情が巣食う低いテノール。

白い少年の複雑な感情の波を不確かな第六感で感じ取ったのか、揺らした尻尾を畳んで彼の膝から降り立ったスフィンクスが、慰める様に小さく鳴いた。

 

 

 

 

 

 

――――――

――――

 

 

 

「こォしてオマエと面を合わせてサシで話すなンざ、あの日以来か」

 

 

「……あぁ、そうだな。けど、あの時は話し合いとかそんな生易しいもんじゃなかっただろ」

 

 

高々と登った太陽も大地を見下ろしてばかりで首を痛めたのか、水平線の彼方へと肩休めに顔を沈めて、療養に漏らした安堵の息吹が、清空の蒼を朱茜へと彩めていく。

通り過ぎていく過去の情景に似て、冬の日暮れはとても早くて、幾ら手を伸ばしてみても、この澄み色がやがて夜の葵へと呑まれて往くのも、止めることなど出来やしない。

 

無かった事になんて、出来る訳がない。

砂硝子の曲線の中で零れ落ちる時計仕掛けの赤砂を止めることを、唯、眺めているだけの感傷の果ての、その輪郭を浮き彫りにする斜陽の光が、目に染みる様で。

 

 

「ハッ、確かになァ。一歩間違えれば、殺し合いだ」

 

 

「……そうだな。あれから番外個体……だっけか? アイツはどうしてる?」

 

 

「一緒に暮らしてる。まァ、口を開けば汚ェ言葉しか言いやがらねェ、とんだアバズレだ」

 

 

「……なんだ、思ったより楽しそうじゃないか」

 

 

「どこがだ、目ェ腐ってンのか、三下」

 

 

古ぼけて錆び付いている寮の鉄階段の、勇んで駆け上がれば今にも軋んですっぽ抜けそうな脆い銅褐色の裏側を悠々と見上げる一方通行の横顔を一瞥すれば、満更でもなさそうに苦笑している。

彼の滑らかな白髪に良く似た、身を凍らせる綺白の雪原での二度目の邂逅を迎えた、ロシアでの一時。

 

今にも壊れてしまいそうな摩り切れた恫喝を挙げながら自身へと挑んで来た時とは違って、静寂と静穏を得てゆとりを持てた少年は、少し大人になったようにも見える。

 

ほんの少しだけれど、強く、そして厚く。

光だとか闇だとか、守る資格だとか義務だとか、そういう概念に縛られる事を棄てた今の彼は、少なくともあの時よりは好ましい。

 

 

「お前、少し変わったな。でも、三下呼びは変わらないんでございますね……」

 

 

「三下なンざ三下で充分だ。それとも、ヒーローって呼ばれる方がお望みかよ?」

 

 

「いやいや、そんなん恥ずかしいだけだって……」

 

 

「はン…………少なくとも、今の『テメェ』には頼まれたって呼ンでやる訳にはいかねェよ」

 

 

「――……一方、通行……」

 

 

煩わしそうな紅い瞳。

苛立ったような低いテノール。

華を手折るようにして握られた細長い掌。

哀れんでいるかの様な、儚い苦笑を浮かべた白い貌。

 

変わったんだな、と改めて思った。

自分が思うよりもずっと強く、自分自身と向き合おうとしている一方通行は、とても眩しくて、好ましくて、羨ましい。

 

 

「……変わったのは、オマエもだろ。何を腑抜けてやがンだ『最弱』。そのザマなら、あのチビシスターにも悟られンのも無理ねェなァ」

 

 

「……そっ、か。隠し通せるだなんて思ってなかったけど……お前には、気付かれちまったんだな」

 

 

錆びた水道の蛇口を捻る様に、足元から力が千切れ千切れにすり抜けていく虚脱感が、幾ら誤魔化しても誤魔化し切れない上条当麻の悔しさを浮き彫りにしていく。

その言葉で、その拳で数多の人々を救い、守ってきた筈のヒーローはそこには居ない。

等身大の無力さを噛み締める、唯の一個の人間に過ぎない上条当麻の悔恨の苦笑に、一方通行が確信を得てしまった様に長く深い吐息を落として。

 

当麻にとってのクラスメイト達にも、面倒見の良い教師にも、彼に執着する電撃使いにも、掛け替えのない同居人にもその奥底を悟らせ無かった事は出来たのだけど。

きっと、誰かのヒーローで在り続ける為に光射す道へと馴染む決意を固めた、この少年だけは、誤魔化す事なんて出来なかったらしい。

インデックスに残る様に強く命じていたのが、その弱味を見抜かれたという何よりの証だろう。

 

 

 

「……誰を救え無かったンだ」

 

 

「ほんと……変わったよ、お前。そこまで分かっちゃったのかよ。流石第一位だな」

 

 

「茶化すな、クソッタレが」

 

 

「……そうだな、悪い。お前の言う通りだよ」

 

 

不思議と、なんで自分の心に蔓延る悔恨の根が分かったのか、とは思わなかった。

寧ろ、自分にとっての守るべき何かを守り続けて足掻き続けた一方通行が理解してくれた事が、どこか嬉しかったのかも知れない。

 

上条当麻の抱える傷を晒すだけの弱さを、受け止めてくれるのかも知れない、と。

省みず、迷わず、いつも心の矛先に赴いては頼ろうとせず我武者羅に突き進んでいた当麻は、無意識に誰かに己の弱さを見せる事すら拒んでしまっている歪みを孕んでいた。

けれど、こうまで見抜かれて、動かぬ証左を突き付けられて、聞いてやるから話せと言外に伝える鮮やかな紅の瞳を向けられてしまっては、もう誤魔化せる訳なんてない。

 

3ヶ月もの間、誰にも話せなかった、誰にも話す事が出来なかった、上条当麻の後悔。

気付かない内に強く握った己の右手の拳が、小さく骨の軋む音を奏でた。

 

 

「……救えなかったんだ、俺は。みすみす、逝かせてしまったんだよ、俺は。とある、大馬鹿野郎を、さ……」

 

 

――

―――

 

 

 

 

脳裏に過るのは、ロシアでの最終決戦の時の事。

空中要塞ベツレヘムの星に刻まれた儀式場を破壊してフィアンマを幻想殺しで以て撃ち破り、遠隔制御霊装に囚われたインデックスの精神を解放した後でのコンテナ収容場所での一幕。

どこまでも愚直に平等を想い、囚われ、歪み、それでも最後まで譲らなかった大馬鹿野郎が、此のまま死なせてしまう事など、上条当麻が許容する筈がない。

全てを平等に救わねばならないと持てる総てを用いて足掻いたこの男には、その責任を取らさせてやらなくてはならない。

 

生きて、救おうとした世界をその目で確かめてみれば良いと、当麻の親友ならば甘いと断じそうな、贖罪の取らせ方だと思いながらも、いつもの様に、自分の心の赴く儘に。

 

けれど。

 

 

『自分の尻拭いすら出来ん男に、そんな資格などあるものか。俺様はそこまで自惚れておらんわ』

 

 

――待て

 

 

『だから、その役目は貴様に託すぞ。如何にも曇ってそうなその凡庸な目では俺様の代わりなど荷が重いだろうがな。それに、貴様には待たせている者がおるのだろう』

 

 

――ふざけんなよ、おい

 

 

『じゃあな、上条当麻』

 

 

一瞬の隙を付かれて、鋭く打たれた首筋の痛みに、意識を取られそうになる最中。

無造作に放りなげられたコンテナの中を転がって、痛覚のない儘、衝撃に揺れて白濁に侵されていく視界の先で。

仄かな紅い輪郭が、薄く笑っていたように見えた。

 

 

 

やがて、意識は途切れて。

 

そして、救いたかった筈の男は、星を冠する要塞を物言わぬ棺桶として、海の藻屑へと消えてしまって。

 

 

 

あの日、英雄は、人間に成った。

万物を救える神などではない、只の人間だと思い知らされた。

 

 

 

――――

――――――

 

 

 

「別に、自惚れてる訳じゃない。全てを救えて、誰も彼もハッピーエンドに導けるとは限らない。分かってたんだ、どんなに足掻いても変えれない結末は確かにあるんだって。でも、それでも……アイツを、フィアンマを救ってやりたかった。アイツが救いたがってた世界を、アイツ自身に見せてやりたかったんだよ、俺は」

 

 

「…………」

 

 

「悔しいんだよ、一方通行……偽善使いだって宣って、やれるだけやって……それでも出来ない事がある。そんなの皆、分かってた事だ。皆、通って来た道なんだ。そうやって絶望したり苦しんだりして来た筈なんだ。でも、俺はそれをいつも幻想だって否定して、手垢のついた理想に押し込んだ。それでも良い、前を向けるなら、それでも良いって」

 

 

声も張り上げない、泣き叫ぶ訳でもない、ただ込み上げる無念を噛み締める様に、悔恨の呪詛の様に垂れ流す。

絶望を抱えて足掻いていた者達の、どこか救いを求めている言葉達を、受け止めて、介錯して、それでもそんな物に

縋るなと否定して、彼等にぶつけた偽善的な理想。

自分の口から紡いだ筈の有象無象の言葉達が、褪せていく様な、悔しさ。

誰かを救うための偽善、では、救えなかった偽善は一体何になるのだろうか、と。

 

 

「自分が貫こうとしていた偽善を嘘にしたくない、そうやって脅えてる俺が居るんだ。否定して来た幻想に、嘘つきって責められてるような気すらしてさ……そんな自分にムカついて、クヨクヨして……でも、簡単には消えてくれねぇんだ」

 

 

相手を理解するということ。

相手の心の奥底まで触れて、相手の立場に成って考えて。

説いて教えるという事はそういう事なんだと。

それを確りと為して、相手を否定してきたのか。

きちんと一から十まで相手を思慮してやれたのだろうか。

 

きっと、上条当麻にはそれは出来ていない。

だからこそ、彼は『偽善使い』にしか過ぎない。

 

 

「綺麗事並べて、相手を救った気になって、いざ躓いたらこんなにも薄っぺらだった。俺は――ヒーローなんかじゃない、自分でそう思っていた筈だったのに、な」

 

 

気味が悪い程に、上条当麻は正道を進み続けていた。

焚き付けられた心の行く先を、祝福されているみたいに、立ち塞がる困難全てをぶち殺せてしまっていた。

まるで、最初から勝利という結果が約束でもされているかの様に。

そうなるのが当たり前であるかの様に、救う事が出来続けていた上条当麻が、初めて救う事が出来なかった。

 

 

自惚れていた訳でもない、出来て当然など以ての他。

けれど、こんなにも悔しいのは、常に本気で対峙して、救ってきたからで。

 

 

「幻想……それに縋ってたのは、俺の方じゃないのかって――」

 

 

「――それの何が悪ィンだよ」

 

 

けれど、一方通行はその弱さを否定しない。

 

 

「幻想だろォが何だろォが、テメェは偽善を使って救ってきたンだろ。テメェがそれを否定すンのは構わねェよ。けどな、それで救われちまったバカ共は、例えそれが下らねェ幻想だとしても、否定はしねェよ」

 

 

人間は弱い生き物だと云う事くらい、百も承知しているし、取り分けその弱い部類にカテコライズされるだろう自覚がある一方通行は、上条当麻を奮い起たせるつもりなどない。

 

 

「ただ、今回ばかりはテメェにも出来なかった。救い切る事が出来なかった。理想通りにならなかった、それだけの話だ」

 

 

「……」

 

 

 

かつて、その度に上条当麻に引っ張られた者として、今度は彼を励ましてやるべきではないのか、奮い起たせてやるべきではないのか、なんて、そんな御約束は知った事ではない、と。

弱さも見せず、迷いもせず、唯、信念に従って進む英雄。

上条当麻にそうであれと願ってしまう、自分達の幻想こそ殺してやらなくてはならない。

それが、いつしか上条当麻と云う人間から目を向けず、ヒーローという偽善性を押し付けてしまった、罪深い自分の、自分達の責任だから。

 

彼の弱さを認めてやる、唯、それだけの言葉を尽くすだけ。

 

 

 

「迷って良い、立ち止まって良い、幾らでも後悔しやがれ、嗄れるくれェに泣き叫ンだって良いンだ。誰もテメェの弱さなンざ否定しねェし、一々幻滅しねェよ」

 

 

間違える人間など居ないし、後悔しない人間なんて居ない。

その度に迷って、不安になって、立ち止まって、苦しんで、傷付いて、それを弱さだと決め込んで目を逸らし続けていれば、きっといつまでも青空なんて見えない。

それは強さなんかじゃない、弱くないだけ。

二度も彼に救われてしまった自分がしてやれる事、投げ掛けてやれる言葉は、もっと多い筈なのだろう。

けれど、それでも。

 

 

「ヒーローである上条当麻はもォ飽きてンだよ。次は、唯の人間である上条当麻を見せてみろよ」

 

 

「…………っ」

 

 

きっと、彼が欲しがっている言葉はそれではない。

きっと、彼に向けたい言葉は、それではない。

 

――救ってくれてありがとう。

 

その感謝を伝えて、上条当麻という唯の人間を受け止めてやる大役は、一方通行が務まってはいけない、もっと他に相応しい人間が居る筈で。

だから、一方通行はその弱さを認めてやるだけで。

上条当麻の弱さを受け止めて、受け入れて、もう一度一緒に強くなってやれるべき存在は、彼の直ぐ傍に居る筈だから。

 

だからこれは、手向けの様なモノ。

かつて一方通行が縋った幻想へ捧ぐ、とある英雄への鎮魂歌。

 

 

「おい、チビシスター……盗み聞きしてねェで、降りて来い」

 

 

「――え」

 

 

そして、彼を受け止めてやるべきヒロインは、御約束通りに、ちゃっかり階段の上、上条当麻の部屋の前で息を殺しながらも話を聞いていて。

叱っている訳でもないのに酷く厳粛にでも聞こえたのか、後ろめたさからビクリと猫が毛を逆立てる様に物音を立てて慌てふためきながらも、やがて観念したのか、恐る恐るといった様子で錆びた階段を降りてきて。

 

 

「……インデックス」

 

 

借りてきた猫もかくやと言わんばかりに表情を曇らせていながらも、やはりその赤くなってしまっている目だけは誤魔化せやしない。

けれど、必要な舞台と、必要なキャストは此処に漸く揃ったから。

 

クルリと踵を返して、やるべき事の最低限を果たした脇役は、舞台を去らなくてはならない。

けれど、一方通行という存在を変えてくれた、上条当麻には、僅かながらにも、礼を返してやらねばならないだろう、と。

 

 

「一方通行……?」

 

 

「……空気読ンでンだ、呼び止めンなよ。この朴念人が」

 

 

「うっ……」

 

 

最後の最後で、脇役を呼び止めるなど、ナンセンスにも程があるのだろうが、それもまた上条当麻という『三下』には丁度良いのかも知れない。

吐き捨てる様な辛辣さに息を呑んで引き下がる当麻を背にして、モジモジとらしくもない健気な正統派ヒロインっぷりを見せている真っ白なシスターの頭を掌で掴むと、そのまま顔を耳元へと近付けて。

 

 

「――――」

 

 

「……え? そ、それは何、何の数字?」

 

 

「携帯番号。馬鹿な三下が何か下手打ちそォになったら、それで俺を呼べ」

 

 

「えっ、と…………うん!分かったんだよ!」

 

 

ほんの些細な礼代わり。

上条当麻が背負いきれないと云うならば、少しだけ手伝ってやるのも良いだろう。

幸い、彼には学園都市第一位という能力があるのだから、力になれないと云う事はない。

だから、万が一があれば迷わずその番号に掛ければ良い、と。

それだけ伝えて、後はこの頼りないヒロインに任せれば良い、と。

 

 

 

 

直ぐには、後悔の念や傷は癒される事はないだろう。

あの馬鹿な男の事だから、いつまでも引き摺って、悔しさを捨て切る事は出来ないのかも知れない。

けれど、あの少女が居れば、きっと少しはマシな結果になるのは間違いない。

 

 

何故ならインデックスは――かつて、一方通行の心を、本人も知らないままに、溶かしてしまったぐらいだ。

 

 

 

「――ありがとうなんだよ、あくせられーた!」

 

 

 

 

振り向きもしないまま、そっと、白い少年は歩みを進めていく。

 

 

 

身勝手な儘に抱いた、憧れ。

そう形容する事ぐらいは許してやれる、幽かな感情。

残るのはきっと、ほんの少しの光に焦がれただけの憐れな残響。

 

去り行く白い影は、茜に染まる空を見上げていた。

 

 

 

 

 

『Rigil Kentaurus』________『ケンタウロスの脚』






Rigil Kentaurus:リギル ケンタウルス

ケンタウルス座α星 (α Cen)

スペクトル型:G2Ⅴ+K1Ⅴ

距離:4.3光年

輝き:0.01等星 全天第四位

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