それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 ナイスガッツ系参謀と金剛ちゃん


044. 巡り合わせ

 「これはご丁寧にっ! ありがとうございますっ!」

 ことり、と小さな音を立て応接テーブルに置かれた湯飲みに、大げさなまでに頭を下げ礼をしているのは、参謀本部より派遣された御子柴中佐。宿毛湾泊地に留まり教導艦隊に作戦指導を続けるという展開になったのだが、部隊が出撃した今は、作戦司令部にとって現場から次の報告が入るまでの僅かな凪の時間となる。

 

 「ああ、済まないね、翔鶴。君も座るといい」

 来客の次に、桜井中将の前に湯飲みを置いた翔鶴は、その声に柔らかい笑顔で応え、奇麗な所作で中将の隣に腰を下ろす。ぼんやりとその動きを見ていた御子柴中佐は、いつものような激しい噴流ではなくたらたらと鼻血を出し始めた。

 

 「…自分の妻が他人にも魅力的に映っていると知るのは悪い気はしないが…だからといっていい気がするものではないな」

 「はっ、し、失礼いたしましたっ! 決して()()の奥方殿に劣情を催しているわけではなく、ただお美しい、と見とれておりましてっ。私は…その…できれば金剛ちゃんが…」

 さり気ない誉め言葉と微かな独占欲を同居させた桜井中将の表現に、翔鶴も嬉しそうに頬を染め、苦笑い混じりに御子柴中佐も相好を崩す。だが邪な目で翔鶴を見るなよ、と打ち込まれた楔に対し、経験値の無さの悲しさ、言わなくてもいい事まで言ってしまう中佐であった。

 

 昨日までとは一転、声は相変わらず大きいが、ごく普通の喋り方である。拠点に歓迎されず乗り込み『指導』を繰り返すうちに身に付けた仮面が大げさで時代掛かった喋り方だとすれば、なぜ桜井中将にはそうする必要が無いのか?

 

 「御子柴君、あれからもう何年になるかな?」

 「そうですね、卒業してから一五年は優に超えますでしょうか」

 

 桜井中将が海軍兵学校の教官、そして校長を長年任じていたことは以前も触れたが、御子柴中佐も兵学校の卒業生であり、かつての提督を目指す夢は夢のまま終わった。妖精さんとのコミュニケーション…この点で中佐は致命的だった。艦娘と同時に登場した妖精さんという存在は、いまだに多くの謎を秘めている。謎は謎と割り切る事もできるが、御子柴中佐のように、それが理由で提督への道を断念させられた者にとっては、複雑な思いを抱かざるを得ない。

 

 「教官…いえ、桜井中将、自分は参謀本部に配属されてからもずっと考え続けていました。妖精さんと意思疎通するための条件とは何なのか、と。その結果、一つの仮説に辿り着きました。中将の場合、かつて空軍を去る事となったカムラン半島海域の強襲作戦…ですよね? 解せないのは、日南中尉にあの若さで何があったのか…?」

 「ふむ…私の考えと概ね遠くない所に辿り着いたようだが、今の私の疑問はそこではなくてね、御子柴君」

 

 はっ、と短く答え居住まいを正した中佐の鋭い視線を、中将は眩しそうに目を細める微笑みで往なし、核心を突き返す。

 

 「なぜ()、積年の疑問に答えを出そうと急くのかな。そういう類の人間には、先がない、という共通点がある。君の取った行動…参謀本部から裁量など任されていない、独断だろう?」

 

 首を二度三度振った御子柴中佐は、敵わないなぁとでもいうようなさばさばとした表情で中将に白旗を上げた。

 「参謀本部は今回の件を、軍令を無視した民間人がどうなるのか示す見せしめと考えています。実際、教導艦隊に対し被害を徹底して避けるよう()()しろ、との厳命でした。ですが日南中尉の、民間人の救出を願う彼のまっすぐな思いは…重い。だからこそ、戦うなら参謀本部を黙らせる圧倒的戦果を、横槍が入らないうちに速やかに上げることが必要なのです」

 

 「それでもスケープゴート(人身御供)は必要、そう言いたいのかい?」

 「勝っても負けても参謀本部の意向を無視した責任は、誰かが取らねばならないでしょう。自分が果たせなかった夢に向かう後輩のために、先輩らしいことの一つもしてやらないと」

 

 純粋な思いに駆られ戦場に臨む日南中尉、その彼に累が及ばないよう御子柴中佐は責任を負うつもりで、桜井中将は二人のため遊撃部隊を出撃させる…誰も悪くないのに、誰か一人は必ず傷つく巡り合わせを思い、翔鶴は悲し気に目を伏せてしまう。そんな御子柴中佐には、大きな体躯を滑り台代わりにして遊ぶ妖精さんがまとわりついているが、本人は全く気が付いていない様子である。ふっと、空気を切り替える様に笑った中佐は、全く違う話題を持ち出し、桜井中将と翔鶴を困惑させ始める。

 

 「ところで中将、昨日金剛ちゃんから教えてもらったLI●Eにメッセを送ってるのですが、こっちの送った内容と返事が全然合ってなくて…だいたいの返事が『はい、榛名は大丈夫です』なんです。これって…どういう意味なんでしょうか」

 

 それって営業用L●NEなんじゃ…と桜井中将がポカーンとし、翔鶴は気の毒そうな表情で御子柴中佐を眺めるしかできなかった。実際のところその返事は、『HEY榛名ァー、返事しといてネー』と対応を丸投げした金剛と、そんなことを頼まれても…と困り果てて当たり障りのない返事しか返せない榛名の合作だった。

 

 

 

 「外海の風と…潮の…匂い…。久しぶりな気がします」

 長い黒髪を潮風になびかせ、気持ちよさそうに目を閉じていた赤城が、静かに目をあけ、前を見据える。久しぶりの実戦で旗艦を拝命し大いに奮い立った反面、不安はある。前回、大湊の部隊との演習に参加したが基本的に後衛として日南中尉の策を実行しただけだった。だが今回は自分が中心となり作戦に臨む。本来は柳輸送作戦と呼ばれ、貴重な戦略資源のボーキサイトを多く産出するバシー島沖から深海棲艦を撃退し輸送航路を確立するのが目的の海域攻略だったが、参謀本部から派遣された御子柴中佐の立案した作戦により様相は大きく変わった。

 

 「広域殲滅戦…空母機動部隊が作戦のカギを握る…私がしっかりしなければ」

 

 この海域を攻略するのに、日南中尉が選んだ編成は旗艦の赤城(自分)を筆頭に、千歳、千代田、川内、夕立、村雨。高速機動を可能とする速度区分で統一し、徹底したアウトレンジ戦で敵に相対する。航空母艦への改装を済ませた千代田と千歳の存在は、赤城を軸に祥鳳瑞鳳の組と合わせて、状況に応じて参戦させる組を変更できる柔軟性を教導艦隊に齎していた。微風で波穏やかな航海が続き、赤城は作戦実施前のことを振り返る―――。

 

 

 

 結局予定されていたブリーフィングは開始時刻がずれ込み、日南中尉は見知らぬ巨漢を伴って第二司令部の作戦司令室に戻ってきた。同行者の体躯の大きさももちろんだが、何よりも私達を見た瞬間に顔を真っ赤にして鼻血をだらだら流し始めたこと、無駄な声の大きさに皆驚いた。

 

 「諸君、我は参謀本部より派遣された作戦指導参謀の御子柴中佐であるっ! こたびは教導艦隊の出撃に際し、作戦指導に当たるものであるっ!」

 鼻血を流しながら傲然と胸を張る御子柴中佐の演説がひと段落したところで、皆の注目は日南中尉に集まった。一歩前に出て、制服の詰襟を直しふうっと短く息を吐き、居並ぶ私達艦娘の目を見ながら中尉は説明を始める。どれだけ上級参謀が中央から派遣されようとも、私達が命を預け戦うのは、目の前にいる若き指揮官だけ―――全員が日南中尉に熱い視線を注ぎ言葉を待つ。一方で、まるで自分が望んでも得られなかった光景を見るような、僅かに悲しみの色が宿った目で私達を見ていた御子柴中佐が印象的だった。

 

 「当初企図していたのは、US-2の到着までポイントE…プラント周辺の制海権制空権を確保することだった。けれども今回我々が臨むのは、敵の出現が報告されている三つのポイントを同時攻撃、さらに進撃して海域最奥部の敵主力を撃破し海域全体を迅速に制圧する作戦だ。そのために桜井中将麾下の遊撃部隊も参戦、御子柴中佐からは想定される戦闘場面ごとのケーススタディの助力を受けている」

 

 

 

 ―――みんな唖然として何も言えず、そして大騒ぎになりましたね…くすりと思い出し笑いをしていた赤城だが、展開していた彩雲からの報告がなかなか入らずに、少しじれったくなっていた。

 

 艦隊は既に第一目的地のポイントEに到着している。合成風力を得るため巨大なボーキサイトプラントの周りを周回しながら、三人の空母娘合わせて二六機の彩雲と二式艦偵を空に放つ。風上に向かい矢を番えた弓を引き絞り放つ赤城は、同じように偵察機の発艦作業に入る千歳と千代田に視線を向ける。甲板を模したカラクリ箱が複雑な動きで開くと、絡繰り人形のように中に紐が繋がれた航空機が勢いよく飛び出し、紐をパージして空に翔け上がる。

 

 あの紐も一種の制動索なのかしら…と、自分とは全く違う艦載機の制御方法を興味深げに眺めていた赤城だが、全偵察機の発艦を確認し、Eポイントを中心とした二七〇度に対する開度二〇度の二段索敵線構築を指示する。

 

 潮風に暴れる長い黒髪を押さえていた赤城だが、ふと気が付いた。プラントのはるか上部、居住区と思われる部分に人影が見え、こちらを指さし大声で歓声を上げている。中には感極まって泣き出している人もいる。輸送船を深海棲艦に沈められプラントに孤立した一五名の民間人。みな薄汚れた衣服をまとい伸び放題の髪や髭をそのままに、必死に叫んでいる。助けを求める悲鳴ではなく、戦いに臨む赤城たちを鼓舞する声。自分たち艦娘が戦い深海棲艦を排除しなければ、海域の安全は確保されない。だから、私達を応援するのは自分たちを助けてくれ、との意味。客観的にそう理解もできる。

 

 けれど―――多くの感情を現す様々な言葉の大半を占めるのは、感謝。来てくれてありがとう、俺たちのために申し訳ない、ケガしないでくれよ…等々。自らも飢え、中にはケガをしている人もいるのに、波頭を越えやってきた私たちの身を案じてくれる。

 

 ヒトは、自分より誰かを優先して思いやることができる。

 

 それを知ることができただけでも、人型として現界した意味があったのでしょう…赤城は自らの内側に沸き立つ感情を抑え冷静さを保つので精いっぱいだった。同じように助けを待つ人たちからの声は、他の五人にも聞こえたようで、皆感極まった表情を隠そうとせず、夕立や千代田は涙ぐんでいる。

 

 -これで奮い立たねば、女が廃るというものです。

 

 ついに彩雲から第一報が齎された。搭乗員の妖精さんと感覚を共有するのが空母娘の特徴であり、赤城の脳裏には海上を南下する敵艦隊の映像がフィードバックされていた。表情を引き締めると、右手を前に振り出し艦隊に号令をかける。

 

 「一航戦赤城…拝命した旗艦の重責、信頼には必ず結果でお応えしますっ! さあ、みなさん、用意はいいですか? 赤城隊、敵艦隊を北西に発見! 千歳さん千代田さん、そっちは!? 各員戦闘配置、単縦陣へ移行っ」


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