それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 兵器。


057. 長い夜

 「ったく、あの武村…今回のイベント、仕切りとしちゃ最悪の部類だぞ」

 

 宿舎の一室で報告書を作成している一人の男。短く刈り上げた髪、真っ黒に日焼けした精悍な顔貌、軍人より軍人らしく威圧感がある筋肉質の体躯…この展示会での参謀本部側の責任者となる橘川 眞利(きっかわ しんり)特務少佐である。参謀本部と技術本部が合同主催するこの展示会、参謀本部側でも相当力を入れ、異例の事だが大手広告代理店のマーケティング部門からこの男を徴用し(引き抜き)担当に当てている。実際、この男を中心に参謀本部が仕切り横須賀で開催された前回のイベントは評判も上々だった。だが技術本部から“分かってない”“演出過多”とクレームが付いた。

 

 典型的な艦娘主導(プロダクトアウト)-製品が良ければ必ず売れる-の技術本部の発想は、橘川特佐からすれば時代錯誤も甚だしい。そもそも良し悪しを決めるのは作り手ではない。それに支持拡大のためのイベントなのだから、『試してみたい』と現役の提督(ユーザー)の支持を得られねば話にならない。現在の作戦運用体系の支援戦力、あるいは遠征要員として導入を検討してもらうこと、現時点ではそれだけで大成功と考えていた。だが、第三世代の開発陣にとっては、現在の艦娘を主とし、自分たちの手掛けた新型を従とするアプローチが納得できなかったらしい。強行に今回の展示会を仕切る事を主張し開催に漕ぎつけたのだが―――。

 

 

 横柄ともいえる態度で今日のイベントを担当した技本の武村少佐に毒付いた橘川特佐は、自室のベッドで横たわる雪風に視線を投げかける。

 

 武村少佐のメンテナンスの後、技本のラボを抜け出し鎮守府内を彷徨い歩いた雪風は橘川特佐と鉢合わせた。夢遊病のように無表情でふらふらし、呼び掛けても反応のない雪風を橘川特佐は放っておけなかった。技本側に知らせるのが筋だが、あの武村少佐には任せられない。パーティ中に倒れてメンテナンスをしたというが、雪風の不調は一目瞭然だ。偶然であり成り行きであり、こんなことをすれば技本側からどんなクレームが入るか分かったものではない。それでも橘川特佐は雪風を自室に匿った。

 

 「雪風は…沈みません…」

 雪風は、ベッドから弱々しく、それでもにぱっと笑顔を送るが、調子は良くなさそうだ。ノックの音に待ちかねたようにドアへと向かった橘川特佐は、来訪者を伴ってベッドサイドへ近づくと、雪風の頭を撫でながら、つい零してしまった本音を打ち消すように、慌てて言葉を掛ける。

 「俺の娘も深海の糞野郎に殺されてなきゃ、今頃はお前くらいの齢だったんだよなぁ…。ほ、ほら、お前を診に…宿毛湾のやつだっけ? ま、呉や技本じゃなきゃ誰でもいいけど、とにかく明石が来たからもう安心だぞ」

 

 立食パーティ中に多少言葉を交わし知り合った程度だが、橘川特佐からの連絡を受けた明石は駆け付けると、すぐさま雪風の容態を確認し必要な処置を手早く始めた。技本の新型をあっさり直すんだから、この明石は相当優秀なんだろうと、橘川特佐は社交辞令も含め少し大げさに技量を持ち上げたものの、帰ってきたのは冷ややかな視線と吐き捨てる様な言葉だった。

 

 「この程度の調()()なら、私でもできますよ。感情(ある物)を押さえつけ、反応速度(ない物)を無理に引き出す…第三世代なんて仰々しく銘打って、やったことは生体部分のセーフティマージンを無視した乱暴なセッティングですかっ!?」

 

 道理でテクニカルノートが事前配布用の資料に無かった訳だ、と橘川特佐は顔を歪める。イベントは実施して初めて実績になり、実績は次の予算を生む。上層部からのプレッシャーに成果を焦った武村少佐達が、無理矢理第三世代として、既存の艦娘のマイナーチェンジ版をブチあげたのが事の真相だろう。前回のイベントは導入後のメリットにポイントを置いたからボロが出なかったが、今回は技本自ら仕切ったことで技術中心の展示にしてしまい、文字通り墓穴を掘った結果になった。

 

 「そうか…俺はプロモーション担当なんでね、技術的なことは分らんよ。とにかく、雪風を元気にしてやってくれ。この部屋は好きに使ってくれていい。じゃ、そういうことで!」

 

 逃げるように、いや、橘川特佐は実際に逃げ出した。明石の怒りにも雪風の視線にも耐えられなかったのもあるが、この状況は報告しなければならない。疲れた表情を浮かべながら独り言を呟いた橘川特佐は、再び携帯でどこかに連絡を取り、民間臭さの抜けない口調で話し始めた。

 

 「にしても()()()()()()も意地が悪いよなぁ。話の通りなら、最終的には艦娘も技本もお払い箱にするつもりのくせに、その手伝いをさせてんだからよ…。けど、そんな日が来たら、あいつらはどうすんだろうな? ………あっ、お疲れ様です、橘川でございます―――」

 

 

 『戦争を人間の手に取り戻す』―――それが橘川特佐の言うスポンサーが密かに進めるプロジェクトの旗印。聞かされている以上に裏がありそうな話なのは間違いなく、資金力や政治力を考えると、軍に相当の影響力を持つ外部か、あるいは軍の上層部、それも相当上のレベルでの関与を疑っている。ただ、自分も所詮は駒の一つと割り切る彼は、それ以上の詮索をしなかった。

 

 「―――それでは、明日のイベントは中止ですね。これ以上技本では仕切れませんよ。雪風だけならまだしも、そんな事まで起きたのでしたら。ええ、その方が事後処理はスムーズです。ええ…はい、現場の動きは私から逐次ご報告申し上げますので。それでは、はい、失礼いたします」

 

 そんな事―――鎮守府を抜け出そうとした磯風が取り押さえられたという、技本の面目が丸潰れになる事態に、日南中尉も関わってゆくことになる。

 

 

 

 時間軸は荒れた懇親会が終わって来場者が宿舎に戻った後で、橘川特佐が雪風を保護したあたり、明日の技術実証試験や演習の中止が発表される前まで遡る。

 

 ベッドサイドの間接照明だけが陰影を作る室内で、日南中尉はベッドに横になり、ぼんやりと天井を見上げていた。身じろぎ一つしないが、頭の中はフル回転し、同時に波立つ感情も抑えようとしている。

 

 全ての事象には理由や目的があり、それに沿って性能は定義され形が決まる。

 

 なら艦娘は?

 

 最先端のバイオテクノロジーと最深淵のオカルトロジーを融合し生まれた、女性の柔らかさに鋼鉄の暴力、そして濃やかな感情を持つ、人の現身にして人と異なり、人との絆の強さに比例して成長する存在。

 

 第三世代と呼ばれる艦娘は、艦娘を艦娘足らしめる要素を削ぎ落してなお、艦娘を名乗らせようとしている。

 

 懇親会での武村少佐との会話で、『そこまで艦娘の()()()を否定するなら、男性型とか機械そのものにすればいい』と反駁した提督がいた。建造設備を一新せねばならず、そんな莫大なコストはかけられない、という回答に、質問者は苦笑いを浮かべつつ納得していた。それはある部分での正解だろう。

 

 -つまり、戦闘以外にも艦娘に感情が必要な理由がある、ということなんだろうな。それが何か、今の自分には分からないけれど…。

 

 

 こんこん。

 

 まとまらない思索の海に溺れかけていた日南中尉を解き放つようにドアがノックされる。怪訝な表情で上体を起こした中尉だが、ノックの仕方で来訪者は涼月だと見当はつくが理由が思いつかず首を傾げる。何でこんな時間に?

 

 もう一度ドアがノックされたことで、中尉はベッドから降りるとドアに向かい歩き出す。静かにノブを回しドアを少し開けると、予想通り涼月が立っていた。予想外だったのは、パジャマに灰色のケープコートを羽織った姿。湯上りなのだろう、上気した頬に乾ききっていないセミロングの髪がひどく艶めかしい。

 

 「…中尉…遅い時間に…済みません…」

 「あ、ああ…。今じゃないとダメかな? 明日にでも―――」

 「…今じゃないと…ダメな、お話…です…」

 

 自分を見上げる思い詰めた色をのせた空色の瞳に逆らえず、中尉はドアを大きく開き涼月を室内に迎え入れる。取り敢えず照明を付けようとドアから伸びる通路脇の操作盤に手を触れた中尉だが、誤って全消灯してしまった。

 

 「すまない、すぐに照明をつけるから」

 ふぁさっと柔らかい布の音が聞こえた瞬間、中尉の背中に柔らかく温かい体が押し付けられた。寄り添うとか触れるとかではなく、はっきりとした意思で涼月に抱きしめられた。

 

 「す、涼月…? 一体何を…は、話があるんじゃないのか?」

 「はい…大事な…とても大事なお話…」

 日南中尉を抱きしめる涼月の腕に力が籠る。鈍感系でも勘違い系でもない中尉には、何を求められていて、しかも背中に押し付けられる感触から、涼月がどういう格好なのか容易に分かってしまう。ただ、何で突然こんな行動に出たのか―――? 涼月の告白が、彼女の、艦娘の切なさを物語り始める。

 

 「明日の技術実証試験…私を参加させるおつもり、だったのですか? …私も艦娘…強くなれるなら、それは嬉しい事……。でも、磯風さんや浜風さん…彼女達のように、私も…何も感じなくなる…私のこの想いも…無くしてしまう、のでしょうか…? 中尉が望むなら…それでも…涼月は…はい…。ですので、一つだけお願いが…。今の私……中尉の事を好きな私が私でいられる間に…中尉の全てを…涼月に刻んでください。そして…涼月の事を…忘れないで…」

 

 堪らずに日南中尉は涼月の腕を振りほどくと、色々見ないように視線を逸らしながら正面から強く抱きしめる。あっ、と短く声を上げ、一瞬身を固くした涼月の耳元で、日南中尉は自分の思いを明かす。答えであり問いでもある、偽りのない言葉で。

 

 「君たち艦娘がどういう存在なのか、自分は答えられない、ごめん。でも、技本の連中の言う事は、自分には受け入れられない。君と…君たちと重ねてきた時間と、これから重ねる時間を無かった事に…自分は、できない」

 

 二人は一瞬だけ視線を合わせる。潤んだ瞳を隠すように目を閉じた涼月に日南中尉が思わず息を飲む。そして―――。

 

 

 「日南中尉、日南中尉っ!! 駆逐艦磯風に対する脱走教唆の疑いで出頭を命じるっ! ただちにドアを開けるようにっ」

 

 激しくドアが殴打され続け、怒鳴り声が聞こえる。唐突に割り込んできた蛮声に、二人は我に返った。小さな叫び声をあげ雪より白い肌を真っ赤に染めてしゃがみ込んだ涼月に、日南中尉は慌てて着ていた第一種軍装の上着を脱いで涼月の体を覆い、身振り手振りで隠れるように指示をする。涼月がダッシュで部屋の奥に行ったのを確認してからドアを開けた中尉は、特別警察隊に連行されていった。

 

 

 

 「おお、日南中尉か。無事なようだな。この磯風、不覚を取った」

 「いや、自分は…。それよりも何があったんだい?」

 

 腫れた頬を濡れたタオルで覆いながら、磯風は無表情のまま話しかけてきた。その様子から見て、脱走の真偽はともかく、何らかのトラブルがあり取り押さえられたのは確かなのだろう。特別警察隊によると、磯風は日南中尉の無事を確認するまで何も話さないと言い張っていたそうだ。結果、脱走を唆したのは日南中尉で、事が露見した今、磯風は日南中尉の安否を最も気にしている、と判断されたのがこの連行劇に繋がった。

 

 「貴様は言っていたではないか。『広島れもん鍋のもと』の在処を知れば助かると。磯風は知らないのでな、呉の街に出るしかないと判断した」

 「なっ!? 助かるってそういうことじゃないんだけど…。けど、君は自分を助けるために、脱走してまで…?」

 「貴様の救命を最優先しただけだ。だが、何故…貴様の言葉だけを、これほど鮮明に覚えているのか…何故だ?」

 


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