気が付いたら勝っていた。
002. 待つのも案外楽しいね
「流石海軍兵学校卒…ううん、日南少尉の実力って言うべきかな」
室戸岬沖の戦で島風を指揮し敵部隊を撃退した日南少尉の話で泊地は持ちきりだ。敵部隊に止めを刺した、救援部隊の旗艦阿賀野は『よく分かんないけどスゴいっ!』と、興奮のあまり報告というより感想をそのまま作戦司令室に打電、さらに島風からの情報も加わり、戦いの全容が判明した。艦娘たちは、しばらくぶりに着任する司令部候補生に、その才能の片鱗をこれ以上ない分かりやすさで示され、一気にハイテンションになった。正門の前で日南少尉を待ち続ける駆逐艦二番艦の時雨も、自分の事のように誇らしく感じていた。
海軍兵学校は日本全体を見渡しても難関校の一つで、海軍の人事政策としても、卒業者は何事もなければ最低でも大佐までは昇進するようになっている。留年が認められない兵学校を四年間で卒業するには、概要だけを記しても、兵学:運用術、航海術、砲術、水雷術、通信術、航空術、機関術、兵術、軍政、統率学、軍隊教育学、精神科学、兵学実習、普通学:数学、理化学、生体工学、霊子工学、機械工学、歴史、地理、国語、IT、外国語、武道と実に多種多様な分野を学び、その全てに合格しなければならない。日南少尉は、在学中に二ヵ月間の国内災害復旧支援派遣への参加、さらに一年間の海外留学を加え、最終的に一五〇名中第三位という成績で兵学校を卒業した。
当然その情報は、司令部候補生の秘書艦役を任された時雨にも伝えられ、さらに室戸岬沖の戦での指揮ぶりを聞くだけで、期待がますます大きくなる。ところが、その日南少尉がなかなか姿を見せない。首を傾げつつ、時雨は待ち続ける。
-あの時のキミの事は、今でも覚えているんだ。でも、きっと君は僕だと気づいていないよね…。
それは時雨にしか分からない思いであり、自分だと気付いて欲しいという裏返し。数年前のとある出来事で、実は時雨と日南少尉は邂逅している。ただ当時の状況を考えると、時雨は日南少尉が自分に気付かなくても仕方ないかな、そう思っている。
それでも着任する候補生が日南少尉と分かった時には、時雨は自分が絶対秘書艦になる、そう固く心に決めた。見事にその役目を射止めこうして待っているのだが、待ち人がなかなか姿を見せない。期待している分、心が逸る。時雨の姿勢は仁王立ちに変わり、引き続き待つ。
「いったい何をしてるんだい、ほんとにもう」
正門の前でぷんすかと頬を膨らませ腕組みする。ぷんすかついでに思わず艤装まで展開してしまった。そうこうしているうちに、誰かを背負う男性が近づいてくるのが時雨の目に映った。
「やれやれ、やっと現れたと思ったら…あれは…?」
時雨の表情が怪訝なものに変わり始める。時雨の記憶にある顔立ちより幾分精悍で、少し大人びた印象。近づいてきた白い第二種軍装を着たその姿、白い軍帽を被った頭と黒いウサミミリボンのついた金髪のロングヘアー。ほどなく現れた男性が口を開く。
「自分は司令部候補生として着任した、日南 要少尉です。恐れ入りますが、時雨秘書艦でいらっしゃいますか?」
その言動を見る限り、日南少尉が自分の事を覚えていなさそうなのがはっきりした。無意識に不機嫌そうな表情で、時雨は日南少尉の問いに答えないままじっと見る。
-上背は一八〇cm弱って所かな、細身だけどひょろ助って感じはしないあたり…ちゃんと兵学校で鍛えていたようだね。でも、それはちょっとどうかと思うんだ…。
時雨は自分でも表情が険しくなるのが分かったが、どうしても顔に出てしまう。
「ところで、背中にいるのは島風、だよね? どうしてキミが彼女をおんぶしているのか、知りたい所だけど、キミの手は…その…島風を支えるのにちょっと上過ぎないかな? 」
時雨の言葉に何事かを考えていた日南少尉は、さっと顔を赤くし始める。ぐっすりと眠っている島風を少し前かがみになり背中で支え、両手は太ももの中程を持ち安定させ、港からここまでやってきた。時折位置を直したりして、ちょっと上の方まで手が触れたりもしたが、不可抗力でやましい気持ちは全くない。だが、いざ時雨に指摘されると、どうしても意識してしまうー極度に露出の高い、装甲効果が本当にあるのか疑わしい島風の制服では、素肌に直に触っている事を。
真っ赤になりながら、それでも真面目な表情を崩さない日南少尉を見ていると、余計な事を言っちゃったかな、と内心後悔した時雨に、意外な反応が返ってきた。
「室戸岬沖の戦いで、自分は島風に過負荷での全速機動を強いてしまい、輸送艦が泊地に着いた時には、彼女は疲れ果てて眠り込んでしまいました。いくら彼女の速度性能が勝敗を分ける要因だったとはいえ、自分にもっと巧みな指揮ができていれば、ここまでの無理をさせずに済んだと思います。いえ、だからと言って、その…艦娘の太も…大腿部を触ってしまった事は何を言っても言い訳になります。罰走でもケツバットでも何でも覚悟しております」
その視線が、背中から覗く自分の主砲の砲身にちらりと向けられたのに時雨は気づいた。ああ、確かにこれフルスイングしたら場外ホームラン級のケツバットにできるかな、と一瞬だけ考え、ふるふると頭を振る。
「いや、でも…事情によっては、その…」
むしろ時雨の方があたふたしてしまう。というより、自分にそんなことをするつもりなどないし、島風のあの格好でおんぶしたら、どうやってもそこに触れないで支える事は難しい。何とか話題を変えられないか考えていた時雨は、ある事に気付いた。
「…島風、起きているんだよね?」
日南少尉の肩越しに見える金髪がぴくり、と動き、黒いウサミミが揺れる。ゆっくりと顔を上げた島風も、真っ赤な照れた顔をしている。そして時雨に抗議する。
「信じらんなーいっ! 島風だって恥ずかしいの我慢してたのにっ! そうやって時雨に言われると、私だって意識しちゃうから…」
「じゃあ降りればいいと思うよ、うん、それがいいよ」
間髪入れずに時雨がうんうんと頷きながら即答するが、島風は頬を膨らませぷいっと横を向く。
「嫌っ! だって…そ、そう、足が痛いんだもーん」
困ったような、それでいて年の離れた妹の我儘を受け入れるような、そんな表情を浮かべる日南少尉の表情を見ていると、時雨は自分だけいらいらしているのが馬鹿らしくなってきた。だいたい何で僕はこんなにもにょっとした気持ちになっているんだろう?
気持ちを切り替えるように、時雨は艤装を格納して自分の頬をぺしぺしすると、正門の門扉を開ける。そしてぱあっと笑顔で振り返り、明るい声で改めて迎え入れる。
「僕が司令部候補生付秘書艦の時雨だよ、要するにつまりキミの専属秘書艦、だね。宿毛湾泊地へようこそっ!」
◇
とにかく着任の報告を提督にしなければ話が始まらない。時雨はポケットからスマホを取り出しどこかと連絡を取っている。
「さあ、行こうか日南少尉。道すがら簡単にいろいろ説明しておくよ」
「はーい、はいはいーっ!! 島風も行くっ! わたしも色々お話したーいっ!」
島風は付いてくると言って聞かず、時雨が何を言っても引き下がろうとしなかったが、日南少尉の一言でぴたりと動きを止めた。
「足、痛いんだろう? あんなに頑張ってくれたんだ、入渠しなくてもいいのかい?」
島風はぷうっと頬を膨らませながら、全然へーき、と日南少尉の背中から降りると、足が痛くない事を証明しようと走り出す。
「ほらっ、島風には誰も追いつけないん…お゛うっ!?」
ぴゅーっと風を巻くような速さで走る背中が急に見えなくなる。べたん、と音を立て派手に島風が転び、ただでさえ短いスカートが捲れあがり、ほとんどお尻が丸見えになっている。
「島風っ、大丈夫か!?」
「み、みたっ!?」
慌てて駆け寄る日南少尉と、慌てて起き上がりスカートを直す島風。元々見せてるようなもんじゃないか…とツッコミたかった時雨だが、見せるのと見られるのは案外違うのかも知れないね、と一人納得していた。だが日南少尉が島風の足を念入りに確認しているのを見て小首をかしげる。
ー足が痛いって、本当だったのかい?
「ひゃあああっ」
「時雨秘書艦、入渠施設はどちらですか?」
躊躇わず島風をお姫様抱っこで抱きかかえた日南少尉は時雨に問いかける。こっちだよ、と言うより先に港の方へと走り出した時雨の後を追い、日南少尉も駆け出す。
「おっそーいっ…けど、いいよ、別に…」
それは島風の小さなつぶやき。何か言ったかい、と目線で問う日南少尉に、頬を赤らめながら島風も首を横に振るだけの仕草で応える。
◇
「損傷の程度はごく僅かですけど、タービン周りに負担を掛けたみたいですねー。強引に急加速と急停止を繰り返したんでしょう? 島風ちゃん、よくやるんですよ、これ。あっ、大丈夫です、すぐ治りますからご心配なく」
駆け付けた工廠で、島風はただちに入渠という事になった。緊張した表情の日南少尉に対し、いつものことだという態で工廠を預かる工作艦の明石が言う。その言葉を聞き、日南少尉は安堵とも後悔とも取れる深いため息を吐いた。それよりも、と興味津々といった表情で、明石は日南少尉に寄り添うように立つ時雨に声を掛ける。
「それよりも時雨ちゃん、この人が例の?」
時雨がこくりと頷くと、明石はキラキラが三重くらいついた表情で矢継ぎ早に質問を始めようとしたのを、時雨が慌てて食い止める。
「あ、明石さん、僕たちは提督に着任報告をしに行かなきゃ。また後でね。島風の事、頼むね」
日南少尉の背中をぐいぐいと押しながら明石にぺこりと頭を下げ、時雨は足早に工廠を後にする。目的の本部棟まではごく緩やかな登り坂、時雨はちらりと斜め後ろを自分についてくる日南少尉に視線を送り、気付かれないうちにまた前を向く。
◇
宿毛湾泊地にも、もちろんこの地を管轄する提督がいて、その人物が日南少尉の教導責任者となる。執務室で日南少尉を待つ提督は、重厚な作りの執務机の引き出しから日南少尉に関するファイルを取り出し、ぱらぱらと繰り始める。だが何度読み返しても備考欄の言葉が腹落ちしない。
『極めて優秀なれど非戦主義者の疑いあり、指揮官としての資質を慎重に見極められたし』
日南少尉の成績は、兵学校で履修する全二四課目中一七課目で首席、残り七課目中六課目も五位以内。だが、最も重要な兵学実習-最終年次にそれまで学んだ内容の実践として、艦娘を実際に指揮して行う学内演習-は、落第すれすれの成績という歪さ。この結果が響き総合評価で
席を立った提督は窓際に進み外を眺めると、深く静かに考え込む。
-報告によれば三体から成る敵部隊を、直接攻撃せず砲雷撃で牽制し進路を誘導し衝突させたという。落第すれすれどころか、むしろ非凡な指揮センスだが…。島風の弾薬魚雷の残量不足からなのか、ファイルにある通り、
こんこん。
ドアがノックされ、返事より前にドアノブが動く。提督も特に咎めはしない。ノックの仕方で訪問者が誰か分かる。
「ただ今戻りました。あら、そんな所に…景色でも眺めてるのですか?」
長い銀髪を揺らしながら執務室を進み、白い弓道着にミニの朱袴を履いた艦娘-秘書艦にして歴戦の正規空母、そして提督のただ一人の伴侶-の翔鶴が隣り合って立つ。白の第二種軍装を纏う中将も老境に差し掛かり、軍人にしては長めのその髪は遠くから見ると銀髪に見えるほどに白くなっていた。翔鶴と並ぶと、二羽の鶴が寄り添うようにも見える二人は、艦娘達から憧れを込めて『鶴の夫婦』とも呼ばれている。
「候補生の方が着任しましたね。かなり優秀な方のようで、みんな盛り上がっちゃって、食堂は大騒ぎでした」
その騒ぎを思い出すように、小さく肩をすくめ笑顔になる翔鶴。
「着任当初のあなたも、私達艦娘への接し方に戸惑い、けっこう長い間距離を置いてましたね。日南少尉はどうなのかしら」
「長年蓄積された君たち艦娘の情報、それに基づく教育や拠点運営…今は全てがシステマティックになったからな。学生の気質も年々変わってるし、俺が着任した当時とは比較できないよ」
「あなたがご自身の考えを口にせずに、要素を並べる時は迷いがある時ですから。…そうですね、いろいろ仕組みは洗練されましたけど、それだけでは私達艦娘の心は動きません。それはあなたが一番よくご存知ですよね」
「日南少尉はまだ若い、これからの経験で彼は成長するはずだよ………」
深く考え込む様な表情のまま、提督は窓の外を眺め続けていた。