それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 思い出さないけど忘れない。


061. A Book of Life

 ウォースパイトは出撃など任務が無い時は、有無を言わせず日南中尉の執務室に設えた玉座を定位置とすることがほとんどで、中尉の執務中でも不在時でも、彼女はこの場所で読書をして時を過ごすことが多い。もちろん自室は艦娘寮にあり、夜になると戻るのだが、単なるウォークインクローゼット+ベッドルームとして扱っている模様。

 

 今日も日南中尉の執務机を見下ろす高い着座位置で読書を続けるウォースパイト。日南中尉は朝から不在である。やや硬めの座り心地ながら、肌に触れる部分は柔らかく仕上げられた座面と背もたれは、家具職人の妖精さんの会心の出来。太ももからお尻の豊かで滑らかな線、腰から背中、首筋までの美しいSカーブ、華奢な肩、全てを包む込むように支えつつ、僅かな沈み込みだけで体圧を分散させる。長時間座っても疲れの残らない極上の座り心地に、ゆったりと身体を椅子に預けたウォースパイトも満足し、読書に没頭できる。青い瞳だけが静かに上下動を繰り返し行を追い、僅かな乾いた音を立てページが捲られる。

 

 宿毛湾泊地本部棟に併設される図書室は相当量の蔵書がありその多くが貸出可能となっている。だが時代の流れか、デジタルアーカイブの導入が始まっている。紙の書籍が好きなウォースパイトとしては、本の重さと紙をめくる乾いた音が無くなるのは寂しくもある。

 

 そんな彼女が着任以来読み進めているのは、この国の戦いの歴史。実質的な公式戦史と扱われる「大東亜戦争全史」と内部資料の性格も帯びる「戦史叢書」は読了し、現在取り掛かっているのは深海棲艦との開戦以後の膨大な数の「戦闘詳報」である。桜井中将のコネで一般拠点よりも閲覧可能な戦闘詳報の数が多い宿毛湾は、ウォースパイトのように知識欲旺盛な艦娘に好適だったかも知れない。

 

 彼女は、日南中尉の現在に至る全てを知ろうと試みていた。

 

 時雨が衝突を繰り返しながら中尉に正面から向き合うように、島風が中尉から話してくれるのを待っているように、ウォースパイトもまた、彼女らしいアプローチで日南中尉を理解しようとしていた。何が彼に最も影響を与えているのか、を。

 

 断片的なことは本人からも聞いたことはある。自分の事なのに主観を排し他人事のように語る姿は、冷静という事も出来るが、ウォースパイトの目には異様なものと映った。そこにヒナミを至らせた客観的な事実の全体像を掴みたい、そう考えた彼女は、戦闘詳報という、現在も続く深海棲艦との戦いの記録の海へと分け入った。そして、辿り着いた一つの記録―――。

 

 

 

 XX年前―――。

 

 インドネシア東部に位置する、西はボルネオ島、東はハルマヘラ海に浮かぶハルマヘラ島やセラム島などの島嶼群に挟まれるスラウェシ島。その最北端に位置する街マナドは、時ならぬ日本商社の進出で静かに盛り上がっていた。

 

 古くから日本人による漁法、鰹節の製法の教与による漁業や食文化が定着していたこの街だが、深海棲艦との開戦後は恵まれた水産資源を流通させることができず、衰退の一途を辿り今ではほぼ無人の地と化していた。

 

 日本政府とインドネシア政府は、東南アジア南部の要衝セレベス海の確保のため新たな海軍の拠点設置に合意し、その候補地にマナドを選定していた。ここに噛んできたのが日本の総合商社である。事前調査から始まり、軍拠点工事に伴うインフラ整備、基地完成後の補給…と莫大な利権が動く。軍としても経費節減と効率化のため可能な分野は民間委託を望んでおり、かくして競争入札の末とある商社と海軍が、軍民共同事業としてマナドの開発に乗り出した。

 

 そこからしばらくの間は、何事もなく順調に事業は進んでいったようだ。

 

 

 

 だが、いつの世も終わりは唐突に始まる。

 

 完成後のマナド泊地は、タウイタウイ泊地と共に海上交通の要衝セレベス海の警護に当たることが予定されていた。かつてのマラッカ海峡に代わり、ロンボク海峡経由で中東産油諸国と日本との間に大型タンカーが航行する重要な航路となっていたこの海は日本のライフラインであり、深海棲艦側からすればこの海域を抑える事で日本そのものに大打撃を与えることができる。奇しくも日本海軍と深海棲艦の戦略眼が合致し、事態は動き始める。

 

 ある日の夜マナドに叩き込まれた、戦艦棲姫二、戦艦タ級flagship三体による長時間に渡る艦砲射撃。灯火管制により真っ暗な街に、人々を地獄へと誘う篝火が突如して灯り、マナドは住民ごと劫火に飲まれ灰燼に帰した。

 

 第一に、完成間近のマナド基地を叩き機能を喪失させる、第二にこの救援に現れる艦娘部隊を叩く。マナド救援のため即応可能な基地はタウイタウイとスターリングの二ヵ所。さらにこの周辺海域最大の基地はパラオだが一五〇〇km以上遠方で、救援には間に合わないが、奪回に乗り出してくるのは間違いなく、これを迎え撃つのが本命。深海側に参謀役がいるなら中々優秀とみていいだろう。

 

 すぐさま反撃、といきり立つ現地拠点に対し、参謀本部は冷徹に戦況を分析し、深海棲艦の動きを注意深く見極め軽挙妄動を慎む厳命を下した。民間人の救出や基地の防衛は到底間に合う状況ではない、ならば尊い犠牲を無駄にしないためにも、敵の狙いを白日の下に晒す―――深海棲艦がマナドをエサにしたように、参謀本部もマナドをエサにして敵の全貌を掴もうとした。残酷な戦場の出現である。今回の基地建設JV開始に合わせ、工事と漁業の関係者で一万人を超える日本人と現地民が住むまでに活況を呈していたマナドは、一晩で地獄に早変わりした。

 

 

 迎えた夜明けには深海棲艦側の配置も判明し、声高に即時反撃を叫んでいた現地の艦娘達は凍り付いた。

 

 タウイタウイ泊地に対してはセレベス海に、スターリング泊地に対してはマカッサル海峡に、それぞれ敵の潜水艦部隊が群れを成し待ち構え、マナド自体は二組の連合艦隊で包囲を受けていた。西側のマナド湾を湾口封鎖し艦砲射撃を加えた戦艦五を中核とする水上打撃部隊と、北東のタフランダン島周辺に展開する正規空母四を擁する機動部隊である。こんな中を夜間に突入していたら、良くて壊滅悪くて全滅である。

 

 避難民を載せマナド湾を脱出しようした輸送船やフェリーなども容赦なく深海棲艦に撃沈され人的被害の拡大を助長したが、参謀本部の命を無視してスラウェシ島東方から突入した水雷戦隊がいたらしい。少数だが手練れのこの部隊が敵を引き付けている間に、ごく少数だが避難船が脱出に成功することができたようだ。到着時間からするとハルマヘラ海域からの抜錨を推定せざるを得ないが、当時同海域に艦娘の部隊は展開されておらず、どの部隊が動いたのかは現在まで特定できていない。

 

 かくして人口一〇六四五人のマナドは、生存者三〇八名だけを残し壊滅した。日本人に限れば、生存者二四名となる。これを機に、往時の沖縄や硫黄島で採用された要塞戦の戦訓を学び直す機運が広がり、軍民混在の拠点地の防御体制や有事の際の邦人避難の在り方等が急速に見直されたのは、せめてもの慰めかも知れない。

 

 そしてこれが、セレベス海の制海権を賭けた戦いの始まりとなった―――。

 

 

 

 「…………」

 

 憂いの色で彩られた表情で、前髪を揺らし天井を仰ぎ見るウォースパイト。膝の上にはいったん閉じられた戦闘詳報が載せられている。続きを読むべきかどうか迷っていた。正直に言って気分が悪い。民間人を攻撃し救援に向かう艦娘を釣りあげようとした深海棲艦と、救援が間に合わないと見るや民間人の犠牲の上で敵勢力を見極めようとした当時の参謀本部。どちらの戦略も理解はできる。だが、それを認め受け入れてはならない、そう思う。

 

 「ヒナミは幼い頃Manado(マナド)に居たとのことでしたが…」

 

 どくん、と鼓動が強くなる。ただ一旦読み始めた以上、最後まで読もう、と思い返した。それが何であれ、事実は知るべきである。やがてページはAppendix(付帯資料)に差し掛かった。おまけのページ扱いで付属する、当時のマナドに駐留していた軍人軍属と、軍に協力していた一部民間人の名簿。記載される消息の殆どは死亡か行方不明 (違いは死体の有無だろう)、そしてごく稀に生存。短く結論付けられた多くの人生を目で追っていたウォースパイトだが、発見した一つの家族の肖像に息を飲む。

 

 日南 景(ひなみ あきら)/■■商社 東南アジア事業開発本部事業部長-同地にて行方不明

 日南 祥(ひなみ さち)/同配偶者-同地にて行方不明

 日南 咲(ひなみ さき)/同長女-乗船した避難船が撃沈され、海上にて行方不明。

 

 そして、知りたかったはずの、それでいて見たくなかった名前―――。

 

 

 日南 要(ひなみ かなめ)/同長男-生存。事件から二週間後、救命ボートでセレベス海北東縁で漂流中を発見される。本件に関しては別途詳報するものとする。

 

 

 「なる、ほど…。深海棲艦の攻撃で両親と妹を…ヒナミが軍人を目指すには十分な動機になりうる強烈な体験…。ただ、ヒナミのmotivation(動機)vengeance(復讐)ではない。それどころか和平を願っている…。単なる臆病ではないのは明らかですが………どんな気持ちの変化を経れば、そう願えるのか…私は、知りたい。それにしても…」

 

 玉座から一歩一歩重い足取りで階段を降りたウォースパイトは、手にした戦闘詳報を日南中尉の執務机に一旦置くと、つつっと指先で表紙をなぞる。

 

 「ヒナミの…人々の人生(ライフ)が、たった一行や二行でまとめられてしまう、それが戦争…。それでも記録に留まる事が出来た人は、まだ救われた方なのでしょうか」

 

 

 かちゃり。

 

 「あぁ…ウォース、来てたのか。それにしても君は読書が好きだね」

 

 早朝から外出していた日南中尉が戻ってきた。すでに日は暮れ始め、窓から差し込む光はオレンジ色に変わり始めている。執務机の前に立ち、くるりと中尉の方へ向きなおるウォースパイト。背中越しに照らされる金髪は輝き、絵画的な美しさに中尉は思わず息を飲んでしまった。

 

 

 「好き嫌いで読書をしているわけではありませんよ。生きる事は知る事、望むと望まざるに関わらず、私は…全てを知りたいの」

 

 全てとは何を指しているのだろう…と中尉は思いながら、視線は執務机にある戦闘詳報に止まった。

 

 -あれを読んだのか…。

 

 机上の戦闘詳報は、表紙の色褪せ具合や角の擦れ具合で、すぐにマナド砲撃に関するものと分かった。なぜなら、彼自身も何度も何度も何度も読み込んだから。微かな衣擦れの音がしたと思うと、ついっと滑らかな足取りで進み出たウォースパイトが日南中尉を抱きしめる。守るように包むように慈しむように、優しく、それでいて力強く。

 

 「ウ、ウォース…?」

 「ごめんなさい、少しだけこのままで…」

 

 少しだけ、というのは主観的な時間感覚で、実際にはどれほど経ったのだろうか。窓から差し込んでいたオレンジ色の光が沈みゆく日の色に変わり始めた頃、ウォースパイトはすっと体を離すと、ドアに向かい歩き出す。そしてくるりと振り返り、彼女にしては珍しく、いたずらっぽく微笑んで、執務室を出ていった。

 

 「ヒナミ…抱きしめ返してくれても、よかったのですよ?」


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