白露型の2番艦の、時雨。彼女は、白露型の共用部屋のソファーにいた。
壁際に置かれた、緑色をしたソファーの1番左端。そこで、自分の部屋から持って来た本を眺めていた。
「読む」ではないのかと思うかもしれない。しかし、眺めるであっている。
そこに行けば大体誰かがいて、何かしら、例えばテレビを見ていたり、ゲームをしていたり、お喋りしていたり。それを感じながら、文字列を眺める。
特に内容は気にしていない。ある時は少女漫画だったり、またある時はサスペンス小説だったり。
物語だけでなく、村雨や夕立がしているテレビゲームの攻略本だったり、作るわけでもないローストビーフのレシピだったり、最初期に配られそこから何度も改訂を繰り返されている昔の鎮守府のパンフレットだったり。
とにかく、彼女が楽しんでいるのはどちらかといえば「姉妹との触れ合い」なのだ。
本が読みたければ自室で読む。
では、文字列を眺めながら少し離れた所から笑顔の姉妹を感じるのが彼女の触れ合いなのかというと、そうではない。
白露に誘われてトランプをすることもあれば、涼風や江風とジェンガをしたり、春雨とドラム缶や飯盒について語ったり、五月雨とジグソーパズルを組んだり、山風にせがまれて本の読み聞かせをしたり。誘われれば大抵のことはする。
では何故、いつもソファーの左端で文字列を眺めているのか。
そこにいれば誰かが構ってくれるという甘え。自分から話しかけるにはちょっと恥ずかしい。
そんな感情の結果、そこで時雨は待っている。
白露型の姉妹も時雨のそんな心を知っていて、何かする時にはよく時雨を誘っていた。
さて、今日も時雨はいつものソファーの左端で何年か前の、何かの賞を取ったハードカバーを眺めていた。
珍しく白露型の共用部屋には彼女以外の人影はなく、彼女は本の中身について少しだけ意識を巡らせていた。
本の中では、主人公である「怪物」が、LoveとLikeの違いについて考えていた。
Likeは、好き。Loveは愛している。日本語に直訳するならこんなものだろう。しかし、愛しているも好きの一種ではあると思う。では、何が違うのか。
恐らくは、程度の差なのではないのだろうか。何か代償を払ってでもそれを得たいと思うのが好き。その代償が大きいものが、愛。
払う代償とは、決してお金だけではない。時間もだ。例えば、電車を愛している人。撮影だったり、駅を巡ったり、お弁当を食べたり。お金は勿論だが、多くの時間を費やしている。
ああしかし。それでは、代償を払う余裕がなければ愛は、愛ではないのか。
僕が、生きるのに時間を割き切って、残ったわずかな時間に得たこの感情は、LoveではなくLikeなのか。
「めんどくさいこと考えててますね、この人。…人?」
不意に、耳元で声が掛けられた。
はっと振り向く。
「あ、ごめんなさい。おどろかせちゃいましたね。」
遠征から帰ってきてお風呂の後なのだろうか。いつもは長い三つ編みになっている白銀。今は留められていない、少し湿ったそれが目に入った。
「自分の感情が、好きでなく愛であることにどれだけの意味があるっていうんですかね。」
時雨が集中している間に、彼女、海風はソファーの右隣に座り、手元を覗き込んでいた。
「たしかに、愛。悪い言葉じゃないです。でも、好きで十分じゃないですか?自分の気持ちをを伝えるなら。」
「……でも、愛じゃないと、いけないこともあるような気がするんだ」
「例えば?」
海風に誘われて、本の内容の話をすることはよくあった。今日も、彼女がその話を持ちかけてきてくれて、時雨はそれに答える。
「好き、なら誰でも言える。でも、僕はこれを愛している。そう自信を持って言えることには、嬉しさとかそういうのがあると思うんだ。例えば……例えば。」
「自慢、みたいなものなんですかね?自信を持って愛していると言えるだけ、自分は何かの点で優れているのか」
「それもあると思うんだけどね。……でも、僕が思ったのはちょっと違うんだ。」
一度口をつぐんだ後、時雨は正面のガラステーブルから、紙とペンを取った。
真っ白な紙に、『好き』『愛している』と並べて書いた。
「文字は、それ自体に、意味じゃないイメージがあると思うんだ。例えば、すき。音にすればちょっと掠れたような音から始まって、冷たさを伝えることもあるiの音で終わる。でもあいしている。安定した母音の並びから始まって、している。と続く。今生きているとか、そういう意味がありそうじゃない?それに、」
並べて書いた文字に、12345と数字を書き込む。
「文字にすれば幾分か多く見える。自分の気持ちがちゃんとそこにあるんだ、って思えたり、自分の気持ちが大きいって実感できたり。あとは……海風?」
時雨は肩に重みを感じて、手元の紙から右隣の彼女へと顔を向けた。
「……ごめんなさい。ちょっと眠くて。…お話、私が持ちかけたのに、お相手できなくて」
「疲れてたよね。…僕も長い話してごめん。……あと1つだけ聞いてくれるかい?」
海風は、小さく頷いた。
時雨は小さく息を吸う。
「海風。愛してるよ。」
少し眠くても、言葉はちゃんと届いたのだろう。
「………たしかに、嬉しいですね。ちょっぴり特別な気がします」
彼女は右手の甲でぐしぐしと目をこする。
「でもね……時雨。好きだよ。……どうですか?」
彼女は呆気にとられたように目を丸くした後、恥ずかしそうに頬を染める。
「…悪くないね。嬉しいよ。……ありがとう」
「いいえ。私も、ありがとうございます」
見つめあって、にっこりと。
「…そうだ。」
時雨はゆっくりと立ち上がると、部屋の端に積んである毛布を一枚、抱えて戻ってくる。
「おいで。」
もう一度海風の隣に腰掛けて、自分の膝をポンポンと叩いた。
「…いいんですか?」
時雨は、小さく頷いた。
海風は小さく息を吸う。
「……じゃあ、お邪魔しますね。」
海風は、ぽすんと時雨の膝に頭を乗っける。
時雨は彼女の体に持ってきた毛布を掛けた。
意外としっくりきたのだろうか。海風は大きく息を吐いた。
「暖かいです。それに、白露に似た匂いがします」
「おんなじ洗剤使ってるからかな?…やっぱり白「でも、」
言葉をを遮った海風は、伺うように時雨の目を覗き込む。
瞳が、いつものように優しげに揺れているのを見てから、もう一度口を開いた。
「でも。ちゃんと時雨の香りがします。……安心、します。優しくて。……大好き、です。」
「…なら、よかった。……お休み、海風。…愛してる。心から。いい夢見てね。」
海風ははい、と答えて小さく笑ってからゆっくりと目を閉じる。
釣られて一緒に、時雨も目を閉じる。
そっと彼女の頭に手を置いた。。
少し俯いたまま、胸の中身をゆっくりと吐き出していく。
そのまま2人は、ゆっくりと眠りに落ちる。
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「ただいまー、って……寝てるのね。じゃ、静かにしなきゃ。」
「……いい笑顔。時雨も…あはっ、笑ってるね。」
「お休み。時雨。海風。……大好き。愛してるよ。」
「……邪魔しちゃ悪いよね。自分の部屋に戻ろっと。」
「……あ、夕立、村雨。今は入っちゃダメだよ。時雨と海風が寝てるから。…私のいっちばん大切なみんなの笑顔。………うん。村雨も夕立もだよ。…じゃ、行こっか。」