それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

115 / 120
 前回のあらすじ
 君をスネーク。


ターニング・ポイント
115. 夜明け前


 ()司令部候補生の日南少佐と彼の率いる()宿毛湾泊地教導艦隊がいよいよ任地へ向け抜錨した日の夜。

 

 桜井中将と秘書艦の翔鶴、香取、大淀、明石、間宮-司令部候補生制度における教官達-が鳳翔の店に集い、歴代でも指折りに優秀で、同時に最も繊細な司令部候補生の旅立ちを祝う宴席を張っていた。ここに至るまでの日々をそれぞれの立場で振り返り懐かしんでいるのだが、料理を供しながら合間で唇を湿らす程度の鳳翔を除き、皆いい感じに酔っているようである。いい感じついでに、気になっていたが今まで聞けなかった事に話が進んでいる。

 

 「それしてもサイパンじゃなくなったんですねー。あそこならリゾートもたのし「はい、絶対国防圏の要です。なのに、なのに……」」

 

 リゾートも楽しめる…の言葉を絶対国防圏という重い言葉でかき消され、頬を赤くして陽気そうにビールのジョッキを呷りかけた明石が固まる。見れば明石と同じかそれ以上に顔の赤い翔鶴が、どよーんとした雲を頭上に垂れ込めさせ涙ぐんでいる。確かに往時の乾坤一擲の大戦(おおいくさ)、マリアナ沖海戦で翔鶴は戦没している。同じ地名を聞いて考えたことは全く別だったようだ。

 

 「そうだな……話しても構わないだろう、間宮? どうせ皆酔っている、()()()()()()()()()()()()――――」

 

 和食を中心とする居酒屋鳳翔では珍しいラム酒のグラスを右手で揺らし、左手で滑らかな銀髪が飾る翔鶴の頭をよしよししている桜井中将が切り出す。中将も多少酔っているようで、普段よりも口調が若干ぞんざいなようだ。「私は何も聞いていませんので」と、両手でカシスオレンジのグラスを持った間宮が苦笑いを浮かべつつ言外に同意を示す。忘れてしまう――他言無用の別な表現だが、明かされた話に皆言葉を失ってしまった。

 

 

 宿毛湾泊地の南南東約一五〇〇km、周囲に島一つない絶海に置かれた新設の沖ノ鳥島泊地こそ、日南少佐率いる宿毛湾泊地教導艦隊が晴れて……とは言い難い経緯を経て、急転直下赴任が決まった地である。

 

 

 明石が触れた様に、元々日南少佐の赴任地は第一軍区内に新設されたサイパン泊地に内定していたが、待ったを掛けたのが桜井中将だった。

 

 『教導艦隊母艦あすか改運用において電波送受信等における不備が感得された。内部監査の結果を踏まえた協議の結果、日南少佐は第二軍区の監督下での教育継続の要を認む。ついてはこれまでの内示を白紙撤回、処遇は第二軍区長藤崎大将預かりとする事を妥当とす』

 

 横須賀海戦時のDr.モローの一件と、その背後で起きた技本関係者の失踪事件……日南少佐は正体不明の第三者に海軍の最高機密・艦娘、しかも(実態はともかく)最新鋭モデルを調査させ、最悪の場合引き渡していたかもしれないのだ。あまりにも危ういミスであり桜井中将としても看過できず、この事実を横須賀鎮守府や特別警察隊が掴めば日南少佐のキャリアは完全に閉ざされてしまう。だが、全海軍中で最高の通信管制能力を持つ宿毛湾の間宮でさえ把握の難しかった、腕利きの Dr.モロー(不審者)を相手に全てを日南少佐の責とするのは酷に過ぎる。

 

 不要な電波送受信が()()起きたのかを意図的に曖昧にして行われた上申は、あくまでも司令部候補生に対する評価と処分の態でこの件を完結させ、賞罰における大原則――一事不再理により第一軍区や特警に対しこれ以上の手出しを封じる効果を発揮した。

 

 

 その結果、日南少佐は司令官()()として沖ノ鳥島泊地への着任、加えて再教育担当として宿毛湾本隊から鹿島の()()が決定したのだった。

 

 

 沈黙に支配された白木のカウンターに横並びに座る六名だが、香取が最初に口を開いた。

 

 「そんなことが……。だから鹿島()の立場はああなったんですね……あの子、納得したのでしょうか……?」

 「どうだろうね、納得と理解は別なものだが、このスキームにおける役割は受け入れてくれたと思う」

 

 再教育を前提とした人事である以上日南少佐の指導に当たる者が必要で、桜井中将は鹿島を選んだ。今日は、というかいつも通り甘え上戸の翔鶴を中将があやしている間に、くすくす笑う鳳翔がカウンター越しに袂を押さえながら一皿差し出してきた。

 

 「どうぞこちらをお試しください。中将のことです、計算尽なのでしょう? 無期限でも出向は出向、それで教導艦隊への転属枠は一つ空く……別な子を送り込む余地が出ますものね」

 「鹿島には日南君をどこに出しても恥じない提督になる日まで指導しろと命じただけさ………ん、美味いな。ラム酒(これ)に合う和食とは、流石鳳翔」

 「お褒めに預かり恐縮です。珍しく甘鱰(あましいら)が手に入りましたので、お味噌に漬け込んだものを炭火で焼いてみました」

 

 繊細な味わいの料理が多い和食は、どうしてもラム酒のクセの強い味に負けがちだ。そこに対抗心をくすぐられた鳳翔は、カジキに似た味わいで、脂乗りがよい赤身の甘鱰に味噌の焦げた濃厚な風味を加えることで、ラム酒の強い味に負けない一皿を仕立てた。桜井中将も満足そうに味わい、時々翔鶴にあーんしてあげたりしている。

 

 「ですが中将……あの子の着任は止められなかったのでしょうか? 間違いなく横須賀の手の内…」

 「そこまで容喙すると、また『依怙の沙汰あり』とか言われるからね…。まぁ日南君なら何とかする、いや、してもらわないとね」

 

 やや無責任にも投げっぱなしにも聞こえる中将の言い方に、酔いが回り若干目が座り始めた大淀が眼鏡を光らせる。大淀の懸念は、沖ノ鳥島泊地に横須賀鎮守府から転属の決まった一人の艦娘に向けられている。矢継ぎ早に桜井中将が打った手だが、横須賀鎮守府の疑念を完全には払拭できなかった。それが何かは掴めないが、技本関係者の失踪事件と関りがあるかも知れないとの疑念が、特種船丙型揚陸艦娘・あきつ丸改の転属に繋がった。言うまでもなく監視役としてであろう。

 

 ぐい飲みの中の吟醸酒をじぃっと見つめていた大淀が、少々不満げな表情で一気に呷り、再び手酌で器を満たす。言う事も分かるが、どうせここまで庇っているならトコトンやっても同じではないか、という意味の事を呂律の回らない口調で言い募る。余談だが、大淀は酔うとやや諄くなり、香取は静かに飲んで静かに寝落ちし、明石は陽気に盛り上がり、翔鶴はとにかく中将に甘え始める。唯一、鳳翔の酔った姿は誰も見たことがなく、伝説の酒豪ではないかと囁かれている。

 

 その後も話は時折脱線しつつも盛り上がり、いい加減いい感じを通り越し中将と鳳翔以外が轟沈した頃合、中将は手近にいくつもある吟醸酒の瓶を見渡す。まだ残っている瓶を見つけ持ち上げると、カウンター越しに鳳翔へと向け、鳳翔もお猪口を差し出す。

 

 「鳳翔、付き合ってくれるか?」

 「はい、私でよろしければ」

 「らめぇーーっ! 中将にはわらひがいるの--」

 

 カウンターに突っ伏して寝落ちしていたと思った翔鶴が突如乱入する。付き合うってそうじゃねーよ、と中将になだめられた翔鶴は徐々に覚醒し、状況を把握して真っ赤っかになった。苦笑いを浮かべつつ、翔鶴にはこれだな、と氷水の入ったグラスを渡す。

 

 「改めて、日南君の門出を祝して―――」

 

 「「「乾杯!!」」」

 

 

 これまで日南少佐を陰に日向に見守り、育て続けてきた宿毛湾泊地の首脳陣が杯を合わせ宴を締めくくろうとしていた頃、日南少佐と教導艦隊の艦娘が乗船する母艦あすか改は一路南南東へと進路を取っていた。二二ノットで約三七時間半の旅は、これまでのところ順調な航海で予定通りなら明朝払暁の頃に泊地入りが可能となる。

 

 

 

 薄曇りの空、棚引く雲の隙間から除く星以外に照らすもののない広大な太平洋--。

 

 あすか改を中央に配し左翼三名右翼三名から成る対潜特化の単横陣は、あすか改の航海灯と航跡に群がる夜光虫の発する青白くぼんやりとした光で海を飾りつつ深夜の海を進む。

 

 あすか改の前甲板、二機の揚錨機の間に立つのは日南少佐。うねりを切り裂き船首を僅かに上下させながら前へ進むあすか改は、甲板を吹き抜ける海風を生み、無帽の少佐の長く伸びた髪を大きく揺らす。無駄とは知りつつ長く伸びた髪を手櫛で適当に流しながら、少佐は眼前の光景に視線を送り、改めてぞっとした。生暖かい海風を浴びながらも、思わず両手で自分を掴み身震いするほどに。

 

 

 色の無い、モノクロームの夜の海。

 

 

 かつてマナド脱出時に投げだされ漂流した暗い海。

 

 夜戦に参加する全ての艦娘の、命の篝火だけが照らす世界。

 

 

 

 漆黒の空と暗い海を切り裂く、(くろがね)の戦船が進むのは色の無い夜の戦場……少佐は目を細め自らの任地を少しでも捉えようとするが、人間の視力には限りがあり、まして向かう先は四周を海に囲まれ、最寄の島でさえ約七〇〇kmの彼方という絶海の孤島。それはすなわち自分の泊地を取り巻く全てが敵地とも言い換えられる。

 

 

 「空はどうしてこんなにも青いのでしょう……って言うには、まだまだ早い時間かしら……」

 

 出し抜けに背中から掛けられた声に振り返ると、肩出しの白い巫女服に細かいプリーツの朱色のミニスカートを合わせた、長い黒髪の艦娘――扶桑がいた。夜明けまではまだ間があり、空は薄曇り…状況に合わないのを承知で敢えて口に出した態の扶桑は、艶然と微笑むと静かな足取りで少佐に近づき、隣に立ち同じようにまっすぐ前を見つめている。

 

 「どうされたのです? こんな所で?」

 「泊地が見えるかなって……いや……実は眠れなくてね」

 

 それきり二人とも言葉はなく、甲板に腰を下ろした。片膝を立てた少佐と寄り添うように横座りの扶桑は、ただ海風に吹かれながら黒い水面を見つめていた。しばらく経って、日南少佐がぽつりと一言絞り出した。

 

 「扶桑……君の言う空が青いって言葉は……とても重い、ね」

 

 かつてレイテ湾突入を狙った西村艦隊の七名は、旧型とはいえ戦艦六を含む総勢約八〇隻の米海軍が出口に蓋をするスリガオ海峡の夜間突破を図った。暗闇を切り払い一気に空を白く照らす猛烈な砲雷撃を受け、最後尾の前を進んでいた扶桑は全体の六割が被弾危険箇所と言われた船体が真っ二つになり炎上爆沈、朝日も青空も二度と見ることの無い壮絶な最期を迎えた。

 

 時を経た今、彼女達は色とりどりのセーラー服や軍服、あるいは巫女服的な衣装を身に纏う艦娘として海を征き、往時と変わらない鋼鉄の力を振るう。変わらないのは白と黒しかない、死地へと向かうかのような夜の海。だからこそ、戦うのなら万全の状態で送り届けねば―――。

 

 少佐の言葉に、一瞬ハッとした表情に変わった扶桑は、海風に紛れ小さくありがとうと呟くと、やや強引に少佐を引き寄せぎゅうっと抱きしめた。全艦娘でも最大級を誇る扶桑の胸部装甲に顔を埋める格好になった少佐が思わずじたばたするが、艦娘の力の前では人間の力などハムスターのようなものである。逃れられるはずがなかった。

 

 「心音……というのでしょうか、人の心を落ち着かせ安眠に誘うと聞きました。眠れないのでしょう? ならこのまま……」

 

 

 「このまま…じゃないですっ! 眠くなるどころか元気になっちゃうじゃないですかっ!!」

 

 鹿島の叫びが響き渡るのはあすか改のブリッジ。妖精さん渾身の魔改造でかなりの部分が省力化されているとはいえ、航海と夜間哨戒の指揮と運用を行うクルーは必要で、鹿島がその役を担っていた。

 

 ある意味ポーズにはなるが、鹿島は首に掛けている双眼鏡を覗き込んで前方と左右を確認し前甲板にふと視線を落とすと日南少佐を発見した。高鳴る鼓動と欲望を胸に、慌てて髪を直しリボンタイを少し緩め、ついでにグレーのブラウスのボタンをどこまで開けるか悩み、ようやく攻めすぎない程度の攻めっ気に落ち着いた。さぁ出撃前の最終確認、ともう一度双眼鏡を覗き込むと……すでに扶桑(先客)がいてしかも自分がやろうとしていたことをされていた。

 

 思わず手に力が入り、みしっと音を立て双眼鏡が悲鳴を上げる。きゃーきゃー騒ぎ立てる鹿島と、また始まったよと生暖かく見ないふりをするブリッジクルーの中にあって、少し離れた場所で冷ややかな視線を送るあきつ丸の姿があった。陸軍制服を思わせる上着にプリーツスカート、軍帽の出で立ちだが、その色は全て黒。抜けるように白い肌の色と合わせ、宵闇から抜け出てきたような雰囲気を漂わせている。軍帽を目深に被り直し画した表情には、困惑とも呆れともつかない複雑な色が浮かんでいた。

 

 「横須賀に比べるとどうにも風紀がアレでありますな。これを逆手に取れば案外監査本部の密命を思いのほか早く達成……いやでも自分は色仕掛け的なのは…だがこれも特務、鹿島教官(先達)を手本にするのが良さそうでありますな」

 

 

 沖ノ鳥島泊地到着まであと数時間-――日南少佐と彼の艦隊の新たなページが始まろうとしている。




物語的にはようやく折り返し、なのにすっかり更新頻度落ちてしまいまして、えぇはい…。しかも19夏イベもあるのでさらに…。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。