色々あるんです、色々…。
一部の自炊派の艦娘を除けば、宿毛湾の多くの艦娘がランチメニュー目当てでやってくる居酒屋鳳翔の昼時はいつも忙しい。開店早々に席は埋まり、空き待ちの客が店外に作る列は長くなる。そして今日、列の先頭は珍しい組み合わせの二人-ウォースパイトとプリンツ・オイゲン-が立っていた。
経緯は違うが日南少佐との個人的な関係が縁で配属された二人は、参戦海域の関係上海外生まれの艦娘と邂逅の機会の無い教導艦隊で目立つ存在である。ただ立ち位置は対照的で、ほとんどの時間を日南少佐の執務室に据えられた玉座で読書をして時を過ごす孤高の女王陛下と、屈託のない明るさで日本の艦娘の輪にあっという間に溶け込んで笑顔の絶えないプリンツ……そんな二人が居酒屋鳳翔の列に並んだのは単なる偶然である。
いつも通りその場にいる誰かにくっついてランチを食べようとするプリンツと、今日のランチがウナギの蒲焼御膳と聞き好奇心に動かされたウォースパイト。
「英国で
「ゼリー寄せ…? あー……ヒナーミには勧めない方がいいよ、うん。それよりも――」
さらっと母国の味を無かったことにされ「えっ!?」という表情になったウォースパイトだが、続くプリンツの言葉には冷静さを装って答えるしかなく、二人の話を聞くともなく聞いていた席待ちの列に並ぶ艦娘達も複雑な表情に変わる
「今日はヒナーミの
「相手は
第二軍区長の藤崎大将の孫娘が宿毛湾泊地を訪れ日南少佐とお見合いををしていること、一度は日南少佐が断ったが藤崎大将がゴリ押ししてきたことも、宿毛湾中の艦娘は皆知っている。
僅かに曇った語尾を聞き逃さなかったプリンツは、ウォースパイトの横顔に視線を送る。いつもと変わらない秀麗な横顔だが、自己抑制の強い彼女の言葉と表情は当てにならない。ちらりと視線を下に向けたプリンツは、聞かなくても分かることは聞く必要がない、と口に出さなかった。
ウォースパイトの握り締めた右手がローブドレスのスカートに与える皺が乱れ、深くなる。
-つまりそういうことなのよね。
受け入れちゃえば楽になるのに、と考えこんでいたプリンツがウォースパイトに話しかけようとした所で、カラカラと音を立て白木の横開きの扉が開いた。
「こんな所で鳳翔さんの蒲焼御膳の余韻に浸ってる場合じゃありません! 行きますよっ!」
傲然と胸を張り脈絡なく話に割り込んできたのは、教導艦隊付として
翔鶴を生涯の伴侶に選んだ桜井中将や、艦娘を心から気にかけてくれる日南少佐を見ていると忘れがちだが、そもそも指揮官と艦娘のケッコンカッコカリと、人間同士の結婚は全く別なものだ。実際軍務と私生活を完全に分け、普通に家庭を持ち艦娘とは一線を引く指揮官もいるという。今回のお見合い話は、そんな現実を教導艦隊の艦娘達に否応なく突き付けた。
だからこそ、自分達は受け入れるしかできなくても、日南少佐の選択を自分の目で確かめたい。待っていれば結果はいずれ分かるが待ってられない――愛情に、あるいは嫉妬に、中には好奇心に突き動かされた艦娘達は動き始めた。
◇
当人不在で話題の中心になるのはいつものことだが、日南少佐はというと、緩くウェーブした肩より長い茶髪を揺らす藤崎大将の孫娘をエスコートして宿毛湾泊地内を散歩していた。
「彩雲一〇号機より入電、二人を発見しました! 索敵続行します!」
グレーと濃紺の洋上迷彩仕様のBUDを纏い、顔も右肩の飛行甲板までも迷彩パターンでペイントした赤城が、四つん這いのまま真剣な表情で宣言する。
「了解! 各艦ステルスモードにて追跡に入りますっ」
艦隊決戦の指揮を執るような決然とした口調で発令するのは鹿島。緑の茂みを背負って四つん這いの姿勢で前進を開始する。
「少佐……安全のためにも距離は空けた方がいいと思うよ、そうだね…最低でも一〇〇〇〇mくらい」
それではお見合いにならない。膨れっ面で無茶な要求をするのは時雨で、鹿島同様に緑の茂みを背負っている。
「現在四大の保育科に在籍中、趣味はお料理、見た感じ性格も良さそう、そして藤崎大将の孫娘……優良どころか特選物件……」
通りすがりのアルパカを装った着ぐるみを着て興味本位で参加した初雪によって、少佐のお見合い相手の情報は共有された。
「将来は保育士、か……いやなに、この磯風、実は子供が好きかも知れなくてな。磯風の秋刀魚定食を食べさせれば、少佐のように頭のいい子に育つぞ」
根拠のない危険な自信に溢れた磯風はどこまでも真面目に言い放ち、少佐と大将の孫娘が動き出したのに合わせて前に出る。
そして――――。
「すみません……どなたか、なぜ私がこのようなことをするのか教えてもらえませんか……」
初雪の用意したカワウソの着ぐるみを着こんで、皆と同じように匍匐前進しながらハイライトオフの目で呆然と呟くのはウォースパイト。意外と付き合いが良い。
日南少佐は、鹿島の指揮の元、赤城・時雨・初雪・磯風、そして居酒屋鳳翔で出会ったために巻き込まれたウォースパイトを含めた強行偵察艦隊の追跡を受けているのに気づいていない。そして少し休憩するのか大将の孫娘とベンチに並んで腰かけた。この間に六人は一気に動き出し、ベンチの背後に広がる植え込みの陰に隠れると、二人の会話が聞こえる距離にまで接近を成功させた。
◇
お見合い相手を出迎えた日南少佐は、桜井中将のもとへ案内し、翔鶴を交えて色々話し合った後は居酒屋鳳翔の個室で昼食、そしてお決まりの文句『後は若い二人に任せて』に見送られて泊地内を散策し今に至る訳だが――――。
少佐にとって結論は決まっていたはずだが、実際に会って話を重ねると、育ちの良さを伺わせる丁寧な所作と物腰、朗らかで頭の回転も良く、会話のリズムがぴったりと合い大いに盛り上がり、自分の結論を切り出しにくくなっていた。
「
藤崎大将の意向に関わらず、自分の意志でこの場にいると明確に芯の強さを告げる涼やかな声に、植え込みの裏が反応する。
――慢心しては駄目。
会えば断られるはずがない、とも聞こえるお見合い相手の言葉に、思わず立ち上がろうとした赤城を他の五人が無言で押さえ込んでいる最中、少佐はベンチに座り直し真っ直ぐに相手の目を見つめる。
――な、なんで急に見つめあっちゃうんですかっ!?
――ほう、この磯風、そういうのも得意なのだが。
背後の植え込みの陰で、ぐいぐい前に出る勢いの鹿島と磯風を他の四人が慌てて引き留めているとは知らず少佐は話を切り出す。
「ご自身の目で見て、自分はどのように映りましたか?」
「色々予想と違ったのも多いです。……いい意味で、ですよ?」
――…少し嫌な予感がする。そばに行っても、いい、かな?
――や、ふつーにダメでしょ……えいっ!
背後の植え込みの陰で、久々にめんどくさいモードに突入した時雨に、初雪がアルパカの首を時雨に被せ大人しくさせているとは想像もしない少佐に、てへっと笑ったお見合い相手は、軽く反動を付けベンチから立ち上がると、長いスカートを揺らしてくるりと振り返る。
「予想よりもずっと聡明で、ずっと素敵な方です。えへっ、本人が目の前なのに、照れちゃいますね。けど……少佐は私を見ていませんよね?」
予想外に鋭く自分を見られていたことに驚き言葉の続きを待つ少佐だが、すでに相手の表情の変化に気が付いていた。真剣な、それでいて悲し気な眼差しで自分の目から視線を逸らさずにいる。
「お爺様が仰ってましたけど、艦娘と人間の間に線を引けず、魅入られる軍人さんもいるって。私は……
「自分は――――」
立ち上がった少佐は姿勢を正してお見合い相手に向かい合い、植え込みの陰の強行偵察艦隊も沈黙の中で見守っている。ここまで正直に思いを打ち明けてくれた相手には、自分も心からの言葉で応えなければならない……少佐の心の内を黙って聞いていた大将の孫娘は、うんうんと頷くと、胸を張って元来た道を引き返し始めた。
「一番大事な事も予想外でした。あ、こっちは悪い意味で、でしたけど…。……私、帰りますね。あ、大丈夫です……一人で帰りたいんです」
◇
日南少佐が執務室に戻ってきたのは、落ち行く夕日が室内をオレンジ色に染め上げた頃。任地赴任に向け玉座はすでに解体梱包済みなので、応接用のソファーに脚を組んで座るウォースパイトだが、カワウソの着ぐるみの頭の部分だけを外して着込んだまま静かに座っている。
「……おかえりなさい。遅かったですね」
「ただいま……ってウォース、その恰好は一体?」
問いに無言で答えるウォースパイトを怪訝な表情で眺めていた少佐だが、取り敢えず少し寛ごうと歩きながら制服の詰襟と第一ボタンを開け、制帽をハンガーブースに掛ける。そして独り言のようにウォースパイトに言葉を掛ける。相手が気にしているかどうかも分からない、けれど言うべきだと思えるから。
「元より縁がなかったのでしょう。これでいいんです」
「そう………嘘吐きね、ヒナミ」
ウォースパイトも含め強行偵察に参加した艦娘が直接聞いた彼の独白。形の上では大将の孫娘がオコトワリしたことになるだろう。だが日南少佐の言葉を聞けば、誰であっても心に入り込む余地がないのは明白だった。
『命を賭けて戦いの海に臨む彼女達に、必ず帰ってきて欲しいと自分は言いました。彼女達の想いは一途で濃やかで、とても純粋です。自分は託された想いに見合う男として、最期の時まで共に在りたいのです』
共に在る――図らずも進路調査で明かしたのと同じ想いを同じ言葉で語られ、ウォースパイトの心は激しく揺さぶられていた。
「ヒナミ、手伝ってください」
少佐が振り返ると、ウォースパイトが立ち上がっていて、ミトン状の両手をふりふりしている。ああ、着ぐるみを脱ぎたいのね、と判断した少佐だが、ウォースパイトがソファを背にしたままなので、正面に立たざるを得なかった。少佐は抱きしめるような恰好で背中にあるだろうジッパーを探していたがどこにもない。すると唐突に着ぐるみがすとんと滑り落ち、中から華奢な両腕が伸びてきたと思うと少佐の首筋に絡みつき、そのまま引き寄せられた。
「おやすみなさいヒナミ、良い夢を」
ドアの閉まる音と脱ぎ捨てられたカワウソの着ぐるみと、唇に残る熱―――少佐は呆然とするしかできなかった。