こういう風に、明確に幸せにはなってないのも意外と好きかも。
運ばれてきた村雨ちゃんはただの人間なら即死しているほどの傷だった。
艦娘でも生きているのがやっとの傷。
とっさに砲を持った側を庇ったのだろうう。左半身を中心に、炸裂した砲弾の破片が突き刺さっていた。
右の頬を斜めに裂いた傷。左目の瞼の上を通った傷。
幸いなことに眼球に異常は無かった。
服ごとその下の肌が切り裂かれていて。
白い太股に何本も残った傷。左腕の傷から流れ続ける血。
本来は障壁が発生するのでここまで傷つくことはない。艤装がやられていなければ。
即座にドックでバケツを使えれば良かった。しかしドックは塞がっていて、今入っている人たちもかなり酷い傷なので叩き出す訳にもいかず。
本来私は艤装専門なのだ。だから人を直す技術なんて雑な応急処置しか学んでいなくて、それでも私がやるしかなかったから。
金属製の細い糸で村雨ちゃんの傷口を閉じていく。
初心者に毛が生えたような技術で完璧なものになるはずもなく。
私は、村雨ちゃんの体に傷跡を残してしまった。
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目が覚めたとき。
全身を囓られ続けるような痛みだった。
目が霞んでいてよく見えなかったけれど、朧げに見えたピンク色には見覚えがあった。
口を開いても喉からは掠れた音しか出なかったんだと思う。
思う。というのは、気づいてくれた明石さんであろう人が何か言っているのもあまりよく聞こえなかったから。
目薬か何かだったのだろうか。明石さんが私の目に何か落とした。
その時はただ痛いとしか感じなかった。じゅわじゅわ熱くて。
咄嗟に抑えようとした。
手は上手く動かせなかった。
いくら時間が経ったのだろうか。
私が寝ている何かがガタガタと、小さく揺れる。
工廠からドックまで運んでくれていたらしい。
体が持ち上げられるのを感じる。
痛みしか感じれていないはずなのに、その暖かさは今でも覚えている。
とぷん。
何かに漬けられて、慣れた人工的な温もりが体を蝕んでいく。
意識も感覚も、だんだんと戻ってきて、
液に沈まないように誰かが抱えてくれているのもはっきりとわかった。
「……あかし、さん」
「…ごめんね、まだ、もうちょっと痛くする」
明石さんが大きなピンセットみたいな器具を拾い上げて、塞がる前の私の傷に突き刺した。
掻き回されるような痛みの後、引き抜かれたピンセットの先には5cmを超えそうな破片が出てきた。
通常何かが刺さっていたり、傷を縫ったりしていた時はそれを取り除いてから漬けないといけないらしい。
それでも今回明石さんはそうは しなかった。後で明石さんに聞いた話だと、傷を無理矢理塞いで流れ出る以上の血を注ぎ続けてなんとか私を生かしている状態だったらしい。
そんな状態で全身の縫い後やいくつもの破片なんかを取り除いている余裕はなく、漬けていれば取り敢えず死ぬことはない修復剤の中で、傷が塞がる前に全て取り出す事になって、
明石さんが悪い訳じゃない。
それでも、通常と違うやり方で治されて、ミミズの様に歪んで治ってしまった跡がたくさん残って、
もう、今まで通り肌を出したオシャレなんて出来ないな、なんて考えて、
何も考えずに泣いてしまった。
何も考えずに
その涙が、どの様な思いを抱かせるかなんて考えずに。
私の顔に雨が降った。
私は明石さんの心に傷を残してしまった。
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艦娘は、どこかのお偉いさんに制服が定められている。
けれど、結構融通が利く。夏服を用意してくれたり冬にはカーディガンを着せてくれたり、季節の行事なんかにはそれに合わせた服を着る許可が出たり。
それに、特定の艦娘には日常的な異装許可が出る。
村雨ちゃんはこの鎮守府ではじめての、傷による異装許可が出た艦娘だった。
傷跡で異装許可が出た艦娘は、自分で服のデザインを考えることができた。出来たデザインの制服を私が用意する。服も艤装の一部だからだ。
村雨ちゃんの新しい制服は、すぐに用意出来た。
腕はインナーの左袖を延ばして、足はスカートの丈を少し延ばして海風ちゃんのような厚手のハイソックス。
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代わりの制服は、明石さんがすぐに用意してくれた。
今までの私と変わった印象を与えたくなかったから、スカートも左腕も今までの服をいじっただけ。
靴下は傷が浮かないように、海風と同じ厚手の生地に。
首に巻いたマフラーは、夕立のなら、違和感が薄いかなって。
右ほほの傷は薄く、上から化粧をするとあまり目立たなくなった。
顔の左側の傷は髪を垂らして隠した。
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少し経った休みの日。
新しい制服の村雨ちゃんが私の所に来た。
私服を買いに行きたいと。
今までの服は、体が見えてしまうものが多いから。
一人で行くのは不安だから。
私に断る権利はない。
喜んで、という風に返事をした。
組み立てていたガラクタを適当に放った。
少しだけ待って、と言って工廠の奥の休憩スペース、もはや私の私室になっているそこに入る。
枕替わりにしていたクッションに埋もれている鞄を掘り起こした。
カードや小銭で分厚く膨らんだ財布を突っ込んで、電源に繋いだまま放置していたスマートフォンを取って村雨ちゃんの元へ戻る。
微妙な顔をしていた村雨ちゃんが私に笑顔を向ける。
残った傷のせいなのか、私に思うところがあるのか、引きつった笑顔を。
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揺れるバスの座席で。
近くのショッピングモールまでのバス代も、明石さんは出そうとしてくれた。
ICカードがあるしそっちの方が楽だからと無理に断ったけれど、きっと服も、もしかしたらお昼だって明石さんは払おうとするに違いない。
私はこれ以上明石さんを縛る訳にはいかない。
さっきだって、明石さんが何かを組み立てていたのに無理に連れてきてしまった。
私はこれ以上明石さんを縛る訳にはいかない。
脇腹の傷が疼いた。
いかない、のに、
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服の裾が小さく引っ張られた。
「村雨ちゃん?」
目を向けると、村雨ちゃんが右手で左のわき腹を何度も撫でている。
何かあったのかと、背筋に冷たいものが走る。
でも…傷は入渠でふさがっている筈だ。だから問題があるとしたら破片か糸を残してしまったのか、それか心的なものか、
服の上から村雨ちゃんが撫でている箇所に触れる。
抱きかかえるようになってしまった村雨ちゃんの体が震えた。
慌てて離れようとすると、脇腹の手を上から押さえられた。
村雨ちゃんを壊してしまったのは私だ。
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勝手に傷ついて、勝手に泣いて、もうこれ以上明石さんには迷惑をかける訳にはいかないのに。
撫でてもらっていると、楽になる気がした。
明石さんの笑顔が好きだった。
誰にも縛られない笑顔が好きだった。
私が怪我をしてから明石さんが笑ったところを見ていない。
私は明石さんを縛ってしまっている。
これ以上明石さんに心配をかけてはいけない。
だから。
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帰った方がいいんじゃないか。そう言ったけど、ショッピングモールに着く頃には治ったから、もう大丈夫だから、と、私の袖を引く。
無理をしているように見えた。
でも、新しい服を楽しみにしていたのなら。
私のせいで着れなくなってしまった服も沢山あるだろう。
村雨ちゃんは普段から輝いている。私なんかよりずっと、楽しそうにしていた。
私に村雨ちゃんの邪魔をする権利は無い。
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春も過ぎて少なくなった長袖のシャツを見ながら考えた。
若緑のものを手にとって、隣でそわそわとあたりをも見回している明石さんの体にあてる。
私?と、慌てる明石さんが少しだけ、何も感じず笑ってくれたように見えたから。
私の分はいつもより袖が長めの、薄い生地だけど濃い色のシャツを適当に選んだ。
スカートは使い回し出来そうなベージュのロングスカートを。
もっと明石さんに笑って欲しかったから。
次は明石さんのも見ましょ?って。
私に明石さんを悲しませる権利は無い。
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村雨ちゃんが選ぶ服は、大人っぽい服からちょっとえっちな服まで。
「明石さん、スタイル結構いいんだからもっと見せればいいのに」
「そうね」
適当に選んだ当たり障りのないものとか、大淀が買ってきたお土産のTシャツなんかより、キラキラしていて、楽しそうで、
「ありがと、村雨ちゃん」
私がこんなにキラキラしてもいいのか。
そんな風に思ってしまう。
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明石さんの服もいくつか買って、お会計は「ごちゃごちゃするからカードで払うわ」って。
私には明石さんに助けられた恩がある。
だから私が全額払ったって良かったのに。
お金は落ち着いたらね。って。
誤魔化されてしまったのか、それとも私が不安定なことを見抜いていたのか。
頑なに譲らなかった服の紙袋をがさりと鳴らした明石さんが、「村雨ちゃん、何か食べたいものある?」と言った。
近くの広場にあった大きな時計を見ると短い針は12と少しの所を指している。
明石さんがショッピングモールの店舗が載ったパンフレットをカバンから取り出そうとして、手が滑ったのか折りたたまれていた紙がぱたぱたぱたと広がる。
それがなんでかおかしくって。
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取り落とした紙を慌てて手繰ると、隣から笑い声がした。
私の慧眼が鈍っていないのなら、それは心から笑ってくれたように見えて。
私でも、村雨ちゃんを笑わせることができるのなら。
それはとっても嬉しいこと。
まだ小さく笑みを浮かべたまま、村雨ちゃんはパンフレットの一角を指す。
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クレープの生地を齧った。
生クリームの無垢な甘さ。
チョコレートソースのほろ苦さ。
苺の切ない酸味。
久しぶりに齧った味。
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村雨ちゃんとクレープを食べ終わってから帰路のバスへ。
行きは傷が疼いてしまったみたいだけど、帰りにはそんなことはなかったよう。
途中で村雨ちゃんが、帰ったら今日買った服を着てみないかと持ちかけてくれた。
鎮守府へとたどり着いて、工廠の奥の休憩スペースに2人で入る。
毎日寝ているベッドの上に紙袋を置いて、中身を取り出した。
普段私が着ているよくわからないキャラクターのがプリントされたパーカーとか、どこかのお土産に大淀が買って来てくれた『六角レンチ』と書かれたTシャツより、よっぽど女の子っぽい服。
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今日買ったベージュのロングスカートは、思ったより気に入った。
腰のところに布を回してベルトのようにスカートを固定できて、それがリボンの形になるから使いやすくてちょっぴり可愛くて。
明石さんには若草色のシャツを重ねて……思ったよりなんだかこう、物足りない感じがして、
「…あ、あの…村雨ちゃん?」
「……待ってて、ちょっといろいろ試させて」
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村雨ちゃんは工廠の扉をあけて出て行った。
「試させてって…何を?」
不意に漏れ出てしまった声。
仕方なく、ベッドの上の服をたたんでその隣に座る。
最後にマフラーを拾い上げた。
「マフラーって…どう畳むんだろ」
気になって、気になって、……自分の首に巻いてみた。
「……いい匂いがする」
柔らかくて、あったかくて、
そのままベッドに体を倒す。
村雨ちゃんの怪我からなかなか寝付けなくてその分なのか眠気がじわじわと侵食してくる。
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「明石さん、…明石さん?」
私の部屋からサイズの融通がきく服やアクセサリーなんかを抱えて戻ってくると、明石さんはベッドの上に身を横たえていた。
近づいてみると、私のマフラーを巻いて寝ているようだった。
穏やかな笑顔で笑っている。
明石さんの目の下に残ったくまをなぞった。
…心配、してくれていたんだろうか。
「…明石さん」
聞いていないことを承知で語りかける。
「ありがとう………もし、お嫁に行けなかったら…明石さんが貰ってくれる?……なんて」
起きていたら、恥ずかしくて言えない。
押し込んだ好意ごと、もうちょっとだけ秘密。
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……本当は起きていた。
うとうとしていたら村雨ちゃんが帰ってきて、勝手にマフラーを巻いたことにきまりが悪くなって寝たふりをしていた。
目の下をなぞられた時はドキッとした。
「ありがとう………もし、お嫁に行けなかったら…明石さんが貰ってくれる?……なんて」
そう言って村雨ちゃんは、私が服をたたんで作ったスペースに、私の隣に体を横たえる。
村雨ちゃんの笑顔が好きなことも、村雨ちゃんがお嫁さんになってくれるのはまんざらでもないことも、
「言えないなあ、こんなこと」
隣の村雨ちゃんが、驚いたのか小さく震えた。
寝ぼけたふりを装って、村雨ちゃんの体を抱きしめた。
最初の方は同じ気持ちを続けて、後半につれて溜め込んだ気持ちを空気中に薄めるみたいに、ってしたけど後半ただ薄いだけになった気がするので要練習っすね。