星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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Re:Play 10『Achernar』

場違い、という実感も自覚もあった。

 

そもそも娯楽を興じるという経験すら数える程にしか無かったし、遠い記憶を掘り返したところで苦々しい感情に顰めっ面が浮き上がる結果に終わる始末。

恐れられて、遠ざけられて、目を逸らされてと散々な過去に今更拗ねる子供ではないけれども、一人寂しく砂場を掘る黒い面影を辿れば、この場に於いて参考になる事など一つもない。

 

それにしても、と一方通行は頬杖を付きながら嘆息を噛み殺す。

 

 

数えてみれば大した事のない、浅い月日の付き合いとはいえ、映画鑑賞なんて。

自分とは、学園都市第一位とはまるで無縁そうな、それこそ星と星の距離すら開いてそうな娯楽である事なんて誰でも分かるだろうに。

 

どうして、あっさり見流されてしまいそうな釣糸を、吹寄制理は投げ込もうと思ったのだろうか。

他に幾らでも候補は居ただろう。

例えば上条当麻だったりとか──彼女のクラスメイトであるらしい、土御門元春だったりとか。

 

御鉢が回ってくるにしても、まず経由すべきポイントを何故か、彼女はすっ飛ばしてしまったらしい。

 

 

 

そして何より、どうして、場違いな想いをする事なんて最初から分かり切っているのに、顔を付き合わせて懇願された訳でもないのに、彼女からの誘いを袖にしなかったのだろうか。

 

 

(柄でも無ェにも程があンだろオイ)

 

 

どうしてどうしてと、無知を装って地球儀を象った疑問符を、爪もすっかり丸みを帯びて伸びなくなった掌で手持ち無沙汰に空回す。

その気になれば地球の回転すら止められるちっぽけな白猫の心模様など露知らず、地球どころかフィルムの一つは我が物顔でクルクル回るのだ、いつものように。

 

 

スクリーンの表舞台で繰り広げられる御題目は、科学の街には似つかわしくないちょっとしたオカルトを織り混ぜた寸劇。

古ぼけたログハウスに住む世捨て人の男と、何故かローカル放送のラジオDJみたいなノリで各地の絶景スポットを紹介する、世にも有名な『あの』メリーさん。

 

ちぐはぐな組み合わせが送るラブストーリーと入場看板に記されていた事を掘り返しながらも、肝心の内容は余り頭には入って来なかった。

 

 

(……いっそ、寝とけば良かった)

 

 

佳境に差し掛かるにつれて流れる雄大なオーケストラが立体的に鼓膜へと迫って、五感全てにロマンスを訴えるべくこの瞬間。

目尻にひっそりと涙を這わす理由が、自分とそれ以外とではまるで違うのだという、今更ながら疎外感に不貞腐れたように微睡んだ視線が、そっと手元を辿る。

 

特徴的なロゴをプリントしたプラスチックの容器の外側、アイスコーヒーですらポロポロと水泡を落としているのに、疎外感は一層増すばかり。

最後にストローへと口を付けたのがどれくらい前だったのか、一々思い出すのも億劫だったけれども、八つ当たり気味に尖らせた紅い瞳が、あるひとつを見留める。

 

 

「…………」

 

 

視線の延長線上に見えた、程好く切り揃えられた爪の先。

やんわりと握られながらも、情動を抑えて甘く噛むように微かに震えている掌を辿って、行き着いた視点の焦点。

 

こんな自分でさえも自然と丸め込んでしまう程なのだから、この席の代わりはきっと幾らでも居たであろう中で、わざわざ悪名高い第一位を選んでしまう変わり種の横顔は、呆れるくらいに劇幕の中に心を投じていて。

 

こんな自分のお節介さえも焼きたがる変な女は、悪評なんて知った事じゃないと切り捨てて此方の手を離さなかった馬鹿な女の横顔は、何処にでも居るような『当たり前』にしか──見えなかった。

 

特別な事もなく、さして自分は心を打たれない物語に釘付けになって、空想の出来物に感動し、吸い込まれそうな瞳を潤ませている。

 

有象無象と何ら変わらない、単なる普遍的な存在。

自分とはまるで相容れないはずの、存在。

 

 

 

『吹寄 制理は、この学園都市にはありふれた"平凡"だ。ちょっとばかし気が強いだけの、普通の女だ』

 

 

気に食わないグラサンアロハが、気取った調子でグラスの氷を転がしながら、追憶の中で囁いている。

らしくもない役回りに目的もなく席を下ろした背中刺す刃が、似合わない付け焼き刃でそっと突き付けた忠告。

 

 

『学園都市に蔓延る闇の一つにも関ってない、そこらで手に入る拳銃一つで為す術なく死んでしまうような、無能力者だ。お前みたいなのがどういう経緯でアイツと知り合ったのかも、気に入られたのかも俺には分からんが……』

 

 

詰まるところそれは、学園都市随一の頭脳でなくとも少し考えれば分かる程度の、単純明快な推測にして当たり前過ぎた現実で。

 

そんな事、彼とて言われるまでもなく分かっていた事だけれども。

それでも、改めて音にしてしまえば、やけに重たい質量でもって一方通行の心に引っ掛かった。

 

 

『──巻き込まない、自信はあるのか?』

 

 

選ばれた言葉はやはりらしくもなく、遠回りで直線的な物言いばかりを好む筈の土御門元春には相応しくなかったけれど。

 

その後の空白。

埋める為の何かを紡ぐことは、どうしたって開いてくれない唇に閉ざされたままだった。

 

 

 

 

──

 

 

 

 

事細かな几帳面さが良い意味でも悪い意味でも身に染みる一瞬は此処の所、段々数を増している気がする。

 

壁沿いの視聴ブースのハンガーからアンバランスに引っ掛かったヘッドフォンを溜め息混じりに掛け直す姿が、我ながら年寄り臭いかもと気付くのは、基本的に先に立ってはくれない。

 

あっ、と小さく呻いたのもそれはそれで後の祭りで、不幸中の幸いなのは、出来れば気付いて欲しくなかった隣り立つ当人が、怪訝そうに紅玉を丸めているだけに収めてくれた事なのだろう。

 

 

「この中にええと……好きなの、とかある?」

 

 

「オマエが聴くんじゃねェのかよ」

 

 

「私はあんまり、試し聴きとかはしないから……じゃなくて、ほら、一方通行ってロックな曲聴いてるイメージするじゃない? 最近だと……『MY FIRST STORY』とか?」

 

 

「見た目だけで言ってンなよ……まァ、聴かねェ事もねェけど」

 

 

取り繕った余りに直情的なイメージで出来た憶測がポロリと落ちれば、割と近いところを掠めていたらしい。

少し横目に逸らしながら軽く頬を掻いた仕草が、差し出された掌に動揺しつつも鼻を寄せる仔猫みたいに見えたのは、漸く自分の心が落ち着きを取り戻しつつある証明なのかも知れない。

 

打ち切った会話を拾い繋げることもなく、アーティストの最新シングルで組まれたトラックリストを静かに眺める、ひとつ年下の横顔を視界の隅に留めながら、ひっそりと息をつく。

 

どうにも落ち着かない気分から一段落ついてみれば、先程までの浮わ立っていた自分の心に疑問を巡らす余裕も出来た。

 

というのも、その原因の根本は隣の少年である事は間違いようもないのだが。

 

 

(……何で私を見てたの、だなんて……とてもじゃないけど聞けないわよね)

 

 

遡れば一時間も経ってない劇場での一幕。

 

クライマックスからの余韻を味わっている所にふと感じた視線を気にしなければ、そもそも何て事なく映画館を出られたのだろうが、その些細を見逃せなかったのは良かった事なのか、悪かった事なのか。

 

どちらに転ばそうともそれなりに尾を引いてしまう実感は兎も角、何だろうかと振り向くことなく盗み見る形になってしまったのがどちらかと言えば失敗だったのかも知れない。

 

どこか惚けた様に、正面ではなく自分を見つめている一方通行に気付いてから、スクリーンはラブロマンスの銀幕ではなく、意味も分からず恥ずかしさに頬染める少女の逃げ場になってしまった。

 

結局、その意図の見えない真意について無駄な推論ばかりをグルグルと空巡らせてしまって、エンドロールが滑り落ちる頃には背筋を伸ばして硬直する自分と、いつの間にかスヤスヤと眠ってしまった唐変木が取り残された哀れな図。

正直、単なる気の所為だったのだろうと着地させるのをどこかで惜しんでしまった彼女は、独りでに目を覚ますや呑気に身体を伸ばす白猫を物言いた気に睨むのが精一杯だった。

 

 

「……買って来ねェのか?」

 

 

「へ?」

 

 

「ンだその気の抜けた返事は……そもそも、此処に来たのは、オマエが欲しいCDがあるって話だっただろォが」

 

 

確かに、最近街角で流れた曲が珍しく自分の好みに合って、そのアーティストのアルバムを買いに、今こうしてセブンスミストに居る訳だけれども。

それは事実であると同時に、単なる一側面に過ぎないという話は、当然口に出せる事ではない。

 

というのも、正直映画館を出た後にどうするか、なんて予定を考えていなかったのである。

 

昨日までは、多分その場の雰囲気で解散なり何処か別の場所で遊ぶなりするのだろうと気楽に構えて居たのだけれども、その場の雰囲気を読み取るなんて余裕、その時の吹寄制理には微塵も無かった。

 

 

よもや常日頃、憎まれ口を叩いてばかりの生意気な年下が、こんなベタベタな雰囲気に呑まれてしまったのかも、なんて思春期特有の憶測は──ほんのちょっぴり、だけしか浮かばなかった。

けれどもそれならそれで、自分を見ていた理由は何だったのかも分からないままだし、なるべく物事にはそれ相応の決着を望むタイプである吹寄としてはモヤモヤとした霧を晴らす事なく解散というのは頷き難い。

 

しかし、ならばすっぱりと聞いてしまえば良いだけだと踏み出せば良いものを、普段の勇ましい吹寄制理は中々顔を出してくれず、辛うじて絞り出した提案は、時間稼ぎという我ながらどうにも情けないものだった。

 

 

「え、えぇ……まぁ、そうね。それじゃ、ちょっと見てくるけど……」

 

 

「……ン」

 

 

取り留めもなくサラリと振られた男にしては細い手が、発生地も行き場もさっぱり見当のつかない寂しさヒトヒラ引き連れては、舌先に苦味を添えられてばかり。

ヘッドフォンを白髪に絡めて操作盤へと添える指先からそれとなく踵を返して、どこか力のない足取りのまま目的のモノを探す自分が、少し惨めな気がしたのはどうしてだろうか。

 

 

天井コンクリートから顔を出す照明の淡い暖色が、少し励ましてくれてるようにも見えるのが、どうにも情けなかった。

 

 

数を上げればキリのない背表紙がギッシリと隙間なく陳列される以上、お目当てに行き着くのは中々にすんなりとはいかない。

だからと腰を屈めて悠長に眺める姿は外側から見れば真剣味を帯びている様にも見えるのかも知れないが、実際その中身は全く余所を向いている。

 

 

(今日の私、どうかしてるわね……)

 

 

思い返して思い巡らせば、自分の事ながら不理解が散見出来る事ばかりで、健康には必要以上に気を張ってる癖に知恵熱さえも浮かんで来そうだ。

 

例えば、ついさっきヘッドフォンを掛け直した時もそう。

 

公共の物が乱雑に扱われている事を見過ごせず、つい手が伸びてしまった事は、確かに年寄り臭いと思っても決して間違った行為ではないはずなのだ。

それはゴミ箱にキチンと捨てられていないゴミを拾って入れるのと何ら変わらない、恥ずべき要素など一つも無かったし、振り返ってみても別に可笑しな事ではない。

 

けれど、確かにあの時あの瞬間、年寄り臭いと思われるのは何か嫌だなと、そう思ってしまった。

それは多分、曖昧で実感なんて星屑一つも満たないくらいに些細な程しかないけれど、恐らく。

 

 

彼に、一方通行に──そう思われたくはないと、想ってしまったのではないだろうか。

 

 

 

「……あ、あった」

 

 

花開く春を待つ蕾に伸びかけた掌が、爪先を軽く掠めるだけに留まって、掴まえたのは棚から抜き出した色彩過多なジャケットアルバム。

数日前に検索した題目と一致しているし、裏面を見れ、街角で耳に馴染んだ一曲もキチンと収録されている。

 

こうして漸く目的の商品を手に出来たのだから、少しくらい気分は晴れてくれれば良いものを、先程までとさして変わりない沈み具合。

 

 

「……」

 

 

やはりそう単純には行かない煩わしさこそ青春なれ、思春期の謂わば醍醐味であり独特の苦味であるのだろうけれど。

花の女子高生にも関わらずそれらしい恋愛模様に身を置く事もなく、持っている恋愛小説など昔の著作が精々一つな吹寄からしてみれば、現状は不明瞭と不明理にただ歯痒さを募らせているだけにしか思えなくて。

 

降り積もるそれらを恋愛のエネルギーに変換する術も持ち合わせていない彼女は、段々と、その歯痒さを苛立ちへと持ち替える事が精一杯だった。

 

 

(……何で、一人でこんなウダウダやってないといけないのよ。私らしくもない)

 

 

何も上映中、ずっと一方通行が自分の方を向いていた訳でもあるまいし、この疑問が解けなかったとして寧ろ何か問題でもあるのかと。

少なくともこんな柄にもない動揺に引き摺られ続ける事の方がよっぽど問題だとも思うし、何よりモヤモヤとしたままで居るのは精神的にも不健康だ。

 

 

「……よし」

 

 

取り敢えず、今は気にしないでおこう。

疑問に決着がつかないのは癪ではあるが、こうして開き直ってしまえばその内、気に留めなくても良くなる筈だろうから。

 

彼女の友人である姫神秋沙が知れば盛大に溜め息を落としそうなくらいに強引な開き直りで一応の段落を付けた少女は、これで良いのだろうかと細々と囁く不安を取り払うようにして、事の原因となった白貌の少年の元へとツカツカと歩み寄る。

 

巡り巡って荒っぽい着地となった分、そう時間は費やしてはいないだろうけれども、軽く一言詫びて、気分転換にまたどこかへと誘おうか。

耳を覆うヘッドフォンが少し血色の変わった猫が耳を畳んでいる様にも見える後ろ姿に、そっと伸ばした手が──ピタリと止まった。

 

 

(あれ、一方通行が今聴いてるのって……)

 

 

撫で肩の向こう側、操作盤の液晶画面に映し出されているサンプル音源の曲名と、アルバムのジャケット。

 

ヘッドフォンから漏れ聞こえるメロディーはショップ内に流れる有線にすら掻き消されるほどの少量ではあるものの、雑踏の中で呼ばれた自分の名前の様に不思議と聞き覚えを感じれる。

 

それもそうだろう、数日前にも耳にして、ほんの時間稼ぎという建前はあるにしろ今現在こうして手に求めるぐらいに、鼓膜へと焦げ付いた音楽。

 

それなりに最近のヒットチャートぐらいは知っていても、どちらかと言えば歌謡曲とか昔のフォークソングとかの方が好みである筈の自分にしては、珍しく波長が合ったと思っていたのだけれど。

 

 

──その何気ないフレーズが、陽の光を眩しがっては猫背になりがちな誰かの背中に、不思議とすんなり重なったから。

 

 

薄氷がじんわりと溶けていくみたいに、遠回りから漸く終着駅へと到達した自覚が、記憶群野のおもちゃ箱からそっと姿を表した。

 

『Mrs.GREEN APPLE』の【WaLL FloWeR】

 

 

「……ぅ」

 

 

寒くもないのに悴み出した彼女の右手に挟まったアルバムのアーティストと、リストの最後尾に記された本命の曲名が、操作盤の滑らかな液晶画面に浮かび上がってるのはどういう偶然か。

 

いや、これが偶然や運命の悪戯なんかじゃない事くらい頬に紅を差して狼狽えている吹寄とて、流石に分かる。

 

何せ、此処に来る目的が件のアーティストのアルバム目当てだとしっかり一方通行に話しているのだ。

無能力者とはいえ優秀な成績を収めている優等生が、ほんの数十分前の事を忘れる訳がない。

 

 

だからこそ一方で、単に彼が時間潰しのついでに連れ合いが話していた曲とやらを聴いてみようと思い至っただけという、別に深読みする程の事でもない側面すら見えても良い筈なのに。

 

どうして、『何だか擽ったいな』程度で終わってはくれないのだろう。

どうして、液晶画面を覗いた瞬間、びっくりするぐらいに心臓が跳ねたんだろう。

 

 

くるりくるりと文字に起こすには少しばかりの支離滅裂は女心の秋模様とでも形容出来るが、抜群のプロポーションを持ちながらも色気がないと謳われた少女には、その感情を理路整然とするには荷が克ちすぎている。

 

となれば、開き直って振り払ったはずのリフレインは、すかさず銀幕のランプを灯りにした紅朱とした丸い月を、いたいけな少女の脳裏にそっと翳して。

 

一時停止のボタンを押されたみたくピタリと硬直した吹寄が再生を果たしたのは、皮肉にも背後の気配に気付いた第一位が振り返りながらも操作盤の一時停止を押してからだった。

 

 

「ン……? 何やってんだ、オマエ」

 

 

「…………や、別に何でもないわよ」

 

 

「はァ? じゃあなンで──っ」

 

 

背後で声も掛けずに、それも中途半端に片手を突き出した格好を見れば不思議に思うのは当然で、ヘッドフォンを外す腕の動きも固まろうと云うものだ。

 

端から見ても当人から見ても奇妙な事には変わりない。

追及は免れないと知っていても、だからと言って明け透けに語るのは憚れるからつい誤魔化しにもならない否定を口ずさんでしまえば、呆れた様な吐息が直ぐ目の前の白貌から零れた、のだけれど。

 

 

……そこで、ちょっと言葉を詰まらせるのは少し待って欲しい。

明からさまに、しまった、みたいなリアクションを取られるとこっちとしてもなんだか困るのだ。

 

だから、そんなにそそくさと気不味そうに目を泳がせながら、ギクシャクとした手つきでヘッドフォンを乱暴に掛けるのは止して欲しい。

 

 

「……チッ、まだ会計も済ンでねェのか」

 

 

「え、あ、はい」

 

 

「ンじゃさっさとレジ行くぞ。いつまでもンな所で突っ立ってンじゃねェ」

 

 

「そ、そうね……えぇ、行くわよ、うん」

 

 

ここ最近ではどことなく鳴りを潜めていた粗暴さを言葉尻に織り交ぜながら、すっかり惚けてしまった吹寄の脇をすり抜けて、リノリウムの床に杖先をカツカツと打ち立てる余裕のない足取り。

随分子供染みた、ある意味では年相応な八つ当たりではあるものの、此方とてそれを指摘したり宥めたりする余裕を取り戻せないで居る。

 

 

(……これ多分、照れてる……のよね?)

 

 

横長のレジコーナーへと向かう背中、怒らせた肩の反動でコートのふさふさとしたファーが揺れているのを慌てて追い掛けながら、吐露した疑問は多分、的を射ているのだろう。

 

気難しい癖に意外と感情が体に表れるのが如何にも年下の男の子である実感を呼び起こすも、それが更に色々と憶測さえも引き連れて。

けれどもその憶測が当たっていても外れていても、肝心のどうしたら良いかが分からないのであれば、結局は余り意味がない。

 

 

「ねぇ、あの……一方通行」

 

 

「なンだ」

 

 

意味がない、身をつけない、実りようがない……今はまだ。

でも、透明な夜空に浮かぶ透明な星を手探りで掴まえるに等しいとしても、一つだけ確かめておきたいなと思ったこと。

 

 

 

「結構、良い曲……だったでしょ?」

 

 

 

なんとなく、気になったから聞いてみただけの問い掛け。

多分もっと、雪解け宜しく全てに片を付けれそうな言葉は色々あるのだろうけれど、無意識ながらも選んだのはきっと、些細な切っ掛け。

 

 

例えばそれは、少し離れた星と星が、ちょっとずつでも距離を動かすきっかけだったのかも知れない。

 

 

 

 

 

「…………まァ、悪くはねェけど」

 

 

 

「……ん。なら良いの」

 

 

 

──あぁ、なんか今のはちょっと、いいな。

 

 

けれども、ニヤけてしまうのを抑えるのには、苦労した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──

──────

 

 

 

 

浮いて沈んで、また浮いて、そこから更に沈んでと。

 

人生は船路に似ているのだと、かの宮本武蔵が遺しているけれども、それがまさに今この時そういう事なのだろうと当て嵌めるには少し乱暴な気もするけれど。

ちょっとした博識を帆に立てて思考の船旅に出るには悠長にしている場合じゃないし、これが一種の現実逃避なのは恐らく疑いようもない事実だとして。

 

改めて直面した困難に向き合う為にも、ふと沸いたそんな自分にしては珍しい戯言をどうせ掴んでしまったのなら、後もう少しだけ戯れに身を任せよう。

 

 

つまり、この退っ引きならない現状に、より如実に当て嵌めれる名言ならぬ迷言を、吹寄制理はたまに耳にしていた。

それは彼女にとっては甘んじるしかない現状に嘆くばかりで白旗を挙げるだけのだらしない行為の象徴と、酷く辛口な批評でもって迎えて来た言葉だけれど、いざこうして渦中に立てば、少しだけあの口癖にも同情が沸いて来た。

 

いわく──

 

 

 

(不幸なんかで……済む訳ないでしょ、これは!)

 

 

 

「ちんたらしてんじゃねぇ!! さっさと金積めねぇと頭ぶっ飛ばすぞコラァ!」

 

 

「ひぃっ!? わ、分かりました……」

 

 

威嚇として撃ち鳴らされる無機質な殺意が、天井から吊り下がった電灯を蹂躙して、パラパラと砕け散った硝子の破片が目の前に落ちてきた訳でもないのに自然と膝を畳んでしまう。

 

鼓膜を鈍器で叩かれたような発砲音が、ほんの少し指先に力を込めてしまえば、命を産み出すよりも随分と簡単に命を奪える事を知らせるシグナルなんだと、今更ながら知らしめされた実感。

聞き慣れない音の衝撃に覆い被さって内側で響くキーンとした耳鳴りが、脅威に対する本能からのアラートなんだなと取るに足らない他人事を思い浮かべても、気楽さなんてまるで掻き集まらない。

 

 

それはまさしく、見る者の興奮を誘う銀幕の中のハードボイルドアクションではなく、ポップコーンを貪りながら眺めれる娯楽の一つなんかでもなく、ただそこに横たわった現実だった。

 

 

 

──

 

 

 

思いの限り喚き散らかしたくもなる現実に突き落とされてしまった一端となったのは、購入したCDの入ったブルーフィルムのビニール袋を折り畳んで使い馴れないハンドバッグに押し込んだ所からだった。

 

行き当たりばったりと言えば聞こえは悪いけれども、同時にこれからの予定をどうしようと考えるのに、柄にもなく胸が弾んだのも事実で。

それが久しぶりに女子学生らしい休日を送れているからなのか、学業とかの建前なく異性と出掛けているからなのか。

それとも、『待て』を示す対岸のカラーサインを退屈そうに眺めている姿が、外見はどちらかと言えばはみ出しものっぽいから似合ってない学園都市第一位と一緒だからなのかは、さて置いて。

 

まぁ少なくとも、セブンスミストを出る際に『ンで次はどこに付き合わされンだ』と、如何にも面倒くさそうに"続き"を前提とされながら先を促されたのが含まれる事は、当人達以外からしたら今更言うまでもない。

 

 

けれども、本人に例えそういう意識があんまり無かったとはいえ、形だけ見れば『異性と二人きりのデート』というイベントに経験もない吹寄制理が、すんなりと次を思い浮かぶハズもなかった。

 

更に言えば、クラスメイトの誰から見てもしっかり者で堅物の太鼓判を押される彼女は、容易に想像出来そうな通り必要以上の浪費は好まない。

だからこそ財布の中も大体これくらい入れとけば良いかのラインも、普通の学生でもちょっと心細さを感じる程度である。

 

よって一先ずは銀行で追加予算を増やしてから今後を考えようという、現実的で色気のない算段をつけるのは流石と言えよう。

勿論、一々そんな面倒な真似するくらいなら自分が全部出すと太っ腹かつ男前な第一位の主張は。

 

──いくら相手が自分よりお金持ってても、そこにすんなり甘えるのはみっともないでしょ。まして、年下相手に。

 

と、女の身でありながらも更に上を行く男前かつ体育会系な反論でもってあっさり流した。

 

しかし、思えばここで彼女が彼女らしいとも言える逞しさを発揮しなければその後の騒動に巻き込まれなかったのだとしたら、それは何という皮肉なのだろうか。

 

 

最寄りの銀行の自動ドアを潜って、ついでに手洗いを済ませようと奥の方へと去って行った背中を見送って。

 

取りあえずこれくらいあればと、普段の自分では滅多に引き落とさない桁の紙幣を二枚も財布に忍ばせて窓口のソファーに腰掛けながら、倹約家な性分の自分にしては些か思い切りが良すぎた事にむむむ、と形の良い眉を曲げた所で。

 

 

──突如鳴り響いた銃声の雨と、悲鳴と罵声の嵐。

 

突き付けられた脅威と、目元口元だけをくり貫いた如何にもな覆面を被った五人組のスキルアウト達に、前触れもなくやってきた恐怖に戦慄する客や銀行員と共に一塊に並ばされた。

 

 

 

──

 

 

 

 

そんな、箇条書きにすれば有りがちだと一笑にでも伏せられそうな、けれど明確に実体化した暴力でもって不幸とすら収まりそうもない現実に転がされたのが、まだ呑み込みきれない自分も居る。

 

ひょっとしたら、単なる悪ふざけの延長で、誰から見ても馬鹿馬鹿しいとしか思えないような、ただただ質の悪い種明かしが用意されてるんじゃないのか。

 

どうしたって、そんな幻想に少しでも頼りたくなってしまうのは、幾ら日頃はそこいらの男にも劣らないほどに気の強い性格だったとしても、彼女があくまで普通の少女に過ぎないからだ。

 

ただの、か弱い存在でしかないのだ。

 

 

──勢いを止めず溢れ出す血に、当たり前の様に青褪めてしまう、この科学の街では無力な一人の女の子に、過ぎない。

 

 

 

 

 

 

「てめえら、妙な真似するんじゃねぇぞ……誰一人として動くんじゃねぇ! "ソイツ"みたいになりたくなかったらなぁ……」

 

 

「っい……っぁ、いた、痛いっ……」

 

 

「はっ、格好つけてヒーローにでもなりたかったってか? だったら片手が使いモンにならなくなったくれぇで喚いてんじゃねぇよオッサン」

 

 

「──っ」

 

 

これが昼間の劇場から続いた、ジャンル違いのフィクションや白昼夢でないことを知らせるのは、顔を特定されない為に覆面を被った少年──恐らくスキルアウトの手に握られた黒光る銃口だけではない。

 

しっかりとクリーニングしたお蔭で出掛ける前までは新品みたいに真っ白だったハンカチが、べっとりとしたペンキに漬け込んだみたいに色を侵す、真っ赤な血。

きつく押さえ込んでいるからこそ伝わる掌の震えと、ハッキリと輪郭が浮かぶ死の予感から逃れようと、恐怖に色を奪われた男の唇から漏れている怯えの声が、彼女の心にまで移って来そうで。

 

 

──手に孔が出来て、痛みを訴える様のどこが可笑しいというのか。

 

結果的に見れば軽率だったとしても、分かり易い武器を手に高笑いを浮かべる者から抗おうとした気持ちを、馬鹿な奴だと切り捨てる奴が胸を張るな。

 

 

(……血が、止まらない)

 

 

そう、口にしてやりたかった。

強い意思で、強い言葉で、ついでに頭突きの一つでも食らわせてやりたいくらいに、腹立たしかったけれども。

 

同時に、薄く脆いカーテンなら簡単に破れてしまいそうな力で自分の腕を掴んで苦痛を堪えて蹲る、スーツを纏った男の姿と、その傍らでスクラップとなった一台のスマートフォンを見れば、行動の先に行き着く報いを鮮明に想像出来た。

 

鼻腔をつく、濃い血の匂いが不意に涙腺をノックするのを食い縛るように堪えたのは、隣り合わせとなった死の恐怖と、とてつもない悔しさから。

 

 

我が物顔で平穏を殺した理不尽に、何も出来ないで居る自分が。

血走った目で暴力を行使したスキルアウトの存在に、心の底から恐怖を感じて、膝を折っている自分の姿が。

 

けれども、まるで分厚い黒雲に光明が射し込んだかの様に、僅か一筋であっても吹寄制理の安堵を呼び込んだモノは、スキルアウトが取った確認行為だった。

 

 

 

「よぉし、これで全員だな」

 

 

 

火災用防護シャッターが下ろされた受付ロビー周りで集められた自分達の中に、一方通行の姿が未だに見つからないという事に気付いて。

 

 

(……良かった、これなら)

 

 

 

どういった手段かは知らないけれど、多分能力か何かを使っていち早く銀行から『脱出』してくれたんだ、という期待。

ならば、きっとアンチスキルを呼んでくれているだろうし、"彼自身"が危険な目に遭う事は少なくとも間逃れたのだろう。

 

一方通行のあの生意気な顔が、例えば目の前で苦悩の声を漏らす男性の様に歪むような、渦中の危機からは遠ざかったのだと。

 

 

──きっと彼を知る者の"殆ど"が不必要な心配りだと呆れてしまう、或いは笑い流してもおかしくない検討違いな杞憂。

 

 

ハンドガンでもマシンガンでも、ミサイルでも核兵器だとしても傷一つ付けられないと謳われる学園都市最強に対して、たかが切羽詰まったスキルアウトが起こした銀行強盗が何の障害となるというのか。

 

 

だというのに、吹寄制理は本心から細やかな満足を得ていた。

恐怖に染まる心がほんの少しだとしても、和らいでいた。

 

一方通行が学園都市で最も優れた能力を持つ存在なのだと知っているにも、関わらず。

もしかしたら、その能力を使えば直ぐにでもこの場を収めてくれる可能性を持っているかもしれない、寧ろ最優の肩書きからしてその可能性の方が高いであろうにも、関わらず。

 

 

最近やっと年相応の仕草や表情が垣間見えてきた、一つ年下の男の子が銃弾に撃たれて倒れてしまう。

そんなビジョンが少しでも有り得る可能性の方が──吹寄制理は怖かった。

 

差し伸ばした手を握るのに、未だに戸惑ってばかりの臆病な白猫が傷付いてしまう可能性の方が、彼女にはよっぽど恐ろしかった。

 

 

しかし、そんな少女の静かな安堵とは裏腹に、事態はより一層の深刻化を迎えてしまう。

 

 

「おい、そこのガキ! さっきからグズグズうるせぇんだよ!」

 

 

「あ、ぅ……や! 嫌ぁ……いやぁ!!」

 

 

「ひっ……は、ぃ、今静かに……っさせ、ます」

 

 

きっと、今になって漸く現在目の前に広がる光景がとても恐ろしい事だと理解してしまったのであろう年端も行かない少女の泣き声に煩わしさを覚えたのか、鋭い罵声と共に銃口が向けられている。

 

それが単なる脅しに過ぎないとしても、無機質な発射口があまりに簡単に命を別つ断頭台の刃と成り変わってしまう事が、並べたくもない前例によって十二分に理解出来てしまうのだ。

ほんの些細な気紛れで、紐を切られてしまうかも知れない恐怖に唇を紫色にまで変色させた母親らしき女性は怯える少女を背へと隠しながら、哀れなほどに身体を震わせていた。

 

 

しかし、その年端もいかない少女は未成熟で小柄な身体にも関わらず──とても勇敢であった。

俯きながらも娘を護ろうと背に追いやった母親が、見たこともないくらいに弱っている姿をなんとかしたくて、助けたいと願って、余りに小さな一歩を踏み出してしまって。

 

 

「グス……お、おまえなんか……ママを怖がらせる、わ、悪者なんか……カナミンにやられちゃえっ!!」

 

 

「……あぁん? んだと、クソガキ……なぁにがカナミンだ、おいこら」

 

 

「み、美香!」

 

 

ひきつった喉から精一杯絞り出した舌足らずな勇気の言葉は、けれどもあまりに幼稚で、あまりに無謀だった。

 

少女にとって、その存在は揺るぎない正義の象徴で、大切な母親や周りの人々を苛める悪い奴を懲らしめてくれる者なのだろうけれど、電子細工の虚構にその願いは叶えられない。

寧ろ、状況に更なる悪化の一途を呼び込んでしまう事は逃れれず、銀行強盗などという大一番に踏み切ったが故に後にも引けないスキルアウトは、戯言などと分かっていながらも聞き流しはしなかった。

 

 

「……ふん、まぁ丁度良い。こんくれぇ小さいなら、人質として連れ回すのも楽か。おい、ババア! そのクソガキをこっちに来させろ」

 

 

「ひぅっ!」

 

 

「ま、待って下さい! お、お願いします……娘を人質になんて……」

 

 

「あー? 聞こえねぇなぁ? つーか、おめぇがちゃんと躾しときゃこんな事にはならなかったんだろうがよ。嘗めた口効くようなクソガキはしっかり教育してやんねぇとな? まぁ安心しろよ、俺達が逃げ切ったらちゃんと解放してやっから」

 

 

「お願いします……お願い、します! わ、私が人質になりますから……この子だけは……」

 

 

その口振りから、予め逃走用の人質を確保する算段であった事は推測出来るが、だからといってスキルアウト側にとっての合理性など考えたくもなかった。

 

人質として要求された娘を胸に抱き締め、ひたすらに額をタイル床に擦り付ける母親を、これ以上とないくらいに見下ろしているのが分かるくらいに、粘着質的な嫌らしい笑み。

 

優位性を確信し、"片手間"の暇潰しに相手の尊厳をいたぶる様な非情なやり口に──恐怖感よりも瞬発的な怒りが前に出た。

止血の為にハンカチを抑えていた血濡れの掌から、スッと力が抜けていく。

 

後になって振り返れば、冷静さを失っていたと我ながら省みるとしても、それでもきっと従うべき感情なのだ、これは。

 

 

(良い加減に……っ)

 

 

「待ちなさ──」

 

 

恐れを塗り潰したアドレナリンに従うままに開きかけた唇は──しかし、凛とした少女の声に遮られて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待ちなさいよ、アンタ達」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、安易に犯罪行為へと走った事を後悔させられる羽目になる第一要因は、もう我慢の限界だと言わんばかりに舞台へと降り立った。

 

この学園都市において、一握りの現状最高位である七つ席、Level 5。

 

その内の一つに座して、電撃系統能力の到達点。

 

 

 

「……人質なら、アタシがなるわ」

 

 

 

学園都市第三位──御坂美琴

 

 

 

 

 

 

『Achernar』__『川の果て』




Achernar:アケルナー

エリダヌス座α星 (α Eri)

スペクトル型:B3Ⅴpe

距離:80光年

輝き:0.46等星 全天第十位

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