ダンジョンにミノタウロスがいるのは間違っているだろうか 作:ザイグ
僕、ベル・クラネルはサポーターの少女、リリルカ・アーデとともにダンジョンに来ていた。
アイズさんに教えを乞い、魔法も習得して順調な探索をしている。……なのに今日は、どうしようもなく不安が襲ってくる。
「……」
「ベル様?」
僕は緊張感に高鳴る心臓に手を当て、ぐるっと周囲を見る。
木色をした壁面に背の低い草花が繁茂する広いフロア。9階層の『ルーム』で僕は押し寄せる不安を隠せない。
すぐ横で見上げてくるリリにも、言い訳をする余裕さえなかった。
「何か気になることでも?」
「……いや、何て言うんだろ。ここにいては行けない気がするんだ」
冒険者の勘か、臆病者の本能か、ベルは未だかつてない警鐘が鳴り響いているようだ。
——違う。未知じゃない。この感覚には覚えがある。……どこだ、どこで僕はこの警告を知った?
必死に記憶を掘り起こすが思い出せない。むしろ、思い出すことを心の奥で拒絶しているような、そんな感覚。……いよいよ気のせいでは片付けられなくなってきた。
朝早くからダンジョンにやって来たので、他の冒険者の数は極端に少ない。でも、それだけでは片付けられない静けさにダンジョンが包まれている。
「ちょっと、おかしくない……?」
「おかしい、ですか?」
「モンスターの数が少な過ぎる」
ここはダンジョン。モンスターの巣窟。冒険者はいなくてもモンスターは昼夜を問わずに闊歩している。なのに9階層についてからやけにダンジョンの中が静かだ。現在地は階層の深部と言っていい、10階層を目の前にしておきながらモンスターとはまだ一度も
せいぜいゴブリン達が逃げるように走り回っていたのを、ちらりと見かけた程度だ。
まるで階層中のモンスターが
——何だろう……息苦しい。これは、恐怖?
違和感が積み重なって、胃が捻じ切れそうだった。
思い出したくない
僕はそこで頭を振った。そんなはずない。あの
「ベ、ベル様?」
「……行こう。10階層に」
口もとを押さえてかろうじて言う。
「今すぐここから離れよう」とは、情けない気持ちかこみ上げてきて、言えなかった。心のどこかで急かされるように前を向く。
二つあるルームの出入り口の内、10階層へと繋がる方向へ足を進めようとした——まさにその時。
——
「————っ」
幻聴か、空耳か。いきなり頭に直接響いてきた、どこか拙くたどたどしい声に、僕は目を見張る。
いまのが何だったのかわからない。でも、これだけは確信を持って言える。——何かに捕捉された!
『——ヴ——ォ』
足が、固まった。
「……」
「い、今のは……?」
リリが何かを言ってる。だけど頭に入らない。
何かが聞こえた。何かが、聞こえてきた。
脳裏に刻まれた
「……」
潤滑さを失った玩具のように、錆びついた動きで首を背後に巡らす。
音源の方角はちょうど僕達が通ってきた道からだ。あの一本の通路の奥に、何かがいる。
気づけば僕の呼吸は乱れていた。心臓の鼓動が張り裂けそうだ。指先が震えて力が入らない。
喉の代わりに頭が『嘘だ』とがなり立てている。そんなことがあるわけないと子供のように泣き叫んでいる。
リリが固唾を呑んで眼を凝らす中、僕は必死に何かを祈っていた。そして
『……ヴゥゥ』
現れがった。
「——ぇ?」
「……」
予感は的中した。してしまった。いや、そもそも、僕が
何度夢に出てきたのかわからない。何度別のモンスターにそれの面影を重ねてきたのかわからない。
何度
『オオオオォオオォオオォオォオオオ……』
ミノタウロス。モンスターの代名詞となるほど強力な猛牛。更に目の前のミノタウロスは灰褐色の
そう。片目がないのだ。そんなミノタウロスを僕は知っている。何故なら、片目を潰される瞬間を僕は目撃していた。
——間違いない。あの時のミノタウロスだ!
確証なんて何もない。でも、僕にはわかる。あれはあの時に遭遇したミノタウロスだと。僕を恐怖のどん底に叩き落した怪物だと。
あの時、逃げ延びたミノタウロスの悪評は
「な、なんで、9階層にミノタウロスが……」
僕が聞きたい。ああ、でも僕は知っている。このどうしようもない理不尽を知っている。
言葉では語りつくせないこの絶望感を知っている。この戦慄を、僕は経験したことがある。
その時、もう隠す必要もなかったのだろう。ミノタウロスが押さえ込んでいた存在感を解放した。
「「ひぃ……!」」
その物理的に押し寄せてくるようなド迫力に僕とリリは悲鳴をあげる。逃げなければ、と思うが視線が動かせない。足が動かない。あの赤黒い化物に射竦められ、僕も、リリも、行動を奪われた。
そして、ミノタウロスは一歩、地面を踏みつけた。絶望が僕達に迫る。
◆ ◆ ◆
——白髪に赤眼、この少年が師匠が言ってた人みたい。……というより、な〜んか見覚えある顔なような……?
師匠に明日来る、と言われた少年と——オマケに少女が一人——と対峙していた。ていうより、
ダンジョンでは太陽もないから昼か夜かもわからず、時間がさっぱりわからない。
その上、僕は気絶していたから余計にいまが何時かもわからない。だから、師匠と別れた後、一睡もせずこの階層を通過する冒険者を一人一人確認していた。そしてようやく目的の少年に出会えた。長かったぁ……。
——で、会えたけど……どうしよう?
会った後のことを考えてなかった。師匠には僕に任せると言われたけど、恐怖で固まって動くこともできなくなっている。これじゃ師匠が何をしたかったのかもわからない。
——う〜ん。考えてもわからないから、とりあえず
僕は少年の横にいる小さな少女を見る。この少女に関しては何も言われてない。つまり——
少女を見下ろしたまま、僕は歩み寄り、そのまま目の前まで来る。
恐怖で縛られた少女は視線を動かすことも、逃げることもできない。眼前にモンスターがいながら、指一本動かせない。
僕は片足を上げ、蹄が少女を捉える。
三
『ヴゥムゥンッ‼︎』
踏み降ろした。蹄が少女の頭部を粉砕しようとした瞬間
「ああああああああああああああああああああぁっっ‼︎」
我武者羅な叫びとともに真横にいた白髪の少年が、
恐怖に縛られた白髪の少年が、束縛から脱したことにちょっと驚きながら視線を向ける。
「ッッ‼︎」
白髪の少年は
「——ファイヤボルトォオオオオオオオオオオッ⁉︎」
『……』
緋色の雷が顔面に直撃。視線が逸れた隙をついたというより、ベルに意識を集中させて少女にいかないようにした攻撃だ。
だが、無傷。Lv.1の、それも元々威力の低い魔法でLv.6の『耐久』補正は微塵も揺るがない。直撃したアステリオスの顔には焦げ目一つない。
「うああああああああああああああああああああああああああっ⁉︎」
それでもベルは取り憑かれたように魔法を使う。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。
闇雲に剣を振り回すかのように魔法を行使し続ける。
鋭い炎の矛がアステリオスの巨体を何度も刺し貫き、炸裂。爆発音とともに猛火が荒ぶる。
——あの魔法、詠唱してない? 魔法の連射が可能なんて便利そう。
でも、効かない。無防備な体を爆炎に包まれながら、アステリオスは苦悶の声一つ発さず、ベルを観察する。
もとより、アステリオスの狙いはベルだ。彼が注意を引かずともリリに手を出す気はなかった。彼女を踏み潰そうとしたのは行き掛けの駄賃のような感覚だった。生きていようが死んでいようがどちらでもよかった。
——でも……いい加減鬱陶しいかな?
アステリオスは未だに魔法を行使し続けるベルに目を細め——次の瞬間に姿が掻き消えた。
「え……?」
恐怖の猛牛の姿が消えたことにベルは唖然とし、すぐに蒼ざめだ。
突如、ベルを覆う影。そして背後から感じる絶望的な存在感。見たくないと本能が叫びながらも、恐る恐るベルが振り返ると
『ヴゥッ……』
アステリオスが真後ろから見下ろす。彼はベルが視認不可能な速度で疾走し、背後を取っていた。
アステリオスは無造作に腕を振るう。握られてさえいない掌手による攻撃。それこそ集る虫を払う程度の気持ちしか込められていない。——だが、
『ンヴゥッ』
「——」
フォンッ、という風の切る音がベルの鼓膜を殴った。
迫る巨腕は、ベルの腹に吸い込まれるように収まり、衝撃が爆ぜた。
「がっっ⁉︎」
——へぇ、自分から後ろに飛んで威力を半減させたのか。思ったより、実戦慣れしてるな。
アステリオスが欠片も本気を出していないのもあたっが、ベルの
勿論衝撃の全ては殺し切れない。棒立ちになっていれば間違いなく腹を爆発させていた一撃だ。ベルは決河の勢いで吹き飛んで——通路の奥に消えていった。
——狙い通りに行き止まりのルームに追いやったからいいか。
そう、アステリオスも初めから殺す気はなかった。叩いのはベルを通路の向こう——行き止まりのルームに吹き飛ばし、逃げ道を塞ぐためだ。
彼は吹き飛ばしたベルを追って通路の奥へ歩いていった。
◆ ◆ ◆
通路の先、ルームでは通路の反対側の壁面に白髪の少年が叩きつけられていた。
どうやら、通路を抜けただけでは勢いが止まらず、そのままダンジョンの壁面に激突したようだ。
——えぇ……軽すぎない? え、死んでないよね?
自分でしたことながら、思わず心配してしまうが、よろよろと少年は起き上がった。
だが、魔法が通用しないという現実がもたらす無力感と、絶対的な力量差に力が入らない。せったく立ち上がった膝が、今にも折れてしまいそうだ。文字通り、突けば倒せるほど弱々しい。
——これ以上何か目新しいものが出るとは思えないが……もうちょっとだけ試そう。
やる気を出してもらうために僕は口を開く。
『……君ハ弱イ』
「⁉︎」
モンスターが言葉を発する。そのことに僕にとってはなれた驚愕を見せる少年に構わず、挑発は続ける。
『コノママダト、君ハ死ヌ。……ソシテ、アノ女ノ子モ——死ヌ』。
「………——————畜生ッ‼︎」
ベルはプロテクターに右腕を突っ込み、《バゼラード》を抜剣。地面をしっかり踏み締め、武器を握る腕に力を込める。アステリオスと正対した。
泣きたいのか怒りたいのかわからない。体の中で絡み合う感情の束は既にぐちゃぐちゃだ。
もはやヤケクソの境地に片足を突っ込みながらも、ベルはアステリオスと戦う決断をする。アステリオスの言葉の真意を悟ったからだ——ベルを殺したら、次はリリを殺す、と。もう逃げられない。少女のためにベルは戦うしかない。
「あああああああああああああああああああああッッ‼︎」
ベルは狂ったように叫びながら疾走。僕が死ねばリリも死ぬ。そんなことをはさせないという想いは限界突破したかのような『
「——⁉︎」
『ソンナノ、効カナイ』
ベルの武器は駆け出し冒険者が持つような安物。対してアステリオスは深層の
——これ以上は無駄かな。
アステリオスは剛腕を振るう。先程よりは僅かに——ベルにとっては桁違いに——速く、強く。
結果、ベルは反応もできずに打撃を叩き込まれた。
「ぶぅっ、ぐはぁっ……⁉︎」
皮膚が裂け、肉が抉れ、血飛沫が散った。吹き飛ばされたベルは再びダンジョンの壁面に叩きつけられてた。
先程よりも強烈な攻撃。だが、ベルはまだ生きていた。瀕死ではあるが胸が上下し息をしていることがわかる。それでもここまでだ。止めを刺そうとアステリオスが歩み寄る。
——強くなかったし、隠し玉があるようにも見えなかったなぁ。結局、師匠は何が——⁉︎
それは既知感。襲いかかる悪寒。迫る疾風。僕はこれを体験したことがある!
素早く黒大剣を抜剣。僕を斬り裂かんとした
「……!」
『ヴォッ!』
弾かれた影はそのまま僕を跳び越え、正面に——少年を庇うように立ちはだかる。
靡く金髪。美しい容姿。剣を持つその姿が神秘的な女剣士。
幾度となく戦ってきたその強敵の名は忘れたことがない。
——つくづく僕は君に縁があるようだね、アイズ。
少年の窮地にオラリオ最強の一角と名高い少女が駆けつけた。