星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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Re:Play 7『Rigel』

第七学区の柵川中学の一室、第一七七支部のぬっぺりとした機械扉を背にしながら、淑女たるもの常に外面には気を遣うモノとして手入れを行き届かせている亜麻色のツインテールを一房指で梳いて、溜め息を落とした。

 

白井黒子は風紀委員である。

風紀委員とは即ち学園都市の学生で構成された治安維持機関であり、風紀が乱す要因を取り締まる公正の尖兵で、右腕に備える盾のシンボルを刺繍した腕章はその何よりの証。

犯罪行為があれば駆け付け、鎮圧するべく行動を開始するので、内容によっては時に死の危険を刹那的伴侶として侍らせる事だって少なくない。

 

だが、大能力者としての力、持ち前の演算力と経験による機転、風紀委員としての矜持で以て黒子は立ち向かって来たのだ。

だからこそ、年不相応の気高さと頑なさを持ち合わせているのだが、かつて凶悪な犯罪者と対峙した時のような凛とした表情は、ゆったりとした微睡みに緩んで欠片も見当たらなかった。

 

「……」

 

中性リノリウムとワックスの匂いが仄かに残る、清掃仕立ての廊下には、柵川中学の生徒達は居ない。

テスト間近だからか部活動も能力測定機器の使用も認められていない為、全学年の授業は午前で終了している。

だからこそ、極一部の生徒と教員を除いて校舎には人が居らず、ポテポテと軽い体重の所為で随分浮いた足音が、白色三面の所々に生活傷を残した廊下に響いていた。

意外にも清掃意識が高いのか、便利な文明利器ではなく直接手作業で拭かれた窓は綺麗で、その先に映える群青日和の平穏さは、より一潮に感じられて。

 

 

「平和な時間は、私達にとっては何よりの事ですのに」

 

 

有り体に言ってしまえば、暇だった。

長らくの治安維持活動が身を結んだと安穏出来るほど、学園都市に対して希望的観測ばかりを向けられる愚かしさをその小さな体躯に刻んで来てはいない。

 

けれど、特に此処3ヶ月、都市内のニュースに挙がる様な大きな事件は起こっておらず、精々がスキルアウト達の幼稚染みた火遊び。

いっそ不自然なほどに平和な日々は、治安維持を名目に掲げる風紀委員ならば諸手を上げて歓迎するべき時間なのに、これも職業病なのか、ゆっくりと流れる時計の針を見詰めれば見詰めるほど、眠気を感じてしまう我が身に苦笑してしまう。

 

つい一時間前に連行したスキルアウトの男も、事情を聴けば害意や悪意なんてなく、飲まれた千円札を取り戻すべくつい弾みで自動販売機の誤差動を引き起こしてしまったという、いっそ犯罪というには可愛気すら感じるレベル。

寧ろ、恋人との逢瀬の途中だったらしく、仕方がないとはいえその時間を削がれる形となったあのくすんだ金髪の男の方が被害者なのではと思うくらいだ。

 

そして、現在残り僅かの聴取を先輩である固法美偉が引き継ぎ、黒子が席を外す事になった理由も其処にあった。

 

(お幸せそうな事で)

 

惚け話をほんの少し聞かされただけで何とも言えない心境に陥った末に落とした溜め息を、掻き消してくれるだけの風を探しても、しっかりと閉ざされた窓硝子に遮られて入り込まない。

もう校門の所まで恋人と友人が迎えに来ている。

そう告げた、だらしなく緩みきった顔を引き締める素振りも見せない浜面というスキルアウトに充てられたのだろう。

流石にその恋人と友人やらを放置する訳にも行かない上に、指紋認証など様々なロックが掛かっている支部への扉を潜る為には、登録してある風紀委員が迎えに行ってあげる方が、合流もスムーズ。

 

よって、今も此方へと向かっているらしい『二人』をお迎えに上がるべく黒子に派遣されたのだが、指示した美偉は何も面倒な役目を彼女に押し付けた訳ではない。

 

(御姉様は大丈夫でしょうか……)

 

脳裏に馳せるのは、常磐台の女子寮で今もベッドで眠っている筈の、白井黒子にとって最も敬愛する御坂美琴という名の少女の、穏やかな寝顔。

先日の薬のお蔭もあって快報に向かっているのは確かで、多少固い微笑ながらも、ありがとうの五文字を微かに震えた唇で紡いでいた彼女へ錯綜する思いが、黒子の紅茶色の瞳を曇らせていた。

 

上履きの底が紡ぐソロは乱れがちに規律のないリズムでリノリウムの回廊を駆け巡るが、指揮棒を握る曇り顔の耳には届かない。

しっとりと湿った前髪、儚く閉じられた瞼の裏に隠された苦悩、忘れた頃に咳をして、何かを堪える様に強く噛み締めた奥歯の悲鳴。

リフレインされるそれらの情景ばかりが耳鳴りみたく喚いてる。

 

「……」

 

きっと、『あの男』の事だろうと、ぼんやりと思い浮かべるのはツンツンとしたウニ頭の少年、上条当麻。

御坂美琴の露払いとしても控えているつもりの黒子としては、あの男に対しても色々と思う事はやはりある。

しかし、詳細も分からぬ内に自分が身勝手に掻き回した所で事態が好転する確証もなければ、文字通り余計な真似にしかならない可能性も少なくない。

何故なら、この問題は思春期の感情が大きく絡む、女心よりもよっぽど秋模様になりがちなモノなんだと、それを知らなくとも、女の端くれでもある身なら分かるから。

 

今はまだ、白井黒子の出る幕ではない。

そう結論付けて、一先ずは日々の業務に無心になって取り組もうとしているのだが、自分の心持ち一つで慌ただしくなるほど世界は上手く回っていないのである。

 

「……あら?」

 

ふと、正面玄関の辺りから届く黄色い声。

何やら超、超とやたらオーバーな付属語ばかりがアクセントを持って響いているから、肝心の内容は殆ど聞こえないのだが。

しかし、段々と此方へと近付いて来ているのは間違いないから、恐らくはあのスキルアウトの恋人か友人のどちらかだろう。

 

(恋人ですもの、ね……)

 

折角の逢瀬の出鼻を挫かれたのだ、それでなくともやはり恋人と早く顔を合わせてやりたいのだろう。

恋とはそういうもの、と輪郭ばかりは耳年増に捉えている自分が、何故かとても滑稽に思えて、また溜め息が出てしまいそう。

見飽きたテレビを消す時に感じる倦怠感に似せれば、吸い込んだ空気さえほろ苦い。

安っぽいフレーズさえ飛んで来そうな腑抜けぶりに一回二回と首を横に振れば、付属品みたいに両の髪が揺れる姿がどこか素っ気ない。

 

持ち込み過ぎてガラクタばかり溢れそうな苦悩置き場を振り切る様に足早に進めば、昇降口まで一息で辿り着いて。

開けた視界に射し込んだ遠くの太陽が、虹彩をせっつく勢いで輝いてるから反射的に瞼で隠したのは一瞬。

 

ほんの少しの時を待って世界と向き合うべく瞼の幕を上げれば、知らないお伽噺の幕が上がるブザー代わりに、心臓が跳ねる音が鼓膜まで届いた。

 

「──あ、貴方は……」

 

「……ン? オマエは昨日の……」

 

「んん? 第一位のお知り合いですか?」

 

「あくせられーた、ジャッジメントに知り合い居たの?」

 

目に痛い程のスノウホワイト、切れ長の紅い瞳。

甘く巻き付けられたマフラーに隠されている薄い口元からこもり気味に紡がれるテノールの短い音律が、悪戯にリフレインを呼んでくる。

 

──いつまでそォしてンだ、ツインテール

 

白い情景に擽られた背中が勝手にピクンと弾かれるのを咄嗟に堪える事も出来ずに、パカリと空いた口を覗き込まれた錯覚に動揺を上手く殺せなくて。

化粧などろくにした事もないから、紅ばかりが頬に差す。

ぼんやりと滲んでいく気の早い夕暮れが、黒子だけに訪れたようだった。

 

 

 

────

 

 

 

「滝壺、ほんとに申し訳ねぇ。この埋め合わせは必ずする……っ前に、だ。あのぉ……なんで一方通行の旦那がこちらに……? あ、もしかして滝壺に捕まっちまったのか……?」

 

「違うよ、はまづら。一緒に行こうって聞いたらこころよく頷いてくれたんだよ」

 

「脚色してンじゃねェよ。帰ろォとしたらマフラー引っ張りやがってクソ電波が。おゥこら馬鹿面ァ、オマエの女に鬱陶しく絡まれた分とマフラー引っ張った分、その面に叩き込ンでやっからありがたく思えよ」

 

「ひぃっ!? やめてやめてホントあんたの一発は洒落にならないから!」

 

「一発? 引っ張られた回数だけでも十二回なンだが? ついでに電波女と豆チビに仕方なく奢ってやった分も追加な」

 

「はぁ!? ちょ、滝壺は兎も角、絹旗の分までかよ? そんなに殴られたら浜も面も無くなっちまうって!」

 

「おい第一位、ちょっと良いですかね。浜面がどーなろうが超どうでも良いんですが、豆チビ呼ばわりは超撤回して下さい。めっちゃムカつきます」

 

「あ、あのー……一応、風紀委員の前なんで、暴力行為は止めて貰っていいかしら? というかね、さっきから第一位とか普通に聞こえるんだけども。その、君の仇名……とかじゃないのよね」

 

元より静まり返っていた訳ではないとはいえ、物言いたげな黒子の案内で連れられた三名が場に加われば、やはり活気が上がるのは自明の理ではあるが。

口々に飛び交うのはやたら物騒な悪態やら脅迫やらで、しかもさらりと流れる聞き捨てならないワードに、思わず口を出してしまった事を、この支部のリーダー格である固法美偉は後悔した。

 

第一位に纏わる血生臭い噂など、枚挙に暇がないほど溢れている。

多少の尾ひれは付いて回るのも有名税ではあろうが、妙に実態感のある内容も中にはあった。

何よりも真っ直ぐにギラリと尖る紅い視線を向けられれば、心臓を氷水に浮かせたような途方もない怖気が取り繕うべく浮かべた苦笑を今にも殺そうとしているから。

 

それなりに数々の修羅場を潜って来た身とはいえ、能力主義が横行する学園都市に於いて、その実力差は赤子と大人程に離れているだろう。

別段敵意を籠められた筈でもないのに、膨大な先入観は必要以上の畏怖を抱かせる。

無意識に助け舟を求めようと視線を自分の後輩達に彷徨かせても、結局意味が無かった。

 

逸らされたり、見捨てられたりした訳ではない。

何やら一方通行を凝視しながら固まっている初春飾利は、恐らく驚愕に思考を支配されているんだろうから、まだ良しとして。

奥歯に異物を挟んだ様に、口元をモゴモゴと蠢かせながら、複雑そうに出方を伺っている白井黒子は、一体何があったというのか。

 

「…………」

 

「正真正銘、レベル5の第一位ですよ、このモヤシが。別に隠す事でもないでしょうに。超スター気取りですか、似合いませんね」

 

「うぜェな、絡むンじゃねェよミジンコ。このチンピラ連れて帰ンのに一々騒がれンのも怠いだろォが。そこジャッジメントの反応見てなかったのかよオマエ」

 

「……確かに少々お見苦しい姿をお見せしました。しかし、私は白井黒子と名乗った筈ですの。であれば役職名ではなくちゃんと名前で呼んで戴きたいのですが」

 

「……別に、オマエの反応は普通だろ。悪名高い第一位様だ、風紀委員なら必要以上に警戒しちまっても不思議じゃねェ。まァ、ンな事なンて知った事じゃねェってンならそれまでだが」

 

「……むぅ、そ、そんなつもりで言った訳じゃないです、超冗談の通じない男ですね、全く…………すみません、でした」

 

「……チッ。オラ、帰るンならさっさと支度しろ馬鹿面。乳繰り合うンならホテルにでも行きやがれ」

 

「ほぁっ!? お、お前いきなり何言ってんだよ、誰もそんな事してねーだろうが!」

 

「何動揺してるんですか浜面、キモいです」

 

目まぐるしい情報過多に色々と置いてけぼりになるなんて、書類仕事やら雑務に馴れた筈の美偉にとっては実に久しぶりの感覚だ。

第一位というビッグネームと顔見知りどころかそれなりに交流のある少年少女達の堂々とした様子やら駆け引きやら暴言やらに眩暈さえ覚えるが、どうやらそれは過剰な防衛意識を自覚するには都合が良かったらしい。

 

口も粗暴で目付きも鋭いが、下手に此方を刺激するまいとする姿勢やら、本人にその気が無いとしても、さらりと黒子をフォローする辺り、悪評通りの人物という訳ではなさそうだ。

第一位なら第一位なりに色々と抱えるものがあるんだろう、少し陰を挟む斜に伏せた横顔を一瞥しながら、小さく吐息を落とす。

 

「申し訳ないんだけど、もう少し待っていただいても? 必要書類の証文がまだ埋まってないのよ」

 

「此処で待ってもいい?」

 

「えぇ、勿論。あ、初春さん、皆さんにお茶を入れて欲しいんだけども」

 

「──っは、はい! ……ぁ」

 

高々自販機の誤作動一つにもそれなりの書類を必要とするのだから、融通の効かない職務ながら、浜面の恋人である滝壺から特に不服が上がらない事に安堵する。

 

だが、仕方ないからとはいえ待ち惚けを求める相手にも礼を為さねばなるまいと、脱力気味に肩を回しながら飾利へと茶酌みを頼めば中々に肝の太い彼女にしては珍しく慌てた返事に苦笑を誘われるが、続けて漏れ聞こえた小さなソプラノがふと引っ掛かって。

どうしたのだろうと、力無く細められた薄鳶色の瞳を追えば、のそりと立ち上がる白い少年へと行き着いた。

 

「……ンじゃ、俺は帰ンぞ」

 

「あくせられーた、もう帰るの?」

 

「これ以上付き合う義理ねェだろ」

 

「なんですか、このバカップルに私一人で置いてくつもりですか。超薄情ですね」

 

「知るかよ」

 

「な、なんか悪かったな、一方通行」

 

「言っとくがな、チンピラ。十二発をチャラにした訳じゃねェぞ。次会う時まで精々顔面鍛えとけよ」

 

「いや無理だから……仮に鍛えれたとしてもお前相手じゃ意味ねぇだろ……」

 

「大丈夫だよ、はまづら。もうはまづらと呼べない何かになっちゃっても、私はちゃんと応援してるから」

 

どうやら彼は単に付き添いに過ぎなかったらしく、余り長居するつもりはないようだ。

何か予定を控えているというより、余計な混乱を招くまいと自分達に気を使ってくれているのかも知れない。

静謐に閉ざされた表情からは真意までは読み取れないので、先程の口振りから推測したに過ぎないが。

その憶測が正しいとすれば、若干卑屈な考えだと指摘したいが、彼が第一位と聞いた時の自分の反応が原因の一端でもある気もして、そこまで踏み込む事は固法には出来なかった。

 

「あ、第一位さま、少しお待ちを。固法先輩、見送りに行っても宜しいですか?」

 

「えっ? 白井さんが? ま、まぁ……私は別に構わないけれど……」

 

「……見送りなンざ要らねェ」

 

「あら、第一位さまともあろう方が、口約束とはいえ反故にする気ですの?」

 

「……別に礼も要らねェっつってンだろ」

 

「そう言う訳にもいきませんわ」

 

「……しつけェ奴」

 

「ジャッジメントですもの」

 

「どォいう返しだそりゃ……チッ、勝手にしろ」

 

「えぇ、それでは……」

 

どういう風の吹き回しだろうか。

普段の御坂美琴に纏わり付くあの変態染みた顔でも、風紀委員としての凛々しい顔でもない、いかにも淑女っぽい黒子の対応に少々呆気に取られてしまう。

何やら礼がどうとか言ってはいたが、目尻を緩めながらも我を通す、優し気な淡い表情など殆ど見た事が無かったのに。

ひょっとしてやっとまともな春が彼女にも来たのかと勘繰ってみるも、どうも違う。

何とも腑に落ちない不思議さが胸に巣食うが、かといって下手に根掘り葉堀り尋ねるのも如何なものか。

 

好きにすれば良いと振り返る事なく扉へと向かう白い背中を追い掛ける、二つ括りの小さな乙女の背中が去っていくのを見送りながら、美偉はううむと気難しく腕を組んだのだった。

 

だから、彼女は気付かなかった。

ソワソワと落ち着きなく右往左往としながらも、きゅっと決意する様に唇を固めた、飾利の様子に。

 

 

 

 

───

 

 

 

リノリウムの回廊に乱れ飛ぶ規律もない筈の足音を春間近の五線譜に記すなら、不思議と調律が取れていてペンを握る掌を惑わせる事はない。

白い三面世界を歩む右隣の白亜の少年は飽和性を持たないのに、白色の中でも一際異物感を放つのは、第一位という色眼鏡を通して見ているからだろうか。

 

綿毛みたくふわふわと閑らかに流れるセミロングの髪が流線を形成しながら後ろへと運ばれる繊細さ、窓は閉じたままなのに、蒼い風に撫でられている様に見える。

 

異物、異端、別つものの先、対岸の向こう側。

 

視覚では捉えれない筈のラインがやけにハッキリと感じる無意味な閉塞感から抜け出したくて、黒子は唱える様に、静かに赭色の瞳を閉ざした。

 

「不躾な真似でしたでしょうか?」

 

「拘り過ぎの間違いだろ。高々、礼一つに目くじら立てねェで良いンじゃねェの」

 

「行き擦りの恩だとしても、そこに感謝の気持ちを抱くならばしっかりと礼をするのが淑女と云うモノですの。これでも常磐台に席を置いてる身ですので、そこは御容赦願いたいのですけれども」

 

「常磐台ねェ……酔狂な事で」

 

「まぁ、第一位さまがあの場でさっさと居なくなってしまわなければ、この黒子も此処まで拘る事には成らなかったとご了承下さいな」

 

「礼を言いてェのか責めてェのか、どっちなンだ。名前通り白黒ハッキリしろよツインテール」

 

「あら、ご免遊ばせ。お名前は覚えて戴けてるみたいですのね。であれば、ツインテールとかジャッジメントとかではなく、白井、若しくは黒子と呼んで欲しいのですが」

 

「……どいつもこいつも。オラ、白井。これで良いンだろ」

 

「えぇ、それでは」

 

 

気怠そうに桜唇の端っこを歪めながら乱雑な手並みで首筋を弄ぶ仕草は、意外にも子供っぽい。

主張しない三原色の一角は分かり易く赤らんだりはしていないが、多分、照れているんだろう。

素直ではない人間の反応は傍らで何度も目にしているからか、不思議と第一位と仰々しい肩書きの少年の感情の推移は、案外簡単に黒子にも汲み取れた。

彼女の敬愛する御坂美琴と、どこか似寄った部分があるのかも知れないと、弧を和らげる。

 

佇まいはたおやかに、凛と背筋を伸ばして、第一位の先へと踊り出て。

スカートを摘まむ手が少し緊張気味に力が入る理由は、考えない様にするけども。

 

「昨日は、お手を貸していただき本当にありがとうございましたの。それと……ええと、ご無礼を。みっともない姿をお見せしてしまいまして……」

 

「……急いでたンだろ、別に良いっての。まァ、『アレ』があったからな、淑女らしく取り繕われても今更っつゥか」

 

「んぎゅ……えぇ、まぁ、何分余裕が無かったもので。しかし、そこは触れずにそっとして置いて下さるのが紳士の嗜みかと思いますの」

 

「ハッ、俺ほど紳士とやらに縁遠い奴も居ねェぞ。ンなモン充てにする相手じゃねェ事くらい見りゃ分かンだろ。風紀委員としてどォよ」

 

「ご心配なく、これでも大能力者ですから、其なりに(こな)せていますのよ。と言っても、第一位さま相手では霞むでしょうが……それに、そう縁遠い者ではないと思いますの。私に手を差し伸ばして下さった姿は、中々堂に入ったモノでしたが」

 

皮肉混じりに肩を竦める一方通行に、つい口を尖らしたのは、半ば淑女としての矜持の保守でもある。

わざわざ手に持っていた買い物籠を置いてまで、不様に尻餅を着いたまま動揺する自分を助け起こそうとする姿に、一瞬とはいえ思わず見惚れたのは今更無かった事には出来ない。

そう易々と異性に現を抜かす女ではないのだから、惚けさせた当の本人に謙遜染みた卑下を紡がれては、訂正させたいという背伸び。

伴って、羞恥やらちょっとしたときめきやらで頬に薄っすら紅を散らすのだから、淑女にしては黒子もまだまだ年齢相応である。

 

「……そォかよ。勝手に勘違いしてろ」

 

「そこまで卑下するのもどうかと思いますが、まぁいいですの。ところで……御名前を伺っても宜しくて? いつまでも第一位さまとお呼びするのもアレですし」

 

「……別に、好きに呼べよ。能力名でも順位でも。あのアホ共もそォ呼ンでたろォが」

 

「いえ、ですが……能力や順位などあくまで付属要素、大事なのはその人そのものではありませんの? 所詮、学園都市のみの符号ですし、少々味気ないというか、寂しい気も……」

 

「────」

 

学園都市のみの符号。

空洞の中を駆け回る鋭い心音が、翼をはためかせて嘴を突き立てるから、喉が凍り付いたみたいに固まる。

きっと、何気ない、些細な拘りから零れただけの口振りが強く刺さるのは、どうしてか。

 

学園都市、科学の街、斜陽の園。

光と影が極端に二分化された世界の対岸は、まるで突き放されている様に遠く思えた、こんな一言で。

 

ああ、確かに自分は少し、変わったのかも知れない。

随分と、毒されていたらしい。

こんな一言が、小気味良いとさえ思えるのだから。

 

『あぁ、そんなの──どうでもいいわ。試験か何かで出るんなら覚えてやっても良いけど』

 

名も知らぬ白い鳥が、蒼い彼方へと消え去った。

大きな翼を、羽ばたかせて。

 

 

 

「……あの、第一位さま?」

 

「……クカカ」

 

「?」

 

「──白井。オマエ、良い『三下』振りだ。風紀委員ねェ、酔狂な木っ端共の集まりかと思えば、骨のある奴が居るもンだな」

 

「ふぇ!? な、な、何をそんな、というか三下って……それ、褒めてませんの! 私が言うのも何ですが、白黒ハッキリなさって下さいまし!」

 

「ハッ……ばァか。三下ってのは褒め言葉だ、覚えとけ。良かったなァ、新たな公式だ。『試験に出るかも』知れねェぞ? くははッ」

 

「──っ…………むぅ、じぇ、絶対馬鹿にしてますの!

意地の悪い殿方ですのね! ッ、仰る通り、紳士足るには確かに配慮が足りませんわ、訂正しますの」

 

「はン。最初っから履き違えたオマエの幻想だろ、ぶち殺すも訂正するも好きにしたら良いンじゃねェの」

 

「っ、えぇ……そうしますの」

 

見惚れるのは、これで二度目になるのだろう。

けれど質の悪さは段違い。

何かが切っ掛けで彼の曇った表情に不安になって、窺う為に距離を詰めて覗き込んでしまったのが失敗だったのかも知れない。

 

深い瞑目を置き去りにした白い舞台に紅い瞳が、咲いたなら。

きつく弓なりに結んだ唇が彩めいて、心臓を奪われるかと錯覚する程に綺麗に。

柔らかい少年みたいな無垢と、静謐めいた達観を織り交ぜて溶かした様な、笑顔。

 

大っぴらな快笑でもなく、苦笑でもない、不思議なもの。

光と闇を閉じ込めた鮮やかな情緒は複雑なのに、空筆で描いた筈のキャンバスは、極彩色に映って。

 

何故だろう、少し切なくなって、心の奥がチクリと痛む。

熱を産んだ涙腺をあやされるみたくに、静かに透明な口付けをされた様な情動で、心臓が跳ねた。

 

(うぅ……何なんですのぉ……)

 

昨日の熱が振り返したのか、顔がとても熱い。

あの紅い瞳を長く見詰める事がとてつもない難題に思えて、つい逸らしがちに彼方此方へと赭色の視線が置き所を探して迷子になる。

もごもごと乙女らしい小さな口の中で泡沫みたく沸き立つ幾つもの言葉を噛み殺しながら、右往左往と白をさ迷う視線が、やがて視界の隅に鮮やかな色彩過多を見留めた。

 

 

「初春……?」

 

「ン?」

 

「あ、良かったです、直ぐ追い付け……あれ、白井さん? どうしたんですか、顔真っ赤ですけど」

 

「な、何でもありませんの」

 

「……はぁ、そうですか」

 

パタパタと気の抜ける足音は見た目通りの非力さを物語るのか、妙に間延びして空気感さえも塗り替える日和具合を伴うけれど、黒子にとってはある意味助け舟だったのかも知れない。

気拙いと云う程ではないにしろ、静穏とした廊下でただ一人、鼓膜を(つんざ)く心臓の音にクールタイムを挟めるのならば、ホッと安堵の吐息一つ落とせる。

しかし、特別目敏い訳でもない人間でも普段滅多に御目にかかれない、羞恥心を満遍なく顔に灯しているのなら、つい指摘してしまうのは至極当然。

 

なるべく汲み取られないようにと平静を繕った所で、やはり違和感は浮き彫りなままであるらしい。

怪訝そうに、かつ可愛らしく小首を傾げる飾利の髪飾りである花が慣性に震えてクシャリと鳴る音に視線を取られる内に、どうやらそれ以上の追及は間逃れたようだけれども。

 

「ところで、どうかなさいましたの? 何か、緊急の連絡とか?」

 

「あ、いえそうじゃなくて……って、あ、一方通行さん、待って! 待って下さい! あの、私、貴方に用があって……」

 

「──チッ」

 

「……初春? 何をそんなに慌てて……第一位さまも、初春を見るなりそんな、そそくさと……」

 

どこか切羽詰まったような飾利の様相に、今度は黒子が怪訝そうな視線を向ける番となった。

生唾を飲み込んで声を尖らす辺り、何か見えない事情を鑑みるが、それよりもまるで彼女から逃げる様に踵を返した一方通行の鋭い舌打ちが、黒子の頬から熱を奪う。

 

彼から与えられたのだから、奪われるのも道理だが、どうしてか少しだけ切ないと感じる奇妙さを押し留めた所為で、言葉に滲む薄弱が(しお)らしい。

 

どうにも後ろめたさを微かに傍らに置いて、ガリガリと面倒臭気に後頭を乱暴に掻く一方通行を杖を繋ぎ止めた飾利の細腕が、どこか震えているのが目に付いた。

 

「……うん、見間違えじゃない、ですね。あの……お久しぶりです。私のこと、覚えてますか?」

 

「……さァな」

 

「私は、覚えてます。独立記念日の時、アホ毛ちゃんと一緒に──」

 

「……はァ、分かったっての。覚えてンよ、で、どォした」

 

「えへへ、やっぱり。その、ありがとうございました。貴方が助けてくれなかったら、多分私、第二位に殺されてたと、思うから……」

 

「……チッ」

 

「う、初春!? だ、第二位に殺されかけたって……独立記念日、って、あ、貴女、あの時脱臼していたのは、単にドジったからだって……」

 

「あ……ご、ごめんなさい白井さん。えーと、ですね……実はあの日、かなりピンチになっちゃって、その、あんまり心配かけたくなくて、つい……」

 

「ついって……まぁ、気持ちは有難いですけど、第二位に殺されかけたって何ですの。初春、いつの間にそんな恐ろしい目に……」

 

 

驚きの余り、喉の水分が漏れなく蒸発してしまう程にかさついてしまうのを、生唾で何とか潤すが、思考の混乱は間逃れない。

第二位、垣根帝督。

紛う事なくこの学園都市のビッグネーム、黒子の慕う御坂美琴すら隔絶した実力差があると言われる人物に、殺されかけた挙げ句、第一位である一方通行に救われた。

簡略化して飾利の言う事実を並べてみても、どうしてそんな経緯を巡ったのかよりも、よく脱臼一つだけで済んだモノだと感心してしまう程だ。

レベル5とは、ましてやそのトップツーとは大能力者である黒子でさえ、そこまでの格を感じてしまう存在なのだ、無理もなかった。

 

飾利の心配を掛けたくないという気持ちは理解出来るし有難いのだが、後から知らされる者の気持ちも分かって欲しいと。

既に過ぎ去ってしまった事項だし、三ヶ月以上も飾利の無事な姿を目にしていたとしても、心臓が凍り付いてしまう程に驚かされたのだから。

 

「……えっと、一方通行さんの知り合いの女の子が、何だか第二位の人に目を付けられたみたいで、ですね……」

 

「──この花畑が、クソメルヘン野郎に張り合いやがってな。ったく、身の程知らずが」

 

「だ、第二位相手に……初春、貴女は本当に無茶ばかりして……」

 

「だ、だって、つい……わわ、私だって本当に怖かったんですよぅ……」

 

飴玉を転がしている様な甘ったるいソプラノがリフレインを呼び起こしたのか、ぷっくりとした林檎みたいな頬が青褪めていく辺り、相当に無茶をしたという自覚はあるらしい。

黒子自身も風紀委員としての活動において無理無茶を幾つも押し通して来た身だからこそ、詰める言い方は出来ないが、支部長である美偉や彼女の親友である佐天涙子が聞けば、間違いなく卒倒していただろう。

 

「……なら、さっさと忘れちまえ。礼なンて要らねェから」

 

「えっ……」

 

「鏡見てみろ、笑える面してンぞ。ガキには荷が勝ちすぎてンだよ、俺やクソメルヘンみてェな存在は──無かった事にしとけ」

 

「…………」

 

緩やかな静寂、涙線を押し留める白い指が宥めるように青褪めていた飾利の額をコツンと小突く。

粗暴な音ばかりを紡ぎたがる斜に構えた横顔が儚く囁くテノールボイスが、やけに重い。

 

思い返すだけでも身震いしてしまう程の鮮明は恐怖ごと拐う面影ばかりが陰を生む。

明確なラインを引く、此方と彼方。

しかし、一方通行はまだ分かっていない。

臆病で気弱な少女とて、目に見える白線を容易く乗り越える可能性を孕んでいるということを。

その輝きの光こそ、何より彼が尊いと見上げていた筈なのに。

 

「……嫌ですよ、そんなの」

 

「……はァ?」

 

 

一方通行はまだ、分かっていない。

光とは、一度闇に触れただけでその全てを侵される程に儚いものではない。

踏み潰された花飾利とて、また茎を空へと伸ばし、蒼い風を愛せるという事もあるのだと。

 

 

「確かに、怖かったですよ。でも、だからって簡単に全部を忘れる事なんて出来ません」

 

「……」

 

「それに、全部無かったことにすれば──あの時、貴方が私を助けてくれた結果。それだって、無かった事になるじゃないですか」

 

「──」

 

 

紅い瞳が、伏せられた顏に連れられた白い髪で出来た幕に隠される。

投じるように、溺れるように、飲み込むように、謳うように。

 

幕の合間で迷子になる紅のささくれが、酷く脆い硝子細工に見えた。

寂しさを感受する静謐な口元が、突き立てる何か。

学園都市第一位が、やけに小さく見えたから。

 

「……第一位さまのお気持ちはごもっともでしょうが、初春の言う通りですわよ。怖いからって忘れる様な柔な人間に、風紀委員は務まりませんの」

 

「白井さんなんて私より無茶してるから、固法先輩に何度も叱られますもんね」

 

「……初春、何言ってますの。確かに頻度は私の方が上かも知れませんが、貴女が痛い目に合う事件はどれもこれも規模が大き過ぎるんですの。幻想御手の時もそうですが、第二位に啖呵を切るなんて最早正気の沙汰じゃありませんの!」

 

「えぇ、でもどうせ、白井さんでも同じ事になってたと思うんですけど……」

 

「私はまだ能力を使えば何とか逃げ仰せれる可能性がありますし、初春よりも場馴れしてますもの。というか、どうせと云う言い方にはやけに棘を感じるのですが?」

 

「別に棘なんてないですよー……白井さんだって、第二位相手に逃げ切れるとか、ちょっと調子乗ってません?」

 

「乗ってませんわよ! 喧嘩売ってますの!?」

 

「売る訳ないじゃないですか……変態相手に」

 

「んなっ!?…………うーいーはーるぅぅ……」

 

「あ、やば……」

 

売り言葉に買い言葉。

肩を持ったかと思えば梯子を外されて、何故だか喧嘩腰なやり取りが、ついには怒髪天に触れたと言わんばかりに黒子のツインテールが逆立つ。

 

眩しい、と。

目を細めれたのは一瞬で、呆気に取られた一方通行を余所に置いて口論を交わし出すのだから、おちおち感傷に浸っても居られない。

ただ、少し演じる様に肩を竦める少年の口元は、緩やかに弧月を象って。

 

 

「『三下共』が……」

 

 

蒼い彼方へと向けた視線、雲の中へと吸い込まれて行く見知らぬ鳥の影。

それに名前を付ける為の、欠片はこんな所にも転がっているのだ、惜しみもせずに。

 

あぁ、確かに。

 

こんなに分かり易く転がっているのなら。

試験にすら出ないという話も、良く分かる。

 

それが悔しくて、少し、痛い。

 

 

 

 

 

 

 

『Rigel』____『巨人の左足』






Rigel:リゲル

オリオン座β星 (β Ori)

スペクトル型:B8Ⅰae:

距離:700光年

輝き:0.12等星 全天第七位

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