それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 白い子、出張。あと明石も。


054. 数字の裏にある思い

 呉鎮守府-横須賀とともに兵器開発、造船の最重要拠点として帝国海軍時代には最前線であり続けた。時を経た現在、設備の全てを艦娘の運用に特化させ一新されたが西日本の最重要拠点なのは変わりなく、精強な海の守護者として君臨する基地である。

 

 到着した日南中尉と涼月、そして明石の三人は、世界をリードする先鋭的な技術とは対照的に、赤褐色の煉瓦と御影石で作られた重厚な美しさを誇る建築物群の間を抜け、目的の『第三世代技術展示会』会場となる大講堂まで歩いている。

 

 そして呉の西方沖合には、日南中尉が兵学校時代を過ごした江田島がある。築地にあった前身となる海軍操練所が明治期に移転し、以来帝国海軍、自衛隊を経て現在まで、時代を超え海軍を支える人材を輩出し続けている。ちなみに江田島が兵学校の所在地に選定された理由は、軍艦の錨泊が出来る入江があり、教育に専念できる隔離された環境で、かつ気候が温暖で安定しているからとのこと。

 

 

 ―――などという他愛もない話が、少し離れて前を歩く日南中尉と涼月の間で交わされているのを、後ろから眺める明石はつまらなさそうに聞くしかなかった。

 

 「呉方面(こっちのほう)に来たのは久しぶりでね。卒業してからそんなに経ってないけど、なんだか懐かしいよ」

 「そうなんですね…。中尉が青春の日々を過ごされた兵学校が近くに…」

 「青春の日々って…自分は今も若いと思うんだけど」

 「クスッ、でも学生時代の中尉は…きっと、モテました、よね…?」

 「兵学校は男ばかりだし、江田島に隔離されていたようなものだからね…。出会いなんてなかったよ」

 

 並んで歩く二人は、肩が触れるか触れないかの微妙な距離感。ちょっとした()()()()()()手と手が触れてもおかしくない。そんな不自然な自然さを求めて、躊躇いがちに涼月の手は微妙な動きを続けているように見える。

 

 明石から見れば、涼月方面から中尉方面に濃い空気が流れ込んでいるのがはっきり分かる。初夏の日差しに煌めく銀髪を風に揺らし、前髪越しに中尉を見上げるようにキラキラした瞳で視線を逸らさない涼月は、贔屓目無しに可愛らしく、嬉しそうである。時雨や村雨、鹿島あたりが見たら嫉妬でゴゴゴ…するのは間違いなさそうだ。明石自身は日南中尉をよく知っているとは言えず、基本は業務上のやりとりである。けれども聞いた話では、時雨とは国内災害復旧支援派遣で出会い、ウォースパイトとはキール留学中に何やらワケありになり、そして出張中の呉つまり目の前では涼月と現在進行中…外出先だと、この人は無自覚にモテ力を解放(卍解)しちゃうのかも…そう明石は観察し、すっと左手を耳元に寄せる。

 

 「こちら『鉄骨番長』…状況は、お知らせした通りです。涼月ちゃんの火力も相当ですが、それを遥かに上回る日南中尉の火力、生で見ると相当すごいですねー」

 

 ピンク色の髪に隠していたインカムを動かし口元にあて、ぼそぼそと呟く明石。コードネーム鉄骨番長を名乗る特務員(エージェント)、それが明石の非公式な役目。中継先は、言うまでもなく教導艦隊の艦娘たちが詰めている多目的ルームである。明石と涼月の出張同行が決まった際、多くの艦娘が脅威を感じたという。無論、明石にではなく涼月に。そして留守番組は工廠に押しかけて明石と間宮券を材料に交渉し、現場状況の定期報告と大破(あやまち)ストッパーの役割を担ってもらうことに成功したのだった。

 

 

 

 一方同じ頃、宿毛湾泊地第二司令部作戦司令室、要するに日南中尉の執務室では、秘書艦の時雨が分厚いファイルの束をどんどんと執務机に積み上げている。

 

 「えっと、これで頼まれた資料は揃ったと思うんだけど…、どう、かな?」

 

 はぁっと溜息を盛大につきながら、ぼんやりと天井、天井から窓、窓から遥か呉へと思いを馳せる時雨に、目の前に座り大量のファイルを受け取った監査担当の艦娘が、にこやかに笑いかける。

 「時雨ちゃん大丈夫? さあ、頑張りましょうね、これからが本番ですよ」

 

 割烹着に赤いリボンとヘアピンが特徴の朗らかな雰囲気、何気にかなりなボリュームの胸部装甲…言わずと知れた給糧艦の間宮がここにいる。宿毛湾の間宮と言えば、海軍でも指折りの甘味処として名を知られているが、もう一つの顔は宿毛湾泊地全体を管轄する内部監査員(オーディター)である。卓越した和菓子職人にして臨床心理学のエキスパートでもあり、さらに財務会計や兵站管理にも造詣が深い間宮は、拠点運営の客観的な評価を担当する、ある意味で最もシビアなお姉さんだったりする。

 

 往時の間宮も強力な通信設備を搭載し、寄港先で密かに各艦の通信状況を傍受監視、不良通信艦の摘発や通信技量の測定などを行う無線監査艦という顔も持っていた。間宮に摘発された不良艦は後日艦隊司令部に呼び出され、こってり油を絞られる羽目になったという。

 

 そのシビアなお姉さんは、普段は時雨が座る秘書艦用のデスクにぐいっと体を近づけて座り、手元近くまでラップトップを寄せ、左側に積まれたファイルを繰りながらPCの画面に表示させるファイルを次々と切り替えて、交互に確認を続けている。

 

 「すご…い、あれでよく見えるものだね…」

 どーんとデスクの上にオーバーハングしている巨大なバルジのせいで、間宮が視線を下に向けても手元はろくに見えないはずである。それでも何の問題もなくPCの操作を続け資料の確認を続けている。時折質問を受けたり追加の資料を頼まれたりしたが、これまでのところ順調に監査は推移しているようだ。ふう…と軽くため息をつき、間宮が両手を挙げて大きく背伸びをする。強調されている箇所がさらに強調される。

 「すご…い、あれなら確かに肩も凝るよね…」

 

 時雨の呟きに気付いたのか気付かないのか、間宮がにっこりと笑いかける。つられて時雨も微笑みたくなるような、そんな朗らかで明るい笑顔で、間宮は言葉を選びながら慎重に話を始める。

 

 「少し休憩にしますね。監査結果は私から報告書を桜井中将にお出ししますので、ここではお話できないの、ごめんなさい。でも、臨床心理士(CCP)としては、とても興味深いことが分かったので、少し時雨さんとお話がしたいと思います」

 

 時雨がきょとんとした顔で間宮を見つめ返す。質問に答えただけで、時雨と間宮は特別込み入った話もしていない。なのにどんなことが分かったのだろうか…と時雨も興味津々で、予備のキャスター付きの椅子に腰かけると、しゃーっと床を走らせ間宮のすぐそばまでやってきた。そんな時雨を柔らかく見守っていた間宮の視線が再びラップトップに戻る。

 

 「司令官と秘書艦の管理業務の大半は、資材や資源管理、戦績分析などに伴うものですから、扱うデータは膨大なもので、決して簡単な業務ではありません。日南中尉ご自身が元々数字に強いタイプなのでしょうが、彼のデータ管理はかなり高いレベルで整合性の取れた、見ていて気持ちのいい内容でした。ですが―――」

 

 ですが、に続く言葉を時雨が待つ。

 

 「ある時点からファイルの作り方が変わりましたね。何か、心当たりはありますか?」

 「心当たりは、ないかな…でも、いつだっけ…あぁそうだ、確か…南西諸島海域に進出したあたりかな、色々システムをいじってた、かな」

 

 「なるほど…戦場に出ることと管理業務の両立は決して楽ではありませんから、少しでも秘書艦の負担を軽くしようという、中尉のお気持ちがそのまま形になっているようですね。一見シンプルに見えて使いやすく、それでいて裏側では緻密なデータ処理を可能にするプログラムの走るファイル…大切にしてもらってますね、時雨さん。例え中尉が言葉で言わずとも、あなたの働きやすさと高度なデータ処理を両立しよう、という配慮が隅々に感じられます」

 

 

 そっか、そうなんだ…と、時雨は照れて真っ赤になった頬をぽりぽりと掻くしかできずにいた。こういうのは他人に言われる方が効果絶大である。だが、時雨が照れている間に、間宮の表情は少し冷めたように変わる。自分が言葉に込めた意味に、時雨が気付かなかったことへの軽い失望とそれでも説いて聞かせる優しさの入り混じった複雑な色。

 

 「…いくら日南中尉が優秀でも、相当忙しいと思いますよ。本来自分を補佐してくれるはずの秘書艦の仕事を減らすための仕事を増やしてるのですから。…時雨さん、あなたは日南中尉が秘書艦に、いいえ、自分の一番そばにいる艦娘に何を望んでいるのか、考えたことがありますか?」

 

 「え………」

 

 時雨は完全に言葉を失ってしまった。淡々と、それでいて核心を付く間宮の言葉。自分のことを見てほしい…教導艦隊に艦娘が増えるにつれ、そんな思いばかり募っていった。思いが募るほど、自分のことばかり考えるようになってたかも知れない。見ているつもりだけど、僕は中尉の事をちゃんと見てないのかな? 間宮さんの言葉が、ちょっと…ううん、すごく痛い、かな…。それでも何か言わなきゃ…中尉が望むのは…。

 

 「え………と………おにぎり、かな」

 

 僕には失望したよ、何でよりによってこんな事しか言えないかな…。焦っていたとはいえ自分の口から出た言葉に、時雨はほとんど泣き出しそうな表情でがくっと項垂れてしまった。

 

 「これからちゃんと中尉と向き合っていけばいいと思いますよ。さぁ時雨ちゃん、間宮特製の羊羹でも食べませんか? 一息入れて、続きに取り掛かりましょう、ね?」

 

 

 

 「それで、あなたの方がいかがでしたか?」

 

 ことり、と執務机に湯呑を置いた翔鶴が、ヒアリング結果を取りまとめている桜井中将に話しかける。目的語の無い曖昧な質問の意図を質すでもなく、ラップトップと睨めっこしていた中将は、隣に立つ秘書艦に向かい、肩を少しだけ竦めて軽口を叩くように問いに答える。翔鶴としても訊いてはいるが答は分かり切っているようなもの。ただ、それでも一応聞いておきたい、という風情で中将の言葉を待つ。

 

 第一次ヒアリング―――教導過程が後半に差し掛かった時点で行わる、教導艦隊に所属する艦娘への進路調査。司令部候補生は、教導過程を無事修了した後は、いずれかの基地の拠点長として正式に任じられる。その時が来たと仮定し、その艦隊への配属を希望するか否か、現時点での意向を確認するというもの。もちろんそれだけが目的ではなく、艦娘と話し合う過程で得られる情報を元に、育成方針の見直しや改善点の洗い出し、場合によっては不法行為の発見など、これも教導艦隊への評価と監査の一部を兼ねている。

 

 「今回のヒアリングは犯人を知っている推理小説を読むようなものだからね、進路調査というよりは、単なる確認作業といった感じで、時間もほとんどかからなかった。()()全員、日南君についてゆきたいそうだ。目立った問題も話題に上らなかったし、着任当初の不安定さを考えれば大きな進歩だと思うよ、これまでの所は」

 

 「ほぼ、ですか?」

 

 翔鶴が不審気に眉を顰め表情だけで問い返す。桜井中将はぎいっと音を鳴らしながら背もたれに背中を預け、翔鶴を見上げるようにしてその疑問に答える。

 

 「ああ…態度保留、という子がいてね、決められない自分に戸惑っている様子だった。艦娘にとって、進路を自分で決められる数少ない機会なんだ、焦る必要はない、よく考えればいいんだよ」

 


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