それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 時に厳しく、時に優しく。


014. The Beginning

 ずーーーー………ぶくぶくぶく…。

 

 「…お行儀悪いっぽい、時雨」

 甘味処間宮、テーブルを挟んで座る夕立と時雨だが、普段は天真爛漫な夕立が眉をひそめ時雨にダメ出しをする。目の前にいる時雨は、両肘をテーブルにつき口元を隠すようにしながら注文したクリームソーダで遊んでいる。ずーっと音を立ててソーダを吸ったと思うと、そのまま吹き戻しクリームソーダの表面が泡立つ。

 

 夕立の方を見もせず、でもその言葉に素直に従った時雨の視線がぼんやりと宙を彷徨う。

 

 「君のために戦える、片腕になれるって証明したいんだ。次こそ必ず…」

 

 現在、日南少尉が指揮する教導部隊は海上輸送ラインを防衛するため、製油所沿岸部での海上護衛作戦を展開している。通称1-3と呼ばれるこの海域最奥に陣取る深海棲艦の主力部隊を目標に進攻中だが、今の所海域解放にまでは至っていない。戦端を開いて以来、四回進攻したが、二回羅針盤が逸れ、敵の前衛艦隊や支援艦隊との遭遇戦を余儀なくされた。残り二回は相手の主力艦隊が潜む海域最奥部へ至る北回り航路に入ったものの前衛部隊との交戦で大破艦が出たため撤退、という結果になっている。そしてその大破艦は、いずれも時雨である。

 

 

 「君が前に進むなら、今度こそ、今度こそ…必ず僕が海域を開放してみせる。あの時の扶桑や山城のように…僕は、進まなきゃ」

 

 「むぅ~、思いつめ過ぎで拗らせてるっぽい…。あの日からそうっぽい…」

 危うい視線でぼんやり宙を見つめる時雨を、どうすれば止められるのか、夕立には言葉が見つからなかった。そんな彼女の言うあの日とは―――。

 

 

 

 日南少尉が居酒屋鳳翔を訪れた翌日、部隊の艦娘達は第二司令部の会議室に集められた。秘書艦の時雨ではなく、唐突に島風から招集がかかったことに微妙な感じを覚えたが、呼ばれた以上行かねばならない。艦娘達は会議室にまとまりなく広がって、それでいて何となく仲の良い者同士で固まりながら少尉が現れるのを待っている。今や教導部隊の所属のように当たり前に顔を出している鹿島に関しては最早誰も突っ込まないが、時雨とウォースパイトは輪から外れる様に壁に寄り掛かっている。特に時雨はぼんやりとして思考の海に入り込んでいるように見える。

 

 日南少尉が自分の秘めた思いを時雨に吐露した日、二人は意見が合わず砂浜で別れ、それ以来、どうしても以前のようにできない。それは少尉も同じで、お互い目に見えない壁のようなものを感じながら日々を過ごしていた。比例するように二人の間の屈託のない会話は減り、反比例するように常に他の誰かが少尉の傍にいる事が増えた。

 

 

 -秘書艦、解任されちゃうのかな…。今日の招集だって、本当なら僕の役目のはずなのに島風が…。

 

 時雨の物思いを打ち消す様に、がちゃり、とドアが開き軍帽の位置を整えながら日南少尉が入室してきた。全員が一斉に姿勢を正し敬礼で少尉を迎える。時雨との一件以来、日南少尉の指揮を疑問視する声もない訳ではない。だが、それでも艦娘として自分の指揮官を信頼したい、という気持ちは根底にある。加えて、何があっても変わらず日南少尉を信じ続けると宣言した島風と初雪、さらに桜井中将が成功させた欧州救援作戦の結果、英国から自ら希望し少尉の指揮下に加わったウォースパイト、この三人の存在が周囲に好影響を与えているのも確かだ。

 

 相対する少尉は全員を見回し、ややあって柔らかく微笑んだと思うと、姿勢を楽にするよう艦娘達に促す。淡々として、それでも明確な意思を含んだ口調で話は始まった。

 

 「次の作戦に関するブリーフィングを行う。我々はこれより海上護衛作戦を実施し、製油所地帯沿岸地域の海上輸送ラインを防衛する。本海域には、水雷戦隊で構成される前衛部隊、重巡リ級を擁する支援部隊、そして最奥部には戦艦ル級を中核とする深海棲艦の主力部隊が陣取っているとの偵察結果で、現在の我々の戦力では苦戦も予想される。それでも、これを撃破し前に進むため、皆の力を貸してほしい」

 

 会議室にわあっと歓声が広がる。自分たちの指揮官は戦いを怖れてなんかいない、経験の少ない候補生だし迷う時もあるよね、とそれぞれ近くにいる艦娘と手を取り合い、喜びを分かち合う。その波がひと段落すると、皆現実に戻り、ざわめきがさざなみのように広がってゆく。

 

 教導艦隊はすでに鎮守府正面と南西諸島沖の二海域を解放し、任務達成に伴う報酬として宿毛湾泊地から貸与された吹雪型駆逐艦四番艦深雪と天龍型軽巡洋艦二番艦龍田が戦列に加わっている。彼女達二人以外にも建造やドロップで所属する艦娘は着実に増え、任務では出撃系はB6まで、編成系はA6まで達成している。戦力の充実は進みつつあるが、一部の貸与艦を除いて、実戦練度という点ではまだまだ心もとない。

 

 そして製油所地帯沿岸海域の最奥部に陣取るのは、戦艦ル級-これまで解放した二海域で戦った軽巡や駆逐艦と一線を画す難敵で、強固な装甲と大口径砲を備える洋上の要塞と言える存在。

 

 最大の特徴は『主砲』……そう言うと当たり前過ぎるかも知れないが、現在の教導艦隊の中心を成す水雷戦隊が装備する小口径砲の殆ど二倍にも及ぶ長大な射程距離から、直撃はもとより至近弾でも当たり所が悪ければ一発で轟沈させられる威力の巨弾を一方的に撃たれ続ける事になる。

 

 水雷戦隊が敵を射程に捉えるまで、一発撃つ間に二発撃たれるような感覚。そして彼我のダメージは等価交換ではない。戦艦の装甲は自らの主砲で撃たれても耐える事を想定した厚さで、こちらの砲ではかすり傷、向こうの砲では最悪一発轟沈。

 

 一歩間違えば水雷戦隊では一方的に蹂躙されかねない……ざわめきはやがて静まり、その代わりに一人の艦娘に視線が集中する。相手にル級がいるなら、自分達にはウォースパイトがいる-そう訴える視線が鼓舞するようにウォースパイトを見つめ、続いて日南少尉へ視線を移す。

 

 決意が本物なのか、言葉としての表現だけなのか…壁に寄り掛かかり俯いていたウォースパイトが、ゆっくりと頭を上げ日南少尉を真っ直ぐに見つめる。日南少尉の指揮を変えるきっかけとなった、自分の原因不明の舵や機関の不調は今でも解消されていない。それは彼も知っている。果たして自分を戦場に投入できるのか―――。

 

 「ヒナミ…よろしいのですか…?」

 「…それでも戦う事が君の存在意義なんだよね? なら自分は、()()も込で指揮を執る」

 

 自分から視線を逸らさず僅かに頷く日南少尉。迷いがない訳ではないのだろう、だが、全てを分かった上で呑み込んでいる、そういう種類の目。自分が与えてしまった過去の軛に、果たして彼なりに決着を付けたのだろうか…いけない、男が決意として口に出したことを重ねて確かめるなど…。首を振り、一歩、二歩…背筋を伸ばした美しい姿勢でウォースパイトは日南少尉へと近づき、無意識に手を伸ばす。高揚、歓喜、安堵…色々な感情がウォースパイトに訪れたが、誰が少尉の背中を押したのか、それを考えるとチクリと胸の奥が痛む。

 

 「日南少尉、もう一度、教えてくれないかな。ここから先、敵はさらに強力になり中途半端な戦闘では倒せないし、僕たちも無傷ではいられない。それでも…君は指揮を取れるのかい?」

 

 会議室の教壇の前に立つ日南少尉と、奥の壁に寄り掛かったまま、凛と通る声で重ねて覚悟を問う時雨。その距離がそのまま、二人の今の距離を現しているようだ。秘書艦を名乗る者が、主を信じずしてどうするのか。最も不安なときこそ、最も信じなければならない―――珍しくウォースパイトが不快感を露わにして時雨を振り返る。急激に高まる緊迫感が会議室を満たし、他の艦娘達も怖々と二人を見守っている。唯一初雪だけは、携帯ゲーム機に似た機械をかちゃかちゃと動かしている。

 

 「…そうだね、時雨。君の言う通りだと思う」

 

 優しく、どこまでも優しい日南少尉の声が時雨に向けられる。

 

 「…自分の目の前には、戦いの海で命を賭ける君達がいて、背中には守られるべき銃後の民間人がいる。それが自分の現実だ。自分が何を願おうとも、今は深海棲艦との戦争の最中、軍人として成すべきことの優先順位は間違っていけない、そう思うんだ」

 

 そこまで言うと言葉を切り、日南少尉は泣くとも笑うともつかない不思議な表情を見せる。

 

 「自分の描いた夢は、大それた、あり得ない夢かも知れない。それでも、遠い過去を背負いながら今を戦う君達も、自分は一緒に未来へと運びたい、()()()手を取り合う未来へと。夢と現実の間で、今の自分に出来る事をする、そう決めた。傷つけ傷つけられるのがこの世界なら、ありのまま向き合う。その先にしか未来はない、だから例え一歩でも前に進む。…時雨、答えになっているかな?」

 

 「…全部が分かるとは、言えない、かな…。でも、分かる所も分からない所も、全部ひっくるめて、君は君なんだね。だから…君がどこまで行くのか、僕は戦い続けて、最後まで隣で見届けてあげるよ、うん。だから…これからも一緒にいて…いい、かな?」

 

 知る者にはその夢が何か、知らない者にもある種の覚悟が伝わる日南少尉の言葉。涙ぐんだ眼を隠すようにぷいっと横を向きながら、わざと軽い感じの口調で時雨は答え、時雨の問いに日南少尉は手を伸ばし応える。最初はまばらに、そして会議室は艦娘達の拍手と歓声で満たされ、日南少尉を中心に集まってきた艦娘の輪が出来る。

 

 「これ、すごく便利…。騎英の手綱(ベルレフォーン)って夕張さんが言ってた」

 初雪が携帯ゲーム機のような機械から目線を逸らさず呟く。あらゆる乗り物を御すと言われる黄金の鞭と手綱の名を冠されたそれは、アプリ化して登録されたあらゆるリモコンを一台で遠隔制御する家電便利グッズ。

 「や、冷暖炬燵、切り忘れたなって思って…。でも…大事な場面みたいだったったから…会議室のスピーカーとマイクをいじって宿毛湾中に中継、した……。成功…すると、いいな、うん」

 

 初雪の目論見通り、この中継を切っ掛けに、教導部隊だけでなく宿毛湾の艦娘も含め、日南少尉への誤解は解け始めた。ただ同時に少尉への注目がさらに高くなったのはまた別な話として。

 

 

 

 そして再び時間は現在へと戻る―――。

 

 「日南少尉、今回は北回り航路に入ったよ。間もなく敵前衛艦隊との戦闘に入りそうかな。待っててね、すぐに蹴散らして敵の主力艦隊に向かうから」

 

 五回目の進撃、羅針盤に勝利し北東方面の航路に入った教導艦隊、今回の編成は時雨、島風、綾波、神通、五十鈴、そしてウォースパイトとなる。旗艦を務める時雨から待ち受ける前衛艦隊との戦闘準備に入ったとの連絡が宿毛湾の第二司令部に入った。その声に、どこか思いつめたような、焦りの色を感じた日南少尉もまた、不安な表情を隠せずにいる。


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