それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 裏話。


059. さよならの向こう側

 「何がしたいんじゃ、あの浜風は…」

 

 杖代わりについた軍刀に組んだ両手を載せ、肩に羽織った外套の裾を風にはためかせる小柄な老体が訝しがる。ここ呉鎮守府の提督、藤崎大将が夜風に白い顎髭を靡かせながら、視線はサーチライトで照らされた港とその先にいる浜風に向けられる。すでに呉鎮守府が乗り出した事態、武村少佐の望むような隠蔽などできる段階はとっくに過ぎていた。

 

 スピーカーからは原隊復帰を命じる声がひっきりなしに響いているが、浜風はまったく反応しない。今いる地点から全く動こうとせず、目的が分からないまま時間だけが過ぎてゆく。元々は磯風の脱走騒ぎで軍を動かし始めた藤崎大将だが、特別警察隊が磯風を捕獲したとの報告がすぐに齎された。入れ替わるように海路の警戒に当たっていた部隊からの別報、それが浜風についてだった。最初は磯風を待っていて二人で逃亡しようとしているのかと疑ったが、磯風はすでに特別警察隊が押さえており、その旨を知らせても無反応。

 

 「いつの世も、組織が劣化する過程で有象無象が増え全体の水準を押し下げる。今の技本を見れば明白よの。さて…その劣化した技本に弄られた浜風、貴様は何を望みそこにいる? だんまりに何時迄も付きおうてられぬ、多少手荒でも捕まえるとするか」

 

 顎髭をひと撫でした右手をすっと持ち上げた藤崎大将が突入を命じようとした瞬間に、きびきびした動きで駆逐艦娘の朝潮が駆け込んできた。呼吸を整え、制服の乱れを直すと手櫛で髪を直し、ようやく奇麗な敬礼。

 

 「…急用なら早ようせんかっ! 右手上げっぱなしで待っとるんだっ!」

 「大将に失礼のないよう身嗜みを整えるのは当然かとっ。改めまして、面会の希望ですっ。宿毛湾泊地の日南中尉が大将に意見具申したいことがあるとのこと」

 

 根が真面目でいいんちょ気質の朝潮は、大将が焦れているのも構わず、礼に適った所作で来訪者の存在を告げる。大将は上げていた右手を下ろすと、前を向いたまま、首だけをくいっと動かし隣に侍る背の高い秘書艦に合図をする。こくり、と茶色のポニーテールを揺らし頷いた秘書艦は、朝潮に視線を送り静かに宣する。

 「分かりました…面会を許可します」

 

 案内として先導する朝潮の後に従いながら、左右に分かれた艦娘達の間にできた通路を、臆することなく、よろよろ蛇行しながら進む日南中尉。左腕にどやぁっという表情の磯風をぶら下げ、右腕は抱え込むように膨れっ面の涼月にホールドされているためである。

 「この磯風、護衛(こういうの)も得意でな。共に進もう、心配はいらない」

 「私…私がずっと、お守りしますので、磯風さんは下がってて…」

 

 呉の艦娘達からは、あーそういうことね…という生温かい視線で見送られている気がするが、気にしても手遅れだろう。そうこうしているうちに、中尉は藤崎大将の元へとたどり着いた。

 

 懇親会で出会い話をした時には、飄々とし優し気な表情を浮かべる小柄な老人にしか見えなかった大将だが、艦娘を率い現場に立つ姿は別人のような気迫で、気圧された日南中尉は背中を冷や汗が伝うのを感じていた。そんな中尉をじろりとねめつけると、藤崎大将は来訪の意図を問い始めた。

 

 「虚礼は抜きだ、何しに来た?」

 「呉沖に浜風がいると聞きまして、涼月と磯風に話をさせていただきたい、とのお願いに参りました」

 

 本来なら直接目通りする機会も滅多にない階級差ゆえに日南中尉は直立不動の姿勢を崩さないが、藤崎大将はそういうことに拘らないタイプのようである。

 

 「だから楽にしろって…朝潮と同じタイプか。まぁいい、話をさせてやらんことはない…が、なぜだ? お前ん所の娘二人が話して何になる?」

 「往時の…坊ノ岬沖海戦から数えれば七〇年以上の知り合いと言えましょう。だから彼女達が話すべき、そう判断しました」

 

 「浜風さんはっ」

 涼月が必死な表情で会話に割って入り訴え始めた。目の前の大将が顔を顰め射るような視線を送ってくるが、涼月も怯まずに答え、磯風も飄々とした口調で続く。

 「…私達は、果たせなかった夢や思いを、抱えたまま…今を生きています。それは…艦娘にとって、忘れてはいけないものの…はず。最後の戦いを…共にした私は…浜風さんに、思い出してほしい…」

 「改装と称して技本の連中に何かされたのだがな、それでもこの磯風は取り戻せたのだ。浜風も、戦船として、艦娘として、あるべき姿に立ち戻らせたい。それが十七駆の、姉妹としての責務なのでな」

 

 二人の言葉は、居合わせた艦娘に共通した思いだったのかも知れない。皆神妙な表情で聞き入っている。藤崎大将も深く考え込むような表情になっていたが、唇を歪め渋く笑うと隣に侍る秘書艦に指示を出し始めた。

 

 「ふ、ん…。見習いと小娘だが、肝心な事は外しておらんな。いいだろう、貴様らに任せる、浜風の目を覚ましてこい。坊ノ岬、か…(うち)の秘書艦も連れて行け、役に立つやも知れん」

 

 

 

 サーチライトに照らされ白く輝く海、その中心に立つ浜風は、銀のボブヘアーを揺らしながら、静かに近づいてきた涼月と磯風を振り返り呟き始めた。それは自分自身を繋ぎ合わせるように訥々とした言葉。

 

 「頭の芯はぼんやりしているけど、この限界を無視して動く体なら…今なら、きっと守れる、そんな気がしました。でも私は何を守ろうとしてたのか…思い出せない。ただここに来れば何かが分かるかもしれない…そう思った」

 「ずっとずっと一緒に、皆さんを守ってきました。涼月の…私の大切な、仲間…です」

 「生きることも立派な戦いだ、浜風…私達は今、ここにいるのだぞ」

 

 呉を抜錨した時点で、分っていた結果かも知れない。三六〇機を超える攻撃隊の波状攻撃を受けながら、必死に支え合い戦い抜いた記憶。それでも確かに目指した場所はあった。砲火に晒され逃げ惑う銃後の民を救うため、空と海を埋め尽くす驕敵を痛撃すべく一人立ち上がった海軍最大最強のフネを守る―――浜風が空を見上げながら言葉を風に乗せる。

 

 「私達十七駆が盾に……守りに付きます。誰も失わせない、無事に港に戻りましょう」

 「そこまで思ってもらえていたなんて、少し晴れがましいですね」

 「え…」

 

 姿を現した艦娘に浜風が絶句する。呉鎮守府提督藤崎大将の秘書艦、大和型超弩級戦艦一番艦の大和。往時の坊ノ岬沖海戦で激闘の末沈んだ、磯風や浜風、涼月らが命を賭けて守ろうとした存在。

 

 「無事…だったんですね、大和…さん。私は…守り抜け、たの…?」

 過去と現在が繋がり混交し、声を震わせながら手を伸ばす浜風に向かい、どこまでも優しく、けれど少しだけ悲しそうな微笑みを浮かべた大和は、三人をふわっと包むように抱きしめる。

 「第一遊撃部隊のみんなは、どれだけ時が巡っても、私の誇りです。忘れないで、くださいね」

 

 時刻は既に夜明けが近づき、夜の黒と暁の赤が混じり合う頃合いへと差し掛かった呉の沖合に、浜風の嗚咽がいつまでも響いていた。やがて大和に守られるように帰投してきた三人の姿に、安堵の溜息、そして歓声が沸き上がる。日南中尉も大きく息を吐いたが、突然わき腹をごすりと肘で突かれた。見れば藤崎大将がしたり顔で頷いている。

 

 「あの磯風、例の第三世代とやらか。いとも容易く手懐けたものよ。若いのに艦娘の心根をよく承知しておるようだな。いや、気に入ったぞ、また近いうちにな」

 

 

 

 「雪風は元気になりました! 橘川特佐、このご恩は忘れませんっ」

 「雪風(ユキ)、大分顔色が良くなったな。安心したぞ」

 

 橘川特佐は駆け寄ってきた雪風を見て、すぐさま表情を満面の笑みに切り替えて抱き止めると、脇の下を支えて子供をあやす様に高く持ち上げる。この技術展示会を通して知り合った橘川特佐と雪風だが、あっという間に打ち解けた。ユキとは彼だけが呼ぶ雪風の愛称で、深海棲艦の攻撃で命を落とした娘の名前を忍ばせていることは、本人だけの秘密である。

 

 持ち上げられた雪風も楽しそうにけらけらと笑っている。だが視線に気づいた特佐は、雪風を静かに地面に下ろすと、視線の送り主の明石に近づき、礼を述べたが、明石はごん太いピンクのもみあげをねじねじしながら興味無さそうに感謝の言葉を聞き流していた。エンジニアとして艦娘として、今回技本が、正確には武村少佐のグループがとった手法はあまりに乱暴すぎるとの結論に至り、主催者側の責任者の一人である橘川特佐を揶揄するように、殊更噛み砕いた表現で説明を始めた。

 

 「応急処置は済ませた、という所です。貴方たちの言う第三世代(笑)は、とても中途半端で…その分悪質。安全性を無視して出力を上げた体、埋め込んだ後付のプログラムだけに反応させるよう脳機能に加えた制限、つまり『いつでも火事場の馬鹿力を出せるぞ』改装ですね」

 「はははっ、そりゃあいいや。屁のツッパリはいらんです、ってか」

 「使い捨て前提の艦娘がそんなに可笑しいですか? あんなセッティングじゃ…長くは持ちませんよ」

 

 愉快そうに笑っていた橘川特佐だが、明石の言葉で完全に固まり青ざめ、慌てて雪風の方を見ている。その様子を見た明石は、ひょっとしてこの人…本当に技術的なこと知らないんじゃ…と首を傾げた。本当は痛烈に批判しやり込めてやるつもりで、雪風を連れ鼻息も荒く港へと乗り込んできた。だが、雪風をまるで自分の子供のようにあやす姿を見て、思わず毒気を抜かれていた。

 

 「なあ………どうすれば、雪風(ユキ)は…有希は助かるっ!? お前なら分かるんだろっ!!」

 雪風に亡き娘の面影を重ねていた橘川特佐は、混乱しながらも明石の両肩をがしっと掴んで激しく揺さぶりながら詰め寄る。事情を知らない明石は眉を顰めるが、無論無策でここに来たわけではない。

 

 「脳機能に加えた制限を解除し、貴方がたがインストールしたプログラムを無効化する、それだけで正常化されます。中途半端な改装が幸いしましたね。ですが…今の疑似的な高練度はリセットされ、改装されてから今に至るまでの記憶も失われます」

 「…なるほどね、初期化みたいなもんか。それで雪風は…助かるんだな」

 「雪風さんだけじゃなく、磯風さんや浜風さんもです。それはこの明石がお約束します」

 明石は力強く頷き、胸をどんと拳で叩く。橘川特佐はしばらくの間項垂れていたが、ゆっくりと頭を上げ、さばさばした表情で雪風に呼びかける。

 

 「雪風、ちょっといいか。一つ…頼みがある」

 「はいっ! 何でも言ってください!」

 「ああ…。俺がユキ(有希)って呼んだら、『お父さん』って言ってくれるか」

 「よく分かりませんが、お安い御用ですっ!」

 

 

 -じゃぁな、ユキ。

 

 

 

 技術本部が権益拡大のため、見切り発車での開発途上の技術を投入し艦娘を改装、さらに参謀本部を騙して戦力化を図ったとして、今回の一件は大きな醜聞となった。自分の鎮守府をその舞台に利用された藤崎大将が激怒、軍事法廷の開廷を求めたため、隠蔽もままならず技術本部は大きな痛手を被り、政治的にはほぼ影響力を失った。

 

 この過程でいち早く技本の不正に気付き、不法な改装を施された三名を救った存在として藤崎大将が繰り返し名を挙げたおかげで、日南中尉の存在は海軍中で広く知られることとなった。雪風・磯風・浜風には適切な処置が施され、改造以後の記憶と引き換えに健全な身体機能を取り戻し、正式な任地が決まるまで呉鎮守府預かりとなることが決定された。


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