それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 こりゃぁ一本取られたね。

(20190522 改稿)


104. オキュペーション

 「それで、どうだったのだ?」

 

 漆黒の本黒檀が奢られる執務机が存在感を主張する横須賀鎮守府司令長官室。横須賀鎮守府の長-有栖宮(ありすみや) (いつき)大将は、抑揚のない静かな、重い音色の声で問いかける。地位に見合わぬ若さ、といっても限りなく五〇歳に近い年齢だが、それはそのまま有栖宮大将の能力や実績の現れ。さらに姓の示す出自-日本を象徴する大君に連なる名家-も昇進の速さを手伝っている。

 

 問い掛けられたのは、広い執務室の一角にある同じように豪勢な革張りのソファに脚を組んで座る艦娘。声に気圧されることもなく我関せずといった風情で、指一本ずつネイルカラーを確かめるようにしている。

 

 「ネイルが乾くのを待ってくれてもいいんじゃない?」

 

 茶髪の少し癖のあるボブカット、和風デザインのへそ出しノースリーブのトップスに黒の超ミニスカートを纏う、長門型超弩級戦艦二番艦陸奥が振り返らず、唇を軽く突き出し指先にふうっと息を掛けている。

 

 「()れるな陸奥よ」

 「レポートならあるでしょう?」

 

 問いを受け流す陸奥(秘書艦)に鋭く返す有栖宮大将(提督)の手元には、確かに分厚いファイルと急遽差し込まれたであろう一枚のA4の紙が添えられる。横須賀鎮守府に到着した日南少佐率いる宿毛湾教導艦隊の出迎えに赴いた陸奥は、所定の場所に少佐たちを案内したあと、すぐさま所感をレポートにまとめ提出していた。それでも大将は、陸奥が語るのを求めている。

 

 謎めいた、悪戯な雰囲気をまとうお姉さんキャラの陸奥だが、練度はカンスト(解放上限到達)間近、最近正式に実装された第二次改装もあっさり済ませるなど実力は折り紙付き、さらに第一軍区の筆頭秘書艦として事務管理能力も群を抜いている。何より、日南少佐を直接目にした印象を尋ねられるだろうと要旨をまとめ事前に提出する配慮と手回しの良さ。

 

 「文章が上手すぎるのだよ。お前の目で見たものをお前の言葉で語ってほしい」

 「あら。あらあら。私の口から日南少佐(他の男)の話を聞きたいなんて、悪趣味ね」

 

 すっと腰を上げた陸奥は隙の無い、それでいて優雅な足取りで有栖宮大将の執務机に進むと机面に浅く腰掛け、柔らかな曲線美を見せつけるように僅かに腰をひねり視線を向ける。

 

 「それで?」

 「釣れないのね。まぁいいわ、日南少佐(可愛いボーヤ)のことだけど--」

 

 

 

 「なるほどな。非常に興味深かった」

 

 手元の分厚いファイルをとさっと放り出し、有栖宮大将は姿勢を正すと決済待ちの書類の束に手を伸ばす。言葉とは裏腹に、すでに日南少佐への関心を失ったかのような対応に、陸奥は苦笑交じりに肩を竦める。

 

 「よく言うわね。興味なんて無さそうだけど?」

 陸奥の言葉の続きは内線電話により遮られ、有栖宮大将は受話器を持ち上げる。超ミニスカートを揺らしひょいっと机面からお尻を離した陸奥は、本黒檀の執務机にL字型に組み合わせられる自身の秘書艦席へと向かう。耳に入るのは相変わらず抑揚のない、およそ話者の感情を伝えない声。だが長年提督に仕える陸奥には、その声色が苛立ちと不快感を含んでいると敏感に察せられた。

 

 受話器を置いた有栖宮大将は無言で書類へと目を落とし、陸奥もまた大将から回される書類の内容を確認し必要な処理を進めてゆく。かたかたとキーボードを叩く音とかさかさと紙が繰られる音だけが広い執務室を満たす。

 

 「……聞きたそうだな」

 「……言いたそうね」

 

 お互い書類から目を離さずに短い言葉をやり取りしたが、根負けしたように有栖宮大将が手を止める。眼鏡を外し眉根を揉むように押さえながら、辟易したような口調で話し出す。

 

 「技本からだ。教導艦隊との演習に勝てば連中の…例の第三世代艦娘で構成される試験艦隊を横須賀に配備しろとしつこくてな。天下の横須賀に技本風情が…」

 「新課程が宿毛湾に勝てるとは思えないけど?」

 「演習だからな、勝利条件次第では新課程側にもやりようはある。あとは指揮官次第だな」

 「なら尚更ね。宿毛湾の日南少佐のがずっといい男よ」

 

 揶揄うようにウインクをした陸奥だが、有栖宮大将は無視して話を続ける。軍区に新たに加わる指揮官と麾下部隊の実力を計るには新課程は丁度良い演習相手として、有栖宮大将は日南少佐と教導艦隊を冷静に値踏みしようとしているのだがーー。

 

 「だからレポート以上ではないと言ったのだ。やはり桜井中将の教え子…艦娘への思い入れが過ぎる。人間は艦娘抜きに深海棲艦と対峙できぬ。だが艦娘は、軍の、組織の機能の一部でしかないのだ。深海棲艦を殲滅し海と民を守る、その一点においてのみ存在している。正しく理解できねば…潰れるだろうよ」

 

 

 

 宿毛湾教導艦隊と横須賀新課程艦隊の演習は、東京湾南部から浦賀水道にかけての海域で行われる。

 

 教導艦隊の出撃拠点に指定されたのは、横須賀鎮守府中央部にある横須賀本港の第二埠頭。港に係留されるあすか改のCICで、日南少佐は腕組みしながらキナ臭い表情で考え込んでいる。薄暗い室内をレーダーやC4ISTAR、各種センサー類のモニターが発するLED光がぼんやりと照らし、見ようによっては幻想的でもある。少佐は通知された演習要綱を振り返るが、制限事項を含めて考えてみると教導艦隊側が不利ともいえる。

 

 拠点占領(オキュペーション)-双方とも一艦隊が参加しお互いの出撃拠点を制圧するのが今回の演習。艦隊は相手の拠点まで進攻し、出撃地点に設置された部隊旗を奪えば勝利、奪われれば敗北となる。作戦遂行過程で当然生じる戦闘(対戦)がどのような位置付けかは伏せられたままで、そこが少佐の悩みの種となっている。

 

 演習海域を教導艦隊の視点で俯瞰しよう。出撃拠点の横須賀本港第二埠頭から、新課程側の拠点となる三浦半島南部の江奈湾を目指すには、かつて米海軍基地が置かれた東京湾に突き出る泊丘陵を回り込み東南東に進路を取り、さらに観音崎灯台を目安に南西へ変針となる。奥に深く幅の狭い東京湾内での航路設定は自ずと制限を受け、課された制約条件-空母娘の参加禁止-により効率的な索敵も行えない。

 

 -第一軍区で新たな進攻計画…それも上陸戦が自分の任地で行われるのか? いや…そもそもこの演習を主導しているのは技本、一体…?

 

 艦隊決戦や対潜哨戒、航路護衛だけが艦娘の戦闘行動ではなく対地攻撃を行うこともあるが、実際に敵地へ上陸し地上戦を行うことは想定されない。それは人間の部隊の仕事だ。艦娘が陸上で戦闘できない訳ではなく、優れた身体能力や攻撃力は概ねそのまま発揮できるが、()で島嶼を保持するには数が少なすぎる。そのため艦娘が深海棲艦を掃討し海域を制圧した後、十分な護衛のもとに人間の通常部隊が上陸し拠点設営に取り掛かるのがプロシージャ(進攻制圧手順)となる。

 

 「ヒナミ、どうしましたか? 何か不安事でも?」

 

 少佐の席のすぐ後ろからに耳を撫でる涼やかな声。頬に触れる細く豊かな金髪の波をくすぐったく感じながら頭を動かすと、椅子のヘッドレストに手を掛けたウォースパイトが少佐に頬を寄せていた。CIC内で戦況を見守るのはあすか改のブリッジクルーを勤める時雨、村雨、朝潮だが、いつの間にか現れた女王陛下に皆驚きつつ、()()はこうやって使うんだ…と半ば呆れていた。

 

 あすかの改装が想定より時間を要した理由の一つ、02甲板レベルから第三甲板までを貫く吹き抜け内へのレールに沿って上下する豪奢な椅子(戦闘艦艇用昇降式玉座)の組み込みである。スプリンター防御で区切られるCICには直通しないが、ドアの真向かいにプラットホームがあったりする。機能性と様式美を追求する家具職人の妖精さんと、構造上の工夫が必要となった建造妖精さん、それぞれの苦労は推して知るべしだがそれはそれとして--。

 

 「何でもな--」

 「そんな風情には見えませんが?」

 

 耳元での囁きで言葉を遮るウォースパイトに、少佐は背中をぞくっとする感覚を覚えた。鼓膜よりも三半規管よりも脳を甘く揺らされるような錯覚に一瞬だけ陥ったが、そんな甘ったるい話題でも場面でもない。表情を引き締めた少佐は短く息を吐くと、自らの考えを整理するように疑問点を口に上らせた。

 

 「自分はこの演習を対地攻撃を含む上陸作戦と理解したんだけど…本当にそれでいいのか、と思ってね。上陸作戦前段として敵艦隊の排除という線もあり得るし。相手部隊、いや…技本が何を考えているのか、それがね…」

 

 実際、少佐は対地攻撃に軸足を置き部隊を送り込んでいた。金剛と榛名の高速戦艦部隊、鳥海と摩耶の重巡洋艦、艦隊の目兼火力支援として航空巡洋艦の鈴谷、遊撃として島風の編成。対地制圧なら本来は戦艦重巡勢には三式弾を装備させるところだが、実際に艦砲射撃を加えることはないので金剛と榛名は九一式徹甲弾(模擬弾)を装備している。

 

 話を聞いたウォースパイトだが、少佐を含めCICクルー全員を唖然とさせる、英国艦隊総旗艦の底知れぬ権勢をさらっと見せてきた。

 

 「軍組織は上意下達、命令は一旦発令されれば従うもので、功利で論ずるべきではない…。ですがヨコスカ、ギホンとやら、そしてヒナミ…この中で唯一貴方に勝って得る物がありません、どうしても不公平に思えてしまいます。やはり英国王立海軍(RN)への転籍、進めるべきでしたでしょうか。任地はSNG(シンガポール)で、という話もあったのですが…」

 

 え、いつの間にそんな事になってたの? と唖然とする少佐に、華やかな笑顔で応じるウォースパイト。そんな裏話の最中、演習部隊からの通信を受けた朝潮が声を上げる。

 

 「司令官、鈴谷さんの瑞雲から入電、敵艦隊発見です! 編成は…阿賀野型軽巡二、夕雲型駆逐艦三と…艦種不明一、サイズ的には軽巡? 変形の複縦陣…でしょうか、あまり見ない陣形ですね…なんだろ?」

 

 発見した新課程艦隊はやや北北東に進路を取り、浦賀水道を横切る様に航路を取っているようだ。

 

 少佐が素早くC4ISTARに諸元を入力しデジタル海図を更新する。読み切れない部分は依然残るが、相手部隊を発見した以上成すべきことはハッキリしている。今回の演習の性質上、教導艦隊は南へ、新課程艦隊は北へ、双方とも三浦半島と房総半島に挟まれたごく狭い海域を進むことになり、まず想定されるのは反航戦。

 

 母艦のあすか改のCICで、仄白いLEDの灯りに照らされる少佐がすうっと目を細める。久里浜の東南東約一〇km、浦賀水道のど真ん中で新課程艦隊を捕捉した教導艦隊は、索敵と同時に航空支援を担う鈴谷が最初に動き出していた。

 

 「教導艦隊進路変更、横須賀新課程艦隊(YS1B)の排除を優先する!!」


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