それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

10 / 120
 前回のあらすじ
 女王降臨、秘書艦出奔


010. それぞれの存在理由-2

 納得のいく説明をみんなに―――鹿島にそう言われた日南少尉。部隊の艦娘達の視線が自分に集中しているのが分かるが、どこから話せばいいのか。むうっという表情で考え込む少尉をよそに、立ち上がったウォースパイトは我関せず、といった風情で滑るような足取りで、少尉の執務机へと向かう。椅子の座面や背もたれの弾力を確かめ、不満そうな表情を浮かべたものの腰掛け足を組む。肘掛けに置いた手で顎を支えるようにし、不機嫌な女王という雰囲気で周囲を睥睨する。それは色めき立つ艦娘よりも、むしろ日南少尉にも向けられているようだった。

 

 「安っぽい椅子…無いよりはマシですけど。日本はgrass carpet()に直接座る文化だから仕方ないのでしょうけれど。それともヒナミ、あなたはこんな安物の椅子が似合う程度の男性なのかしら?」

 

 痛烈な批判、いくら候補生相手とはいえ普通の艦娘がこのような物言いが許されるはずもないが、ウォースパイトが背負う峻厳な雰囲気は誰の反論も許さない威厳に満ちたものだった。

 

 「秘書艦(secretary)にあのような事を言われるとは情けない。ヒナミ、あの時の貴方は、迷い戸惑いながらでも、その瞳に曇りはありませんでした。ゆえに私も、新たな王として貴方を導こうと決心し、王権の象徴(レガリア)を海に捨ててまで極東の地に参ったのです。貴方が今も変わっていないことを願います。…ああ、そこのツインテールの貴女、そうです。紅茶を入れてくださるかしら」

 

 え、私? と自分を指さしながら戸惑う鹿島だが、そうすることがごく自然であるように柔らかく命じるウォースパイトには不思議と逆らえず、ぶつぶつ言いながら執務室に備え付けのミニキッチンへと向かい始める。他の艦娘達も唖然として一連の流れを見守るしかできずにいる。ややあって少し不機嫌な表情の鹿島がティーカップをトレイに載せ執務机にやってきた。

 

 「粗茶ですが」

 「…この味、謙遜ではないようですね。仕方ありません、後程英国(本国)より紅茶を取り寄せます」

 鹿島ににっこりとほほ笑みだけで返事をしたウォースパイトは、気品ある仕草で静かにティーカップを口元に運び一口紅茶を味わうと、身も蓋もない事を言い出す。苦笑いを浮かべ固まる鹿島に目もくれず、ウォースパイトは日南少尉に行動を促す。

 

 「何をしているのです、ヒナミ? レディを迎えに行くのは紳士の役目ですよ。シグレ…と言いましたか、早く迎えにいってあげなさい。そして誤解を解くのです、いいですね」

 

 複雑な表情を浮かべつつも、ウォースパイトに軽く会釈すると、日南少尉は軍帽をかぶり執務室を後にした。残された艦娘達の間に漂う微妙な空気。無いよりはマシです、と再び紅茶を口に運ぶウォースパイトに、我に返ったように島風が詰め寄る。

 

 「ねーねー、あなたってひなみんとどういう関係なの!?」

 

 ことり、と微かな音を立てティーカップを置いたウォースパイトは視線を島風に向け、どこか懐かしそうな表情を浮かべながら言葉を重ね始める。

 

 「私とヒナミですか? そうですね、あれは―――」

 

 

 

 「―――もう二年前になるかな。自分がドイツに留学していたのは知っているよね。ウォースパイトだけじゃない、その頃実装されていた数少ない欧州の艦娘達と、留学先のキール軍港で出会ったんだ」

 

 広い宿毛湾泊地を探し回る決心をしつつ、ダメ元で時雨にL●NEで連絡してみた少尉に、間髪入れず時雨から返信がきた。時雨はずっと砂浜でぼんやりと座っているらしい。文字通り駆けつけた日南少尉は、体育座りで座る時雨の横に、声が届く程度の距離で同じように体育座りで砂浜に座る。語られる日南少尉の話を、時雨はただひたすら聞き続けている。

 

 「子供の頃住んでいたマナドという街が深海棲艦に襲われて、自分は両親と妹と離ればなれになってしまったんだ」

 -うん、君はあの時そう言ってたよね。

 

 「避難用のフェリーまで襲撃され、海に投げ出された自分は、幸い近くに浮いていた救命ボートに乗ることができた。けれど、そのまま漂流する羽目になってね。水も食料もなく、赤道付近の海を潮に流されて何日も過ぎ、ほとんど意識も朦朧として子供心に死を覚悟したある夜、助けられたんだ。白く細い腕が自分を支えて、水を飲ませてくれた。あれがなければ、間違いなく死んでいたと思う」

 -そっか…ということは、当時その海域に展開していた艦娘の誰かが君を助けてくれたんだね。

 

 「でも、自分を助けてくれたのは深海棲艦だった、って言ったら信じてくれるかな? 今思えば彼女は防空棲姫だった。兵学校に進んだ後、調べられる限りの情報を調べてみた。マナド襲撃は当時のトップニュースだったみたいでね、かなりの情報が集まったよ。自分が防空棲姫に助けられたのは、ミナハサ半島とハルマヘラ島西岸の中間地点で、彼女は自分が発見される危険も顧みず、インドネシアとフィリピンの国境近くのサンギヘ島周辺まで自分を送り届けてくれた。実際、海域警備を担当する艦娘の部隊から砲撃を受けたよ」

 

 体育座りの膝に顔を伏せていた時雨ががばっと顔を上げ、信じられない、という表情で日南少尉を見つめ、思わず語気を強める。

 「そ…そんなこと、あり得ないよっ!! 深海棲艦が人間を助けるなんて…そんな…」

 時雨の反応にほろ苦い表情を浮かべた日南少尉は、やっとこっちを見てくれたね、と言い話を続ける。

 

 「奇跡の生還、なんて言われ日本に帰還した後、何度も事情聴取を受け、その度に同じことを話したけど、誰も信じてくれなかった。人類の敵・深海棲艦が人間を助けるはずがない、ってね。でも、救命ボートに寄り添い、取り止めのない話を交わし、水と食べ物をくれぎりぎりまで自分を送り届けてくれた彼女は、両親を失い盥回しにされた親類と言う他人の誰よりも優しかった」

 

 そこまで言うと日南少尉は立ち上がり、体を伸ばす。吹き抜ける海風に制服の上着の裾を揺らしながら、彼自身の核心に自ら触れる。それは彼が兵学校在学中に『非戦主義者の疑いあり』とまで疑問視された根本的な部分。

 

 「誰も信じてくれなくても、自分が防空棲姫に助けられたのは事実なんだ。もう一度彼女に会いたい、会って確かめたい。戦いの海でしか彼女に会えないなら、自分が提督になるしかない。馬鹿げているだろ、こんなの。それでも、自分は提督になると決めたんだ」

 

 

 「………君は、深海棲艦のために提督になる、そう言っているのかい?」

 

 同じように立ち上がった時雨が真っ直ぐに日南少尉の目を覗き込む。目を逸らすことを許さない鋭い視線、短く放たれた問い。回答次第では許さない、その決意を全身で表現している。日南少尉もまた、目を逸らさずに答える。

 

 「深海棲艦とは分かりあえる、自分はそう信じている。それは防空棲姫の行動が証明している。だからこの戦争自体を終わらせたいんだ。君達艦娘と深海棲艦、どちらの命も守る事のできる道がきっとあるはずだ。その日が来るまで、自分は敗けない戦いを続けてゆく、そう思っている」

 

 

 

 「―――そうヒナミは言った。彼がなぜ深海棲艦と和平を結べると思うのか、その核心部分については彼は語らなかったので分かりません。ですが、彼はそう固く信じています。そう願う彼を笑う事は容易です。戦争を始めるのは政治家の判断、戦闘に勝つのは軍人の責任です。ですが、戦争を終わらせる、その決断は王たる資質を持つ者にしかできません。でも、どうすればよいか、その方法は分からずとも、彼のその無垢な情熱に私は打たれたのです。英国初の艦娘として誕生しながら、母国には艦娘運用のノウハウはなく、先を行くドイツに派遣された私もまた、国を守りたい気持ちはあれどその道が見つからず苦悩していました。キールで出会った私とヒナミの願いは同じです。彼が戦争を終わらせるなら、私は喜んで彼の剣となる」

 

 そこまで言うと満足そうに目を細め微笑る、戦を憎む者(ウォースパイト)。そこにあるのは峻厳な女王の表情ではなく、まるで弟を愛しむ姉のような慈愛に満ちたそれだった。

 

 「なるほど~、ロマンチックですね~。でもですよ、日南少尉の指揮は、どちらかというと守勢的というか~、戦いそのものを極力避けようとしているようにも思えるんですよね~」

 小首を傾げなら綾波が声を上げる。その内容は綾波だけでなく、部隊の他の艦娘も同様に感じていた事だったため、多くの者がうんうんと頷く。それが部隊にとっての不満と疑問の根本である。深海棲艦との和平という途方もない夢、仮にそれを叶えるとしても、目の前に現れた敵と戦い勝たなければ全てが水の泡だ。

 

 果たして綾波の言葉を聞いたウォースパイトの目が鋭く光る。

 「そこのユカタを着ている駆逐艦の方、ちょっと詳しく教えて下さるかしら?」

 

 

 

 「…僕はあの日から、いつの日か君の元で戦い、海を深海棲艦の手から取り戻す、それを夢見て頑張ってきたんだ。一旦海に出て連中と向かい合えば、そこには命のやり取りしかないんだよ? 負けない戦い…君はそう言うけど、それで海は取り戻せるのかな? 人間を…君を守る事が出来るのかな? それとも、深海棲艦とお茶でも飲みながら話し合えば引き下がってくれるのかな? 和平とか戦争の終わりとか、もしそうなるならそれが一番いいと思うよ。でも、今の僕には…君が…理解できない、かな…。ごめん、先に行くね」

 

 沈み始めた夕陽が海を赤く染め、砂浜に長く伸びる二つの影を作る。一つはその場に立ちつくし、一つは立ち去ってゆく。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。