星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

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Re:Play 11『Hader』

当事者という枠組みから離れて述べる、もっとこうするべき、という言葉が、御坂美琴はあまり好きではなかった。

 

例えば、ニュース番組のコメンテーターが放つような、絵に描いた理想的展開や未来予知染みた対策。

それは確かに実践出来ていればとは思うものの、そこにはきっと現場にある生々しいアクシデントは省かれているからか、どこか突き放したような血の通わない言葉に思えてしまうのだ。

 

 

冷静な観点から見れば、というのはあくまで冷静な立場に居られればこその結果論であって、それをさも誰もが出来て当然の様に振り翳すのが、まるで人間をロボットか何かだと手痛い切り離し方をしている様にも思えて。

 

だからこそ今、こうして向けられた銃口を睨み付けている自分もまた、そうした批評の炎にくべられる薪になってしまうのかも知れない。

 

 

「……聞こえなかった?」

 

 

きっと、もっと利口な立ち回りはあったのだろう。

 

それこそ当初の通り、目の前で銃を構える無法者達が突如踏み行って来た時と同様に、冷静な観点から理想的な手段を構築出来る道筋は充分有り得た筈で。

 

不用意に名乗り出たこの状況は、より一層事態の悪化に拍車を掛けたと、数日後にでも報道されてしまうかも知れない。

 

 

「……人質ならアタシがなるって言ってんのよ」

 

 

けれども、堪えきれなかった。

 

立ち回りの理想を追いかけて、目の前のふざけた現実に歯を食いしばれるほど御坂美琴は達観出来てはいない。

 

少なくとも、強者が弱者をなぶる様な胸糞の悪くなる場面を前にして、黙っていることは出来ないのだ、"もう二度と"。

 

 

 

 

──

────

 

 

 

 

 

或いはその銃口が、お節介ながらもどうしてか切り離せなくつつある誰かに向けられていれば、その瞬間にも白い狂嵐によってこの悲劇は鎮圧されていたかも知れない。

 

それは結末だけ見れば確かではあるものの、その過程に産み出されるかも知れない不要な犠牲は果たしてどれ程に及ぶか。

やもすれば、嵐の過ぎ去った後で横たわるのは、そのお節介な誰かが含まれる可能性もまた、零とは言い切れない。

 

その無意識の恐れは、無力化した一人のスキルアウトを足蹴にしながらも襲撃の会場と化した受付広場を窺う学園都市第一位に、冷静な立ち回りを要求する。

 

 

「……チッ」

 

 

どうしたってこんな面倒な日に、顔を合わせるには面倒過ぎる相手と居合わせてしまったのか。

仮に太陽が燦々と輝く昼下がりに出会ったところで、決して笑顔で挨拶を交わせれるような間柄ではないにしろ、このような状況は心理的に泣きっ面に蜂のようなものだった。

 

 

いや、もっと奥底で本音を語れば、自分一人という状況であったなら幾分かマシだったのだろう。

憎しみなり慟哭なりされても、あっけなくその一時は過ぎ去るし、視界にいれたくもないとされるなら、それならそれで良い。

 

だが、今は……自分が犯した身の毛もよだつ様な愚行とは、何ら関わりの持たないはずの少女が居る。

その手に触れるのも未だに抵抗感を覚えてしまう様な、お節介焼きが。

一方通行という存在が、本来知り合うべきではない、暖かな異分子が、居る。

 

 

「……」

 

 

沈殿した錨の錆に似た、赤い恥。

御坂美琴に、光の住人と馴れ合う殺人鬼の姿を見せて良いのだろうか。

自分と同じ顔を幾つも弄んだ化け物に、笑みを向ける酔狂な存在を見せたなら──『どうなる』だろうか。

 

 

『吹寄 制理は、この学園都市にはありふれた"平凡"だ。ちょっとばかし気が強いだけの、普通の女だ』

 

 

 

 

『学園都市に蔓延る闇の一つにも関ってない、そこらで手に入る拳銃一つで為す術なく死んでしまうような、無能力者だ。お前みたいなのがどういう経緯でアイツと知り合ったのかも、気に入られたのかも俺には分からんが……』

 

 

 

『────巻き込まない、自信はあるのか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スキルアウトから奪った銃口の、鈍い艶光を静かに見下ろす紅が、目を覆うだけの幕を求める。

薄皮一枚の、脆い幕を懲りもせずに求めている。

自分だけの現実に引き篭る選択を選び続けたいつかの日々の様に。

 

 

だが、静かに瞑目へと向かう瞬きの最中に、視界に過った光景は、それを許さなかった。

一万回殺した男の目の先で、一万回殺した顔と同じ顔をした女が、もう一回死のうとしている。

 

憎々しげに、心底疎ましそうに顔を歪めたスキルアウトに、銃口を額にくっつけられながらも。

凜然と折れぬ意志で立ち向かう彼女が────第三位が、また、殺されそうになっている。

 

第三位であれば、引き金を引かれた所で能力を行使し、そこから逆転の一手に繋げれるかも知れない。

むしろそれこそ彼女の算段であり、勝算であるのかも知れない。

 

そんな推測を、白いペンキの様に塗り潰す。

無様な後悔を引き摺り続ける男が、また一つの後悔に苦しみたくないが故の、防衛本能。

 

 

「─────」

 

 

カチリと鳴る、首の鎖を外す音。

狂う白い獣は、黒い爪を迷いなく構えて。

 

 

 

 

 

───────

────

 

 

 

──撃った。

 

誰が?

自分ではない。そんな訳ない。

この手に命を玩具にするオモチャなど握られてはいない。

 

 

それを手にしていた筈の目の前の少年は、呆気なくその手の暴力を手放しながら、美琴の目の前で、真横に倒れ込んでいる。

神様の気紛れなリモコン操作で、やけにスローモーションに流れる一幕の最中。

ペンキの様なベッタリとした紅い紅い鮮血が、鳶色の中に封じ込めていた記憶を引っ張り出すかの様に、過る。

 

 

『お姉さ……とミサ……』

 

 

真っ白のフラッシュバック、真っ赤な結果。

優しい色など、数瞬の思い出巡りのどこにもない。

 

 

「ぎぃ、あっ!?」

 

 

「!」

 

 

前触れもない凶弾に、片腕の軸を射ぬかれた数秒前までの強者は、悲鳴をあげてリノリウムの床へ蹲る弱者へと落とされた。

奥歯にガキリと苦痛を押し込める少年へ、反射的に伸ばしかけた腕を、引っ込める。

 

仲間への突然の危害に狼狽した他のスキルアウト達が、発砲地点らしきロビーの曲がり角へと怒鳴り声を上げたからだ。

 

 

「畜生! どこのどいつだ!」

 

 

「隠れてんじゃねぇ、出てこい!」

 

 

「っ待て、クソッ! おい、見張りは残しとけよ!」

 

 

蜂の巣を叩き落とした、輪郭のない腕を探しに、兵隊蜂がけたたましく廊下の奥へと殺到する。

想定外のアクシデントに混迷の様相は、テーブルに零れるインクの様にじわりじわりと広がっているのも致し方ない。

 

学園都市が平和とはかけ離れた場所であるとはいえ、この場の客達の殆どが血生臭さと無縁だったはずなのだ。

 

少し前の、どこかの誰かの様に。

路地裏に広がる血溜まりを、塗装ペンキか何かだろうと見過ごしていた、どこかの誰かの様に。

 

 

「……!(見張りが2人に減った!)」

 

 

だが、今の彼女は張りぼてや仮初めを見抜かない少女ではない。

学園都市における第三位、御坂美琴に他ならない。

 

その地位における相応の修羅場を潜ってきた実感を確かめるように、柔らかい下唇を舌粒で湿らす。

この千載一遇の好機を掴めれば、何の罪のない人間を救い切れるかも知れないのなら。

 

 

「っ、おい! そこ、何携帯弄って……!」

 

 

そして、一人の注意が客の方に逸れた瞬間。

羚羊の様な細い足を軸に、体躯を屈ませたまま『もう一人』の方へと一気に距離を詰める。

 

 

「──なっ」

 

 

「っ!!」

 

 

スキルアウトの足に添わせた掌から、放電。

致死量には至らないまでも、大の大人ならばまず昏倒する電力の放出は、瞬く間に一人を無力化する。

 

 

「!! くっ、やりやがったな!」

 

 

「こっちの台詞よ! 散々好き勝手してくれて!」

 

 

バチバチと轟く、掌規模の雷鳴に気付いた残りの一人が咄嗟に銃を構えたところで、もう遅い。

トリガーに指が掛かるより、美琴の指の中にある一枚五百円の弾丸が放たれる方が余程早かった。

 

 

「──ぁ、あづッ!!」

 

 

飛来したのは、レールガンなどという大層なものではないが、電熱によって加熱された五百円玉は痩せ我慢を許さない。

その隙ごと刈り取るように伸ばされた少女の手から、二の舞へと追いやる電力が再び放出された。

 

 

「……ふぅ」

 

 

レベル5による一瞬の制圧劇を間近で目にした人々から、賞賛のような声が上がろうとするが、彼女の意識は既に他所へと向けられている。

 

鳶色が睨むのは、未知の戦力とスキルアウト達の銃撃戦らしき音が飛び交う、例の曲がり角。

 

 

「……!」

 

 

だが恐るべきことに、その銃声の悉くが、次第に悲鳴混じりの恐怖一色へと変わっていく。

曲がり角側のリノリウムに散らばる、血痕の形。

その形は単なる鉛弾によるものであるのは、銃知識に疎い彼女ですら推測出来そうなものなのに。

 

 

『お姉さ……とミサ……』

 

 

何故だか、心臓がギシリと苦痛を訴える。

まるで剥き出しの鉄格子を巻き付けられているかの様な、鈍臭く引きちぎれそうな痛み。

 

 

「ば、化け物……ぃぎゃっ!」

 

 

「──ぁ」

 

 

そして、恐らくスキルアウトの最後の戦力は、逃げ出そうとした所を、背中の腰辺りを的確に撃ち抜かれる事で倒れ伏して。

それはつまり、彼女とその何者かの勝利を確約するもので。

暴力と無法に脅かされた者達にとっての、解放を意味するものなのに。

 

 

「……チッ」

 

 

「────」

 

 

幽鬼の様に曲がり角から現れた白い輪郭を前にして、膝から崩れ落ちそうになった。

返り血を少し浴びながらも、デザイン的な杖を伴って、ロビーの状況を静かに見渡す、紅い視線。

真っ白なフラッシュバック、真っ赤な結果。

 

 

「……う、ぅ……いて、ぇ……」

 

 

「……自業自得だろォが、三流」

 

 

「……え? 生きて、る? どう、して……」

 

 

「…………」

 

 

重ならないのは、紅い色だけ。

自分がかつて対峙した時とは、『紅』だけが違った。

背中の腰、というよりは横腹。

それとよくみれば左脚のふくらはぎにも撃たれた後。

 

……致命傷を避けている。

その現実は、決して自分だけのものじゃなくて。

その白の脇を通り抜け、曲がり角を見れば。

 

 

「……皆、生きてる……」

 

 

ぽつりと呟いた自分の言葉の意図を、自分が一番疑っている。

彼が姿を現した時、ただ漠然と『終わった』と思った。

平穏が羽を畳んで、狂色の嘴に啄まれるだなんて未来絵図が、御坂美琴には鮮明に描けていたのだけれど。

 

──かつて化け物と呼ばれ、自らもそう呼んだ筈の白いヒトカタは。

 

 

「一方通行! 大丈夫?! ちょっと、血が……怪我とかしてないでしょうね?!」

 

 

「……誰を心配してやがる、デコッパチ」

 

 

「こ、こんな状況、心配するに決まってるでしょう!」

 

 

「……うるせェ。怒鳴ンな」

 

 

血相を変えて一方通行の元へと飛び出して、当たり前の様に彼を心配する美しい少女の気遣いから、ひたすら鬱陶しそうにそっぽを向く彼の姿は。

血を拭き取るハンカチ代わりに自らの服の裾を破ろうとしている少女の手を、面倒臭そうに止める少年の姿は。

 

どう見ても、重ならない。

 

……やっぱり、重なって、くれない。

 

 

「……」

 

 

アンチスキルか、それともジャッジメントか。

遠くから届いて来るサイレンの音が、何故だかこの時、どうしようもなく怖いと思えた。

 

 

「……チッ」

 

 

────

──

 

 

 

 

「コーヒー……飲める?」

 

 

「……まぁ、はい」

 

 

「じゃあ、どうぞ」

 

 

「……」

 

 

きっと彼女が今、何かを口にしたい気分じゃない事くらいは、吹寄制理にも理解出来ている。

それでも少し、喉の奥に挟まっている葛藤を一押しするには、生唾よりも此方の方が適切だろう。

 

勿論それは第三位である彼女だけでなく、美琴が座る階段より六段も高くに陣取り、意図的に距離を作る大人げない少年も同じで。

銀湾な手摺を滑らせる掌とは反対に抱えたブラックの缶コーヒーのプルタブに、爪先をカリカリと引っ掻けながら、六段昇る。

 

 

「ん」

 

 

「……」

 

 

飲めるかなんて疑問は当然差し込まない、淡い一言。

求めた相槌すら貰えないまま、力なく抜き取られた缶のアルミが、やけに無機質に鳴った。

そのまま彼の傍らで、ネコ毛の様に柔らかな白い髪を眺めつつ、手摺に腰を預ける吹寄。

 

春に至らぬ冷たい風が、いつも以上に肌を責めた。

視界の遠くで鳴り響くサイレン。

事件は大した被害もないまま収束したものの、上手く片付かない事ばかりで、やるせない。

 

 

「……ふぅ」

 

 

第一位である一方通行と、第三位である御坂美琴。

その二人の間に積もった因縁を、吹寄制理は当然知らない。

知らなくとも良い、と言い切りたかったけれど。

少しずつ知ることを重ねた白貌の、未知な横顔をこうも眺めていると、三人の内で最年長なのだという自制の鎖が錆びをつけ始める。

 

どちらともなくやってきた長い階段の人通りは不思議と少ない。

だからこそ、話があるのなら躊躇いを抑えて、どちらからでも良いから本題なり差し障りのない挨拶なりを、切り出して欲しかった。

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

学園都市の頭脳指数を上から数えた方が圧倒的に早い癖に、何を言うべきかに悩んでは、互いに口を噤んでを繰り返す二人の有り様で、かれこれ15分。

漸く口火を切ったのは、吹寄が購入した甘口のコーヒーを一息に飲み干した、鳶色の少女からだった。

 

 

「……結論は、やっぱり変わらないわ」

 

 

「……あァ?」

 

 

「あんたが今、どうあっても。許すも赦さないもない……あんたが『第一位』なのは変わらないってこと」

 

 

「……そォかよ」

 

 

紅が、見上げた先には厚い雲模様の空。

あまりに遠くを泳ぐ平和の象徴が、掻き消えそうなほどの羽ばたきを煩わしくも響かせる。

 

 

「……加害者冥利に尽きンな、そりゃァよ」

 

 

「……っ」

 

 

『学園都市第一位』は栄光の座ではない。

科学の権化であり、叡知の結晶であり、ただの殺人鬼。 そう突き付けて、そう突き返されて。

せせら笑う様にでもなく、ただ静かに。

そのテノールが、自らの首にロープが掛かるのを瞑目して待つ罪人の様にすら思えたのは、彼の口から聞いた言葉が耳鳴りの奥で生きているからだろう。

 

 

──ヒーローである上条当麻はもォ飽きてンだよ。次は、唯の人間である上条当麻を見せてみろよ。

 

 

許すも赦さないも、ないのだ。

自分は、御坂美琴は。

まだ一方通行を、唯の人間として見詰めれる自信はないから。

学園都市第一位。

 

御坂美琴にとっての恐怖の代名詞。

人としてどうこう、ではない。

明確な化物として、憎み続けるしかないのだ、まだ。

飽きる程に憎んでも憎み足りず、彼を通して見る『事の発端』である自分を、漸く憎み始めたばかりだから。

 

 

「あんたは『一方通行』よ」

 

 

「……」

 

 

「『今は』、そこから『始める』わ」

 

 

「──っ!!! ンの、馬鹿が! 始めるも始めねェもないだろォが。そこは『てめェ』にとっての不変じゃねェのか! あァ!?」

 

 

「……勝手にあたしの『現実』を不変になんて留めんじゃないわよ」

 

 

「……ぐっ、ふざ、けンな……」

 

 

御坂美琴は、加害者であり被害者だ。

だからこそ彼女には一方通行を化物として見ていて貰わねば困るのだ。

 

今、生きている妹達は一方通行が背負う。

必ず人間として、当たり前の命として導く。

『被害者』である御坂美琴が背負うべきではない。

 

 

──だが、そうでなかった10031人の命は。

 

『加害者』である御坂美琴が想うべきなのだ。

想い続けてやらねばならない。

一方通行という化物を、化物として見続ける事で。

そこは不変であらねばならない。

 

 

一方通行──学園都市第一位。

それを理解する事を始めてはならないのだ。

人である前に殺してしまった、彼女達の『お姉様』として、一方通行を永久に糾弾するべき者として。

『加害者』であって貰わなければ、ならないはずなのに。

 

 

許すも、赦さないもない。

どうか。

許してはいけないと、言い続けて欲しいのだと。

 

子供染みた押し付けを、御坂美琴は拒んだ。

 

 

「……墓」

 

 

「あァ?!」

 

 

「9982号の墓」

 

 

「──ぁ……お、前」

 

 

「あんたも……一緒に来なさい。いつか……じゃ、なく、て……今度」

 

 

御坂美琴は、一方通行に振り向く事なく告げる。

それは手切れ金を差し出すようではなく、彼女なりの最大限の譲歩。

彼女の声は『当たり前の葛藤』で揺れている癖に、少し無理をするかの様に言い切った。言い切ってしまった。

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

彩り集まる無機質な街並みが、紅い瞳の奥で、少しだけ有色彩を増す。

雲間から顔を出す光るだけのデカブツが、ストロボの様に伸びきった光芒を、科学の世界へと射し込ませた。

 

もう随分遠い過去にも、すぐ間近の昨夜とも思えてしまう、鮮烈で、褪せて、どちらに置いておきたくもない、あの日の事。

一方通行と御坂美琴の忌まわしい因果が、嬉しくもない繋がりを見せたあのコンテナの城。

 

その場所を覚えているのは、彼の記憶力の善し悪しは関係ない。

ただ──つい最近訪れたばかり、だったから。

 

 

「第一位の癖に。手向けるなら花、ぐらい、用意しなさいよ。紅茶……とかさ。馬鹿じゃないの」

 

 

「…………」

 

 

「高かったでしょ、アレ」

 

 

「……二万円程度、端金に決まってンだろ」

 

 

「……不味いって、言ってたわよ」

 

 

「……知るか」

 

 

掠れ気味のソプラノの、不協和音に釣られたテノールが吐き捨てる。

情報提供者の10032号の言葉を鵜呑みした事を後悔しつつ、手持ち無沙汰に缶コーヒーの表面を爪で苛立たし気に叩いた。

 

 

『……記憶共有のサルベージからすると、9982号の好物は紅茶でしたよ。と、ミサカは一本二万円もする高級品を呆気なく不味いという個体──いえ、<ミサカ>の馬鹿舌に肩を竦めます』

 

 

記憶から囁くそれは、10032号に担がれたという証ではない。

一方通行には判断しきれない事ではあるが──その紅茶の一口から、『御坂美琴』と『9982号』は口喧嘩を始めたのだ。

その後の、仲直りのアイスも含めて。

 

なら、それは確かに────9982号の好物、だったのだろう。

姉妹として、10032号が、贖罪にもならない自己満足を為そうとする一方通行の背を押した証だっただけ。

 

 

「…………クソ……」

 

 

その事実は知らなくても。

この状況において、自分だけの現実にこだわり続けていては、きっとアクセラレータは何も変えれない。

慣れ親しんだコーヒーの味すら、今はそっぽを向くように口の奥で苦くなる。

 

だからもう、踏み出さなくてはならない。

それだけの決断を下す為に必要な当たり前を、一体幾つ与えられて来たというのか。

案山子は人間になったのだから。

 

 

上条当麻の生き様。

 

禁書目録の無垢。

 

黄泉川愛穂の優しさ。

 

芳川桔梗の後悔。

 

布束砥信の贖罪。

 

番外個体の歪み。

 

打ち止めの愛情。

 

吹寄制理の温度。

 

 

──そして、妹達の願いによって、今。

 

例え、彼女の前だとしても、人間で在り続けねばならないのだと。

彼は漸く、ちっぽけな勇気を持ち合わせ始めた。

 

 

「……『御坂美琴』」

 

 

「……なによ、気持ち悪いわね」

 

 

「うるせェ。墓参り……行ってやるには条件がある」

 

 

「はぁ? んな事言える立場だと──」

 

 

この期に及んで更に譲歩を求める言い草に、素直に怒りを灯した鳶色は、振り返るなり桜唇を結んだ。

 

 

『お姉さ……とミサ……』

 

 

真っ白のフラッシュバック、真っ赤な結果。

優しい色など、数瞬の思い出巡りのどこにもない。

 

だというのに、やはり今と重ならない紅。

今度は、真っ直ぐに視線が重なる。

 

 

「…………」

 

 

「……条件って何」

 

 

一つ分かった事がある。

この化物は言葉が下手で、頭が良い癖に年下の少女に理解と推測を強請ってばかりだ。

 

つくづく呆れる。人間が出来てなさ過ぎる。

なのにそれ自体が、彼が人間に過ぎないと、そう告げて来るかの様で。

美琴の心は、早くも悲鳴を挙げている。

 

どうして、そうまで人間なら、『最初から』。

そう思わずにはいられないのに。

 

『冷静な観点から見れば、というのはあくまで冷静な立場に居られればこその結果論であって、それをさも誰もが出来て当然の様に振り翳すのが、まるで人間をロボットか何かだと手痛い切り離し方をしている様にも思えて』

 

14歳の心が、今にも軋みそうで仕方ない。

 

 

「……此処じゃ言えねェ」

 

 

「馬鹿にしてんの?!」

 

 

「違ェよ。ここじゃ言えねェ、そンだけだ」

 

 

「……!」

 

 

一方通行が示す言葉の裏は、蚊帳の外に向けた配慮であり、彼にとっての怯えだった。

全くもって、ろくでもない。

突き放すことを怠ってる癖に、自分の犯した罪の核だけは知って欲しくないというのか。

 

そんな、人としての当たり前の弱さを持っているのなら、どうして。

どうして、最初から。

 

 

『それは確かに実践出来ていればとは思うものの、そこにはきっと現場にある生々しいアクシデントは省かれているからか、どこか突き放したような血の通わない言葉に思えてしまうのだ』

 

 

『お姉様は、どうします? もし、自分のクローンが目の前に現れたら……』

 

 

『そうねぇ──』

 

 

どうして、最初から。

そう思う度に、軋むのは。無理になるのは。

彼を化物のままで居てほしいと願っている自分が、半月に折り曲げた口で囁くからだ。

 

『やっぱり…薄っ気味悪くて、私の目の前から消えてくれーって思っちゃうわね』

 

 

だから御坂美琴は、逃げ出すように、一歩を踏み出した。

不変を終わる為に。

罪悪の在処を、受け入れるようになる為に。

そうしなければ、強くなれないと思うから。

 

ただの人間である上条当麻を支えてあげるようになるには。

自分を慕う少女達の前で、いつかの様に、心から笑えるようになる為には。

必要になる強さだと思うから。

 

 

「────」

 

 

立ち上がり、スカートに付いた砂利を払いながら、彼女が突拍子もなく紡いだ数字の羅列。

その意味を理解するのは、遥か頂きに届く為の叡知は必要ない。

彼女と彼の前では、ただありふれた生き方をしている少女でさえ、すぐに思い付くこと。

 

見開く紅い瞳に映る、理解と不理解。

その多くに傾く不理解に答えるべく、彼女は優しく毒を吐いた。

 

 

「……あんたとメル友とか絶対嫌だから、仕方なくよ」

 

 

「……こっちだってお断りに決まってンだろ」

 

 

「うざっ」

 

 

「ケッ……」

 

 

青い彼方は、まだ灰色の向こう。

雪解けには適した季節だが、お互い、そこまでを求めるつもりなど毛頭にない。

 

 

「あ、ていうかあんた、もしアイツの番号知ってんなら……」

 

 

「……アイツ?」

 

 

「……いや、何でも……」

 

 

「……上条か?」

 

 

「……え? 上条当麻?」

 

 

「ばばば馬鹿! 違うわよ違うったら! って、えーっと、吹寄さん、だっけ? え、アイツと知り合いなの?」

 

 

「知り合いというか……同じクラスよ」

 

 

「あっ、そ、そうなんだ……じゃあ……いや、でも、うーん……」

 

 

でも、それはいつか変わってしまうのかも知れない。

一方通行を、ただの人間と認めたとき。

御坂美琴に、加害者である事を願わなくなったとき。

 

許すとか、赦さないとか。

その上での話が出来る、そんな予感。

 

 

「……はぁ。まぁいいわ、教えて貰わなくたって……じ、自分で、聞くから……」

 

 

「…………あの三下に、ンな及び腰でどォすンだよ」

 

 

「う、うっさい! あんたには関係……ないでしょ!」

 

 

「フン、そォかよ」

 

 

「……そうよ。『今は』ね」

 

 

「──」

 

 

そうして、彼女は背を向ける。

まだ、やっぱり顔を見続けるのは辛い。

怖くて、痛い。錆びたナイフを咥えながら話している感じがする。

 

 

「……じゃあね」

 

 

「フン」

 

 

「吹寄さんも。えっと……またね」

 

 

「……えぇ。御坂さん」

 

 

「たはは……」

 

 

「……チッ」

 

 

普通の年上から、さん付けは少しだけ距離を感じるけど、それ以上にくすぐったい。

どこか苛立った舌打ちに追いやられる様に、彼女は階段を降りていく。

 

 

(……前途多難ね。吹寄さん)

 

 

決して人の事は言えない立場ではあるが、ささやかなるエールを贈った少女は。

 

もうとっくに彼らの姿が見えなくなった辺りで見付けた公園。

誰の目にも映らない、公衆トイレの個室で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅ──ぁ、くっ……もう、なんで……こんな……ヒック……う、あぁ……ごめん。ごめんね……私、もっとあんたと……」

 

 

 

手の中に握り締める、いつかのプレゼント。

死者への手向けなどろくに知らない不器用な白い手で作られたばかりの墓。

つい昨日、花束を持って向かった時に見付けたもの。

高級茶のケースと、ゲコ太のぬいぐるみ。

 

見付けたその時に、彼女の手にあるものを並べて置く事が出来なかった自分の弱さが、後になって響く。

 

化物の輪郭が、少しずつボヤける白い影。

そう遠くない内に、並べてあげても良いのだと。

 

 

──今日、一方通行と話したことは、無駄ではなかった。

 

ようやく、御坂美琴は自分の妹の為に泣いてあげる事が出来たのだから。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「……もォ、良いだろ」

 

 

「……何も、良くない」

 

 

因縁を見送って暫く黙り込んでいた紅が、静かに突き放そうとするのが吹寄には理解出来た。

理解出来たし、彼が自分という存在を傍に居させた理由も、なんとなく。

 

 

「聞いてなかったとは言わせねェぞ」

 

 

「……言うつもりもないわよ。少なくとも、一方通行が御坂さんみたいな人に、あんな顔をさせるような事をした……って。それくらいなら、分かるわ」

 

 

「それくらい、で済む話じゃねェよ」

 

 

……切り出そうとしてるのだ。

別れを。さよならを。

もうこれ以上、自分の傍に居て貰っては『困る』のだと。

紅い瞳が、揺れながら叫んでる。

これ以上、『彼の現実』に関わって欲しくないのだと。

 

 

「……私は、そんなの」

 

 

「気にしねェだと? ナメてンのか。鏡見てみろよ」

 

 

「っ」

 

 

突き付けられたのは、想像以上に血生臭い背景。

やり取り自体に具体性はなくても、目の前であれだけ見せ付けられれば。

 

どれだけ取り繕うとも。どれだけはね除けようとも。

彼女は、ただの無能力者。

普通の少女で、ありふれた平凡である彼女が一方通行に恐怖心を抱いてしまうのは、無理もなかった。

 

 

「…………」

 

 

「あ……」

 

 

「……────」

 

 

そうして、彼は別れの言葉を言えぬまま、表情と行動だけで吹寄を彼だけの現実から切り離して去っていく。

 

いつも以上に頼りなく、いつも以上に呆気なく。

小さな背中が遠退いて、見えなくなる。

 

 

「…………」

 

 

ただ一人、残された彼女は、奥歯に悔恨を詰めて噛む。

現実に気圧された事が悔しくて。

待ってと手を伸ばせなかった自分に軽蔑して。

 

 

「……」

 

 

彼は恐らく、人殺し。

分かってた事で、覚悟していたつもりだったけれど。

頭で唱える「だからどうした、関係ない」は理性という檻の中で、遠吠えばかり繰り返す。

 

そんなこと、言えるはずもない。

音にすれば軽いだけ。第一位の前では、第三位の前では。

あまりに薄情な言葉だったと、ただ悔しかった。

 

 

「……良い、わよ。それでも、私は……」

 

 

一方通行はもう、自分の前には現れようとしないだろう。

電話をかけても、きっと彼が応えてくれる事はない。

メールを送っても、彼が答える事はない。

 

それでも自分は、一方通行の事を理解したいと思っている。

彼は恐らく人殺し。

それもきっと、第三位に心底から拒まれ、恐れられるほどの。

 

でも、吹寄制理は知っている。

それ以外の、生き方の下手くそな男の子だということを。

休日の誘いに、仕方なくでも応じてくれる人だということを。

変わってしまうのを恐れながら、変わっていく彼を。

 

 

「知りたくても……どうせ、教えてくれないだろうし……」

 

 

自分は、そんな彼の姿を好ましいと思っていると伝えた事はあるだろうか。

 

 

「……いい、わよ。もう。私だって、自分で聞くわ……」

 

 

さよならを確かな言葉にする事すら怖がる彼の、もっと色んな表情を見てみたいと思った。

仏頂面ばっかりだけど、覗き込めば意外と変化の多い彼の……もう少し、優しい表情が見てみたい。

 

 

「……黄泉川先生なら……」

 

 

出来ればそれを、向けて欲しいとも。

 

 

 

 

『Hader』____『地面』




Hadar:ハダル

ケンタウルス座β星 (β Cen)

スペクトル型:B1Ⅲ

距離:330光年

輝き:0.61等星 全天第十一位

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