白露視点しらしぐ
春、といえばどんなイメージだろう。
桜。若草。眩しい光の色。芽吹く命の色。
旧暦のことは詳しくは知らないけど、春雨や五月雨も春近くの言葉だったと思う。少しばかり寂しく感じた冬から、賑やかになっていく季節。
私が挙げるとするなら黒。…ちょっと変かな?
春の日差しの中、芝生の上に立った時、足元に今までより少し色濃く出来る影。
冬に育って身をつけるいちごや、夏に向けて植えるトマトの苗なんかの、畝を覆う黒いマルチ。
街を歩けば目に入る、まだ体に馴染んでいないスーツや制服。
黒は、何かを支えてくれる色だと思うの。
しっかりと自分を持った、大人な感じの色。明るい色を、より際立たせてくれる色。
「どうしたの、白露?」
はっと顔を上げると、時雨が私の顔を心配そうに覗き込んでいた。
二人で来た近くの公園の、桜の木の近く。平日でも、昼には多くの人で賑わっていた。
「…また、何か考え事かい?今日は何かな?」
「……時雨、可愛いなって」
驚いた顔をした後、時雨はすぐに落ち着いた笑顔に戻る。
ありがとう。白露も可愛いよ、なんて。
手元の水筒から白い紙コップにお茶を注いで手渡してくれた。
「時雨、さ。」
「なんだい?」
「桜、綺麗に見えてる?」
「……とっても綺麗だよ。綺麗な桜色。…艦娘になる前、最後に見た桜は覚えてる?あの時より、ちょっとばかり鮮やかで」
私は、『白露』になった時から、色がわからなくなってしまった。視界全てがモノクロに見えている。
「幹や枝は、白露の髪より濃い茶色。灰色に近いのかも。」
「背景の空は、眩しい白だよ。薄く雲がかかってる。」
「あそこの枝の鳥見える?綺麗な若草色だよ。メジロかな?ウグイスかな?」
私にもわかるように、知っている言葉で伝えてくれる。
ずっと、時雨が隣で支えてくれていた。
「ね、時雨」
「…なんだい?」
これからもずっと、隣にいてくれるの?
…無理。無理!こんなの言えない!
この間、指輪買ってあげる、なんて言ってくれたけど絶対そっちの意味じゃないだろうし。
「ありがと。…ありがとう」
「…ううん。どういたしまして」
どんな色をしていたっけ。私が白露になる前から持ち合わせていた色。幾年か前の春に、黒く塗りつぶしてしまった色。
色が光の反射なら、その全てを遮ってしまう闇の色。
時雨の黒とは違う、醜い色。
「おにぎり食べるかい?梅と、鮭と、昆布と …白露?」
思考を遮るように、時雨の声がかけられた。
「……昆布がいいな」
中身を飲み干した紙コップを、くしゃっと握りつぶした。
暗くなってちゃダメ。時雨の前なんだから。
時雨が手渡してくれた、一口サイズのおにぎりを口に詰め込む。
「おいしい、ありがと!」
今はまだ、塗りつぶしたままの恋心。でも、時雨となら、きっと別の色を重ねていけるから。
今は何色を塗っているのか分からなくても、私達が戦争が終わっても生き残っていて、私が白露じゃなくなった時。
時雨が指輪をくれるって言ってくれたその時に、きっとまた見えるようになるはず。
優しい色だったらいいな。
「白露、ご飯粒ついてるよ」
「え、うそ、どこ?」
時雨の指が、唇の近くを触った。そのまま、時雨の口に飲み込まれる。
それにドキッとしてしまう。
それに気づいたのか、時雨も頬を赤く染めたのだろう。
「いや、ごめん、わざとじゃなくって、」
ああもしかしたら、塗りつぶされたままのつもりでもとっくに別の色に染まってるのかもしれない。
「…んふふ」
慌てる時雨に、自然と笑みがこぼれた。
ぐっと顔を近づけてみる。
「し、白露?」
ちゅ、っと。
今はまだほっぺにしかできないけど、いつかはその唇に、なんて。
「ありがと、時雨…大好きだよ」