陽炎型もいいよね。
始まった立食パーティでの懇親会、改めて見渡してみると、ホールに集う参加者に対し、この展示会を企画主催する参謀本部と技術本部から派遣された文官や技官の多さが目に付く。技術本部の担当者が
アルコールに強くない日南中尉はオレンジソーダを飲みつつ、隣に寄り添う涼月に視線を送る。往時の記憶が齎す懐かしさと、自分たちを旧型と定義づける線引きへの怖れの両方が入り混じった視線で、ホール内を動き回り立ち止まり話し込む雪風・磯風・浜風の三名を、涼月は目で追いかけていたが、気を紛らわすように両手で持ったグラスを傾けこくりと一口飲み小さな溜息を零す。
お茶を探していた涼月は、おいしいから試してみたらと中尉に勧められたアイス抹茶オレに、彼女らしいやり取りを経てすっかりはまってしまった模様。
-こんな贅沢、いいのでしょうか…。贅沢に慣れてしまうと…いざというときに…。
-抹茶オレの一杯も飲めない『いざ』が来ないよう、自分たちが頑張らないとね。
軽い苦笑いを浮かべた中尉が差し出すグラスを、躊躇いつつ受け取り口を付けた涼月は、奇麗な空色の瞳を大きく見開き、ぱぁっとした表情に変わり、それ以来グラスを手放さずにいる。
涼月が三人から目を離さないように、日南中尉も涼月を見つめていた。世代を分けるほどの明確な違いを、涼月とあの三人の間に見いだせない。技術畑ではない日南中尉だが、それでも彼らしい視点で考察していた。そもそもなぜこんな展示会とそれに続く懇親会が必要なのか? 技術本部の担当者は『支持拡大』と言っていた―――。
-そのまま出せば支持されないものの普及を狙っているということか…?
きゅっ。
涼月に上着の裾を掴まれた日南中尉は、はっとする。深く考え込んでいて、目の前に誰かが来ていることに気付かなかった。視線を前に向けると、すぐさま背筋を伸ばし敬礼の姿勢を取る。というより、目の前に来られるまで気付かなかった時点で失態である。
「ああよい、気にせずとも。桜井は息災か?」
滑らかな仕草での答礼とともに、鷹揚な口調で宿毛湾泊地を治める桜井中将の様子を尋ねてきたのは、秘書艦を伴い現れた
定年を超えた年齢だが、艦隊本部からの要請で提督職と海軍大学校で非常任の戦術顧問を兼務している。風貌は好々爺然とした小柄な老体だが、いざ艦娘の指揮に当たると精強を謳われる呉の伝統を受け継ぎ、『藤崎の辞書に退却はない』と言われる猛将として知られる。
直立不動の姿勢で日南中尉が桜井中将の様子を説明すると、藤崎大将はうんうんと頷きながら、中尉にとってあまりにも意外なことをぽろりし始めた。
「桜井もよき将官に成長したな。佐官の頃は気に食わない将官にヘッドバットくれるようなヤツだったが…なに、年寄りの余計な戯言だ。それより中尉、前回の作戦…バシー島沖での多方面同時殲滅戦、見事な手際だったな、詳しく聞かせてくれないか」
◇
「つまり敵は
そもそもC4ISTARの源流は米軍の情報処理システムであり、部隊の統制や火力の効率的な発揮、つまり、いかに効率よく敵を殲滅するかを追求したものである。藤崎大将にとって、中尉の行動は『攻撃は最大の防御』以外の何物でもない。そんな彼は、教導艦隊に所属する艦娘達の多くの目には、自分たちが傷つくのを嫌い、それでも避けられない戦いのため作戦とITを駆使して最大限共にあろうとする、繊細で思いやりのある指揮官…そう映っている。
ただ、一部の艦娘が知る、中尉が胸の奥底に秘めた深海棲艦との戦争を和平に導きたいという途方もない夢。物事の優先順位からすれば、その夢の実現ははるか先、過程にあるのは、共にある
葛藤を飲み込みながら艦娘を守ろうとしている自分は、他者から見ればロジカルに深海棲艦の殲滅を図るクールな武闘派…という矛盾に、藤崎大将の背中を見送る中尉は端正な表情を歪め、唇を噛み締めてしまった。そんな苦悩の時間は、唐突に上がった大声に否応なしに中断させられる。
「これだから素人はっ! どいつもこいつも分かってませんねっ」
「第三世代では、兵器に不要な『感情』を、ゼロではないにせよ、極力抑制しています。『より人間らしく、より女性らしく』を追求した第二世代は、兵器というよりむしろ芸術品です。どれほどの時間と資材を費やし高練度まで育て上げるのですか? その間にどれだけ深海棲艦の跳梁を許せば気が済みますか? 第三世代モデルは、誰が使っても命令への追従性100%っ」
突然上がった大きな声に注目が集まるが、武村少佐は自己陶酔しているのか、一瞬の沈黙の後、演説のように滔々と語り続ける。
「さ・ら・に、第三世代には練度や成長という概念がありません。建造時で完成形、あえて言えば練度六〇程度で現界、性能は100%を発揮っ! 現状では第二世代の艦娘の練度上限には届きませんが、これは技術の成熟とともに解決されます。着任と同時に練度一六五も将来には実用化可能でしょう。大切なのは、艦娘からの信頼感ではなく、艦娘の兵器としての信頼性ではないですか? 限られた
話にならない。何のための説明なのか。それでも一旦火が付いた技術少佐の舌は回り続ける。その間に、二人の艦娘-磯風と浜風が日南中尉の方へと近づいてくると、目の前でぴたりと立ち止まり、中尉をじいっと見上げている。
右目を隠した銀髪のボブヘアーが特徴的な浜風と、黒いストレートのロングヘアーの磯風。二人とも紺と白の前止め式セーラー服とグレーのプリーツスカートを組み合わせた制服…見れば見るほど自分の知る艦娘との違いが分からない。だが間近で見たことにより、日南中尉は違和感を覚えた。
「どうした? 言いたい事があるなら遠慮するな。何が言いたい?」
「聞きたいことがあるなら、お答えできるよう、前向きに、検討し、努力、します」
無表情のまま淡々と語られる言葉に、日南中尉は返す言葉に詰まってしまった。涼月に至っては両手で口を覆い、目にうっすらと涙を浮かべている。
『いる』のではなく『ある』。
日南中尉の違和感を言葉にすれば、そういう感覚。質量のある、物理的な意味で勿論そこに存在するが、肌の温もりや意思の輝き、喜怒哀楽を織り重ねた命の重さを二人から感じられない。中尉の目の前に立つ磯風と浜風には、一切の表情がなく、美しい人形が動き回っている、そんな風にさえ感じさせる立ち居振る舞い。
「あの…君たちは…」
「次はあそこの若造と話せ、との命令でな、だからやってきたのだ。さぁ、何でも聞くがいい。この磯風、相手になってやろう」
命令を待つように瞳を覗き込んでくる磯風だが、その整った顔貌に一切の表情がない。日南中尉は、ふと心に浮かんだことをそのまま口にしてみた。
「…『広島れもん鍋のもと』って、どこで買えるか、知ってるかな? 教えてもらえると助かるんだけれど…」
「なんだそれは? むぅ…いや、だが…この磯風に戦闘以外の事を期待されても…努力はするが…。それにしても、そんな事を聞いてきたのは貴様だけだ。助かる、と言ったな…それを知れば貴様は…助かるんだな、そう、か…分かった…」
宿毛湾を出る前に初雪に頼まれたお土産について、中尉は磯風に質問した。軍務以外の話にどう反応するか、少しでも感情を動かせないか期待しての言葉だったが、反応はなんとも言えないものだった。一方、涼月は必死な表情で両手を浜風の肩に掛け、呼びかけていた。
「浜風…さん、なんですよね? ほんとうに…? 坊ノ岬のこと、覚えて…?」
「っな、なんですか? 何か、私の兵装に、何か?」
浜風も言葉とは裏腹に一切の表情がなく、その様子が涼月を余計に悲しませ、苛立たせる。
「私たちは…今の私たちは…誰を守るのか…誰の元へ帰るのか…自分で選べる可能性が…ある。それはとても嬉しくて…心が温かくなること…。なのに…なのに…」
それ以上涼月は言葉を続けられず、肩を震わせて泣き出してしまった。その姿を、依然として無表情のままで見つめる浜風だが、一言だけぽつりと呟いた。
「守り…抜きます…。何を…誰に誓ったんだっけ?」
「ああもう、雪風が緊急メンテの必要な状態になったと思えば、貴方がたは勝手にっ! …そうか、
演説を終えた武村技術少佐は、磯風と浜風がそばにいないのに気づき、づかづかと足音も荒く慌てて駆け寄ってきたと思うと、乱暴に涼月と浜風を引き離し、突き飛ばされたような格好になった涼月は、そのまま力なく床にへたり込んでしまった。その様子を見た日南中尉は顔色を変え武村少佐に詰め寄るが、当の少佐は意に介さず言いたいことを言い募り、磯風と浜風を連れて立ち去った。
「雪風は技本で建造し、
感情の抑制と規格の統一、それは艦娘の完全な兵器化への道、とも言える。日南中尉が宿毛湾で過ごした日々を通して得た、艦娘と向き合い共に歩む道とは対極にある在り方。そしてそれを是とする一派が軍の中枢にいる事実を前に、中尉は愕然としながらも、心の内から沸々と沸き上がる感情-怒りを必死に抑えていた。
-戦争なら…何をしてもいいのか? 感情を…心を殺して戦わせる…彼女達を何だと思ってるんだっ!!