巡り出会った日の喜びも。
愛しき者との思い出も。
別離の日の悲しみさえも。
やがて全ては消える。
それならば。
それならば、いっそ……。
朝日奈みらいはルンルン気分で旅行鞄に洋服を詰め込んでいく。
その隣ではぬいぐるみのモフルンが、モフモフと呟きながらやはり洋服を小さな鞄に入れていく。
モフルンの服は明日の為に、みらいと二人で作った手作りの服だ。
「久々の魔法界、楽しみだね! モフルン!」
「モフー! リコや皆に会うの楽しみモフー!」
魔法を教えてくれた校長先生。教頭先生。アイザック先生。そしてリズ先生。
一緒に授業を受けたジュンにケイにエミリー。
学生服を買って、魔法の箒を買った魔法商店街の人たち。
妖精の里のチクルンに女王様。
人魚の里のロレッタさん……あの小さかったドロシー、ナンシー、シシーはもう学生だそうだ。
森のクマさんやペガサスの親子は私たちの事をまだ覚えているだろうか。
そして、なんと言ってもリコとはーちゃん!
今から五年前。
プリキュアとなった中学二年生のみらいは、もう一つの世界である魔法界に行き、多くの人と出会った。
あの日々がたった一年だったなんて、みらい自身にも信じられない。
まるで御伽噺の世界に迷い込んだかのような、不思議な日々だった。
明日は休みを利用して、久方ぶりにその魔法界に行くことになっていた。
実はこの前も少しだけ魔法界に行ったけど、その時はバタバタしていてあまり遊べなかったのだ。でも今回は違う。
リコとはーちゃんとモフルンと一緒に、二泊三日の家族旅行だ!
「ワクワクもんだね、モフルン!」
「ワクワクするモフー!」
お馴染みの口癖を叫んだ二人は、服を詰め込み終ると、今度はお菓子を鞄に詰め込み始める。
準備が終わってもベッドにもぐりこんでも胸の高鳴りは収まらない。まるで子供の頃に戻ったかのようだ。
「妖精の里にも行こうね、モフルン」
「チクルンに会いに行くモフ!」
「リコのお家ってどういう所かな?」
「リコは魔法の先生だからきっと魔法の本がいっぱいあるモフ!」
「リコの……」
「……モフ!」
「の事……」
「……モフ」
「……リコ」
「……モフ」
「あああああああ! もうこんな時間!」
「みらいー急ぐモフー! 電車の時間に間に合わないモフ!」
「分ってる。分ってるって!」
興奮してなかなか寝付けなかった代償は、寝坊、そして駅までのダッシュだった。
片手に自分の旅行鞄を牽き、片手にモフルンとモフルンの鞄を持ったみらいは、大急ぎで駅までの道を駆けてゆく。
ぜいぜいと息を切らせながら久しぶりに魔法のICカードであるMAHOCAを改札口に挿入すると、みらいの前に魔法界行きの専用のホームが現れた。
「ま、間に合った……」
「みらいー! 遅ーい!」
魔法の列車、カタツムリニアの中をふらつく足どりで彷徨うみらいとモフルンに、馴染みのある声が聞こえてきた。
手を上げてこっちこっちと呼び寄せる声の主は、花海ことは……はーちゃんだ!
「たはは。ご、ごめん……はーちゃん……」
「なんてね。私も今来たところだよ!」
そう言ってはーちゃんは頬に人差し指を当ててにっこりと笑う。
五年前デウスマストとの戦いの末、はーちゃんはマザーラパーパの力を受け継いだり巨大化したり神様みたいになったりなんだか凄い事になっていた。
今も本当のはーちゃんは虹の彼方にいて、ここには意識と分身を飛ばしているらしいのだが、人を和ませるふわふわとした雰囲気は、五年前と全く変わらない。
まだまだみらいとリコとモフルンにとっては手のかかる子供のようなものだ。
やがてカタツムリニアが動き出すと、窓から見える様子は以前とは少し違っていた。
かつてみらいが魔法界に通っていた頃のカタツムリニアは、魔法界とナシマホウ界を繋ぐ狭間の世界をゆったりと鈍行していた。
その為、小さな星々が瞬く狭間の世界を渡る時には、まるで銀河鉄道のような光景が広がっていたものだが、今はまた別のものが見える。
「モフー! 凄いモフー!」
その光景に驚いたモフルンが感嘆の声を上げた。
「ほんとにすごーい!」
みらいとはーちゃんも思わず目を丸くする。
離れ離れになった世界を繋ぐため改良されたカタツムリニアは、まるでSF映画の宇宙船がワープするかのように、時空を超えて走行する。
そこから見える光景は目を疑うような幻想的な眺めだ。
カタツムリニアがとてつもない速度で加速していくにつれ、散らばっていた無数の星々がぎゅっと前方に集っていく。
そして集った星々は一つの巨大な極光となり七色のグラデーションを放って輝くのだ。
「わ、ワクワクもんだぁ~!」
「ワクワクもんモフ~!」
「ワクワクもんだし~!」
「一体どうなってるの~!?」
みらいは答えを期待してではわけではなく、何となしにそう言った。
だがそのすぐ隣で、はーちゃんがニコニコしたまま答える。
「あれはきっとプリズムフラワーの光だよ~きれい~!」
「プリズム……フラワー?」
「そうだよ。あっ終わっちゃった」
みらいがそれは何だと尋ねる前に、星々は再びワッと散開し不思議な輝きも終わってしまった。
「えっもう着いたの?」とみらいは目を白黒される。
距離はずっと遠くなったはずだが、改良によって移動時間はむしろ短くなったようだ。
最初に魔法界に行った時は初めての車中泊にワクワクしたものだが、こんなにすぐ着くようではもうそんなことはできないだろう。ちょっと残念かも。
カタツムリニアは魔法界に浮かぶ無数の島々を通り過ぎ、やがて魔法界の中心である魔法学校正門前で停車した。
「うわ、久しぶりだな~学校はどっちだっけ?」
駅のホームに降り立ったみらいは、キョロキョロとあたりを見渡す。
「こっちよ、みらい」
ざわざわと騒がしい雑踏の中、その声は透き通って聞こえた。
声の主は紫のスーツに身を包み一見隙のないような印象を与えるが、ロングポニーテールの根元に結ばれた大きなリボンがその印象を和らげ、優し気な雰囲気を湛えている。
「リコ!」
「久しぶりね、みらい」
「お久しぶりモフ」
「こんにちは、モフルン」
リコはひらひらとみらいに手を振り、かがみこんで小さなぬいぐるみと握手を交わす。
「お待たせ、リコ。今日、お仕事はもういいの?」
「今日はもう終わったわよ、はーちゃん」
そう言ってリコは一回り小さいはーちゃんの頭をなでる。するとみらいがずいずいと寄ってきた。
「リコ、リコ!」
「わかってる、わかってるから落ち着いて、みらい」
「リコォ……」
「もう……はいはい、久しぶりね、みらい」
そう言ってみらいとリコはぎゅっと駅のホームで熱い抱擁を交わす。
こうして抱き合っていると、二人はお互いの腕の中にお互いの体温を感じていた。
――真冬の島、ひゃっこい島。
補習で向かったあの寒い島でみんなでおしくらまんじゅうをして温まったことを思い出す。
あの時、はーちゃんはまだ今よりずっと小さくて、リコはまだ魔法が上手くできなくて……。
「みらい、リコ~。いつまでやってるの~?」
「早く行くモフ」
ひゃっこい島の寒さに負けない冷めた視線がみらいを現実に引き戻した。
「ごめんごめん!」
「じゃあ最初はどこに行く」
「魔法商店街! フランソワさんのお店に行きたいな! あっ……」
「どうしたの? みらい」
「あちゃー。私、箒ないや」
「じゃあ商店街でみらいの箒も見繕ってもらいましょうか。それまで私の後ろに乗って行きましょ」
「えへへ。よろしくお願いします、リコ先生」
「じゃあモフルンははーちゃんの方に乗って行くモフ」
四人は箒に跨ると、音もなく空へと舞いあがった。
それを眺める三つの視線のことなど露知らず……。
魔法界から遥か彼方の世界。
そこでは燃え尽きようとしている星々、赤色の不気味な光を放ちながら夜空に浮かぶ。
月は輝きを失い、太陽は熱を失い、海は干上がり、どこまでも続く不毛の大地が広がっていた。
この彼方の世界も、初めからそのような様相ではなかった。
かつてはその世界も魔法界やナシマホウ界のように、自然と生命のあふれた世界だったのだ。
世界の中心には天を覆いつくすほど大きく枝を広げ、青々とした葉を茂らせる大樹があり、その樹の下で人々は繁栄し、文明を築き、黄金の時代は永遠に続くかに思われた。
やがてそこに住む人々は偉大な大樹の加護を得ようと、寄り添うように塔を建築した。
一万人の魔法使いが一万日かけて建てた塔は、大樹に勝るとも劣らぬ偉容を誇り、その場所は名実ともに世界の中心となった。
人々の住む居住区、立ち並ぶ商店、政を行う行政区、農業を行う畑さえ塔の中には存在していた。まるで世界そのものを収めたかのような巨大な塔!
最も細い回廊ですら、差し渡し10メートル以上の幅があり、その回廊は西へ東へ縦横無尽に伸びている。
それだけの規模を誇りながら、大樹の加護を祝う祭りの日には、足の踏み場もないほどの人でごった返した。
しかし、今。
栄光の日々は過ぎ去り、壮麗な塔の中を歩くのはたった三人だけだ。
大理石の床を一歩踏みしめる度、カツンカツンと寂しげなこだまが塔に響く。
何もかもが終わりかけていた。
塔の最上階。王座の間にある鏡には、魔法界の様子が映し出されていた。
鏡の中で無邪気にショッピングを楽しんでいるのは、みらい、リコ、はーちゃん、モフルン。すなわち魔法つかいプリキュアの四人だ。
「信じられない」
それを覗き見する三人のうちの一人が首を傾げた。
「これが本当にあのデウスマストを倒したプリキュアだっていうの?」
二人目の人影もそれに同調する。
「私もメモリーと同じ意見ですわ。彼女たちにそれができるとはとてもとても……マザーはどうご覧になりましたか?」
マザーと呼ばれた三人目、玉座に腰かけた老女は、ゆっくりと口を開いた。
「……これほどの距離を隔てていてもその者らが互いを想い合う強い絆を感じる。なによりもその者らは若く瑞々しい。どのような奇跡を起こそうとも不思議ではないだろう」
「じゃあやっぱりこいつらがあのデウスマストを……」
「そうだ」
老女がそういうと二人の少女は一層気を引き締めた顔で向き直った。
「私たちは奇跡など起こさせません」
「必ずや彼女たちを倒してご覧にいれましょう」
「頼んだぞ、お前たちだけが頼りだ。メモリー、そしてソーサリー……では、始めようか」
そう言って老女が玉座から立ち上がると、その姿は透き通った半精神体へと変化していき、どんどんその大きさを増していく。
やがて老女は塔よりも大樹よりも世界そのものよりも大きくなり、天を超えついには星々の世界に至った。
そこで巨大化した老女は皮膚がたるみ皺くしゃになった腕を伸ばした。
より高く、もっと高く……
老女が伸ばした腕の先には、一輪の花が輝いていた。
「うわー! リコの家って大きいーっ!」
「リコはお姫様だったモフ?」
「全然そんなことないし。これくらい普通よ、普通」
商店街で買い物を終えた四人が次に向かった先は、リコの家だった。
家というか、屋敷と言っていいほどの邸宅に、思わずみらいとモフルンが目を丸くする。
「ま、お父様とお母様はなかなか帰って来ないから広く感じることもあるけどね。今はお姉ちゃんと二人暮らしみたいなものだし」
「ああリコのお母さん、最近またTVに出てるよ」
「お菓子作ってたモフ!」
モフルンがそういうとリコがコホンと咳払いした。
「じゃあ、私がお母様仕込みのお菓子作りの腕前、見せてあげるわ! みんなでイチゴメロンパンを焼きましょう」
「おおっ!」
「リコ凄ーい! 自分でイチゴメロンパン焼けるの~!?」
「ふっ。それくらい簡単だし!」
羨望の眼差しを向けるはーちゃんにリコは自信たっぷりに答えた。
魔法界とナシマホウ界が分断していた期間に再三イチゴメロンパンを焼く練習していたことは黙っていた。
親の威厳は重要である。
「焼き上がりも計算通りだし!」
「はー! いい匂い~!」
かまどから焼きあがったイチゴメロンパンを取り出すと、えもいわれぬ甘い芳香が部屋中に漂った。
実に食欲をそそる香りで、はーちゃんは食べる前から口の中に溢れた涎を拭う。
「リコ~早く食べよう!」
「まだ熱いから少し待ってね。今紅茶を淹れるわ」
「早くー」
「リコ早くー」
「早くモフー」
「……今日は問題児が多いわね。まだ学校にいるみたいだわ」
ブーブーいう三人を見てリコは苦笑した。
ティーカップに紅茶を注いだリコが席につくと、四人は大きな声で「頂きます」と一礼する。
そして魔法学校の教頭が顔をしかめそうなほどの大きな口を開けてイチゴメロンパンへとかぶりつき……。
その時である。
寸前まで無邪気な笑顔を浮かべていたはーちゃんに異変が起こった。
「……!」
イチゴメロンパンを皿に戻したはーちゃんはじっと自分の両手を凝視する。
すぐに様子がおかしいことに気づいたみらいとリコが心配そうな顔ではーちゃんを覗き込んだ。
「はーちゃん?」
「どうしたの?」
「か、体が……」
ガタッと音を立てて乱暴にみらいが椅子から立ち上がった。
「どこか痛いの? お医者さん行く?」
「安心して。痛くはないよ……でも、体が……体が消えちゃう……」
みらいとリコは大きく目を見開いた。
目の前ではーちゃんの体がすーっと音もなく透き通っていく。
「ど、どういうこと?」
「私にも分からない……何か変なの。私じゃなくて世界の方が変」
そう言っている間にもはーちゃんのどんどん消えていく。
「はーちゃん!」
消えていくはーちゃんの体を本能的に掴もうとしたみらいの腕が、虚しく空を切った。
はーちゃんの体は、もう向こう側が見えるほど透き通っている。
最後に何かを伝えようと、はーちゃんは口を開いたが、その言葉すら消えかかっていた。
「……みら……り……」
「なに? 聞こえないわ、はーちゃん! 分からないよ!」
何とか聞き取ろうとするみらいの悲痛な叫びが部屋に響く。もうはーちゃんの姿は消えかかっていて、言葉も殆ど聞き取れない。
しかし消えてしまう寸前、はーちゃんは三人に向かって笑みを浮かべた。
それが親に心配させまいとする健気な行動であることは言うまでもない。
それが分かっているからこそ、みらいは震えた。突然の予期せぬ別れ。奥歯がカタカタと鳴る。
はーちゃんの口が再び開いた。
『み ら い リ コ モ フ ル ン』
もうはーちゃんの言葉は消えていた。それでも口の動きが三人に彼女の意思を伝える。
『わ た し は だい じょう ぶ』
「はーちゃん!」
それを最後にはーちゃんの姿は三人の目の前から完全に消え去った。
歯形の残ったイチゴメロンパンだけが、先ほどまではーちゃんがここにいたという証拠だった。
「一体、はーちゃんに何が起こったの?」
愕然としたリコが答えのでない疑問を口にした。
「……」
「みらい……」
モフルンが心配そうにみらいを見上げる。
当のみらいは押し黙ったまま俯いていた。
「……」
五秒か、五分か、それとも五時間か。
時間の感覚が分からなくなるほど重苦しい沈黙が流れる。
ややあって、消え去りそうな声でみらいが囁いた。
「…………行かなきゃ」
ぱしっ。
みらいが一歩目を踏み出すのとほぼ同時に、リコがその肩を掴んで制止した。
「どこへ行くつもり」
「はーちゃんの所」
「場所は分かっているの?」
動転したみらいの声は刺々しく、あからさまに怒気を含んでいた。
対してリコの声は表面上は平静だった。それがさらにみらいを苛立たせる。
「分からないよ! でも早く行かないとっ!」
「待ちなさい、みらい」
「待ってなんかいられない!」
「落ち着きなさい」
「落ち着いてなんかいられないッ!」
ギリギリの状態だったみらいの感情がついに爆発し、リコの手を振り払った。
抑えきれない衝動を剥き出しにして、みらいが駆け出す。
しかし。
貴方がそう来ることってことは、知っているし。
みらいが駆け出すよりも早く、リコはみらいに覆いかぶさるように飛び込んだ。
「えっ? うわっ」
リコにのしかかられたみらいはバランスを崩し、二人はもみ合うように派手に転ぶ。
二人は床やテーブルに体をぶつけながらゴロゴロと転がる。バタン、バタンと痛そうな音が鳴る度、モフルンが顔をしかめる。
したたかに体中を打った後、リコがみらいに馬乗りする形でようやく二人の体が止まった。
二人はハァハァと呼吸を荒げて互いに見つめあう。
「な、なにす」
「それはこっちのセリフよ!」
今度はリコが感情を爆発させて叫んだ。
リコは馬乗りになったままみらいの上半身を起こすと、ぎゅっと苦しいくらい抱きしめた。
「私を置いていくつもりなの? 私たちはずっと一緒なんじゃないの!?」
「リコ……」
抱き合って初めて、みらいはリコが震えていることに気が付いた。
それだけでなくドクンドクンとリコの高鳴る鼓動を感じる。
はーちゃんが消えた時、リコもまた怖かったのだ。
それなのに動揺した自分は焦ってリコの前からも消えようとした。
……前も同じ失敗をしたことがある。
「覚えてる? モフルンが攫われたとき」
「……うん」
「あの時も、貴方は飛び出したわね」
「うん……ごめんなさい。私ビックリして……頭がカーってなって……リ、リコの気持ち考えてなかった」
「頭は冷えた?」
「うん……ごめんなさい……あの時約束したのに……」
リコは流れかけたみらいの涙を拭ってやると、優しく声をかける。
「分かってるならいいのよ。さ、泣くのはあと! はーちゃんを助けに行くわよ!」
「でも、はーちゃんはどこに行ったモフ?」
二人が立ち上がるとモフルンが率直な疑問を口にした。
顎に手を当てながらリコが答える。
「前にはーちゃんから聞いたことがあるわ。はーちゃんは本当はずっと遠いところにいて、そこでみんなが笑顔になるようにお祈りしてるって」
「それ、私も覚えてる。つまりさっきまでここにいたはーちゃんは分身みたいなもので」
「はーちゃんの本体は別のところにいるはずよ! そこに行けばいいわ!」
「どうやってそこまで行くモフ? とっても遠いところのはずモフ」
「ええ。箒じゃ絶対無理……でも、パワーアップしたカタツムリニアなら例え虹の彼方までだってひとっ飛びよ。校長先生にお願いして何とか一両貸して貰いましょう」
「なんと。うむ、うむ……あい分かった。わしの方でも原因を調べてみる。それまで運休じゃな。うむ。では、な」
水晶玉を通した通信を終えると魔法学校の校長は深く椅子に沈み込んだ。
また原因不明の厄介なことが起きた。デウスマストが消えた昨今、まさかこのような事態が起きるとは。
見かけは二十代の姿を保っているが、校長の実年齢はその五十倍以上である。こうしたことが起きるとなんだかどっと老け込んだ気分になるな、校長は溜息をついた。
コンコン。
校長の思想をドアをノックする乾いた音が遮った。
「誰じゃ?」
「リコです、校長先生」
「おお、リコ君か、丁度よいところへ来た。入りたまえ」
「失礼します」
リコがドアを潜り、その後ろに続く女性とヌイグルミを見て、校長が目を丸くする。
「やや。これはみらい君ではないか。久しぶりじゃのう」
「ご無沙汰しております」
みらいが礼儀正しく一礼すると校長が気さくに笑った。
「そう畏まらずともよい。ふむ、リコ君に劣らず綺麗になったのう」
「ははは……」
あながち世辞というだけでもなかったが、みらいから返ってきたのは乾いた笑いだった。
「む……」
その表情に校長は二人の顔に浮かぶ憂いを目ざとく見つける。
「何か起きたようじゃな、話してみなさい」
校長がそういうと三人は堰を切ったように話し始めた。
「というわけで、カタツムリニアを一両何とか貸していただけないでしょうか!?」
「いきなり押しかけて無礼は承知の上ですが、お願いします、校長先生」
「むう……ことは君がな……」
リコからはーちゃんが消えた顛末とその為にカタツムリニアが必要であることを伝えられた校長は、困ったように目を閉じて考え込んだ。
やがて目を開くと、校長は自分の言葉を確かめるようにゆっくりと今魔法界で起こっている異常を語り始めた。
「わしも助けてやりたいのは山々じゃが、今は難しい。というのも、先ほど駅から連絡があってな、突然魔法界とナシマホウ界の繋がりが閉ざされたそうじゃ」
「ええっ!?」
「繋がりが閉ざされたって……つまりまた行き来ができなくなったって事ですか?」
「そういうことになる……但し繋がりが失われたとなれば、前回と違い単に距離の問題というわけではない。魔法界とナシマホウ界の間に横たわる狭間の世界に入ることができないのだ。カタツムリニアでもな」
「一体何が起こったんですか?」
「はっきりしたことはまだ分からぬが、プリズムフラワーに何かが起こったとしか思えぬ……それをこれから調べようとしていたところだ。既に移動魔法の使えるソルシエール君とバッティ君にも調べさせておるが……あの二人の魔法でもナシマホウ界へ行けぬらしい」
「校長先生、もしかしてはーちゃんが消えたのも、ナシマホウ界に行けないのと同じ理由では」
「うむ……二人の話を聞いてわしもそう考えていた。世界と世界の繋がりが失われ、ことは君はこちら側に分身を維持できなくなった……とな」
「あの、プリズムフラワーってなんですか?」
みらいがおずおずと訊ねた。そういえばはーちゃんも列車の中で同じ言葉を口にしていた。
「プリズムフラワーと世界と世界を繋ぐ光の道であり、同時にそれを維持する力の源のことじゃ」
「カタツムリニアや移動魔法で別の世界に行けるのもプリズムフラワーがあるからなの」
「それがなくなったってことは……」
そこまで言いかけて、モフルンは口を閉じた。
もうはーちゃんに会えないモフ? そう口にすると、それが現実になる気がしたのだ。
「いや……一つだけまだ試していない方法がある」
校長がそういうと、はっと三人が顔を上げた。
「君たちなら時空を越えることができるかも知れん、奇跡に賭けてみるか? 伝説の魔法つかいプリキュア?」
勿論三人の返事は決まっていた。
「はっはいっ!」
魔法界は途方もないほど巨大な樹の上に作られた世界である。
その最上、すなわち魔法界の頂に校長はみらいとリコとモフルンを連れ出した。
木の枝が折り重なってできた広場の上に、ポツンと立っているのは巨大な扉。
何もない場所に立派な扉だけがあるそれは、一見ただのモニュメント。だがこれこそ開かずの魔法の扉である。
「使い方は分かっておるな?」
「……はい」
みらいとリコは杖を構えると目を閉じて精神を集中させた。
二人は前にもこの扉を使たことがある。
行きたいところを念じてこの扉を開ければ、その場所に行ける魔法の扉。
確かにこれでダメならお手上げだ。
二人ははーちゃんの姿を思い描き、カッと目を見開いた。
「キュアップ・ラパパ! 魔法の扉よ! はーちゃんのところへ開きなさい!」
みらいは叫んだが、扉は固く閉じられたまま微動だにしない。
「キュアップ・ラパパ! 魔法の扉よ! はーちゃんのところへ開きなさい!」
リコが杖を振るが、扉はうんともすんとも言わず立っている。
「キュアップ・ラパパ! 魔法の扉よ! はーちゃんのところへ開きなさい!」
やはり扉は開かない。
それでも二人は胸から溢れる言葉を口にする。
思いが言葉となり。
言葉は魔法となり。
そして魔法は奇跡を呼ぶ。
「キュアップ・ラパパ!」
「魔法の扉よ!」
「私たちをはーちゃんのところへ送りなさい!」
二人の杖から迸る光が、扉の上部にある紋章を照らすと、扉はギィギィという音を立てて開いた。
「はー。困ったな~」
どこまでも続く花の海。蝶やミツバチがひらひらと舞う原っぱの中心で、困り果てたはーちゃんは不貞腐れるように仰向けに寝転んだ。
「いったいどうしちゃったの~。いい所だったのに~」
「何かあったのか、マザー・コトハ?」
「はー。うんとね~、なんだか急にみらいたちのところに行けなくなっちゃったの」
「それはそれは」
「はー。困ったな~って、ん?」
異変に気付いたはーちゃんががばっと上体を起こした。今いる場所は妖精さえまだ生まれていない原初の世界だ。喋られるものは自分しかいない。
「……あなたはいったい誰?」
はーちゃんの前に現れていたのは背の高い老女だった。
頭の上に花の冠をのせ、薄緑のドレスの端が風に煽られてひらひらと揺れる。
初めて会う人物だったが、はーちゃんはなぜだがその女のことを知っている気がした。
「……はー、不思議! 初めて会うはずなのに私、あなたのこと知っているわ」
「お前はマザー・ラパーパの後継者だ。私のことを知っているというのならば、それはお前ではなくラパーパの記憶だろう」
「はー。ラパーパの知り合いなの?」
「ああ。古い付き合いになる。私はラパーパが誕生する場に立ち会った者だ。ちょうど二人のプリキュアがお前の誕生を見守っていたようにな」
「……!」
その瞬間、果てしない過去の断片がどっとはーちゃんの頭へと流れ込んだ。
突然の衝撃に、はーちゃんは立ち眩みを起こしてクラクラと頭を振る。
その間、脳裏に浮かんだのは、遠い遠い昔の記憶……マザー・ラパーパの幼年期だ。
今のはーちゃんと同じくらいであろう小さなラパーパの傍らには目の前の老女がいた。
記憶の中の老女の見た目は今よりもずっと若いが、その頃ですら老女の顔には皺が刻まれている。
老女は右も左もわからないラパーパやその他の子供たちを見守り、時に導いていた。
立ち眩みが収まると、並大抵のことには動じないはーちゃんも目をぱちぱちと瞬いた。
そしてはーちゃんは脳裏に浮かんだ名前を叫ぶ。
その名前は……。
「はー! あなたは……グランマザー・ルカ! いちば~~~~~ん年上のマザー!」
「いかにもそうだ。マザー・コトハ、最も若いマザーよ」
そう言って、この世に生まれた最初のマザーは、微笑んだ。