それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 仲間が増えたのはいいけれど…。


100. 思い出を形に

 宿毛湾泊地を含む第二軍区の長、呉鎮守府を治める藤崎大将の訪問を受けた桜井中将だが、世間話がつらつら続く応接で次第に怪訝な表情になってきた。大将が本題に入るのを避けているような気さえする。中将とともに会談の席に着く翔鶴もまた不安を募らせ、話の流れが見えない以上大将の出方を見守っている態である。二人の視線に気づいたのか、やれやれと頭を振った藤崎大将の話はようやく本題へと移ってゆく。

 

 「年を喰うと前置きが長くなっていかんな、本題に入るとするか。桜井、司令部候補生に関する貴様の上申は裁可を受け、日南大尉の佐官昇進と赴任地が決まったぞ。これであの若造も晴れて司令官だが、な…」

 

 歯切れの悪い藤崎大将の言葉に眉を顰めつつ、差し出された大海令を受け取り目を通した桜井中将は、冷静さを顔に貼り付けようと努めた。上申した官位は中佐だが裁可されたのは少佐。教導課程には本来必要のない2-5の解放、それも2-4と合わせ六回でクリアする謂れのない難題のクリアは、二階級特進を申請してみる価値はある。いわば技本の罠を逆手に取ったようなものである。吹っ掛けられた無理筋の命令を見事達成したとはいえ、技本や軍上層部が関与してる点を鑑みれば、昇進は少佐が()()()だろうと中将は見ていた。そしてそれはその通りに落着したが、それにしてもこの任地が意味する所は--。赴任地は極めて政略的な要素で、戦況や派閥などを含め海軍上層部の意向が反映される、戦争と政争の狭間ともいえる。

 

 「第二軍区内であれば、とは思うたがな、確かに。だがどの拠点であれ、己の才覚と戦果で将官、ひいては提督を目指すのは変わらぬ。後は…運。桜井、あの若造もいよいよ拠点長、ここから先は政治向きとも無縁ではいられぬ。外様()で教育畑の貴様ではヤツの後ろ盾として権力基盤は盤石とは言えぬだろう? そこで、だな…」

 

 傍らに置いた鞄から、大将は涼しい顔でもう一つ書類を取り出し応接テーブルの上に置く。豪華な装丁を施されたA3二つ折りの冊子。辞令よりもこちらが本命か、と桜井中将は悟った。それにしても…と何気なく手に取って開いた中将が驚き、ひょいっと覗き込んだ翔鶴も目を真ん丸にする。

 

 左側には女性の写真、右側には経歴の抜粋。要するにお見合いの釣り書、というやつである。

 

 「大将…これは? ひょっとして」

 「藤崎大将、ま、まさかこれは!」

 二人同時に声を上げる桜井中将と翔鶴に、うむ、と意味あり気に頷く藤崎大将。だが話の着地点は大きくずれていた。

 

 「日南大尉にお見合いの話ですか? さすがにまだ早いのでは…」

 「桜井中将にお見合いの話ですか!? 私という者がいるのに…」

 

 お互いの顔を見合わせる中将と翔鶴。翔鶴の声を聞いた大将は一瞬きょとんとし、膝を叩いて大笑いし始める。

 

 「確かに桜井は民法上独身だが、儂ほどではないが立派なジジイだ、見合いのニーズはない。安心せい翔鶴よ、『鶴の夫婦』に割り込む度胸のある女子(おなご)もおるまい」

 

 火が出るほど、あるいはトマトのように、またはリンゴでもいい、とにかく翔鶴は自分の勘違いに顔を真っ赤っかにして俯いてしまった。さすがに照れくさそうに気まずい表情を浮かべていた桜井中将だが、翔鶴の頭をぽんぽんとし、眩しそうに目を細めて微笑みかける。

 

 「先般の呉での第三世代艦娘の一件…儂がヤツの名を上げた事、今回の沖ノ島沖攻略戦の勝利…若造は将来有望な若手として軍内でも注目株じゃ。軍高官や民間企業のお偉いさんの娘やら孫娘やら、話は色々ある。それにバシー島沖での民間人救出作戦が成功した後、参謀本部が手のひらを反して軍の宣伝に利用したからの。なんでも若造は、民間でもなかなか有名人なんだそうじゃ」

 

 軍内の事はまぁまだ分かる。だが民間でそんなことになっているとは…むぅっと考え込んだ桜井中将だが、ふと気が付いた。

 「………大将、『なんだそうじゃ』とは誰からそのような民間の話を?」

 「鋭いのぉ桜井……。いや、その…儂の孫娘がな、あの若造のふぁんというかの…」

 

 唖然として顔を見合わせる事しかできずにいる中将と翔鶴に、大将は気まずそうに顎髭を撫で続けていた。

 

 

 

 宿毛湾泊地第二司令部--。

 

 日南大尉改め少佐は無言のまま執務机につき思いを巡らせていた。桜井中将から本部棟に呼び出され、正式に佐官への昇進と、教導課程修了の証として与えられた任地の内示を受けた日。

 

 「日南君、ここから先は君が全ての責任を負って君の艦娘を率いて与えられた拠点を統治してゆくことになる。宿毛湾での日々が、これから長く続く君の道を支える糧となることを願う。司令部候補生日南要大尉、教導課程の修了を認め、少佐への昇進をここに通知する。…君の任地確定を受け、教導艦隊に所属する全員の所属権と指揮権が移譲された。加えて第二次進路調査…宿毛湾の本隊から伴いたい艦娘についての申請を早く上げるように。これで君の拠点の陣容が固まる。宿毛湾からの離任は、司令官に与えられる通常艦艇の用意ができ次第となる、それまで悔いのないように過ごしてくれたまえ」

 

 眩しそうに目を細めながら微笑む桜井中将と、その横でそっと目頭を押さえる翔鶴。一歩下がった位置で二人を中心に左右に分かれる宿毛湾泊地の首脳陣-うんうんと満足げに頷く大淀と香取、目頭も鼻も真っ赤にしてぐすぐす泣いている鹿島、柔らかく微笑む鳳翔、満面の笑みを浮かべる明石、目を伏せ唇だけで微笑みを示す間宮。

 

 -この人たちがいたから、自分はここまで辿り着くことが出来た。

 

 任地は正直に言って意外だった。けれど大きな問題ではない、どこであってもやることは変わらないから。それよりも、居並ぶ恩人とも呼べる目の前の人たちに無様な姿は見せたくない。込み上げる感情を抑えるのに短い返事で応えることしかできなかったが、語尾の震えは隠せなかったと思う。深々と下げた頭で、目尻の涙は隠せただろうか。

 

 「謹んで…拝命致します。今まで…ありがとうございましたっ!」

 

 ふっと思い出し笑いを少佐は浮かべてしまう。ほどなくして正式に発令された自分の異動、あっという間に教導艦隊の艦娘が執務室に詰め掛けてきて大騒ぎになった日から数日が経った頃--。

 

 「大尉…じゃなかった、日南少佐、ちょっといいかな」

 

 少し腫れぼったい目で、明らかに寝不足そうな時雨が執務室に現れた。時雨だけではなく、島風、初雪…教導艦隊創設当初のメンバーが姿を見せた。見れば初雪はいつもと同じ、他の二人は眠たげな表情で、さらによく見れば指先に絆創膏を巻いている。

 

 「ひなみん…じゃなくて、日南少佐、こちら…お、お渡しに…アイタッ舌噛んだ…痛い…けど引きこもらず…」

 

 慣れない敬語で言葉だけでなく舌も噛んだ初雪は顔を真っ赤にしながら、白い和紙に包まれた、柔らかそうな何かを両手で支え進み出る。僅かに眉を顰め、同じように前に出た少佐が包みを受け取ると、焦れた様に島風が急かし始めた。

 

 「早く開けて、はーやーくっ! 島風、頑張ったんだから!」

 

 黒いウサミミを揺らしながら迫る島風の勢いに押されるように、少佐は手にした包みをカサカサと音を立てて開け始め、指がぴたりと止まる。

 

 「これは…」

 

 真新しい、仕立てたばかりの制服。濃紺の第一種軍装が一組に純白の第二種軍装が二組、姿を現した。日南少佐の昇進と教導課程修了が確定してから、教導艦隊の艦娘達全員で用意した心づくし。三人の視線が少佐に集まるが、肝心の少佐が反応してくれない。歓声でも試着でもなく、ただじっと贈った制服を見つめている。こうなると三人の方が我慢しきれず口を開き始めた。

 

 「ほんとはもっともっといいプレゼントでお祝いしたかったんだけど…」

 

 先ほどまでの勢いはどこへやら、連装砲ちゃんをきゅっと抱きしめながら島風が不安そうに口ごもる。ここに至るまでの道の始まりは、偶然の結果とは言え、当時は少尉だった日南少佐が緊急事態で島風の指揮を執った時から始まった。強くなるんだ-月夜に交わした小さな約束を少佐は忘れずに、島風は寄せられた期待に応えた。そして今、島風は教導艦隊における遊撃、局面を一気に変える切り札(ジョーカー)として活躍を続けている。

 

 「モン●ンがいいかな、とか…思ったけど…。そういうんだと…部屋から出なくなっちゃう…や、初雪が、だけど…」

 

 生欠伸を噛み殺しながら初雪が訥々と告げる。赴任先でも執務室に籠る気まんまんなのが彼女らしい。以前の候補生との関係が上手くいかず引き籠もりが加速した自分を必要だと言い、選ぶのは自分だと、全てを委ねられた-だから迷いながらでも選んだ。踏み出すきっかけは少佐からもらった。以来遠征と対潜哨戒を中心に、縁の下から教導艦隊を支え続けている。

 

 「みんな…僕たちだけじゃなくて、教導艦隊の全員でお金を出し合って、明石さんのアイテム屋さんで特注したんだ。赴任地は暑い所だよね…だから第二種軍装の方を多くしたんだけど…」

 

 不安そうな表情で時雨が上目遣いで少佐に視線を送り、少佐は改めて贈られた制服に視線を落とす。衝突も誤解も多いぎこちない関係。表面的には、共にありたいと思う反面目指す道を受け止めきれずにいた時雨と、秘めた夢を時に持て余しながら無理強いにも似た自己抑制で()()に徹しようとした少佐。分からないから分かりたい、そんな時雨の想いは教導艦隊で波紋のように広がり、少佐への理解と共感を支えていた。時雨は正しく秘書艦であり、教導艦隊の中心に成長していた。

 

 

 軍の支給品に過ぎない制服は一般備品に過ぎず、申請すればいくらでも支給される。昇進祝いとしてはあまりにも在り来たりな品。それでも込めた想いはある。

 

 

 「ほんとは発令が出た次の日くらいには渡したかったんだけど、ね…。僕たちそんなのしたことないから、思ったより時間がかかっちゃって…。昨日なんかみんなで徹夜しちゃったんだ、うん…」

 

 何気なく触れた真新しい制服に覚えた違和感。指先が違和感を辿る。辿るうちに気が付いた。目立たないように上着の裾に沿って、制服と同じ色の糸で小さく刺繍された、教導艦隊に所属する艦娘全員の名前。それは常に寄り添い、指揮官を支えるという部隊の総意。

 

 「そうか…そうなんだね。だから…」

 

 だから揃いも揃って指先に絆創膏を巻いているのか…と言葉にするまでもなく。彼にしては珍しく、少佐はくしゃっと顔を歪め制服を抱きしめる。入渠するまでもない小さなケガ、慣れない刺繍針を悪戦苦闘しながら使って一生懸命名前を縫い付け、針先で指を刺した姿が容易に想像できる。

 

 「ほんとはみんなで来るつもりだったけど」

 「ウォースパイトさん(女王陛下)が…初雪たち三人で…行くべき、って…」

 

 

 桜井中将が一線を退かなくなるほどの重傷を負った後に、思いを託し発足した司令部候補生という制度。艦娘と真っすぐに向き合い、彼女たちの思いに応えられる軍人を初期段階から育成する…兵器としての特性、兵士としての心持ち、そして女性としての想い、その全てを理解し受け止める人材を育成する。その道を経て幾人もの若き候補生が教導課程を修了し任地へと巣立っていった。

 

 そして今、日南少佐が宿毛湾泊地からの旅立ちを迎えようとしている。

 


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