それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 ご休憩から始まる海域攻略。


069. Heat Wave-前編

 日本の夏、酷暑の夏―――。

 

 四〇度を超える最高気温が珍しくないなど、最早日本の話とは思えない今年の夏、それはここ宿毛湾泊地でも変わらず、抜けるような青空から容赦ない太陽が降り注ぐ。基地の執務棟群では空調を作動させているとはいえ、国民の税金で運用される基地である、夏場でも冬場でも設定温度の縛りは厳しく、現在東部オリョール海域で進行中の作戦を見届けようと数多くの艦娘が詰めている教導艦隊の本拠地、第二司令部の作戦司令室は人いきれでかなり蒸し暑くなっている。

 

 「…もぅ…村雨、我慢できないよぉ……」

 「うー…動くとすぐに汗だくになるっぽい…」

 

 板張りの床にぺたんと座ればそれなりにひんやりするが、湿度のせいですぐにじっとり汗が滲んでくる。お互いを背もたれにしながら背中合わせに体育座りをしているのは、村雨と夕立。村雨はぱたぱたと右手を団扇代わりにして、この季節限定仕様の、装甲効果が疑わしいビキニ(制服)の胸元に隙間を作って風を送りこんでいる。大きいと汗疹(あせも)が谷間にできるらしいから風通しの良さは重要である。夕立はというと、これまた軽量化したビキニ(制服)のまま体育座りで膝に顎を載せ、開けた口から舌を出しハァハァ言っている。犬の体温調整(パンティング)そのまんまだが、戦場の狂犬もこの暑さでふにゃっとしている。

 

 白いボディスーツで全身を覆う涼月、飄々とした風情で確実にぐったりしている北上、見た目からして暑さに弱そうな響などが、ついに真価を発揮し冷房MAXで運転中の初雪の冷暖炬燵に浸かりこむ異常事態であり、見れば作戦司令室内は普段の制服の者と水着姿(集中装甲)の者が入り混じる無秩序な状態となっている。女王陛下ことウォースパイトは、それでも毅然した表情を崩さないよう玉座に座すが、額やデコルテには汗が滲み、日本の高温多湿の気候にすっかり参ってしまったようである。

 

 しかし、どんな時でも指揮官は指揮官である。爽快素材で仕立てられた第二種軍装でもこの気温では厳しく、むしろ日南中尉を汗だくにする役割しか果たしていない。戦地なら半袖半パンの防暑制服の着用も許されるが、宿毛湾は内地の拠点、どれだけ暑かろうが普段通りの制服を着こまねばならない日南中尉がある意味では一番気の毒である。

 

 「これ、使ってよ」

 

 最小限度の動きで中尉が声の主に送った視線、その先にはラッシュガードを着たビキニ(夏の制服)姿の時雨の姿がある。自らも額に汗を浮かべながらにっこりと微笑み、きんきんに冷えたおしぼりを日南中尉に差し出してくる。

 「うん、正直助かるよ。ありがとう、時雨」

 

 ほっとしたような表情でお礼の言葉を告げる日南中尉は、おしぼりを受け取ろうと手を差し出し…すれ違う。そのまますいっと体を寄せてきた時雨が、中尉の制服の詰襟を外し、さらに第一ボタンを開ける。身長差があるためぎゅっと体を密着させながら中尉の制服の首元を楽にし、冷えたおしぼりを首の後ろにしばらく宛がい、さらに顎の下や首筋をこしこしと拭き始めた。

 「うわ…気持ちいい……んだけれど、あの…シグレサン?」

 「そっか、僕で気持ち良くなってくれたんだね、嬉しい…かな」

 

 棒読み気味で動揺を隠せない日南中尉と、いつもに比べ積極性がマシマシの時雨。解放感の高い季節限定の水着(制服)がそうさせるのか、はたまた近頃すっかり増えてきたライバルに誰が秘書艦か知らしめるためか、気温のせいか気持ちのせいかはともかく、顔を真っ赤にしながら頑張っているようだ。

 

 「珈琲お替わりいかがですか? ミルクとお砂糖、たっぷり入れるのはどうでしょう?」

 

 日南中尉と時雨の間にずいっと手を伸ばしてマグカップを差し入れるのは、鹿島である。ジト目でぷうっと頬を盛大に膨らませ、この暑いのに湯気の立つマグカップを差し出してくる。慌てて時雨から距離を取る日南中尉だが、それでもマグカップを受け取り一口すする辺り、律義である。暑い時には熱い飲み物、という対処法もあるが、さすがにこの気温では効果は期待できず、せっかく時雨の気遣いでひんやりした首筋に汗が再び浮かぶ。

 

 「日南中尉、こっちへどうぞ、うふふ♪」

 鹿島がぐいぐいと中尉の手を引いて執務机に連れてゆき、席に着かせる。普段と違うのは、本部棟から教官権限で持ち出したフィンレスファンが風を送っている事。日南中尉が戸惑う間に、鹿島は制服のポケットから取り出したスプレーボトルで、何かをしゅっしゅっと中尉の首筋に噴きかけている。

 「どうです? 鹿島もお風呂上りに使ってるんですよ。女の子はエアコンの風で体を冷やしすぎるのはよくないので♪」

 「あ、すごい…あっという間に涼しく…これ、なんですか?」

 

 ふふーんと勝ち誇ったような表情の鹿島が説明を始める。ボトルにはハッカ油、おサレに言えばミントオイルを混ぜた水が入っているそうだ。ミントオイルは蒸発する際に周囲の熱を奪う気化熱冷却の性質があり、暑くて体に熱がこもりがちな季節でも、ちょっと涼しいオアシスを作れるという。

 

 「へぇ~教官、ちち以外にもええもん持っとんなぁ。ちょっちウチにも貸してーや。…おおっ、こりゃ気持ちいいっ!」

 さらに興味津々で割り込んできたRJ(龍驤)が、鹿島からスプレーボトルを強引に借りると、しゅっしゅと自分の首筋や手首に噴きかける。効果絶大なのを体感し、じゃんじゃん噴きかけているのを見て、鹿島があーあ、やっちゃった…という表情に変わる。

 「涼しくて気持ちええ………を通り越して、寒いんやけど…てかアカン、まじ寒いっ」

 

 この蒸し暑い室内で一人だけ、マジに顔を青ざめさせがくがく震えている龍驤を、みな不思議な生き物を見るような目で眺めていたが、慌てて鹿島がふわふわの柔らかいタオルで龍驤の体からミントオイルを拭き取りながら窘める。

 「ああもう、気化熱冷却はとっても強いんですからっ。そんなにかけちゃったら―――」

 

 

 「あのー…聞こえないのかしら……? 日南中尉? 中尉ー?…あら、良かった。扶桑、ここに待機していますよ? もちろん部隊のみんなも、ですけど」

 

 

 旗艦扶桑を中心に、赤城、妙高、磯風、浜風、島風で編成された東部オリョール海域攻略部隊は、海域中央部のEポイントに到達し、整備休息を行いつつ次戦、羅針盤に勝つ前提で海域最奥部の偵察情報を踏まえた作戦会議を行うため、通信を接続し待機していた。執務机の正面に掛けられた大型のマルチビジョンモニターには、合わせた両手で口もとを隠しながら、にっこりと、それでいて圧を感じさせる笑顔で微笑む扶桑が大映しになっている。

 

 要するに『いい加減仕事してくださらないかしら』、そういうことである。さすがに日南中尉も気まずく思い、制帽を被り直すと改めて執務机に付き、ブリーフィングがようやく開始されることになった。

 

 

 

 「それにしても、この編成で…行けるかしら…?」

 「大丈夫だよ扶桑、君と、そして赤城が率いる艦隊だからね」

 

 顎を人差し指で支えながら小さく首を傾げ、うーんと考え込む扶桑だが、言葉ほどに不安を感じてはいないようだ。妖精さんの広域探知は既にEポイント北東に有力な敵艦隊の存在を大まかに把握している。教導艦隊は敵主力打撃群が陣取る海域最奥部、Gポイントへ向かう航路へと進むことが確定した。

 

 「大丈夫、暁の水平線に勝利を刻んで、みんな帰ってきますよ♪」

 満面の笑顔で鹿島が両手でガッツポーズを決め、日南中尉に励ますように声をかける。今回の編成案を聞いた鹿島は正直同意しきれなかった。赤城を中心とする機動部隊でも、扶桑を中心とする打撃部隊でもない。むしろ駆逐艦娘三名が主力を成している点は水雷戦隊に近いが指揮する軽巡がいない、要するに中途半端に思えたからだ。出撃前の作戦会議でその点を指摘したが、中尉から返ってきた言葉に、鹿島はそれ以上の事が言えなかった。

 

 -()()()を中心とする部隊で勝利を収める、それが自分の()()目標です。

 

 扶桑と赤城と打ち合わせを続ける日南中尉の横顔を、鹿島はじっと眺めていた。端正な横顔と真剣な口調、頬を伝う汗にも何だか色気を感じてしまう。豊かな胸を両腕で隠すようにしていやんいやんと体をよじる鹿島だが、頭の中は意外と冷静にフル回転していた。戦略目標、中尉はそう言ったのよね…と改めて思う。教導艦隊にとっての戦略目標(それ)は言うまでもなく東部オリョール海の解放、それ以外にないはずなのに。

 

 -第三世代(あの娘たち)を加えた部隊で収める勝利が戦略目標…中尉はいったい何と戦っているのかな…?

 

 じいっと見つめる鹿島の視線に気づいた日南中尉が、視線を返しながら柔らかく微笑む。瞬間、鹿島は自分の顔が真っ赤になってしまったことを自覚する。いけないいけない、と頬をぺしぺししながら誤魔化すように口を開きかけたが、中尉が先に口を開いた。

 

 「教え導く、教導艦隊はそう書きますよね。自分は若輩者で、大それたことは言えませんが、それでも一緒に悩んで、共に前に進み、成長する事はできます。その意味では、自分の方がみんなに教わり導かれている、そう思ってます。だから…彼女達も必ず成長すると、世代がどうとか、そんな区別に意味はない…誤解してる人たちに分かって欲しいんです」

 

 

 

 「はぁ。…空はこんなに青いのに…いえ、こんなに青いから、こんなに暑い…」

 

 遮るもののない海原、所々に浮かぶ僅かな雲を除けば快晴の空の下、白い航跡(ウェーキ)が海の碧を切り分けてゆく。複縦陣で一路東進を続ける教導艦隊の後尾、空からの強烈な日差しと海面からの照り返しに挟まれた扶桑が呟く。長い袂を庇代わりにして右腕で顔を隠すように空を見上げ、眩しそうに目を細める。

 

 「こんなに晴れると、天気がちょっと心配です」

 「予報が更新されましたか? それとも天測ですか?」

 

 単縦陣が並走する複縦陣、もう一方の列の後尾に陣取る赤城が声をかける。広域天気予報でも降雨確率はほぼゼロ、この強烈な日差しのせいで汗は止むことなく、肌に白い塩を残し蒸発する。むしろ通り雨くらい来てほしい、と赤城にしては珍しく軽口を叩く。そんな赤城に意味ありげな視線を送ると、扶桑は長い睫毛を伏せ、ふっと僅かに微笑む。天気というありふれた、それでいて全員に関係する重要な話題の解釈が全く違う点で、赤城の方から話を続けていた。

 

 「現在地から進路をやや東よりに、哨戒線は一五度間隔の二段五線で展開していますが…薄い雲が僅かに増えた以外は空一面の蒼ですよ」

 「そう…こんな天候で薄雲が増える時は―――」

 「!! 彩雲六号機より入電、北北東に敵主力打撃群を発見! 編成は、戦艦ル級…エリート級と通常級、空母ヲ級、重巡リ級、軽巡ヘ級、軽巡ヘ級の六体、第三戦速で西方に進行中!! 扶桑さん、指示をっ!」

 

 赤城が鋭く叫ぶ。敵主力艦隊発見の報は宿毛湾の日南中尉にも同時に齎され、艦隊が慌ただしく動き始める。ただちに赤城は風上に体を向けながら流れるように左手で弓を大きく構えると、指先で矢をくるりと回して弓に番える。旗艦の扶桑は、風に踊る黒髪を手で押さえながら、憂いを帯びた視線を前方に向け、右手をゆっくりと前に差し出し吼える。

 

 「是非も無し…いよいよ決戦よ! 頑張りましょうね。全軍…進撃っ!」


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