赤城のごめんなさいVS少尉の絶妙な距離感。
演習開始三時間前―――。
甘味処間宮で食事中の赤城は、何杯目かのお代わりを頼みながら、店内を明るく飾る艦娘達の会話を聞くともなく聞いていた。
「ふ~ん、教導艦隊の演習相手って大湊なんだ~。高練度艦ばかりって聞いてるけど? 指揮だけじゃ超えられない練度差だし、日南少尉もさすがに今回は厳しいかなー。きらりーん☆いいこと思いついちゃったー。最近顔も見てないしー、お疲れ様会で少尉をご飯に誘っちゃおうかなー。どう思う、矢矧ぃ~?」
「旗艦の山城は指輪持ちで練度一〇〇を大きく超えると聞いたけど? お疲れ会でも何でも好きにすればいいと思うわ。でも阿賀野
「…気になりますか?」
気付けば向かいの席に加賀さんが座っていた。というか、阿賀野と矢矧の会話に集中して加賀の存在に気付かずにいた自分が恥ずかしくなり、赤城はあせあせと挙動不審な仕草を目の前の加賀に見せてしまった。一方の加賀は目の前の食事に手を合わせると綺麗な所作ながら残像を残すような速さで箸を運び、目の前のご飯を食べ進め、合間にポツリと呟いた。
「…気になるなら、気にしているということを否定しない方がよいのでは? 何やら…大湊の司令官は桜井中将にも無理難題をふっかけているようですが…」
加賀が何を言いたいか、十分に伝わってきた。以前突堤で心情を吐露して以来日南少尉とは会っていないが、気付けば彼の言葉を反芻している自分がいる。そして今、その彼は明らかに格上相手との演習に臨もうとしている。
『失くした誇りは…下を向いてても見つかりませんよ。それはきっと、どんなに怖くても、前に進んで新しく手に入れる物だと思います』
赤城は何も言わず、加賀に一礼すると席を立ち、空になった食器を返却場所に返すと、そのまま間宮を後にした。
◇
演習開始二時間前―――。
こんこん。
第二司令部、日南少尉の執務室のドアがノックされる。入室を許可すると、秘書艦の時雨が仏頂面のまま入ってきた。
「………日南少尉、お客様だよ」
抑えようとしているが、時雨の声にはトゲがある。書類の山に埋もれていた日南少尉と、少尉の作業を手伝っていた鹿島が顔を上げ、どうした、という表情を見せる。
「お客さん…大湊警備府艦隊の秋月型防空駆逐艦三番艦の涼月さんだよ。約束はしてない、って言ってた」
「涼月……さんが?」
「演習の対戦相手の艦娘さんが…? 日南少尉、あの…どういうご関係? ロミオとジュリエットごっこですか? それでしたらリアルにハードル高そうな他拠点の子じゃなく、姉がちょっと厳しいだけの鹿島の方がおすすめですよ? うふふ♪」
前回少尉の尋問劇の際は、会議のため同席できなかった鹿島がゴゴゴ…となりながら、引き攣った笑顔を向け、日南少尉も怪訝な表情を浮かべる。とはいえ、すでに来ているものを無下にもできず、とりあえず応接に涼月を通し、少尉も移動する。
「………」
「………」
無言が続く。訪れた涼月の方から話をしてくれなければ理由が分からない。しばらく待っていた日南少尉だがしびれを切らしたように口を開こうとした時に、涼月が口を開く。時雨と鹿島が耳をダンボにして二人の話を聞いているが、気にすることなく涼月は話を続ける。
「日南少尉…この度はご迷惑をお掛けして申し訳…ありません…。先日、こちらの菜園でお話をした際、私…
唖然としつつも、日南少尉はなぜ樫井大佐が涼月を演習の景品のように扱ったのか理解した。それは涼月の往時の記憶から出た言葉であり、そこに話が至った流れがあるのだが、背景を知らない、あるいは知ろうとしない人が聞けば、涼月が遠回しに桜井中将あるいは日南少尉の下へ転属を希望した、そう受け取られても仕方ない。まして樫井大佐は八つ当たりとも言える執念を少尉にぶつけている。涼月の話など耳を貸さなかっただろう。
「樫井司令官が勝っても、私はもう…あの方の下で戦え…ないです。でも…日南少尉は…演習に勝っても私の転属をお認めにならない…そう聞きました。今は練度が低い私ですが…どんな戦場に行っても、必ず、帰ってくるつもりです…でも、私は…涼月は、どこに帰ればいいんでしょう?」
それは違う、と言いかけた日南少尉だが、涼月の思いつめたような瞳に言葉を飲みこんでしまった。時雨も辛そうな表情を浮かべ、鹿島は目に涙を溜めすっかり涼月に同情した表情に変わっている。日南少尉は勝っても着任を認めないのではなく、艦娘を景品にするような演習自体を否定したのだが、その違いは今の彼女にとって意味がない。往時の戦闘で沈んでもおかしくない損傷を何度も受け、それでも母港に帰ってきた彼女が、帰る場所を見失う…それはどれほど重い事なのか―――。
「今は…大湊の
日南少尉は制帽を目深に被り直すと立ち上がり、涼月に退出を促す。言葉の前半に、涼月は明らかに気落ちしたような表情になったが、言葉の後半を聞き、自分の耳を疑うように驚いた表情に変わる。
◇
演習開始三〇分前―――。
胸当ての位置を整えズレが無いか確認する。細く長い長弓を左手に持ち、右肩の飛行甲板も定位置にある。ただ、肩にかけた矢筒だけは空っぽのまま。ごくり、と唾を飲みこみドアノブに手をかけ、回す。きいっと軽い音を立て開け放たれたドアの先には廊下が見える。どれほど考え込んだか…覚悟を決め一歩踏み出す。
長く真っ直ぐ続く板張りの廊下をゆっくりと進む。廊下の先には、出口がある。出口の先には、忘れかけていた海へと道は繋がる。演習とはいえ、はるかに格上の相手に
左側に窓、右側に艦娘の部屋が連なる廊下を進むと、黒いストッキングに包まれた細い脚が視界の右端に見えた。少しだけ視線を上げると青いミニの袴。
「それなりに…期待はしているわ」
その言葉と共に差し出された一本の矢。目を伏せ、おずおずと手を伸ばし受け取る。
「………また一緒に出撃したいものです」
その言葉を背に、視線を少しだけ上げて歩みを続ける。今度は緑色と黄橙色の弓道着が視界の右側に見えた。
「よしっ、友永隊、頼んだわよ!」
「嬉しいなぁ」
その言葉と共に差し出された二本の矢。目を伏せ、手をまっすぐ伸ばし受け取る。
「どんな苦境でも、反撃できるからね‼」
「第一機動艦隊の栄光、ゆるぎません」
その言葉を背に、視線を上げて歩みを続ける。もうすぐ出口…今度は白い弓道着を着た銀髪の艦娘と目が合う。
「…今だけ、お貸しします」
その言葉と共に差し出された一本の矢と赤い鉢巻。視線を逸らさずに、手を真っ直ぐ伸ばし受け取り、きゅっと音を立てて鉢巻を締める。託された四本の矢-六〇一空仕様烈風、友永隊九七式艦攻、江草隊九九式艦爆、東カロリン空仕様彩雲を矢筒にしまい、大きく息を吸い込み目を閉じる。目を開き大きく一歩踏み出す。ここまでしてもらって、見届けるだけ、なんて言ってられない。怖くても、前に―――。
「一航戦赤城、出ます!」
◇
現在―――。
「軍人として生きる以上、『上』を狙う気持ちは分からなくもない。だが、強すぎる執念は視野を狭め歪めてしまう。樫井大佐が現在の地位にあるのも、これまで彼が積み重ねてきた事の結果でしかない。戦績を残しているのに処遇が不当だと思い込み、一発逆転で彼にとっての是正を狙っているのだろうが、全てが独りよがりなのだ」
腰掛けた椅子に足を組み、冷めた表情で吐き捨てるのは桜井中将。大湊艦隊と教導艦隊の演習はすでに始まってる。宿毛湾の司令部-中将以下秘書艦の翔鶴、管理艦の大淀、工廠責任者の明石、そして鳳翔の五名は、宿毛湾泊地内演習海域を見下す防空兼演習指揮塔の最上階に設けられた指揮所に詰め、戦況を見守っている。宿毛湾の港湾管理線から西に三〇kmほど、海に突き出た権現山の南端にある鼻面岬に建てられたこの施設からは演習海域が一望できる。
「あなた…じゃなくて提督、この季節は冷えますのでこれを。ですが…さすがに
つい普段通りに桜井中将に呼びかけ、他の艦娘達がいることを思い出した翔鶴は慌てて言い直し、中将の脚に自分が肩にまいていたカシミアのストールを掛けようとする。
しばらく前に始まった演習は、やはり地力の差が出る展開から始まっており、翔鶴はその点を指摘した。隣の席に座った翔鶴に眩しそうに目を細める笑顔を見せると、中将は自分の足に掛けられたストールを広げ妻の脚に掛ける。互いを労わり合う仕草とは裏腹に、言葉はさらに厳しさを増してゆく。
「圧倒、ね…。樫井大佐が演習の勝利条件をどう解釈しているかにもよるが、私には大佐が日南君の術中に嵌りかけてるように見えるよ。もっとも日南君もリスキーな作戦を採用したようなので、翔鶴、君の言う通り地力の差で押し切られる結果になる可能性も十分にあるね」
「提督…提督は今回の演習が双方にとって意味のあるものだと仰いましたが、ご説明頂けますか? 大淀には、どうしてもそう思えず…」
中将の右斜め後ろにすっと近づいた大淀が、遠慮がちな口調で問いかけたのに対し、上体を振り向かせ、中将は生徒に教えるような口調で話し始めた。
「そうだね…堅実とも凡庸ともいえる作戦、かつ刻々と変化する戦況に対応の遅い指揮…これにより樫井大佐は多くの敗戦を重ねてきた。つまり、作戦指揮を見れば彼が自分の功績として誇る事は多くないのだよ。一方でそれら短所を自覚した努力と、決して諦めない姿勢が艦娘たちの信頼を得て、艦隊一丸となって彼を支え結果として実績に繋がった。CSFの分析結果を援用すれば、彼のリーダーシップ領域は『影響力』にあり、それは艦隊のモチベーションと団結力として現れていた。だが今回、目先の我欲に狂った樫井大佐は、自分の艦隊の強みを否定してしまった。勝敗に関わらず、大佐が自分と自分の艦隊との関係性を正しく理解できれば、彼もまた成長できる。対する日南少尉だが―――」
「あちゃーっ!! 教導艦隊、艦種不明ながら一人大破…戦線離脱ですっ!! これは…かなり厳しくなりましたかね~」
明石の上げた悲鳴が桜井中将の言葉を遮り、全員の目が海に向けられる。宿毛湾の正規空母娘のうち、往時から赤城と縁の深い艦娘達は、それぞれの思いを矢に託した。大破一名と聞き青ざめた翔鶴は隣に座る桜井中将を見たが、特段心配するようでもなく、かえってヤキモキしてしまった。