それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 今回のあらすじ
 新章開幕、改めてよろしくお願いします。


116. 相変わらずな僕ら

 沖ノ鳥島の周囲は見渡す限り何もない。最も近い陸地とはいえば約七〇〇km先の硫黄島で、あとはただひたすらに海、波、空―――。

 

 単独で経済的生活を維持できない居住不可能な陸地には利用価値は殆どない。反面、排他的経済水域及び大陸棚の設定や、天然資源の探査、開発、保存及び管理などの経済的な目的で行われる探査及び開発のための活動に大きく影響するため、どの時代も日本政府はここが“島”であると一貫して主張してきた。

 

 そして今も長く続く始まった深海棲艦との戦争は、別の価値を沖ノ鳥島に齎した。

 

 南北約1.7キロ、東西約4.5キロ、周囲約11キロほどの珊瑚礁のこの島は、フィリピン海のほぼ中央に位置する唯一の陸地なのだ。

 

 広大なフィリピン海は、深海棲艦にとって日本本土に北進するための格好の回廊となっている。もし沖ノ鳥島に有力な基地を設置できれば、深海棲艦の行動に大きな制約を課すことができる―――海軍上層部がそう考えるのは自然の成り行きだが、事はそう簡単ではなかった。

 

 大船団を動員しだらだら工事を続けると、深海棲艦に射撃訓練の的を提供した挙句に戦略目標を暴露する結果となる。だが集積した資材を一時保管する十分な陸地もなく、工事に要する全ての資材人員は海路で長駆輸送するしか方法がない。この難題を丸投げされた(任された)のが、参謀本部の御子柴中佐*1だった。

 

 中佐の言う『鳥も通わぬ島』に向け、硫黄島・宿毛湾・佐世保・那覇・高雄・フィリピン各拠点・パラオから時間差で大規模な輸送船団と護衛の艦娘が出撃、同時に沖ノ鳥島沖に集結させ工事に取り掛かり一気に完成させる。

 

 何もない所に忽然と城ができるといえば、若き日の木下藤吉郎の名声を高めた『墨俣の一夜城』の故事があるが、この時代には妖精さんという頼もしい存在がいる。資材材料さえ揃えば彼らの謎技術で、さすがに一晩とはいかないが突貫工事で仕上げてくれた。あとは実際に着任した部隊が機能拡充してゆく。

 

 

 かくして、かつて“島”と言い張るのは内心躊躇いがあった沖ノ鳥島が、完全に生まれ変わった姿を見せていた。

 

 

 環礁を擁壁で囲み大規模に埋め立てた陸地と、隣接する巨大な洋上施設―――それが新設された沖ノ鳥島泊地。この地こそが、宿毛湾泊地司令部候補生改め沖ノ鳥島泊地司令官・日南少佐の任地であり、彼の艦娘達が所属する泊地となる。

 

 

 「久しぶりだし、説明しておいた方がいいかなぁって……コホン。改めて考えると、すごい所にすごいの作りましたね」

 

 誰に何を説明、というのはさておき、日南少佐の執務室の一角に設けられた秘書艦用のデスクの一つに座る鹿島が呟く。

 

 フネでいえば船体は完成したが艤装は最低限度、あとはよろしく! の状態で引き渡された泊地ゆえに、基地機能の早期拡充、さらに今までは宿毛湾泊地の本隊が肩代わりしてくれていた業務も独立した一拠点として全て行わねばならず、やることは売るほどあるのだ。拠点を預かる若き責任者にして執務室の主・日南少佐は泊地内の視察に出かけ、現状で優先度の高いペーパーワークの処理を、はいはいはーいっ!! と怒涛の勢いで買って出た鹿島が請け負った。

 

 

 ただのアピールではなく、鹿島にしかできない業務があるから―――。

 

 沖ノ鳥島泊地の情報に加え、宿毛湾を発つ際に桜井中将がアクセスを解禁してくれた情報を合わせ、泊地運営の方向性と作戦運用の方針を明らかにする。もちろん日南少佐は、自分と泊地を取り巻く課題について情報を構造化し、何をすべきか頭の中で組み立てているだろう。それでも膨大な情報を体系化し整理してドキュメント化することに意味がある、そう鹿島は確信していた。

 

 情報と思考の可視化と共有……日南少佐の思考プロセスを文書に落とし込むことで、艦娘全員が情報へのアプローチの仕方を少佐と同じベクトルに揃える――それが鹿島の手掛けている仕事の最終ゴールといえる。

 

 

 

 「はぁ……」

 

 仕事がひと段落した鹿島は、一つ溜息を吐くとこきこきと音を鳴らしながら首を回す。さすがにこれだけ長時間集中して書類の精査と報告書を作成すると疲れは溜まる、鹿島は左手で傾けた首の付け根をとんとんする。長時間同じ姿勢を取るデスクワークで一番負担がかかるのは首の付け根と肩。まして鹿島の場合は胸部装甲がたゆんたゆんなので負担は余計に大きい。

 

 「はぁ……」

 

 もう一度ついた溜息は、体の疲れのせいではない。少し体をほぐしながらも、目は自分の書いた報告書を読み返している。自分で書いておきながら、これはないな……と暗然とした気分になる。思考と情報の共有、と言ってもしていい物とそうでないものがある。

 

 

 

 「あの人と早く邂逅(ドロップ)しちゃいたいですね……」

 

 あの人―――工作艦 明石の不在。

 

 艦娘の建造や装備の開発に必要不可欠な工廠設備は、基本的な運営は妖精さんが担っているので、秘書艦と共同で行う通常業務に支障をきたすことはない。だが今後艦隊を強化してゆく過程で、大型艦建造ドックと装備改修は必ず必要となる。そしてそれこそが、特務艦の一人・明石がいなければ運用できない機能。あとアイテム屋さんも。

 

 「今すぐ困る、って訳じゃないけど、早めに手を打った方が---」

 

 こんこん。

 

 ドアをノックする音に鹿島が反応し返事をしようと口を開きかけたところで、ドアが勝手に空き一人の艦娘が入室してきた。

 

 「はいはーい♪ ちょっといい村雨、呼んだ?」

 

 呼んでない。てへっと軽く舌を出してウインクする村雨だが、少し季節を先取りした格好のようだ。ブラウンのカーディガンを制服の上に着て、手には釣竿を持っている。何より黒ストが艶めかしい。生足派の鹿島でも、ちょっといいかも……と思ってしまった。

 

 「暇だから少佐と一緒に釣りでもしようかなって。って、少佐は?」

 

 あー…魚釣りの後は私を料理して、的な? と鹿島がオヤジ臭い事を考えてる間にも、きょろきょろと室内を見渡す村雨だが、お目当ての日南少佐の姿はない。鹿島が少佐の不在を告げると、村雨は途端に詰まらなさそうな表情でくるりとUターンで部屋を後にした。

 

 

 再び執務室に静寂が戻り、鹿島も自分の考えに戻る。設備面の課題は工廠機能だが、他にも問題はある。

 

 

 「福利厚生って無いと分かると途端に欲しくなるんですよね……」

 

 人はパンのみで生きておらず、艦娘は資材のみで動く訳ではない。生と死の狭間で戦い続けるからこそ、艦娘は真逆に、日常の香りに執着する傾向がある。結果的にそれが士気を高めることになるのだが―――。

 

 「問題ですよね。サンドイッチとか軽食系なら大丈夫ですけど、もっと色々作れるようにしとけばよかったなぁ……」

 

 

 目下の所の大きな課題、それは『食』。

 

 

 規模としては小-中規模の沖ノ鳥島泊地には鳳翔も間宮も伊良湖も着任しておらず、居酒屋や甘味処を専任(勿論非常時は戦闘要員となるにせよ)させられる艦娘はいない。なので皆それぞれに自炊するか戦闘糧食(おにぎり)で済ませるかの二択になっている。

 

 祥鳳、大鯨、涼月、村雨、浜風、川内、速吸など料理上手、あるいはまぁ何とかこなせる島風や瑞鳳、鹿島などの艦娘と、そうでない艦娘達の間に深刻な格差が生じた。

 

 自分達の食事に、ではない。日南少佐の食事を用意する役が自然と固定されてしまった。食事を用意するイコール自動的に一緒にご飯、この格差の固定化は士気の低下につながりかねない。日南少佐は、泊地の福利厚生として必要欠くべからざる()なのだ。

 

 きぃっ。

 

 僅かな軋み音を立て、重いドアが開く。村雨がちゃんと閉めていかなかった模様。再び思索を中断させられた鹿島は、ちょっとだけ不機嫌そうな声で在室アピールをする。

 

 「あら、教官でしたか。少佐はどちらに? 軽い差し入れをお持ちしたのですが」

 

 はい?

 

 鹿島の目が点になる。視線の先には焼き立ての秋刀魚と山盛りのご飯をお盆に載せた赤城が立っていた。弓道着を模した普段の制服に緑色の半被を羽織った姿だが、 鹿島は少し眉根を寄せて凝視する。何か……ちょっと違う? 差し入れの定義についてではない。赤城の雰囲気が、である。思わず感じた疑問を鹿島は口にした。

 

 「赤城さん、少し……痩せました? 顎のラインとか…」

 

 それだけではなく、髪型はいつもの黒髪ストレートロングだが、ボリュームを少し押さえ毛先に向かって軽い感じになっているし、何よりうるつや感いっぱいのリップ、どこで買ったんですか? てか…ダイエット成功プラス軽いイメチェン?

 

 イメチェンも二通りある。マイナスを消す方向とプラスを伸ばす方向で、赤城は明らかに後者。鹿島がちょっとぐぬぬ……してる間にも、両手でお盆を持つ赤城は顔を隠すことができず、さっと赤く染まった頬をそのままに、はにかむ様な笑顔を浮かべた。

 

 「気が早いのは分かってますが……私もこの先第二次改装があって夜戦も得意になるようですし。それに日南少佐も晴れて一国一城の主、次は嫁取りと加賀さんから……なので……その……」

 

 一航戦魂、その方向で発揮ぃ!? とぷるぷるする鹿島をしり目に、当の赤城は部屋の主が不在と知り、くるりと踵を返し引き返す。

 

 「温かいうちにいただいてきますね」

 

 執務室に秋刀魚の香ばしい匂いを残し、赤城は綺麗な所作で去って行った。

 

 

 くぅ~。

 

 小さく鳴った音に、鹿島が自分のお腹をさする。

 

 「そういや没頭し過ぎて、朝から何も食べてないや……でも、もうちょっとやってから」

 

 理性で抑えていても感覚を刺激されると、空腹を意識せざるを得ない。集中力が途切れたのを自覚した鹿島だが、切りのいいところまで今の仕事をやっちゃおう、とラップトップに向かい、再び考え込み始める。課題はまだまだ多いのだ。

 

 まず艦隊組織の再編。工廠部門と福利厚生部門に留まらず、秘書部門の拡充、戦技訓練部、情報管理部、兵站管理、対外調整の設置などなどなど。それぞれに責任者を決め指示系統を確立する必要がある。今までのように時雨が筆頭秘書艦で、他数名でサポートする体制では泊地を回しきれない。

 

 さらに―――。

 

 「ここから先はみんなと共有できる情報じゃないけど……」

 

 桜井中将がアクセスを解禁した情報を見た時、冗談抜きに腰が抜けそうになったのを鹿島は思い出した。

 

 技本のプロジェクト責任者二名が行方不明になった結果、第三世代艦娘の開発は無期限凍結されたという。だが、事もあろうに海軍元帥の伊達(だて) 雪成(ゆきなり)大将の影が背後に見えるので、状況は予断を許さない。

 

 一方、2-5で対峙した『特異種』……一定の指揮命令系統に従い行動する深海棲艦艦隊の動向に、日南少佐の代の卒業席次(ハンモックナンバー)一位、成宮(なるみや) 創玄(そうげん)の関与が疑われること。

 

 

 これらを考え合わせると――――。

 

 

 ぎいっ。

 

 

 三度ドアが開き、鹿島の思考も三度目の中断を余儀なくされた。お盆で両手の塞がっていた赤城もドアをちゃんと閉めなかったようだ。流石にカチンときた鹿島は、がたりと椅子を揺らして立ち上がると、不機嫌さを露わに鋭く言い放つ。

 

 「ノックくらいしてください! 日南少佐なら不在ですよっ」

 「す、すみません……ただいま戻りました」

 

 

 え?

 

 

 聞き覚えのある涼やかな声が、戸惑いの色を帯びている。ドアを背に所在無さげに立っているのは、誰あろう部屋の主・日南少佐。

 

 「えええーーーっ! す、すみません!! てっきり誰かまた少佐にちょっかい出しに…じゃなかった、少佐を訪ねてきたのかと思い…」

 

 まさか自室に戻って叱られるとは夢にも思ってなかった日南少佐だが、しどろもどろの鹿島の言い訳を聞き、何となく状況の想像がついたのだろう、苦笑いを浮かべながら部屋の中へと進んでゆく。その歩みは執務机ではなく、応接席へと向かい、かちゃかちゃとテーブルに何か用意している。そんな様子をぽかーんと眺めていた鹿島に、少佐が柔らかく微笑みかける。

 

 「結局一日事務仕事を任せてしまって申し訳ありません。よかったら休憩してください。いつも世話になってばかりなので……作ってみました。味は多分……大丈夫だと思います。和風、平気ですよね?」

 

 え? 今なんと? 少佐手作りの何か? え? え?

 

 緊張のあまりぎくしゃくした足取りで応接に近づいた鹿島が覗き込んだテーブルの上の湯気の立つ木椀、中身はかぼちゃのぜんざい。

 

 「わぁ……ありがとうございます、うふふ♪ いただきますね?」

 

 ソファに腰を下ろした鹿島は、椀を手に取る。じんわりと伝わってくる温かさが嬉しい。満面の笑みを浮かべながら木匙でかぼちゃを程よい大きさに切り、餡と一緒に口に入れる。

 

 「~~~~! おいしいです! とってもおいしいですっ!!」

 

 ぱぁっと輝くような笑顔になった鹿島だが、ふと気が付いた。椀が一つしかない。あ、ひょとしてア~ン待ちとか? 一人でいやんいやんと身もだえながら、鹿島は少佐のためにいそいそと用意をし、手を指し伸ばそうとしたところで、少佐が無自覚にポロリする。

 

 「よかったです。涼月に教わりながら作っていた時に味見はしたので、大丈夫とは思いましたが、ほっとしました」

 

 

 ハイ? 姿ヲ見セナイト思ッタラ、ソウイウ事?

 

 喋り方が深海っぽいデスヨ…という日南少佐のツッコみを許さずにぷるぷるしていた鹿島は、意を決したように残りのぜんざいを一気に食べ終わると、がばっと立ち上がる。

 

「ごちそうさまでした、少佐。とってもおいしかったです、ええ。そうだ、お返しに鹿島が今からサンドウィッチをたーくさん作りますね♪」

 

*1
051. ロミオとジュリエッツー後編


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