それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 おにぎり。


進路調査
052. 『次』という言葉


 『最終目標は少尉自らが育成した艦隊で沖の鳥島沖を解放してもらいます。教導期間は一年間ですが、これはその長きに渡ってこの目標を達成できないようでは、私達を率いるに能わず、そう見極める時間と思ってください』

 

 司令部候補生として日南中尉がここ宿毛湾泊地に着任した時のオリエンテーションで、宿毛湾泊地の総旗艦を務める翔鶴からかけられた言葉。淡々と語られる口調とは裏腹に明確な意思の籠った視線で見つめられたのは、今でも忘れない。すでに教導期間も折り返しを過ぎ、残るは東部オリョール海海域と、最終目標となる沖ノ島海域―――。

 

 ふと当時のことを思い出していた中尉は、作戦司令室のざわめきで現実に戻る。秘書艦席では時雨が工廠と連絡を取っている。相変わらずマイペースな所もあるが、秘書艦として最近の成長は著しい。慌しい司令室内を余所に、見上げるといよいよ壮麗さを増し輝く玉座ではウォースパイトが脚を組みながら静かに読書をし、振り返ると通年仕様の冷暖炬燵でだらりとくつろぐ初雪と北上は、たらたらとトランプでダウトをして遊んでいる。二人でダウトって何の意味があるのか…と日南中尉が乾いた笑いを浮かべてしまう。自分が持っている数は、()()相手は持っていないという疑う余地のない事実…ゲーム性を全否定しながら遊ぶ二人の間では、大量のカードがいったりきたりしている。

 

 「日南中尉、艦隊が帰投したみたいだよ。今回も…残念だけど旗艦大破で帰還、だね…。明石さんと妖精さん達には港へ急行してもらうようにしたから」

 「そうか…分かったよ、時雨。ありがとう」

 差し出された制帽を受け取った中尉は柔らかく微笑み返し、時雨は照れくさそうにクネクネしながらにへらと笑い、それに合わせるように三つ編みのおさげが揺れる。中尉が制帽を目深に被ったのを合図に、二人は連れ立って港へと向かってゆく。

 

 

 

 「………ねぇ中尉? この作戦って―――」

 「言いたいことは分るよ、時雨」

 頭の後ろで両手を組みながらちらりと斜め前を行く日南中尉に視線を送った時雨だが、目深に被った制帽のせいで表情はよく見えない。ただそれきり無言になった所を見ると、中尉も決して安閑としている訳でなさそうだ。この状況が続くようなら、そもそもこの海域に進出した理由さえ分からなくなる。

 

 

 近海航路での輸送船団護衛作戦-通称1-6と呼ばれるExtra Operation(特務)に派遣している艦隊。とりあえず二度達成し定期的に発令される出撃任務『強行輸送艦隊、抜錨!』のクリアを狙ってるが、一度は成功したが二度目で躓き出撃回数が嵩んできた。集積された物資の回収が主目的のこの海域を舞台に、対空対潜能力の向上、さらには東部オリョール海進出に先立つ戦力の平準化…簡単に言えば、比較的低練度の艦娘を投入し練度向上を図っているが、状況は芳しくない。

 

 「二兎を追う者は、ってやつかな…」

 

 ぽつりと呟いた中尉の言葉に、作戦運用と育成の両立の難しさを目の当たりにしつつ、時雨もむぅっと難しい表情になる。任意対応海域の1-6に進出を決断した日南中尉だが、そこには艦隊運営の事情も反映されていた。

 

 前回2-2(バシー島沖)での広域殲滅戦は、作戦全体で見れば成功を収めた。だが、海域最奥部での敵主力との戦闘で敵航空隊の動向を見誤り、最後の最後で手痛い反撃を受け艦隊に大きな被害が出て、特に赤城の艤装の修理に多大な時間と資材を要することとなった。さらに宿毛湾本隊から出撃した翔鶴率いる遊撃部隊の消費資材も課金(チャージ)され、もっと言えば、試作の統合型指揮統制システムの開発費用も教導艦隊の予算から捻出している。

 

 損益(P/L)べースでのバランスは何とか取れているが、残り少なくなった教導期間から逆算して貸借(B/S)ベースを見ると、財政状況の悪化が懸念される。宿毛湾本隊から借入を起こすほどではないが、日南中尉は財政バランス改善のため、2-2以後はしばらく遠征に集中し、収支状況の好転を図っていた。その一環での1-6進出だったのだが…。

 

 -こればっかりは出撃してみないと分かりませんから…。

 

 1-6進出と参加させる艦娘についてアドバイスを求めた際、ゆるふわのツインテールを揺らしながら顎に細い指をあて微妙な表情を浮かべていた鹿島は、この状況を予見していたのかもしれない。

 

 

 

 『!すでのな』『おかえりなさい』などと書かれたヘルメットを被った妖精さんが資材や機材を抱え忙しく飛び回る港の一角の人だかりでは、工廠に搬送する前に、明石と夕張が損傷を受けた艦娘に応急処置を施している。あそこだね、と時雨と日南中尉が頷き合い近づいてゆくと、傷の治療に上がる悲鳴が聞こえていた。帰還したのは日向、涼月、皐月、文月、阿武隈、そして泣きそうな声を上げているのは、旗艦を務めた改風早型補給艦の一番艦、速吸である。

 

 「い、痛い! あぁ、大事な補給物資が…も、もう! …あ、ちゅ、中尉さんっ!?」

 

 慌てて立ち上がり敬礼で出迎えようとした速吸だが、痛めている脚に力が入らず、すぐにしゃがみ込んでしまった。さらに派手に破れた制服(ジャージ)から見えてしまう素肌を気にして体を庇うようにくるりと後ろを向き、首だけで振り返ると中尉に申し訳なさと恥ずかしさの混じった、泣きそうな視線を送っている。

 

 「ちゅ、中尉さんっ! えへへ…速吸、被弾には弱くて…ごめんなさい。でも次は…次できっと練度が…そうすれば、だから…」

 「いや、無理に立たなくていいから。それよりも、早く入渠を済ませてきてくれ。とにかく、次で…」

 

 だから…の後は言葉にならず飲み込んだ速吸は、夕張に支えられながらストレッチャーに乗せられると、すぐさま工廠へと搬送されていった。

 「…中尉、速吸さんはああ言ってるけど、資源獲得のための作戦がこれじゃ…。次はやっぱり…」

 「…けどね、彼女は自分たち教導艦隊のために自分から協力を申し出て頑張ってくれている、何かいい手はないかな、と思うんだ」

 

 

 宿毛湾本隊の非戦闘艦娘の中で、着任が新しい速吸の練度はさほど高くないが、あと少しで改装可能な水準に到達する。それでも紙装甲と低回避なので被弾即大破のリスクを抱えたままなのは変わらないが、艦上攻撃機の運用が可能になり、通称『流星拳』と呼ばれるほどの攻撃力を獲得、局面が大きく変わる。

 

 だが、彼女は貸与艦である。

 

 貸与にはふた通りの意味がある。一つは海域突破のための臨時戦力で作戦が終われば本隊へ戻る。もう一つは転籍を前提とし、一定期間後に艦娘の合意の元で完全転籍が果たされる。前者なら一時的な所属で改装を教導艦隊で行う必要はない。

 

 ー私達艦娘は『今』と『過去』の両方を生きてます。戦船として戦い、破れた過去を下敷きにして甦って、新たな時代でも戦っています。そんな私達に『戦うな』って言うのは、ちょっと残酷かなあ、って…。私は補給艦でとっても弱くて、でも、もし目の前で仲間が深海棲艦に攻撃されたら、絶対に戦います。自分の身を犠牲にしてでも守りたいですっ-

 

 それはある日、迷いの中にいた当時の中尉の目を覚ますきっかけとなった、速吸が日南中尉に語った胸の裡。その言葉の通り、彼女は教導艦隊のために自ら参加してくれた。その一方で、多くの艦娘が知っているように、日南中尉への憧れや転籍への期待が無いと言えば嘘になるだろう。

 

 そしてあと一歩まで来た改装までの水準。貸与艦に改装を施す意味、それは受け入れ先が貸与された艦娘の将来に責任を持つことを意味し、完全転籍への意思表示となる。その鍵は日南中尉が持っていて、彼が改装を指示すれば速吸は拒まない、というよりむしろ期待しているのだろうが、果たして―――。

 

 「装備、指揮…きっと見直すべき点はあるはずなんだ。次で必ず…」

 

 速吸を見送る日南中尉の横顔を、時雨は以前には見せたことのない厳しい表情で見つめていた。

 

 -次でダメなら…いったん速吸さんを外して編成を見直した方がいいと思うんだ、うん。秘書艦としてはこれ以上の資源消費は避けたいよ。その後は、僕が出てもいいかな…対空も対潜も得意な方だと思うんだけど、な…。

 

 

 

 『次』という言葉に続く三者三様の思いに答えがないまま、1-6進出は延期が決定されることとなった。桜井中将から日南中尉に命じられた呉への出張業務のためである。

 

 それは呉鎮守府で西日本の拠点向けに開催される『第三世代技術運用展示会-駆逐艦編』への参加。海軍を構成する複数の統括部門のうち、参謀本部と技術本部が共同主催するこのイベントは、艦娘の最新運用技術についてのエキシビジョンで、今回は駆逐艦に関する技術展示が中心という。

 

 羅針盤に左右されない航路を辿れる1-6は、進軍自体に困難は多くない。問題は道中での大破撤退をどう防ぐのか-速吸を旗艦に据え、低練度の駆逐艦を中心に編成する艦隊で達成を狙う日南中尉は、この展示会が何か参考になるかも知れない、との思いで、彼にしては珍しく飛びつくように判断をくだした。

 

 そんな自分の振る舞いに気付き、照れくさそうにソファに腰を下ろした日南中尉を温かく、眩しそうに目を細めて見ていた中将は、杖をついて立ち上がると執務机に向かい、事前に送られていた参加案内を取り出すと中尉に差し出した。

 

 「私が行くよりも、これからの海軍を担う君のような若手に行ってもらう方がいいと思うんだ。案内によれば、同行させていい艦娘は原則一名、最大でも二名とのことだ。技術展示会ということでもあり、夕張か明石のいずれかを同行させるが、それは構わないだろう? あと一名の選定は君に任せる、出発の前日までに決定し報告すること、いいね。ただ、時雨は同行者から外すように。私からはそれだけだ。会期は二日間、一泊二日の出張になる。教導艦隊の有事指揮権は無論私が持つが、通常時の代行指揮命令系統を設定して併せて報告するように」

 

 「中将…なぜ、時雨だけを同行者の候補から外すのか、理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

 あまりにも淡々とした、それでいて違和感のある内容。出張の内容や目的も納得が行くもので、同行者はこれから考えるにしても、時雨の件は理由に見当が付かない。

 

 「時雨には私から直接頼みたい仕事があってね。これはいくら君にでも内容は明かせない。直命として理解してもらえるかな」

 

 柔らかく微笑み返しながら、中将の目は笑っていない。これ以上の質問は無意味、とすぐに日南中尉は悟り、消えない内心のもやもやを隠しながら席から立ち上がり敬礼の姿勢を取ると、くるりと踵を返し退出する。ばたり、と重い音を立てドアが閉まるのを確認したが、桜井中将は表情を崩さない。

 

 「教導期間も中盤を超えてきたからね、その先のことを決めるために艦娘達の進路調査を今から始めないとならなくてね。この機会を利用させてもらうのだが、悪く思わないでくれよ」

 

 そして執務机の背後の窓から外を眺める中将はぼそりと呟く。

 

 「…一名だけ同行者を選ぶ、というのは海域攻略より大変ではないのか、日南君…健闘を祈る」


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