主人公不在でも物語は進む。
赤城の号令一下、教導艦隊は慌ただしく動き出す。若干の緊張を視線に宿し、赤城の表情は依然として固いままである。少なくとも片方の相手には先手を取れる。だがもう片方は―――? 千歳と千代田は必死の形相で偵察機に意識を集中し索敵を続ける。
「お
千代田の叫び声に、赤城が、千歳が、他の艦娘が、そして宿毛湾泊地の第二司令部が大きく反応する。
「水雷戦隊と戦艦率いる輸送部隊、か…」
教導艦隊を中心として見れば、敵の配置は北西に展開する水雷戦隊と南東に展開する輸送部隊。むうっと顔を顰め、日南中尉は一瞬だけ口元を抑えるようにして考え込んだが、すぐに作業を再開する。作戦司令室に設置された壁掛けのスクリーンを凝視しながら、目の前のラップトップに、入力するキーボードをたたく音が繋がって聞こえる速さでデータ入力を続けている。スクリーンの左半分は現在八分割され、各艦娘の主観視点ビューと偵察機からの中継映像、画面の右半分には海域全体のデジタル海図が表示されている。中尉のデータ入力量に応じ、スクリーンに表示される情報量が増えてゆく。最初は教導艦隊だけがマークされていた海図に、北西の水雷戦隊が加わり、今また南東に輸送部隊が加わり、諸元が入力されるとそれに応じてマークが移動を続ける。
「はっやーいっ! ひなみん、すごいねー」
「僕、PCをあんな速さで操作する人を始めてみたよ」
「中尉は絶対…いいゲーマーに…なる、うん。初雪の目に、狂いは…ない」
教導艦隊創設当初からともに歩んできた島風、時雨、初雪でさえ驚かせる姿。音声で矢継ぎ早に入る現場からの各種情報を、目はスクリーンを見つめたまま手元を全く見ずに入力する。その度にデジタル海図は更新されてゆき、ヘッドセットを通して現場に指示を出し続けている。付き合いの長い彼女達三人でさえ驚く光景、他の艦娘達は遠巻きに見守っている。
彼の目の前にあるのは、艦娘用の疑似的な戦術データリンクシステムの試作品。現用艦艇や艦載機に搭載されるC4I、あるいはC4ISTARと呼ばれる統合的指揮統制システム…敵に関するすべての情報報告を総合することで導き出される敵の可能行動について考察、現場のリアルタイムでの状況と旗艦の意図、そしてレーダー探知情報など敵の連続的な情報に基づいて最適な一手を打つ…は、深海棲艦相手には全く機能しなかった。サテライトナビゲーション、レーダー、ソナー、センサー等、システムの中核装備の電子兵装が機能しなければ、誘導兵器や精密射撃も機能せず、現代の海軍や空軍は敗北した。
結果は出なかったが、それはシステムが本来想定していない相手との戦闘だったからであり、C4ISTARのコンセプト自体に間違いはない、と日南中尉は考えていた。そのため、艦娘の運用を前提とした形でできる範囲の中で同様の機能を何とか再現しようと桜井中将に提案を行い、明石と夕張がカタチにした。
-自分は時間と情報で戦う。この程度のことしかできないとしても、自分にできることがあるなら、やらない理由はない。
共に海に立ち戦う事も、感情として割り切る事も、どちらもできない。ならば、より早く情報を処理して、敵より一瞬だけでいい、常に先手を取ることでリスクを極小化する―――日南中尉らしいアプローチから誕生したこのシステムは、初めて稼働させたバシー島沖戦を見ても有用性は明らかだ。だが、日南中尉の空間把握能力と情報処理能力を前提とするオペレーションであり、優秀といっても日南中尉はしょせん普通の人間でしかなく、おのずとその限度はある。意義と効果は認めるが、技術的なブレイクスルーが必要…というのが桜井中将の見解となる。
艦娘達にとっても、C4Iの元祖ともいえる早期警戒情報システムを確立した
◇
第二司令部が慌ただしくなっていた頃、現場の赤城は日南中尉の指示に先んじて発艦作業に取り掛かっていた。移動する足を止めず、左右の主機の出力を変えその場で鋭くターンすると、長い黒髪がふわりと揺れ陽光を煌めかせながら風に踊る。体を風上に向けながら、右手に持った矢をくるりと回し弓に番え、いつでも引き絞れるよう準備を整える。いくらブランクがあったとはいえ、何万回何十万回と繰り返した動作に狂いはなく、体は機械的なほどに動く。狂いが出るとすれば―――。
「私の判断と中尉の判断に違いがあれば…作戦は遅滞してしまう…」
赤城は、このシステムを最大限活かすには、いかに指揮官である日南中尉と考えを共有できるかに掛かっていると看破していた。彼を信用していないわけではないが、戦場は常に動き、一瞬の判断遅れが生死を分ける。彼のシステムが、これまでのように事前に決めた作戦をいかに円滑に動かすかではなく、刻々と動く戦場の変化に即応しようとするものであれば猶更で、リアルタイムで情報の共有が出来ない以上、どれだけ頑張っても時間差が生じるのは避けられない。なら、現場にいる自分たちが日南中尉と同じ考えに立ち先んじて動くしかない。
問題は三人の空母娘をどう組み合わせて二正面作戦にあたるのか? 赤城の搭載機数は並居る正規空母の中でも上位に入る八二機、千代田と千歳は各五六機で計一一二機。空母娘が航空隊を展開する方法は弓矢や式神、あるいはボウガン等様々だが、共通しているのは同時制御できる部隊数に限りがあり、かつ一部隊あたりの投射量が異なるという特徴。偵察機用に充てたスロットを除けば、三人合計九部隊をどう組み合わせるかで攻撃力が大きく変わってしまう。
中尉の指示が自分の考えと大きく違うなら装備換装をすることになり、時間を浪費してしまう。どこまであの若い指揮官と考えを共有できているのか、
「赤城、第一次攻撃隊発艦っ! 君は南東の
満足そうに赤城が目を閉じ頷く。異論も意見もない、直掩隊を千歳ではなく千代田から上げようとしたくらいしか違いがない。数が多く動きが速いが防空力が低いA群に千歳千代田が対し、強力だが足の遅いG群は自分が当たる。全て準備済みだ、指揮官と考えが狂いなく重なり合っている、あとは一刻も早く発艦させ敵を打ち倒す。さっきまでとは違う種類の鼓動が高鳴り自分を急かす。高ぶりと裏腹に静かに目を開け、赤城は部隊に宣する。
「艦載機のみなさん、用意はいい? 第一次攻撃隊、発艦してください! 私はG群を、千歳さん千代田さんはA群を叩きます! 村雨さんは私達の護衛、川内さんと夕立さんは敵の足止めのため進撃。…全軍、掛かれっ!!」
凛とした声と共に放たれた矢が空気を切り裂き、光と共に零戦五二型へと姿を変えると、左旋回しながら艦隊の上空で待機している。その間に放たれた二の矢三の矢は九九艦爆、九七式艦攻へと姿を変え、赤城の航空隊は南東へと空を翔けてゆく。千歳と千代田の複雑な艤装からも次々と艦載機が翔び立ってゆく。
◇
「映像はまだこないのー? あ、きたきたきたっ」
「赤城さんの雄姿……………気分が高揚します」
「対空見張りも厳として。よろしくねっ!」
栄光の南雲機動部隊-一航戦の赤城と加賀、二航戦の飛龍と蒼龍。とある戦闘がもとで弓を引けない
「第一次攻撃隊の発艦は無事行われています。航空隊全てをマッピングするのは、データ量が多いの少しだけタイムラグが出ますが、
加賀が無表情のまま無言で、日南中尉の作業を邪魔するように真横からずいっと顔を差し入れる。いくら本隊所属の歴戦の艦娘とは言え、これはかなり無礼な振る舞いで、さすがにウォースパイトが険しい表情に変わり、一歩前に出る。時雨や五十鈴、鹿島も遅れまいと動き出す。そもそも我が物顔で作戦司令室に入ってきたと思えば、自分たちの指揮官を取り囲むとは何という不遜な態度か。
すっと上げた日南中尉の右腕に遮られるように、ウォースパイトは立ち止まることを余儀なくされた。一瞬だけ目線での会話が成立し、女王陛下はしぶしぶその場に留まる。日南中尉はすっと立ち上がり、動きに合わせるように加賀も真正面に立ちはだかる。
「………今回の作戦、本隊からの遊撃部隊も加え、三か所同時攻撃と聞きましたが?」
「そうです」
「赤城さんは貴方のことを随分買っているようですが…これは愚策でしょうに」
「必ずしもそうとは言い切れません」
「戦力の集中は基本中の基本、貴方はこれまでそうやって勝ってきたのでしょう?」
「ですが、やらねばならない時もあります」
「ふざけないで…貴方は赤城さんを何だと―――」
日南中尉の淡々とした返事にイライラを募らせた加賀は、つい語気を荒げてしまった。対する中尉は、一旦言葉を切り、加賀に柔らかく微笑みかけながら、はっきりと答える。
「赤城さんだから、こんな作戦を命じるのです。彼女でダメなら納得できます」
黒目がちな目を一瞬だけ大きく見開いた加賀は、小さく首を横に振りながらすっと横にずれる。
「心からの言葉…だと信じるわ。今は作戦に集中しましょう、勝たねば意味がない…」
往時の栄光と挫折、その全てを一航戦として共に過ごし、さらに艦娘として現界した今も、海に出れなくなった赤城を見守ってきた加賀。赤城は指揮官として日南中尉に信頼を寄せているようだが、聞けば今回の作戦はかなり無茶がある。そんな作戦に赤城を投入するなんて―――加賀は納得がいかなかったが、中尉にきっぱりとああ言われては黙るしかなかった。
「日南中尉、赤城航空隊、攻撃位置に付きます。突撃……開始っ!!」
張り詰めた第二司令部の空気を破るように、赤城から届いた鋭い声が開戦のゴングとなる。