星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

35 / 40
Re:Play 6『Capella』

水道から流れ落ちる透明な水の橋を、叩くどころか真ん中から両断するべく手を差し込めば、冷たいを通り越して痛覚すら感じるのだから、冬に片足一つだけでも突っ込んでいた季節の水温の低さは犯罪的なまでに宜しくない。

車体をパラソル代わりに下でうたた寝を貪っていた挙げ句、突然のエンジン音に慌てふためく夏の日の野良猫みたいな彼の反応が面白くて、普段は釣り目がちの黒曜石の瞳は目尻を落として、スッと細ばむ喉で吹寄は銀の鈴を転がせた。

 

その凛々と鳴る笑い声を聞き逃すには距離が余りにも近いし、吹寄自身にも隠すつもりもないのだろう。

面白くない、と、不満を示す時ばかりは馬鹿に尖る二つの緋丸が、流れっぱなしの虹も架からない水の橋を視界から外して、ケラケラと笑い続ける艶かしいラインの身体付きさえも隠そうとしない美少女を冷たく射抜き続ける。

 

 

「ツボが浅過ぎンだろオマエ。馬鹿みたいに大口開けやがって」

 

 

「だって、ビックゥゥ!……って感じに反応してたわよ、さっきの一方通行。普段はクールぶってるのに、そういう時だけ妙に可愛い動きするの止めなさいよ、あざといわね」

 

 

「男掴まえて可愛いとかきめェ事抜かしてンじゃねェよ。水飲もうとしただけでなンであざといとまで言われなきゃならねェンだ、デコ女が」

 

 

「吹寄、でしょ。ちゃんと名前で呼びなさい」

 

 

ケッ、と吐き捨てて逸らした一方通行の紅い瞳が、サラサラと上から下へと流れ落ち続ける水道の蛇口へと向けられて、八つ当たり気味に強く掴んだ鈍色の細いヒトデみたいな摘まみをキュッキュと捻って、水を止める。

冷水の名残を乗せた淡い清風が舞い上がって、なかなかに長距離のウォーキングを終えて熱く火照った一方通行の少しだけ赤らんだ頬をそっと撫でた。

 

女の子相手に怒っては駄目だと宥める冷たい風の愛撫に身体を竦ませ、首に掛けられた薄桃色のタオルでそっと汗ばんだ揉み上げを拭けば、水分を吸って幽かに跳ねた白金の繊維が妙に艶かしい仕草に見えて、吹寄の豊満な胸元がドキリと跳ねた。

キツい悪口も多い男だけれど、ふとした拍子に浮かぶ小さな仕草は男の癖に妙な色気を漂わせたりする事に気付いてから、こういう何気無い瞬間が目に毒だったりするのが油断ならない。

 

 

「それにしても……まだ始めて一週間とちょっとなのに、成果は既に目に見えて来てるわね。この分なら、もう少し距離伸ばしても良いと思うけど……貴様としてはどうなの?」

 

 

「……距離は問題ねェが、そォなったら時間も掛かるだろ。朝も早く起きなきゃならねェ」

 

 

「そのくらい頑張りなさいよ。なんだったら電話で起こしてあげましょうか?」

 

 

「寝起きにオマエの怒鳴り声聞くなンざ御免だ。つゥか、そォじゃねェよ。無能力者だからって授業はあンだろォが。成績下がったって文句を受け付けるつもりは無ェぞ」

 

 

「見縊って貰っちゃ困るわよ、これでも成績では上位なんだから。って、ほら、ジャージの右裾、捲れてるわよ! もう、だらしないわね」

 

 

「……ふン、口喧しい小姑かよ」

 

 

薄氷の上、そう形容するには余りにも相応しいであろう物々しい輩達との打算や思惑、皮肉染みた信頼で成り立っている関係の方が、身に馴染むけれど。

少し触れただけで簡単に崩れてしまう程度なのだと見切りを付けるなら、自分と、このお節介な女との関係だってカテゴリーに含まれるのだろう。

 

陰影や輪郭は様々なのにどれもこれも基を辿れば、精々のロジックに収まる、そんな雲を並べた呆気のない青い空。

蛇口に這っていた水滴が1つ落ちる音は軽いのに、薄く白んだ唇、何故だか紡げないでいる疑問を悪戯になぞる様な、鋭さを伴うのは、青さなど当の昔に捨てた筈の心が嘯いているからか。

 

 

昨晩、いつもの減らず口を流暢に叩けるぐらいには体調を安定させた桔梗に、気付かぬ内に零れた吐息を目敏く指摘された事を、唸る様な罵声で誤魔化しながら戻った自室。

 

メールの着信を告げるブルーライトの頼りない点滅を頼りに新着メールの宛先を確認すれば、あれから時々、一方通行に購入して貰った食材で作った料理の写真を何故かメルマガみたく贈ってくる上条当麻からで。

 

いい加減着信拒否を検討しつつメールの内容に目を落として──固まった。

 

吹寄制理に、一方通行が第一位だと言う事を、知ってるモノと思ってうっかり喋ってしまったのだという、謝罪の内容だった。

 

 

「小姑って何よ。口煩くされたくなかったら、ちゃんと最初からキチンとしてれば良いだけじゃない。それより、今日はもう一周行ってみるわよ。もう充分休憩出来たでしょ?」

 

 

「はン、デコ女が偉そォに」

 

 

「いい加減、吹寄、って呼びなさい。もうこれで何度目よ、このやり取り」

 

 

「改名すりゃ終わりだ」

 

 

「嫌よ、そんな名前」

 

 

手を繋がなくても歩けるというのに、懲りもせず毎度の如く掌を差し出す女がどの口で言うのか、と分かり易くジャージのポケットに両手を突っ込んで明確な意思表示をしてみれば。

拒まれているのに、何故か面白そうに、形の良い黒眉をほんの少し困らせながら笑う理由が一方通行には分からない。

 

日本人を逸脱した顔の造形や髪、瞳などの色彩をしているのに、妙に猫みたいな小動物っぽい気紛れと何だか幼稚にも映る如何にも年下の男の子みたいな反抗の仕方が吹寄にとっては擽ったいだけなのだが。

無論、そんな女の機敏に聡くなれる程に対人経験を積み切れてない一方通行は、小首を傾げたくなるのを押し留めて、舌打ち1つで強がるのが関の山。

 

 

「……訳分かンねェ」

 

 

風に溶かすなら、口元の白い半月に寄り添う程度の静寂くらいで丁度良いのに。

肩で風を切れば、咳払い1つで気を取り直して彼から預かった杖を持ちながら追い掛けてくる彼女の柔らかな花の香りが、此方の不明などお構い無しに鼻腔に届くから、気に入らない。

薄桃のタオルから仄かに香るそれと同じなのも当然の事なのに、真一文字に閉じられた唇のラインがきつく締められる理由など、分からなかった。

 

分からない事だらけで、無知の海に沈んだ思考は息苦しい、光の届かない深海に沈んでいるようで。

機械電子の最高峰にすら及び追い抜く筈の頭はこんなにも頼りなくて、燻る火種ばかりを掌で転がしている。

 

 

なんで、彼女は何も言わないんだろう。

なんで、彼女は何ともない様に振る舞えるのか。

自分はこの学園都市の頂点に座る者。

そしてこの瓦礫を積み立てただけの城は、幾つもの汚れた思惑と血漿の上に成り立っている。

それくらい、聡明だと自ら胸を張るなら分かるだろうに。

 

 

自分が、その気になれば容易くその細い首を折れてしまう様な『バケモノ』なんだって、分からない筈がないのに。

 

 

「──吹寄」

 

 

なら、燻る火種を燃やしてみよう。

薄氷を溶かしてみせよう。

彼女の名を呟いた口元が、微かに震えてしまう理由なんて、どうせ考えたって『頭でっかち』には分からないのだから。

 

 

「なンで何も聞かねェ。知ってンだろ、俺が第一位だって」

 

 

「……っ」

 

 

音が死んだ様に途絶えたのは、尋ねた他ならぬ一方通行が、その先を聞くのを恐れたからかも知れない。

振り向いて覗き込んだプリズムの黒曜石に映る白い面影は頼りないくらいに小さくて、まるで光彩の下では精々がこんなものだと皮肉を突き付けられたみたく錯覚する矮小さを、奥歯で噛み殺す。

 

 

「唯の飾りなンかじゃねェぞ、これは。第三位とは違ェ、『分かるだろ』」

 

 

この薄い氷の下に沈んでいるのは、ただの挫折や後悔とは訳が違うのだから。

その白い首にぶら下げている惨めな勲章は、どこかの誰かの様に、全うに調整された道筋の先には無いのだから。

 

だから、今の内なのだ、引き返すのは。

自分と関わるのも、遠ざかるのも。

 

 

なのに。

 

 

「……やっと、ちゃんと呼んだわね」

 

 

「──は?」

 

 

「名前、ってか名字だけど。呼べるじゃないの、もう。出来るなら最初っからキチンとしなさいよ。何回も言わせないでよね、一方通行」

 

 

「オマエ、こそ、話聞いてンのか。それとも平和ボケしてンのか、あァ? 第一位の悪名の一つぐれェ、聞いた事あンだろ」

 

 

あの凄惨に尽きる実験は確かに箝口令でも敷かれているのかと思われるぐらいに表側には一切出回っていないようだが、学園都市第一位に纏わる悪評なんて、それこそ真偽は兎も角、どれもこれも碌でもない。

それは当然、表側にすら充分浸透している筈なのに、紛れもなく唯の無能力者に過ぎない女は畏怖や恐れに戦慄するどころか、名前一つの呼ぶ呼ばないに拘っている。

 

理解出来ない。

どうしてそんなくだらない拘り一つに、そんなに嬉しそうに笑い掛けるのか。

 

愛穂や桔梗が時折向けてくる様な、静かなのに、泥に沈んだ奥底を騒がせる形容出来ないナニカを揺さぶる感情の一片。

空の遠い夜に浮かぶ月に似た銀のスプーンで掬い上げては、上唇で弄ぶこともせず、静謐な視線で見守るだけ。

 

 

けれど、彼女は。

その上で、綺麗に笑いかけて来るのだから、質が悪い。

 

 

「あぁ、そんなの──どうでもいいわ。試験か何かで出るんなら覚えてやっても良いけど」

 

 

「────」

 

 

本当に、欠伸が出そうなくらい、興味がないと白けた視線出で見据えながら。

その癖、幼子へと物を言い聞かせるみたく、ほんのりと水気を帯びた柔らかな白髪ごと両頬に、ヒヤリとした冷たい両の掌を添える女は、きっと今の自分では到底理解出来ない生き物なんだろう。

 

 

「あ、試験と言えば……さっきの話だけど、仮にもし成績落ちた場合は貴様に勉強見て貰えば解決じゃないの。うん、そうと決まれば、これからは集合時間を30分早める事にしますか。ちゃんと起きないと、直接迎えに行くわよ。ボーっとしてないで答えなさいよ、一方通行」

 

 

「──ハッ、知るかよ。正真正銘の馬鹿の勉強見てやるのに、天下の第一位様の頭脳なンざ使うかよ。脳細胞が死滅する。つゥか、手ェ離せ、クソ冷てェンだよ」

 

 

「ふん、第一位の癖に細かいこと気にするのが悪いんでしょうが。というか、一方通行の肌、なんでそんなスベスベなの。そっちの方がよっぽど大問題よ! まさか私に黙ってこっそり秘密の健康法とか試したりしてないでしょうね?」

 

 

「……うっせェ健康オタク。グチグチ細けェのはオマエの方だろ、気にし過ぎでその内皺だらけになったら腹抱えて笑ってやンよ、デコ女」

 

 

「名前で呼ばないと杖折るわよ」

 

 

「言っとくが、その杖高ェぞ。数百万はするンだが、弁償出来ンならどォぞお好きにィ」

 

 

「……えっ、ちょ、そんなに高いのコレ!? き、貴様、そんな高級品を今までポンと投げ渡してた訳!?」

 

 

「財産に置いても第一位舐めンなよ、『三下』」

 

「く、んぬぅ……貴様、これ一本で新作の栄養サプリメントが何個買えると思って……」

 

 

理解出来ないのなら、考えるだけ無駄なんだろう、今はまだ。

鮮烈な光の乱反射で藻掻いた所で、矮小なこの手で届く距離など知れている。

 

分からないと駄々を捏ねて振り回した腕では何も掴めない、きっと掴めた所で掌で握り締めて潰してしまって後悔するぐらいなら、いっそ潔く瞳を閉じて。

痒みすら覚える優しい言葉に舌を打ちながら、渋々と声の鳴る方へ足を進めていけば、いつかは。

確信を持って触れる事が出来るのだろう、積み上げた推論と答え合わせするのは、その時で良い。

 

 

「喚いてンなら置いてくぞ」

 

 

「……はぁ、もう良いわ、ん!」

 

 

そして変わらず差し出された柔らかそうな掌を、いつも通りに紅を逸らして。

案山子から人間に成れたのだから、足を使わねば意味が無い。

動かぬ脚に言い訳を重ねて停滞に逃げるのはもう止めると決めた事を、また忘れる所だった。

 

 

「──行きましょ、一方通行」

 

 

拒んだ所で、どうせ困った様に笑うのだから、つくづく面倒な女に目を付けられたモノだと実感を振り返る。

逸らした視線は、ぼんやりと遠く、隅に翻る美しい黒髪だけを僅かに残して。

 

蒼い舞台を我が物顔で遊覧飛行している名も知らぬ白い鳥が、一度大きく羽ばたいた。

風を切って、長い翼の羽を散らして、あっという間に蒼の彼方へと消えていく。

 

光の中に、影だけを作って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────

────────

────

 

 

 

 

ウインドウショッピングに定義があるとするならば、大凡が金銭の欠如や開く予定のない財布を持ち歩きながらの冷やかしという印象に行き着くのだろうが、それを面倒な客と悪態を着くか、次回への布石としてどっしりと構えるかによって店員の質もまた測れるという側面もある。

また、客によってはショーウィンドウに展示された物品見詰めて彼是と発生する会話を膨らませるというのも、楽しみの一つだろう。

例えばマネキンに着せられた季節の目玉商品を着熟す自分の姿を想像するのも同義だし、恋人や親愛を抱く友人なり親族なりに妄想の矛先を向けるのも同じカテゴリーとして纏めても良い。

 

 

しかし、中にはその何れにも該当しない変わり者というのも極少数、存在する。

半歩引いたシンプルなポージングを取るマネキンも、巨大な着せ替え人形に与えられたファーコートにも視線を向けず、薄鳶の瞳をクリクリと丸めて佇む彼女も、その口と言えた。

 

冬も終わりの境へと足を伸ばしている頃とはいえ、まだ防寒具を手放すには些か早過ぎる。

クリーム色の毛糸のセーターの上に、モコモコのピンクコート、切り揃えた黒髪のセミロングを覆うのは散り花をイメージした刺繍ロゴの柔らかなニット帽は対策意識として充分だろう。

特別冷え性な訳でもない彼女にとって、セブンスミストの中では少し暑いと感じるくらいが丁度良いのかも知れない。

 

 

「……」

 

 

モコモコファッションに身を包む少女、滝壺理后はほんの僅かに小首を傾げながら、ショーウィンドウを凝視するという、端から見ればウインドウショッピング染みた行為をしているが、その実態は違った。

彼女の後ろ、道行く人々が過ぎ去っていく姿を鏡越しにぼんやりと眺めている、ただそれだけ。

 

展示されたファーコートもブランド物のバッグにも興味を向けず、直接瞳に映る景色と、鏡越しに映る景色、その違いを惚けた様に眺めている。

理由など聞かれても、恐らく特に意味も意義もない。

気になったから、何となく、暇だったから。

気紛れみたいな行動に本質を見出だそうとした所で、徒労に終わるのが関の山。

 

 

赤いコート、青いスニーカー、白いマフラー、黒のレギンス、黄色のハット、緑のTシャツ、紺のバッグ。

 

織り成す群衆が通り越して作る虹の欠片を頭の中で拾い上げて、積み立てて、完成したらそれで満足。

そうやって繰り返しては時間を使えば、彼女が待ち惚けを食らう相手もその内に合流してくれるだろうから。

 

 

しかし、そんな折。

ぼんやりとショーウィンドウの人為的プリズム世界に投影していた意識の底で、何か気になる者でも見付けたらしい。

振り向くとほぼ同時、迷いのない足運びで対岸まで歩み寄ると、前置きもなく男の首に巻かれたフワフワのマフラーの先端を割と強めに引っ張った。

 

 

「久しぶりだね、あくせられーた。1ヶ月振りかな」

 

 

「っ、ご挨拶過ぎンだよオマエは。離せ」

 

 

「……柔らかい、モフモフしてる。いい生地だね、ぐっど!」

 

 

「……相変わらず人の話聞きゃしねェ」

 

 

モッズコートの隙間、緩めに巻き付けた長いマフラーの先端の羽散らしをぎゅっと掴んだものだから、首を垂れ下ろしてメンチ切り気味にのほほんとサムズアップする滝壺を睨む赤い両眼。

黒のスラックス以外は全て白一色の雪景色から覗かれる血濡れ色の眼差しは凶悪なのに、舌足らずにふやけたトーンで横文字を綴る口元は柔らかく笑っていた。

 

何処の誰とも知らない人間にされたのならば、そのセブンスミストの一角は白昼の惨劇場としてニュースに取り上げられる末路を辿るのだが、一方通行は不埒者の正体が滝壺理后だと分かるや否や、面倒臭いヤツに捕まったと嘆息を流す。

この無垢なのか電波なのか良く分からない少女相手に憤慨した所で、小動物みたく小首を傾げられるのがオチだからだ。

 

 

「何やってンだ、オマエ。1人か?」

 

 

「うん、話せばながくなる。そして丁度良いところにジュース屋さんがあるね」

 

 

「……集るつもりか、ンの電波。あのアホ面はどォした」

 

 

「それについても勿論話す。わたし、アップルマンゴー飲みたい」

 

 

きっちりと丸っこく切り揃えられた爪を指先に飾った小さな手に促された先にあったのは、返り咲きのダイエットブームに乗っかったフルーツシェイクのドリンクスタンド。

ピンクの電灯蛍光色が如何にも女性をターゲットにした造りをした看板が目に付いて、一方通行は色んな意味で煩わしいと喉を尖らせた。

 

 

「ざけンな、自分で買え」

 

 

「あくせられーたも1人? らすとおーだーは?」

 

 

「調整だ、性悪も含めて。つゥか引っ張ンな、伸びンだろォが」

 

 

「あくせられーたは何にする? キャロットジュースもあるよ」

 

 

「いらねェっての。しかもなンでそのチョイスにした」

 

 

「うさぎさんっぽいから」

 

 

「お望み通り木槌で磨り潰してやろォか」

 

 

ニアミスどころか成立していない会話は不毛にも思えるが、理后相手に一般的な対応を求めた所で、どうせ毎回の様にこのパターンを繰り返すだけだ。

全く為にならない教訓だけが胸に刻まれている事にしょうもない悔恨を反芻している一方通行のリアクションは、やはりある程度は度外視しているのだろう。

 

マフラーの次はひょいと杖を付いてない方の腕を取って、平日な為にあまり客足が伸びてないらしいドリンクスタンドの短い列へと連れられる強引さ。

オマケに代金もちゃっかり一方通行に払わせる心算の電波少女に向ける怨嗟は、理后の恋人であるどこぞのチンピラに全て叩き込むと誓って、舌打ち一つで平静を取り戻した。

 

 

「順番来たよ、あくせられーた」

 

 

「──ったく……アイスコーヒー1つとアップルマンゴー1つ。ミルクと砂糖は無しで」

 

 

「畏まりましたぁ」

 

 

「大人だね」

 

 

「苦い方が好きなだけだろ」

 

 

プラカードの商品欄にコーヒーの取り扱いがあった事が不幸中の幸いか。

愛らしい面立ちの店員の営業スマイルに見向きもせず、うーむと唸りながら在り来たりな評価を呉れた理后のぼんやりとした眼差しを冷たく見返して。

取り出した革財布から札束を掻き分けて抜いた千円札を理后へと突き出しながら、鼻を鳴らす。

 

出来上がったアイスコーヒーを片手に、どうやら着席を義務付けられているエスカレーター付近のベンチへ向かう足取りは重い。

いっそ能力を使って逃げれば早いが、こんな下らない事に能力1つ使わなければならない自分が無性に滑稽に思えるから、首元のチョーカーに手を伸ばさなかった。

 

 

「ん、美味しい。奢ってくれてありがとう」

 

 

「無理矢理集っといて良く言う。ンで、あの馬鹿はどォした。ついに死ンだか」

 

 

「死んでないよ、よくむぎのに殺されかけてるけど。はまづらは、さっき風紀委員に捕まっちゃったってメール来た」

 

 

「はァ? 何やらかしたンだ、三流面の野郎」

 

 

「本当は今日、セブンスミストで合流する予定だったんだけどね。ここに来る途中、公園で偶々ジュース買おうとして自動販売機にのぐちを投入したら飲まれちゃったんだって」

 

 

「……千円札の事か。ンで?」

 

 

「取り返そうと自動販売機を蹴ったら壊れちゃって、商品のジュースが滝の様に落ちて来た所を、偶々通り掛かった風紀委員に見られて……」

 

 

「連行されたってか……アホ臭ェ」

 

 

風紀委員に捕まったと聞いて何か事件にでも巻き込まれたのかと思えば、実態の三流コメディ具合に笑いすら起きない。

理后の恋人たる浜面仕上という男はどこぞのウニ頭と似た星の下で産まれたのか、運悪くトラブルに巻き込まれたりする事が多々ある。

しかし無能力者でありながら学園都市第四位の麦野沈利を退けたりと、バイタリティと行動力には目を見張る物があるとそれなりに評価していたのだが、これでは評価は下降の一途を辿るのみだ。

 

当の恋人である理后にも特に心配されず、一方通行に奢って貰ったジュースのストローをふっくらとしたリップでのんびりと啜る姿を横目で見ても、同情なんて欠片も沸かなかった。

 

 

「あくせられーたは何でセブンスミストに来たの? 買い物?」

 

 

「暇潰し。服でも見よォかと思ったンだが」

 

 

「私はね、待ち合わせ」

 

 

「聞いたンなら聞けよ。ンで聞いてねェけど」

 

 

「きぬはたを待ってるんだけど、ちょっと遅れ気味みたい」

 

 

「絹旗っつゥと……あの超々と口煩ェガキか」

 

 

「誰がガキですか誰が」

 

 

崩れ切れてないブロックアイスをストローで突っつきながら脳裏に思い浮かべたのは、小柄な体躯とは裏腹に小生意気な口ばかり吐く、間接的ではあるが一方通行とも縁の深い少女の膨れ面。

そこからそのまま現れたのかと錯覚してしまう程にタイミング良く、不貞腐れ気味に可憐な顔立ちを膨らませながら腰に両手を当ててふんぞり返っているのは、絹旗最愛。

 

浜面、理后、沈利に並んで元暗部組織アイテムに所属している少女であり、理后が待ち合わせていたらしい人物である。

 

 

「滝壺さん、超バカ面から乗り換えるにしても第一位はないですよ。男見る目が超無いです」

 

 

「乗り換えないよ、きぬはた。あくせられーたは……愛人?」

 

 

「ふざけンじゃねェ」

 

 

「あれ、では何故此処に第一位がいるんです?」

 

 

「待ってる間、たまたま見付けて。ついでに奢って貰ったの」

 

 

「さっきのは冗談です、超見る目ありました! 第一位流石です、って訳で私にも奢ってください。今月ちょっとピンチで……」

 

 

「知るかよ。なンでオマエに」

 

 

「どうせ腐らせるぐらいあるんだから良いじゃないですか別に。なんで滝壺さんは良くて私は駄目なんです!?」

 

 

際どいプリッツスカートをヒラリと揺らしてプリプリと頬を林檎色に染め上げながら、灰桜とパールグレーを織り交ぜたくりくりとした大きな瞳を尖らせる。

彼女の適当なおべっかで一方通行が機嫌良く財布を開く訳もないのだが、どこか小悪魔チックさを武器にしている最愛とて、それは理解出来ているけれども。

 

仮にも人の女には奢って、暗闇の五月計画という学園都市の暗部関連での因縁もあったりする自分だけすげなく断るという態度が気に入らない。

別にその過去についての謝罪を求めるのも今更だし、軽々しく頭を下げられる方が寧ろカンに障るが、少しぐらいは酌量して飴をくれても罰は当たらないだろう。

 

 

「まさか、本当に愛人契約とかしてませんよねぇ……麦野に言い付けて削ぎ落として貰いましょうか?」

 

 

「なンで俺がこの電波女の相手しなきゃならねェンだ。つゥか第四位連れて来た所で返り討ちで終わりだろォが……チッ、あァ、くそ面倒臭ェな。オラ、適当に買えよ、クソガキ」

 

 

「え、いやこのタイミングで渡されるとなんか信憑性出て来て超如何わしいんですが。まぁ、良いか。第一位、ゴチでーす」

 

 

「……うぜェ」

 

 

「きぬはたは久しぶりにお兄ちゃんに会えて嬉しいんだよ、あくせられーた」

 

 

「まァだその意味分からねェ説、引っ張ってンのかオマエ。あンなクソ喧しい妹なンざ要らねェよ」

 

 

「でもこの前ドラマ見ながら『お兄ちゃんですか……』って呟いてたよ。可愛い妹が居て良かったね、あくせられーた」

 

 

「……はァ、マジで話聞かねェのな、オマエ」

 

 

『暗闇の五月計画』の概要だけを完結に言えば、第一位である一方通行の思考、演算のパターンを植え付けるというモノで。

何故か理后の脳内では、その被験者である最愛が、シンクロニティなどの理論的根拠など一切通過せず、謂わば一方通行の妹みたいなモノと捉えているらしい。

 

理后の半ば適当な関係の位置付けを当然両者は一笑に伏していたのだが、もしかしたらそれは一方のみの見解であり、もう一方の少女には何かしら心に残るモノがあったのかも知れないが。

取り敢えず、だからどうしたと顔を背け、アイスが溶けて苦味が少し薄まってしまったコーヒーを啜った。

 

紅目を逸らした先で、やけに御満悦そうな満開の笑みを浮かべながらオレンジジュースを片手に歩み寄る最愛の姿が視界に入る。

無意識の内に力を込めた所為で、雨の日の窓ガラスみたく水滴を散りばめたプラスチックの容器がクシャリと悲鳴を挙げた。

 

毒々しさで黒すら飲み込んで来た筈の狂白が、随分と甘ったるい色に触れる事すらも許容出来る様になったものだ。

それが、誰の影響に依る切っ掛けか、なんて今更考えるのは馬鹿馬鹿しいと。

 

据え置かれた、皮肉な程に高性能な鼓膜の奥で、擽ったそうに笑う誰かのソプラノが、勝手気儘に乱反射する強引さは、声の持ち主に良く、似ている。

 

 

 

───

 

 

 

 

「──はァ、わざわざ二人で迎えにねェ、献身的な事で」

 

 

「ホントですよ、浜面なんて超どうでも良いんですが……滝壺さんを1人にするのは拙いですからね、やむを得ずですよ」

 

 

「ごめんね、きぬはた」

 

 

「滝壺さんが謝る事なんてないですよ、あの唐変木のパシリが全部悪いんですし」

 

 

尋ねた訳でもないのに勝手に事情を説明する理由を考えるのも放棄するのは、相手が滝壺理后だからで片付く辺り、ある意味凄い事である。

どうやら最愛と合流次第、風紀委員に事情聴取を受けているらしい浜面を迎えに行く算段だったらしい。

 

風紀委員と聞いて一方通行の脳裏に、先日に薬局で遭遇した常磐台の制服を着た、ツインテールの少女の慌ただしい姿が不意に蘇った。

 

それは、何か形容し難い予感みたいなモノだったのかも知れない。

 

 

「ねぇ、あくせられーたはこの後、暇?」

 

 

「暇じゃねェ」

 

 

「そっか、丁度良いね。あくせられーたも、一緒に行こう」

 

 

「なンでだよ、面倒臭い」

 

 

「え、滝壺さん? 別に第一位まで付いて来させなくても良いんじゃ……」

 

 

「その方が楽しそう。らすとおーだーの事も聞きたいし」

 

 

「近況報告か何かですか……まぁ、私は別に超どうでも良いですけど」

 

 

「良くねェよ」

 

 

春は直ぐそこまで来ている。

宿した蕾が開くには、まだ少しだけの時間が要る。

 

そして時が満ちたなら。

 

 

桜を咲かせて。

 

 

そして、散る。

 

 

 

 

 

『Capella』____『小さな雌山羊』






Capella:カペラ

ぎょしゃ座α星 (α Aur)

スペクトル型:G5Ⅲe+G0Ⅲ

距離:40光年

輝き:0.08等星 全天第六位

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。