それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

70 / 120
 前回のあらすじ
 そろそろ夏服mode本番。


070. Heat Wave-後編

 戦艦二体、空母、重巡、軽巡二体からなる敵艦隊は、空母を含むが砲戦をより志向した編成といえる。対する教導艦隊は航戦、空母、重巡、そして駆逐艦三。編成は是非も無しと旗艦の扶桑が腹を括り、作戦会議で鹿島が中途半端と指摘した通り、この海域に展開する深海棲艦艦隊の戦力を考えれば、戦局は有利とは言い切れない。勝っても負けても編成内容が焦点となり、場合によっては指揮官の作戦指揮の是非を問われても不思議はない。

 

 C4ISTAR(統合的指揮統制システム)の映像が映されるマルチビジョンモニターを、真剣な表情で画面を見つめる日南中尉。現場にいる艦娘の頭部に装着されるCMOSセンサーは、遠く離れた東部オリョール海と宿毛湾の作戦司令室を一つに繋ぎ、その情報をもとに中尉はCOP(共通作戦状況図)の更新に余念がない。そんな中尉を、少し離れた所に立つ鹿島はじっと見つめている。右手で口元を隠すようにして送る意味深な視線に中尉は気付いていないようだ。

 

 「……………………」

 

 鹿島は思いを巡らせながら、ついっと中尉に向かい近づき、隣の席に座る。この編成で勝利を収めれば磯風や浜風の成長を明らかにできる。だが万が一負ければ編成に問題ありとして日南中尉は評価を下げてしまうかも知れない。どれだけ優秀でも、今は艦隊の指揮権を預かっただけの尉官に過ぎない中尉にとって、この教導課程を優秀な成績でクリアしなければ何も始まらない。それでも―――。

 

 -あの子達を…いいえ、私達艦娘の可能性を信じてくれるんだ…。

 

 人を育てるのは様々な要素が複合的に絡み合い、簡単な事ではない。教官としての鹿島は、長所を伸ばし相手が自ら成長を望むよう気付きを与え導こうとする。一方で教導艦隊を率いるこの若き士官は、自らのキャリアに傷がつくかもしれないことを意に介さず、艦娘達を信じて海へと送り出してくれた。鹿島の人材育成の要諦を寛容さとすれば、日南中尉のそれは信頼、と言えるかもしれない。

 

 アプローチは違っても、目指すところは同じ―――ぴとっとくっつくように鹿島が日南中尉に寄り添う。この感情を言葉としてどう呼ぶのか自覚はあったが、それでもどこかふわふわした感じの思いだった。けれど今、何かが自分の深い所でかちっと嵌ってしまった、そんな感覚。よりによって作戦遂行中にそんな自分の変化に気づいた鹿島は戸惑いを隠すことができず、今の自分の表情を見られたくない、と顔を伏せてしまった。

 

 開戦からすでに時間は経過し、赤城の航空隊は敵の前衛部隊にもうすぐで到達する。追いかけるように第三戦速で突き進む扶桑率いる打撃部隊も前進を続けている。

 

 きゅっ。

 

 鹿島が日南中尉の制服の裾を掴みながら、マルチビジョンモニターを食い入るように見つめる。その仕草に釣られるように、中尉は鹿島の横顔に視線を送る。普段の朗らかで明るい笑顔ではない、真剣な表情。二人の目に映る光景-各自目線の主観ビューから齎される画像は、いずれも海の碧と空の蒼が溶け合い境目さえ曖昧な一面の青………と雪風。

 

 唐突に湧き出るようにひょこっと現れ、モニターと二人の間にひょこっと割り込んできた。頭の両脇のレンジファインダーをぐりぐりするような距離まで近づいてきたかと思うと、にぱっと満面の笑みを浮かべ嬉々として報告を行う。

 

 「通信が入っています! 統合気象システム(JWS-2)の情報、更新されたみたいですっ!」

 

 国内二〇の気象隊・班と、在外拠点からの気象観測及び気象情報を収集・解析する全軍共通の統合システム、JWS-2からの情報が更新されたらしい。その内容を見た日南中尉は、目をすうっと細め怪訝な表情に変わる。改めてCMOSの中継が映るモニターを見れば、ほんの少し前までは一面の青が広がっていた視界の奥に、わずかにあった白い塊が急速に大きく、天を目指して翔け上がるように体積を増している。

 

 

 

 教導艦隊が出撃したEポイントから、敵の主力艦隊が陣取る海域最奥部のGポイントまでは小島一つもない広大な海が広がる。この距離を進軍し敵味方の双方が砲雷戦の距離に入るには第三戦速で進んでもまだ時間を要する。だが赤城を、そして敵からは空母ヲ級を発艦した航空隊はこの距離を一挙に潰してしまう。最速を謳われる島風の最高速度でも四〇ノット強だが、赤城が用いる九九式艦爆や九七式艦攻の巡航速度は約一三〇ノット、実に三倍以上の速度で移動しその戦闘半径は三〇〇kmを優に超える。往時の戦いで航空母艦が革新的な兵器足り得たのは、航空機という戦場を立体的な物へ変えた兵器により交戦距離を一挙に拡大し、戦艦の主砲を遥かに凌駕する爆雷撃を投射できたからだ。

 

 「中尉が策を立てこの赤城が戦う以上、ヲ級などに遅れは取りません!」

 

 急に強くなった風、波立つ足元を意に介さず発艦を無事完了させ終えた赤城は、遥か前方を猛進しみるみる小さくなる仲間たちの背中を見送りつつ航空隊の制御に集中する。そんな赤城の姿を、風に暴れる銀髪を抑えながら、護衛役の浜風はじっと見つめていた。

 

 -命令だから、とか、副旗艦だから、ではない…。離れていても赤城さんは中尉とともに戦っているんだ…。なら、私は…。

 

 現界したこの世界は、相手は米軍ではなく深海棲艦との戦火に覆われていた。ならその世界で、自分は何をすべきなのか。いつの頃からか…技術本部で第三世代化(最新の改装)を施すと言われ工廠で目覚めた時から、考えるという事を止めてしまっていたように思う。理由も告げられず再び改装を施された後は、若き指揮官の率いる宿毛湾の部隊に転属となった。磯風や雪風と一緒なのは安心したが、何か自分の中の芯のようなものが抜けている、明確な命令が無ければ安心できない自分に気が付いてしまった…。

 

 浜風の深く沈みこんだ思考を遮るように、宿毛湾の作戦司令部と、進行してくる敵の打撃部隊の迎撃に向かった旗艦扶桑、航空隊の制御を行う赤城の間で慌ただしく通信がやり取りされる。

 

 

 「中尉…巨大な積乱雲が急速に発達しているようです。このままだと航空攻撃は…それは敵も同じでしょうけれど…。今のうちに次のご指示を。………まだ、行けるかしら…」

 「JWS-2情報更新っ。戦闘海域中央部に巨大な積乱雲(Cb)が発達中、各員注意っ! 赤城、攻撃隊を―――」

 「はいっ! ですが、今からではもう…。と、とにかく部隊を東西に分けてCbを迂回させますっ!」

 

 

 

 積乱雲は、強い上昇気流によって鉛直方向に著しく発達した雲をいう。水平方向の広がりは数~数十kmに渡り、雲頂高度は四〇〇〇~一五〇〇〇m、局所的には二〇〇〇〇mに及び、これは艦娘や深海棲艦の艦載機の実用上昇限度の二倍にもなる。雲の輪郭は明確で、雲底は非常に暗く、雲の下では激しい雨、冷たい突風がもたらされ、雲の内外で雷が発生するのが特徴。航空機にとっては、上に逃れても越えられず、下に逃れれば激しい雨に視界を奪われた挙句雷や突風の餌食になるという生死にかかわる自然の障害物だ。

 

 赤城と空母ヲ級が、戦艦ル級と扶桑が、それぞれを求めて目指す交戦開始地点(エンゲージポイント)周辺で発生した雲は、僅か数分で雲頂一〇〇〇〇mを遥かに超え、あっという間に山のように巨大な塊の積乱雲の群れへと姿を変えた。すでに周囲は真っ黒な空へと色を変え、空を白くぎざぎざに切り裂く雷を撒き散らしている。そして双方の航空隊は積乱雲の成長に巻き込まれてしまった。

 

 日本でも四〇度を超える酷暑に、より南方に位置する東部オリョール海周辺の気象状態が影響していないはずがない。全世界的に異常気象と言える猛烈な暑さで、オリョール海の海面温度は三〇度弱、潮流の関係と合わせ台風レベルの強烈な上昇気流が発生し、ごく短時間で巨大な積乱雲が発生する素地に繋がっている。南方で積乱雲の発生は珍しいことではないが、この海域でこの巨大さは稀である。雲頂二〇〇〇〇mにも達する巨大な積乱雲が局所的に発生する場所としてオーストラリアのダーウィン沖が有名だが、今回教導艦隊の前に立ちふさがったのは、そのクラスに近いものである。

 

 

 

 海域攻略を見届けようと集まっていた艦娘達から悲鳴のような声が上がり、宿毛湾の作戦司令室は時ならぬ騒然とした空気に支配された。積乱雲の中を突っ切る怖さは誰もが往時の記憶から知っている。中でも空母娘達は手を取り合いながら、不安そうな表情を隠そうとしない。

 

 選りによってこれから突入しようとする地点で急速に発達した積乱雲、これでは航空隊、中でも艦攻隊が真っ先に被害を受けるかもしれない。積乱雲の真下ではダウンバーストと呼ばれる、瞬間風速三〇m/秒、稀にこの倍以上の風速に達する突風が吹き下ろす。これを受けると航空機は失速し一気に高度が下がってしまうが、下げる高度の無い海面すれすれを進む艦攻隊は、そのまま海面に叩きつけられてしまう。航空隊だけではない、吹き下ろしの突風が吹き渡る海面は激しく波立ち、いきなり台風の中を航行するような状態になる。

 

 撤退した方が…との声が多く聞こえ始めた作戦司令室で、日南中尉が扶桑と赤城に指示を出そうとした瞬間、スピーカーから大量のブリキを一斉に叩いたような、激しい轟音が何度も鳴り響く。

 

 「「「「きゃぁあっっっ」」」」

 「………あの、どいてもらえるかな…」

 

 轟音の正体は積乱雲が纏う激しい雷が落ちた雷鳴で、無意識的か意識的か、悲鳴とともに左右や背後から艦娘達にむぎゅられた中尉はC4ISTARのオペレーター席に押し潰されるように突っ伏していた。現場海域ではすでにスコールとダウンバーストが吹き荒れ、空と海を繋げるように、落雷域が広範囲に及ぶ熱界雷と呼ばれる雷が真っ黒な雲下を真っ白に照らしている。落雷は千分の一秒程度のごく僅かな時間に、数万~数十万A(アンペア)の放電量と一~一〇億V(ボルト)の電圧で一気に放出される、自然界のEMP(電磁パルス)攻撃のようなものである。その結果―――。

 

 「え…日南中尉、画面からみんなが…消えた…? 扶桑、扶桑っ!? だめだ、ほとんど聞こえない…。後衛の赤城さんは…うん、うん、通信状態はひどいけど、何とか回線生きてるよっ!」

 

 日南中尉を背中からむぎゅっていた時雨は慌てて通信機器にとびついて、必死にチューニングを行うが、艦隊側の通信設備の多くが損傷を受けたようで、作戦司令室のスピーカーからは耳障りな雑音の合間に誰かの声が途切れ途切れに聞こえるだけ。さらに外部装着したCMOSセンサーも過負荷で回路を焼き切られ映像と音声は途絶、マルチビジョンモニターは単なる空白の地図となってしまった。

 

 誰もが黙り込み日南中尉を見つめる。南方で作戦展開する以上天候の急変は盛り込むべき内容だが、想定の範囲を大きく超えた自然の猛威の前に艦隊と司令部が切り離されてしまい、進撃も撤退も指示ができない。唇を噛み不安の色を浮かべつつも、中尉は深く深呼吸をし、決然と前を向く。

 

 「赤城と扶桑なら…乗り切ってくれるはずだ。時雨は状況確認、赤城と扶桑を呼び出し続けてくれ。鹿島教官、非常事態です、作戦の立て直しに協力してください」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。