「何度も同じこと言わせないでいい加減認めろぉ!! お前が殺したんだろうがぁ!!」
「あんたこそ何度同じこと言わせんのよ!! 頭と耳どうかしてるなら今すぐ病院行ってきなさいよ!? なんでやってもないことをやったって認めなきゃなんないのよ!?」
十日間の拘留が決まってから、警察からの取り調べはずっとこんな感じだった。
相手が大声出してくるから、こっちも大声で言い返す。小さい声でもまともに聞いてくれないんじゃ、大声出すしかないんだから。
時々静かな声で聴いてきても同じだ。どうせ、同じようなことしか言わないんだから、ほとんど脅すのが目的で大声を出してやった。
おかげでだいぶ喉が鍛えられた気がするけど、ちっとも嬉しくない。ちょっと喉が強くなる代わりが牢屋の中なんて、全然見合ってない対価なんだから……
ここに来て四日目くらいに、一度、お母さんが面会に来た時があった。
「わたしじゃないわよ!!」
もう何度言ったかも分からない、そんな言葉。
「面会だ」
わたしの言葉には慣れたって態度で、なんの反応も見せない、そんな事務的な声が聞こえてきた。
いつも同じな冷たい目も、声を出す喉も潰してやりたい。けど、そんな目や喉より、面会って言葉が気になったから、大人しく牢屋から出た。
「お母さん……」
「あんた、一体なにやらかしたのよ!」
「なんにもやってない!」
面会室に入るなり、荒げた声が聞こえてきた。それが、取り調べのジジィの声に被って聞こえた。それにもムカついたし、ここに来てからずっとムカついてるから、いつもの大声になってた。
そのせいでビビったお母さんを見て、ちょっとだけ冷静になった。
「……わたしはなんにもやってない。信じてよ」
とりあえず、止まないムカつきと、止まらないイラつきを押さえながら、そう要求した。
お母さんも、一応冷静になったみたいで、座ってくれた。
「何があったのよ? いきなり警察から、あんたが殺人罪で捕まったって電話があって、急いできたのよ」
「だから……やってないって……」
またイライラが沸いてくる。だれもかれも、口を開けば殺人さつじん……
「ちょっと、あんた大丈夫なの? 顔色とか、最後に会った時とずいぶん変わってるけど……」
「……ちゃんと話すから、黙って……」
今のわたしがどんな顔してるかなんて知らない。お母さんいわく、だいぶ変わってるらしい顔で要求すると、黙ってくれた。
お母さんは、ここにいる警察連中とは違う。そのはずだから、ちゃんと説明した。
わたしはただ、いつも通りに通勤してただけ。なのに、突然目の前で人が死んで、わたしはどうしてか、凶器のナイフを握っちゃってたってこと。そのせいで、こんな所に閉じ込められてること……
「気付いたらナイフを持ってたって……なんであんたが、そんなの持ってたのよ」
「知るわけないでしょう……満員電車の中でジッとしてたら、いきなり持ってたんだから。それで人殺しって叫ばれて、こっちは良い迷惑よ。早くここから出してほしい!」
説明するために思い出したら、またあのおばさんのこと、ムカついてきた。
今になって、いっそのことあのナイフで、ババァを刺してやれば良かったって、後悔してる。なんで見ず知らずのババァの、会ったことも無いダンナが死んだくらいのことで、わたしがこんなとこにいなきゃならないのよ……
「……」
なんて、わたしが考えてると、お母さんの顔が、話し始めた時とは変わってた。
最初は、単純にわたしのこと心配してくれてる顔してたのが、今は……
「……そのナイフ、本当にあんたが持ってたんじゃ、ないの?」
ちょっと……お母さんまで、何でそんな目してんの?
「何度も言わせないでよ……気付いたら持ってた。それだけ。そのナイフがおじさんを刺したものなんて知るわけないし、どこから出てきたかだって知らない。こっちが聞きたいくらい」
「……」
「ねえ……なんなの?」
いくら本当のこと話したって、顔は変わらない。この目は、ここに来てずっと向けられてる目と同じだから、何を思ってるのか、すぐ分かる。
「言いたいことあるならはっきり言ってよ!」
そんな顔にムカついたから、また声を上げる。
けど本当は、ムカつく以上に、その声の返事が、ムカつく答えじゃないことを期待してた。
警察が信じないのは仕方ない。赤の他人だし、仕事もしない役立たずのバカなんだから。そのことは、ここに来て身に染みてる。
けど、お母さんなら……お母さんだから、わたしの言うこと、きっと信じてくれるって、信じてたから。
なのに、お母さんの口から聞こえたのは……
「……そのナイフ、最初から、あんたが持ってたんじゃないの?」
そんな、わたしにとっては、一番ムカつく答えだった。
「……なんで、そんなこと言うわけ?」
「だって、普通あり得ないでしょう? 目の前で人が死んで、その人殺した凶器が、気が付いたら自分の手にあった、なんて……」
「ああ、そうだよ! その普通じゃあり得ないことが起きたせいでわたしは今ここにいるのよ! 悪い!?」
立ち上がりながら、目の前の穴が開いた、透明な板を叩きまくった。
「なんなの!? なにしにきたの!? 母親のくせに! 人の話聞いておいて結局なにも信じないでさ! 犯人呼ばわりしにわざわざ来たわけ!? 嫌がらせがしたいなら今すぐ帰ってよ! こっちはわけの分からない出来事とか! 人を人殺し呼ばわりする警察とか被害者ヅラのババァのせいで四六時中ムカついてるのにさぁ!!」
その後も、怯んでるお母さんに向かって大声を上げまくってた。
途中、そばにいた警察官に引っ張られていくのも構わず、とにかく大声を上げまくった。
牢屋に戻されたところで冷静になって、後悔した。せっかく心配して来てくれたのに。
そりゃあ、お母さんまで信じてくれたなかったことには単純に頭に来た。疑われたって仕方ない話をしてるって、分かって話してた。とは言え、きっと味方になってくれるって思ってたお母さんにまで、警察と同じ顔向けられたんだから……
けど、こんなことじゃ、あのおばさんと同じだ。ショックで、悲しかったからって、八つ当たりするみたいに大声上げて、癇癪起こして。
ご主人を亡くしてどれだけショックだったかは知らない。興味も無い。どうだっていい。
あの人のせいでわたしはこんな牢屋に入れられて、家族とか、大勢の人に迷惑掛かってるんだから。恨みこそすれ、同情なんてしてやるもんか。
考えなきゃいけないのは、とにかくこんなとこから出ること。それだけだ。
ここから出て、警察はもちろん、あのババァも訴えて、ダンナの葬式も開けなくなるくらいの賠償金請求してやるんだ……
お母さんが面会にきてくれたのは、その一回きりだった。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
その日は弁護士が来た。
お定まりの挨拶と、下らない社交辞令に、これからわたしのためにしてくれることの説明をした。けど、はっきり言って、こいつも今までと同じような顔だった。
面倒くさい……さっさと終わらせたい……どうせこいつが犯人だろう……
「それでは、当時の詳しい状況をご説明願えますか?」
「……」
そんな言葉に、またムカついてきた。
警察にも検察にも、お母さんにだって説明したことだ。一から十まで、懇切丁寧に説明してやった。それなのに、こいつは警察とか検察からそんなことも聞かなかったのか?
なんで、何度も説明したことをまた、わたしを守ってくれるはずの弁護士にまで、話さなきゃなんないんだ……
「……」
なんて、また出そうになった大声をどうにか押さえて、とりあえずは落ち着いておいた。
いくら面倒臭くてやる気がないって言ったって、ここじゃあこいつ以外に仲間になってくれる人間はいない。
警察はやる気のないバカだし、検察は話をするだけのバカ。お母さんも、家族のくせに信じないバカなんだから。
周りにバカしかいない以上、目の前に座ってるバカの手を借りるしかないんだから。
「わたしは……」
何度も説明したことをもう一度、一から十まで、詳しく説明した。
案の定、目の前のバカも、犯人じゃないかって顔でわたしを見てた。
その反応にもいい加減慣れた。慣れたことにもムカついた。
もう、わたしの言うこと信じなくても良いからさっさと仕事して欲しい。人を守って金貰ってるんだから、わたしのこと守るためにさっさと調べに行きなさいよ。じゃないと詐欺で訴えるわよ……
そんなこと考えてると、わたしのこと疑う態度のまま、お金の話になった。
簡単に説明すると、わたしのこと守るために金を出せ、てことだ。
あと、わたしが捕まってること会社にも説明してくれるらしい。
それで思い出した。わたし今、会社はどうなってるんだろう?
とっくにクビになっててもおかしくない。正直、会社に大した未練なんてないけど、一年以上働いてきて、給料もちょっと上がって、やっと仕事にも慣れてきたところだった。
毎月の給料日、貯金が貯まっていくのを見るのが何より楽しみだった。社会人として一人立ちして、生活と貯金をキチンとしてる。そうなれたことが嬉しいのは今も同じだ。仕事が辛くて辞めたいって思い始めても、何だかんだ続けてきたのに……
そうやって貯めてきた貯金も、こんな下らないことのために使わなきゃならない。
やっても無いことをやってないって証明するために、大金を使う。本当にバカみたいだ。
しかも、仕事クビになったら、使った分また稼がなきゃいけないのに、それだってできなくなっちゃう。
……本当に、あのババァはなんなんだ……
……なんの恨みがあって、仕事も生活も貯金も、あんなやつに全部奪われなきゃなんないんだ……
またムカついてきたところに、弁護士の声が聞こえた。お金を払ってくれるかどうか、その確認だ。
ここで払わないって言ったら、それでお終いなんだろう? だったら、払うしか無いじゃないか。
そう怒鳴り散らしたいのをガマンして、契約書にサインした。特に変なことは書いてないし、こいつがいくらバカでも、金を払えば仕事はするだろう。
お母さんがアテにならない以上、わたしが今日までコツコツ貯めてきた貯金から払うしかない。
そのことに本気でキレそうになるのをどうにか押さえて、捜査中の弁護費用の五十万を払うって契約した後は、弁護士に任せることにした。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
起きたくもない時間に叩き起こされて、意味も意義も分からない体操をさせられる。
不味いご飯を食べた後は、やることもなく檻の中でジッとするか、時々外に出るか。
お風呂は週に二回くらいしか入れてもらえない。
そのくせ、取調べだけは毎日させられて、バカのジジィと毎日怒鳴り合う。
その後は、すっかり冴えて眠くない目で、小学生が寝るような時間に寝かされて。
そんな、無駄に規則正しいだけの生活を強いられる。それがこんなにムカつくことだったとは思わなかった。それこそ小学生じゃあるまいに……
毎日気ままに生活できるってことがどれだけ貴重なことなのか、ここじゃ嫌って言うほど思い知らされる。
取り調べも何もなく、暇な時に考えること。
仕事のことに、毎週読んでる漫画やアニメの続き。欲しかった服とか、発売日当日に買おうって決めてたはずの漫画本……
全部取り上げられて、考えなきゃいけないのは、この先どうなるか。
今日がここに来て何日目になるのか、それももう覚えてない。数えるのも疲れた。ただ数を数えるっていう簡単な作業すらできなくなるくらい、ここは酷い場所だ。
何度思ったか分からない。どうして、いつもと同じ電車に乗っちゃったのかって。
一本遅いのに乗っておけば、会社は遅刻したろうけど、あの殺されたって文句は言えない大迷惑夫婦に出くわすことだってなかった。
バカな警察に怒鳴られて、何でもかんでも決められることもなかった。
社会のゴミどもと同じ扱いを受けることも無かった……
ああ、ダメだ。やっぱり、ここにいる限り、イラつきもムカつきも止まらない。
毎日仕事して、ムカつきながら思ってた。早くこんな仕事辞めてやりたいって。書類作りだの上司だのお得意様だの、煩わしくて面倒くさい諸々から解放されたいって。
ある意味その願いは叶ってる。代わりに、書類以上に無駄に窮屈な牢屋と、上司以上に無駄にうるさいだけの警察と、お得意先以上に無駄でバカな奴らに囲まれて、社会人以上に不自由で窮屈な生活を強いられてる。
しかも、たとえそれを何ヶ月続けたって、お金はもらえないどころか、弁護士に持っていかれる。
……なんだこれ? なんなんだよ、本当……
改めて思う。どうしてわたしが、こんな生活しなきゃなんないんだ!
そう思う度に、更に思う。
警察は許さない……
検察も許さない……
何より、あのババァだけは、絶対に赦さない……
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
わたしの起訴が決まった……
それを理由に、会社もクビになった……
何だかんだで十日経ってたのかって気が付いた後で、聞かされたのはそんな内容だった。
毎日イライラして、ムカついてきた。正直、周りの態度見てたら、出してもらえないだろうなっていう、諦めの気持ちもあった。
それでも、なんにもしてないんだから、絶対に出られる。毎日自分にそう言い聞かせてきた。
それが無くなったことが、はっきり弁護士の口から聞かされた。
またムカつくだろうって思ってたのに、意外にも、頭にはこなかった。
ああ……やっぱりね……そんな、悟りというか、そんな気持ち。結局、イライラして怒鳴り散らしながら、諦めてたんだと思う。
わたしはやってない……無実だ……
そう正直に話す度、誰もわたしを信じなくなっていった。いくら真実を叫んだって、周りはそんな、難しい信実より、楽な状況証拠を選んで、事実に変える。ここに来てから、そのことを嫌って言うほど実感した。
弁護士のおじさんも、わたしのこと守れるよう、努力はしたらしい。けどそれだって、最初に会った時の、面倒だって態度を思い出すと、どれだけ努力してくれたのか……
はっきり言って、ちっとも信用できない。それでも、他に味方になってくれる人も、頼りにできる人だっていないのに。
本当、警察とか、法律に携わる人間ていうのは、楽なことしかしない連中なんだな……
分かったことはそれだけだ。
弁護士のおじさんからは、またお金の話が出た。
これからのわたしの面倒……要するに、裁判でちょっとでも、わたしにとって良い判決になるように動くための費用を、追加で二十五万。
無罪にできるのは難しいって最初に言っておいて、本当、楽な上に良い商売してるよね、弁護士って……
もっとも、どうせ誰も守ってくれない。自分でやるしかない。まあ、できることなんてお金を払うくらいしかないんだけど。
最初の五十万で、貯金はだいぶ減ってるけど、それでもギリギリ払えない額じゃない。
半分ヤケで、半分、諦めたくなくて、払うことにした……
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
起訴が決まった後は、警察署とは別の牢屋へ入れられた。どうでもいいけど、今までいたのは留置所で、こっちが拘置所って言うらしい。
留置所よりは長く眠れるけど、生活ぶりは留置所と大して変わらない。
起きた後は布団を畳んで、顔を洗って、部屋の掃除をさせられる。その後に、これまた不味い朝ご飯を食べて、その後はやることも無く、ただジッとしてるしかない。
運動の時間はあるけど、外に出たってやることはない。たまに歩きたくなって外へ出ることもあるけど、社会のゴミ達と同じ空気を吸うのが嫌だから、すぐにまた牢屋に戻る。
牢屋に戻って、お昼になればお昼ご飯。その後昼寝はできるけど、一時間したら叩き起こされる。やることなんて無いくせに……
その後はボンヤリしているうちに、晩御飯を食べさせられる。それを食べた後は、布団を敷いて、寝ても良いことになってる。どうせやることなんてないから、わたしはいつも寝てる。本当の就寝時間は九時で、その後に電気が消えて、寝る以外、完全に何もできなくなる。
やることも無い。できることだってない。だったら、わざわざ監視なんてしないで放っておいてほしい。どうせ逃げられないんだから。
そもそも、もうここまで来たら考えるだけ無駄だろうけど、何にもしてない人間が送る生活じゃない。
そんな毎日を送りながら、たまに、弁護士が面会に来る。
話すことはいつも似たような内容だ。毎日精一杯やってるけど、やっぱり、あなたが無実だということを証明することは難しい。
やる気のない顔でそんなことを言われると、諦めの気持ちのおかげで、ムカつきながらもどうにか冷静になってた気持ちが、またイライラさせられてくる。
こっちは金払ってるんだから、さっさとわたしを無罪にする努力をしろよ……
毎日、朝に叩き起こされてムカついて、掃除させられることにムカついて、ご飯の不味さにムカついて、わたしとは違う、社会のゴミ共の顔見てムカついて、たまにやってくる、弁護士の顔見てまたムカついて、そんなムカつきが積もり積もったところで、また眠りにつく……
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
一ヶ月以上そんな生活が続いて、裁判の日も決まったころ。その日はいつもと違った。
「……え、本当ですか!?」
思わず立ち上がりながら、そう、今までとは違う種類の大声を上げた。
「ええ……時間が掛かって、大変申し訳ない。私も、実際に何度か、事件の時と同じ時間の、同じ電車に乗り込んで、それを何度か繰り返していて確信しました」
話を簡単に要約すると……
あの電車は毎朝通勤ラッシュが酷くて、誰もが身動きが取れず、何を手に持っててもおかしくない状況だった。
だから、わたしが殺していないと証明することは難しいが、同じように、わたしが殺したと判定することもまた難しい。
あなたが凶器を持っていたことが、逮捕の重大な理由となったわけだが、今説明した理由で、あの状況でならたまたま凶器を握らされたとしても気付くことは難しい。
更には、警察も検察もろくな調査をしておらず、聞き込み捜査すらしておらず、状況証拠だけで捜査を固めようしていることが明白らしい。
「そもそも、殺人のような重大な事件であれば、痴漢のような事件とは違って、捜査はしっかり、確実な証拠を集めた上で起訴されることが鉄則なのです。今回の場合、ろくな捜査が行われなかったうえ、十日の拘留を終えるなりすぐに起訴が決まっています。警察及び、検察の怠慢を疑わざるを得ませんな」
……この人、やる気ない顔して、実はやり手?
今まで頼りにならないバカだとしか思ってこなかったけど、その認識を改めさせられた。
「じゃ、じゃあ、上手くいけば、わたしは無罪に……?」
「起訴された以上、裁判は免れません。ですが、証拠を固めた上で、裁判に臨めば、その可能性は大いに考えられるでしょう」
おじさん……いや、先生のそんな言葉が、今のわたしには神様仏様の声に聞こえた。
まだ、勝てるって決まったわけじゃない。それでも、無罪になる希望が出てきたんだ。
その後も、先生はわたしに優しい声で話して、わたしの無実を証明するために全力を尽くすこと、約束してくれた。
逮捕されてから今日まで、とにかくイライラしっぱなしだった。
いろんなものにムカついて、どうなるのかって不安ばっかりで、希望もなしに絶望しかなくて……
そんなわたしの目に飛び込んだ、初めての希望。
たった一つの小さなそれが、今まで真っ暗だった私の目の前を、明るく照らしてくれたみたいだった。せいぜい、懐中電灯くらいの、細くて小さい光だけど、目の前を見るには十分な明るさ。
暗さへの恐怖が消えたわけじゃないけど、確かに前へ進むことができる。
そんな希望が、わたしにとっては本当に救いになった。
今も先生は、わたしのために頑張ってくれてる。わたしはなにもやってない。何度も言い続けてきた、その真実を証明してくれるために。
がんばって……わたしのためだけど、がんばれ……
そんなふうに応援できることが、こんなに嬉しいことだったなんて驚いた。
心の中で、先生のことを応援しながら、その日は全然ムカつくことなく、イラつくことなく、ぐっすり眠ることができた。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
夜が明けて、いつも通り朝起きて、部屋の掃除して、不味い食事食べて。
そのことにムカつきつつ、それでも持つことができた希望のおかげで、前向きに作業することができた。
無罪になって、ここを出た後はどうしようか……そんな、今まで考えようとも思わなかったことも考えられるくらい、心には余裕ができてる。
そんな、余裕を感じてる時だった。
「……花火大会?」
その看守が言うには、その日は花火大会だから、希望があれば、夜だけど外へ出て、敷地内から花火を眺めることが許される、らしい。
多分、昨日までのわたしなら、そんなの見る余裕なんて無かったと思う。
けど、今は……
「お願いします」
外に出てみると、当たり前だけど、わたし以外にも大勢の人達が外へ出ていた。
昨日までは、社会のゴミどもとしか思わなかったそんな人達だったけど、改めて眺めてみると、みんな、わけありって顔してる。わたしと同じように、無実なのにここへ入れられちゃった人もいるのかな?
そんなことを考えてる間に……
ひゅ~……ドンッ!
そんなお決まりの音と一緒に、花火が始まった。
「きれい……」
こんなふうに、のんびり花火を眺められるなんて、いつ以来だったろう?
高校時代は、受験勉強の最後の息抜きに、浴衣着て、この花火を眺めたのを覚えてる。
大学に入って一人暮らしを始めた後は、見たいテレビを優先させて、花火を見に行こう、なんて、考えもしなかった。
社会人になった後も同じだ。仕事が辛くて、そんなもの見にいく体力なんて残ってなかった。
そんなこんなで、何年も見ることをやめてた花火は、とってもきれいだったんだって、気付かされた。
「……」
刑務所じゃないけど、刑務所に入る一歩手前の、冷たい塀の中。
そんな場所でも、花火は公平にきれいな姿を見せて、夜を照らしてくれてる。
そんな花火の光が、懐中電灯と一緒に、目の前を照らしてくれてるように感じた。
まだ、無実を証明されたわけじゃない。けど、出られるって希望がある。
懐中電灯の光の向こう側……
ここから出て、やり直せたら、また来年も、花火を見に行こう。こんな、狭い塀の中じゃなくて、広くて大きな川まで行って、浴衣着て、のんびり、花火を眺めるんだ。
その時は、大学生になってるはずの、かわいい弟も誘ってやろうかな……
一つ、自由になった後で、やることを決めながら、就寝時間が来るまで、花火を眺めていた。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
それから何日か経って、裁判の一週間前くらい。
自由になったらどうしようか……そんなことを考えながら、午後になったところで、弁護士の面会が来た。
裁判の打ち合わせかな? そう思いつつ、面会室へ歩いていった。
「……あれ?」
思わず声が出た。向こう側に座ってるのは、この前まで担当してくれてた、先生とは変わっていた。
昨日までの先生よりも若い、メガネを掛けたおじさんだった。
初めまして。そう挨拶して、名前を名乗られた。
「えっと……昨日までの先生は?」
「交代して、今日から私があなたの弁護を勤めます」
「え? 交代って、どうして……?」
「そのことでお話しすることはありません」
そのメガネは、今までわたしを見張ってた、警察と同じように、事務的な、冷たい目と声で、そんなことを言った。
その人は、カバンから書類を広げると、
「結論から言わせて頂きますが……あなたが裁判で無罪になる見込みはゼロです」
「……え?」
聞こえてきたのは、前に聞いたこととは真逆のセリフだった。
「まず状況的に、あなたが犯人であることは疑いようがありません。あなたは凶器を持ち、それを手に被害者を殺害した。これは動かし難い事実です」
「え、あの……」
「更には、あなたは一貫してご自身の無実を訴えている。検察は、そのことで反省の色なしと判断し、酌量の余地なしとしている。最低でも懲役十年以上から終身刑、最悪、死刑が求刑されるでしょう」
「ちょ、待って下さい! 前の先生は、捜査の怠慢とか、状況とか、証拠を固めたら無罪になる可能性もあるって……」
「交代する前の弁護士がどのような捜査を行っていたか、どのような証拠を揃えていたか。それを確認する義務は私にはありません」
「……は?」
「そして、今言った通り、あなたが無罪となる可能性はゼロです。控訴も無駄でしょう。大人しく観念した方が、無駄に裁判を長引かせる必要は無くなるかと思われますが……」
「……」
前の先生以上に、やる気はもちろん、守ってくれる気も、欠片も無いぞって顔を見た時……
目の前を照らしてくれてた懐中電灯が、今、はっきり、全部消えた……
その後の、彼女の姿は酷いものだった。
大声で絶叫し、目の前の透明な仕切り板を叩き、座っていた椅子を投げつけて。
途中、警官に押さえつけられるまで、暴れることをやめることは無かった。
部屋に戻る際もそれは変わらず、このまま放置しておくのは危険と判断され、そことは別の部屋へ、両手足を拘束された状態で拘禁されることとなった。
裁判の日を迎えた後も、彼女の怒りは治まらず、態度はより酷いものとなり、そんな状態でもなお無実を訴え続けていたが、誰も、その意見に耳を貸すものは無かった。
弁護士の発言も、とても彼女を弁護しようという様子は見られなかった。そんな弁護士や、検察にも怒鳴り散らし、夫を殺された、被害者である妻が証言台に立った際には、怒鳴りながら妻へ襲い掛かろうとして、途中で退室させられた。
気が狂った。そうとしか言いようの無い姿。裁判官も、弁護士も、傍聴人も、家族すら、そんな醜態を目の前に、彼女の言葉を信じようなどとは考えもしなかった。
そんな状態と、逮捕されてから今日までの態度に加え、当時の状況から、ナイフを持ち、満員電車の中で無差別殺人を実行しようとした異常者だと検察は判断し、弁護士も同意していた。
更には、その中でたまたま夫を殺されたことで、深い悲しみにくれる妻の心象が優先され、求刑は、死刑。
閉廷となり、求刑が伝えられた時も、彼女の状態は変わることは無かった。
同じように両手足を拘束され、怒鳴ることも、暴れることもやめない。そんな姿を見せつけられた家族は、完全に彼女のことを諦め、見捨てていた。
そんな状態なせいで、本来、否認し続けていれば、確定するまで一年近く掛かることもある判決が、一ヶ月を待たず言い渡されることとなった……
「被告人の犯した罪は、極めて悪質かつ、残虐な行為であり、本人にも全く反省の余地が見られません。よって、弁明の余地なしと判断し、被告人を、死刑に処す」
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
刑が決まった後で、彼女は控訴しようとした。
しかし、弁護士の言っていた通り、殺人は明白であると言う理由と、まるで変化の無い態度、完全に正気を失っている物と判断されたことで、控訴は棄却され、改めて、彼女の刑は確定された。
そんな新聞記事を放り投げつつ、煙草をくゆらせているのは、夫を殺された妻だった。
夫の仏壇にひじを突き、今朝方、夫の生命保険金が振り込まれた預金通帳を眺めながら、彼女は満足げな笑みを浮かべていた。
「まさか、ここまで上手くいくなんて。正直思ってなかったわ」
家族が一人もいなくなり、誰もいない家の中。誰に聞かれることもない言葉を一人ごちながら、事件のことを振り返っていた。
毎日毎日、家事も手伝わないくせに偉そうなだけだったクズ男。
毎日殺してやりたいと思いながら、殺しても、自分がやったとばれない手はないものか。そんなことばかり考えていた。
そんな時、たまたま目にした痴漢冤罪のニュース。その問題は、妻も当然知っていた。
事件の八割以上は男が敗訴となり、勝訴となる例は極端に少なく、また、仮に勝訴したとしても、勝訴した時には男の方は何もかも失っている。
それだけ、満員電車という場所で起きた事件での、疑われた後の無実の立証が難しいなら、それは、殺人事件でも同じことが言えるんじゃないか……
そんな安直な思いつきだったものの、もはや、夫に対するガマンも限界だった。
離婚しようにも、応じるわけがない。仮に離婚が決まったとして、無駄に頭が良く、多少なりとも法律をかじっている夫が相手では勝ち目は無く、高額な慰謝料を請求されるだろう。
そんなふうに、何もかも、夫の思い通りになるなど、もはやガマンならなかった。だから、最悪、逮捕されること覚悟で、実行することにした。
夫が毎日、通勤のために乗る満員電車。話しには効いていたけど、身動きもとれないくらい苦しい車中だった。
そんな中で、夫には気付かれないよう近づきつつ、自分の指紋が残らないよう手袋をして、ナイフを取り出した。
そのナイフを、夫の背中に突き刺した時……
急ブレーキが掛かったことは、妻にとっても予想外だった。だがそのお陰で車体は大きく揺れて、ナイフから手が離れたと同時に体は夫から離れた。
そして、次の瞬間、たまたま近くにいた若い女が、夫の背中に倒れ込み、弾みでそのナイフを握ったようだった。
それを見た後は簡単だった。念のため、血は着いていなかったが、ナイフを握っていた手袋は放り投げつつ……
「きゃー! 人殺しー!」
ナイフを持った女を指差して、犯人だと叫び、夫を返してと嘆くだけ。
警察の取り調べで、あそこにいた理由は、夫に忘れ物を届けるためだと適当に嘘をついた。涙ながらのそんな訴えを、警察はアッサリ信じてくれた。
女が起訴されて、裁判が決まった後も、可哀想な妻を演じていれば、警察も検察も、女を犯人にするために勝手に頑張ってくれた。
裁判の日が近づく中、女の担当弁護士が、無罪の証拠を掴みそうだと聞いた時は少し焦った物の、いかにもお金が好きそうな、若い女を適当に言いくるめて、満員電車の中で捜査していた弁護士にけしかけて、痴漢だって騒がせた。
いくら弁護士だろうが、満員電車じゃ男と女だ。そいつは逃げようとしたけどすぐ捕まって、仕方なしに解決金を支払ってすぐに出てきた。
それでも十分な時間稼ぎになって、あっさり新しい担当弁護士が付いた。警察や検察と同じ、面倒事はさっさと終わらせたいって思ってる弁護士だった。
そいつらが、いっしょーけんめーがんばってくれたおかげで、無事にその女は有罪になった。そして、今新聞で読んだ通り、控訴も棄却された。
夫の葬式も済ませて、そのお金も、百倍近くの金額が生命保険金から戻ってきた。
「しかも、死刑になってくれた女の家族からも、慰謝料の支払いが決まったし」
支払い命令を受けた損害賠償の金額は、三千万。
もちろん、とても個人で支払える金額じゃないから、月々、何十年にも渡って支払われることになる。
もっとも、それでも妻にとっては十分だった。それで相手の生活がどうなろうが関係ない。金が無いなら働けばいい。足りないなら仕事を増やせばいい。父親も、母親もだ。
聞けば、大学受験を控えた息子がいるらしいが、なら大学進学を諦めて働けば良い話だ。
どうせ、殺人犯の弟が、まともな大学に入れるわけがない。いっそのこと、今すぐ高校も中退させて働かせるべきだ。
社会のため。家族のため。何より、アタシのために。
アタシが悪いんじゃない。悪いのは、あの日、無差別殺人目的で電車に乗り込み、あげく、夫を殺し、裁判じゃアタシのことまで殺そうとした、イカレたあの女であって、アタシは愛する夫を殺された、可哀想な被害者なんだから。
三千万は、可哀想なアタシに法律が与えてくれた、真っ当な権利だ。
最悪な死刑囚の家族どもには、真っ当な義務として、家族総出で一生掛けて、三千万を全額払ってもらう。
最悪、愛する夫と同じように、生命保険に入ってでも払ってもらわないと……
振り込まれた保険金と、イカレた殺人鬼の家族からの賠償金。元々あった預金と合わせて、死ぬまで遊んで暮らすのに十分すぎる金を前にして……
妻は、夫の遺影に煙草をこすりつけて火を消しながら、満面の笑みで声を上げていた。
「ちょっと声を上げたら簡単に被害者になれて、金ももらえる。本当! 日本の満員電車って、素晴らしい乗り物よねぇー!!」
その日の朝も、件の電車は、超満員の状態で走っていた。
明日も、明後日も、これからも、この先ずっと、永久に……
お疲れさま~。
普段、二次ばっか書いてるし、内容が内容だから、ちゃんと書けてる自信は無い。
ツッコミ所だらけだろうが、文句があればガンガン文句言って下さって結構ですわ。直すかはともかく……
こういう真面目な話がハメで読まれるのかは疑問だけど、たまにはこういう小説も、書いてて楽しかったわ。
……まあ、結局主人公は救われることなく終わっちまって、楽しいってのもどうかと思うけどよ……
けど、リアリティには欠けるかも分からんが、冤罪で捕まるってことがどういうことか、分かり易く書けてると良いんだけどね。
とりあえず、最後まで読んで下さった人には、全力でお礼が言いたい。
ありがとぉーお!
そんじゃらこの辺で、皆さんも満員電車には気を付けつつ、平和で健やかな日々を送って下さいな。
大海にゃあ、書くことと祈ること以外、できることはないが、読者の皆さんの平和を祈ってますからよ。
あと、一応言っとくけど、現実じゃこんな上手くいくわけ無いから、決してこの妻のマネをしないようにね。
ではでは。