それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 第三世代? それはセールストークだ。


058. ハートに火を付けて

 第三世代技術運用展示会は、最早イベントの態を成さないものとなっていた。三体用意された新型(正確にはマイナーチェンジ版)も、雪風は不調で早々と退出、磯風は脱走騒ぎ…となればむしろ、長年の運用実績とノウハウが確立された現行の艦娘を大事にしよう、との機運が高まっても不思議はない。

 

 磯風の件でイベントの一方の責任者として特別警察隊の詰所に呼びつけられた橘川特佐は、やれやれ…といった表情で短く刈り揃えた髪をがしがしと掻きながら、守衛に訪問を告げ、詰所まで案内された。あーもう面倒くさい、と内心辟易しているのが顔に出ていたが、案内の守衛がドアを開け、飛び込んできた光景に驚かされた。

 

 コンクリート打ちっぱなしの殺風景な詰所には、ぎゃーぎゃーと激昂している白衣を着た武村少佐、その向こうに置かれたパイプ椅子が二つだが一つは空席。もう一方の椅子にはジャケットオフで第一種軍装を来た若い軍人が、無表情のままの磯風に対面座位的な感じで膝に乗られて密着されている。

 

 随分仲良さそうじゃねーの…と橘川特佐が肩を竦めた所で、椅子に座り困惑した表情を浮かべている若い軍人-日南中尉と目が合った。

 

 「も、申し訳ありません。その…この通りの状況で敬礼もままならず…」

 「なーに、民間出のエセ軍人相手にお楽しみを中断しなくていいさ」

 

 -この二人、いつの間にこんな関係に? てゆーか、磯風には感情ないんだよな?

 

 見た限り、若い軍人に磯風の方からぎゅうっと抱き付いてる光景。感情を抑制されたはずの艦娘が、何しちゃってるの?…橘川少佐が訝しがるのも無理はない。

 

 この若い軍人も、展示会に参加しているからには、拠点長かそれに近い立場、階級は最低でも同格の少佐のはずで、本来こんなぞんざいな口の利き方はご法度。だが見た限り相当若い…若すぎる、ゆえにどこかの拠点の提督に随伴してきた補佐官だろう、違ったら謝罪して態度を改めればいいだけだ、と橘川特佐はわざと気軽な口調で日南中尉に相対してみた。

 

 「その様子だと駆け落ちでもしようとした、って所か。けどな、主催者側としてはイベントの最中にそんなことされちゃ商売あがったりなんでね」

 

 日南中尉は磯風に膝から降りるよう何度も言ってるが、当の磯風は一向に動こうとしないどころか、物騒なことを言い放ち、武村少佐と橘川特佐の顔色を青ざめさせる。

 

 「万が一の際にはこの身を以て貴様の盾となるつもりだったが、どうやらこいつらを排除すればよさそうだな。よし、降りてやろう。艤装を展開するからな」

 

 言葉通り日南中尉の膝から降りた磯風は、背中に中尉を庇い艤装を展開した。ガングリップ型のトリガーを両手に握り、右は連装砲、左は連装機銃を底で張り合わせたような艤装が躊躇わずに目の前の二人に向けられる。教導艦隊にいる駆逐艦娘達とは一線を画す重武装の艤装を軽々と纏い、自分を守るように立ちはだかる磯風の背中に圧倒されながら、日南中尉の頭の中は疑問で一杯だった。

 

 「なぜだっ!!」

 

 ぴくり、と磯風の右手が動く。その声を発しようとした日南中尉より先に、肩を大きく震わせながら武村少佐が磯風に向かい叫ぶ。自分が手掛けた存在が理解できない、その表情にも声にも絶望的な色が浮かんでいた。

 

 「確かに貴様ら三体は、今回の展示会で不特定多数の来場者と会話を行うため排他モードはオフにしてある。だが貴様はその男()()を自分の指揮官(管理者)と認識しているっ!? 論理矛盾、おかしいではないかっ」

 

 日南中尉の疑問も武村少佐のそれに近い物だったが、もっと単純に、なぜ会ったばかりの自分を殊更に(しかも必要が無いのに)守ろうとするのか、というものだった。磯風の背中を改めて見つめると、小さく華奢な背中に様々な感情が隠されてるのでは、中尉はそんな気がしてきた。一方、艤装のトリガーにかけていた指を離した磯風は、意志を込めた強い視線を武村少佐にぶつけ、思いの丈を言葉にする。

 

 

 「ぼんやりした頭の芯と、限界を無視して動く体…何をされたかは分からぬが、改装と称して貴様らに何かをされた事だけは分かる。そして技本でも展示会でも見世物扱いだ。だが、日南中尉は…磯風に『助かる』、そう言ったのだ。私は…戦船だ、助けられる物があるのなら、そのために求められるなら、何においても優先する。それがこの磯風の、意志だ」

 

 磯風の言葉に一番驚かされたのは日南中尉だった。それは懇親会席上での何気なく、つまらない会話。話の接ぎ穂に困った中尉が持ち出した、初雪へのお土産をどこで買えるのか教えてもらえると()()()―――確かにそう言ったが、磯風の言ってる意味での『助かる』とは到底違う訳で。ただ、往時の記憶を引き継ぐ艦娘にとって、何かを、誰かを助けたり守ったりする、というのは、人間には想像もつかない重さを持つのだ、と中尉は今更ながら思い知らされた。

 

 同じように磯風の言葉を聞いた橘川少佐も敏感に理解していた。艦娘を性能や機能だけで理解し、繊細で濃やかな心理を置き去りにした武村少佐よりも、民間出身で艦娘に関する技術的知識はないが、民間企業で移り気なエンドユーザー相手のマーケティングを長年手掛けていた橘川少佐の方が、人間心理の要諦を通して磯風を理解しているという皮肉な現象。

 

 

 -感情は反応、意志は欲望みたいなもんだ。反応は制御できても、欲望は抑えられないってことか。日南中尉(こいつ)が磯風の心に火を付けた、と。そして武村は心の機微みたいのをまるで分かってねぇ、と…。

 

 

 感情は状況や対象に対する主観的な態度や価値づけで、外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる。意思は内的衝動により導かれ決定される行動への決断や決定。武村少佐が加えたのは、兵器として命令の是非を主観的に判断せず、戦闘行為やその結果に恐怖や忌避を起こさせないため、感情に施した制御。

 

 意思があり感情が薄い状態でも、行動を自発的に起こすことはできる。日南中尉が磯風との会話の中で言った『助かる』は、磯風が理解した文脈ではない。それでも、例え誤解だとしても日南中尉を助けようと行動を開始した磯風は、その一点のみに集中し、結果として生じた事態に一切の感情を見せていない。その意味では武村少佐の意図したセッティングになっているといえる。ただ、彼の技術水準が拙劣なだっただけで。

 

 「回収、調査、解体、隠蔽っ!! だから研究途上の技術だとあれほど念を押したのに…これ以上の不始末が…許されるはずが…俺は失脚しちまうじゃないか…」

 

 本当に地団駄を踏む人がいるんだなぁ、と珍しそうに、目の前で何度も床を踏みつける武村少佐の姿を眺めていた日南中尉は、そっと磯風の肩に手を置く。振り返った磯風に柔らかく微笑みかけると、入れ替わるように前に出て背中で彼女を庇う。

 

 「武村少佐、今回の件、自分は何も見なかった、聞かなかった…つまり何もなかった、という事でいかがでしょう? その代わり、磯風にも寛大な措置をお願いいたしたく」

 「はっ!? 尉官風情が生意気なっ! これは技本の名誉…いや、私の地位にもかかわる重大事だ!」

 

 一連の顛末を黙ってみていた橘川特佐が身構える。日南中尉が腰に手をやりお尻のポケットから何かを取り出そうとしている。隠し持った銃か…と丸腰の特佐は警戒したが、中尉が取り出したのはスマホだった。

 

 「このスマホ、結構クリアに録音できるんです。つまり、実用レベルにない技術で艦娘に生体実験まがいの手を加え、命懸けで戦う各拠点に不完全な戦力を送り込もうとした、ということですね…例え話、ですが」

 

 武村(バカ)の余計な発言を押さえられちまったか…目の前で起きている展開を冷めた表情で眺める橘川特佐は、負け確の武村少佐にどう助け舟を出すか考えていた。小知恵が利くだけの小心者をこれ以上追い込むとどう暴発するか分かったものじゃない。それに目の前の男…確か宿毛湾の司令部候補生ってことだが、若いが武村なんかより一枚も二枚も上手だ。将来性を考えれば恩を売って置いて損は無さそうだ…素早く打算を続けていた橘川特佐は、携帯の着信音にちっと舌打ちをする。無視しようとも思ったが、表示を見れば出なければならない相手である。

 「はい、橘川です。武村少佐ですか? 今一緒というか…はい、はい?……はいぃっ!? …そうですか」

 

 -新技術の開発どころか、既存の艦娘の調整さえ満足にできねーのかよ。ったく使えねぇ。

 

 内心激しく毒付きながら、完璧なまでの営業スマイルを浮かべた橘川特佐は、殊更大げさな身振りで二人の間に割り込んだ。

 

 「まあまあ、そう熱くならずに、な? ここは一旦お開きにしよう。俺は参謀本部の橘川特務少佐だ。日南中尉…って言ったか、なかなか面白い()()()をありがとう、興味深かったよ。お礼と言ってはなんだが、このイベントの責任者の一人として、磯風の脱走嫌疑と君の脱走幇助の嫌疑を取り下げておこう。それで今は十分だろう? 俺達は急用ができてね」

 

 呆然自失の態の武村少佐に、オラ行くぞ、今度は浜風だとよ、背中に蹴りを入れ追い出すように橘川少佐は詰所を後にする。

 

 ばたん、とドアが閉まり、日南中尉と磯風は再び殺風景な室内に取り残された。じいっと日南中尉の手元を見つめながら、磯風が淡々とした口調で口を開き始めた。

 「よく咄嗟に録音なんてできたものだ。その機転、見事だな」

 

 ん? といたずらっぽい表情を浮かべた日南中尉は、手にした携帯をふりふりしながらタネを明かす。

 「なんのことかな? 自分はスマホの機能を説明して自分の考えを述べただけだよ」

 

 -このスマホ、結構クリアに録音できるんです。

 確かに日南中尉は、録音した、とは一言も言ってない。

 

 「機転だけではなく、肚の座り方も見事なものだな」

 初めて磯風が表情を和らげる。目じりを少し下げ、唇の端を上げたにんまりとした表情。

 「ぬ…どうしたのだ? 表情筋が勝手に動いてしまう」

 

 感情がない訳じゃない、抑制されているだけ。明石さんに相談してみよう、と中尉は考えていた。同じ頃その明石は雪風の容態を通して、技本が加えた設定調整の内容を確実に解析している途中だったと知るのは後の事となる。その間にも、不思議そうにぺたぺたと自分の頬を触る磯風に、日南中尉は優しく話しかける。

 

 「何で顔が勝手に表情を変える? 何が起きている…?」

 「磯風、今君がしている表情は、笑顔って言うんだ」

 「笑顔、か…。それはこの磯風に必要なものなのか?」

 「必要だからするんじゃない、君が嬉しかったり楽しかったりすれば、自然とそうなるんだ」

 

 二人が笑い合ったのを見計らったように、携帯が鳴り始める。日南中尉の着信を確認すると涼月からだ。良く見れば鬼のようなLI〇Eの未読メッセも山積みになっている。確かに読む暇はなかったが…。慌てて中尉が応答すると、中尉の言葉を遮るように涼月が切羽詰まった声で切り出す。

 

 「もしも-「中尉、艤装の展開許可をっ!! 浜風さんが…!」

 

 

 今度は浜風だとよ―――そう吐き捨てた橘川特佐の言葉の意味。呉鎮守府の目の前に広がる海、呉市と江田島、挟まれた波穏やかな港に、浜風は海面に立ち尽くしじっと暗い海を見つめ続けている。

 


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