それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 久々の宿毛湾。


112. バタフライ・エフェクト

 「それにしても、どうして舞鶴の艦娘達は私達に気付かなかったのでしょう? 特に大佐はあんなに堂々と…」

 「住み慣れたアイランドの周りを騒がしくしてくれたのです、このくらいの便宜は当然でしょう。ですが騒がれるのも面倒なので少々小細工を弄しただけです」

 

 仁科大佐と大鳳の会話は淡々と進むが、内容は割ととんでもない。大規模侵攻(イベント)に参戦した舞鶴鎮守府の艦隊を、文字通りハワイから日本への()に使う荒業――その『少々』が仁科大佐の場合、一般的な範囲に収まらない帰来がある。

 

 「試作品の光学迷彩(OC)がなかなか有効なようでしたので、こちらでも使いました。……ふむ、あすか改の到着まで少し時間がありそうですね。いいでしょう大鳳、理論物理学にほんの少し触れましょうか」

 

 何かが上がった様子でブワッと白衣を巻き上げズビシッと指さした仁科大佐、そして大鳳は生徒のごとくコクリと頷く。

 

 「私の白衣とブーメランビキニ(インナーアーマー)、そして貴方に用意したマントは、負の誘電率、つまり可視光線を後方に迂回させるアシンメトリック・マテリアル素材により光学的な不可視を実現、起動時には見る側からすれば私達は透明となります。ですが、いくらOCを纏った私達でも実在する以上必ず痕跡は残ります。そこで―――」

 

 白衣のポケットから取り出したスマホをフリフリしながら仁科大佐が話を続ける。

 

 「より効率的に洗脳(ブレインウォッシュ)を短時間で行う手法を探求する過程で開発したアプリも併用しました。暇つぶしで作ったので名前は……そうそう、SAI-MINアプリです。つまり舞鶴の艦娘や妖精さん達は、私を視界に捉えた時点でdominate(支配)されたのです。ちなみにこのアプリのβ版ですが有料DL(ダウンロード)が好調で、フィードバックを今後の開発に反映させようと思います」

 

 「ああ……そういう……」

 

 足元まですっぽりマントで覆われた自分を舞鶴の艦娘達が視認できなかったのも、白衣が透明イコールいろいろ丸出しで艦内を闊歩した大佐が、無人の野を行くようにブリッジまで進み母艦を掌握し横須賀経由の航路を取らせたのも、確かにそういうことなのだろう。それよりも、最近電子マネーでの小口入金が急増した理由が理解できてしまった大鳳は、何となく遠い目で空を見上げていた。

 

 「……指揮官は日南少佐といいましたか。わざわざ第三世代艦娘(サンプル)を運んでくれたのです、相応に礼を尽くしましょうか」

 

 仁科大佐と大鳳の視線は、日南少佐と教導艦隊、そして新課程艦隊を乗せたあすか改の接近を捉えていた。

 

 

 

 「……………………」

 

 人間の想定できる事には限度があり、許容限度を超えた事象に直面するとフリーズしても無理はない。金田港に降り立った日南少佐と新課程艦隊の艦娘五名、少佐の護衛に付き添った教導艦隊の艦娘達にとって、まさに今がその状況である。新課程艦隊の艦娘を受領すると指定されたこの港で待っているはずの技本のエンジニア……と思われる男は確かに目の前にいる。

 

 無帽の第二種軍装は、妙に体にフィットした、いや、フィットし過ぎるスリムな仕立て。その違和感の正体に日南少佐はすぐに気が付き、固まった。

 

 仁科大佐が光学迷彩をオンにしているため白衣は透明化し、日南少佐の目には単にマッパ、正確には白いブーメランビキニのみを纏う裸体の男がいるだけだ。その裸体をカンバスに超写実的な筆致で()()()()()()()()()()()()。大佐の肩章や金ボタンの陰影、上着の皺や軍袴の折り目まで再現され、遠目には何となく信じてしまいそうになるほどだ。加えて顔の上半分を派手に飾るバタフライマスク。

 

 仁科大佐(Dr.モロー)、知られた通り名は『へんたいさ』。由来は…言うに及ばず。布面積の極度に少ないネイキッドに近い着衣を好み、エキセントリックな言動を繰り返す人格破綻者だが、戦争中期における艦娘の技術的発展に彼の貢献は計り知れない。一方で倫理無き貪欲な探求心は犠牲を省みない生体実験を主導し、技術本部の負の側面を象徴する人物でもある。

 

 新課程艦隊の艦娘達を確認した仁科大佐は、斜め後ろに立っていた大鳳型装甲空母一番艦の大鳳に何か伝え、彼女はたっと駆け出しこの場を離れた。この大鳳があすか改に連絡してきたとみて間違いないだろう。なら目の前の不審者が……いやでも技本のやることだし……と、日南少佐が逡巡している間に相手から声がかかった。

 

 「どうしました? 貴官は宿毛湾泊地付司令部候補生の日南 要少佐ではないのですか?」

 「……貴方は……その……師尾博士、で本当によろしいのでしょうか?」

 

 怪訝な表情を隠せず、戸惑いがちに少佐が問い返し、彼の背中に隠れるように涼月、夕立、村雨、ウォースパイト、古鷹、神通が完全に固まっている。おやおや、といった態で肩を竦めた仁科大佐がバタフライマスク越しににやり、と笑う。爬虫類が笑うとこんな表情なのかという冷たい目、そして皮肉めいた口調。

 

 「イントネーションが異なりますね、私はDr. モローです。……ふむ、貴官は記号(アイコン)がないと目の前の事実を受容できませんか? 私が開発した皮膚呼吸を阻害しないこのボディペイントさえあれば、着衣という文化を脱ぎ捨てるのも夢ではないというのに…。まぁいいです、話を進めましょうか」

 

 大げさなポーズで頭を振る仁科大佐はパチンと指を鳴らしOCをオフにする。突如白衣が第二種軍装を覆い隠し、少佐と教導艦隊は度肝を抜かれた。本人はこれで気が済んだかもしれないが、見る方にはバタフライマスクにパンイチでボディペイントの男に白衣が加わっただけで、怪しさに特段変化はない。これでよいでしょう、と仁科大佐は胸元のポケットから本物より精密な偽造IDを取り出し少佐に放り投げた。

 

 「技本ってこれでいいんだ……。IDって一体……」

 

 日南少佐の周りには教導艦隊の艦娘がわっと集まり、IDをまじまじと覗き込む。IDの写真も実物もバタフライマスクをしている点では確かに同一人物だが、本人性の確認には用を足さないのでは……村雨の呟きは全員共通の思いを代弁したものだった。

 

 

 

 「……なるほど、これが今の艦娘の到達点ですか」

 

 新課程艦隊の艦娘に明確な侮蔑が込められた淡々とした口調に、仁科大佐(Dr. モロー)に対し覚えた日南少佐の違和感は強まっていった。LCACを曳航し戻ってきた大鳳があれこれと機材を揚陸していたのもそうだ。なぜ技本所属のエンジニアが『これが今の艦娘』と初めて見るような口調で値踏みするのか、なぜ外部から来たように検査機材を積んだLCACが必要なのか……Dr. モローを見つめる少佐の視線が徐々に険しくなる。

 

 それでも新課程艦の艦娘に行う検査手順を見るだけで、Dr. モローの知見や技術が並大抵のエンジニアでないことが明らかに伝わってくる。例え高い背凭れのついた籐製の椅子に脚を組んで腰掛けるパンイチのバタフライマスクでも、大鳳に持たせた大きな孔雀羽の団扇で扇がせていても、多数のコードが接続されるラップトップを膝に乗せ、とんでもない速度でデータを処理し続けている。

 

 「私の専門領域は霊子工学…簡潔に言えば脳と魂のエンジニアリングです。まぁ…艦娘という存在の探求には医学、物理学、生命工学をはじめとし多種多様で広範な技術的バックボーンが必要となるので、それ一本ではないのですが」

 

 必要な処置を施し終えたのだろう、タンッとenterキーを叩いたDr. モローはラップトップのモニターを畳み立ち上がると、それまでハイライトの消えた目で微動だにしなかった新課程の五名は一斉にビクンッと弾かれたように跳ねる。時間にすればごく僅かでしかない検査で、一体何をどうしたのというのだ? しばらくの間無言で日南少佐を見つめていたDr.モローが再び口を開く。バタフライマスクに隠れた表情は誰も窺えないが、声は僅かに沈痛な色を帯びていた。

 

 「技術は時間の流れの中で陳腐化しいずれ塗り替えられる宿命を負う仇花です」

 

 そう切り出したDr.モロー…いや、仁科大佐の独白が続く。

 

 「だからこそ! 知性を武器に深淵の底でなお輝きを放つ技術を犠牲を厭わず追い続けるのです。ですがこの第三世代……無粋も極めれば粋とは言いますが、あまりに無知っ! 稚拙っ! 醜悪! 私の理論と実験データを利用してこの程度とは……さて、私の失望、どう贖ってもらいましょうかねぇ」

 

 くいっと腰を入れ体を捻り腕を体に巻き付ける姿…ジョ●ョ立ちをキモくしたようなポーズで、昏い愉悦を湛えた笑みを唇に上らせた仁科大佐は明らかに禍々しい気配を撒き散らす。悪意に釣られるように日南少佐は思わず銃に手を掛け、彼の艦娘達も即座に対応し艤装を展開し対峙した。涼月は少佐の前に出て盾となり、夕立は仁科大佐に照準を合わせ、ウォースパイトは大鳳に狙いを定める。神通、村雨、古鷹の三名は新課程艦隊を守ろうと立ちはだかる。

 

 「Dr.モロー…貴方の目的は一体? 回答次第では貴方を拘束します」

 「よしなさい大鳳。無駄に目立つと人目につきます」

 

 ぴくり、と眉を顰めた大鳳が動き出そうとするのを制した仁科大佐は、日南少佐の問いに答えずティーの準備を、と命じる始末である。大鳳も当たり前のようにLCACから運び込んだテーブルをてきぱきと組み立てるとティーセットを出し、言葉通り紅茶を淹れる。椅子に腰掛けると小指を立てくいっとティーカップを傾け唇を濡らした仁科大佐は、満足そうに大鳳に微笑みかけてから日南少佐を手招きする。

 

 「よい仕事です、大鳳。日南少佐…私に貴官と戦う意図はありません。それよりも、紳士はいかなるときもティーを嗜む余裕を失ってはなりませんよ。さぁ、かけなさい……ところで、()()はいいのですか?」

 

 へんたいの語る紳士像がどういうものかはともかく、時間を稼ぐ―――まともに戦っても勝てない、理屈ではなく根拠もないが、日南少佐は直感的にそう理解していた。だが現状をこのままにはできず、あすか改から横須賀鎮守府に連絡し対応を仰ぐ必要がある。そのためには……部隊の反対を押し切り、砂浜にさくさくと音を残しながら歩き出した少佐だが、仁科大佐の言葉に背後を振り返ると、頬を染めた涼月が腰を抜かしたようにへたり込み、肩で荒い息をしている。

 

 -やはり許可するべきではなかった。

 

 先の戦闘で大きなダメージを負ったにも関わらず、同行を強行に主張した涼月を受け入れてしまったことを激しく後悔する少佐だったが、彼の理解は完全に間違っていた。

 

 艦上の簡易工廠とはいえ高速修復材を併用して入渠を済ませた艦娘にダメージが残ることは無い。問題は、対峙する正体不明の相手から守るように自分の前に立った涼月の背中に残した少佐の指文字――『あすか改に連絡、金田港に不審者、増派要請』にあった。相手から見えないよう、肩に羽織るケープコートの下、インナースーツ越しの背中をなぞって柔らかく動き続けた指先は、少佐が予期していなかった効果を涼月に与えてしまったようだ。


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