時雨ちゃんに吸われてみたい…
扉が開く音がして、微睡みから現実へと引き戻された。
鍵は閉めたつもりだったが閉め忘れていたのだろうか。扉を開けた誰かは迷わず俺のいるベッドに歩いて来る。
こんな時間に来るのは誰だろう。暁あたりが眠れなくて来たのだろうか。それなら扉が開いたときに呼びかけられるはずだ。
では青葉あたりが俺が寝ている間に何かしようと入って来たのだろうか。恐らくそれも違うだろう。それならもう少し上手くやるに違いない。
結局だれだかわからないまま、足音がベッドの側にたどり着いた。
俺は静かに体を起こそうとする。
と、同時にその何者かに押し倒された。敵の暗殺だろうか。それとも、知らないうちに誰かに殺意を生み出させるほど酷いことをしていたのだろうか。
目を開くと、黒いおさげを肩まで垂らした制服を着た少女が目に映った。
俺は、彼女の目を覗き込む。 猛犬の、獣の目だった。
彼女は俺の両手を掴んでベッドに押さえつけると、馬乗りになって首に口を近づけて来る。
彼女の犬歯ががり、と食い込み、鋭い痛みを感じた。
彼女は傷口から溢れ出る血液を必死に舐めとっている。俺には血の味はわからないが、彼女はすごいご馳走だと言っていたのを思い出した。
鈍い、刺すような痛みを耐えていると舌が傷口を往復するたびに少しづつ出血は止まり始める。
完全に血が止まって、二ヶ所めの傷口を作られる前に、俺は彼女の名前を呼んだ。
「時雨………痛い。」
彼女は傷口を舐めるのを止め、体を起こした。
右手で自分の口を少し拭った後に、スカートのポケットの中からハンカチを取り出し、それで傷口を軽く、トントンと叩き始めた。
「ごめんね提督、我慢できなくって。」
俺の血をぬぐい終わった時雨は血のついた部分が内側になるようにハンカチをたたんでポケットにしまった。
俺の手は特に意味もなく首の傷口に触れようと動く。
「ダメだよ提督、傷口が傷んじゃう。…僕が言えたことじゃないけどね。」
時雨に言われて傷口に手をやるのを止めた。代わりに、時雨の首筋に手を持って行った。
「んっ………」
撫でられて喜ぶ犬のように、くしゃっと笑顔になった。
年相応の笑みに、少しだけ安堵した。
「時雨、これはどうにかならないのか?」
時雨は撫でられたまま答えた。
「多分、無理。提督の血って美味しいし、提督が僕のナカに入ってるって考えたらすっごくキモチヨクなっちゃって」
いかにも忠犬と言う名がぴったりに見える時雨なのだが、昼でも夜でも、血が欲しくなるたびに俺の体に噛み付いてくるのは狂犬とでも言うべきか。
首の傷口はどう隠そうか、と思い、夕立みたいにマフラーを巻くことを考えた。
しかし生憎俺はマフラーを持っていない。何か別の方法を考えなければいけない。
「そうだ時雨、マフラー編めるか?」
「うーん…提督が僕に編んで欲しいなら、僕、頑張るけど…多分不恰好になっちゃうんじゃないかな」
「見た目は気にしない。時雨が編んでくれたってことなら、付けていても不審に思われないだろうしな。」
なにより少しぐらい不恰好なほうが時雨が編んでくれたのがわかってうれしい。
「時間があるときでいいから一本編んでくれないか?」
「わかった。この傷が治るくらいには持ってこれると思うよ」
そう言った時雨の目線が首筋にある傷を捉えるのがわかった。
時雨は瞳孔が大きく開いた目でしっかりと見つめたまま、ぶるりと体を震わせる。
「 ごめんね、また欲しくなっちゃった。」
「待て、だ時雨。」
俺はベッドの側にある棚からカッターナイフを取り出し、左手の人差し指を切った。
ここは手袋で隠れるからそうバレることはないし、バレても言い訳がしやすい。
俺は血が垂れる指を時雨に近づける。
時雨がその指を舐めようと口を開く。
「待て、だ時雨。」
もう一度同じ言葉を繰り返す。
「どうして、提督…」
「 寝込みを襲って、首に勝手に傷を付ける悪い奴には躾をしないとな。」
血が滴る指をつーっと左に動かす。それに釣られるようにして時雨の目が指を追う。
小さく湧き出した背徳感が妙に心地よい。
指をふらふらと動かすと視線もそれについて行ったが、少しすると彼女はぎゅっと目を閉じた。
「どうしたんだ?時雨?」
「だって、見てたら、待て出来なくなっちゃうから……」
「なら、目を開け。」
命令するような口調に、時雨がびくりと震える。
静かに目を開いた。
「後5秒だけ我慢しろ。5、4、3、2、1、…」
瞬間、時雨は人差し指を口に含んだ。
時々舌が傷口に触れてピリッとした刺激がはしる。
優等生に見える時雨が一心不乱に指を舐めているのは、なんだか、こう、そそるものがある。
「うまいのか、時雨。」
「 うん、おいひぃ」
血が止まっても少しの間、名残惜しそうに指を舐めていた時雨だが、俺が軽く指を引くと素直に放してくれた。
「これからは、俺に聞いてからやってくれ。無理なら傷がバレにくい位置にしろ。何回も言ってるけどこんなことを時雨がしてるってバレたら時雨が危険視されるから。」
「わかったよ提督。」
時雨は目を細めて笑った。
俺は時雨の背中に手を回して一緒にベッドに倒れこむ。
彼女の口から小さな悲鳴が漏れた。
「どうせだ、朝まで抱き枕やっててくれ。」
「抱き枕だけでいいの?僕、提督のためなら僕ぐらいならあげれるよ?」
そうしてまた、にっこりと笑う。
何度目かわからないが、俺はまたそれを可愛いと思った。